2021/12/27

雪の降るなか、猪苗代まで買い物にでかける・・・

今日は、雪・・・。軽トラと普通車が出せるように庭の除雪をしあたと、20cmほど積もった普通車の上のブルーシートの雪を除雪して、妻とふたりで猪苗代へ向かいました。今日は、ホワイトアウトと言うほどではありませんが、準ホワイトアウトの状態で、とても運転しにくい天気でした。コースは、いつもの猪苗代西岸まわり・・・。農道も田畑も山も雪で真っ白、日差しがとどかず、どんよりした灰色がかった風景がどこまでも続いていまいした。

猪苗代湖北岸の岸辺には、無数のカモとコハクチョウがたむろしていました。コハクチョウ、どうしてみんな、あんなけがれひとつない白衣装をみにまとっているのでしょう?雪原のコハクチョウは、雪のしろさにとけこんでしまっている・・・。

『万葉集』には、コハクチョウもオオハクチョウも出てきません。シラトリは2回ほど出てきますが、歌われた情景から、コハクチョウやオオハクチョウではなくコウノトリのようです。筆者が学んだ琴浦西小学校は、創設期は榴浜小学校、明治22年下村と上村が合併して鴻村になったときは鴻小学校と改名され、戦後に琴浦西小学校になりました。その鴻が、『万葉集』に歌われているシラトリではないかと思われます。松の木で連想できるのは、鴻・コウノトリだけ・・・。筆者が学んだ琴浦小学校は、赤色のつばきの花、白色のこうのとり、お琴の柱(じ)を校章にした日本の古風ゆかしき名・・・。児島修験や児島高徳など、天皇家とのかかわりが多い・・・。吉備の児島の榴浜(海石榴浜)にたどりついた熊野修験・・・。筆者が生まれた地は、筆者の祖父・吉田永学がその生涯を閉じた地・・・。コウノトリは、かならず生まれ育った地に帰ってくるすですが、祖父・吉田永学も、父も筆者お、生まれ育った地から遠く離れた場所で生涯を閉じることになりました。修験僧は、旅の僧・・・。その末裔にふさわしい生き方だったのかもしれません。

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