2021/12/26

下松愛隣教会はもう存在しない・・・

筆者、65歳になると、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会を辞任して、妻のふるさと、東北福島の湖南の赤津村に帰郷・帰農することに決めていました。

少しずつ、そのための準備をしていたのですが、準備といっても、田舎暮らし・百姓暮らし・山郷暮らしに関する情報収集と、山口県の中国山地沿いの村をドライブしたとき、その農家のおじいさん・おばあさんから聞き取り調査をするくらい・・・。郵便局長をリタイアしたと、本州唯一のなべつるの飛来地、山口県熊毛郡八代村で、有機・無農薬さ売で米と野菜を栽培している教会員のご夫婦が、<牧師が山口の地を去っておくさんの福島に行ったとき、福島の農家からかならずバカにされる。米ひとつつくれない、バカ農家だって・・・。それは、わたしたちの恥にもなるから、牧師さんが福島の地で有機・無農薬でコメをつくれるように知識・技術を提供しなければ・・・>と他の教会員にも働きかけて、牧師である筆者の<農民化>・<百姓化>プロジェクトがスタートしました。

筆者、3年間、山口県立田布施農業高校大島分校(園芸科)で仕事をしていたことがありますが、そのとき、鹿児島大学農学部の大学院まで出られて山口県立高校の教師をされ定年後嘱託をされていた教師の方から、福島に帰郷・帰農してからの寒冷地農法についていろいろアドバイスを受けました。

そのほかに、教会員の兵庫県に住む親戚のぶどう栽培農家と山口県の被差別部落出身のひとといわれるぶどう栽培農家の方から、有機・無農薬でぶどうを栽培する方法を伝授されたり、山口県北の独り暮らしをされている農家のおばあさんから老後の暮らし方を教わったりして、東北福島の妻の実家に帰郷・帰農した年からすぐ、有機・無農薬でコメと野菜の栽培をはじめ、最初の年から収穫をすることができました。<山口の地に30年住んた牧師が、福島に行ってコメひとつつくれないというのは、牧師だけでなく、山口の基督教信者の農家にとっても恥だ>と言っていた彼らの期待を裏切ることなく、筆者と妻は、有機・無農薬栽培で米と野菜をつくりはじめました。

実際に、65歳が近づいて、教会を離れる時期がきたころ、教会員の方々は、<わたしたちは、もう思い残すことはありません。前任者が自害して、希望なき教会になったこの教会に、吉田牧師は30年近くとどまって牧師をしてくれたのだから・・・。最後にひとつお願いがあります。この教会を離れるときに、この教会を解散手続きをしていってください。>と話しかけて来られました。筆者がその教会の牧師を辞任して隠退牧師になり、その教会をはなることは即、宗教法人の解散手続きをして教会を解散することを意味するようになりました。いろいろ話し合って結果、1.筆者は退職金を放棄すること、2.宗教法人としての固定資産・流動資産は、すべて包括団体である日本基督教団に、東日本大震災の被災にあった東北教区・奥羽教区の教会の再建のために指定して譲渡すること・・・。<戦後、日本が経済的復興をなしとげたのは、知識・技術があればこそ、吉田牧師はすでに知識・技術を身に着けたので、東北福島でも隠退牧師として生きていける>と判断されたためです。「吉田牧師がこの教会を離れるとき、この教会から1銭ももちださせない!」と繰り返し主張していた被差別部落出身の教会員の<きもち>を忖度したためでもあります。

日本基督教団西中国教区の山口でのちいさな教会の牧師をしていたときの30年間の伝道と牧会については、おもしいろい本を1冊書くことができます。前任者が自害した教会のさまざまな問題について・・・。その他にもう1冊、被差別部落出身の教会員が半数をしめていた教会の中のさまざまな問題について・・・。1.同和対策事業と似非同和行為について、2.部落解放運動の陽と陰について、3.被差別部落出身の牧師について、4.被差別部落出身信徒の師弟とキリスト教主義大学進学について、5.被差別部落出身者である教会員の被差別部落の青年の部落解放運動に対する弾圧について、6.被差別部落におけるキリスト教の葬儀について、7.被差別部落出身の教会員の事業に必要な資金の連帯保証人にならなかった筆者に対する他の教会の牧師たちからの批判について、8.筆者を排除・疎外する日本基督教団の牧師の息子の部落民であることのカミングアウトにいて、9.筆者を排除疎外していた牧師が隠退後に被差別部落の中に建てた住居について・・・、1冊どころか数冊の本が書けるような内容です。人間の罪と悪と欲が混然といりまじったどろどろした世界・・・。そのなかで、筆者がであった、部落解放同盟山口県連の新南陽支部の方々は、そのどろどろした世界に美しく清らに咲いたハスの花・・・! 学習会でであった、被差別部落の人々の、差別されても差別を跳ね返して生きてきた生き様を語る笑顔・・・、山口の父を離れて時が経てばたつほど、その笑顔をくっきりと思い浮かべることができるようになっています。

法務省通達に基づく、プロバイダーによるインターネット上の部落差別問題に関するブログ・ホームページの問答無用的な閲覧禁止・削除処分は、よくもわるくも、被差別部落に関する情報をすべて抹消しようとする現代的な<焚書坑儒>以外の何ものでもありません。日本基督教団隠退牧師の筆者、1.~9.について文章化して本にすることはありません。部落差別の、被差別部落出身者の、被差別部落出身のキリスト教信者の<陰>の部分について記録することはありません。しかし、山口で筆者がであった部落解放運動の<陽>の部分については、『部落学序説』として、『The Study on Buraku Discrimination in Japan』として語り続けていくことにしています。ヴィトゲンシュタインの日本の研究者である野矢茂樹曰く、<語り得ぬものについては、語り続けなければならない>。 

筆者、部落差別に関して差別者として糾弾会の席に立たされたり、裁判の席に立たされたりした場合、弁明すべき多くのことを持っている・・・。そのとき、筆者、問いたい。<あなたがたは、ほんとうに被差別部落出身者なのか? 被差別部落出身者であるというなら、まず、そのことを証明してほしい。>と。訴えるひとが、真正の、近世幕藩体制下の司法警察官である<穢多>役の末裔であると認めることができたら、真摯に対話をすることになる・・・。精神的・非精神的を問わず、似非同和行為であるなら、逆に人権侵害として告発する・・・。筆者、糾弾会や裁判の席を、被差別部落の人々を差別の鉄鎖につなぎとめる差別思想・賎民史観を徹底的に批判し、それを主張して私腹をこやす左翼思想の学者・研究者・教育者を批判する場にする・・・。


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