2021/12/31

昭和は遠くなりにけり・・・

今は、令和の時代・・・。

妻の実家のある、東北福島の湖南の赤津村は、オール電化、太陽光発電の時代・・・。集中暖房で、真冬でも寒さと無縁の日々を過ごしておられるようです。しかし、赤津村の中で一番ちいさな農家といわれる妻の実家は、昭和の時代の暮らしをいまだに続けています。

昭和は遠くなりにけり・・・

そう言われる時代に、昭和の暮らしを続けています。有機・無農薬でコメと野菜を栽培するのも、農薬・除草剤が普及する前の時代の農法を実践しています。そのまま省エネ時代の生き方に通じています。2021年も過ぎ去り、まもなく2022年を迎えます。

昨日、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたときの信徒のご主人からメールがありました。教会との関わり方で言えば、<求道者>にはいります。毎日2時間のウオーキングと陶器づくりに励んでおられるようです。彼の趣味はマラソンでしたが、歳をとってマラソンからウオーキングに変更されたようです。彼の娘さんは、東北大学文学部出身・・・。卒業後、東京で学校教師をしていました。筆者の娘より2~3学年上・・・。

筆者も彼も、<父>を返上して<おじいさん>に・・・。

吉田先生が尊敬している山口県出身の人物は誰ですか・・・?

山口県立田布施農業高校・大島分校で仕事をしていたとき、筆者に職員室のひとつの席が与えられました。

休憩時間や食事の時間のときは、筆者に与えられた席でとりましたが、バーコードリーダーを使った図書貸出管理プログラムを作成するときもその席で行いました。クライアントサーバーシステムの構築や保守管理ために、校内のあちらこちらに出向きましたが・・・。

あるとき、昼食のあとの雑談のとき、ある教師が筆者に語り掛けてきました。<吉田先生が尊敬している山口出身の人は誰ですか・・・?>、筆者、ためらうことなく、<末川博と団藤重光です>と答えますと、その教師、<それって、誰ですか?>と問い返してきます。すると、突然、机をバンとたたいて教頭先生がたちあがり、<山口出身のそんな有名人を知らなくて、山口の高校教師をしてるのか!>と立腹されていました。末川博は民法学、団藤重光は刑事訴訟学の法学者・・・。

筆者、<尊敬している山口出身の人は誰ですか・・・?>と聞かれて、同じ法学者でも、高校の教科書に出てくる人物である伊藤博文とこたえていたら、何の問題にもならなかったのかもしれません。筆者、伊藤博文も尊敬する山口出身の法学者のひとりですが・・・。しかし、伊藤博文の名前を出したあと、その『憲法義解』について話をはじめると別の問題に発展しそうで、伊藤博文の名前を出すことはできませんでした。その他に、尊敬している山口出身の有名人は、民俗学者の宮本常一ぐらいしかいない・・・。あとさきのことを考えずに、筆者が日ごろから尊敬している法学者の名前を出したばっかりに、その教師の方にめいわくをかけることになりました。

吉田先生、お子さんはどこの大学・・・?

筆者、山口県の大島の島の二つの高校で仕事をしていたことがあります。山口県立田布施農業高校大島分校と山口県立久賀高校・・・。両校で仕事をするとき、筆者にも職員室に机があてがわれました。

久賀高校で仕事をはじめた日、食事のあと、教頭先生が語りかけて来られました。

教頭:吉田先生、お子さんはどこの大学・・・?
筆者:国立福島大学です。
教頭:学部は?
筆者:行政社会学部です。
教頭:現役で合格?
筆者:浪人をさせる経済的ゆとりがないので、国立単願で現役合格させました。
教頭:家庭教師をつけたり、塾に通わせたりしたのですか?
筆者:いいえ、そんな経済的ゆとりはありませんから、私が教えました。
教頭:吉田先生がご自身で?
筆者:はい。国立大学の入試試験の受験勉強と合格法を知っていましたので・・・。

すると、教頭先生、突然、職員室のすみずみまで響き渡るような大きな声を出して、<みなさん、今の吉田先生の話を聞きましたか? みなさんも、自分の息子や娘は、自分で指導して国立大学に進学させなさい!>と話かけておられました。

数学は、人生を有意義に生きるための大切な科目

山口県立田布施農業高校大島分校で仕事をしていたとき、数学の教師の方が、筆者に、この二次方程式を解いて見てといって1枚の用紙を差し出しました。

筆者、<いいですよ>といって、すぐ解答しました。すると、その数学の教師の方、<解けるでしょう!誰だって解けますよね。この前、中学校の数学の教師の研修会の講師をしたのですが、そのとき中学校の教師の方々にこの問題を出したんですよね。結果は、正解者は30%・・・。あとの70%は解けなかったんですよね。それで、私はショックを受けて・・・>と話しておられました。

その数学の教師の方、<吉田先生は、理系ですか、文系ですか?>と聞いてこられるので、筆者、<私は大学は出ていません。もし大学進学が許されていたとしたら、国立大学の哲学科にすすんだと思います。哲学科では論理学も学ぶことになるので、数学は一生懸命勉強しましたよ。>と答えますと、<数学は大切ですよね>と念を押してきます。筆者、<私は独学で記号論理学を学んでいましたので、BASICのプログラミングはそれを応用してすぐ書けるようになりました。>と答えますと、とても喜んでおられました。

数学って、大切ですよね。中学のとき、数学の教師に、筆者、あだ名をつけられました。<吉田は変わってる。ほかの生徒は、難しい問題の時には点数が下がり、やさしい問題のときは点数があがるのが普通。しかし、吉田は、問題が難しくてもやさしくてもいつも90点だ。直角は90度しかないから、いつも90点しかとれない吉田は直角と同じだ>と授業中に言われたことで、筆者、あだなが<直角90度>になってしまいました。

筆者、娘が大学に入るまで、毎年、新聞に掲載されたセンター試験の入試問題をといていました。英語B・国語B・数学ⅡB・倫理社会・政治経済・地学・・・。正解率は75%を維持していました。娘が高校の教師の方と結婚してからは、孫に教える機会はなくなったので、センター試験の入試問題を解くことはやめてしまいました。


筑波大学で数学を専攻した方のことをふと思い出して・・・

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、教会役員会の要請で副業をもつことにしましたが、その仕事の内容は、教会員の仕事と抵触しない、また教会のある地域の人の仕事とも抵触しないという条件付きで・・・。

副業として一番てっとりばやかったのが塾でした。教会学校の生徒で、おとうさんが同じ会社に勤めていて、その会社が倒産するということがありました。それで、筆者、山口県立下松高校に合格できるように、無料の塾を開くことにしました。そして、その3人の女の子、みんな下松高校に合格・・・。最初の試験で成績順が公表されたとか・・・。3人とも30番以内の成績でした。しかし、教会の近くにも、教会員のご主人が経営いている学習塾があって、牧師が塾を開くのは不可とか・・・。それで、筆者、競合のない、情報処理関連の仕事をすることにしました。情報処理技術者試験第二種を50歳で1回で合格しました。そのとき、広島の中国新聞が、<牧師さんはプログラマー>と題して報道してくれました。娘が福島大学・大学院と6年間学んでいる間、筆者は、山口県立高校に3年間ほど勤務したことがあります。あるとき、筑波大学を出られて数学の高校教師をされている方からこんなことを聞かされました。<吉田先生は、楽しそうに仕事をしていますね。吉田先生を見ていると、わたしも、自分なりにもっとしたいことをしようと思って、この高校の教師を辞任することにしました。筑波大学の同じゼミの学生は、みんな研究者になっているのに、わたしひとりが高校教師に・・・。農家をしている父母が無理をして大学にやってくれたので、大学を出たら地元に戻って父母を楽させたいと思って、帰ってきたのですが、吉田先生がたのしそうに仕事をしているのを見て、わたしももう一度、数学を研究したいと思って、今年辞任して、来年、嘱託で高校教師を続けることにしました・・・>。筆者、猛反対したのですが、彼は、その高校教師を辞任してしまいました。

次の年、岩国工業高校から、講師依頼がありました。<インターネットと著作権>について話をしてほしいというのです。筆者、情報処理技術者試験第二種を受験したときに勉強した第一種と第二種のテキストに書かれている程度しかしらないので、工業高校の教師の方を対象に講演するのは無理・・・、と答えたのですが、筆者を推薦してくださったのが筑波大学を出て数学教師をされている教師の方だと知らされて、引き受けることにしました。著作権法に関する一番分厚い本を入手して、それを、マイクロソフトのパワーポイントを使ってスライド形式で講演しました。講演が終わったあと、岩国工業高校の教頭先生が、<吉田先生は無学歴で独学で、情報処理技術者試験第二種を1回で合格されたようです。それで今回、校内の全体研修会の講師をしていただいたのですが、みなさんももっと知識と技術を磨いてください>と話されました。そのあと、岩国工業高校の教師の方全員が大拍手をしてくださいました。

筆者、筑波大学を出られた数学の教師の方に悪影響を与えたのではないかと心配していたのですが、その教師の方の、生き生きした姿を見てほっとしました。その教師の方、きっと、専門分野の数学の研究でいい実績を残されるに違いないと思いました。

猪苗代を一周した年末の買い物・・・

妻が、買い忘れたものがあるといいます。それは、洗濯用洗剤・・・。94歳の認知症の、妻の実家のお母さん、毎日数回うんちとしっこをもらしますので、衣類の洗濯は大変・・・。そのために使う洗剤がなくなったというので、一大事に・・・。

それで、妻とふたりで、40~50cm積雪した庭の雪を流雪溝に流し込んで、猪苗代へでかけましたが、豪雪のため、湖西まわりの道を敬遠して湖東まわりで猪苗代へ向かいましたが、猪苗代湖畔は、<しぶき氷>ができていました。最近は、湖東まわりで猪苗代へ行くことはほとんどありませんので、久しぶりの<しぶき氷>です。

年末とあって、スーパーはお客さんでごった返していました。筆者と妻は、必要なものだけを買ってすぐ湖南に戻ってきましたが、帰り路は湖西まわりで・・・・。最初は湖東まわりのように吹雪が弱かったのですが、走るにつれて、ホワイトアウトとなり、道脇の紅白のポールもほとんど見えない状態になり、時速20kmで走行しました。しかも、延々と・・・。国道294号線に入ってから、妻の実家にたどりつくまでホワイトアウトの連続でした。こんなに長時間、ホワイトアウトの道を走ったのははじめてです。

無事にたどりつけたのですが、庭にとめてあった軽トラを出して、妻の普通車を屋根のある場所に駐車しようとしたところ、吹雪の中、妻が、<あなた、軽トラがバッテリーあがったみたいでエンジンがかからないの!>といいます。どうやら、妻が軽トラのヘッドライトをつけっぱなしにしたためにバッテリーがあがったようです。妻は、<自動車整備工場に電話してみるわ>といいますので、<今日は大みそか、自動車整備工場に電話してもだれも出てこないよ。おれがなんとかしてみる・・・>といって、農機具の小屋から、エンジンスターター機能付き充電器と防水用コードリールをとりだして、エンジンをかけてみました。すると、すぐ軽トラのヘッドランプがついて、エンジンがかかりました。妻は、<あなた、いつこんなことを覚えたの?>と不思議そうに問いかけてきました。筆者、<湖南に帰郷・帰農した年に、このエンジンスターター機能付き充電器を入手したのだけれど、エンジンスターター機能を使うのは今回がはじめて! 使用説明書通りに実施するとエンジンがかかった・・・>と答えました。吹雪の中での作業、筆者、すっかりからだが冷えてしまいました。親指に5mmほどのあかぎれができました。

雪国暮らしに必要な道具・器具、電動工具は、帰郷・帰農した年にすべて揃えましたので、なんとかなります。<備えあれば患いなし>のことわざの通り・・・。年末のしめくくりとしては、上々の出来映えでした。

哲学なき信仰の悲惨・・・

日本基督教団の牧師をしていてであった日本基督教団の牧師たち・・・、当然のごとく神学の専門家・・・。ほとんどの人は、大学を卒業したあと神学校に入って神学をおさめます。学歴はいくつも持っているのが普通・・・。そんな世界で、筆者、無学歴・無資格者として牧師をしてきました。

日本基督教団西中国教区の教会を離れて、日本基督教団の隠退牧師になる最後の西中国教区総会のとき、それまで交流のあった牧師や信徒の方々がささやかな送別会をしてくださいました。そのとき信徒議員のひとりが、<吉田牧師の間違いは、学歴や資格、師弟関係がものをいう世界になにも持たないで入ってきたことだ>と話していました。牧師の中には、<吉田牧師が、西中国教区のために貢献したたったひとつのことは、西中国教区に謝儀の互助体制をつくらせたことだ>と話すひともいました。<「牧師の任地は、神の召命によるものであって、その牧師の学歴や資格に基づくものではない。どの牧師でも、伝道と牧会に専念できるように謝儀体制を整えるべきだ」という吉田牧師の提言は、「謝儀のことで文句をいう牧師は、この教区はじまって以来の暴言だ。神に祝福された牧師は多くの謝儀を受け取り、神に祝福されていない牧師の謝儀は少ない、これはあたりまえでないのか。それなのに、吉田牧師は、不平不満を募らせて言葉にする」と先輩牧師の反感を買い、吉田牧師を排除・疎外するきっかけになった・・・>と話す牧師もいました。

日本基督教団の牧師になるために、農村伝道神学校に入ったときから、神奈川教区の開拓伝道を経て、西中国教区の前任者が自害した教会に幽閉されて30年間を過ごし、「神からも神学校からも見捨てられた無能牧師」と烙印を押されて排除・疎外されてきた筆者の目に映った牧師たちの姿は、<哲学することなき信仰と神学の悲惨>・・・。哲学することがない神学教師や牧師は、その悲惨さに気づいていない、そのことがさらに悲惨さをいやしがたいものにする・・・。日本基督教団西中国教区の先輩牧師たちは、筆者に、<牧師は自殺するくらいがかわいい。どんなに排除・疎外しても、自殺するどころか、悲観すらしない。先輩牧師を理詰めで批判してくる。>と呆れていました。

ヤコブの手紙の第5章、<あなたがたのうちの多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっと厳しいさばきを受けることが、よくわかっているからである>という言葉を1度も読んだことがないのだろうか、と筆者いつも不思議に思っていました。哲学は、自己検証の学,自己批判の学です。自己検証を忘れ、自己批判を忘れたとき、人は教師としての歩むべき道から大きく逸脱してしまいます。

<差別しない>ということと<差別されない>ということと・・・

すべての差別問題について、一般的に言えることですが、差別問題の解消には、<差別しない>ということと<差別されない>ということの二つの側面での取り組みが必要です。

<学歴差別>についても、<学歴差別しない>ということも大切ですが、<学歴差別されない>とうことも大切です。なにごとにつけても、他者を差別しないと気がおさまらないというのは、その人が生きることに自信を持っていない、あるいは持つことができないしるしです。自分の生き方に満足して精神的に充足していれば、他者と比較して、その優劣にしがみついて、見苦しい生き方をするようなことはありません。だいたい、<汝自身を知れ>といわれても、自分自身すら知り尽くすことができないのですから、他者のことをすべてわかっているかのように判断して切り捨てることなどできるわけがありません。哲学することの最大の長所は、哲学するものに人としての謙遜さをもたらしてくれることでしょう。

<私は学歴差別などしない>という人に時々出会いますが、それはほとんど限定的・・・。自分より学歴が下の人に対しては学歴差別はしていないという意味程度で、その人が、その人より学歴が上の人に対して学歴差別から自由になっているかどうかは定かではありません。

