2024/01/11

夜, ”大井法華堂文書 (2-33)” のページをめくる・・・

    夜, 信州栗田村太子堂である真言宗観聖寺の跡地に住みその宗教遺産を継承しておられる長野の吉田さんが送ってくださった, ”長野県立歴史館所蔵文書目録 20 大井法華堂文書 (2-33)” を開いて, 明治初年代の記録をピックアップしていました. 

    修験道廃止令が出された前後の修験道本山派の大井法華堂の動きを確認するためですが, 私が見ることを許された観聖寺文書の同年代の古文書の内容と比べますと, なんとなく、重要な文書が非公開にされているような気がします. 

    真言宗観聖寺は, 修験道廃止後, 触頭廃止後旧修験取締役を命じされていたようですが, その配下の寺院は20カ院・・・. しかし, 本山派から40カ院の当山派への移籍があったようで、真言宗観聖寺は, 60カ院を配下に持つことになったようです. なぜ, そんなことが起きたのか,  ”長野県立歴史館所蔵文書目録 20 大井法華堂文書 (2-33)” になにか手がかりがあるのではないかと思って紐解いたのですが,  ”長野県立歴史館所蔵文書目録 20 大井法華堂文書 (2-33)” を読むのは, かなり大変・・・. 現在のところ, 関連文書を見つけることができていません.  大井法華堂の修験僧は, なぜ早々に, ”京都元本山聖護院末旧修験大井源豊私儀是迠本山修験二而御ざ候処今般天台宗同入可仕旨御布告右同入仕候而も生活之見込無御ざ候間帰農ニ付書簡下書” と帰農に踏み切ったのか, その際, 本山派触頭として配下の本山派修験に対してどのような指導をしていたのか・・・, 目下のところ, 私の疑問に対応する文書の存在は確認できていません. 

    修験道廃止については, いまだに謎が多い・・・. 


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