2022/01/31

哲学とは何か・・・

昨夜と今日の午後、ヤスパース著『哲学』(全3巻)の<哲学Ⅱ>を読んでいました。精読していますので、それほど分量を読みこなすことができるわけでありませんが、<哲学Ⅰ>をよみはじめたころの読書の進捗状況とは雲泥の差があります。

ヤスパースの『実存開明 哲学Ⅱ』を精読しながら、筆者のものの見方、考え方がヤスパースの哲学に大きく影響されていることを確認すると共に、<哲学>について<講義>(授業)をしてみたくなりました。

部落差別問題にまったくの門外漢であった筆者が、日本基督教団西中国教区総会によって部落差別問題との取り組みを強制されることに端を発した、筆者の部落差別問題とのとりくみ・・・。その取り組みの内容は、2005年にインターネットのブログ上で公開執筆した『部落学序説』に紹介しています。部落差別問題の門外漢である筆者がなぜ『部落学序説』を執筆するにいたったのか、なぜ『部落学序説』を執筆したのか、そのときの筆者のものの見方、考え方は何であったのか・・・、それを言葉に表現することを可能ならしめてくれるのが、ヤスパースの『哲学』(全3巻)です。高校2年生のときに読んだヤスパースの『哲学入門』は、『哲学』(全3巻)の要約・概説のようなものであり、それを生きてきた筆者が、74歳になってその『哲学Ⅱ』を読んで、筆者がこれまで考えてきたこと、生きてきたことを整理することができるのは、ある意味、必然です。

『部落学序説』執筆の背景にあるのは、ヤスパースの実存哲学である、といってもいいのではないかと思っています。社会学や心理学、唯物史観などではたどりつくことができない解放理論です。

午前中、キーボードの前払い代金を振り込む・・・

午前中、昨日インターネット経由で注文していた音楽用キーボードの前払い代金を振り込みました。現金で・・・。

筆者と妻は、カード決済は一切使用しないことにしています。年金暮らし&百姓暮らしなので、臨時収入が入ってくる可能性は100%ありません。それで、いつも買い物は現金で・・・。当然、1回の支払い代金が30,000円を超えることはほとんどありません。つまり、何を買っても原則としては、30,000円以内・・・。

結婚45年のサファイア婚式の、妻へのプレゼントの前渡しとして、筆者が購入することにしました。95歳の認知症の、妻の実家のおかあさんの介護と百姓暮らしに追われて、妻が好きなドライブと自然の写真撮影にでかける時間的ゆとりも経済的ゆとりもありませんので、せめて、自宅で気分転換できるようにと思って・・・。

妻は、<あなたは何がいいの・・・?>といいますので、筆者は、<必要な本はすべて入手することができたから、あとは読むだけ・・・。なにもない・・・>と答えました。


2022/01/30

妻に頼まれていたキーボードの選定を終える・・・

雪国・湖南の赤津村での冬の暮らし・・・。

武漢ウイルス(新型コロナウイルス)感染症が蔓延するなか、人間関係が<密>から<疎>に変わってしまったようですが、<よそもん>である筆者と妻は、プロの農家である<ここらのもん>との交流はなし・・・。

尋ねたり、尋ねられたりする関係にはありません。冬の間、筆者は、インターネットの日本の古本屋で入手した古本を読書することになりますが、妻は、読書・洋裁・音楽と趣味は多様・・・。前々から、妻に、音楽用キーボードの選定を頼まれていたのですが、昨日と今日、インターネットで検索して、ひとつの機種に絞りました。午前中、家事を終えた妻に、そのキーボードの関連資料をみせましたが、<いつのまにか、時代がすっかり変わってしまっていたのね。あなたが選んでくれた機種でいいわ。これを注文して!>といいますので、販売会社の<評判>を確認して注文しました。注文したあと、そのキーボードのカタログと使用説明書をダウンロードしてプリンアウトしました。

妻は、郡山の楽器店で実際に使ってみて購入しようと思っていたようですが、新型コロナウイルスが、郡山市内でも急増していく中で、郡山のショップに赴くことにためらいがあったようです。筆者と妻が新型コロナウイルスに感染して、妻の実家のおかあさんや孫に感染させると大変ですから・・・。今回は、インターネットで購入することにしました。

市県民税の申告準備・・・

今日は、2021年度の市県民税の申告のための準備作業をしていました。市県民税の申告は、2月15日からですが、毎年、湖南の赤津村は、市県民税の最初の申告会場になります。白色申告の農業簿記は、市が指定した書式で作成しますが、領収書は、『農業日誌』に領主所の日付毎に貼り付けます。昨年、日本語データベース桐でパソコンで処理しようと思ったのですが、管理工学研究所の元社員の方に散々批判されて、意欲を喪失・・・、2021年度もこれまで通りの方法で手作業で帳簿を作成して申告会場に赴くことにしました。

田畑4.6反で、豪雪地帯の会津の山郷に属する、妻のふるさと・湖南の赤津村は、11月~4月頃まで雪に埋もれて農作業ができなくなります。田畑で作業できるのは、わずか6か月間・・・。夏野菜の播種は2月中旬、稲の種もみの浸種は3月彼岸に行いますので、コシヒカリの栽培は、浸種から籾摺りをして玄米保冷庫に貯蔵するまで8~9か月かかることになります。しかも、筆者と妻は、有機・無農薬栽培で、コメはすべて自給用・・・。余った米は、冬のスズメや野鳥、たぬきなどの餌になります。それでもあまると、田畑転換した畑にまいて肥料にします。販売すると、販売経費がかさみ赤字が増えるだけなので・・・。

市県民税の申告準備をしながら、筆者と妻の、年金暮らし&百姓暮らしの<決算>もすることになります。湖南の赤津村の農家の中で、一番小さな農家といわれる、妻の実家での、筆者と妻の暮らしは、プロの農家である<ここらのもん>から見るとバカにする対象以外のなにものでもありません。妻の実家が一番ちいさな<貧しい農家>であるというなら、その他の農家は、筆者と妻の暮らしよりはるかに豊かな暮らしをしているに違いないので、他者に対する配慮をする必要から解放されることになります。

ヤスパース著『実存開明(哲学Ⅱ)』の読書速度がはやまる・・・

今朝5:30に起床・・・。昨夜、ヤスパース著『実存開明(哲学Ⅱ)』を読んでいて、頭が活性化したためか、今朝はいつもより早く目が覚めてしまいました。いつもの健康管理と『英訳聖書』(NSRV)の通読をしたあと、『実存開明(哲学Ⅱ)』の続きを読みました。

ヤスパースは、<私が何であるのかとの問いに対して・・・その都度私自身について思考されたものを、排除していくことによって、一切の対象から――この対象性によって開明されつつ――自己を取り戻す>と記していますが、ヤスパースの哲学的手法は、消去法を駆使して真理に近づく方法・・・。

2022/01/29

あなた、CDPlayer を買おうと思うのだけれど・・・

今朝、妻が、スマホで音楽を聞いていて、筆者に語り掛けてきました。<あなた、CDPlayer を買おうと思うのだけれど・・・>。妻の話に耳を傾けますと、妻は、CDラジカセを購入するつもりとか・・・。筆者、さらにその用途を聞きますと、妻が集めたCD100枚を再生して聞いてみたいのだとか・・・。それで、筆者インターネットで検索・・・。次の商品がヒットしたので、妻にその商品の説明を見せました。

< LDR-PMJ8U2Rシリーズ LDR-PMJ8U2RBK
本製品は、Android端末に音楽CDを直接取り込めるAndroid用CD録音ドライブです。 音楽CDの取り込みから音楽の再生まで全てスマートフォン一台で行えます。 Type-Cにも対応し、Type-Cポートを搭載したAndroidスマホでもお使いいただけます。 本製品に付属するminiB-Type-Aケーブルでパソコンへ接続すれば、DVDハイパーマルチドライブとしてもご利用いただけます>。

妻が、<それいいわね・・・。今頃、なんでもあるのね・・・。>と感心していました。それで、筆者、すぐ注文して、午前中に郵便局から前払い代金を振り込みました。妻は、<でも、高いんでしょう?>といいますので、<筆者の預金通帳から振り込むから大丈夫・・・>と答えますと、<いくらするの・・・?>とさらに問いかけてきます。筆者、<送料込みで6,000円くらい・・・>と答えますと、<それなら、わたし、自分で買います!>とうれしそうに話していました。筆者と預金通帳から引き落としても妻の預金通帳から引き落としても、いつも、ふたりで合意しないと引き落とすことはありませんから、どちらから引き落としても同じなのですが・・・。筆者と妻の認知症予防対策・・・。


この<Android用CD録音ドライブ>、妻のスマホのUSB端子に接続して、妻の持っているCDをセットするだけで、スマホのスピーカーからCDの音楽が流れるのだとか・・・。

午後1:00~3:30、久しぶりに除雪作業・・・

ここしばらく、除雪作業をしませんでした。風邪気味であったのと、ここ数日ほとんど積雪らしい積雪はなく、あっても5~10cm程度・・・。

今日は、風邪気味の症状もなくなり、心身ともに快適な状態になりましたので、午後1:00~3:30まで、筆者ひとりで除雪作業をしました。数日間除雪作業をしないと、積もった雪が凍てついていますので、スコップで凍てついた雪を剥がしながらの除雪作業になります。

筆者と妻は、<コロナ騒動>以前も以後も、雪国での暮らしに変化なし・・・。<コロナ騒動>が起きる前から、筆者と妻は村八分、村十分の状態でしたので、<コロナ騒動>で村八分、村十分の状態が一般化され、それが暗黙裡に強制される社会になっても、変化なし・・・。

『実存開明(哲学Ⅱ)』、面白い・・・!

今朝は7:00に起床・・・。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読して、そのあと、昨夜読んだ『実存開明(哲学Ⅱ)』の続きを読みました。『哲学Ⅰ』と違って『哲学Ⅱ』は、とても読みやすい・・・。

ヤスパースは、<実存>について、消去法でその真理に迫っていくようです。あれも違う、それも違う、これも違う・・・、といって、<可能的実存>を<実存>から区別して排除しつつ真理としての<実存>に近づいていくようです。まるで、たまねぎの皮をむくように・・・。最後の皮をむくと、中には何もない・・・。そこには、<無>という<限界状況>が待ち構えている・・・。その<限界状況>こそ、哲学するひとが<実存>の真理に対峙するきっかけになる・・・。

筆者にとって、読書する楽しみとは、哲学書を読む楽しみと同義です。実存主義哲学の、キルケゴール、ニーチェ、ハィデイガー、サルトル・・・の著作には、なにとなく違和感を感じて、通読したあと精読することはありませんでした。しかし、ヤスパースの実存主義哲学は、筆者のものの見方、考え方との親和性が強い・・・。ヤスパース、、ヴィトゲンシュタイン、ラートブルフの3人の哲学者の哲学を混然と一体化したものが筆者の哲学的思惟・・・。筆者のブログ『部落学序説』の背後にある、筆者の基本的なものの見方、考え方・・・。

2022/01/28

筆者の嗜好品・・・

74歳の筆者の嗜好品は、

1.酪王の生乳ヨーグル200g+各種カルピス(朝)
2.ネスカフェのインスタントコーヒーと酪王の牛乳でつくるカプチーノ(朝)
3.モカ+ブランデー(午後)
4.紅茶アールグレイ(1日2~3回)
5.YBCのプレーンクラッカー&雪印メグミルクのMilkyソフト(おやつ)

最近は、アルコールは、上記のブランデー大匙1杯のみ・・・。年金が少なくなると、3.~5.をカットすることになります。アルコール類も、筆者にとっては、副作用をもたらす薬品に他なりませんので、最近は、酒類をたしなむことはほとんどありません。妻は、農作業で疲れたときは、養命酒と高知産柚子酒を飲んでいますが、筆者は、モカ+ブランデー・・・。

今日は風邪気味で休養・・・

年金暮らし&百姓暮らしの筆者、冬は、除雪作業と読書三昧の日々なので、仕事らしい仕事はしていないのですが、今日は風邪気味で休養・・・。

今日の最高血圧は108、最低血圧は69、脈拍数62、体温36.0°C、体重60.2kg、呼吸数15/分、脈圧差39、平均血圧82・・・。<無症状>・・・。

プレコール1錠服用・・・。最近、筆者は、市販の薬を服用する場合、こどもの分量を服用することにしています。筆者には、それで十分です。

74歳の1月は、除雪と哲学書の読書三昧で終わる・・・

74歳の筆者、その1月は、除雪と哲学書の読書三昧で終わりました。cocolog上で公開執筆した『部落学序説』の、Google の Blogger 上の移行作業、英訳版の執筆練習は滞ったままです。

『部落学序説』を執筆しはじめたころは、筆者の先祖が、信州栗田村の真言宗観聖寺の住職・修験僧であることを知らなかったので、筆者の母のふるさと、徳島県美馬郡半田町坂根村の先祖、百姓を筆者の先祖としていました。日本基督教団西中国教区の牧師を辞任して隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農する直前、インターネットの日本の古本屋経由で『近世栗田村古文書集成』を入手、生前、父から聞かされていた、<先祖の名前は代々学がつく>と聞かされていたので、<〇学>の名前を検索していたところ、筆者の祖父・吉田永學の曾祖父にあたる<祐學>の名前を発見・・・。それから、一挙に、先祖の歴史にたどりつき、筆者は、1637年(寛永14)に開山された、伊勢神宮の神宮寺であった世義寺の末寺である真言宗観聖寺の世襲の住職・修験僧の、長男系列直系の末裔であることがわかり、『近世栗田村古文書集成』に収録された古文書から、筆者の先祖は、近世幕藩体制下の司法・警察である、信州の<長吏役>とは無縁の存在であることを確認しました。職務の内容上、真言宗観聖寺の世襲の住職・修験僧の職務と、信州の<長吏役>の職務は兼務することができませんから、職務上も無関係・・・。

しかし、筆者、日本基督教団西中国教区の牧師をしている間、部落差別問題特別委員会の委員にされ、その取り組みを強制されましたが、なぜ、部落差別問題の門外漢である筆者が、30年にもわたって、その問題と取り組み続けることができたのか・・・。ヤスパースの『哲学的信仰』を読んでいるとき、次の言葉に遭遇しました。哲学的信仰の持ち主は、<己の歴史性に対する忠実さを失うことなしに、己とは歴史的に異なるものに対して自分を関わらせること>ができると・・・。<己の歴史性>を、<包括者>(聖書の神)から与えられた<所与>として受け止め、他者の歴史性のなかにも、同じ<所与>があることを承認している筆者の必然的な生き方のなせるわざであったのかもしれません。

<人は衣装の外形から衣装をつけた思想の形を推測することはできない。>(ヴィトゲンシュタイン) 人は、現存在の目に見える外見から、目に見えない実存を推察することはできない・・・。

2022/01/27

人生の哲学・・・

 <受け入れてばかりゐる生活とは縁を切って制作を始めなくてはならない。纏めをつけて実現する。即ち製作して特殊化する。愚図愚図してはゐられない。お前もやがて27歳になる。お前の若さ、お前の力を何かの役に立てなくてはいけない、お前の生命が無益に蒸発してはならない。とすれば間に合ううちに集中しなくてはならなない。自分の仕事を定めてやらなければならない。仕事。これを毎日お前の思索の対象にする。日のあるうちに働け、お前は自分に与えられた才能の責任を持たなければならない。一人一人にその仕事がある。我々は皆我々の種属の仕事にたずさわり、人類の使命を見出してそれを実現することに努めてゐる。靴の底を縫う靴屋も幾多の仲介を経て人間のうちの神の生活を大きくするのに役立ってゐる。生命の上昇的変形、前進的精神化、これが我々の義務だ、人間が益々神聖になるのを助けろ。理知に於いて、感情に於いて、行為に於いて。それが目的だ。——あらゆる職業のうちでお前が選ぶべき職業はどれか、お前が一番お前自身であり得る職業は。叉一番よく果たしうるのは、統一の學、哲學、人生の哲學。>(岩波文庫『アミエルの日記』)

『ヴィトゲンシュタイン(哲学の否定)』を読む・・・

午後、ワルター・シュルツ著『哲学の否定(ヴィトゲンシュタイン)』を読んでいました。

筆者、今、やスパース、ヴィトゲンシュタイン、ラートブルフの3人の哲学者の本を読んでいますが、この3人の哲学者は、若かりし日に、筆者に大きな影響を与えたひとびとです。この3人の哲学者のことばは、筆者のあたまのなかで、すっかり融合してしまっています。そのため、74歳の筆者、違和感なく、3人の哲学者の本を同時に読むことができるのです。

『哲学の否定(ヴィトゲンシュタイン)』の<著者序文>に<ヴィトゲンシュタインは実存哲学に内的に近いものとされ、彼の作品は危機感の客体化と解される>とありました。ヴィトゲンシュタイン著『哲学の否定』を読みながら、ヤスパース著『哲学的信仰』の文章を比較しながら読んでいました。ヴィトゲンシュタインとヤスパース、<包括者>(超越者)を前に、畏敬の念をもって立ち尽くし、考察し続ける姿勢を共有しているようです。

<「言い表せないものは確かに存在する。これは示される。これが神秘的なものである」。>(『論理哲学論考』命題6.52)