現代の高学歴の典型である大学の教授・助教授の方々の講演を聞いたり、話をしたりしていても、ゲーテの『ファウスト』に出てくる4分野、哲学・医学・法学・神学を独学してきた中世的人間である筆者の目からみますと、彼らは、専門分野の知識・学識は豊富でも、専門分野から外れた分野についての発言は、素人ないし素人以下の発言がめだちます。いわゆる<専門バカ>といわれる学歴の信奉者たちです。筆者が尊敬している学者・研究者は、学歴を持つと同時にそれにふさわしい全人格的な教養と良心をもちあわせている方々です。<学歴差別>から自由になるということは、<学歴>をもっている人々に対しても<偏見>や<独断>を持たず、そのひとの全人格をありのまま受け入れるということを意味します。

昨夜、ヤスパースの『哲学入門』をひもといていて、高校生の筆者に、哲学者・ヤスパースが語りかけてきたことに、筆者、深く共鳴したことを思い出しました。ひとが実存的な問いかけの前にたたずみ、それと格闘することになるのは、人生においてたった1回限り・・・。筆者にとっては、中学3年生の3学期のできごとでした。高校受験のための受験勉強をしていたとき、気分転換に新約聖書を読んでいました。その個所は、ヤコブの手紙の第5章、<あなたがたのうちの多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっと厳しいさばきを受けることが、よくわかっているからである>・・・。筆者の夢は、中学校の教師になることでした。その新約聖書のことばを読んでいたとき、ラジオからニュースが流れました。いつもは聞き流しているニュースですが、そのときは、テープを巻き戻して聞くときのように、頭の中に入ってきました。筆者が尊敬し、<あの先生のような教師になりたい>と思っていた教師が、勤務先の中学校の公金横領事件の被疑者として警察に逮捕されたというニュースでした。その日、中学校に行くと、学校全体が騒然としていました。その教師がクラス担任をしていた生徒が集められ、<彼は教師ではない。わたしたちこそ本当の教師だ。動揺しないで、私たちを信頼して、高校受験にのぞんでほしい>と話していました。高校に入ると同時に、筆者、苦悩の日々がはじまりました。学校の教師とはなにか、人を教えるとはなにか、人生にとって大切なものはなにか、ひとはどうしたら罪を犯さないで生きることができるのか、学校の教師になるという希望はほんとうの希望たりうるのか、なぜ学歴をもって罪を犯すのか、父兄や生徒から信頼を受けている教師がなぜ彼らの信頼を裏切るようなことをするのか、教師によって評価された筆者の成績はほんとうに正しかったのか・・・、次からつぎへとわきあがってくる問いに対する答えをもとめて、読書三昧の日々を過ごすことになりました。といって、大学受験のための勉強もしなければなりませんので、教科書に出てくるテキストの原典を全部読むことにしました。ヤスパースの『哲学入門』もその1冊ですが、その『哲学入門』は、高校生の筆者に、実存と実存哲学、哲学的信仰について教えてくれました。それ以来、筆者は、ヤスパースの哲学と『聖書』を、筆者のよりどころとして読み続けることになりました。<学歴差別>についても、<学歴差別しない>ということと<学歴差別されない>ということの両面から常に考えるようになりました。

15歳になったばかりの筆者が経験させられた衝撃は、筆者の生き方を大きく変えることになりました。筆者が人生において追求していくのは、真・善・美のなかの善と美ではなく真であると・・・。ヤスパースの『哲学入門』には、哲学の課題は真理・真実への追究であるとありました。ヤスパースの『哲学入門』は、ラジオ放送で流されたものです。ひとつのラジオ放送が、中学生の筆者を精神的失望とどん底に落とし込み、もうひとつのラジオ放送がその精神的葛藤の泥沼から引き上げてくれました。

2021/12/30

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたときに参加した読書会のメンバー・・・

夜、書類を整理していたとき、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたときに参加した読書会の会員名簿が出てきました。出身大学と学部・学科の項を見て、筆者、あ然・・・! 若気の至りとはいえ、無学歴・無資格の筆者、随分、高学歴のひとと、それぞれが推薦する本を読んで議論をしていたんですね。筆者、3年間、山口県立高校で仕事をしていたことがあります。田布施農業高校大島分校・久賀高校・岩国総合高校・岩国工業高校・岩国高校・徳山高校など・・・。休憩時間にいろいろ議論しましたが、今から考えますと、筆者、<なにだったのでしょう?> 無学歴・無資格の筆者、今となっては、信じがたい生き方をしていたようです。妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農してからは、プロの農家からさんざんバカ農家よばわりされていますが・・・。山口と福島の精神風土・文化水準の違いでしょうか・・・? 月1回、教会に訪問販売にやってこられた下関書店の店主の方、東京大学を出られた方で、明治思想史・明治文化史を研究していた筆者に適切な読書指導をしてくださいました。日本基督教団西中国教区の牧師たちからは無学歴無資格の牧師として排除疎外されていたので、彼らから影響を受けることはほとんどありませんでした。牧師の副業として、山口県立東部高等産業技術学校や山口県東部女性就業センターでパソコンの資格取得講座の講師を10年間していましたが、その時期に、<大学を出たけれど就職できない>時がありました。その時山口県東部女性就業センターに職安から九州大学・広島大学・山口大学の新卒の方々が受講生として、筆者の講座に送り込まれてきました。女性就業センターの主事の方から、<吉田先生、九大・広大・山大を出た人の指導、大丈夫ですか?>と聞かれ、筆者、<私は日本基督教団の牧師です。人間関係は幅広いですから偉丈夫です。高校新卒と国立大学新卒、子育てを終わった主婦が入り混じっても、大丈夫です。>と引き受けました。広島大学を出られた方、<大学で、こんな授業、受けたことはありませんでした。消極的だった私が積極的に人生に立ち向かうことができるようになるなんて・・・>と受講後、感想を話されていました。山口大学で日本社会学会が開催されたとき、差別問題部会の飲み会で、上野千鶴子さんから<あなたの専門は何ですか>と問われて、<私は無学歴で、学歴差別を研究しています>と答えましたが、上野千鶴子さん、<わたしたち、そういうひと、欲しかったんです>。ほんとうに、筆者、<なにだったのでしょうね?>

読書会のメンバー
1.東京大学・日本史(中世史)
2.名古屋大学・理学部(数学科)
3.九州大学・哲学科
4.九州大学・政治学
5.広島大学・国文学(言語学)
6.広島大学・理学部(数学)
7.広島大学・理学部(物理学)
8.大阪外語大学・中国語学科
9.山口大学・西洋史(ワイマール憲法)
10.山口大学・西洋史
11.山口大学・西洋史
12.山口大学・西洋史
13.山口大学・日本史
14.山口大学・文学部(哲学科)
15.大阪市立大学・日本史(鉄の歴史)
16.北九州大学・英語学
17.早稲田大学・日本史
18.明治大学・文化人類学
19.共立女子大学・国文学
20.京都薬科大学
21.同志社大学・社会学
22.同志社大学大学院・社会学
23.関西大学・社会学
24.無学歴・牧師(吉田向学)


隠退牧師の74歳の冬・・・

筆者74歳の冬を過ごしています。

74歳になって、こころとからだ、たましいの健康を与えられて、日々感謝のいのりのうちに過ごすことは、とてもさいわいなことです。願って手に入れることができる類のものではないので、ただただ、主なる神さまに感謝するのみ・・・。

今朝は7:30に起床・・・。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。今日読んだ聖書の箇所にには、日本の武士道とおなじような精神が描かれていました。たとえ敵であったとしても、不名誉な死ではなく名誉ある戦死を追求しようとする、日本の武士道の雛形・・・? 骨肉相争う悲惨な戦いに終止符を打ってそのご300年間の平和を作り出した日本の嵯峨天皇のような存在の原型のようなひとが旧約聖書の中に記されていたとは・・・。

筆者の先祖は、寛永14年(1637)に開山された信州栗田村の真言宗観聖寺、伊勢神宮の神宮寺であった伊勢の世義寺の末寺の世襲が許された住職・修験僧です。武士の殺生与奪の権とは無縁の存在で、民間医療と祈禱によって、村人を生かすことを職務としていたようです。明治11年(1878)、廃仏毀釈、神仏分離、神道国教化の流れのなかで、修験道廃止、祈禱廃止、民間療法廃止により、廃止を余儀なくされた筆者の先祖が、曾祖父の吉田向学・・・。

先祖の過去帳をみると、みんな80~90の高齢でなくなっています。真言宗・観聖寺の跡地に住み、その宗教遺産を継承しておられる長野の吉田さんのご厚意で、『観聖寺文書』を読むことを許されていますが、残された人生の晩年における先祖の生き様には心打たれるものがあります。そうでないと、241年も 、真言宗観聖寺の住職・修験僧で有り続けることはできなかったと思われます。名もなき民間宗教者の先祖たちの歴史に、筆者の歴史を重ねることは、決して無意味ではないでしょう。長野の吉田さんの説では、彼は17世にあたるとか・・・。同じ年代の筆者も17世・・・。うまれながらに身に着けている先祖の生き方は、長野の吉田さんにも、筆者にも受け継がれていっているようです。

今朝、棚田の農業用ビニールハウスと苗代田の簡易温室を見に行った・・・

今朝、棚田の農業用ビニールハウスと苗代田の簡易温室を見に行きました。どちらの屋根の雪も積もっていませんでした。この前の大雪で、農機具の小屋は、60~70cm積雪していたと思われるのですが、屋根の雪はすっかり滑落していました。

棚田の農業用ビニールハウスは、積雪で軽トラで近寄ることはできませんので、舗装され、除雪された農道から望遠鏡でながめただけですが、屋根のビニールは破れていなかったようです。今年はじめて、積雪期に屋根のビニールシートをはがさないでいるのですが、年末年始にかけて、この前と同じような大雪になるようですが、農業用ビニールハウスも簡易温室も、なんとか持ちこたえてくれそうです。

妻のくるま・YARISのフールに、妻の実家の2階の屋根の凍てついた雪が落下してYARISを傷つけたり壊したりしないように48.5mmの軽量単管パイプと横垂木で枠をつくりブルーシートを屋根としてはっていますが、こちらもいままでのところ、問題なし・・・。

48.5mmの軽量単管パイプで、筆者と妻がつくったものは、1.簡易温室、2.育苗用ハウス、3.資材置き場、4.ボウガケセット、5.藁塚、6.柚子の木のための小さなハウス、7.もみすり場、8.車庫代わりのブルーシートの屋根・・・、これからも、48.5mmの軽量単管パイプを使った装置が増えそうです。次につくるのは、あたらしくできた国道294号線のバイパスと、妻の実家の庭の間につくる垣根・・・。

2021/12/29

cocolog の『部落学序説』の Blogger への移行は、296/449文書・・・

法務省通達に基づき、全文書を差別文書と認定して、閲覧禁止・削除処分すると通告してきたgooblog から完全撤退して、Blogger へ移行する作業をしていますが、gooblog 上の『部落学序説』は、改竄されている可能性があったので、『部落学序説』を書き始めたときの cocolog 上の『部落学序説』をBlogger に移行することにして、その作業をしてきましたが、現在再掲予定の449文書のうち296文書を再掲することができました。66%・・・。約3分の2、再掲することができたようです。

Blogger上の『部落学序説』は、本来の章・節・項立てではなく、章単位で、執筆した日付順で再掲していっています。この Blogger上の『部落学序説』は、新書版『部落学序説』・『部落学Ⅰ』・『部落学Ⅱ』・『部落学Ⅲ』をあらためて執筆しなおすときの、筆者の過去の文書の保管庫になります。

『田舎牧師の日記』・『湖南村尻百姓記』・『隠退牧師の晴耕雨読日記』の部落史・部落差別問題関連記事も、『部落学序説・雑記帳』として再掲する予定です。

岩波文庫『旧約聖書・詩篇』の表紙を補修・・・

掃除をしていた妻が、<あなた、この詩篇、表紙がなくなってるわよ。製本テープで補修する?>と問いかけてきますので、筆者、筆者の寝室から、ハサミ、ノリ、製本テープを階下に持っておりて、岩波文庫『旧約聖書・詩篇』の表紙を補修しました。ノートの表紙を転用して表紙にし、糊付けしたあと、製本テープで補修しました。表表紙と背表紙は、見開きのページを切り取って、貼り付けました。

岩波文庫『旧約聖書・詩篇』は、1973年、筆者25歳のときに購入したもの・・・。そのころは、筆者、専門商社の倉敷営業所につとめていましたが、日本基督教団の『聖書講座』5巻、『旧約聖書略解』、『新約聖書略解』、『聖書事典』、『英訳聖書』(NEB)、その他にカルヴィン『基督教綱要』、バルト『福音主義神学入門』、関根正雄『詩篇注解』・『ヨブ記注解』などを読んでいました。

その時点で、筆者の神学的傾向はすでに確定してしまっていたようです。

郡山から戻ると屋根の雪がとけていた・・・

郡山からの帰路、妻と話をしていました。<家につくのは、3時ころ・・・。明日から3日間、寒波がやってきて豪雪になるようだから、家に戻ると、屋根の雪下ろしをしよう・・・>と妻に語り掛けますと、妻は、<わたしも手伝うから・・・>といいます。

小枝坂をおりて、妻の実家の屋根が目に入ってきたとき、妻は、<うわーっ! 屋根の雪、とけてるわ。雪下ろし、しなくてもいいみたい。>と大きな声を出していました。普通車をとめる、48.5mmの軽量単管パイプと横垂木でつくった即席のブルーシートの屋根の雪もすっかり解けていました。

明日の午前中まで曇りの天気のようですから、棚田の育苗用ハウスと苗代田の簡易温室のまわりの除雪ができます。

まごが、「おじいちゃん、だっこ!」

今日、妻とふたりで、郡山のアパートに住む娘夫婦を尋ねました。妻がつくった松前漬け、黒豆の煮物、かずのこと、プロの農家の方にいただいた茨城県産べにあずまのほしいもなどを持って・・・。

筆者、無精とコロナ禍が重なって頭髪が茫々としていたのですが、この前理髪店で短くかってもらいました。いつもと雰囲気が違ったのか、孫の向学ちゃんは、<だれ?>と不思議そうな表情をしていました。筆者、いつもの合図をすると、向学ちゃん、<おじいちゃん、だっこ!>といって、筆者にしがみついてきました。妻が部屋に入ってくると、向学ちゃんは、迷うこともなく、<おばあちゃん、だっこ!>といって、妻に移ってしましました。まごの向学ちゃんは、おじいさんよりおばさんのほうが好きみたい・・・。かえるとき、向学ちゃん、筆者に<ばいばい!>と手を振っていまいした。

まごって、かわいいですね。娘のご主人のおとうさん、電話で筆者に、<初孫って、かわいいでしょう!
>と話していました。<しかも、男の子だから>と話していましたが、娘のご主人は、山形大学の理系院卒、娘は福島大学の文系院卒、孫の向学ちゃんは、どのように成長していくのでしょう?

