2022/01/05

零下18.4°Cに耐えれる暮らし方の情報収集・・・

妻のふるさと湖南に帰郷・帰農する前、2009年に、インターネットの日本の古本屋経由で、全国の古書店から買い集めた、妻のふるさと湖南に関する史資料の中に、 吉川米治著『赤津の足あと』(1989年)があります。 湖南の赤津村の民俗誌です。その気象に関する資料によりますと、妻のふるさと・湖南の赤津村の極寒の最低気温は、マイナス18.4°Cとか・・・。それで、筆者、2013年に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南の赤津村で人生の晩年を過ごすための健康管理と雪国の暮らし方、有機・無農薬でコメと野菜を栽培する高冷地農法・寒冷地農法に関する史資料をあつめはじめました。最初に集めた本の中に、吉川米治著『赤津の足あと』(1989年)がありますが、赤津村の歴史・伝承・民俗・自然・文化などを知るための基本文献です。 2013年4月1日に、東日本大震災・原発事故による放射能汚染が覚めやらぬその2年後に帰郷・帰農して、田・畑や庭の除染作業をして、ドイツ製のガイガーカウンタで、土壌・水・野菜などの放射能汚染度を測定し、安全をたしかめて、帰郷・帰農した年から、有機・無農薬で自給用のコメと野菜の栽培をはじめました。帰郷・帰農した直後から、有機・無農薬でコシヒカリ・はえぬき・ひめのもちを栽培・収穫でき、備中レンコンやソラマメなどの湖南の赤津村の農家が栽培できないという稲の品種や野菜を栽培・収穫することができるようになりました。 筆者と妻の農業は、<みようみまね>の農業では決してたどりつくことができない、<むかしながらの百姓暮らし>です。

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