2021/12/19

西中国教区の中で一番謝儀がすくなかった筆者の隠退牧師の暮らし

今日は、教会暦の上では、クリスマス主日礼拝のある日・・・。

2012年のクリスマス主日礼拝を最後に、筆者も妻もクリスマス主日礼拝から遠ざかりました。妻のふるさと・湖南の赤津村は、昔から無医村・・・。医院も薬局もスーパーもドラッグストアもホームセンターもありません。というより、赤津村だけでなく湖南の5け村には、医病院・診療所も薬局もスーパーもドラッグストアもホームセンターもありません。寺と神社はあっても、教会はひとつもありません。

筆者と妻がクリスマス主日礼拝に主席使用と思うと、東に郡山、西に会津若松市、北に猪苗代町、南に須賀川の、日本基督教団の教会がありますが、いずれも雪道を40分かけて走らなければなりません。しかも、どの教会も駐車スペースが少なく、湖南からくるまででかけて自由にその駐車場を使えるわけではありません。駐車場を探している間に、礼拝は終わってしまいそう・・・。筆者と妻の基督教信仰の根幹は聖書信仰ですから、聖書を読んで祈って、あとはそのみことばを日常の暮らしの中で生きることで、信仰生活を維持しています。積雪期でないときは、日々、百姓暮らしの農作業に追われています。妻は、その上に、認知症になってしっこうんちを垂れ流しするおかあさんの介護に追われ、教会の主日礼拝に出て、牧師の説教を聞き、生きる力を与えられる・・・、ということはなくなりました。妻は、<牧師のあなたをこんな田舎に連れてきて・・・>といつも筆者にあやまりますが、筆者、<こどものころ憧れていた雪国暮らしができて、しあわせだよ! 島村亀鶴先生が送ってくれたはがきに会ったでしょう。「神を愛し、妻を愛し、土地を愛しなさい」って。その言葉の中に「教会」が含まれていなかったことに驚かされたことがある。島村亀鶴先生も、前任の牧師が自害した教会の再建はむずかしいといって、次の任地を考えてくださっていた・・・。目に見える教会はなくても、私たち自身が生ける宮、生ける教会だから・・・>と繰り返し答えます。

今日は、島村亀鶴先生の説教に耳を傾けることにしましょう。

西中国教区の中で一番謝儀がすくなかった筆者の隠退牧師の暮らし、主なる神さまが与えてくださった愛する妻と、会津富士が見える、妻の実家のおとうさんが残してくれた棚田の田畑と山林、湖南の美しく厳しい自然の中で、感謝の祈りをささげて生きることができる日々です。<明日何を食べようかと思いわずらうな>、妻の実家の玄米保冷庫には、2年分の有機・無農薬のコシヒカリが貯蔵されている、今日倒れることがあっても、2年分の主食は確保できている、その2年の間に再起をめざせばよい・・・。                                                                                          


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