3年前、イギリス・ロンドン古書店からの取り寄せた、Desmond Morris著 Baby : A Portrait of Amazing First Two Years of Life』 Child: How Children Think, Learn and Grow in the Early Years』、気分転換に読んでみることにしましょう。

2021/12/28

コトバンクのヤスパースの年表から

インターネットのコトバンクのヤスパースの年表をコピー&ペーストしました。筆者が高校生のときに読んだヤスパースの本は、『哲学入門』、『理性と実存』、『実存哲学』、『ニーチェの実存哲学』の4冊・・。哲学書はなにから読めばいいのか、知人から尋ねられたときは、いつもヤスパース著『哲学入門』をすすめていました。『哲学入門』は、ヤスパースの主著、『精神病理学総論』、『世界観の心理学』、『哲学』全3巻、『真理について(哲学的論理学第1巻)』のあとに書かれていますので、ヤスパースの哲学全体の入門書だったようです。

1883 2月23日ドイツ、オルデンブルクに生まれる
1901 ハイデルベルクとミュンヘンの大学で法学を学ぶ
1902ベルリン、ゲッティンゲン、ハイデルベルクの各大学で医学を学ぶ
1908 ハイデルベルク大学精神科助手
1909 博士論文「郷愁と犯罪」。フッサールの講義を聴き、またマックス・ウェーバーと親密な交友関係を結ぶ
1913 『精神病理学総論』で精神病理学者としての地位を確立
1916 心理学担当の員外教授となる
1919 『世界観の心理学』
1920 マックス・ウェーバー死去。故人をたたえる追悼演説を行う
1921 哲学科員外教授
1922 哲学科正教授となり、以後本格的に哲学と取り組む
1931 『現代の精神的状況』、主著『哲学』全3巻
1933 ナチスにより大学運営への参加から締め出される
1935 『理性と実存』
1936 『ニーチェ』
1937 ナチスにより教授職から追放される。『デカルトと哲学』
1938 『実存哲学』、以後第二次世界大戦終了まで沈黙を強いられる
1945 4月アメリカ軍ハイデルベルクを占領。教授に復職、大学の復興に努力する
1947 ゲーテ賞受賞。第二の大著『真理について(哲学的論理学第1巻)』刊行
1948 長年住み慣れたハイデルベルクを去りバーゼル大学教授となる。前年の講義『哲学的信仰』を刊行
1949 『歴史の起源と目標』
1950 『哲学入門』(ラジオ講座)
1957 『偉大な哲学者たち』第1巻
1958 『原子爆弾と人間の未来――現代における政治意識』
1959 エラスムス賞受賞
1962 『啓示に面しての哲学的信仰』
1966 『連邦共和国はどこへ行く?』
1967 『運命と意志』(自伝的作品集)
1969 2月26日バーゼルにて死去

赤色は、高校生のときに読んだ本です。青色は、今年入手した本です。

妻は、もちをついて、松前漬けをつくり・・・

妻は、年末年始のために、電動もちつき機でもちをついていました。そのあと、松前漬けをくつくり、黒豆と青豆を煮て、今日、プロの農家の方にいただいた茨城県産べにあずまのほしいもを小分けにして冷凍保存していました。

妻は、年末に、郡山に住んでいる娘夫婦と孫の向学ちゃんのために、今日つくった料理をお節料理として持っていくのだとか・・・。妻は、<向ちゃん、よろこんでくれるかなあ・・・>とひとりごとを言っていました。筆者、<娘夫婦ではなく、孫の向ちゃんのために持っていくの?>とたずねますと、妻は、<孫がこんなにかわいいなんて、思ってもみなかったわ!>とうれしそうに話していました。もちろん、筆者もかわいいと思います。孫の向学ちゃんは、娘のご主人にそっくりの男の子ですが、時々、娘のあかちゃんのときの顔と同じになったり、娘のご主人と娘の顔が入り混じって融合したような表情をしています。コロナ禍のため、娘夫婦から送られてくる写真を見ながらそう思うのですが、向学ちゃんの写真を見せても、94歳の、認知症の、妻の実家のおかあさん、筆者が、<ひいまごの写真だ!>といっても、おかあさんは、<ひいまご>という言葉が理解できないようです。いつも、<このあかちゃん、太ってんなあ!>というだけ・・・。<ばあさんのひいまごだ!>というと、おかあさん、<うそだ! おらあ、ひいまごなんて生んだためしねえ!> 妻の実家のおかあさん、筆者も、どこのだれやらいまだに分からないようです。娘の妻もわからない・・・。分かるのは、おかあさんの孫である、筆者と妻の娘だけ・・・。

60~70cmの大雪・・・

午前10:30~12:00、午後2:15~3:45、妻の実家の庭の除雪作業をしました。

午前中は、ブロック塀沿いの国道294号線の歩道の雪と、庭に積もった雪を、ハンディラッセルとママさんダンプで除雪しました。午後は、農機具の小屋の屋根の60~70cm積もった雪を専用ラッセルで落として、ハンディラッセルとママさんダンプで片付けました。除雪した雪は、すべて流雪溝に流し込みました。水量が豊富なので、流雪溝に投げ込んだ雪は瞬間に運び去ってくれます。

3:30ころ、50~60羽のスズメの群れがやってきて、筆者と妻の除雪作業が終わるのを待っていました。すずめたちの夕ご飯の時間です。除雪を終えて、餌の玄米をまいて、スズメの鳴きまねをして羽ばたくジェスチャーをしますと、梅の木の枝にとまったスズメたちもさえずりながら羽ばたいていました。

日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、野鳥たちの渡りのルートの下にある教会の庭にはいろいろな野鳥がやってきました。秋のおわりには、すずめの大群がやってきて、あとに、4~5羽のおとなのすずめと、ちいさなこどものすずめ30羽を残して飛び去って行きました。スズメたちは、すぐ近くまで寄ってきていたのですが、福島のスズメは、そういうことはありません。かなり距離を保って、餌を食べにきます。山口のすずめも、福島のすずめも、それなりにかわいいですね。

プロの農家は、敬せず遠ざかるのが一番いい関わり方です。


無学歴・無資格の筆者の Uneducated English の独学用教科書は37冊

無学歴・無資格の筆者の Uneducated English 独学用教科書は37冊・・・。筆者、たとえ筆者の英語が< Uneducated English >であったとしても< English >として英語圏の方々に情報を発信できるというのは、いいことです。アクセスのある海外の国は、アメリカ、ドイツ、カナダ、フランス、インド、ロシア、中国、インドネシア、オランダ。イギリスが表示されていませんが、<そのほか>というのがイギリスのことなのかもしれません・・・。

 
1.辞典類
『岩波英和大辞典』
『Nanzando Medical Dictionary』
『Common Japanese Mistakes in English: Over 600 entries』
『A Dictionary of Unlisted Words』
『New Handbook of English』

2.日英翻訳ツール
『同時通訳』
『Blogger の Translate Powererd by Google 翻訳』
『Editorで使用可能なIME用和英辞典』
『CASIO 電子辞書 EX-word XD-D7100』

3. Thinking in English
『英語で考える本 Thinking in English』
『English Through Pictures Book』(全3巻)

4.Writing in English
『書く英語』(基礎編)
『書く英語』(実用編)
『Google 英文ライティング 英語がどんどん書けるようになる本』
『翻訳に役立つ Google 活用テクニック』
『Google 聞け!英語の疑問を瞬時に解決』 
『ちょっと検索!翻訳に役立つGoogle表現検索テクニック』

5.英語の論文の書き方
『The Golden Book on Writing』
『スタイルでキメる!英語で書く論文・レポート』

『英語論文・レポートの書き方』

6.英作文例集
『The Koudansh Bilingual Encyclopedia Japan』
『Japan:A short History』
『Japanese History with Simple English』
『The World History with Simple English』
『中学英語で日本が紹介できる』
『中学英語で日本の心が紹介できる』
『中学英語で日本の歴史が紹介できる』
『中学英語で日本の伝統文化が紹介できる』
『中学英語で日本の行事が紹介できる』
『中学英語で日本のしきたりが紹介できる』

7.英会話
『ラジオ英会話 Radio English Conversation』
『How to read English』
『実践英語ヒアリング&発音辞典』
『ビートびーと英語術』

8.英書の読み方
『How to read English』

古書集めは今年でおわり・・・

筆者の古書集めは、今年で終わり・・・。

筆者、古書収集mania(熱狂症状)、読書dependence(依存症)..読書abuse(中毒症)でもないので、いよいよ今年で古書集めは終わりにします。

年金暮らし&百姓暮らしの筆者、一挙に書斎の書籍を数と質ともに増強することはできませんでしたので、徐々に、同じ本なら安価なもの、大学の図書館の廃棄本や個人の蔵書印の押してあるもの、書き込みやマーカーがあるもの、箱や帯が欠けているもの、欠号のある著作集などを購入してきました。唯一例外なのが今年2021年の古書集め・・・。価格が万を越しても、読みたい本を入手することにしました。古書集めの最後の花を飾るかのように・・・。

人生の晩年におけるしあわせ、いろいろありますが、読書の世界の拡大は、縮小する人間関係を補ってあまりある豊かさをもたらしてくれます。

今年、日本の古本屋経由で集めた古書は101冊・・・

今年、2021年1~12月までに、日本の古本屋経由で集めた古書は101冊・・・。

これで最後、これで最後・・・、と思いながら、集めた古書の中で、今年集めた古書が一番高価で、73歳の日本基督教団の隠退牧師の筆者のこれからの老後の精神生活を充実してくれる本はほかにありません。ラートブルフはすでに集めているので1冊も入手することはありませんでしたが、ヴィトゲンシュタインとヤスパースの主著はほとんど集めることができました。それに加えて、コセリウやガタマーの主著も・・・。

筆者の老後の、読者のいない<執筆生活>に必要な史資料を入手できました。長い間、筆者の蔵書は3000冊と言ってきましたが、実際はかなり増えていると思われます。でも4000冊にははるかに及ばないので、筆者の蔵書は、3000冊・・・。無学歴・無資格の筆者の書斎も、無学歴・無資格の独学者にふさわしいものになりました。

74歳以降は、あたらに本を購入せず、既に入手した本を通読、精読、分析、総合して、日本の哲学者・野矢茂樹の<語りつくせぬものは語り続けなければならない>の言葉に従って書き続けるのみ・・・。一基督者としての人生の放浪の旅を続ける筆者、<旅の恥は書き捨て>の諺の通り、書き続けることになります。

今朝は、大雪! うれしくなる!

今朝は、8:30に目が覚めました。妻が2階の雨戸を開けて、筆者の寝室に冬の明るい日差しが差し込んできたためです。今朝は、いつもの健康管理と聖書通読をとりやめて、除雪スタイルに着替えて階下に降りました。

すると、湖南のプロの農家の方が・・・。この前妻が、2021年産有機・無農薬栽培のコシヒカリを試食してもらった農家の方ですが、<お米をもらったお礼に>といって、その茨城の親類の農家がつくられたべにあずまの<ほしいも>をたくさんもってきてくださいました。妻は、その量がたくさんだったので、妻が栽培した有機・無農薬栽培のひめのもちを渡していました。<おれいにきたのに、またもらっちゃって・・・>と、その農家、とてもうれしそうでした。

妻が、<すずめさんたちがたくさんきてるわよ。餌場を確保してやって!>といいますので、3か所の餌場を除雪して、2019年産コシヒカリの玄米を散布しましてやりました。

大雪のあとは冬晴れ・・・! 今日は、除雪日和です。積もったまっしろな雪を踏みしめながら、こころがなぜかわくわくしてきました。今朝は、夢の中で、Thinking in English をしていましたので、夢と現の違いを夢の中で認識することができませんでした。夢の中では、筆者、アメリカ人と部落差別について会話することができるのですね・・・。とても、現実ではあり得ないような不思議な夢でした。

2021/12/27

雪の降るなか、猪苗代まで買い物にでかける・・・

今日は、雪・・・。軽トラと普通車が出せるように庭の除雪をしあたと、20cmほど積もった普通車の上のブルーシートの雪を除雪して、妻とふたりで猪苗代へ向かいました。今日は、ホワイトアウトと言うほどではありませんが、準ホワイトアウトの状態で、とても運転しにくい天気でした。コースは、いつもの猪苗代西岸まわり・・・。農道も田畑も山も雪で真っ白、日差しがとどかず、どんよりした灰色がかった風景がどこまでも続いていまいした。

猪苗代湖北岸の岸辺には、無数のカモとコハクチョウがたむろしていました。コハクチョウ、どうしてみんな、あんなけがれひとつない白衣装をみにまとっているのでしょう?雪原のコハクチョウは、雪のしろさにとけこんでしまっている・・・。

『万葉集』には、コハクチョウもオオハクチョウも出てきません。シラトリは2回ほど出てきますが、歌われた情景から、コハクチョウやオオハクチョウではなくコウノトリのようです。筆者が学んだ琴浦西小学校は、創設期は榴浜小学校、明治22年下村と上村が合併して鴻村になったときは鴻小学校と改名され、戦後に琴浦西小学校になりました。その鴻が、『万葉集』に歌われているシラトリではないかと思われます。松の木で連想できるのは、鴻・コウノトリだけ・・・。筆者が学んだ琴浦小学校は、赤色のつばきの花、白色のこうのとり、お琴の柱(じ)を校章にした日本の古風ゆかしき名・・・。児島修験や児島高徳など、天皇家とのかかわりが多い・・・。吉備の児島の榴浜(海石榴浜)にたどりついた熊野修験・・・。筆者が生まれた地は、筆者の祖父・吉田永学がその生涯を閉じた地・・・。コウノトリは、かならず生まれ育った地に帰ってくるすですが、祖父・吉田永学も、父も筆者お、生まれ育った地から遠く離れた場所で生涯を閉じることになりました。修験僧は、旅の僧・・・。その末裔にふさわしい生き方だったのかもしれません。

ネットの世界の放浪の民のひとりとして・・・

筆者、どうやら、ネットの世界の放浪の民のひとりに数えられているようです。

筆者、定住者(Cocolog and Gooblog)から、いわれなき理由で執筆の場所を追われ、ネットの世界を点々と放浪する放浪者のひとりになってしまったようです。<さすらいの一アラム人>の信仰告白を、筆者の自身の信仰告白にしているのですから、ネットの世界の支配者や住人からそう思われても仕方がないのですが・・・。

日本基督教団の中にあっても、筆者は、妻と共に、<さすらいの一アラム人>として生きることを余儀なくされたのですから、日本基督教団の外の世界で、<さすらいの一アラム人>として放浪の民に数えられても拒否しがたいところがあります。しかし、旧約聖書の信仰と神学からしますと、筆者のたちどころは、逆転してしまいます。地上の旅においては放浪者かもしれませんが、天国への旅においては目的と使命をもった旅人であり、決してあてどもなくさまよう放浪者ではないからです。

これまでは有料のブログで書いてきましたが、現在の Blogger は、無料なのに、広告掲載もなく、ブログの管理者によるストーカー紛いの嫌がらせ、ネットハラスメントがないのは、どいうことなのでしょう? 真実を握り潰すネットと、真理を温存させるネットと、いずれ、審判が下されることになるでしょう。


朝の寝室は、マイナス0.2°C・・・

今朝6:00に起床・・・。今朝の、筆者の寝室の温度は、マイナス0.2°Cでした。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。そのあと、ヤスパースの『哲学』(全3巻)の続きを読んでいました。ヤスパースの実存哲学は、筆者の高校生のときから73歳の現在に至るまで、ずっと筆者のものの見方、考え方、生き方に影響を与えてきました。

高校を卒業したとき、家の都合で大学進学を断念し、大阪市立中学校の事務(府費職員)をしていたとき、研修校であった大阪市立瓜破中学校の教師の方から毎日、日教組に入るように勧誘を受けていましたが、筆者は、断り続けました。筆者が目指していたのは、実存的生き方であって、そこから離脱して、なんらかの思想に身をゆだねることはあり得なかったからです。歴史や社会について似通った発想を持っていたとしても、筆者は、哲学しても思想の担い手になることは忌避していました。筆者と妻は、いまだに<思想>とは無縁の生き方をしています。

