2021/12/25

尊敬しているひとりの部落解放運動家・・・

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会に赴任した年、西日本新聞の記者の方に紹介されて、高校教師、小・中学校教師、新聞記者、郷土史家、宗教者によって構成された読書会に参加することになりました。

西中国教区の牧師・信徒は、無学歴・無資格の牧師である筆者に極めて排他的で、疎外・排除するのが常でしたが、その読書会は、自由に発言でき、意見交換ができる場所でした。筆者の番になったとき、筆者が選んだ本は、鹿野正直著『日本近代化の思想』(講談社学術文庫)でした。他の読書会のメンバーから同和教育に関する本が紹介され、議論したことがあります。その読書会に参加していた、京都大学大学院を出られた日本文化史研究者の方が、筆者が、部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加することになったと話したとき、筆者にこのようなことをアドバイスしてくださいました。彼は、京都大学大学院で大阪の日雇い労働者について研究していたそうです。それで、彼は、一人の日雇い労働者になって、他の日雇い労働者と同じ生きたをして彼らを観察していたそうです。あるとき、他の日雇い労働者と一緒に電車に乗っていたとき、京都大学大学院のほかの院生に出会い、<君は、日雇い労働者の服装をして何をしてるんだ?日雇い労働者の研究はどこまですすんでるんだ?>と問いかけられたとか・・・。日雇い労働者の前でその素性を明らかにされた彼は、それまで親しくいろいろな話をしてくれた人々から相手にされなくなり、彼の京都大学の院生としての研究は頓挫してしまったとか・・・。彼は、そのことを話ししながら、<吉田さんが被差別部落に入ってその学習会に参加するなら、絶対に自分を偽ってはいけないよ。被差別部落出身ではないのに、被差別部落出身者であるかのようにふるまっても、すぐメッキがはがれてしまうから。そしたら、被差別部落の人々の相手にされなくなる。ありのまま、自然体でかかわるのが、研究者にとって一番いいあり方だ・・・>とアドバイスしてくださいました。

それで、筆者、はじめて被差別部落の学習会に出席したとき、<わたしは、被差別部落出身ではありませんが、今、日本基督教団西中国教区の部落差別問題特別委員会の委員をさせされています。本を読んだだけではよくわかりませんので、この学習会に参加させてもらって、被差別部落の人々の声を直接聞かせてもらうことにしました>とあいさつしたのですが、そのとき、その学習会の主催者である部落解放同盟新南陽支部の書記長さんが、<わたしも、被差別部落出身ではありません。山口大学で勉学していたとき、この被差別部落出身の、山口女子大学の学生と知り合いになり、結婚して、一緒に部落解放運動をしています>とあいさつされました。彼は、学校の教員の息子でしたが、親に対する反発から、被差別部落の女性と結婚して部落解放運動に関与するようになったとか・・・。彼は、つれあいが抱えている歴史や伝承、喜怒哀楽を<すべて引き受けて共に生きる>ことにしたと話しておられました。彼という存在がなければ、筆者、『部落学序説』を執筆するまでに深く被差別部落とかかわることはなかったでしょう。筆者は、彼が集めた山口県の被差別部落に関する史資料のコピーの提供を受けました。部落解放同盟新南陽支部の書記長さんは、いまも、筆者が尊敬している部落解放運動家のひとりです。

彼は、筆者のことをよく<破戒僧>であると言っていましたが、伊勢神宮の神宮寺であった伊勢の世義寺の末寺、信州栗田村の真言宗観聖寺の住職・修験僧の末裔である筆者が、日本基督教団の牧師をしていたのですから、紛うことなく、筆者は<破戒僧>でした。しかし、筆者、部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加するようになって、単なる<破戒僧>ではなく、被差別部落の人々を差別の鉄鎖につなぎとめる差別思想・賎民史観の<破壊僧>になっていました。そのころの筆者の祈りは、<イエスさま、イエスさまが現代日本の社会を歩まれていたとしたら、どこを歩まれていたのでしょうか? わたしにその道を教えてください。わたしは、イエスさまのうしろすがたをみながらついていきます・・・>というものでした。筆者は、一キリスト教徒として、一牧師として、その部落解放運動に関与していましたので、2013年隠退牧師になり、東海村の原子力発電所に出稼ぎで働いていたことがる妻の実家のおとうさんが、東日本大震災・原発事故による放射能汚染に大きなショックを受け2012年1月1日に心臓発作で急逝しました。生前、<湖南が放射の汚染されていたらもうここに帰って来なくていい。放射能で苦しむのは、おらひとりで十分だ>と話していましたが、筆者、<何があっても帰ってくる。放射能汚染を無化して田畑で有機・無農薬でコメと野菜をつくる>と答えていました。日本基督教団の隠退牧師となり、山口の地を離れ、遠く離れた福島の妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農していますが、山口の被差別部落の人々との交流はなくなりましたが、隠退牧師と言え牧師は牧師・・・、一キリスト教徒として、一牧師として、差別思想・賎民史観の<破壊僧>で有り続けています。

筆者は、『孤独な群衆』の著者 Riesman がいう、<レーダー型人間>ではなく<ジャイロスコープ型人間>ですので、定めた目標、部落差別完全解消という目標に向けて、自律的に飛び続けています。

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