2021/12/31

<差別しない>ということと<差別されない>ということと・・・

すべての差別問題について、一般的に言えることですが、差別問題の解消には、<差別しない>ということと<差別されない>ということの二つの側面での取り組みが必要です。

<学歴差別>についても、<学歴差別しない>ということも大切ですが、<学歴差別されない>とうことも大切です。なにごとにつけても、他者を差別しないと気がおさまらないというのは、その人が生きることに自信を持っていない、あるいは持つことができないしるしです。自分の生き方に満足して精神的に充足していれば、他者と比較して、その優劣にしがみついて、見苦しい生き方をするようなことはありません。だいたい、<汝自身を知れ>といわれても、自分自身すら知り尽くすことができないのですから、他者のことをすべてわかっているかのように判断して切り捨てることなどできるわけがありません。哲学することの最大の長所は、哲学するものに人としての謙遜さをもたらしてくれることでしょう。

<私は学歴差別などしない>という人に時々出会いますが、それはほとんど限定的・・・。自分より学歴が下の人に対しては学歴差別はしていないという意味程度で、その人が、その人より学歴が上の人に対して学歴差別から自由になっているかどうかは定かではありません。

現代の高学歴の典型である大学の教授・助教授の方々の講演を聞いたり、話をしたりしていても、ゲーテの『ファウスト』に出てくる4分野、哲学・医学・法学・神学を独学してきた中世的人間である筆者の目からみますと、彼らは、専門分野の知識・学識は豊富でも、専門分野から外れた分野についての発言は、素人ないし素人以下の発言がめだちます。いわゆる<専門バカ>といわれる学歴の信奉者たちです。筆者が尊敬している学者・研究者は、学歴を持つと同時にそれにふさわしい全人格的な教養と良心をもちあわせている方々です。<学歴差別>から自由になるということは、<学歴>をもっている人々に対しても<偏見>や<独断>を持たず、そのひとの全人格をありのまま受け入れるということを意味します。

昨夜、ヤスパースの『哲学入門』をひもといていて、高校生の筆者に、哲学者・ヤスパースが語りかけてきたことに、筆者、深く共鳴したことを思い出しました。ひとが実存的な問いかけの前にたたずみ、それと格闘することになるのは、人生においてたった1回限り・・・。筆者にとっては、中学3年生の3学期のできごとでした。高校受験のための受験勉強をしていたとき、気分転換に新約聖書を読んでいました。その個所は、ヤコブの手紙の第5章、<あなたがたのうちの多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっと厳しいさばきを受けることが、よくわかっているからである>・・・。筆者の夢は、中学校の教師になることでした。その新約聖書のことばを読んでいたとき、ラジオからニュースが流れました。いつもは聞き流しているニュースですが、そのときは、テープを巻き戻して聞くときのように、頭の中に入ってきました。筆者が尊敬し、<あの先生のような教師になりたい>と思っていた教師が、勤務先の中学校の公金横領事件の被疑者として警察に逮捕されたというニュースでした。その日、中学校に行くと、学校全体が騒然としていました。その教師がクラス担任をしていた生徒が集められ、<彼は教師ではない。わたしたちこそ本当の教師だ。動揺しないで、私たちを信頼して、高校受験にのぞんでほしい>と話していました。高校に入ると同時に、筆者、苦悩の日々がはじまりました。学校の教師とはなにか、人を教えるとはなにか、人生にとって大切なものはなにか、ひとはどうしたら罪を犯さないで生きることができるのか、学校の教師になるという希望はほんとうの希望たりうるのか、なぜ学歴をもって罪を犯すのか、父兄や生徒から信頼を受けている教師がなぜ彼らの信頼を裏切るようなことをするのか、教師によって評価された筆者の成績はほんとうに正しかったのか・・・、次からつぎへとわきあがってくる問いに対する答えをもとめて、読書三昧の日々を過ごすことになりました。といって、大学受験のための勉強もしなければなりませんので、教科書に出てくるテキストの原典を全部読むことにしました。ヤスパースの『哲学入門』もその1冊ですが、その『哲学入門』は、高校生の筆者に、実存と実存哲学、哲学的信仰について教えてくれました。それ以来、筆者は、ヤスパースの哲学と『聖書』を、筆者のよりどころとして読み続けることになりました。<学歴差別>についても、<学歴差別しない>ということと<学歴差別されない>ということの両面から常に考えるようになりました。

15歳になったばかりの筆者が経験させられた衝撃は、筆者の生き方を大きく変えることになりました。筆者が人生において追求していくのは、真・善・美のなかの善と美ではなく真であると・・・。ヤスパースの『哲学入門』には、哲学の課題は真理・真実への追究であるとありました。ヤスパースの『哲学入門』は、ラジオ放送で流されたものです。ひとつのラジオ放送が、中学生の筆者を精神的失望とどん底に落とし込み、もうひとつのラジオ放送がその精神的葛藤の泥沼から引き上げてくれました。

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