ヤスパースの『哲学』(全3巻)の2冊目『実存開明』を読み始める・・・

今朝、いつもの健康管理と『英訳聖書』(NSRV)の通読を終えたあと、ヤスパース著『哲学』(全3巻)の2冊目、『実存開明(哲学Ⅱ)』を読み始めました。哲学Ⅰは405ページ、哲学Ⅱは500ページ・・・。

高校生2年生のとき、ヤスパース著『哲学入門』を読んで、ヤスパースの主著である『哲学』(全3巻)を読み始めたのは、筆者73歳のとき・・・。『哲学』(全3巻)の内容に、非常に親近感を覚え、一段掘り下げた形で感銘を受けるのは、『哲学入門』を読んでから、その哲学(実存哲学)を、筆者の人生の中で生き抜いてきたためでしょう。

今日、午前中、筆者の寝室の蔵書を整理しました。聖書学、ヤスパース、ヴィトゲンシュタイン、野矢茂樹、聖徳太子、修験道、密教、伊勢神宮、日本古代史、日猶同祖論、古文書学、英語学、老年学、老年病学関連の書籍をそれぞれひとまとめにしてすぐ閲覧することができるようにしました。筆者、65歳以降は、それまで経験しなかったことは<挑戦>しないとこころに決めていますので、今読んでいる本の内容は、65歳以前に読んだことがある関連本ばかり・・・。

今朝は7:00に起床していつもの健康管理

今朝は7:00に起床・・・。昨夜は、強風が吹いていましたので、今朝はかなり積雪したのではないかと思っていたのですが、風が強いだけで、積雪はわずか数cm・・・。積もった雪が強風で舞い上げられてほかの場所から移動しただけの雪・・・。

今日の最高血圧は107、最低血圧は69、脈拍数62、体温35.8°C、体重60.4kg、呼吸数15/分、脈圧差38、平均血圧82、1週間移動平均の脈圧差は38、平均血圧は89・・・。

筆者と妻と、妻の実家のおかあさん、まだ、中国共産党率いる中国が世界制覇のために生物兵器として開発して全世界の人々を感染させた武漢ウイルスのワクチンを接種していません。夜インターネットで検索すると、日本はまだ21.8%のひとがワクチンを接種し終えていないとか・・・。人口は約125,800,000人ですから、まだワクチンを接種し終えていない日本人は27,424,000人・・・。オーストラリアの人口より多い・・・。筆者、アレルギー体質なので、ワクチン接種を留保して、感染予防対策を徹底することにしました。妻は、様子見・・・。自宅介護の、妻の実家のおかあさんは、筆者と妻が感染しなければ感染する可能性はすくないので、おかあさんもワクチンは未接種・・・。

2022/01/26

須賀川に行ったのは大正解・・・!

夕食のあと、スマホでニュースを見ていた妻が、<あなた、今日の福島の感染者は352人ですって。郡山は100人、会津若松は33人、須賀川は7人、猪苗代は21にですって! 今日、買い物先に須賀川を選んだのは、大正解ね!>と話していました。

須賀川市は、人口8万人・・・。新規感染者7人ですから、1万人に1人感染したことになります。筆者と妻、昔から<くじ運>が悪く、スーパーの年末の売り出しの福引でも全部はずれ・・・。年賀状も外ればかり・・・。中国共産党率いる中国が世界制覇のために生物兵器として開発した武漢ウイルスに限って、筆者と妻が当たる可能性があるとは考えにくい・・・。感染予防対策をきちんと取った上で、さらに買い物先を選定することは、感染予防効果があると思っています。

哲学と非哲学・・・

昨夜と今朝、ヤスパース著『哲学的信仰』の<第5講 哲学と非哲学>を精読しました。

『部落学序説』の執筆者である筆者の、ものの見方・考え方に相通じるものがあり、筆者は、『部落学序説』の研究方法、かなりいい線を行っていると思いました。自画自賛といわれればその通りですが、筆者の『部落学序説』の内容を批判する人々に対する批判的対応を可能ならしめるような論理が展開されていました。

昨夜、インターネットにアクセスしていてふと目にとまった<穢多族の研究書物~全國の同和調査 (Aktivität)>というサイトの<裏日本リンク>の項に・・・。

鳥取ループ
鳥取ループ
部落学序説
古今マップ3

がリストアップされていました。リストアップされた『部落学序説』は、gooblog上の『部落学序説』で、昨年秋、gooblog  の事務局から、法務省通達にのっとって、筆者のすべてのブログの文章を差別文書として認定し、閲覧禁止・削除処分にするとの通告がありました。筆者、なぜ閲覧禁止・削除処分にするのか理由の開示を求めたのですが、開示できないと問答無用の閲覧禁止・削除処分・・・。筆者、このサイトの執筆者とも、鳥取グループとも、示現舎とも何の関係もありませんが、筆者、2005年に『部落学序説』を公開執筆しはじめてから、これまで一度も他のブログやホームページで、筆者に対してなされた批判や誹謗中傷に<反応>したり<抗議>したりしたことはありません。賛同してくださった場合でも・・・。ネット上の画像や文章は、ひとつの Image であって、それが実体とつながっているという保証はありません。美しくきれいな画像とユーモアと機知にとんだ文章を掲載していても・・・。逆に、<穢多族の研究書物・・・>というサイトのイメージも、その外見がその実体を表現しているとはとても思えません。真実は、よかれあしかれ、Image の背後にあるのであって、Image そのものにはありません。真実は、思想の背後にあるのであって、思想そのものの中にはありません。

gooblog の担当者は、山口県の観光名所の羅漢高原の写真も、<差別画像>として職権で削除してきましたが、日本の社会は、いつのまにか、表社会が裏社会になり、裏社会が表社会になってしまっているのか、それとも裏も表も区別ができないほど混乱に混乱を来してしまっているのか・・・? 筆者のブログ『部落学序説』には、被差別部落の写真も、被差別部落の地名も表記されてはいません。

これからは、『部落学序説』に掲載する写真は、靖国神社や各地の護国神社、皇居や皇室の写真にすることにしましょうか・・・。gooblog の場合、筆者が『部落学序説』に転載した瞬間にそれは<差別画像>になるのでしょうね、きっと・・・。

BOOKOFFで本3冊Pointで購入・・・

今日、気温が高く晴れ・・・。

妻が、<晴れたときに、買い物に行きましょう。今日は、猪苗代ではなく、須賀川に行きましょう・・・>といいますので、妻の実家のおかあさんの昼食を用意したあと、ふたりで、須賀川に向かいました。

湖南は、一面雪景色ですが、国道294号線を走って勢至堂峠を越えて天栄村に入りますと、積雪した雪が少なくなり、須賀川市内に入りますと、雪はほとんど解けて、ところどころに一握りの雪の塊がちらほら見えるだけ・・・。妻は、<会津地方と中通りでは、こんなに違うのね・・・>とためいきをついていました。雪のない田んぼの中で100羽近いコハクチョウが食事をしていました。

YARISのNAVIで、BOOKOFFの須賀川店を設定してドライブしました。久しぶりに、本を探しましたが、筆者がレジに持っていったのは、3冊・・・。『語彙力アップの決め手!英単語語源ネットワーク』と、大蔵暢著『「老年症候群」の診察室 超高齢社会を生きる』、広野松真嗣著『消された信仰 「最後のかくれキリシタン」ー長崎・生月島の人々』の3冊・・・。レジの女の子、<ポイントがたまっていますが、使われますか?>と語り掛けてきますので、<はい>と返事をすると、<代金はポイントの範囲でした。どうぞ!>といって、3冊を手渡してくれました。筆者、<ええ?いいんですか?>とといかけると、その女の子、<はい!>といってにこっと微笑んでいました。

そのあと、スーパーによって、食料品を買って帰りました。黒猫黒兵衛のえさとなるアジを12匹購入・・・。キャットフードのカニカマ味のささみも・・・。そのスーパー、水曜日は、魚の日で、鮮魚や刺身が安くなります。須賀川の根田醤油の<田舎みそ>と醤油を購入・・・。福島の味噌で、筆者の口にあうのは、この根田の<田舎みそ>だけ・・・。名前は<田舎みそ>ですが、西日本の高級料亭の味・・・。それと、ペコちゃんの絵のはいった<Milkyソフト>2個・・・。クラッカーにつけて食べるのですが、塩味が効いて、あまり甘くない、大人の味がします。妻は、<74歳にもなって、ペコちゃんが好きだなんて! 変じゃない?>と笑いますが、筆者、<74歳にもなって、外見で判断したりしないよ。大切なのは中身! 中身がよければ、ペコちゃんだろうとポコちゃんだろうと、構わない・・・!>と答えました。

YARISに装着した保険会社の車載器、運転の判定は、行きも帰りも<A>でした。

湖南の東西南北の感染率・・・

妻のふるさと・湖南の赤津村は、奥羽山脈のふところに抱かれた<会津の山郷>に属する地域で、過疎化・高齢化がすすんでいます。スーパー、ホームセンター、ドラッグストア、ブックストア・・・など、1軒もありません。そのため、湖南の赤津村から買い物にでかけるときは、東は郡山、西は会津若松、南は須賀川、北は猪苗代へ、片道40分くるまを走らせなければなりません。これまでは、猪苗代へ買い物にでかけていたのですが、最近、武漢ウイルスの感染者が急増・・・。それで、買い物に出かける方向を再検討することにしました。

今朝、インターネットで、郡山、会津若松、須賀川、猪苗代の人口と感染者数を調べ、感染者数/人口*100を算出してみました。郡山は0.7%、会津若松は0.8%、須賀川は0.4%、猪苗代は0.9%・・・。それで、妻は、買い物に出かける先を北の猪苗代町ではなく南の須賀川市にすることに決めました。この4か所で今、一番、感染者を多く出しているのは、猪苗代町・・・。土日となれば、一般の観光客やスキー客などで、県外ナンバーのくるまが多数走っているところを見ても、これからますます感染者が増える傾向にあると思われます。

ついでに、計算してみました。福島県0.58%、長野県0.71%、岡山県1.11%、山口県0.83%、広島県1.55%・・・。

2022/01/25

気分転換にワルター・シュルツ著『哲学の否定〔ヴィトゲンシュタイン〕』を読み始める・・・

夜、気分転換に、ワルター・シュルツ著『哲学の否定〔ヴィトゲンシュタイン〕』を読み始めました。

第1章 『論理哲学論考』
第2章 『哲学的探求』
第3章 ヴィトゲンシュタインの言語分析の精神史的位置

180ページの薄い本ですが、これまで、『論理哲学論考』と『哲学的探求』を読んできましたが、その解説は、哲学者・野矢茂樹の著作から得てきたのですが、ドイツの哲学者によるヴィトゲンシュタイン批評を読むのははじめて・・・。原著の題は、『Wittgenstein, Die Negation der Philosophie』

今日は一日晴れ、しかし・・・

今日は一日、晴れでした。しかし、疲れが出たのか、戸外で作業をする気になれない・・・。それで、家の中でいろいろ片づけをしていたのですが、すべて徒労に終わる・・・。からだは休養のひとときとなり、明日朝、積雪しても十分除雪作業をすることができる体力を取り戻した。しかし、精神的には、なにか落ち着かない・・・。晴耕雨読という言葉がからまわりしているような感じがします。

今朝7:00に起床・・・。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。そのあと、哲学者・務台理作の<歴史と実存>という短文を読んで、調子が乱れてしまいました。無学歴・無資格の筆者、哲学者・務台理作がどのような人物なのか、まったく知りません。ただ、その文章から察するのみ・・・。

<・・・歴史と実存との関係について、いく年も考えつづけてみた。理解の早い要領の上手な人からみると、まことに愚かしい問題に頭をつき込んでいるものと見えたかも知れない。一定の思考の型を身につけて、それに依りかかることに安心している人からみると、思考の型にもならない「歴史と実存」の問題のようなものに勢力を費やすことは、いかにも野暮ったい田舎ものの仕事と見えたかも知れない。しかし私のどこかに田舎ものの土性骨でいくのもいいではないかという心構えのあることも事実だ。私はもともと田舎ものだ。田舎ものの土性骨なしにはこの問題は解けないと思いこんでいるものある。・・・私は「歴史と実存」という結果の出にくい問題にかじりついて幾年を過ごしたろうか。そうして自分の生涯の老年期に辿りついた。・・・私はこの老年になってはじめて実存の歴史的意味にふれえたことを思い・・・>。

その文章を読みながら、筆者、哲学者・務台理作は、<実存>がなんであるのか、なにもわかっていないと思いました。すくなくとも、哲学者・ヤスパースのいつ<実存>に、ほとんどたどりついていない。それは、務台理作が、ヤスパースのいう<包括者>に対する理解を欠いているからでもある・・・。老年になって、ヤスパースの<実存哲学>の前で、門前払いされてしまったかのような務台理作、西田哲学の限界を超えようとしながらその限界の中に留まらざるをえない哲学的限界にぶつかって、にっちもさっちもいなかくなった姿がそこにあるように思われてならない・・・。

今日は、一日、なにとなく不愉快な思いに包まれていました。

The Sankei News 航空自衛隊のC130輸送機、トンガに高圧洗浄機・マスクを届ける・・・

今朝、インターネットで見た、The Sankei News ・・・。

<大規模噴火と津波があったトンガに国際緊急援助活動として派遣された航空自衛隊のC130輸送機が現地に到着した際、トンガのフアカヴァメイリク首相ら政府要人が勢ぞろいして出迎えていたことが24日、政府が自民党会合で行った説明で分かった。トンガは親日国として知られ、自衛隊による支援に政府を挙げて歓迎する意思を示した形だ。

自衛隊機がトンガに到着したのは22日。空港には首相のほか、副首相、外相、財務相、保険相、貿易・経済開発相らが出迎えた。フアカヴァメイリク首相は「日本の自衛隊機をトンガで見られるのは本当に感慨深い。日本の皆さんにありがとうと伝えてほしい」と語ったという。

日本政府はトンガ政府からの支援要請を受け、100万ドル以上の緊急無償資金援助の実施を表明。自衛隊機が飲料水のほか、火山灰を除去するための高圧洗浄機、マスクなどを届けている。また海上自衛隊の輸送艦で手押し一輪車、リヤカー、ポリタンクなどを届ける>。

日本の航空自衛隊は、C130輸送機で、飲料水・火山灰を除去するための高圧洗浄機・マスクなどを届け、海上自衛隊は輸送艦おおすみで、手押し一輪車、リヤカー、ポリタンクなどを届ける・・・。

自衛隊が安全に職務を遂行されるよう祈ります。被災にあったトンガの人々のために、彼らが必要なものを必要なときに必要な量を提供できることは、トンガの人々にとっても、われわれ日本人にとってもとてもしあわせなことです。

2022/01/24

夜、ヤスパース著『哲学的信仰』の続きを読む・・・

猪苗代から戻ると、筆者、ヤスパース著『哲学的信仰』の続きを読んでいました。

この本を読みながら、ヤスパース著『哲学』(全3巻)のような、ヤスパースらしい論理の切れがないように感じられました。翻訳者が複数であるため、翻訳するときに、翻訳者それぞれの哲学的素養と志向が加味されたのかもしれません。ヤスパースがこんな表現をするのだろうか・・・? と首をかしげたくなるような箇所に何度も遭遇・・・。吉永正義著『神の言葉の神学』の、バルトの『教会教義学 Ⅰ-1』の翻訳も、違和感を感じることが多かったのですが、このヤスパースの『哲学的信仰』の翻訳についてもかなり違和感を感じます。

どちらも、原文を読めばいいのでしょうか、74歳の筆者には、そのための時間はもうない・・・。


猪苗代町でもクラスタ発生・・・

今日、猪苗代町へ買い物にでかけました。94歳の認知症の、妻の実家のおかあさんの介護容認を買いに・・・。

最近、おかあさんは、大・小ともに漏らすことが多く、1日の紙おむつの交換回数が多くて、予備に買っておいたものもすぐなくなるのだとか・・・。おかあさんは、黒猫黒兵衛がそばにいると、筆者と妻は、かならず家に帰ってくると安心できるようです。黒猫黒兵衛の姿がみえないと、<おらをおいてどこかへいっちまったんではあるめえな? ろくでなしが!>と、わめきちらすようになります。筆者と妻がでかけることがわかると、黒猫黒兵衛は、おかあさんの側に行ってよりそって寝るのが常・・・。筆者と妻が買い物に出かけている間に、おかさんがそうそうすると、黒猫黒兵衛は、臭いの充満する居間からはなれて玄関で、筆者と妻の帰りを待っていて、帰ると、<ばあさんがうんちもらした。くせえ!くせえ!>と訴えるように剥げくないています。そういうところから、黒猫黒兵衛は、我が家の<介護猫>と呼んでいるのです。

買い物から帰ると、ここ数日の猪苗代町、クラスターが発生して、武漢ウイルスのオミクロン株に感染した人が急増していると報道されていました。小学校でのクラスター発生・・・。猪苗代町では、すでに市中感染状態に突入しているのかもしれません。湖北だけでなく、湖南も・・・? いまのところ、筆者も妻も、おかあさんも黒猫黒兵衛も、寒すずめたちも元気です。

2022/01/23

吉永正義著『神の言葉の神学』は・・・

昨日から今日、吉永正義著『神の言葉の神学』の、カールバルト著『教会教義学 神の言葉の教義 Ⅰ-1』の引用部分&要約部分をマーカーで色分けをしていました。作業をしながら、<これって、完全に著作権法違反になるのでは・・・?>と思いましたが、バルト著『教会教義学』の翻訳者ならではの特権があるのかもしれません。

夕方、英訳版、Barth著『Church Dogmatics Ⅰ-1 』の『The Doctrine of the Word of God』と照合してみましたが、筆者、あ然・・・! <なんだ、この吉永正義著『神の言葉の神学』の難解な訳は・・・? ヤスパースの『哲学』(全3巻)は、難解でも、精読しているうちに理解できるのですが、吉永正義著『神の言葉の神学』のⅠ-1の引用と要約は、理解できない・・・。それにひきかえ、英訳の『Church Dogmatics Ⅰ-1 』の読みやすいこと・・・。英訳は、<説教者のための教義学>と思われますが、邦訳・吉永正義訳の悪しき哲学書のよう・・・!

