被差別部落の人々は多種多様な人々の集まりす。
日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、西中国教区総会で西中国教区部落差別問題特別委員会の委員に任命されました。 山口東分区の当時の分区長は、<この分区には部落差別問題特別委員会の委員になりたいという牧師はいないであなたを指名した>と話していました。 山口東分区の小さな教会に赴任したばかりの私に<他の牧師が嫌がる>役を押し付けられました。
私が赴任した教会は前任牧師が教会の中で自害したとされる教会です。 日本基督教団の事務局で当時の西中国教区議長と会ったとき、彼は<君は神の召命を信じてこれから私がいう教会に赴任してくれるか>と問いかけてきました。 彼は私が赴任を承諾したらその教会がどういう教会であるかを教えると話していました。 私は素朴な信仰の持ち主なので、もちろん神による召命を信じていました。 それで赴任を承諾すると、彼は前任牧師が自害したこと、そのことで教会員が混乱し教会を閉鎖したいという声も多い。 <君は5年間その教会で牧会にあたってほしい。 再建の可能性がないとわかれば教会を閉鎖してほしい。 そのあとの任地は西中国教区が責任をもって保証するから・・・>と話していました。
しかし、西中国教区議長のその言葉はその場限りの<口から出任せ>の言葉であることは赴任してすぐ直面することになりました。 西中国教区の牧師たちは、一斉に私の批難をはじめました。 <吉田牧師は傲慢だ! 前任者が自害した教会で伝道と牧会ができると思っているのだろうか。傲慢にもほどがある! >と。
赴任してまもなく、その教会の半数が被差別部落の関係者であることが分かりました。 それで想像を絶するような多くの体験をさせられることになりました。 被差別部落の関係者による牧師と牧師の家族に対する意味不明な嫌がらせと誹謗中傷・・・。 <牧師は被差別部落出身のどの信徒よりも貧しい生活をしなければならない>とか、<今度は私達が牧師と牧師の家族を差別する番だ>とか・・・。
事態が大きく変わったのは、私が赴任と同時に会員になった、山口県立高校の教師、新聞記者の方々の<読書会>主催で『やられたらやりかえせ』の映画上映会をすることになり、その事務局を私が引き受けたことにはじまります。 そのときに知り合った部落解放同盟新南陽支部の方々との交流の機会が与えられ、その学習会に参加して被差別部落の方々からいろいろなことを学びはじめました。 その内容は教会の役員会ですべて報告しました。 教会員の半数は、<被差別部落から離れて一般人として生きるためにキリスト教の信者になったのに、牧師が被差別部落に出入りするようになると、やがて私達が被差別部落出身者であるとわかるようになる。 そんな牧師とは一緒に生きることはできない・・・>といって教会を去って行かれました。
教会に残った半数の教会員は、私に副業を持ち経済的基盤をつくり、教会が直面している問題を克服してほしいと要求してきました。 教会役員会は、私が部落解放同盟新南陽支部に出入りすることを許容、被差別部落出身の教会員が去ったあとのクリスマスイブ礼拝には、残った教会員と部落解放同盟新南陽支部の方々で守るようになりました。 被差別部落を離れ、被差別部落出身者であることを隠し、被差別部落の人々に対する差別者の仲間入りをして生きる<暗い>人々と、部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加されている被差別部落のおじさんやおばさんの差別を跳ね返して生きる<明るい>人々との出会いは、部落差別に関する私の認識を大きく変えていくことになりました。
被差別部落の人々の出会いの多様性がもたらす明暗・・・。 どのような被差別部落の人々に出会うかによって、部落差別に関する認識が大きく別れてきます。 差別から逃れることなく、差別を引き受けて、それから自らを解放して生きていこうとする<明>の生き方を共有することになるのか、それとも、部落差別から逃亡してきた人々の秘密を共有して<暗>の生き方をすることになるのか・・・。
牧師である私の日々の祈りは、<主イエスさま、あなたがもし現在を生きて歩まれていたとしたらどの道を歩まれるのでしょうか? ふつつかなしもべである私は、主イエスさまのみ足のあとに従って歩みたいと思います。 私を主イエスまが歩まれる道に導いてください・・・>というものでした。 祈りつつ、部落差別の<明>と<暗>を突き抜けた先にまっていたのが『部落学序説』でした。 『部落学序説』は、聖書主義・敬虔主義を生きる日本基督教団の牧師である私のひとつの信仰の告白でもありました。
2023/08/14
被差別部落の人々との出会いの多様性がもたらす明暗・・・
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