2005年に, インターネットのブログ上で, ”部落学序説” の公開執筆を始めたとき, 読者の方々から ”反論” があったとき, その ”反論” に応えるべく, 史資料を準備していました. しかし, 私の取り越し苦労で, 実際には, ほとんど ”反論” らしい ”反論” はなく, ”反論” 用のそれらの史資料を提示する機会はありませんでした.
自己盗用・自己剽窃のミスを犯さないために, ”部落学序説” を英語で書き直すのではなく, ”部落学序説” を英語に翻訳することにしました. その翻訳の差異に, ”反論” 用に留保していた史資料についても参考として書き込むことにしました. また, ”部落学序説” 執筆後に入手した部落史関連史資料や論文も, 私の説を補強するための参考として引用列挙することにしました.
私が日本基督教団西中国教区の山口の地で出会った被差別部落の古老の語ることばを, 山口県立図書館や徳山市立中央図書館郷土資料室の蔵書をひもといて検証, 彼らの語る言葉が歴史的な事実であり真実であると思うようになりました.
被差別部落の人々の先祖を ”賤民” とラベリングして貶めるのは, そのこと自体が差別であると確信するようになりました. 彼らは, ”賤民” などではなく, 近世幕藩体制下の司法警察官であり, 法の下に職務を遂行していた人々でした. 徳山藩において、飢饉や地震の自然災害に際して, 被災者の救援のため負傷者を救護したり, 食料を配給したりする役割を果たしていたのが, 徳山藩の ”穢多” でした.
”部落学序説” でその主張を始めたとき, 左翼主義思想の学者・研究者・教育者・運動家は, ”被差別部落の人が賤民であったことを否定するのは, 運動で国や行政から利権を獲得してきた基盤を崩すことになり, 差別である” との主張が私に投げかけられました.
しかし, 真に大切なのは、同和対策事業の新たな展開ではなく, 部落差別完全解消を実現することではないでしょうか? 被差別部落の古老の語る歴史の真実を知った以上, 私は, その真実に目をつぶり沈黙したりするのは ”罪” だと思います. 左翼主義思想の学者・研究者・教育者・運動家がしかけた罠, 差別思想 ”賤民史観” という”差別の鉄鎖” から, 被差別部落の人々が, 自らを解放し, 彼らのほんとうの歴史を取り戻す日が訪れることを願ってやみません.
なぜ, ”部落学序説” を英語に翻訳するのか, 私には, 英訳された ”部落学序説” を読むであろう読者をあらかじめ想定することができます.
2024/01/12
”部落学序説” の英訳の基本方針・・・
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