ヤスパースの『哲学』(全3巻)を精読するのは、筆者が<下手な英語>(uneducated English )で、『Study on Buraku Discrimination in Japan』の文章を書くのとほぼ同じ時間を費やしています。『哲学』は、その日の夜、一日の疲れをもったまま読むときは、表面的、形式的な読み方に留まりますが、疲れがとれた朝読みますと、その行間に込められたヤスパースの真意すら読み取ることができるようになります。哲学を学ぶのは夜でもいいけれど、哲学するには朝に限ります。夕の哲学と朝の哲学、夜の哲学と昼の哲学、生年時代の哲学と老年時代の哲学、無学歴・無資格の筆者の場合、かなり異なります。ヤスパースは、やはり筆者の哲学の師です。もちろん、ヴィトゲンシュタインやラートブルフも同じ、筆者にとっては哲学の師・・・。その他にもカント、デカルト、パスカル、アミエル、ニーチェなどもいますが、ヤスパースは別格・・・。



2021/12/26

今夜の9:00、積雪量は10cm・・・

夜の9:00頃、庭の雪がどれだけ積もっているか、確認しました。わずか10cm程度・・・。思ったほどには雪は積もっていませんでした。

戸外に出てみると、雪も風も止んでいました。しかし、底冷えがするほど寒い・・・。天気予報では、雪が降るのはまだこれから・・・。とりあえずは、午後3:00までに積もった雪は除雪しましたので、安心・・・。

夜、『Think in English』を読む・・・

夜、松本亨著『Think in English 英語で考える本』を読んでいました。

この本は、筆者が若かりし日、倉敷市の某医学研究所付属病院で臨床病理の検査に従事していたとき、医局の英語の医学書・医学雑誌などを読むときに参考にしていた独学用英語のテキストです。検査に使用する化学薬品や試薬のアレルギーが顕著になり、病院を辞めざるをえませんでした。そのあと、ドイツの専門機器を扱っている商社の倉敷営業所に勤務しましたが、そのとき採用試験は、辞書なしで英書が読めるかどうかというテストでした。そのテストに合格して無事その営業所に勤めることになったのですが、筆者の担当は、イタリアのリモルディ社製の縫製機器のMissionary Salesman の職務でした。中四国の商工会議所を回り、市場調査をしながら、販売の可能性のある縫製機器の英文のカタログを翻訳して販促に用い、代理店から注文をとってくることでした。納品した機器の技術説明書もすべて英文でしたので、代理店の技術の担当者が工場に修理にでかけるときは、いつも筆者に同行を求めてきました。工場長の前で修理するのに、英文のマニュアルを辞書を引きながら読んでいると、<あんた、ほんとうに英文が読めるのか?>と不安にさせるので、辞書を引かないで直訳して教えてほしいというのです。それで、筆者、英文のカタログや技術説明書を正確に速読する方法をマスターしました。読み間違うと、修理どころか、さらに機器を壊してしまいますので、真剣勝負そのもの・・・。筆者、一度も誤訳したことがありませんでしたので、得意先の代理店の社長や技術の責任者の方から信頼されていました。機械音痴の筆者が・・・。

松本亨著『Think in English 英語で考える本』は、Sweden Covenant Mission の宣教師、カーリン・アッセルヘード先生が、thinking in English をみにつけるために紹介してくださった英書の『English Through Pictures Book』(Ⅰ~Ⅲ)と共に、筆者の独学用の教科書でした。

人生の晩年における独学であまり意味がないのは、語学であると、ある本に書いてありました。英会話は、その典型的なもので、筆者はこれまでの人生の中で、英会話が求められ場面は数回しかありませんでした。学習しても意味がないものの典型・・・。しかし、writing in English は、『部落学序説』を英文であらためて書き直すために、即、必要な技術です。学ぶために学ぶのではなく、使うために学ぶ語学になります。thinking in English とwriting in English は、73歳の筆者にしてなお身に着ける価値のある英語力になります。

今日、除雪作業を終えた後、松本亨著と『英語で考える本 Thinking in English』を通読していました。

無学歴・無資格の筆者の英作文、gooblog のあまり日本語が通じない担当者によって、法務省通達にもとづき、gooblog 上の筆者のブログの全文章を差別文書と認定し、閲覧禁止・削除処分にするとの通告を受け、その担当者によって勝手に筆者の文書が削除されはじめたので、gooblog 上の筆者のブログを閉鎖しました。それで、筆者、執筆場所を Blogger に移して、執筆を再開したのですが、そこで知った、Blogger の <Tranlate Powered by Google 翻訳>IMEに組み込むことができる和英辞書同時通訳ソフトCASIOの電子辞書を使って、自由に英作文ができるようになりました。

筆者、無学歴・無資格、高等教育を受けていませんので、筆者が書く日本語の文章も、無学歴・無資格の極み・・・。そんな筆者が、まともな英語の論文を書くことなど、最初から不可能なので、居直って、下手な英語で書き続けると宣言しました。今日、
今日、除雪作業を終えた後、松本亨著と『英語で考える本 Thinking in English』を通読していて、そんな筆者にふさわしい英語が存在していることを知りました。それは、日本語で書いた論文を英語に翻訳するのではなく、最初から英語で論文を書くこと・・・。松本亨は、最初から英語で論文を書くと<いかにまずくても本物>の英文になるといいます。松本亨は、<模倣英語ではなく、uneducated Englishであれ!>といいます。uneducated English は、無学歴・無資格の筆者の英語にぴったりあった言葉です。

夜になっても雪が降り続いている・・・

夜になっても雪が降り続いています。今夜から明日朝にかけて、大雪になるそうです。

妻のふるさと・湖南の赤津村では、1日で1m積雪した日もありましたから、今日、40cm積雪した庭の雪をすべて除雪しました。毎日除雪しないと、雪が積もり積もって大変なことになります。

ゆきやこんこん、あられやこんこん
降っても降ってもどんどん積もる
いつのまにやら、戸をあければ
そとはまっしろ、雪の壁・・・

冬の除雪作業、雪国くらしにあこがれていた筆者には、たのしいひととき・・・。湖南の赤津村で一番ちいさな農家と言われる、妻の実家の庭も一番狭い・・・。だから、こんなこと口ずさめるのでしょうね、きっと・・・。明日は、妻の実家のおとうさんが、<せっかく、おまえらがここさもどってきても除雪が大変で出て行くといってはなんねえから、家庭用除雪機を買っておいた>と話していた除雪機で除雪します。整備点検と試運転をして、ガソリンを満タンにしていますから、たぶん問題なく稼働させることができると思います。

今年はじめて、除雪するための新しいルートを設置しましたが、これまで以上に快適に除雪できるようになりました。近隣の農家との除雪をめぐる葛藤から解放されて、妻も安心したようです。

大雪になりそうなので、40cm深さになったとき除雪作業・・・

今日は一日としんしんと雪が降っています。大雪になりそうなので、午後2:00~3:30まで、妻とふたりで除雪作業をしました。ハンディラッセルとママさんダンプを使っての作業ですが、国道294号線のバイパス工事のため、妻の実家の家と庭の東、南、西側に除雪する場所がなくなったので、流雪溝を設置してくださいました。ほかの農家が上流に雪を捨てて用水路をふさぎ用水路に雪を捨てることができなくて毎年何度も困っていましたが、近隣問題も一挙に解決してしまった流雪溝、いつでも除雪した雪を捨てることができるようになりましたので、毎年半日がかりで除雪作業をするところ、40cm深さでも1時間半ですますことができるようになりました。

除雪したあと、2019年産有機・無農薬のコシヒカリの玄米をすずめたちの餌場にまいてやりました。すずめたち、梅の木の枝に群がって筆者と妻を見降ろしていましたが、玄米を散布したのを見張り役のすずめ2羽が群れにつたえると、寒すずめの群れ、一斉に小躍りしてさえずって喜んでいました。<おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう!>と言ってるかどうかはわかりませんが、毎年の積雪期の筆者とすずめたちのコミュニケーションのしきたりとならわしです。

すずめたちが餌を食べにくる時間3:30にまにあいました。妻はすずめたちに、<あなたたち、早く食べないと、餌が雪に埋もれるわよ!>と語り掛けていました。

下松愛隣教会はもう存在しない・・・

筆者、65歳になると、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会を辞任して、妻のふるさと、東北福島の湖南の赤津村に帰郷・帰農することに決めていました。

少しずつ、そのための準備をしていたのですが、準備といっても、田舎暮らし・百姓暮らし・山郷暮らしに関する情報収集と、山口県の中国山地沿いの村をドライブしたとき、その農家のおじいさん・おばあさんから聞き取り調査をするくらい・・・。郵便局長をリタイアしたと、本州唯一のなべつるの飛来地、山口県熊毛郡八代村で、有機・無農薬さ売で米と野菜を栽培している教会員のご夫婦が、<牧師が山口の地を去っておくさんの福島に行ったとき、福島の農家からかならずバカにされる。米ひとつつくれない、バカ農家だって・・・。それは、わたしたちの恥にもなるから、牧師さんが福島の地で有機・無農薬でコメをつくれるように知識・技術を提供しなければ・・・>と他の教会員にも働きかけて、牧師である筆者の<農民化>・<百姓化>プロジェクトがスタートしました。

筆者、3年間、山口県立田布施農業高校大島分校(園芸科)で仕事をしていたことがありますが、そのとき、鹿児島大学農学部の大学院まで出られて山口県立高校の教師をされ定年後嘱託をされていた教師の方から、福島に帰郷・帰農してからの寒冷地農法についていろいろアドバイスを受けました。

そのほかに、教会員の兵庫県に住む親戚のぶどう栽培農家と山口県の被差別部落出身のひとといわれるぶどう栽培農家の方から、有機・無農薬でぶどうを栽培する方法を伝授されたり、山口県北の独り暮らしをされている農家のおばあさんから老後の暮らし方を教わったりして、東北福島の妻の実家に帰郷・帰農した年からすぐ、有機・無農薬でコメと野菜の栽培をはじめ、最初の年から収穫をすることができました。<山口の地に30年住んた牧師が、福島に行ってコメひとつつくれないというのは、牧師だけでなく、山口の基督教信者の農家にとっても恥だ>と言っていた彼らの期待を裏切ることなく、筆者と妻は、有機・無農薬栽培で米と野菜をつくりはじめました。

実際に、65歳が近づいて、教会を離れる時期がきたころ、教会員の方々は、<わたしたちは、もう思い残すことはありません。前任者が自害して、希望なき教会になったこの教会に、吉田牧師は30年近くとどまって牧師をしてくれたのだから・・・。最後にひとつお願いがあります。この教会を離れるときに、この教会を解散手続きをしていってください。>と話しかけて来られました。筆者がその教会の牧師を辞任して隠退牧師になり、その教会をはなることは即、宗教法人の解散手続きをして教会を解散することを意味するようになりました。いろいろ話し合って結果、1.筆者は退職金を放棄すること、2.宗教法人としての固定資産・流動資産は、すべて包括団体である日本基督教団に、東日本大震災の被災にあった東北教区・奥羽教区の教会の再建のために指定して譲渡すること・・・。<戦後、日本が経済的復興をなしとげたのは、知識・技術があればこそ、吉田牧師はすでに知識・技術を身に着けたので、東北福島でも隠退牧師として生きていける>と判断されたためです。「吉田牧師がこの教会を離れるとき、この教会から1銭ももちださせない!」と繰り返し主張していた被差別部落出身の教会員の<きもち>を忖度したためでもあります。

日本基督教団西中国教区の山口でのちいさな教会の牧師をしていたときの30年間の伝道と牧会については、おもしいろい本を1冊書くことができます。前任者が自害した教会のさまざまな問題について・・・。その他にもう1冊、被差別部落出身の教会員が半数をしめていた教会の中のさまざまな問題について・・・。1.同和対策事業と似非同和行為について、2.部落解放運動の陽と陰について、3.被差別部落出身の牧師について、4.被差別部落出身信徒の師弟とキリスト教主義大学進学について、5.被差別部落出身者である教会員の被差別部落の青年の部落解放運動に対する弾圧について、6.被差別部落におけるキリスト教の葬儀について、7.被差別部落出身の教会員の事業に必要な資金の連帯保証人にならなかった筆者に対する他の教会の牧師たちからの批判について、8.筆者を排除・疎外する日本基督教団の牧師の息子の部落民であることのカミングアウトにいて、9.筆者を排除疎外していた牧師が隠退後に被差別部落の中に建てた住居について・・・、1冊どころか数冊の本が書けるような内容です。人間の罪と悪と欲が混然といりまじったどろどろした世界・・・。そのなかで、筆者がであった、部落解放同盟山口県連の新南陽支部の方々は、そのどろどろした世界に美しく清らに咲いたハスの花・・・! 学習会でであった、被差別部落の人々の、差別されても差別を跳ね返して生きてきた生き様を語る笑顔・・・、山口の父を離れて時が経てばたつほど、その笑顔をくっきりと思い浮かべることができるようになっています。

法務省通達に基づく、プロバイダーによるインターネット上の部落差別問題に関するブログ・ホームページの問答無用的な閲覧禁止・削除処分は、よくもわるくも、被差別部落に関する情報をすべて抹消しようとする現代的な<焚書坑儒>以外の何ものでもありません。日本基督教団隠退牧師の筆者、1.~9.について文章化して本にすることはありません。部落差別の、被差別部落出身者の、被差別部落出身のキリスト教信者の<陰>の部分について記録することはありません。しかし、山口で筆者がであった部落解放運動の<陽>の部分については、『部落学序説』として、『The Study on Buraku Discrimination in Japan』として語り続けていくことにしています。ヴィトゲンシュタインの日本の研究者である野矢茂樹曰く、<語り得ぬものについては、語り続けなければならない>。 

筆者、部落差別に関して差別者として糾弾会の席に立たされたり、裁判の席に立たされたりした場合、弁明すべき多くのことを持っている・・・。そのとき、筆者、問いたい。<あなたがたは、ほんとうに被差別部落出身者なのか? 被差別部落出身者であるというなら、まず、そのことを証明してほしい。>と。訴えるひとが、真正の、近世幕藩体制下の司法警察官である<穢多>役の末裔であると認めることができたら、真摯に対話をすることになる・・・。精神的・非精神的を問わず、似非同和行為であるなら、逆に人権侵害として告発する・・・。筆者、糾弾会や裁判の席を、被差別部落の人々を差別の鉄鎖につなぎとめる差別思想・賎民史観を徹底的に批判し、それを主張して私腹をこやす左翼思想の学者・研究者・教育者を批判する場にする・・・。


今朝は、積雪15cm・・・

今朝は6:00に起床・・・。筆者の寝室の温度は、マイナス0.4°C・・・。机の上のコップの水は凍っていませんでした。机の上のコップの水が凍っていなければ、朝、目が覚めたとき、部屋を暖房する必要はありません。

