2021/12/13

豊かなることと貧乏になること

昨夜、ヤスパースとヴィトゲンシュタイン、ガダマーの本を読みました。

偶然、読んだ文章は、<先知識>、<先理解>、<前知識>、<前理解>に関するものでした。

ヤスパースは、<各々の現実態の認識もまた、各自その対象に応じて、また相異なる程度において、先行の現実態の認識を前提条件としている。ということは、先行のものがより総括的なものとして後に来るものの認識を包み込む、ということを意味するものではない。むしろ後に来るものは、現実態としてもそうであるように、認識に対しても固有の根源を持っているのである。>といいます。

ヴィトゲンシュタインは、次のようにいいます。

<学問・科学――豊かなることと貧乏になること。あるひとつの方法が、他の方法をすべて押しのけてしまう。この選ばれた方法を比較すれば、他のすべての方法は貧しく見える。たかだか前段階というわけだ。きみは水源に立ちもどり、こけにされた方法、ひいきにされた方法をすべて横一列に並べて眺める必要がある>。

<横一列に並べる>、それを<一揆>といいますが、差別思想・選民史観を撃つ、筆者のブログ『部落学序説』は、差別思想・賎民史観に依拠し、被差別部落のひとびとを差別の鉄鎖につなぎとめる左翼思想の学者・研究者・教育者・運動家に対する<一揆>ののろしのようなもの・・・。筆者は、ヴィトゲンシュタインの言葉をこう読みます。

部落史研究における貧しさ、それは、あるひとつの方法、被差別部落の人々の先祖を賎民とみなす賎民史観的研究方法が、他の研究方法すべてを押しのけてしまうことにある。左翼主義の学者・研究者・教育者・運動家によって選ばれた賎民史観的研究方法を、部落史研究の達成された最高峰として比較すれば、彼らには、他のすべての方法が貧しく見えるようだ。たかだか前段階というわけだ。しかし、真剣に、部落差別完全解消を願うなら、差別思想・賎民史観を廃棄して、被差別部落の人々の本来の歴史をとりもどすべく、きみはその水源に立ちもどり、賎民史観の学者・研究者・教育者・運動かによって<こけにされた方法>と、彼らによって<ひいきにされた方法>をすべて横一列に並べ、なにが部落差別の完全解消につながるか、批判検証する必要がある。目的達成のための手段をあやまってはいけない・・・。左翼思想家・共産主義者は、目的達成のための手段をしばしば間違い、人間に悲惨な状態をもたらした・・・。そして、いまももたらし続けている・・・。

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