筆者、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師を辞任して隠退牧師になって、妻のふるさと湖南に帰郷・帰農するとき、日本の神学者の書いた神学書・説教集の大半を廃棄してきました。この
吉永正義著『神の言葉の神学』は、昨年の10月に、インターネットの日本の古本屋経由で1,680円で購入したものですが、この本、やがては廃棄することになります。

今日も一日除雪作業で疲れる・・・

今日も一日除雪作業をしました。午前10:30~午後1:00、午後1:30~2:30・・・。

午後は、妻の実家の棚田の田の農業用ビニールハウスの南側に積もった雪を、上から1mほど除去しました。今日は、晴れて温かかったためと、今週の天気予報はほとんど毎日雪マークがついていましたので、今日中に、棚田の農業用にビールハウスの除雪作業をしました。ひとりで除雪作業をしていて事故に遭遇すると死につながりますので、今日は、妻とふたりででかけました。短時間の作業でしたが、すごいスピードで除雪作業をしましたので、筆者も妻もすっかり疲れてしまいました。

午前中も、凍てついた雪の除去作業で、かなり疲れていたために、さらに疲れが加わって、筆者の、関節障害のある右手はすっかり無力状態になってしまいました。右手にもったコーヒーカップを無自覚に落としてしまうほどに・・・。

夕方、舗装された農道から、コンパクトデジカメで写真をとって、除雪したあとの状態を確認したのですが、作業を終えたときよりもさらに積雪した雪の高さがすくなくなったように思いました。農業用ビニールハウスの周囲につもった雪が240cmを超えない限り、雪の重みでハウスが潰れることはなさそうです。農業用ビニールハウスを9年前に設計施工したときに、一応耐雪仕様にしたのですが、これまで、その仕様通りに施工されたかどうか確認していませんでしたので、この冬はじめての確認作業になりました。

2022/01/22

Barth著『Church Dogmatics 』の『The Doctrine of the Word of God』の精読をはじめる・・・

今、ヤスパースの『哲学』(全3巻)と『哲学的信仰』を精読していますが、Barth著『Church Dogmatics 』の『The Doctrine of the Word of God』もあわせて精読することにしました。

ヤスパースの著作はすべて邦訳ですが、バルトの著作はすべて英訳です。日本語でバルト著『教会教義学』が出版されていますが、古書価格全巻で210,000円・・・。日本語で『教会教義学』を読むことを、神学生のときから断念していますので、今回、バルトの『教会教義学 Ⅰ』も英訳で精読することにしました。Barth著『Church Dogmatics 』の『The Doctrineof the Word of God』は、2冊で、1408ページ・・・。日本基督教団の隠退牧師になる前は、毎週、説教をするときに、関連個所を読んでいましたが、Barth著『Church Dogmatics 』をいまだに一度も通読・精読したことはありません。説教のつとめからリタイヤしたあと、Barth著『Church Dogmatics 』を読むことにどれほどの意味があるのかわかりませんが、哲学者・ヤスパースの真剣な問いかけに、神学者・バルトがどのように応えようとしたのか、知りたいと思って、『The Doctrine of the Word of God』だけを再読することにしました。バルトがヤスパースについて言及しているのは、他の巻ですが・・・。

屋根の雪下ろしと除雪作業・・・

今日も、屋根の雪下ろしと除雪作業をしました。

今日は一日くもり・・・。時々、雪がチラついていましたが、気温が低く、手袋がすぐ凍てついてきます。長靴の中に靴用ホカロンを入れているのですが、ほとんど効果なし・・・。気温が低いと、体力をすぐ消耗して、動きが鈍くなってきます。農機具の小屋の前の、20~30cm、根雪となった雪を平型スコップで切り出して流雪溝に流しましたが、根雪が氷になってしまいますと、わずか5cmでも、平型スコップで切り出すことは不可能になってしまいます。

根雪が氷になる前に除雪すること、それが雪国での除雪の原則です


2022/01/21

午前中除雪、午後猪苗代へ買い物に出かける・・・

今日は、午前中、庭の雪の除雪・・・。午後、妻とふたりで、猪苗代へ買い物にでかけました。今日は、雪も止み、青空も見えていましたが、積もった雪に太陽光が反射してまぶしく、暴風雪のときのホワイトアウトとは違った別の走りにくさがありました。

朝、妻は、<郡山に行きたいけれど、今、郡山もオミクロン株が流行っているでしょう。やはり、郡山ではなく、猪苗代で買い物をするわ。郡山の岩瀬書店に立ち寄って、久しぶりに本を買おうと思ったのだけれど・・・>と話していました。それで、妻は、妻の実家のおかあさんと黒猫黒兵衛に昼食をたべさせたあと、筆者と一緒に猪苗代へでかけました。

行きと帰り、妻のスマホの電源を切って、筆者のスマホの電源を入れて、妻のくるま YARIS に搭載した通信車載器を稼働状態にしました。行きのとき、2回ほど急ブレーキをかけたと診断結果が出ていました。その場所を地図で確認しますと、跨線橋を超えて下り坂の中腹でブレーキを軽く踏んでスピードを落としたことが急ブレーキを踏んだと判定されたようです。それで、帰りは、制限速度を超えたときブレーキを踏んでスピードを落とす操作はしないように走行しました。通信車載器とつきあうのも、なかなか大変なようです。雪道で急ブレーキを踏むようなバカなことをすると、どうなるのか・・・? 考えただけでもぞっとします。

昨日は、からだが冷えて・・・

昨日、妻の実家の棚田の田の農業用ビニールハウスの周囲に積もった雪の一部を1mほど削ぎ落としましたが、筆者のスタイルは、いつもの除雪スタイル・・・。

1mほど積雪して凍てついた雪原を数百メートル歩いてたどりつき除雪作業をするのは、大変・・・。あせもかかず、ただただ、からだが冷えていくのみ・・・。体力的に限界を感じた筆者は、すぐ作業をあきらめて、元来た道を戻っていきました。大寒の季節の雪原は、冷蔵庫というより冷凍庫・・・。妻のふるさと・湖南では、食品を凍らせないために、冷蔵庫の中に入れるくらいですから、冷蔵庫の外より冷蔵庫の中の方があたたかい。冷凍庫のような雪原に身を置くのは、1時間が限度・・・。冬山登山用の服をみにつけていればいいのでしょうが、年金暮らしの筆者にはそれを揃えるのは経済的に無理・・・。春先に売れ残った暖ズボン1,000~1,200円、暖シャツ1,200~1,400円を着用するくらい・・・。昨夜は、風呂に入ったあとも、からだが冷えて元の体温にもどるのに時間がかかりました。春になって雪がとけはじめるまで、棚田の田に近づかないほうが賢明であるようです。1歩進むごとに、ひざまで雪の中に足が潜り込む、雪原と化した棚田の田に踏み入るのは、ある意味、自殺行為になります。

筆者にとっては、除雪作業をしても汗をかかないのは、生命に危機がさしせまったことを示す危険信号・・・?

2022/01/20

聖書信仰と聖書宗教の違い・・・

ヤスパース著『哲学的信仰』を読んでいますと、<聖書宗教>という言葉が出てきました。筆者は、<聖書信仰>の持ち主ですが、<聖書宗教>には属していません。筆者、<聖書信仰>と<聖書宗教>の概念の違いを明確にしているわけではありませんが、<聖書信仰>は、聖書の内容に則して聖書の神を信じる信仰のこと・・・。<聖書宗教>は、聖書をその内容から逸脱して恣意的に解釈してつくりあげられた似非教理的宗教のこと・・・。キリスト教的新興宗教の大半は、正統的キリスト教の<聖書信仰>ではなく、正統的キリスト教から逸脱した教理・教義を持つ異端的<聖書宗教>のこと・・・。

『新約聖書』において、悪魔は、<聖書宗教>家として登場してきます。

ヤスパースは、真理を追究する<哲学的信仰>は、それらを誤った教説として否定するといいます。キリスト教神学が、<聖書信仰>に依拠しているか、<聖書宗教>に依拠しているかによって、内容が大きく異なってきます。神学の名のもとにすべての神学が神学として認められるわけではありません。

ヤスパース著『哲学的信仰』、第2章まで読み終える・・・

午後、夕食までの間、ヤスパース著『哲学的信仰』の第1章と第2章を読んでいました。

ヤスパースのいう<包括者>と、ヤスパースがそう表現しているわけではありませんが、本来の<包括者>(超越者・神)と異なる疑似的<包括者>について、いろいろ考えさせられました。

本来の<包括者>(超越者・神)について考察することができず、異なる疑似的<包括者>についてのみ<包括者>を考えるとしたら、ヤスパースの哲学を根本的に誤解することになります。無神論や汎神論的前提からヤスパースの哲学を理解しようとすると、哲学は哲学から遠く隔たってしまう・・・。

午後、棚田の農業用ビニールハウスの除雪・・・

午後1:00~2:30、妻の実家の棚田の田の農業用ビニールハウスの除雪作業に向かいました。

舗装された農道の橋のたもとに軽トラを駐車して、歩いて、数百メートル先の、妻の実家の棚田の田のビニールハウスに向かいました。途中、高速シャッターの切れる望遠レンズを装着したカメラで写真をとっている男性がふたりました。<なにしているのですか?>と尋ねますと、<猛禽類の学術調査をしています>とのこと・・・。無線でやりとりしていましたから、猛禽類の調査に来られたのは、ふたりだけではなさそうでした。仕事の邪魔をしてはいけないので、その前を通って、ハウスに向かいました。積雪は、50~100cm・・・。筆者のひざまで雪の中に埋もれてしまいます。除雪作業のために、ハンディラッセルと平型スコップをもっていきましたので、左手にハンディラッセル、右手に平型スコップをもって、それを、スキーのストックかわりにして、前進・・・。

農業用ビニールハウスにたどりつきますと、今更ながら、今年の雪の多さに驚かされました。このビニールハウス、22mm径の農業用単管パイプを使って、筆者がつくったものですが、耐雪仕様に設計・施工したため、屋根のビニールシートをはがさなくても、今年の大雪にもなんとか耐えてくれているようです。南側の雪を上から1mほど取り除いて帰ってきましたが、腰と靴底にホカロンを入れていたのですが、ほとんど効果なし。何らかの事故に遭遇して、この雪原の中にとじこめられたら数時間で凍死する可能性があると、少しく恐ろしくなりました。なにかあると、野鳥の調査をしているひとによびかければ助けにきてくれるという安心感がありましたが、そうでなければ、不安に耐えることができたかどうか・・・。

農業用ビニールハウスの中は、緑色の草が生えていました。

農業用ビニールハウスの周りの雪は一部2mに達する・・・

今朝、妻の実家の棚田の田の育苗用ハウスを見にでかけました。といっても、除雪された農道から数百メートル先の育苗用ハウスを、コンパクトデジカメの望遠機能で写真をとり、それで積雪状況を確認するだけですが、育苗用ハウスの南側の雪は一部2mを超えていました。

今日は、棚田全体が真っ白っで<冷凍庫>と化していますので、その中で作業をするのは無理・・・。と思っていましたら、その世界で、完全防寒具をみにまとって測量をされている二人の姿が見えました。積雪した雪は、低温で凍てついて、手作業で除雪することが困難になっているようです。

農業用ビニールハウスのまわりに2m積雪すると、積雪した雪に農業用ビニールハウスの単管パイプが押されて、農業用ビニールハウスが倒壊する可能性があります。それでも、妻の実家の棚田の田の、22mm径の農業用軽量単管パイプでつくられた育苗用ハウスが潰れていないのは、その構造にあります。福島県農業試験場の試験データに基づいて、22mm径の単管パイプを使って、耐雪仕様の構造にしたのがさいわいしているようです。

<しろうとがつくるハウスなんぞ、ここらの雪ですぐ潰れてしまう!>と、プロの農家から散々馬鹿にされた育苗用ハウスですが、プロの農家の期待を裏切り続けているようです。

74歳と75歳の違い・・・

筆者、今74歳ですが、来年は75歳・・・。

今朝、イギリスの動物学者のデズモンド・モリスの『The Book of Ages』の翻訳本『年齢の本』の74歳と75歳の項を読みました。

74歳:まだ老齢であることを軽蔑する年配者の年だといわれてきた。たちまちにしてやってくる75歳という年齢に達すると、その人たちもついに自分が「老年」の域に入ったことを認めなければならなくなるだろうが、今のところは、真正の老衰に直面しているより高齢の人たちと十把ひとからげにすることに抵抗もする・・・。

75歳:「本格的な老衰期、あるいは第一期老齢期」の始まりともいえる。「静かな老衰前期」とよばれる期間も終わりである。この年齢では、50%の男が勃起不能に悩む。年齢と共に着実に増えてきた脂肪の比率は、75歳では青年の2倍になっている。不慮の事故死の発生率も、この時点で急激な上昇をみせる・・・。

つまり、74歳から75歳への移行は、<老衰前期>から<老衰期>への移行・・・。

2013年4月1日に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して今年で10年目・・・。妻の実家のおとうさんが残してくれた田畑4.6反と山林8.0反、そして家と庭、農機具と営農資金で、標高550mの湖南高原の棚田の田畑で、有機無農薬のコシヒカリやトマトなどの野菜を栽培してきました。デズモンド・モリスのいう<静かな老衰前期>を過ごしていたのかもしれません。世の多くの人々が味わうことになるその<静かなる老衰前期>を・・・。今年は、その最後の年・・・。

筆者が片づけなければならない人生の課題は多い・・・。<老衰期>に入り、失われていくこころ・からだ・たましいの機能に執着することなく、それでもなお残されている機能を感謝して受け入れ、それを生かす努力をしていかなければ・・・。主なる神さまが与えてくださった人生を、主なる神さまに返す日まで、祈りと感謝の日々を過ごさなければ・・・。

2022/01/19

『万葉集』の学習方法・・・

今日、妻に、『万葉集』の学習方法について、話をしました。

『万葉集』も、筆者の愛読書のひとつです。中学生のとき、国語の授業で『万葉集』の歌について学びました。高校生になったとき、岩波文庫の『万葉集』を母にかってもらい、それ以来ずっと『万葉集』を読んでいます。万葉の時代の日本人の<こころ>を知るためです。Sweden Covenant Mission の宣教師に、<きみの愛読書はなにか?>と聞かれて、最初に数えあげたのが『万葉集』でした。その『万葉集』のいくつかの歌を説明しますと、その宣教師の方は、<日本人は、昔からとても健全な精神の持ち主ですね。>と評しておられました。

筆者は、韻文が苦手で、詩・和歌・俳句の問題の回答率はとても低いものでした。それが、中学校の国語の成績で、5段階評価の5がとれない原因でした。中学3年生の3学期の成績で、はじめて、国語で5をとることができました。授業のとき、国語の中島先生から、<吉田くん、5をあげるからね>と言われて、とてもうれしかったことを未だに覚えています。しかし、筆者、昔も今も、短歌、俳句は大の苦手・・・。

今日、妻と『万葉集』の歌を解釈するための関連書籍を見せながら、筆者、こんな歌をつくってみました。

すめらぎのみことかしこみ万葉の人のこころを今し持ちつつ

午後2:00~3:30、除雪作業・・・

今日の午後2:00~3:30まで、除雪作業をしました。

筆者と妻は、年金暮らし&百姓暮らしなので、勤務時間に間に合うように、朝早く起きて、通勤前に除雪作業をしなければならないという、雪国特有の精神的・身体的ストレスを感じないですみます。他のプロの農家が除雪作業をやめて、農業用水路の水が豊富に流れている時間帯に、庭の雪を除雪して、流雪溝に流し込めばいいのですから・・・。

今日、除雪作業をしているとき、日ごろほとんど話しかけてくることがないプロの農家のおじいさんが妻に語り掛けていました。

農家:ばあさんは元気か?
妻:元気です。
農家:何歳になったんだ?
妻:この2月で、95歳になります。
農家:いい扱い、うけてんだなあ・・・。

そう言って、残念そうに、その場を去っていきました。妻は、<おじいさんは、家族からいい扱い受けていないんですか?>と尋ねようとしたそうですが、のどもとでその言葉をとめたとか・・・。そのプロの農家、以前、<隣の貧乏、メシより美味え!>と、湖南の赤津村の農家のなかで一番ちいさな農家である、妻の実家をバカにしていたのですが・・・。