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、被差別部落出身の教会員が、<被差別部落出身の教会員には、冬でも暖房できない人がいます。それなのに、牧師が冬暖房の効いた牧師館で過ごすのはよくありません。牧師は、被差別部落の教会員より、貧しい生活をすべきです・・・>と主張して、教会の予算から冬の暖房費を削除してしまいました。妻は、<そんなこと、わたしにはできません。牧師館は暖房します>と言っていました。それを聞いた被差別部落の出身の教会員は、<あなたのおくさんは、この教会の牧師夫人にふさわしくありません。すぐおくさんとこどもを離縁して、この教会から追い出してください。そして、わたしたちが指名する被差別部落の女性と結婚してください。そうすれば、わたしたちは、牧師さんを一生支えて行きますから・・・>と語り掛けてきました。筆者、<それは、聖書に書かれている、主イエスさまの教えに反します。離縁することも再婚することも、罪になりますから、できません>と答えると、<わたしたちの要望を聞き入れない牧師のいる教会にもう献金はしません>といって、教会の礼拝に出ることもやめ、献金することもやめ、教会と筆者、そして妻と娘について、あることないことを噂で流して、嫌がらせをしていました。筆者は、教会員のだれが被差別部落出身者であるのか、関心がありませんでしたので、そのまま放置していましたが、やがて、半数の教会員が主日礼拝に出席することも、献金することもやめ、日本基督教団の他の教会へと移って行きました。教会役員会は、信仰者の所業としてふさわしくないとして、日本基督教団の他の教会に転籍を認める薦書を交付しませんでした。日本基督教団の他の教会と牧師は、筆者が被差別部落出身の教会員を差別しているといって、その職権で、彼らを教会員として転籍させました。冬でも暖房できないで寒さに耐えているという被差別部落出身の教会員を尋ねますと、晩秋のはじめに、そのひとのいる部屋はむんむんするほど暖房が効いていました。役員会でその話をすると、<差別されて貧しい生活を強いられているかどうかは、個人的主観の話し、気にする必要はありません・・・>と話していました。しかし、筆者、教会員を形而下的な原因で躓かせてはいけないので、冬、教会の書斎で仕事をするときは、一切、暖房はしていませんでした。妻が、<それでは、からだをこわしてしまうので、湯たんぽを使ったら?>と言って、頭寒足熱用の湯たんぽを入れてくれたので、山口にいる30年間、冬の書斎はそれで過ごしました。教会会計の方と、礼拝堂で教会総会の年度報告をつくるとき、<牧師さん、暖房しなくていいですよ。牧師さんは、暖房しないで書斎で仕事をしているのでしょう。わたしも牧師さんと同じ年齢だし、牧師さんより元気ですから>といって無暖房の礼拝堂で作業しはじめたのですが、1時間後には、彼は冷えで体の調子がくるって、何度もトイレに通っていました。筆者、<あまり無理をなさらないでいいですよ。わたしは、慣れていますから平気ですが、あなたは、そうでないようですから・・・>といって暖房をつけました。

筆者、30年間、無暖房の書斎で仕事をしていましたが、それにからだがなれて、隠退牧師となって、奥羽山脈の懐に抱かれた、高冷地・寒冷地の雪国、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農したときも、その寒さを寒さと感じることはありませんでした。妻の実家の書斎は、暖房することができましたから・・・。湖南の人は、<温かい地方から引っ越してきて、ここは雪が深くて寒いでしょう?>と語り掛けてきましたが、筆者は、<冬は、西日本でも東日本でも寒いですよ。変わりはありません>と答えるのが常でした。

筆者と妻に、無理難題をふっかけてきた、その被差別部落出身の教会員は、彼女を受け入れた他の日本基督教団の教会の牧師と役員会によって、精神病院に入院させられました。その話をその教会の牧師から聞かされたとき、その理由を尋ねました。すると、彼女は、筆者が牧師をしている教会で、筆者と妻に無理難題をふきかけたのと同じ無理難題を、その教会と牧師にふきかけていたことが、精神病を疑わせる要因になったようです。それを聞かされたとき、筆者、<かわいそうじゃないですか。そういう言動は、彼女の生来の言動であって、精神病的症状ではないと思うのですが・・・。あなたと教会は、いとも簡単に彼女を切り捨てるんですね・・・。>と批判的な対応をしてしまいました。筆者、いなかる理由であっても、教会員や求道者を、排除・疎外したり、切り捨てたことはありません。すべては、主なる神さまにゆだねることが常でしたから・・・。

筆者は、今は隠退牧師・・・。教会のない、教会員のいない場所に身を置いていますので、<キリスト教信者>や<教会員>の人間関係に煩わされることはなくなりました。それと比べますと、湖南のプロの農家の、筆者と妻に対する批判や嫌がらせ、誹謗中傷・罵詈雑言は<カエルの面に小便>、<馬耳東風>程度・・・。自然の寒さも、人の心の寒さも、感謝して受けるなら大したことはありません。

2021/12/25

地下の対語は・・・?

夜、三浦周行著『法制史の研究・上』(昭和18)と『法制史の研究・下』(昭和19)の表紙を製本テープで補強しました。

そのあと、パラパラめくっていて、目にとまったのが、戦国時代における<地下人の義務>という文章に出てくる<地下>の対語・・・。

<地下>と<隣郷>がセットで出てきました。<jige>⇐⇒<ringou>・・・。戦国時代には、身分概念としての<地下>ではなく、<隣郷>の対語の<自郷>(jigou)がなまってそれが<地下>という既に古語となっていた漢字があてがわれたのではないかと推察しました。

地下人:自郷人 自分の村の住民
地下侍:自郷侍 自分の村の侍
地下医:自郷医師 自分の村の医師

長州藩の『地下上申』・『防長風土注進案』から、こんな表現が推測できるかもしれません。

地下穢多:自郷の穢多 地下人の中から司法・警察役に任命された穢多

インターネットで検索すると、<戦国期の郷村においては有力層を指す「地下人」の呼称が存在する。>そうです、『法制史の研究・下』には、<領主地下人等をして・・・義務を負はしめたりき>とありますが、その義務は、折衝与奪の権をともなう犯罪者の取り締まり、逮捕、処罰、それから街道の整備・警備、竹木の無断伐採・田畑を荒らす所業の取り締まり・処罰など・・・。おおむね、近世幕藩体制下の司法警察である穢多の役目と同じ・・・。刀狩による兵農分離が行われた結果、地下は、折衝与奪の権を持つもの(非常のの民:村方三役・穢多役)と持たないもの(百姓・僧侶・神主)とに分かれたようです。わかれても、非常の民(非常・民)も常の民(常・民)も同じひとつの<地下>(自郷)に属して共に生きていた・・・。その推測が的を得ているとしたら、近世幕藩体制下の<穢多>は、<村方三役>と同じ、<戦国期の郷村においては有力層>の末裔・・・。

今日は、来客がふたり・・

今日は、来客がふたりありました。

ひとりは、プロの農家の方・・・。この前、妻が、2021年産有機・無農薬栽培のコシヒカリを少しくおすそ分けした農家です。彼は、家族でコシヒカリを試食したあとの感想を話して行ってくださいました。化学肥料・農薬・除草剤を多用してコンバインで刈り取ったコシヒカリと、有機・無農薬栽培でバインダーで刈り取り天日干ししたコシヒカリは、全然味が違うこと、甥ごさんは、ひとりで1合も食べたとか・・・。有機・無農薬栽培のコシヒカリは、おにぎりにして冷めたときもおいしいおにぎりであったとか・・・。<有機・無農薬でコメを栽培するのは大変でしょうが、こんなに美味しいコシヒカリがとれるなら、これからもずっと有機・無農薬で作り続けたほうがいいですよ。>といって、帰って行かれました。

ぶたり目は、KUBOTAの湖南営業所の担当者の方、来年のカレンダーをもってきてくださったのですが、この12月で、湖南営業所を退職することになったとか・・・。定年退職後、嘱託で勤めておられたのですが、その嘱託もこの12月で終わりとか・・・。2013年、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して、生まれてはじめてコメつくりをはじめましたが、帰郷・帰農した年は、筆者65歳、妻57歳でした。それなのに、最初から有機・無農薬でコシヒカリを栽培できたのは、KUBOTAの湖南営業所の担当者・KOYAMAさんがいろいろ知識・技術を伝授してくださったからです。筆者、こころから感謝・・・。

午後、書斎の本の整理・・・

午後、カールバルトの『Church Dogmatics』、あちらこちらに分散されていましたので、書斎に集めました。

ついでに、ラートブルフの著作集も一か所に集めようとしたのですが、11冊のうち3冊が見当たらない・・・。それであちらこちら探したのですが、とうとう見つけることができませんでした。最近、目を通したことがありますので、どこかに紛れ込んでいるのでしょう。

日本基督教団の隠退牧師になり、山口の地を去る時に、日本の神学者・牧師の書いた本はほとんどすべて廃棄しました。妻のふるさと・湖南にもって帰ったのは、英書と独書の神学書ばかりですが、原書は10数冊程度で、あとは英訳・邦訳本ばかり・・・。山室軍平と賀川豊彦、江原万里と島村亀鶴の本は例外的にもって帰りました。そのほかの説教集や、筆者の説教原稿はすべて破棄しました。前任牧師が自害した教会の再建に30年の歳月を費やしたにもかかわらず、結局、宗教法人を解散しました。そんな牧師の説教、筆者自身も残す必要はないと思いましたので・・・。

Sweden Covenant Mission の教会史はもちろん、神学校時代を過ごした阿佐ヶ谷東教会の歴史は、神学校を出たあとの最初の任地・神奈川教区の開拓伝道や、西中国教区で30年間伝道と牧会に従事した教会の歴史にも、筆者の名前は記載されることはなく、闇から闇に葬り去られていますので、筆者の説教を残す意味はありません。それに、筆者の説教は、社会問題(天皇制問題・基地問題・自衛官合祀訴訟問題・部落差別問題)に触れることなく、聖書の福音的解き明かしに終始していましたので、残す必要のある説教はひとつもありません。

筆者は、主なる神さまによって、なぜ、西中国教区のちいさな、しかも希望なき教会に派遣されたのか、最近、筆者、筆者にとっての<長介とはる>は、彼らだったのだと思うようになっています。

バルト著『キリスト教倫理』(Ⅰ~Ⅳ)の表紙を補修・・・

 昨夜、バルト著『キリスト教倫理』(Ⅰ~Ⅳ)の表紙を補修しました。この本は、バルト著『教会教義学』第3巻第4分冊の<翻訳紹介>です。筆者は、バルト著『教会教義学』は、原文ではなく、安価に手に入り、筆者の英語力で読むことができる英訳の『Church Dogmatics』は、全巻揃えていますが、<Volume Ⅲ The Doctrine of Creation Part Four>を要約・紹介したものが、バルト著『キリスト教倫理』(Ⅰ~Ⅳ)です。

表紙がばらけてしまいましたので、本の補修用テープで表紙を補修しました。

尊敬しているひとりの部落解放運動家・・・

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会に赴任した年、西日本新聞の記者の方に紹介されて、高校教師、小・中学校教師、新聞記者、郷土史家、宗教者によって構成された読書会に参加することになりました。

西中国教区の牧師・信徒は、無学歴・無資格の牧師である筆者に極めて排他的で、疎外・排除するのが常でしたが、その読書会は、自由に発言でき、意見交換ができる場所でした。筆者の番になったとき、筆者が選んだ本は、鹿野正直著『日本近代化の思想』(講談社学術文庫)でした。他の読書会のメンバーから同和教育に関する本が紹介され、議論したことがあります。その読書会に参加していた、京都大学大学院を出られた日本文化史研究者の方が、筆者が、部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加することになったと話したとき、筆者にこのようなことをアドバイスしてくださいました。彼は、京都大学大学院で大阪の日雇い労働者について研究していたそうです。それで、彼は、一人の日雇い労働者になって、他の日雇い労働者と同じ生きたをして彼らを観察していたそうです。あるとき、他の日雇い労働者と一緒に電車に乗っていたとき、京都大学大学院のほかの院生に出会い、<君は、日雇い労働者の服装をして何をしてるんだ?日雇い労働者の研究はどこまですすんでるんだ?>と問いかけられたとか・・・。日雇い労働者の前でその素性を明らかにされた彼は、それまで親しくいろいろな話をしてくれた人々から相手にされなくなり、彼の京都大学の院生としての研究は頓挫してしまったとか・・・。彼は、そのことを話ししながら、<吉田さんが被差別部落に入ってその学習会に参加するなら、絶対に自分を偽ってはいけないよ。被差別部落出身ではないのに、被差別部落出身者であるかのようにふるまっても、すぐメッキがはがれてしまうから。そしたら、被差別部落の人々の相手にされなくなる。ありのまま、自然体でかかわるのが、研究者にとって一番いいあり方だ・・・>とアドバイスしてくださいました。

それで、筆者、はじめて被差別部落の学習会に出席したとき、<わたしは、被差別部落出身ではありませんが、今、日本基督教団西中国教区の部落差別問題特別委員会の委員をさせされています。本を読んだだけではよくわかりませんので、この学習会に参加させてもらって、被差別部落の人々の声を直接聞かせてもらうことにしました>とあいさつしたのですが、そのとき、その学習会の主催者である部落解放同盟新南陽支部の書記長さんが、<わたしも、被差別部落出身ではありません。山口大学で勉学していたとき、この被差別部落出身の、山口女子大学の学生と知り合いになり、結婚して、一緒に部落解放運動をしています>とあいさつされました。彼は、学校の教員の息子でしたが、親に対する反発から、被差別部落の女性と結婚して部落解放運動に関与するようになったとか・・・。彼は、つれあいが抱えている歴史や伝承、喜怒哀楽を<すべて引き受けて共に生きる>ことにしたと話しておられました。彼という存在がなければ、筆者、『部落学序説』を執筆するまでに深く被差別部落とかかわることはなかったでしょう。筆者は、彼が集めた山口県の被差別部落に関する史資料のコピーの提供を受けました。部落解放同盟新南陽支部の書記長さんは、いまも、筆者が尊敬している部落解放運動家のひとりです。

彼は、筆者のことをよく<破戒僧>であると言っていましたが、伊勢神宮の神宮寺であった伊勢の世義寺の末寺、信州栗田村の真言宗観聖寺の住職・修験僧の末裔である筆者が、日本基督教団の牧師をしていたのですから、紛うことなく、筆者は<破戒僧>でした。しかし、筆者、部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加するようになって、単なる<破戒僧>ではなく、被差別部落の人々を差別の鉄鎖につなぎとめる差別思想・賎民史観の<破壊僧>になっていました。そのころの筆者の祈りは、<イエスさま、イエスさまが現代日本の社会を歩まれていたとしたら、どこを歩まれていたのでしょうか? わたしにその道を教えてください。わたしは、イエスさまのうしろすがたをみながらついていきます・・・>というものでした。筆者は、一キリスト教徒として、一牧師として、その部落解放運動に関与していましたので、2013年隠退牧師になり、東海村の原子力発電所に出稼ぎで働いていたことがる妻の実家のおとうさんが、東日本大震災・原発事故による放射能汚染に大きなショックを受け2012年1月1日に心臓発作で急逝しました。生前、<湖南が放射の汚染されていたらもうここに帰って来なくていい。放射能で苦しむのは、おらひとりで十分だ>と話していましたが、筆者、<何があっても帰ってくる。放射能汚染を無化して田畑で有機・無農薬でコメと野菜をつくる>と答えていました。日本基督教団の隠退牧師となり、山口の地を離れ、遠く離れた福島の妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農していますが、山口の被差別部落の人々との交流はなくなりましたが、隠退牧師と言え牧師は牧師・・・、一キリスト教徒として、一牧師として、差別思想・賎民史観の<破壊僧>で有り続けています。

筆者は、『孤独な群衆』の著者 Riesman がいう、<レーダー型人間>ではなく<ジャイロスコープ型人間>ですので、定めた目標、部落差別完全解消という目標に向けて、自律的に飛び続けています。

読みたいと思っても入手できないヤスパースの本・・・

筆者が読みたいと思っても入手できないヤスパースの本に、『アーレント=ヤスパース往復書簡』があります。インターネットで検索しますと、アーレント=ヤスパース往復書簡 1』についてこんな記事がありました。

