2022/01/28

74歳の1月は、除雪と哲学書の読書三昧で終わる・・・

74歳の筆者、その1月は、除雪と哲学書の読書三昧で終わりました。cocolog上で公開執筆した『部落学序説』の、Google の Blogger 上の移行作業、英訳版の執筆練習は滞ったままです。

『部落学序説』を執筆しはじめたころは、筆者の先祖が、信州栗田村の真言宗観聖寺の住職・修験僧であることを知らなかったので、筆者の母のふるさと、徳島県美馬郡半田町坂根村の先祖、百姓を筆者の先祖としていました。日本基督教団西中国教区の牧師を辞任して隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農する直前、インターネットの日本の古本屋経由で『近世栗田村古文書集成』を入手、生前、父から聞かされていた、<先祖の名前は代々学がつく>と聞かされていたので、<〇学>の名前を検索していたところ、筆者の祖父・吉田永學の曾祖父にあたる<祐學>の名前を発見・・・。それから、一挙に、先祖の歴史にたどりつき、筆者は、1637年(寛永14)に開山された、伊勢神宮の神宮寺であった世義寺の末寺である真言宗観聖寺の世襲の住職・修験僧の、長男系列直系の末裔であることがわかり、『近世栗田村古文書集成』に収録された古文書から、筆者の先祖は、近世幕藩体制下の司法・警察である、信州の<長吏役>とは無縁の存在であることを確認しました。職務の内容上、真言宗観聖寺の世襲の住職・修験僧の職務と、信州の<長吏役>の職務は兼務することができませんから、職務上も無関係・・・。

しかし、筆者、日本基督教団西中国教区の牧師をしている間、部落差別問題特別委員会の委員にされ、その取り組みを強制されましたが、なぜ、部落差別問題の門外漢である筆者が、30年にもわたって、その問題と取り組み続けることができたのか・・・。ヤスパースの『哲学的信仰』を読んでいるとき、次の言葉に遭遇しました。哲学的信仰の持ち主は、<己の歴史性に対する忠実さを失うことなしに、己とは歴史的に異なるものに対して自分を関わらせること>ができると・・・。<己の歴史性>を、<包括者>(聖書の神)から与えられた<所与>として受け止め、他者の歴史性のなかにも、同じ<所与>があることを承認している筆者の必然的な生き方のなせるわざであったのかもしれません。

<人は衣装の外形から衣装をつけた思想の形を推測することはできない。>(ヴィトゲンシュタイン) 人は、現存在の目に見える外見から、目に見えない実存を推察することはできない・・・。

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