今日の午前中は晴れ、除雪日和・・・

今日は、午前中は晴れ・・・。

妻とふたりで、午前9:30~午後1:00まで、除雪作業をしました。筆者と妻の除雪作業は、1.積もった雪を他の場所に移動して破棄するのでも、2.重機で圧縮するのでもなく、3.除雪した雪を流雪溝に流し込んで雪消しのような除雪作業です。

母屋の1階の屋根の雪下ろし、農機具の小屋の屋根の雪下ろし、妻のくるまのガレージ代わりのブルーシートの屋根の雪下ろしをしたあと、締まった雪を平型スコップで切り分けて、流雪溝に流し込みました。

上は、下着のシャツ1枚、その上にヤッケをまとっての作業でしたが、汗だくだく・・・。着替えるとき、絞ると汗がしたたり落ちるほど・・・。午後2:00~、除雪作業再開・・・。

2022/01/18

哲学者としての科学・・・

ヤスパースの『哲学』(全3巻)の『哲学的世界定位 哲学Ⅰ』の一節・・・。

<哲学が科学から自己を識別するのは、夢想に耽るためではなく、科学を真実に自分のうちにもつためである。殆んどすべての偉大な哲学者が何らか一つの個別科学に精通していたというのは偶然ではない。・・・個別科学の目標は、世界定位における対象の認識であり、哲学することの目標は、世界現存在の現象の中で単独者としての実存が自己自身を理解するということである>。

<科学>としての神学、医学、法学、歴史学、民俗学、宗教学、農学・・・。その<科学>の限界を超越するものとしての<哲学>・・・。

真理の教会につながるものとして・・・

昨夜は、ヤスパースの『哲学』(全3巻)の『哲学的世界定位 哲学Ⅰ』を読み終えました。1冊の哲学書を精読するのに3か月もかかったようです。『哲学Ⅰ』を読み終えて、筆者、今更ながら、哲学者ヤスパースから受けた影響の大きさに思わざるを得ません。宗教嫌いの筆者が、『聖書』の神を、真の神であると認識するにいたったのですから・・・。

<私がいかなる教会の中にも生まれ落ちなかったとしても、・・・私が実体的にそれであり得るところのものを、私は間接的になお教会に負うている・・・。しかし、私を閉め出すかもしれない神学者たちの教会は真理の教会ではなく、空虚に固定化されたもののその時々の迷妄であるにすぎない>。

筆者は、高校生のときに、いまだ教会に通うこともなく、牧師に接することもない環境下で、『聖書』を通し、実存主義哲学者の著作を通して、聖書の神を真の神として認識し、信じるに至ったのですが、ヤスパースは、直接的に教会と関わりをもっていなくても、間接的に教会との関わりの中で、聖書の神を真の神として認識することになった可能性を認めています。神学者たちの教会が、筆者を受け入れることがなくても、真理の教会は、筆者を受け入れてくれる・・・。

ヤスパースの『哲学』(全3巻)の精読、第2巻の『実存開明 哲学Ⅱ』の精読に入る前に、気分転換に、ヤスパース著『哲学的信仰』を精読することにしました。<哲学的信仰は信仰告白にはなりえない・・・。哲学的信仰の思想は教義とはならない・・・。哲学的信仰は、歴史的な状況の中で、たえず繰り返し根源から汲みとらなければならない・・・>。

ホワイトアウトの道を走って猪苗代へ・・・

今朝、妻が、黒猫黒兵衛のえさがなくなったといいます。それで、妻とふたりで猪苗代町へ買い物にでかけることにしましたが、外は、吹雪・・・。家の前の国道294号線も、時折ホワイトアウトの状態になっていました。妻は、<今日は、でかけるの無理かもね・・・>といいますので、スマホで今日の猪苗代湖周辺の降雪状況を確認しました。湖南と湖西は猛吹雪の可能性あがるので、湖東・湖北経由で猪苗代へ向かうことにしました。

妻のくるま YARIS に通信車載器を搭載してはじめてのドライブになりましたが、行きは50分、帰りは1時間20分かかりました。延々とホワイトアウトが続きますので、時速は20~40km・・・。いつもは片道40分かかるところを、行きは10分余分にかかりましたので帰りは、国道49号線と294号線を走って帰ることにしましたが、これが大誤算・・・。ホワイトアウトの連続で、道路脇の白と赤のポールや、電信柱も見えなくなるほど・・・。対向車はみんなハザードランプをつけての走行・・・。妻のくるまも、フォグランプとハザードランプをつけて走行しました。対向車とすれ違うときは10~20kmに速度を落とします。

家の戻ると、
 YARIS の通信車載器に記録されたデータをスマホで確認しました。運転の評価は、行きも帰りもA・・・。これで、保険会社から送られてきた通信車載器が正常に作動していることを確認することができました。帰路の走行時には、急ブレーキ気味になっているとの指摘がありましたが、ホワイトアウトで視界が0になったときは、すぐくるまをとめるので、急ブレーキ気味になります。午前11:00にでかけて帰ってきたのが午後3:00・・・。ホームセンターとスーパーによって、必要なものを購入してすぐ帰ってきました。今日は、疲れに疲れたドライブでした。

午前中、妻のYARISの通信車載器に接続・・・

昨々日、妻のくるま YARIS に通信車載器を搭載しましたが、今日、その通信車載器と筆者のスマートフォンを接続しようとして、失敗・・・。悪戦苦闘しながら、やっと、この通信車載器に、妻のスマートフォンと筆者のスマートフォンを接続することができました。

妻は、<娘夫婦は簡単に接続できるのに、あなたはすごく時間がかかるのね・・・。わたしたち、やはり、高齢化して、電子機器を取り扱うことができなくなっているのかもね・・・。あなたですらそうなのですから、わたしにはとても無理・・・>と話していました。この通信車載器とスマホの接続、今度、TOYOTAの販売店に行ったとき、設定してもらうことになっていたのですが、とりあえず、接続することができてよかった・・・。

この通信車載器、高齢者の運転診断をしてくれる機能がついているようです。

2022/01/17

昨夜は、ヤスパース著『哲学Ⅰ』第7章を読む・・・

昨夜は、ヤスパースの『哲学』(全3巻)の『哲学的世界定位 哲学Ⅰ』の<第7章 宗教、科学および芸術に対する哲学の自己識別>を読んでいました。といっても、読み終えたのは、第7章の3分の1程度ですが・・・。

<哲学は、哲学でないものから・・・自己を区別する・・・。哲学は宗教・・・から自らを区別する。・・・次のような判断が、宗教・・・の側からなされる・・・。宗教こそ真実なものであって、哲学は単に宗教の前房もしくは宗教に依存するものであるにすぎない(ティリッヒ著『組織神学』に見られるヤスパースの実存哲学批判?)・・・哲学は、・・・対立緊張は宗教に対するときは絶対的なものである。すなわち、本来的な信者は神学者となることができるが、しかし自己に欺くことなしには哲学者となることはできず、また哲学者としての哲学者は自己を欺くことなしには信者となることはできない。・・・宗教が邪道に陥ち、そうすることによって人間を堕落させる場合、哲学は宗教に対して、・・・その虚偽に対して、闘う」>。

高校2年生のとき、筆者は、『聖書』とヤスパース著『哲学入門』を読み、聖書の神を信じつの神として信じるにいたりましたが、そのとき、筆者、教会にも牧師にも遭遇していませんでした。筆者は、<実存>によって、宗教と哲学の<緊張関係>を経験せずして、宗教と哲学に関与することになったのです。昨夜読んだ『哲学的世界定位 哲学Ⅰ』の<第7章 宗教、科学および芸術に対する哲学の自己識別>の中に、筆者のような宗教と哲学の受け止め方をすることを拒否しないヤスパースの言葉がありました。実存のうちに、<自己存在の自主性>をかけて、『聖書』の主なる神の権威に服する可能性があると。

2022/01/16

原則は変えないように・・・

筆者、60歳になったとき、老後を生きるときの基本方針を定めました。日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農する65歳以降は、それまで筆者が経験することがなかったことは経験しないことにしました。つまり、65歳を過ぎてからは、新しいことに挑戦しないことに・・・。

それは、新井白石の『折りたく柴の記』に出てくる、武士がこころがける老後の生き方についての文章に啓発されての生き方です。筆者の先祖は、武士ではないので、武士がこころがける老後の生き方とは無縁なのですが、新井白石は、武士といえども、年老いて、耄碌(認知症)する可能性を否定できないので、耄碌する前に、それに対して適切な備えをしておかなければならないといいます。高齢期に入る前に、自分の生き方を決めて、高齢期に入ってからは一切変更しないこと・・・。

原則は変えないようにすることが大切・・・。

除雪作業で疲れる・・・

今日は、晴れ・・・。明日からまた雪の日が続くとかで、筆者と妻は、一日除雪作業をしました。今日の除雪作業は、凍てついて根雪となった雪の除去・・・。プラスチック製のハンディラッセルでは除雪できませんので、鉄製の平型スコップで、豆腐をさいのめに切るような形で根雪を切り出して行きます。しかし、根雪から氷になってしまったところは、平型スコップを跳ね返すので、三角ホーを打ち込みながら氷を削り取っていきます。氷の部分がなくなったら、また平型スコップで除雪・・・。庭の門柱のところから、農機具の小屋の端まで、根雪を採り終えたころには、筆者、体力を消耗してダウン・・・。

昼食のあと、妻の実家の棚田の田の育苗用ハウスを見に行きました。農道は積雪していて、軽トラを入れることはできませんので、舗装された道路からコンパクトデジカメで写真を撮って、それを参考にして育苗用ハウスの状態を確認します。雪の積雪状態から、吹雪がどの方向からどの方向へ雪をもたらしたのか、想定することができます。次回、晴れた日に、重装備をして、育苗用ハウスの周囲の除雪作業をすることにしました。今日は、疲れが酷くてその作業は無理でしたので・・・。

そのあと、妻とふたりで、屋根の雪下ろしをしました。除雪作業をするときは、薄着をするのですが、筆者はあせだくだく・・・。脱いだ下着を絞ると、汗がしたたり落ちるほど・・・。昨夜の体重は、60.4kg、今夜の体重は59.4kgでした。体重の減りようからみますと、それほど重労働ではなかったようですが・・・。

今朝は、8:30に起床・・・

今朝は、とても長~い物語性の夢をみました。小学生に、算数の図形問題を教えている夢・・・。

昨夜、インターネットの YouTube で、中学校入試の算数の図形問題が目にとまって、それを解いたのが原因・・・。算数の問題ですから、中学で習う数学の問題として解くのはご法度・・・。

筆者は、湖南の赤津村の、中卒のプロの農家から<無学歴>者として常日ごろバカにされていますが、中卒という学歴を持っていると自慢するなら、小学生の問題ぐらいすらすら解けるのではないかと思いますが、どうして、どうして、小学生が習う算数ひとつをとっても、中卒のプロの農家が解けるとはとうてい思われない・・・。昨日解答した中学入試5問、筆者は、小学校・中学校を通じて図形問題は得意で、点数の稼ぎどころだったのですが、中学校でならう数学を禁じ手にされて、小学生の算数の問題を解くのは、それほど簡単ではありません。しかし、解答していて、<演繹法で解くと、こうなる>、<帰納法で解くと、こうなる>と、複数の解答をしてみましたが、哲学者・ヤスパースは、哲学は、人が子供のころから持っている能力であるといいます。演繹法や帰納法という言葉を知らなくても、それを使いこなしている可能性は多分にあります。

朝、妻に昨夜解いた中学入試問題の算数の図形問題を見せると、<この問題を解くには、ここに補助線を引いて考えたらいいのではな・・・?>といいます。その通りですが、妻は、福島県立安積女子高校出身・・・。湖南の赤津村のプロの農家は、<ここらには、安女に行くバカはいねえ!>といいますが・・・。

2022/01/15

久しぶりに書店に立ち寄る・・・

今日、猪苗代へ買い物にでかけたとき、久しぶりに書店に立ち寄りました。しかし、読んでみたい本や雑誌に遭遇できず、何も買わないで書店をあとにしました。

今朝、妻が筆者に、<あなたのことをバカよばわりしたり、学歴がないひとだとうわさを流している農家、みんな中卒よ。中卒の農家から、学歴がないとバカにされているのは、あなたが、中学も出ていないという意味みたい・・・>と話していました。筆者、<国民学校の初等科しか出ていないと、新制中学校卒のプロの農家にバカにされているっていうこと・・・?そういわれれば、なんとなくわかるような気がする。新制中学校卒のプロの農家は、旧制中学校より学歴が上だと思ってるのかなあ・・・? 湖南の赤津村に移住してきた年、わたしをみて、ちいさな男の子が、「おかあさん、あの人、バカよね」といって石を投げつけてきたことがありますが、この前、たまたまその子と話をする機会がありました。どういう子に育っているのだろうと思ったら・・・。

妻は、<あなたが、無学歴・無資格というのは、あなたの  trademark として使っているだけなのだけれど、ここでは、全然、通用しないみたいね。プロの農家はみんな、あなたを中学校も出ていないバカだと思ってるわよ。>といいますが、筆者、<阿保な農家に馬鹿よばわりされて腹を立てるほどのバカでなし・・・。かかわらないのが一番・・・!>と、笑って誤魔化します。

「空の空、一切は空である」

今朝7:00に起床・・・。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読していました。

日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して10年目になります。その間、筆者、湖南でいろいろな方々にお会いしましたが、10年の歳月は、そのとき出会った人々をいつのまにか彼岸のかなたへと連れ去ってしまいます。筆者と妻に、少しく思い出を残して・・・。旧長州藩領地の山口とちがって、旧会津藩領地の福島は、<よそもん>にほとんどの住人が排他的・・・。妻のふるさと・湖南の赤津村もその例にもれず、<よそもん>の筆者と妻に対して排除・疎外、悪口雑言、嫌がらせは日常茶飯事・・・。その中で、親切にしてくださって、<ほんとうのこと>を教えてくださった農家の方々をなつかしく思い出すことができるのはしあわせなことです。親切にしてくださった農家の方々は、おしなべて、妻の実家のおとうさんと親交のあった方々ばかり・・・。

<吉田は、カネさ持ってねえ!つきあったら損するぞ!>、妻の実家の親類・親戚筋のプロの農家のことばを間に受けた赤津村のプロの農家は、筆者と妻を<貧乏農家>よばわりしてバカにするのが常・・・。田畑を4.6反しかもたず、農家にも、湖南農協の組合員にもなれないろくでなし・・・。認知症の、妻の実家のおかあさんも、<ここらのもん>と同調して、筆者と妻をバカにするばかり・・・。しかし、湖南に帰郷・帰農して10年・・・。彼らも、確実に10歳としをとり、老いて行っています。お互いに相手を空気のごとく、あってなきがごとき存在ですので、表面的に観察するだけですが、『旧約聖書』の伝道の書の最後のことばに近づきつつあります。

<家を守る者は震え、
力ある人はかがみ、
ひきこなす女は少ないために休み、
家からのぞく者の目はかすみ、
町の門は閉ざされる。
その時ひきっこなす者は低くなり、
人は鳥の声によって起きあがり、
歌の娘たちは、低くされる。
彼らはまた高いものを恐れる。
恐ろしいものが道にあり、
あめんどうは花咲き、
いなごはその身をひきずり歩き、
その欲望は衰え、
人が永遠の家に行こうとするので、
泣く人が、ちまたに歩きまわる。
その後、銀のひもは切れ、
金の皿は砕け、
水がめは泉のかたわらに破れ、
車は井戸のかたわらで砕ける。
ちりは、もとのように土に帰り、
霊はこれを授けた神に帰る。
伝道者は言う、「空の空、一切は空である」と>。

哲学者・ヤスパースは、その『哲学』(全3巻)で、その聖書のことばの釈義と瞑想をしていました。

2022/01/14

私の真師はひとり、主イエスさまのみ・・・

筆者74歳・・・

自分の人生を振り返って、<真師>と言えるお方は、ただひとり、主イエスさまのみ・・・。『文語訳聖書』では、<導師>と訳されています。『口語訳聖書』では、<教師>・・・。

ヤスパース著『哲学Ⅰ』には、哲学を独学するすすめがあります。大学で、哲学の教授から指導を受けて、その結果その弟子になり、学派・学説の担い手となる・・・。そのことによって<哲学するはたらきを失ってゆく>。哲学を職業とするとき、<権勢を発揮することのできるような営みに堕落するという危険>がともなうようになる。大学で、哲学を学んだからと言って、その人が哲学することができるようになったとは言えない。ヤスパースは、『哲学Ⅰ』で、哲学を独学するときの方法について言及しています。<過去の哲学するはたらきを我がものとするということは、原典を理解することによって成就される。・・・理解する者は謂わば自己を著者の傍らに置き、出来るだけ具体的に著者の世界に入ってゆく。そうすることによってはじめて、もはや習得するということではなく、自己固有の歴史性にもとづき歴史的な哲学するはたらきの中に参徹することを意味するところの、我がものとするということが可能となる・・・>。

