2022/01/25

今日は一日晴れ、しかし・・・

今日は一日、晴れでした。しかし、疲れが出たのか、戸外で作業をする気になれない・・・。それで、家の中でいろいろ片づけをしていたのですが、すべて徒労に終わる・・・。からだは休養のひとときとなり、明日朝、積雪しても十分除雪作業をすることができる体力を取り戻した。しかし、精神的には、なにか落ち着かない・・・。晴耕雨読という言葉がからまわりしているような感じがします。

今朝7:00に起床・・・。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。そのあと、哲学者・務台理作の<歴史と実存>という短文を読んで、調子が乱れてしまいました。無学歴・無資格の筆者、哲学者・務台理作がどのような人物なのか、まったく知りません。ただ、その文章から察するのみ・・・。

<・・・歴史と実存との関係について、いく年も考えつづけてみた。理解の早い要領の上手な人からみると、まことに愚かしい問題に頭をつき込んでいるものと見えたかも知れない。一定の思考の型を身につけて、それに依りかかることに安心している人からみると、思考の型にもならない「歴史と実存」の問題のようなものに勢力を費やすことは、いかにも野暮ったい田舎ものの仕事と見えたかも知れない。しかし私のどこかに田舎ものの土性骨でいくのもいいではないかという心構えのあることも事実だ。私はもともと田舎ものだ。田舎ものの土性骨なしにはこの問題は解けないと思いこんでいるものある。・・・私は「歴史と実存」という結果の出にくい問題にかじりついて幾年を過ごしたろうか。そうして自分の生涯の老年期に辿りついた。・・・私はこの老年になってはじめて実存の歴史的意味にふれえたことを思い・・・>。

その文章を読みながら、筆者、哲学者・務台理作は、<実存>がなんであるのか、なにもわかっていないと思いました。すくなくとも、哲学者・ヤスパースのいつ<実存>に、ほとんどたどりついていない。それは、務台理作が、ヤスパースのいう<包括者>に対する理解を欠いているからでもある・・・。老年になって、ヤスパースの<実存哲学>の前で、門前払いされてしまったかのような務台理作、西田哲学の限界を超えようとしながらその限界の中に留まらざるをえない哲学的限界にぶつかって、にっちもさっちもいなかくなった姿がそこにあるように思われてならない・・・。

今日は、一日、なにとなく不愉快な思いに包まれていました。

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