<作品紹介

男女二人の思想家のあいだの膨大な文通をあますところなく収録した思想史上初の書簡集。1巻では、学位論文「アウグスティヌスにおける愛の概念」のやりとりにはじまり、亡命国アメリカと敗戦国ドイツの現状分析、『罪責問題』と『全体主義の起原』の相互の著作の進行状況や批評、パレスティナ問題をめぐる議論、マッカーシズムのはじまりなど、1926‐1953年の150通を収録。対話から生まれた戦後世界への透徹した批評と真の思索の姿を読みやすく伝える、魅力つきない希有の書である。

蓮さんの感想 2014年1月28日

21歳のハンナ・アーレントがヤスパースに哲学を学んでいた、ハイデルベルク大学時代からの往復書簡全433通。1巻はその内150通を収録。教え子と教授が、次第に哲学者同士の友情に成り代わってゆく。ナチスに職を追われ終戦後に全財産を失うヤスパースへ、アーレントは亡命先から食料等を送る。やがてヤスパースも国外亡命。互の論文、著作、様々な哲学者達について活発な意見交換を繰り返す。妻がユダヤ人のヤスパースと、ユダヤ人のアーレント。「ユダヤの過去もアメリカの過去も、自分のものであるかのように騙し取りはしない」が印象的>。

以前にも、筆者のブログの中で書いたことではありますが、ヤスパースは生粋のドイツ人、その奥さんゲルトルートは生粋のユダヤ人・・・。ふたりはお互いの人格と精神を尊重し、それぞれの立場から真摯に哲学を遂行します。ヤスパースは、妻のゲルトルートのユダヤ人として持っている歴史や経験を自分のものとして同化することはありません。同化することなく、お互いの人格と精神を尊重し、人間を非人間的な差別から解放しようとします。その哲学的背景が実存主義・・・。無学歴・無資格、学問的哲学とは無縁の筆者も、ヤスパースの哲学することの真摯さに同調するがゆえに、自らの歴史を自ら担いつつ他者の歴史を尊敬の念をもって知ろうとします。明治政府によって切り捨てられた人々に、修験道の僧侶・修験者がいます。筆者の祖父・吉田永学の先祖は、1637年(寛永14年)に開山された信州栗田村の真言宗・観聖寺の世襲の住職・修験僧の家系です。しかも、筆者はその長男系列の直系・・・。キリスト教を国教とする欧米諸国に列するために明治政府がとった神道の国家宗教化のための諸政策、神仏分離、廃仏毀釈、修験道廃止、祈禱の禁止、民間医療の禁止
などによって、観聖寺が末寺をつとめていた、伊勢神宮の神宮寺である伊勢の世義寺が廃寺に追い込まれ、その末寺も廃寺に追い込まれます。明治政府によって切り捨てられ、塗炭の苦しみを味わわされた修験の末裔として、筆者には、同じく明治政府によって切り捨てられた江戸時代の司法・警察官であった<穢多>役とその末裔に対して<共感>を持つことができるのかもしれません。ひとはそれぞれの歴史を担っていきるべきであって、他者の歴史を自分の歴史であるかのように搾取・詐欺することは許されない。日本基督教団の牧師の中には、被差別部落出身でないのに、被差別部落出身をなのって部落解放運動にかかわるひとも多い。筆者とは、相容れない牧師のあり方です。

昔も今も、そしてこれからも同じ信仰の道を歩む・・・

今朝は、6:00に起床・・・。いつもの健康管理をしました。今朝の最高血圧は114、最低血圧は76、脈拍数58、呼吸数16/分、体温36.0°C、体重60.6kgでした。そこから計算して、脈圧差は38、平均血圧は89。1週間移動平均の脈圧差は41、平均血圧は91でした。

そのあと、『英訳聖書』(NSRV)を通読しました。今日、読んだ聖書の箇所は、聖書の神に対する信仰者の信仰告白の中枢部分の言葉でした。筆者が、高校生のときから拠って立つところのことばです。ヤスパースの哲学的表現で言えば、神は<包括者>であるとの信仰告白のことばでした。

そのあと、ヤスパースの『哲学』(全3巻)の精読の続きをしました。日本の差別思想家である学者・研究者・教育者がつくりだした、被差別部落の人々を限りなくおとしめ、彼らを差別の鉄鎖につなぎとめる、そうすることで、国や行政から同和対策事業費をせしめようときの根拠となる差別思想・賎民史観をどのようにして切り崩すか、類推可能な哲学的考察が書かれていました。

ヤスパースの哲学、高校生の時に読んだ『哲学入門』以来、筆者のものの見方、考え方だけでなく生き方においても大きく影響してきました。そのヤスパースの主著を読むのは、筆者、73歳の高齢になってから・・・。若かりし日に、ヤスパースの主著を読んでいたとしても、筆者のものの見方、考え方、生き方は変わることはなかったことでしょう。12歳の中学1年生のとき新約聖書を読み、15歳の高校1年生のとき旧約聖書を読み、16歳のときヤスパースの『哲学入門』を読み、17歳のとき、聖書の神を神として生きることを決断して、高校の近くにあったSweden Covenant Mission の教会で宣教師から聖書を学び洗礼を受けて日本的基督者になった筆者・・・、73歳の今日まで、1度も迷い出ることなく同じ道を歩んできました。

2021/12/24

わたしの思考は・・・複製・再生でしかない。

ヴィトゲンシュタインの言葉・・・

<わたしの思考は、厳密にいえば、複製・再生でしかない。わたしがそう考えるとすれば、それは、ある意味で正しいように思われる。思想の運動というものを、わたしがつくりだしたことなど一度もないのではないだろうか。それはいつも、だれかほかの人から、もらってきたものにすぎない。・・・わたしのつくるもの、それは、新しい比喩だ。>

ヴィトゲンシュタインにして、<わたしの思考は・・・いつも、だれかほかの人から、もらってきたもの>と言わしめるのですから、無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者が、ほかの人が書いた本を読んで、自分なりの視点・視角・視座から見直してまとめることは、当然といえば当然・・・。筆者以前のひとが誰も言っていないことを筆者が語り始めるようなことがあったとしたら、それは、筆者が現実の世界から逃避して虚構の世界の住人となったときのことであって、筆者の語ることは何の意味ももたなくなる・・・。筆者が、<いつも、だれかほかの人から、もらってきたもの>を受け入れ、自分の中に取り込み、自分の思考と分かちがたいほど吸収してしまっているとしたら、それは、それで、独学者にとって健全なしるしであると思うのですが・・・。

ヤスパース著『真理について』第1~3巻が届く

今日、インターネットの日本の古本屋経由で注文していた、ヤスパース著『真理について』第1~3巻が届きました。

筆者がこの『真理について』を入手しようと思ったのは、ヤスパース著『哲学への道』のなかで、ヤスパース自身が<私の著作>として、以下の著作を紹介していたためです。

1.『精神病理学総論』
2.『世界観の心理学』
3.『哲学』
4.『哲学的論理学』・・・第1巻『真理について』
5.『世界哲学史』・・・『ニーチェ』・『デカルト』

今回、『真理について』(日本語版は5冊に分けられている)を入手したことで、ヤスパースの主要な著作はすべて集めたことになります。ヤスパースは、<主著の周辺に、もろもろの小篇が類別的に存在>しているといいます。筆者が入手した本の中で上記の本に加えるものがあるとすれば、それは『哲学的信仰』・・・。

ヴィトゲンシュタインの著作も、ほぼ同じような集め方をしました。ヴィトゲンシュタインについては、日本の哲学者・野矢茂樹の著作も集めましたので、ヤスパースの著作の集め方とは少しく異なります。法哲学者のラートブルフについてはその著作集を全巻入手しました。この著作集は、国立金沢大学図書館の廃棄本です。

3人の哲学者の著作を読めるというのは、73歳の日本基督教団の隠退牧師である筆者にとっては、とてもしあわせなことです。3人の哲学者は、無学歴・無資格、学問的哲学とは無縁の筆者を排除・疎外することはありませんから・・・。3人の哲学者の器の大きさは、無学歴・無資格の筆者をも包み込む包容力がありますから・・・。

法務局、プロバイダーに1200件余りの削除を要請・・・

 インターネットでニュースを見ていたところ、NHK関連のサイトにこのような記事がありました。

<法務省によりますと、全国の法務局に寄せられたネット上のひぼうや中傷などに関する相談は平成30年以降、去年10月までにおよそ2万件に上っています。
このうち1200件余りは、法務局がプロバイダーなどIT事業者に削除を要請しましたが、およそ3割は事業者が要請に応じず、実効性の確保が課題となっています>。

これって、法務省が、インターネットの記事1200件について、具体的にプロバイダーに削除命令を出して、プロバイダーに、ユーザーに閲覧禁止・削除理由を説明することなく、問答無用で
削除させたということ・・・?


このNHKの記事では、法務省は、Googleとも連携して、部落差別を助長する記事を削除させると宣言したことになっていますが、いったい誰が、どのような責任のもとで、差別文書として認定することになるのでしょうか? 過去のマスコミの例では、差別者が差別者の差別発言についてコメントし、そのコメントがまた差別的な発言であったりする例は少なくありません。
法務省の役人が、部落差別的体質を持っていた場合、なにが差別文書であるのかないのか、適切な判断ができず、反差別を唱えたり、部落差別完全解消を唱えるの記事まで差別文書として削除させてしまう、言論の自由を害う人権侵害を犯しかねない・・・。部落差別に関する運動団体は、同和会(自民党系)、部落解放同盟(旧社会党系)、全解連(共産党系)、全国連(新左翼系)と政治的背景はまちまちですが、<呉越同舟>的に、雑然と共存する運動団体の意見を聞いて、ネット上の発言を封じるなどというのは、ただただ混乱を引き起こすことになるのではないでしょうか? 法務省は、<まず隗より始めよ>ではありませんが、法務省の内なる差別者を摘発・排除すべきではないでしょうか?法務省が、自らをただすことができなければ、国民をただすことは決してできないと思います。

プロバイダーによって、全文書を差別文書であると認定され、閲覧禁止・削除処分に処せられたひとりとして、そう思わざるをえませんが・・・。

探しに探してやっとみつけた・・・

今朝から、星野隆明著『実践英語ヒアリング&発音辞典』と松本亨著『書く英語』(基礎編・実用編)を探していたのですが、なかなか見つけることができませんでした。

猪苗代での買い物から帰ると、再度、探しはじめたのですが、筆者の寝室のパソコンの机の上に置いてありました。灯台下暗しのことわざを地で行っている筆者、やはり、寄る年波にはかてず、ということでしょうか・・・。

『実践英語ヒアリング&発音辞典』は<アメリカン・イングリッシュの「音の辞典」>だそうですが、たとえば、<ring a bell>は、日本人には、<リンガベオ>と聞こえるそうです。発音するときも、<リンガベオ>といえば、アメリカン・イングリッシュを話す人には、<ring a bell>と聞こえるとか・・・。筆者、ほとんど英会話をする機会はありませんので、この辞典の日本風発音記号が正確であるのかどうかの判断はできません。

自分で書いた英語の文章を、自分で読み直すとき、目で読むだけでなく、声を出して読みますが、そのときの読み方は、できる限り、British English ではなく American English で発音するようにしていますが、筆者の耳と口を使った英語はほとんど役にたちません。

明日はホワイトクリスマスになるかもしれません・・・

今朝娘から、妻のスマホに電話がありました。天気予報で、湖南は大雪になるとか、聞いたので、<今日、買い物に行った方がいいわよ>とか・・・。それで、妻は、猪苗代町へ買い物にでかけることにしたようですが、何日も、中国共産党ひきいる中国が世界制覇のために生物兵器として開発したとされる武漢ウイルス(コロナウイルス)、ここしばらく、福島県内での発生はなかったのですが、今日は、10人感染したとか・・・。そのうち9人は会津若松市在住の人・・・。あとの1人は、郡山市に南方の町・・・。妻は、必要なものを買ったらすぐ帰ってくるといって、筆者と2人ででかけました。認知症の、94歳の、妻の実家のおかさんの介護用品と黒猫黒兵衛のキャットフードを購入、ドラッグストアで、老人性乾燥肌用のクリームとかかとの角質を取り除くためのクリームを購入、スーパーで食品を購入して帰りました。

今日はクリスマスイブなので、妻がケーキを買って帰ろうといいますので、筆者、不二家のケーキを見に行ったのですが、安くて400~500円、少しく豪華なカップケーキは750円・・・。妻のいる場所まで戻って、<クリスマスケーキは高い! おかあさんのケーキは、この100円のケーキ、おれは、こちらの140円のケーキ・・・>といいながら選んでいると、スーパーの若い定員さん、微笑んでいました。猪苗代では、マスクをしていないひとはひとりもいないので、当然、その店員さんもマスクをしているので、その笑顔を見たわけではありません。しかし、目が笑っていました。妻も、140円のケーキを選んでいました。

妻が食料品を選んでいる間、筆者は、衣料品売り場を散策・・・。1枚1,580円の暖シャツを見つけました。売れ残りの2枚・・・? しかし、サイズと色が筆者にぴったりだってので、購入することにしました。妻は、<あなた、これいいわね。あたたかそうだし。この冬は厳しいというから、2枚余分にあったほうがいいわね・・・>と話していました。冬用の衣料品は、猪苗代町で買うのがベストです。雪国ならではの、安価であたたかい防寒用の衣類を売っています。もちろん、中国製ではなく、東南アジア製です。下の天気予報の表は、Googleで検索した会津若松の25~28日までの天気です。雪マークの日々です。







英文読解力をみにつけるために読んだ本は・・・

筆者がまだ若いときに、英文読解力をみにつけるために読んだ本は、松本亨著『私がすすめる英書の読み方 How to read English』と『英語で考える本 Thinking in English』、英会話は、NHKラジオ『ラジオ英会話 Radio English Conversation』と『English Through Pictures Book』(全3巻)。

『English Through Pictures Book』(全3巻)は、Sweden Covenant Mission の宣教師カーリン・アッセルヘード先生から、<thinking in English>を独習するためのテキストとして紹介されたものです。目でみたもの、置かれた状況を、日本語を経由しないで、直接英語で把握するためのテキストです。

妻は、<あなたは音痴だけど、歌が好きでよくくちずさんでるでしょう? それと同じ、あなたは、英語の発音は下手だけれど、書くように話すことはできるでしょう? あなたの歌はジャイアンの歌と同じで誰も耳を傾けてくれないけれど、いいんじゃない? 自分さえ楽しければ・・・。あなたは、いざというときは英語で会話ができるから、いまのままでいんじゃないの?>といいます。

筆者の英語力は、自己満足の極み・・・? でも、いいんじゃないですかね、どんなに下手な英語でも、自分の主張を英語で表現できるようになれば・・・。

ヤスパース著『真理について 4』が届く

昨日、インターネットの日本の古本屋経由で注文していた、ヤスパース著『真理について』(全5巻のうちの4巻目)が届きました。数回に分けて送られてくるようですが、<在庫切れの場合は、すみやかに返金します>という追記が少しく気になるところ・・・。まだ、ヤスパースの『哲学』(全3巻)を精読している最中ですので、少々遅れても、入手できればそれで可・・・。

昨夜インターネットの日本の古本屋経由で、入手可能なヤスパースの本をチェックしてみたところ61種類にのぼりました。筆者がこれまで入手したのは、そのうち23種類・・・。筆者は、哲学者・ヤスパースの哲学書そのものを研究しようとしているのではなくて、ヤスパースの哲学的なものの見方、考え方を私淑しようとしているのですから、すでに入手した23冊で十分・・・!