ヴィトゲンシュタインは、<語りえぬものについては、沈黙せねばならない>と『論理哲学論考』の最後に記していますが、ヤスパースは、<語りえぬものの前にひざまづかなければならない>といいます。筆者にとっては、<語りえぬもの>とは、主イエスさまのこと・・・。人となりたもうた神・・。十字架と復活の主・・・。ヤスパースは、<人は誰でも哲学において、彼が本来すでに知っていたものを理解する>といいます。哲学をした結果包括者にであうのではなく、包括者に出会うことによって、真の哲学を遂行することができると・・・。

哲学の旗を掲げている人生・・・

ヤスパース著『哲学Ⅰ』のお言葉

<哲学しつつ自己自身と出会い且つ結びつくところの、根源的に自己存在する人間のみが、真実に哲学しつつあるのである。空虚のものの中を動くことによって独力で本来的なものを全体として把握しようと敢えて試みながらこれを拒否される場合の方が、専門の権威についての科学的盲信的態度にもとづく整序的な因習の中に哲学する働きを埋没させてしまう場合よりは、むしろ哲学の旗を掲げていることになるであろう。・・・哲学は、つねに繰り返し現れるところの喪失状態から自らを取り戻すところに実現される>。

筆者は、高校生のとき、国立大学の哲学科に進学したいと思っていました。進路指導の教師からは、<哲学を学んでも、学校の教師ぐらいにしかなれないよ>とほかの学科の受験をすすめられました。当時、育英会の奨学金を借りて、国立大学で勉学、卒業して、公立学校の教師になれば奨学金の返済を免除されることになっていたので、筆者の父が地方公務員をしていて、経済的にゆとりのない筆者は、それで十分でした。しかし、その願いはかなえられず国立大学の哲学科で哲学を学ぶ機会は、失われてしまいました。その後、筆者は、ゲーテの『ファウスト』の冒頭に出てくる、哲学・法学・医学・神学の4科目を独学することになりました。74歳の今日まで、それを続けています。そんな筆者にとって、上記のヤスパースの言葉はこころに響いてくるものがあります。

中国共産党の消滅麻雀運動・・・

昔、といっても戦後の話しですが、中国共産党の政策の中に、<消滅麻雀運動>というのがありました。<麻雀>の<消滅運動>ですが、なぜすずめたちが<消滅>させられるほど<駆除>されることになったのか、それは、すずめたちが穀物の実を食べるためです。

そのため、中国全土からすずめたちの姿が消え、天敵をなくした害虫たちが繁殖して農産物に対する被害が拡大したのだとか・・・。中国共産党は、誰に対しても、何に対しても、極端に<消滅>作戦を実施します。南京大虐殺も、日本軍によるものではなく、中国共産党のこの種の<消滅>作戦を日本軍に投影したものであるといわれています。

消滅麻雀運動>は、中国農民によるすずめの皆殺し作戦・・・。すずめたちは、殺されて捨てられたのではなく、みんな食べられてしまった・・・。日本は、そこまで極端ではないにしても、農薬・除草剤を多用して、すずめの餌を奪うことで、スズメの数を激減させている・・・。筆者と妻が冬の、積雪期に、すずめたちに餌を与えるのは、人間のすずめたちに対する迫害の懺悔とつぐないのため・・・。

除雪をしていると寒すずめが集まってくる・・・

今日、庭の除雪をしていますと、寒すずめたちが40~50羽集まってきました。2階の屋根の雨どいにとまって筆者を見降ろす寒すずめ、餌場付近におりてきてあるきまわる寒すずめ、庭の低木につかまって積もった雪を落としている寒すずめ、梅の木の枝にとまっておしくらまんじゅうをしている寒すずめ、一瞬にしてすべての寒すずめが飛び立ち、群れをなして大きくSの字を描いて梅の木にとまり、ふたたび、それぞれの場所に戻っていく寒すずめ・・・。

淡々と除雪作業をしている筆者の目の前でくりひろげられる寒すずめのたちふるまい・・・。除雪がすむと、寒すずめたちのえさ場の雪を片づけ、2019年産有機・無農薬栽培のコシヒカリの玄米を散布してやります。散布しおえると、マスクを外して、スズメの鳴きまねをしながら筆者の両手ではばたくような真似をします。すると、梅の木の枝に退避していた寒すずめたちも、こきざみに羽ばたきながらないてこたえます。そのあいさつがすむと、筆者、すぐ家の中に入ります。筆者が家の中に入ったのを確認すると、寒すずめたちは、午後3:30ころ、食餌にはいります。

筆者が除雪するのを、じっとみつめている寒すずめたちの姿が見えないときは、即座に除雪を中止します。寒すずめたちが耐えられない暴風雪は、筆者にとっても健康上よくありませんから・・・。

cocolog と gooblog は言論弾圧機関・・・

筆者がした経験からものをいうことが許されるとしたら、筆者にとって、cocolog と gooblog は言論弾圧機関以外のなにものでもありません。両者とも、筆者のブログをなぜ閲覧禁止・削除処分にするのか、その理由の開示をもとめても、問答無用で、閲覧禁止・削除処分にしたこと・・・。筆者が、cocolog と gooblog を言論弾圧機関だと断定するのは、なぜ、閲覧禁止・削除処分にするのか、一切理由を提示しなかったことにあります。どちらも有料で使用していたのですが・・・。こういう場合、筆者は、それ以後、敬遠することになります。尊敬できない強権的処分なのに、<敬>遠というのも変な話しですが・・・。

Blogger に緊急避難して、なんとか、ブログを継承することができていますので、問題はないのですが、折に触れて、cocolog と gooblog を言論弾圧機関だと、筆者の経験に基づいて言及するのは、一理あると思います。cocolog や gooblog から、正当な理由なく締め出されたひと、Blogger で再起をはかってみてはいかがでしょう。

孫の写真と動画を見る・・・

郡山に住んでいる娘から、孫の向学ちゃんの写真と動画を送ったとの電話がありました。早速、その写真と動画を見て、プリントアウトしました。向学ちゃんがおかあさんをみつめるときの笑顔、とてもうれしそう・・・。

娘は、福島大学大学院卒、娘のご主人は、山形大学大学院卒・・・。娘は文系で、ご主人は理系・・・。娘夫婦は、どちらも学歴にこだわらないタイプですが、ふたりの間に生まれた向学ちゃんは、親の愛をいっぱい受けてどう成長していくのやら・・・。日々、主イエスさまの御守りと支えがあるように、祈っていますが、中国共産党率いる中国が、世界制覇のために会は圧して生物兵器の武漢ウイルスによる<コロナ禍>のため、直接孫と触れ合うときはそう多くはありませんが、中国共産党は、世界の<疫病神>ですね、ほんとうに・・・。

この1月15日(土)および16日(日)に、2回目の大学入学共通テストが行われるれるようですが、孫の向学ちゃんが大学入試にのぞむまで、元気で、有機・無農薬で米と野菜をつくりつづけなければ・・・。孫の向学ちゃん、筆者と妻がつくった、有機・栽培のコシヒカリを<おいちい>といいます。いつまでも、<おいちい>お米と野菜を作りつづけたいと思いをあらたにさせられています。

除雪車の運転席から挨拶していくひと・・・

庭の除雪作業をしているとき、国道294号線の除雪のため大型除雪車が通って行きます。そのとき、運転席から手を振って挨拶されるのは、妻の実家のある集落の10軒のうち、筆者と同世代の6人のうちの1人・・・。日ごろ挨拶するのは、その人だけ・・・。他の人は、<よそもんにはあいさつしねえ!>と言われて、筆者も挨拶しなくなりました。ただ、大型除雪車を運転している方だけは、いつも、挨拶を交わします。ごく普通の人・・・。ごく普通のひととで出会うと、筆者、ほっとします。

Blizzard を思わせるような暴風雪のなか除雪作業

午後0:00~3:00まで、除雪作業をしました。今日は、Blizzard を思わせるような暴風雪のなか除雪作業になりました。

除雪作業をしているとき、対向車を避けようとした郵便局員の方が乗っている単車が横転しました。筆者の目の前で・・・。単車は180度向きが逆になっていました。<大丈夫ですか?>と尋ねますと、<雪道では、よくこうなるのです。大丈夫です。>といって去って行かれました。国道294号線は、田舎の国道にしては、交通量が多い・・・。冬の積雪期は、除雪車が除雪したあと路側帯を雪で埋めていきますので、道幅が狭くなります。昨日も商用車が同じ場所でスリップして45度傾いて道を塞ぎ、後続のトラックがあわや衝突寸前でした。国道をまたいで除雪するプロの農家がつけた除雪用ソリのあとが溝になりそれにタイヤが巻き込まれますとスリップしてしまいます。同じ場所で何度も同じ現象が起こるのは、大きな事故の前触れ・・・? 盆歌に、<ひとはどうでもわれさえよけりゃ、世間思わぬ欲の道>と赤津村の農家によって、赤津村の農家の心情が歌われていますが、よそものの筆者には、理解しがたいプロの農家の心情です。

除雪作業には、2通りあります。ひとつは、除雪機で除雪する場合のことで、除雪とは、元あった場所から他の場所へ雪を移動するだけの除雪作業・・・。もうひとつは、消雪のことで、流雪溝に雪を流し込み、他の場所に移動することなく雪そのものを消してしまう除雪作業・・・。雪国では、雪の捨て場をめぐる近隣トラブルが多い・・・。国道294号線のバイパス工事で、東側・南側・西側を道路で囲まれるようになった、妻の実家、雪の捨て場がなくなり、国道をまたいで雪をすてなければならなくなるので、住民説明会のときに提示された設計図を読み取って、湖南行政センターに善処を求めたところ、まだ設計段階なので、要望を反映させることができますとのことで、妻の実家の門柱の間の側道側に流雪溝を設置してくださることになりました。まだ流雪溝は設置されていませんが、その水は、妻の実家の庭の角の水路まで豊富に流れてきていますので、積もった雪は、すべて水路に流し込むことができます。湖南行政センターの窓口の方、筆者と妻が陳情に行ったとき、<夏の説明会なのに、よく冬のことが想定できましたね・・・>とほほ笑んでおられました。バイパスの工事で、妻の実家の庭の簡易温室を解体・撤去しなければならなくなったのは、痛手でしたが、冬の除雪が楽になり、雪の捨て場をめぐる近隣トラブルから解放されたのは、とてもラッキーでした。


国道294号線がホワイトアウトで、買い物中止・・・

朝、妻が、<今日は、猪苗代へ買い物にいかなければならないわ・・・。私が除雪するから、あなたしなくていいわよ。もう、洗濯物を干す場所がないの。>といいます。

しかし、妻がひとりで除雪できるような状況にはないので、しばらくして、妻に尋ねると、<国道294号線、ホワイトアウトよ。湖南でこんな状態なら、湊はもっとホワイトアウトが酷いと思うわ。片道、いつもより2~3倍かかりそうだから、今日は買い物に行くのは中止・・・!>といいます。

それで、筆者、午後0:00~、除雪作業をすることにしました。午後からは、風と雪が弱くなってくると天気予報されていましたので・・・。KUBOTAの除雪機KSR‐801SK を使って除雪できそうですが、除雪機、意外とガソリンを消耗するんですよね。年金暮らし&百姓暮らしの筆者と妻には、このKUBOTAの除雪機KSR‐801SK を自由に使える経済的ゆとりはありません。

2022/01/13

雪国の隠退牧師は少ない・・・

日本基督教団の隠退牧師の名簿を見ていますと、大半の隠退牧師は、雪の降らない大都市、ないし地方都市に集中して住んでいるようです。雪国で、人生の晩年を過ごす隠退牧師は、少数派・・・。

雪国では、12月~3月までの4か月間、除雪作業に追われます。隠退牧師の場所として雪の降らない場所が選択されたとき、その除雪作業にかける時間を、<神学研究>、<聖書研究>にあてることができます。最近では、インターネットを通じて、その研究成果を一般読者に披露されている隠退牧師も少なくありません。

しかし、無学歴・無資格の筆者、雪の降る季節は、除雪作業に追われ、雪の降らない季節には、百姓暮らしの農作業に追われます。1日4~8時間・・・。その時間を<神学研究>、<聖書研究>にあてることができる隠退牧師は、主なる神さまからその恵みのときを与えられているのでしょう。筆者にとっては、無縁の恵み・・・。<働かざるもの食うべからず>の聖書のことばにしたがって、日々労働をしている筆者に与えられている恵みは、それとは別の恵みです。主なる神さまから与えられる恵みに他なりませんが・・・。

除雪作業で雪目になる・・・

1日除雪作業をしていたため、時々、雪目対策用の目薬をさしていたにもかかわらず、除雪作業を終えて数時間、雪目状態になっていました。雪目は、紫外線による炎症・・・。やはり、サングラスをかけないと雪目を防ぐことができないのでしょうが、花粉症対策用にマスクを着用しているので、サングラスがすぐ曇って前が見えなくなってしまいます。それで、サングラスを外して除雪しているのですが、雪目対策は、なかなか難しい・・・。

雪目になっている間、パソコンの操作もできず、本を読むこともできなくなります。除雪を終えたあと、眼を洗浄して、雪目対策用の目薬を差しますと、2時間後には、もとの状態に戻ります。雪目だけでなく、花粉症による目の症状も伴いますので、筆者には、除雪作業後の、鼻腔洗浄、眼洗浄は必須です。雪が降っていても、杉の花粉は悲惨しますので、マスクは必須・・・。花粉症対策やアレルギー対策が、筆者にとっては、武漢ウイルス対策にもなっているようです。

武漢ウイルス(新型コロナウイルス)のオミクロン株が急速に感染拡大しているようですが、筆者は、この生物兵器は、性病と同じ予防措置をすれば防ぐことができると仮定して予防対策を実践しています。性病は、粘膜を通じて感染します。人間は、体の外部に粘膜を露出している部分があります。眼・鼻腔・口唇・咽頭、泌尿器・肛門、そして、皮膚につけられた傷口・・・。筆者の若かりし日、岡山の某医学研究所付属病院で臨床病理の検査に従事していたことがありますが、担当は一般検査と細菌学的検査・・・。そのとき臨床病理の先生が話していたことですが、性病は、性別・身長・体重・美貌・学歴・社会的地位・名誉・財産・職業・収入・性格・年齢・家族・病歴・・・等、一切、相関関係はないとか・・・。性病になると、病医院から保健所に連絡が行き、性病患者は、衛生警察の監視下に置かれるようになります。意図的に他者に性病をうつした場合は、傷害罪として逮捕され、隔離されます。武漢ウイルスがマスコミに取り上げられたはじめのころ、武漢ウイルスにも性病の遺伝子が組み込まれているとの報道がありました。最近は、あまり目にすることはありませんが、性病予防対策を実施すれば、オミクロン株対策にもなります。

今日は一日除雪作業・・・

今日は一日除雪作業になりました。今日の夜から明日の朝、また大雪になるというので、今日は、できる限り除雪作業をすることにしました。農機具の小屋から奥の庭の雪を、流雪溝まで運ぶことができるように、また普通車のガレー代わりのブルーシートの屋根の雪を運ぶたmの通路を確保しました。30~40cmの根雪になっていましたので、平型スコップで、ブロック状に切り分けて、流雪溝に投げ込みました。

1階の屋根の雪下ろしもしましたが、1階の屋根の雪下ろしに使用しているのは、2種類のラッセル・・・。ひとつは、市販の屋根の雪下ろし専用のラッセルですが、もうひとつは、妻の実家のお父さんが自作していた木製のラッセルを、アルミで筆者が作り直したもの・・・。

今朝、KUBOTAの除雪機KSR‐801SK を使って、1年点検に出した軽トラがいない庭の除雪作業をしましたが、ブロアーはスムースに回転、シューターからは勢いよく雪が飛び出していました。

農機具の小屋の前に130cmの積雪・・・

今朝は、8:30に、自動車整備工場へ軽トラを1年点検に持っていく日・・・。朝、起きて、すぐ着替えて庭に出てつみると、妻が、<軽トラと普通車を出せる程度に除雪しておいたわよ>といいます。

しかし、まだ20cmほど雪がつもっているようで、筆者、いつもの除雪作業をしました。そして、筆者の目に入ったのが、農機具の小屋の前の雪、なんと130cmの高さに積もっています。農機具の小屋の屋根が落ちてできたのではなく、ふきだまりで雪が130cm高さになったようです。すずめの餌場は、完全に雪の下・・・。それでその雪を取り除くために流雪溝までのルートをつくり、除雪作業をしました。筆者に与えられた時間は、1時間・・・。しかし、暫定的に除雪作業を終えて、すずめたちのために餌の玄米をまいてやったのが、8:30・・・。そのあと、着替えて、妻は軽トラで、筆者は妻のくるまYARISで自動車整備工場に向かいました。自動車整備工場には、豪雪のためか、ほかのくるまは一台もとまっていませんでした。受付をすませると、YARISで帰ってきました。

