2021/12/31

哲学なき信仰の悲惨・・・

日本基督教団の牧師をしていてであった日本基督教団の牧師たち・・・、当然のごとく神学の専門家・・・。ほとんどの人は、大学を卒業したあと神学校に入って神学をおさめます。学歴はいくつも持っているのが普通・・・。そんな世界で、筆者、無学歴・無資格者として牧師をしてきました。

日本基督教団西中国教区の教会を離れて、日本基督教団の隠退牧師になる最後の西中国教区総会のとき、それまで交流のあった牧師や信徒の方々がささやかな送別会をしてくださいました。そのとき信徒議員のひとりが、<吉田牧師の間違いは、学歴や資格、師弟関係がものをいう世界になにも持たないで入ってきたことだ>と話していました。牧師の中には、<吉田牧師が、西中国教区のために貢献したたったひとつのことは、西中国教区に謝儀の互助体制をつくらせたことだ>と話すひともいました。<「牧師の任地は、神の召命によるものであって、その牧師の学歴や資格に基づくものではない。どの牧師でも、伝道と牧会に専念できるように謝儀体制を整えるべきだ」という吉田牧師の提言は、「謝儀のことで文句をいう牧師は、この教区はじまって以来の暴言だ。神に祝福された牧師は多くの謝儀を受け取り、神に祝福されていない牧師の謝儀は少ない、これはあたりまえでないのか。それなのに、吉田牧師は、不平不満を募らせて言葉にする」と先輩牧師の反感を買い、吉田牧師を排除・疎外するきっかけになった・・・>と話す牧師もいました。

日本基督教団の牧師になるために、農村伝道神学校に入ったときから、神奈川教区の開拓伝道を経て、西中国教区の前任者が自害した教会に幽閉されて30年間を過ごし、「神からも神学校からも見捨てられた無能牧師」と烙印を押されて排除・疎外されてきた筆者の目に映った牧師たちの姿は、<哲学することなき信仰と神学の悲惨>・・・。哲学することがない神学教師や牧師は、その悲惨さに気づいていない、そのことがさらに悲惨さをいやしがたいものにする・・・。日本基督教団西中国教区の先輩牧師たちは、筆者に、<牧師は自殺するくらいがかわいい。どんなに排除・疎外しても、自殺するどころか、悲観すらしない。先輩牧師を理詰めで批判してくる。>と呆れていました。

ヤコブの手紙の第5章、<あなたがたのうちの多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっと厳しいさばきを受けることが、よくわかっているからである>という言葉を1度も読んだことがないのだろうか、と筆者いつも不思議に思っていました。哲学は、自己検証の学,自己批判の学です。自己検証を忘れ、自己批判を忘れたとき、人は教師としての歩むべき道から大きく逸脱してしまいます。

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