2013年に、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農する前までは、筆者は、近くに大きな公立図書館があって、読みたい本を自由に読むことができ、必要に応じて、書店や古本屋で本を購入することができました。しかし、妻のふるさと・湖南の赤津村は、東北の奥羽山脈のふところに抱かれた、高齢化・過疎化の進む地・・・。そのような地に身を置いていると、本や読書が限りなく遠ざかってしまいます。それで、筆者、インターネットの日本の古本屋経由で、必要な古書を集めて、それまで持っていた本とあわせて、3000冊を超える書斎をつくりあげました。

無学歴・無資格の筆者の独学のための書斎・・・。独学は、一朝一夕にならず・・・。人生の晩年、読書するのは、引退する前に読んだことのない本を読んで、あらたな知識をみにつけるためではなく、隠退するまでに読んできた本の内容を、より充実し発展し、総合するため・・・。筆者は、それを<新井白石流読書法>と名付けています。クリスチャンの詩人で、学校教師であった八木重吉の<祈>の一節、<ゆきなれた路のなつかしくて耐えられぬようにわたしの祈りのみちをつくりたい>という言葉のように、<ゆきなれた路>を年老いても歩き続けることができるように・・・。

2021/12/23

工事中の簡易温室の夏野菜の播種は・・・

来年、2月に予定している、簡易温室の中での、夏野菜の種子は、簡易温室の中に、さらに温床とトンネルをつくって播種、育苗することにしました。

妻にその計画を話しますと、妻も、<その方がいいわ。今年、播種した環境よりずっといいんですもの>と喜んでいました。今年、夏野菜の播種と育苗につかったミニ温室の枠組みは、解体しないでそのまま温存していますが、やはり、ミニ温室より、4m×5mの広さの簡易温室の方が安心できます。

簡易温室の二重化工事は、来年の春に延期・・・

国道294号線のバイパス工事のため、解体・移転になった、妻の実家の庭の簡易温室、2020年に解体・移転して、48.5mmの軽量単管パイプと横垂木で骨格をつくり、ポリカ波板の屋根をつけました。そして、今年2021年には、環境の窓を設置し、屋根以外の部分にポリカ波板をはって、外装工事を完了させることができました。そして、来年年明けに、簡易温室の二重化工事をするために材料をそろえていたのですが、この冬は大雪になるとかで、妻の実家の庭に青空駐車している、妻のくるまYARISのルーフやドア、サイドミラーに、2階の屋根から凍てついた雪、氷が落下して破損してはいけないので、48.5mmの軽量単管パイプと横垂木で枠組みをつくり、屋根にブルーシートをはりました。そのために、簡易温室を二重化するための横垂木を全部使ってしまいました。

ヤスパース著『真理について』(全5巻)を20,000円で購入しましたので、予算がくるって、簡易温室の二重化は、来年の春以降に延期することにしました。今年は、気温が低く、戸外で作業することは難しいので、たとえ材料が手に入っても、簡易温室の二重化工事は、来年春以降に延期することになる可能性が大きいのですが・・・。

英語でどんどん書けるようになるために2冊の本を読むことにした・・・

夜、英語で文章がより自由自在にかけるようになるために、蔵書の中から、2冊の本をピックアップしました。

1.遠田和子著『Google 英文ライティング 英語がどんどん書けるようになる本』
2.松本亨著『英語で考える本』

前者は2009年に出版された本で、後者は1968年に出された本です。筆者が20歳のときです。筆者にとっては、とても懐かしい本ですが、今読んでいるのは、2年前に、インターネットの日本の古本屋経由で入手した1991年の改訂14版です。著者の松本亨は、はしがきに、このように記しています。<私は、日本の英語教育の将来を考えるときに、、現在の行き詰まりを打破して、日本人が生まれながらにして持つ能力と伝統的な努力心によって、自由に英語を使いこなせる日が一日も早く来ることを願ってやまない>。

それから、53年・・・。73歳の筆者に、英語で自由に文章が書ける祝福の時がやてきました。初心に立ち戻るために、2.を読み、GoogleのAPPSを使用して、英語で文章を書くための最新の技法をみにつけるためのに1.を読むことにしました。

英会話は、なんども挑戦しましたが、話す相手がなくて、いつもとん挫しました。しかし、英語で文章を書いたり論文を書いたりするのは、独りでできます。ドイツ語の日本語訳ができる環境は、英語と同時並行で構築していったのですが、ドイツ語で文章を作成することは、筆者には、100%不可能です。ツールを使って翻訳しても、それが正しい独文であるかどうか、チェックする語学力を持ち合わせていませんから・・・。英語は、それが可能です。

筆者の人生の晩年、楽しいものになりそうです。

英語で文章を書いていたけれど・・・

今日は、一日、『The Study on Buraku Discrimination in Japan』に、<Review of Buraku History 4/13>の表題で、文章を書いていました。日本語で文章を作成するときと同じで、あれこれ考えながら英語で作成していきます。こどものころから文章を作成することが苦手な筆者は、日本文であれ英文であれ時間がかかります。

ただ、上手な英文を書くことをやめて、<下手な日本語の文章は下手な英語で書き直すべき>と決心してからは、英語で文章を作成することがスムースにできるようになりました。夕方、下手な英語で文章を書くための本10冊にさっと目を通していました。

David Lambuth 著『The Golden Book on Writing』には、<この本は修辞法の教科書ではない。文章を書くうえでの実用的なアドバイスを集めて1冊の本にしたものである>とありました。また、石山宏一著『Common Japanese Mistakes in English : over 600 Entries』には、<日本人として日本語思考回路が出来上がっているところに、別の言語体系をつくり上げるのは、非常に困難なことである。どうしても日本語的思考方法が混じってしまいがちである。これを便宜的に「日本的英語」という・・・。本書の狙いは、したがって、日本人が気づかずに日本的発想によって英語を考えている点を指摘することにある。もちろん、外国語を操るわけであるから、native speaker のような厳密性を要求することはできない。許容範囲というものがある。それをわきまえつつ、英語が英語として通じる最低条件、換言すれば、それさえ守れば英語として成り立つ条件>が紹介されているとか・・・。2冊の本は、上手な英語の文章を書く技術ではなく、日本人が下手な英語で文章を書く技術を提供してくれている入門書であるといえます。どちらの本も、1986年に徳山市の駅前の書店で購入したものです。

1986年といえば、筆者が、富士通のワープロ・マイオアシスの辞書を改編して、日本語ワープロを日英翻訳ワープロに改造した年です。それから、37年後、自由自在に英語で文章を作成できる環境を手に入れたようです。近世の古文書のくずし字も読めることができるようになったし、この歳まで、あきらめないで独学を続けてよかったと思うこの頃です。

2021/12/22

英語で論文を書くための本を読む

 夜、英語で論文を書くための本を数冊読んでいました。

小学生のころから、文章を書くのが苦手で会った筆者、今も苦手なままです。書いた文章も、自分でも下手くそだと思います。これまでにもなんども上手に文章がかけるよう努力をしてきましたが、いつも失敗に終わりました。そんな筆者が、英語の適切な表現の論文などかけるはずがありません。きちんとした英語で文章がかけるようになってから『部落学序説』の概要を英訳しなければらないとしたら、そのこころみは、計画倒れに終わってしまうことでしょう。それよりは、下手な英語でも、英語で『部落学序説』の概要をあらためて書き直したほうがよいのではないかと思うようになりました。あきらめというか、いなおりというか・・・。

Google APPS のマニュアル本を読み直す・・・

今日の午後、Google APPS のマニュアル本7冊を読み直しました。

gooblog の担当者から、法務省の通達に基づき、筆者のブログ『部落学序説(再掲)』と『隠退牧師の晴耕雨読日記』の全文章を差別文章として認定し、閲覧禁止・削除処分にすると通告を受けて、緊急避難的に、筆者のブログを Blogger に移行しました。そのとき、Gooblog を使いこなすために、GoogleのAPPS と Googe の検索機能と翻訳機能を使った、英文の論文の書き方の勉強をはじめました。今、<Blogger Translate Powered by Google 翻訳>機能を使って、『Retired Pastor's Peasant Diary』と『The Study on Buraku Discrimination in Japan』を、筆者の下手な英文で書いていますが、今日の午後、1か月1週間の試行錯誤による経験をあしがかりにして、GoogleのAPPS の使い方と Googe の検索機能と翻訳機能を使った英語による論文の書き方を、再度、確認しようと思って、関連本を読んでいました。

数日前、書庫を整理して、英文和訳、英語による論文の書き方などの本を数十冊取り出していつでも読めるようにしましたが、目下、参考になりそうなところを読み漁ることになります。ストレスを感じることなく、英語で自由に文章を書くことができそうです。これまで数十冊の本を読んできましたが、英語で文章を書くこころみは、富士通のワープロ・マイオアシスの辞書を和英辞書に改編して、英訳ワープロとして使っていたことにはじまります。今は、筆者の30代の当時と比べて格段に充実した<英訳ワープロ>が存在します。それから、いつのまにか、40年の歳月が過ぎてしまいました。その40年の歳月は、無学歴・無資格の筆者に英語で文章を自由に書く能力を付与してくれたようです。

ゲーテは『ファウスト』の中で、<飛びたいと思う精神に翼がともなうのは容易なことではない>と綴っていますが、英語で文章や論文を書くことができるのは、筆者にとっては、<精神に翼がともなう>のと同じことを意味します。

古い上着(cocolog)よさようなら、悲しい夢(gooblog)よさようなら・・・。Blogger で手にすることができた精神のつばさで羽ばたきながら、地上の泥沼の中で頭をつっこんでもがいているバッタの姿(法務省通達とgooblogの担当者の理不尽な対応に困惑する筆者)を見降ろしながら、くちずさんでいます。さあ、差別なき社会をいのり求めて、羽ばたいて行きましょう。

下手な英語で書きはじめたけれど・・・

部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会が運営する『ジゲ戦記』に、いまだに掲載され続け営る筆者の講演録『吉田向学講演録』(2009/1/16)の英訳をはじめていますが、<はじめに>と13回に分けて掲載された文章のうち、やっと、<はじめに>と1~3回分まで英訳することができました。

Study on Buraku Discrimination in Japanは、言語を日本語ではなく英語にしています。英語圏の人々が読むことを前提に翻訳していますので、日本の被差別部落問題についてほとんど何も知らない方々に情報提供することになります。そのため、はじめて日本の部落差別について触れる方々にも分かるように、英訳というより、英語で書き直す作業をはじめました。筆者の下手な日本語の文章と、日本語そのものが持っているあいまいさを、適切な英語に翻訳するのは、非常に難しいと思わされています。いっそのこと、英訳するより、下手な英語で書き直したほうがいいのではないかと思って、書き始めたのですが、どうなることやら・・・。これまでの書いた下手な英語でも、筆者のいわんとすることが伝わるのであれば、これからもどんどん、英文で『部落学序説』の内容を紹介していきたいと思っています。


ヤスパース著『真理について』(全5巻)の前払い代金を振り込む

昨日、郵便局から、インターネット経由で注文していたヤスパース著『真理について』(全5巻)の前払い代金20,000円を振り込みました。これで、筆者、ヤスパース著『真理について』(全5巻)を、筆者の蔵書にして読むことができるようになりました。

今朝は、6:30に起床、いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読したあと、ヤスパースの『哲学』(全3巻)を読んでいました。高校生のとき、倫理社会の教科書に紹介されていた哲学書のうち、高校の図書室や、通学路にある公民館の図書室にある哲学書を読んでいました。現代国語や古典に引用されている本もほとんどすべて通読しました。筆者が高校生のとき600冊の本を読んだというのは、教科書と授業と連動して読んでいましたので、読書が勉強のさまたげになることはありませんでした。

哲学史を学ぶということと、哲学するということとは、まったく異なる精神的いとなみですが、筆者は、哲学することを身につけるために哲学史を学んでいました。古書店で、波多野精一著『西洋哲学史要』の大正15年版を見つけて購入、それを丸暗記はじめました。哲学史は覚えることができますが、哲学することは、高校生の筆者にとってはとても難しい課題であるように思われました。73歳になって、ヤスパースの『哲学』(全3巻)や『真理について』(全5巻)を精読しながら、みずから哲学をすることができるのは、筆者にとっては、とても幸福感と充実感を味わうことができるひとときです。高齢時代を生きるのも、まんざら捨てたものではなさそうです。

2021/12/21

あなた、今日は郡山にいくわよ!

朝、妻が、大きな声で、<あなた、今日は郡山に行くわよ!>と話しかけてきました。筆者、<買い物・・・?>と答えますと、妻は、<買い物もあるけれど、あなたは理髪店に、わたしは美容室に行くの! 年末になると、お客さんで込むでしょう。だから、今日が最後のチャンス・・・・>だといいます。

実際に郡山にでかけたのは、妻が、家事と介護をすませたあと・・・。11時に家をでました。しかし、つまの目論見は外れて、理髪店と美容室は、お客さんでいっぱい・・・! 筆者の妻の調髪がおわったのは、午後1:30ころ・・・。筆者の方が1時間早く済んだのですが、筆者、近くにあったコンビニで筆者と妻のおにぎりとお茶を買って、くるまのなかで昼食をとることにしましたが、そのときハプニングが・・・。コンビニを出て、理髪店&美容室の駐車場に戻ろうとしたとき、軽乗用車がすごいスピードで筆者に向かって突進してきました。ブレーキとアクセルを間違えたようでした。そのとき、不思議なことが・・・。子供の頃から病弱で運動の苦手であった筆者、突然、瞬間移動したかのように、そのくるまを避けることができたのです。それができなかったとしたら、筆者、間違いなく、ブレーキとアクセルを踏み間違った軽乗用車に轢かれていたことでしょう。

ホームセンターとスーパーで必要なものを購入して湖南に戻ってきたのは、午後4:00・・・。妻は、<いつもの通りに、家に戻ることができて、ほんとうによかったわ。年末年始は、みんなこころが不安定になって何が起こるかわからないから、気をつけないといけないわね・・・>と話していました。例年は、年末年始に無謀運転をするのは高齢者が多いのですが、今年はなぜか若い人が多い・・・。今年の年末年始は、高齢者より若い人々にとってせちがらい世の中になっているのでしょうか・・・。

2021/12/20

独学者のひとりに数えられた吉田向学

この前、インターネットで、<独学>と<部落学序説>をキーワードとして検索していたところ、<読書メモ「独学で歴史家になる方法」(礫川全次)>という文書にこのような記事がありました。

<ブログを研究日誌として活用。毎日。①日下部文夫「UBIQUITOUS」、②吉田向学「部落学序説」、③松岡正剛「千夜千冊」、④中山太郎「日本巫女史」>

それで、インターネットで礫川全次著『独学の冒険 浪費する情報から知の発見へ』を注文しました。それが今日届きましたので、さっそく確認したところ、こんな文章がありました。

Q19 知人からブログの開設を勧められた。やってみる価値はあるか。
A15 結論から申しますと、ぜひ、ブログを開設されるようお勧めします。以下にその理由を述べます。(略)
第5に、ブログは、出版の代わりになりうるということがあります。仮に、あなたが、研究の成果を本という形で出版しようとしていて、それが容易に実現できないでいるとします。そういう場合には、思い切って、その研究の成果を、ブログ上に公開されてはいかがでしょうか。現に、インターネット上には、1冊の本に相当するような研究がいくらでも存在します。私が過去に「通読」したことがあるものを挙げますと、吉田向学さんの『部落学序説』、巫女装束研究所校訂・中山太郎著の『日本巫女史』などです。