今日は、この冬一番の大雪でした。

2022/01/12

哲学の現存在形態を読んで・・・

今日の午後と夜、ヤスパース著『哲学』(全3巻)の『哲学Ⅰ 哲学的世界定位』<第6章 哲学の現存在形態>を精読しました。

これまで読んだ『哲学1』の中で、これほどスムースに精読できた箇所はほかにありません。中学1年生のとき新約聖書を読み、高校1年生のとき旧約聖書を読み、高校2年生のとき、ヤスパースの『哲学入門』を読んだときから、中学3年生のときに、筆者が直面した<限界状況>・・・、筆者が尊敬していた教師のように、筆者もなりたいと思っていた教師が、公金横領事件で警察に逮捕されたことをきっかけに、<人はなぜ罪を犯すのか>、<人は人を教える資格があるのか?>、<人は信頼できる存在なのか?>、<人生とはなにか?>、<人生をどのように生きていけばいいのか?>、いろいろな問いが筆者の心と脳裏にあふれて、苦悩の日々を過ごしていました。その中でであった、『聖書』とヤスパースの『哲学入門』、筆者の人生を大きく彩るようになっていきました。

今日、
『哲学Ⅰ 哲学的世界定位』<第6章 哲学の現存在形態>を精読しながら、筆者のこれまでの74歳までの生き方の中に、ヤスパースの実存哲学が大きく影響していることを再確認させられると同時に、これまでの筆者の生き方を総括することができるようなヤスパースの言葉に触れることができました。1.高校2年生のとき、所与の人生を引き受けて生きる決断をしたこと、2.大学進学の夢が絶たれたとき、ゲーテの『ファウスト』に出てくる哲学・医学・法学・神学を独学してきたこと、3.思想的人間ではなく哲学的人間になろうとしたこと、4.聖書主義・敬虔主義・相対主義・合理主義的ものの見方、考え方を身に着けてきたこと、5.教派信仰ではなく聖書信仰を信仰としてきたこと、6.人生の課題として、真・善・美、財産・地位・名誉・・・などのかなから、<真>を選択したこと、7.独学の意味・・・、等々、それらを、哲学的に総括するための言葉を吸収することができました。ヤスパースの哲学書をどのように読めばいいのかについても・・・。

登山をしていて、360度視界をながめることができる頂に立つことができたときの感動のような感動に包まれています。74歳のこれまでの人生において、はじめて味わうことになった経験です。



今朝は7:30起床、積雪は20cm程度・・・

今朝は、7:30に起床・・・。朝の積雪は、20cm程度・・・。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。朝食をとったあと、9:30~12:30まで除雪作業をしました。

まず、KUBOTAの除雪機KSR‐801SK のエンジンをかけて、きちんと除雪機として機能しているかどうかを確認しました。ブロアーも正常に作動していて、除雪した雪を2~4m先に飛ばすことができました。この除雪機、庭に普通車と軽トラを青空駐車している状態では、出る幕はありません。国道294号線沿いの簡易温室の周辺の除雪作業に使う予定でしたが、まだ、簡易温室の内装工事が完了していませんので、この除雪気を簡易温室に移動するのは中止しました。

今日の除雪作業は、3時間・・・。少しく疲れました。

2022/01/11

明日40~50cm積雪があるとか・・・

テレビの天気予報では、明日、会津地方は40~50cmの積雪があるようです。夕方から夜にかけて、雨が降っています。その雨で、残っていた二階の屋根の雪が雪崩のように一階の屋根の上に落下、その雪がさらに雨で庭に落下、そのときの音がびっくりするような大きな音・・・。ドスン、ドスン、ドスン・・・。二階から落下した雪が庭に駐車している普通車の上に落ちますと、屋根がへこんだり、ドアやサイドミラーが破損したりします。今年は、普通車の駐車スペースにブルーシートの屋根をとりつけました。今朝、妻が、<ブルーシートの屋根の上に積もった雪を除雪して!>といいますので、除雪しましたが、午後降った雨で、ブルーシートの屋根の雪はすっかり解けてしまっていました。夜10:00を過ぎても、ドスン、ドスンと音がしていますが、ほとんどの二階の屋根の雪が落ちたのではないかと思います。

これから降る雪は新雪と同じ・・・。今日の午後、妻の実家の家庭用除雪機の試運転をしました。明日の大雪に備えて・・・。

哲学とは何か・・・?

今日の午後と夜、ヤスパース著『哲学』(全3巻)の『哲学Ⅰ 哲学的世界定位』<第5章 哲学の根源>を読み終えました。

精読しているため、なかなか前に進むことができませんが、読みながら、筆者自身も哲学しているからでしょう。信仰について哲学的考察をするとき、ヤスパースは、信仰・不信仰・無信仰に分けて哲学的批判を展開しています。信仰・不信仰・無信仰は、哲学することへのきっかけになっても、ほんとうの意味で哲学することにはならない・・・。

昨夜、ヤスパースの『哲学』を読んで眠れなくなったのは、それを読みながら、日本基督教団の信仰告白の内容について考えていたため・・・。<われらはかく信じ・・・>の<かく>の内容に含まれていることと含まれていないことを考えていたため・・・。聖書・神・イエスキリスト・聖霊・教会について<われらはかく信じ・・・>といわれていますが、教団・教区・神学校・神学者・牧師・長老・信徒・神学・教義・教会政治などについては<われらはかく信じ・・・>の内容からはずされている・・・。<めにみえない教会>について言及されていても、<めにみえる教会>については、<われらはかく信じ・・・>とは歌われていない・・・。



雪が降る中軽トラの外と中の掃除・・・

雪が降るなか、1年点検のため、軽トラの中と外の掃除をしました。

荷台の掃除は妻が、運転席・助手席の掃除は筆者が担当・・・。ブロアーで、土やほこりを車外に噴き出して、使い古しの歯ブラシをつかって、ちいさな隙間の汚れもとりのぞきました。軽トラを買った郡山の自動車販売会社の整備工場に持っていくのは、雪で大変なので、今回も、隣村の、湖南史談会関係者の整備工場でしてもらうことにしました。

そのあと、その自動車整備工場に、妻が連絡・・・。

昨日、湖南の赤津村のプロの農家の方が尋ねて来られました。玄関先で妻と短い会話をしていたようですが、妻の話しでは、その農家の方、<吉田くんは、元気か・・・?>と心配されていたとか・・・。妻は、<元気ですよ。>と答えたとか・・・。2021年度は、筆者は<無役>でしたので、他の農家の方と話をするのは、共同作業のときだけ・・・。草刈機で草を刈ることが多かったので、他の農家の方々と話をする機会はほとんどありませんでした。悪いうわさを流して楽しんでいる親類・親戚の農家が多いので、筆者と妻は、10年湖南に住んでも、得体の知れないよそものどまり・・・。<湖南に住んで10年になるというのに、これまで、湖南の地で職についたことは一度も無え、どうやって生活しているのやら。まさか盗人稼業しているのではあるめえなあ?>というのが、妻の実家の親類・親戚筋の農家が流す筆者に対するうわさ・・・。筆者、妻の実家のおとうさんが生前、筆者に話していたこと、<帰ってきても、親類・親戚はもちろん、他の農家の家に上がり込んではだめだぞ。あとで、盗まれたと噂を流されて、盗ってもいねえのに弁償させられることになるぞ!>といういいつけを守って、筆者は、他の農家の家の中に入ることはありません。なんどか家の中に入ったことがあるのは、湖南史談会の元会長である秋山雄記さんのお宅だけ・・・。それも、筆者が湖南史談会と郡山地方史研究会を脱会することでなくなって久しくなります。うわさの発生源になる、湖南温泉や理髪店に出入りすることもすっかりなくなりましたので、筆者のことを直接知っているひとは、妻以外誰もなし・・・。

湖南に住むようになって、いい人に出会った・・・?

昨夜、妻が語り掛けてきました。<あなた、湖南に住むようになって、いい人に出会った・・・?> それで、筆者、こころにのこっている方々の話をしました。すると、妻は、<ああ、よかった・・・。あなたの話ていることを聞いて、わたしも、元気をもらったわ・・・。わたしたちのこと、こころにかけてくださるかた、いるのね・・・。ひとに頼らず、自立して生きている人って、お互いにわかりえるのね・・・。ここらのもんと群れをなして、よそもんにいやがらせする人ばかりだと思っていたけれど、その群れに入らないで自分の生き方をまっとうしているひとがいるのね・・・>と、ひとりごとをいうようにつぶやいていました。

ある農家が筆者に語り掛けてきた話し・・・。<吉田くんは、ここらのもんが農業をやめる年になって湖南に戻ってきて百姓してるんだべえ? 歳をとってから、農業をはじめたんなら、死ぬまで続けなければだめだぞ。やめた途端に、いのちがつきてしまう。吉田くんは、いつも、農機を使わないで、スコップや鍬で土を耕してる・・・。ここらの農家が米つくりをやめなければならなくなるのは、鍬や鎌が使えなくなったときだ。ここらのもんは、鍬や鎌を使わないで、大型トラクターで耕したり、コンバインで収穫したりしているべえ。農業機械を運転するのは、90になっても100になってもできる。だども、鍬や鎌で作業することは思ったより早くできなくなる。そのときが、農業をやめるときになる。しかし、吉田くんは、夫婦そろって、鍬や鎌で作業しているべえ。毎日、農道を通って観察しているが、ふたりともてぬきはしねえなあ・・・。楽しようと思って、農業やめたらだめだぞ!あんたらなら、80になっても、90になっても、自分の食べる米や野菜は自分たちでできる・・・。おらあ、判断間違った。農業やめて、すきな趣味に生きようと思ったら、このざまだ。気がついたときには、すべての農業機械を売ってしまって、もう一度そろえることはできなかった。農家は、農業をやめたら、農家ではなくなる・・・。農家は、死ぬまで農業を続けなければなんねえ。それがほんとうの農家の生き方だ。吉田くん、死ぬまで、鍬と鎌を手から離すな! おらあ、あんたらを手伝ってやりてえが、助言しかできねえ・・・>。

夜、ヤスパース著『哲学』(全3巻)を読んだあと頭の中が活性化して眠れず・・・

昨夜、ヤスパース著『哲学』(全3巻)を読んでいましたが、読んだあと、頭の中が活性化してすぐ眠ることができませんでした。いつもは、布団の中にはいって、いつもの OutStretchをしたあとすぐ熟睡モードに入ることができるのですが・・・。

そのため、今朝、起床したがの8:30・・・。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読、預言者エリアの事績を読みました。繰り返し出てくる短い信仰告白<主は生きておられる>・・・。そのことを身をもって実感しているひとだけがその信仰告白を告白することができます。

神を信じているひとも哲学をすることができる、神を信じていないひとも哲学をする・・・。哲学とはなにか・・・? 神を信じて、哲学をするひともいれば、哲学を退けるひともいる・・・。神を信じていない人の中には、哲学をするひともいれば、哲学を拒否するひともいる・・・。哲学とはなにか・・・? なにがほんとうの哲学なのか・・・? どの立場をとることになるのかは、そのひとの<実存>が深くかかわっている・・・。

2022/01/10

妻がルリビタキに遭遇・・・

今朝、妻が、洗濯物を干していたとき、目の前にルリビタキがやってきたようです。

筆者と妻が、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会に棲息していたとき、渡り鳥の渡りのルートの下にある教会の庭にいろいろな野鳥がやってきました。ジョウビタキ・キビタキ・ルリビタキも・・・。ルリビタキ、教会の庭の草むらの中で死んでいました。鳥インフルエンザが流行っていたときですが、筆者と妻、そのルリビタキの教会の庭木の下に埋めてやりました。

そのルリビタキと同じ小鳥だったとかで、妻は、ルリビタキと判断したようです。

教会の庭には、野鳥図鑑に載っていない野鳥もやってきました。カッコウやホトトギスくらいの大きさで、全身真っ青な野鳥・・・。時々、インターネットでも検索してみるのですが、いまだにその野鳥が何なのか、判定することができません。教会の庭に、ペリカンがやってきて、教会の小さな森の中で休んでいました。筆者と妻が近寄っても逃げないので、そのままそっとしてやりました。その日、テレビニュースで、山口の常磐公園のペリカンのカッタくんが行方不明になったとか、報道されていました。島根や鳥取で目撃情報があるとか・・・、報道されている最中の話しです。

野鳥を観察している方に、妻が撮った胸が赤色のスズメの写真を見せますと、その方、<これは、ベニマシコです。ベニマシコがやってくる南限は、中国山地の羅漢高原・・・。山口はもちろん九州の野鳥の写真を撮っているひとは、みんな羅漢高原にやってくるんですよ。ベニマシコは、九州や山口では、まぼろしの野鳥なんです>と話しておられました。福島に帰郷してから、何度もベニマシコに遭遇したのですが、残念ながらいまだに写真に撮ることができません。

山口では、筆者と妻の趣味は、読書と野鳥観察だったのですが、残念ながら、福島では、野鳥観察から遠ざけられることになりました。

佐伯有清・重森幸雄の本・・・

昨夜は、ヤスパース著『哲学』(全3巻)の『哲学Ⅰ 哲学的世界定位』を読んでいました。昨日、やっと、

哲学への序説
 第1部 存在の探究
 第2部 可能的実存にもとづく哲学するはたらき
 第3部 分節化の原理としての超越するはたらきの諸様態
 第4部 哲学するはたらきの諸領域の外観
哲学的世界定位
 第1章 世界
 第2章 世界定位の諸限界
 第3章 諸科学の体型性
 第4章 自己閉鎖的世界定位(実証主義と観念論)

を読み終えました。そして、<第5章 哲学の根源>に入ったのですが、その冒頭の言葉は、<哲学とは何か、という問いに対する数多くの答えの中に、人はいかなる客観的認識をも聞き取ることはない。・・・もし私が、哲学はなにかということを知るとすれば、それは私が哲学の中に生きることを通じてであって、定義だけによっては、私は哲学とはなにかを未だ知っていないのである>。

<哲学とは何か>という問いを前にして、筆者は、ヤスパースの『哲学』(全3巻)精読のあらたな段階に入ったことを確信しました。

今朝は、『英訳聖書』(NSRV)を通読したあと、佐伯有清著『聖宝』と重森幸雄著『改訂風俗犯捜査要綱ー付・犯罪事実記載例ー』を読んでいました。その中に、<八何の原則>がありました。近世幕藩体制下の司法・警察であった<穢多>役や<非人>役も、この<八何の原則>に忠実であったのでしょう。この<八何の原則>、部落史に関する史資料を読むときにも役立ちます。瑕疵ある論文を、筆者の『部落学序説』に組み込むことがないように検証しなければなりません。


2022年も、今日で1月10日・・・

2022年も、今日で1月10日・・・。ふとわれにかえり、2022年になってから、自分はいったい何をしてきたのだろうと考えてしまいます。

筆者74歳、妻66歳・・・。妻のふるさと・湖南の赤津村に帰郷・帰農して今年で10年目・・・。振り返ると、アッという間に過ぎ去った歳月です。その間、何をしてきたのか、筆者、子供の頃から日記をつける習慣はありません。今つけている日記帳といえば、3年連記の健康手帳だけ・・・。そこに記載されるのは、天候と最高血圧・最低血圧・脈圧・体温・体重・呼吸数、脈圧差・平均血圧、3日間移動平均・7日間移動平均のみ・・・。

しかし、ふと振り返ってみますと、2006年~2021年の16年間、毎日、『田舎牧師の日記』・『湖南村尻百姓記』・『隠退牧師の晴耕雨読日記』・『隠退牧師の百姓日記』と日記風ブログを書き続けていますので、それが日記といえば日記・・・。ただ、公開で執筆していますので、個人情報や私的な話題を書くことはほとんどありませんので、日記といえるかどうか・・・。


ホットケーキが上手にできる・・・

今日、妻とふたりで猪苗代町へ買い物にでかけました。まず、ドラッグストアによって、94歳の認知症で、おしっこ・うんちを垂れ流しをするおかあさんのために介護用品を購入・・・。

その後、スーパーで食料品を購入、さらにホームセンターで日用品を購入しました。妻がメモを見ながら購入予定の品物を探している間、筆者は、食器売り場で、20cm直径のガスコンロ用のフライパンを品定めをしていました。日本製で、ホットケーキ1枚を焼ける大きさのフライパン・・・。

家に戻ると、早速、そのフライパンで、この前スーパーで購入した、小学生でも上手に焼けるというホットケーキ粉を使って、焼いてみました。たまごやきのようなふっくらとしたホットケーキに仕上がりました。この前、娘と電話で話をしていたとき、<ホットケーキが上手に焼けないのはフライパンのせい・・・>みたいな話をしていたので、今日、購入しました。すると娘が言ったとおりに、ふっくらとして表面が茶色にこげていない、ホットケーキ粉の袋に印刷されている通りのホットケーキになりました。ホットケーキを上手に焼くのにもう少し熟練が必要だと思っていましたが、あっさり焼けるようになりました。妻は、<この前日本製のフライパンを買ったばかりなのに、また買うなんて・・・、と思ったけれど、この小さなフライパン、いいわね。おかあさんひとりのための料理をするのに、いいわ・・・>と喜んでいました。中国製は900円、日本製は2700円・・・。3倍の値段差がありましたが、長い目でみると、日本製の方が長持ちします。フライパンにも、ガス用、IH用、ガス・IH兼用といろいろあるんですね、はじめて知りました。鉄製あり、アルミ製てあり、テフロン加工製あり・・・。今日購入したのは、ホットケーキが上手にやけるフライパン・・・。

