筆者74歳の冬を過ごしています。
74歳になって、こころとからだ、たましいの健康を与えられて、日々感謝のいのりのうちに過ごすことは、とてもさいわいなことです。願って手に入れることができる類のものではないので、ただただ、主なる神さまに感謝するのみ・・・。
今朝は7:30に起床・・・。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。今日読んだ聖書の箇所にには、日本の武士道とおなじような精神が描かれていました。たとえ敵であったとしても、不名誉な死ではなく名誉ある戦死を追求しようとする、日本の武士道の雛形・・・? 骨肉相争う悲惨な戦いに終止符を打ってそのご300年間の平和を作り出した日本の嵯峨天皇のような存在の原型のようなひとが旧約聖書の中に記されていたとは・・・。
筆者の先祖は、寛永14年(1637)に開山された信州栗田村の真言宗観聖寺、伊勢神宮の神宮寺であった伊勢の世義寺の末寺の世襲が許された住職・修験僧です。武士の殺生与奪の権とは無縁の存在で、民間医療と祈禱によって、村人を生かすことを職務としていたようです。明治11年(1878)、廃仏毀釈、神仏分離、神道国教化の流れのなかで、修験道廃止、祈禱廃止、民間療法廃止により、廃止を余儀なくされた筆者の先祖が、曾祖父の吉田向学・・・。
先祖の過去帳をみると、みんな80~90の高齢でなくなっています。真言宗・観聖寺の跡地に住み、その宗教遺産を継承しておられる長野の吉田さんのご厚意で、『観聖寺文書』を読むことを許されていますが、残された人生の晩年における先祖の生き様には心打たれるものがあります。そうでないと、241年も 、真言宗観聖寺の住職・修験僧で有り続けることはできなかったと思われます。名もなき民間宗教者の先祖たちの歴史に、筆者の歴史を重ねることは、決して無意味ではないでしょう。長野の吉田さんの説では、彼は17世にあたるとか・・・。同じ年代の筆者も17世・・・。うまれながらに身に着けている先祖の生き方は、長野の吉田さんにも、筆者にも受け継がれていっているようです。
2021/12/30
隠退牧師の74歳の冬・・・
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