今朝6:30に起床して・・・

今朝6:30に起床・・・。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読しました。今日はじめて、預言者エレミヤが出てきました。預言者エレミヤのもとに使わされた神の使いはカラスたち・・・。筆者の祖父・吉田永學の先祖が世襲で住職・修験僧をしていた信州栗田村の真言宗観聖寺の跡地に住みその宗教遺産を継承しておられる長野の吉田さんに、那智大社の護符の版木を見せてもらったことがありますが、そこには神の使いとしてカラスが多数描かれています。『高佐郷の歌』にも<神の御使い><烏>が出てくるのを思い出しました。<烏>にまつわる民間伝承を調べてみましょうか・・・。妻が、人生の最後に一度旅をしてみたいというのが、なつかしい思い出がいっぱいつまった旧長州藩領地の山口・・・。高佐郷は、日本の村の原風景・・・。その歴史と伝承と暮らし、村ひとのむかしのこころがいまも息づいている・・・。

63
春は美々し花風吹き    はるはうつくし はなふぶき
廉名ケ坂の麓には    かどながさかの ふもとには
安光谷の水流れ    やすみつだにの みずながれ
末永村の境内は    すえながむらの けいだいは

64
中に古木の厳嶋    なかにこぼくの いつくしま
大明神様ましまする    だいみょうじんさま ましまする
安芸の宮島写しにて    あきのみやじま うつしにて
羽がいの白い五烏が    うがいのしろい ごからすが

65
神の御使い恵比寿さま    かみのみつかい えびすさま
御山詣ふでの鈴の音    みやこもうでの すずのおと
拍手たへぬ五社参り    かしわでたえぬ ごしゃまいり
逸も霜月初の申    はやもしもつき はつのさる)

66
宮居に積もる冬の月    みやいにつもる ふゆのつき
末永々と往く年も    すえながながと ゆくとしも
豊作続く高佐郷    ほうさくつづく たかさごう
五穀繁昌地名の記    ごこくはんじょう ちめいのき


2022/01/09

観聖寺の聖は、聖徳太子の聖であると同時に聖宝の聖・・・

筆者の祖父・吉田永學は、信州栗田村の真言宗・観聖寺の長男系列直系の末裔・・・。『信州栗田村観聖寺縁起』の内容を検証していて、観聖寺の<観聖>は<聖を観る>という意味であり、その聖は、聖徳太子の聖であると同時に聖宝の聖であると思いました。

観聖寺縁起によると、聖徳太子は日本仏教の開祖・・・、聖宝は真言宗當山派の開祖・・・。長野の吉田さんが継承しておられる観聖寺の宗教遺産の中には、聖徳太子像と聖宝像が含まれていますが、栗田村太子堂でもある観聖寺の本尊は、聖徳太子・・・。聖宝の、既存仏教に対する批判は、<宗教改革者>の批判に相当するものがあります。仏教の救済を、知識階級・上中流階級の救済に限定せず、民衆・大衆に及ぼすべく、宗教改革を断行したその文言が、観聖寺縁起の中にちりばめられています。

聖徳太子も聖宝も、その生涯の言葉と振る舞いは<伝説>によって脚色されていますので、その<伝説>の背後にある<歴史的核>にたどりつくことは容易ではありませんが、聖徳太子と真言密教とのかかわりで<日猶同祖論>が関与してきますと、この二つの聖に聖書の聖がくわわり、あらたな意味が付加されることになります。真言宗観聖寺が創立された寛永14年(1637)は、島原の乱が起きた年・・・。日本基督教団の隠退牧師である筆者は、日猶同祖論とは関係なく、真言宗観聖寺が明治政府の宗教政策によって廃寺に追い込まれた背景には、日本と欧米諸国との外交における、明治政府に対する欧米諸国の宗教容認の要請が大きく影響したと思っています。

ひとつの歴史の把握は、そのひとの視点・視角・視座によって大きく異なってきます。党利党略による特定の歴史の強要に服することができない、歴史の真実に遭遇すれば、なおさら・・・。

棚田の育苗用ハウスの様子を見にでかける・・・

午後、棚田の育苗用ハウスの様子を見にでかけました。常夏川沿いの五差路のひとつにくるまをとめて、あとは、徒歩で、妻の実家の棚田の田に向かいました。積雪量が思った以上に多く、途中1mほどの積雪になっている場所もありました。

たどりつけたのは、妻の実家の棚田の田の西側の農道まで・・・。それまで、いろいろな角度から、コンパクトデジカメで写真を撮って確認しました。育苗用ハウスの南側は1m数10cm積雪しているようでしたが、北側は40~50cm・・・。棚田の上方にある、専業農家のトマト栽培用農業用ビニールハウスの北側も1m数10cm積雪していました。その南側の写真も撮ろうとしたのですが、農道の雪が深くて、撮影ポイントまでたどりつくことができませんでした。

2013年月4月1日に帰郷・帰農した年に、簡易温室を立て、その次のはる稲の育苗のために棚田の上段の田に育苗用ハウスを建てましたが、湖南の赤津村のプロの方々から、<ここらの雪の酷さを知らねえんだべえ?素人がつくるハウスなんぞ、雪の重みですぐ潰れてしまう! 潰れて、なきべそかくのを見るのが楽しみだなあ!>とバカにされていました。2014年の2月、大雪で、農業用ビニールハウスが変形したり倒壊したりした雪害被害がテレビニュースで報道されていました。その年農業用ビニールハウスの資材が不足して、業者に頼むと7月頃になるということでした。それで、筆者と妻、郡山のホームセンターを回って資材をかき集めて、育苗用ハウスをつくりました。それを見にきたプロの農家は口々に、<22mm径パイプ? こんなんでは、雪でつぶれるべえなあ・・・>と評していました。しかし、福島県農業試験場の調査では、農業用ビニールハウスが積雪で倒壊するのはパイプの径ではなく構造にあるとのことでしたので、22mmのパイプを使って、雪害に強い構造の育苗用ハウスにしました。しかし、積雪で潰れて、彼らの物笑いのタネにされるのもしゃくなので、冬は、ビニールシートをはがすことにしました。それで、豪雪にも倒壊することがなかったのですが、今年9年目にして、はじめて、妻の実家の棚田の田に建てた育苗用ハウスが積雪仕様になっているのかどうか確認するためのテストをしてみることにしました。ビニールシートを張ったままにしていたのですが、これまでの大雪による雪害被害は、無事切り抜けたようです。

これまで、風と雪が激しい、妻の実家の田のある棚田では、誰も農業用ビニールハウスを設置したことはないとのことでしたが、筆者と妻が育苗用ハウスをつくったあと、専業農家の方がトマトの栽培のために農業用ビニールハウスを2棟つくりました。現在のところ、その専業農家の農業用ビニールハウスも、筆者と妻がつくった素人百姓の農業用ビニールハウスも雪害を免れています。

風が吹けば桶屋が儲かる・・・

インターネットの Wikipedia にこんな説明があります。<風が吹けば桶屋が儲かる(かぜがふけばおけやがもうかる)とは、日本語のことわざで、ある事象の発生により、一見すると全く関係がないと思われる場所・物事に影響が及ぶことの喩えである>。

前々から、部落差別完全解消のための提言をする、筆者のブログ『部落学序説』に対してこのような批判があります。

<吉田向學の『部落学序説』は、部落差別を解消するための提言である。
部落差別がなくなるとどうなるのか、部落解放運動の基盤がなくなる。
部落解放運動の基盤がなくなると、国や行政から差別を理由に補助金・対策費を受け取れなくなる。
補助金がなくなると部落解放運動を継続できなくなる。
それは、部落解放運動に経済的不利益・損失をもたらすことになる
経済的不利益を招来するいかなる行為も部落差別と断定する。
よって、部落差別完全解消を提言する吉田向學の『部落学序説』は、部落解放運動の発展を阻害する差別文書である。
差別文書は、ネット上から速やかに削除されなければならない>。

<風が吹けば桶屋が儲かる>式の実例かもしれません。筆者は以前、<社会病理学>は<社会生理学>を前提としなければならないと主張したことがありますが、社会病理は社会生理からの逸脱であり、社会生理をどうとらえるかによって社会病理は別様に認識される。筆者の社会生理は、自由主義・民主主義のそれであり、日本の左翼主義に基づく部落解放運動の社会生理は、共産主義・全体主義のそれである・・・。社会生理学的認識が違えば、その社会病理の受け止め方も異なってくる。その多様性を容認するのが、自由主義・民主主義であり、その多様性を否定し、一党独裁的に特定の主張以外をみとめないのが、共産主義・全体主義です。

Blogger上での筆者の発言は、自由主義・民主主義を尊重する立場からの発言であり、左翼主義思想、共産主義や全体主義に批判的であることを明言します。

1月5日以降も削除されない『部落学序説』と『隠退牧師の百姓日記』

1月5日が過ぎても、昨年晩秋からかきはじめた、筆者の Blogger 上の『部落学序説』と『隠退牧師の百姓日記』は、削除されていないようです。

Gooblogの担当者から『部落学序説』と『隠退牧師の晴耕雨読日記』の全文章を、法務省の通達を受けて差別文章として認定し、閲覧禁止・削除処分にするとの通告を受けました。そのやり方が、ストーカー的、ネットハラスメント的な酷さを伴っていたので、筆者は、Gooblogから撤退することにしました。それで、急遽、Blogger上で

をかきはじめたのですが、Googleから次の文書が送られてきました。<Google は、2022年1月5日に利用規約の一部を変更します。今回の変更は Google サービスの利用方法に影響するものではありませんが、ユーザーが Google サービスを利用するうえで期待できること、そして Google がユーザーに期待することを理解しやすくするという目的があります。・・・ユーザーが Google サービスを利用するうえで期待できることと、Google がユーザーに期待することの明確化: Google がすべてのユーザーに期待する、互いに尊重し合う行動の例を増やしました>。その新規約を精読しますと、筆者のブログも削除対象になる可能性が多分にあったのですが、実際は削除対象にならなかったようです。筆者は、NTTないしその関連グループ全体ではなく、部落差別問題に精通していない、Gooblogの一部門の一担当者が法務省通達を曲解してなした間違った対応であると判断しています。そもそも筆者と担当者の間で日本語が通じていませんでしたので、最初から違和感があったのですが・・・。

それにしても、有料なのに使い勝手が悪い gooblog と、無料なのに使い勝手がいい Blogeer、どうしてこんなに差ができてしまったのでしょう・・・?

ヤスパースの実証主義と観念論批判・・・

今年に入って読んでいるヤスパースの『哲学』(全3巻)は、ヤスパースが実証主義と観念論について批判を展開いている箇所です。

高校生のときから、ヤスパースの哲学書に触れてきて、大きな影響を受けてきた筆者は、実証主義にも観念論にも大きく傾くことはありません。両者の中道ですらなく、ヤスパース実存的傾向を持っています。

今回時間をかけて読んでいるのは、<実証主義的歴史研究>の限界を見定めるため・・・。<実証主義的歴史研究>は、既存の歴史資料・遺物を研究対象にしています。文献で確認できる範囲での歴史研究においては、あらたに史資料が発見され解読されて、それまでの歴史研究の方向性の見直しを要求されることが度々起こります。日本の部落史研究者が直面することになる<実証主義的歴史研究>の限界です。それらを無視あるいは過小評価して観念論的歴史哲学を構築することにも限界があります。両者は、その研究の視野に入らないものを<ないもの>として無視するのが常ですから・・・。筆者が『部落学序説』で部落史研究の解釈原理として導入した<新・けがれ論>や<非常民・論>なども、部落史の実証主義的研究や観念論的研究の枠外にあるものです。『部落学序説』をかきはじめたとき、東京外国語大学の教師の方が、『部落学序説』の研究目的と研究法そのものが、日本の学界の中でとりあげられ評価されることはなく、すべては徒労に終わると評されていました。筆者は、無学歴・無資格者として、<部落学>的論述をはじめたのではなく、<部落学>固有の研究課題・研究方法を明らかにして<部落学的論述>をすると<序説>(Prolegomena)を書き始めたのですから、『部落学序説』の執筆を中止することはありませんでした。そして、これからも・・・。

今朝7:00に起床、いつもの健康管理をしたあと、『英訳聖書』(NSRV)を通読しました。

筆者の寝室のたたみの上には、筆者が当面読みたい本が積み重ねられていますが、その数150~160冊・・・。1.聖書、2.老年医学と老年健康管理学、3.修験道と密教、4.日猶同祖論、5.ヤスパース著作集、6.ヴィトゲンシュタインの哲学書、7.古文書読解法、8.GoogleAPPS、9.長野県史・・・。

今年74歳の筆者、若い時のように<速読>することはできません。1冊の本を一挙に通読することも不可能です。それで、『英訳聖書』(NSRV)とヤスパース『哲学』(全3巻)以外は、目次と索引を利用して、読みたいテーマを限定して、それを優先的に読みすすめます。たとえば、医学書の場合、医学部の全科目の教科書を揃えていても、最初から通読することはありません。筆者と筆者の父母・祖父母・兄弟・姉妹の病歴を中心に、病気予防と健康管理に関する知識・診断技術を身に着けていくことになります。罹る可能性のない疾病について精読しても、直接役にたつことはなさそうですから・・・。万病が存在する中で、筆者と妻がその一緒の間に罹る可能性のある病気は、二ケタにも及ばないでしょうから・・・。

『英訳聖書』(NSRV)とヤスパース『哲学』(全3巻)を通読・精読しているのは、それらが筆者の全存在と深くかかわっているためです。ひとのこころを知るために読んでいるのは『万葉集』・・・。筆者、現代の日本人のこころもいにしへの日本人のこころもそんなに違いはないとの認識がありますので・・・。違いがあるとすれば、現代の日本人のこころの、本来のありようからなお逸脱・病理として認識することになります。


2022/01/08

朝から夕方まで、のんびり過ごす・・・

今朝6:30に起床、いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読したあと、夕6:00まで、なにもしないでのんびり過ごしました。今朝は、あらたな積雪がありませんでしたので、今日は一日除雪作業なし・・・。

読書もしませんでした。

土曜日は、聖書の上では安息日・・・。安息日を守るのもひさしぶりです。

2022/01/07

午後、『信州栗田村観聖寺縁起』の原文確定作業・・・

今日の午後、コイン精米所で、2021年湖南高原産有機・無農薬栽培のコシヒカリを精米して、そのうち20kgを袋詰め・箱詰めして、隣村の郵便局から発送しました。

そのあと、信州栗田村の真言宗・観聖寺の跡地に住み、その宗教遺産を継承しておられる長野の吉田さんが送ってくださった『信州栗田村観聖寺縁起』の版木の写真を Paint Shop V7 で加工して、読みやすくして判読作業をしていました。長野市郷土史研究会の総会で配布された、『信州栗田村観聖寺縁起』は、この版木から刷ったものではありません。また、版木をつくるときの版下の原稿でもありません。版木の作成年代は、筆者の祖父・吉田永學の高祖父・勢賞が、観聖寺を立て直したときに勧進のために作成した縁起であるようです。版木の『信州栗田村観聖寺縁起』のかなの使い方は、近世の使い方なので、まず、間違いないでしょう。それで筆者、版木の『信州栗田村観聖寺縁起』から、『信州栗田村観聖寺縁起』の原文を確定する作業をはじめました。

長野市郷土史研究会の総会で配布された『信州栗田村観聖寺縁起』の<語釈>作業はすでに済んでいます。『信州栗田村観聖寺縁起』に、<なにと書かれているのか>、<それをどのように読むのか>。筆者の祖父・吉田永學の先祖の、信州栗田村の真言宗観聖寺の住職・修験僧の<信仰>の在りようを引き出すことができそうです。一般的な寺社縁起の様式とはかなり違いがあります。

午前10:00~12:30、除雪作業・・・

今日は、午前10:00~12:30、妻とふたりで、除雪作業をしました。

国道294号線の、妻の実家のブロック塀の前の国道294号線の側道の1m高さの雪を取り除きました。今朝の積雪量は、10~15cm程度・・・。今日は、根雪になりそうなところを重点的に除雪しました。これで、雪はクリア・・・。大雪の備えは、大雪が降るまでに、それまで降って積もった雪をできるかぎり取り除くことが最善の備えです。

除雪作業に入る前に、農機具の小屋の玄米保冷庫の中から、2021年湖南高原産有機・無農薬栽培のコシヒカリ30kg×1袋を取り出して、居間におきました。コイン精米所で精米するには玄米を常温に戻しておかなければならないので・・・。ついでに、簡易保冷庫から2019年産コシヒカリの玄米30kg1袋をとりだしました。こちらは、寒すずめたちの餌にします。この冬2袋目・・・。

感染は、不注意ないし無知から・・・?

毎日新聞のネット記事・・・。<新変異株のオミクロン株が猛威を振るう欧州では、1日当たりの新規感染者数が増加を続けている。英政府は4日、新規感染者数が21万8724人だったと発表した。20万人を超えたのは初めて>。 今朝、6:30に起床、いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読したあと、『聖宝』と『看護覚え書』のページをめくっていました。イギリスの看護婦ナイチンゲール著『看護覚え書』にこんな一節がありました。 <英国において、あらゆる人間の経験のうち、正確に観察されてこなかったいちばんのものは病気と死である。もちろん材料はそこにそろっているが、注意深い研究がまったく欠如している・・・。感染というものは、それは病気が広がる一つの方法であるが、感染が起こるということは、誰かに、つまり医師か看護婦か家族の者の誰かに、不注意ないし無知のあることを証明しており、また感染が起こるような場所は、病人にとっての健康人にとっても住むに適さない、これが感染の正しい定義なのである>。 感染は、不注意ないし無知から起こる・・・。 インターネットのNHKのニュース・・・。<沖縄県では、医療従事者で新型コロナウイルスに感染した人が58人に上っていて、診療にも影響が出ています。沖縄県によりますと、6日現在で、県内の医療従事者およそ220人が休んでいて、前の日に比べて100人ほど増えているということです。このうち新型コロナに感染していることが確認されているのは、医師が3人、看護師が35人、事務員などが20人の、合わせて58人です。全員が新型コロナの影響で休んでいるかは分かりませんが、濃厚接触者で自宅に待機している人もいるということで、一部の医療機関では、すでに診療に影響が出ているということです>。
ナイチンゲールが生きていて時代、やがて、中国共産党率いる中国が世界制覇のために生物兵器として武漢ウイルスを全世界にばらまき550万人もの<戦死者>を出す事態を想定することができなかったのでしょう。武漢ウイルスが生物兵器であり、多数の<戦死者>をだしていることを認識でない医師や看護婦、患者の家族も、不注意ないし無知のそしりをまぬがれないのかもしれません。いまは、中国共産党ひきいる中国が世界を相手にしかけた<戦争>下にあることを忘れてはいけない・・・。

2022/01/06

ヤスパース著『真理について』(全5巻)が揃う・・・

猪苗代から戻ると、郵便受けに、 昨年12月20日に注文した、ヤスパース著『真理について』(全5巻)の5巻目の本が投函されていました。

筆者の古書あつめの最後の本は、ヤスパース著『真理について』(全5巻)の第5巻になりました。そのあと、第5巻を拾い読みしていたのですが、筆者の古書集め最後の本として、ふさわしい本であると思いました。聖書ではじめて聖書で終わる、ヤスパースではじめてヤスパースで終わる、万葉集ではじめて万葉集で終わる・・・。『聖書』と『哲学』と『万葉集』、74歳の筆者の毎日通読する愛読書になります。

今年、『3年連記健康手帳』を更新しました。筆者の最高血圧・最低血圧・脈圧差・平均血圧は、35~39歳の日本人男性のそれと同じ・・・。からだだけでなく、こころとあたまもそうだといいのですが・・・。

猪苗代へ買い物にでかけたが、片道1時間もかかった雪の国道・・・

今日、猪苗代町へ食料品と、妻の実家のおかあさんの介護用品の買い出しにでかけました。国道294線は、まっしろな雪道・・・。時速40~50kmならまだいいのですが、凍てついた道を走るときは時速30~40kmにおとさなければなりませんでした。猪苗代町の商店街に入ると、さらに減速・・・。片道1時間5分かかりました。

でかけるとき、<雪目>対策用の目薬をさして行きましたので、視界は良好だったのですが、やはり、晴れた日の雪道は疲れます。道路脇の農家・民家の屋根に積もった雪は、毛糸で編んだ白い帽子を被ったよう・・・。すっかり、雪国の光景になっていました。

筆者と妻は、年金暮らしなので、毎日除雪作業をしていますので、雪が積もりに積もるということはありません。今回の大雪で、まだ農機具の小屋の前の雪を採り残していますが、今日の夜から明日の朝まで、また雪がふりそうなので、明日片づけることにしています。遠くから、妻の実家の棚田の田の簡易温室と国道294号線沿いの簡易温室をみましたが、どちらの屋根も積もった雪が自然に落下していました。

昨夜から、David Lambuth 著『The Golden Book on Writing』の再読を始める・・・

昨夜から、David Lambuth 著『The Golden Book on Writing』の再読を始めました。『The Study on Buraku Discrimination in Japan』の続きを書かなければならないのですが、年のはじめに、<Writing in English>の基礎固めをしようと思って・・・。

筆者の英語は、<reading in English>➡<thinking in English>➡<writing in English>➡<speaking in English>➡<Hearing in English>の経過をたどっています。

筆者、昔から英語で話すことはできないのですが、妻は、<あなたは、筆談ができるし、書くように話すことができるのですから、今更英会話を習う必要はないわよ>といいます。筆者、高校生のとき、Sweden Covenant Mission の宣教師の教会に通って聖書を学んでいましたが、岡山県立児島高校の先輩・同輩・後輩は、聖書ではなく英語ないし英会話を習いにその教会に通っていました。筆者は、その集いに一度も参加したことはありません。そのとき、一緒に英会話を習っていたら、とっくの昔に、<Hearing in English>と<Speaking in English>を身につけることができていたかもしれません。

74歳の筆者に必要な英語力は、<Reading in English>と<Thinking in English>、<Writing in English>だけ・・・。筆者、せめて< Uneducated English >は身に着けたい・・・。<American upper class English>は、無学歴・無資格の筆者には不釣り合い・・・。

朝、台所の水道の水が出ない・・・!

朝7:00に起床。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。今朝は2か所読んだだけなのですが、2章とも長い箇所・・・。しかも、知らない単語が続出して、その意味を推測しながら読みすすめるのに時間がかかりました。そのあと、階下におりると、妻が、<あなた、お風呂と洗面所の水道は出るのに、台所の水がでないの。>というので、台所の水道の蛇口を見ると、この前筆者がはった断熱材をすべてはぎとってお湯をかけていました。<こうやっても出ないの・・・>といいますので、筆者、水道管をあちらこちら触ってみました。すると1か所、とても冷たいところがありました。その箇所には砥石が接していました。筆者、<水道管が凍ったのは、この場所・・・。石は冷えるから水道管を冷やして水を凍らせたのでは?>といいますと、妻は、<どうすればいいの? 冷たいところに、ホカロンでも貼ってみる?>といいますので、筆者、<それはGood Idea !>といって、妻が持ってきたホカロンを2枚連続して貼ってみました。すると数分後に、水がでるようになりました。妻は、<66歳にして、大発見!>と喜んでいました。妻は、<朝10時すぎないと、台所仕事ができないのではと心配していたけれど、よかったわ。これで朝食をつくることができるわ・・・>と話していました。雪国ならではの、朝のとんだハプニングでした。

ちなみに、台所の隣の書斎の室温は、マイナス2.4°Cでした。この冬一番の冷えでした。

2022/01/05

居間の前の庭木にやってきた寒すずめたち・・・

昼食をとっているとき、妻が、<ちゅちゅくんっちが、やってきたわよ>といいます。居間のサッシ窓をとおして、庭の低木にやってきた寒すずめたちが、なにやらさえずりながら枝から枝へ点々と移って遊んでいます。真横からみますと、寒すずめたち、お腹をふくらませたフグのように見えます。寒すずめのお腹は、まっしろで、空気を吸ってまるくふくらんでいます。妻は、<すずめさんたち、なんて話をしているのかしら?>と筆者に問いかけてきます。<作業をやめるまえに、A子さんにいわれて、スズメたちのために玄米をまいてやったけれど、「A子さん、ありがとう」って礼をいいにきたのではないの?>と答えましたが、真偽のほどはわかりません。

『万葉集各句索引』で、<すずめ>、<かんすずめ>で検索してみましたが、すずめを歌った歌はひとつもありませんでした。なぜ・・・? ついでに、<からす>で検索してみますと、1首ありました(索引にはありませんでしたがほかにも1首)。その歌の中で<からす>はなんと<大軽率鳥>・・・!<はと>も検索してみましたが、<はと>を歌った歌もなし・・・。<もず>は、ひとつ・・・。<うぐいす>は33首・・・。<めじろ>はなし・・・。<ひばり>は2首・・・。<ほととぎす>は250首以上・・・。<たか>、<とんび>なし。<わし>は数首・・・。<つる>もなし・・・。・・・ここまでくると、<さぎ>は絶対にないと思って検索しますと、やはり0首・・・。<ちどり>を歌った歌はあるにちがいないと検索してみますと15~16首・・・。

それで、筆者、あることを推測しました。『万葉集』の<葉>は言葉の<葉>・・・。『万葉集』に歌われた野鳥は、単なる鳴き声でなく野鳥たちで、ひとのこころに訴えてくる言葉のようになくことができる・・・。万葉の人々にとって、すずめたちのさえずりは、単なるさえずりで、ひとの言葉に通じるものではなかったのでしょう。例外的な歌をのぞいて、しらさぎが歌われることもほとんどなかったのでしょう。しらさぎの鳴き声ときたら・・・。『万葉集』の世界は、色ではなく音の世界・・・? めにみえる世界ではなく、めにみえないものを大切にする世界・・・? 呼びかけるものと呼びかけられるものの言葉のやりとりを大切にする世界・・・。

<神代より、言い伝て来らく、そらみつ大和の国は、皇神の厳しき国、言霊の幸はふ国と語り継ぎ、言ひつがいけり・・・>

<敷島の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸くありこそ>

午前10:30~1:00、屋根の雪下ろしと落下した雪の片づけ

午前10:30~1:00、屋根の雪下ろしと落下した雪の片づけ作業をしました。今朝は気温が低下したためか、降った雪が凍てついていました。ハンディラッセルでは除去することができず、平型スコップで、豆腐をさいのめ切りにするように凍てついた雪を切り分けて、ままさんダンプで掬い取って流雪溝に流し込みました。

午前10:30を過ぎると、流雪溝を流れる水の量が増えてきますので、流れをせき止めることなく、投げ入れた雪はすべて流雪溝に吸い込まれていきます。午後1:00ころになると、平型スコップを使う右手に痛みがきはじめましたので、即作業を中止しました。右手関節障害のある筆者には、今日の除雪作業はすこしく過酷でした。<引く>作業はいいのですが、<押す>作業は、痛みがきます。無理をすると1週間ほど動かなくなりますので、作業を中止・・・。明日は、普通通りに作業できますので、無理をしないのが一番です。

零下18.4°Cに耐えれる暮らし方の情報収集・・・

妻のふるさと湖南に帰郷・帰農する前、2009年に、インターネットの日本の古本屋経由で、全国の古書店から買い集めた、妻のふるさと湖南に関する史資料の中に、 吉川米治著『赤津の足あと』(1989年)があります。 湖南の赤津村の民俗誌です。その気象に関する資料によりますと、妻のふるさと・湖南の赤津村の極寒の最低気温は、マイナス18.4°Cとか・・・。それで、筆者、2013年に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南の赤津村で人生の晩年を過ごすための健康管理と雪国の暮らし方、有機・無農薬でコメと野菜を栽培する高冷地農法・寒冷地農法に関する史資料をあつめはじめました。最初に集めた本の中に、吉川米治著『赤津の足あと』(1989年)がありますが、赤津村の歴史・伝承・民俗・自然・文化などを知るための基本文献です。 2013年4月1日に、東日本大震災・原発事故による放射能汚染が覚めやらぬその2年後に帰郷・帰農して、田・畑や庭の除染作業をして、ドイツ製のガイガーカウンタで、土壌・水・野菜などの放射能汚染度を測定し、安全をたしかめて、帰郷・帰農した年から、有機・無農薬で自給用のコメと野菜の栽培をはじめました。帰郷・帰農した直後から、有機・無農薬でコシヒカリ・はえぬき・ひめのもちを栽培・収穫でき、備中レンコンやソラマメなどの湖南の赤津村の農家が栽培できないという稲の品種や野菜を栽培・収穫することができるようになりました。 筆者と妻の農業は、<みようみまね>の農業では決してたどりつくことができない、<むかしながらの百姓暮らし>です。

2009年に妻のふるさとを知るために集めた古書・・・

妻の故郷・湖南に関する本・・・(DATE: 04/13/2009 22:51:58)


筆者、やがて定住することになる、妻の実家のある、東北福島の湖南町に関する<資料>です。インターネットの古書店で購入しました。


諏訪三郎著『家』(1942年)

諏訪三郎著『鬼怒十里』(1943年)

諏訪三郎著『大地の朝』(1943年)

橋本武著『猪苗代湖南民俗誌』(1969年)

東京女子大学郷土史調査団『湖南の民俗』(1970年)

橋本武著『猪苗代湖南民俗誌・続編』(1971年)

山口弥一郎著『民俗学の話』(1971年)

郡山市湖南町史談会編『湖南の史跡と文化財』(1978年)

吉川米治著『赤津の足あと』(1989年)

結城昭八著『心象童話・流れる雲と野と人の讃歌』(2004年)


初心忘るべからず・・・

妻のふるさと・湖南の赤津村に帰郷・帰農した年、2013年に、湖南町福良村出身の高校教師・結城昭八さんの『心象童話 流れる雲と野と人の賛歌』の言葉を拾って歌詞をつくり、鉄道唱歌の調べに載せて歌えるようにしました。その再掲・・・。妻のふるさとに抱いた最初のイメージを大切にしたいと思います。 吉田向学の『湖南賛歌』

ここはふるさと みずうみの 北に見えるは 磐梯山

雄々しき姿の 隣には

その名も優し 吾妻山


雪の下から 芽を出して

土手やあぜ道 フキノトウ

細かく刻んで 炒めては

味噌と砂糖で 味をつけ


かげろう燃ゆる 野に出でて

摘むも楽しき フキノトウ

ひとの人生の 短さに

よくにた味の ほろ苦さ


雪が溶けて 春になる

白い毛皮の 野うさぎは

春は栗色 衣替え

ひとめ目立たぬ つつましさ


春の淡雪 はかなくて

積もっては消える ねこやなぎ

頬をなでる 風さえも

肌のぬくもり あたたかや


苗代たねまく 時がきて

雪消す音は ガチャガチャと

シャベルの音が こだまする

そりで運ばれ 水の中


まいたたねもみ 芽を出して

一寸くらいに 突き出ると

うめやスモモの 花も咲き

ウグイス・フクロウ 鳴きはじめ


五月になれば 清流の

ながれの石の 上で鳴く

カジカの声は ほろほろと

谷地田に響く 美しさ


若葉しげれる 川上は

かっこう鳴いて こだまする

心にしみる その声は

孤独楽しむ 時となる


湖南の山の ほととぎす

テッペンカケタカ 鳴きわたる

姿見せねど そのつばさ

青さに染まる 美しさ


色鮮やかな かわせみは

翡翠の鳥と 申すなり

空と水とを 行き通い

漁りするのも おもしろや


空の青さを映し出す

田の面に泳ぐ みずすまし

波紋を乱す ゲンゴロウ

ミズカマキリやタイコウチ


イネの刈入れ 終えたれば

ワラを大きな 束にして

家のまわりに 押し当てて

雪の囲いも 習わしや


奥山もみじに 色づけば

夏蚕の桑の 枝を切り

ドウを編んで 川に挿し

やがてかかるは アメマスで


獲ったアメマス 串にさし

炉辺で焼いて ワラに挿す

冬のつれづれ 取り出して

父の肴と なりにけり


昔ほし草 とるために

のぼった山は ドンデン山

薄・サルトリ 気をつけて

愛でる花は 女郎花


しばし休んで 藪の中

見つけたあけび 山梨や

山のぶどうや えびつるや

房を探すも 楽しきや


野良の仕事を 終えたあと

茄子紺色した 山間の

夜の空には 果てしない

銀河の流れ 秋冴えて


渡りゆく鳥 身を休む

渡ってくる鳥 長旅の

疲れを癒す 山の木々

湖南の山の やさしさよ


雪が積もった次の日は

木の実探しが できなくて

ギャアギャア泣いてる カケスたち

杉の木の枝 蹴り上げる


田畑を通って 野うさぎは

月夜の晩に やってくる

足跡残る 雪の上

仲間と群れなし 連れなして


晴れた雪の日 雪合戦

積もった雪も なんのその

遊ぶすがたの こどもたち

学舎すべて 雪の中


積もる雪を かき分けて

さくらやならや ほうのきや

なたで切り出し つくるのは

父が自慢の スキー板


湖南の雪は いろいろに

こな雪わた雪 ぼたん雪

みぞれあられ ざらめ雪

かた雪ね雪 おもしろや


雪国湖南の 道々は

さいひを立てて 道しるべ

雪に隠れた 川や崖

落ちるを防ぐ 村の知恵


厳しき冬の あしたには

樹氷ができて キラキラと

朝日に輝く 美しさ

鳥の鳴き声 キビキビと


冬も遠のく 朝のこと

雪踏み俵で キュッキュッと

音立てながら 帰る道

杉の梢に リスを見る


茄子とトマトの 苗作る

温床つくりに 落ち葉かき

こぶしの花や まんさくや

カタクリの花 眺めつつ


昔の自然の 美しさ

忘れてならじと 四季の里

福良の古老が 語り継ぐ

湖南の明日に 栄えあれ



この冬の知的作業は観聖寺文書の再判読・・・

    今日は1日,  これまで再読した観聖寺文書を再検証して, MSwordで活字化, A4判19枚にプリントアウトして, 隣村の郵便局からゆうパックで送りました.     12月20日から来年3月20日までの3ヶ月間, 晴耕雨読ならぬ晴れた日は除雪作業, 雪の降る日は読書三昧...