どうやら、『部落学序説』の筆者である吉田向学も、独学者のひとりに数えられたようです。それを妻に見せると、妻は、<あなたの『部落学序説』、いつまでも読めるようにしたほうがいいわね。礫川さんというひとが、わざわざあなたの『部落学序説』を紹介してくれているんですもの・・・>と目を丸くして話していました。

2013年、日本基督教団西中国教区のちいさな教会の牧師を辞任して、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農したとき、教会からの退職金はなし・・・。しかも、西中国教区の中で、初任給にもはるかにみたない謝儀で清貧生活をしてきた筆者、少ない年金で老後をくらすために、生まれてはじめて、経験もなく、標高550mの湖南高原の棚田の田で有機・無農薬でコシヒカリ・はえぬき・ひめのもちの栽培をはじめましたので、多くの時間と労力を費やし、ブログ上の『部落学序説』はほとんどそのまま放置することになりました。2015年に出版された礫川全次著『独学の冒険』が目にとまることはありませんでした。

この秋、gooblog の担当者から、ネットハラスメントと思わ得る対応を受けました。筆者の『部落学序説(再掲)』と『隠退牧師の晴耕雨読日記』を、法務省の通達にもとづき、全文書を差別文書として閲覧禁止・削除処分にするとの問答無用の通告を受けました。それで、筆者、今回で3度目のブログの引っ越しをしました。緊急避難的に、執筆の場所をBlogger に移しました。今、Blogger 上で、以下のブログを書いています。

ヤスパース著『真理について』(全5巻)を注文・・・

今日、インターネット経由で、ヤスパース著『真理について』(全5巻)を注文しました。価格は、20,000円・・・。

『真理について』は、これまで古書価格が高くて手が出さなかったのですが、全5巻で20,000円の『真理について』の古書をみつけましたので、迷わず注文しました。古書店に在庫が実際にあるかどうかはわかりませんが・・・。とりあえず、『真理について』の入手を具体化しはじめたことだけは確かです。古書集め、これが最後、これが最後と何度も決断し直しながら、とうとう、12月下旬の発注となりました。年金暮らし&百姓暮らしの筆者にとっては、清水の舞台から飛び降りるような決断でした。言論統制・言論弾圧下の哲学者ヤスパースの哲学と、戦後の言論の自由下での哲学者ヤスパースの哲学の違い・・・、それは、その哲学の内容の違いではなく語り方の違い・・・。ヤスパースの哲学は、日本基督教団の隠退牧師である筆者の、人生の晩年における座右の書です。

この冬はじめての、本格的な除雪作業

午前10:00~12:00、この冬初めての、本格的な除雪作業をしました。

まずは、妻の実家のブロック塀の国道側の歩道の雪をハンディラッセルとママサンダンプで片付けました。国道294号線のバイパス工事によって、妻の実家の庭の雪の捨て場がなくなると設計段階で訴えたところ、流雪溝を設置してくれました。その流雪溝に、庭の雪を運んで流し込みますと、アッという間に水路に飲み込んでくれます。

今年は、妻のくるまのために、ひさしをつくりました。2階の凍てついた雪がくるまのルーフやドア、サイドミラーに落下して傷つけたり壊したりしないようにブルーシートのひさしをつくったのですが、祖の枠組みにつかった48.5mmの軽量単管パイプの柱が邪魔をして、庭の奥の雪をママさんダンプで運ぶことができません。それで、今日は、庭の奥の、農機具の小屋の前の雪は、バイパスの側道をママさんダンプの通路に利用させてもらって流雪溝に捨てることにしました。

国道294号線のバイパス工事で、暴風雪の雪の流れが変わって、吹き溜まりになる場所が変化しています。この冬で、その傾向を把握することができると思います。吹雪の流れが分かると、それにそった除雪作業をすることになります。集落にある14軒の家と庭、除雪方法は、各家各様・・・。自分の家と庭にあった除雪法を考案する必要があります。

今朝、ヤスパース著『哲学的信仰』を読み始める・・・

今朝は6:30に起床、いつもの健康管理のあと、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。そのあと、ヤスパース著『哲学的信仰』を読み始めました。ヤスパースの大著『哲学』(全3巻)の、筆者にとっては難解な、しかし、理解してしまえば、筆者ととても親和性のある哲学書と違って、『哲学的信仰』は、最初からすんなり筆者の頭の中に入ってきます。

もし、筆者、大学進学の夢が叶えられていたとしたら、国立大学のいずれかの哲学科に入って、実存哲学を研究していたことでしょう。いろいろな実存哲学者の中で、とくにヤスパースの研究をしていたと思われます。その願いはとうとうかなえられることはありませんでした、73歳の今、ヤスパースの哲学書を、インターネットの日本の古本屋で買い漁り、自由に読むことができるようになったことは、筆者の若かりし日の夢に少しでも近づいたことになるかもしれません。

筆者の聖書主義、敬虔主義、合理主義、相対主義的信仰を、いささかも傷つけることなく、むしろ、その信仰への思いを新たにしてくれます。高校生のとき、哲学書に触れ、こころひかれ自分で考え始めたその原体験が、源流となって、今も筆者の生き方の中に流れ続けています。

2021/12/19

虚偽の傾向に順応しないために・・・

今朝、ヤスパースの『哲学』(全3巻)を読んでいました。

人間の認識が<虚偽の傾向>に偏向して行っているとき、単に<区別を意味するに過ぎない>ものが、<生活心情の存在意義の表現たらしめる>ことになるそうです。

たとえば、<差別>・<被差別>の二分法・・・。これも、単に<区別を意味するに過ぎない>のですが、左翼思想の学者・研究者・教育者・運動家の手にかかると、被差別であることの<生活心情の存在意義>に変化してしまう・・・。<差別されれている>ということが、存在理由にまで心情的に高められてしまう。<一見究極的に見える>、この<差別>・<被差別>の二分法は、その思想が<虚偽の傾向>を帯びたときに見られる現象・・・。ヤスパースは、<思慮深い>精神の持ち主は、決して、問題を二分法でぶったぎるような荒っぽい方法は取らない、<事実的に存立するものを幾重にも区別して知覚しようとする。・・・一切の世界定位的認識>は<中間的存在である>といいます。歴史における様々な事象は、二分法では解明することができない。二分法の両者の間には、無数の中間が存在する・・・。それらを認識しないで、すべてのことを二分法で割り切ることは<虚偽>へと人々を導くことになる・・・。

単なる<区別>を<差別>につくりかえる、左翼思想の学者・研究者・教育者・運動家たち、彼らには、部落差別完全解消への志向はない・・・。

雪道を、猪苗代まで買い物に出かける・・・

今日、午前11:00~午後3:00まで、猪苗代町へ買い物にでかけました。雪は小雪がちらつく程度でしたが、帰りは、農道(県道376号線)のわだちのあとがなくなるほど積雪していました。すべてが白い雪に覆われていました。

大雪のときは、妻の実家から、国道294号線➡国道49号線➡国道115号線を走って猪苗代の警察署付近にたどりつき、その周辺でほとんどの買い物をすませます。そうでないときは、国道294号線➡県道376号線➡国道49号線➡県道204号線で猪苗代の警察署付近にたどりつくことができます。もっと大雪のときは、国道294号線➡県道6号線➡県道9号線➡国道49号線➡国道115号線を使います。さらに大雪で交通渋滞になっているときは、国道294号線➡県道6号線で郡山に行きます。

今日の帰り路、途中から割って入ってきた軽自動車、時速30kmで走っていました。<もしかしたら、ノーマルタイヤ・・・?>と思った筆者、車間距離をあけてそのあとをついていきました。いたるところでスリップしているようで、<あの軽自動車、おそろしいね・・・。事故をおこさなければいいのだけれど・・・>と思っていましたら、突然右折して山道に入って行きました。妻も、<あの道、急なつづら折りの坂道が続くでしょう?ノーマルタイヤでのぼるのはむりじゃないかしら・・・>と心配していました。

冬の積雪期間、一番安全に走れるのは、少しく時間がかかっても、国道294号線➡県道6号線で郡山に行く道です。

西中国教区の中で一番謝儀がすくなかった筆者の隠退牧師の暮らし

今日は、教会暦の上では、クリスマス主日礼拝のある日・・・。

2012年のクリスマス主日礼拝を最後に、筆者も妻もクリスマス主日礼拝から遠ざかりました。妻のふるさと・湖南の赤津村は、昔から無医村・・・。医院も薬局もスーパーもドラッグストアもホームセンターもありません。というより、赤津村だけでなく湖南の5け村には、医病院・診療所も薬局もスーパーもドラッグストアもホームセンターもありません。寺と神社はあっても、教会はひとつもありません。

筆者と妻がクリスマス主日礼拝に主席使用と思うと、東に郡山、西に会津若松市、北に猪苗代町、南に須賀川の、日本基督教団の教会がありますが、いずれも雪道を40分かけて走らなければなりません。しかも、どの教会も駐車スペースが少なく、湖南からくるまででかけて自由にその駐車場を使えるわけではありません。駐車場を探している間に、礼拝は終わってしまいそう・・・。筆者と妻の基督教信仰の根幹は聖書信仰ですから、聖書を読んで祈って、あとはそのみことばを日常の暮らしの中で生きることで、信仰生活を維持しています。積雪期でないときは、日々、百姓暮らしの農作業に追われています。妻は、その上に、認知症になってしっこうんちを垂れ流しするおかあさんの介護に追われ、教会の主日礼拝に出て、牧師の説教を聞き、生きる力を与えられる・・・、ということはなくなりました。妻は、<牧師のあなたをこんな田舎に連れてきて・・・>といつも筆者にあやまりますが、筆者、<こどものころ憧れていた雪国暮らしができて、しあわせだよ! 島村亀鶴先生が送ってくれたはがきに会ったでしょう。「神を愛し、妻を愛し、土地を愛しなさい」って。その言葉の中に「教会」が含まれていなかったことに驚かされたことがある。島村亀鶴先生も、前任の牧師が自害した教会の再建はむずかしいといって、次の任地を考えてくださっていた・・・。目に見える教会はなくても、私たち自身が生ける宮、生ける教会だから・・・>と繰り返し答えます。

今日は、島村亀鶴先生の説教に耳を傾けることにしましょう。

西中国教区の中で一番謝儀がすくなかった筆者の隠退牧師の暮らし、主なる神さまが与えてくださった愛する妻と、会津富士が見える、妻の実家のおとうさんが残してくれた棚田の田畑と山林、湖南の美しく厳しい自然の中で、感謝の祈りをささげて生きることができる日々です。<明日何を食べようかと思いわずらうな>、妻の実家の玄米保冷庫には、2年分の有機・無農薬のコシヒカリが貯蔵されている、今日倒れることがあっても、2年分の主食は確保できている、その2年の間に再起をめざせばよい・・・。                                                                                          


朝、寝室の雨戸を開けると、梅の木の枝に30羽のスズメが・・・

朝、寝室の雨戸をあけると、梅の木の枝に30羽ほどのスズメが、20cmほど飛び上がって元の枝にとまりました。みんな羽ばたいて、筆者に餌の玄米を催促・・・。すぐ庭に出て、ハンディラッセルで除雪して、いつもの場所に2019年産、有機・無農薬栽培のコシヒカリを散布してやりました。筆者と妻、まだ、2019年産コシヒカリを食べていますから、スズメたちに食べさせても何の問題もありません。

朝食をとっていたとき、台所から居間のサッシ戸を通して庭の低木が目にはいりますが、三々五々、寒すずめたちがやってきて、居間の中をのぞき込んでいました。玄米を食べておなかいっぱいになったすずめたちが遊びにやってきているようです。 すずめ1羽も、主なる神さまによってつくられ、守られています。人間のいのちもスズメのいのちも、いのちにかわりはありません。スズメは、どのすずめも天命に生きているのですが、人間は往々にして、その天命を忘れ、社会の病理に飲み込まれ、アルコール、セックス、博奕中毒にとりつかれ、道を外し、自他共に不幸の奈落へ落とし込んでしまいます。夫婦愛、家族愛をすて、自己の刹那的な快楽を追求し、家族や他者の人生を踏みにじってしまいます。そんな人間の姿を見て、すずめたちは、何を思っているのでしょう?

今年は、スズメたちが食べ残したコシヒカリを、朝方、たぬきがやってきて食べているようです。餌場のひとつが台から下に落とされているのは、たぬきのしわざでしょう。筆者、台から餌箱を地面に移してやりました。この餌箱は、タヌキ専用・・・。まわりにタヌキの足跡はあっても、すずめたちの足跡はありませんから・・・。このタヌキ、どんな顔をしているのか、会うのが楽しみです。足跡の大きさからみて、まだ大人になる前のタヌキです。

2021/12/18

わたしにある才能といえば・・・

哲学者・ヴィトゲンシュタインの言葉・・・。

わたしにある才能といえば、いつもいつも「禍転じて福となす」式の代物でしかない>。

哲学者・ヴィトゲンシュタインのと、無学歴・無資格の筆者の共通点をみつけることはほとんど不可能に調査会。それでも、あえて探そうとしたら、この言葉を置いて他にはないように思われます。筆者、高校生の時、<自分の人生がどのようなものであれ、自分の人生を所与の人生として引き受けて生きていくことにしました。それ以来、筆者は、逆境をいつも主なる神さまから与えられた、克服すべき課題としてそれを乗り越えて生きてきました。

それ以来、筆者は、生きることに失望することはありませんでした。『聖書』の中に、<evil spirit 悪鬼>が出てきます。それは、聖書の神に並ぶもう一つの神的存在ではなく、<the evil spirit from the Lord (主より来れる悪鬼)>、<evil spirit from God(神より来れる悪鬼) >なので、主なる神さまを信じるものは、その<evil spirit 悪鬼>にとらわれることはありません。どのような試練に遭遇しても、主なる神さまは、主なる神さまを信じるものに「禍転じて福となす」道を備えていてくださるからです。

吉田向学は小器晩成型・・・

無学歴・無資格の筆者にふさわしいもう一つの言葉は、<小器晩成>・・・。

よく知られた言葉に<大器晩成>というのがありますが、インターネットでその意味を検索しますと、<本当の大人物は、若いころは目立たず、徐々に実力を養っていって後に大成するということ。>とありました。

<大器晩成>と比較しますと、<小器晩成>は、<青年期・壮年期は
目立たず、ただ黙々と実力を養っていくけれども、なれたとして、誰からも評価されることのない小器にしかなれない。>という意味になるのでしょうか? <小器晩成>ならまだ意味がありますが、<小器晩敗>となると、一生努力を重ねようと、人生の晩年においてその努力は実を結ぶことなく破れた器にしかなれない、ということになります。それでは、あまりにみじめなので、<小器晩敗>ではなく、なんとか<小器晩成>を期して努力を続けたい・・・、と思うのですが、73歳の筆者、そのための時間がどれほど残されていることやら・・・。

スイスの哲学者・アミエル曰く、<自分の精神を不釣合いなものと一緒にするよりは、希望と夢を抱いて去る方がましだ>。

ナンダンとはナンダン・・・?(『田舎牧師の日記』から再掲)

TITLE: ●ナンダンとはナンダン・・・?

DATE: 08/05/2013 18:44:51
PRIMARY CATEGORY: 原発事故

朝食をとったあと、筆者は、妻に、新幹線郡山駅まで送ってもらいました。山口法務局で、宗教法人日本基督教団下松愛隣教会の<解散登記>をするため・・・。

郡山から東京まで、筆者の横に座っていたのは、若い女性・・・。話しかけると、<変態>に思われてもいけないので、挨拶すら交わすことはありませんでしたが、東京から、隣の席は、外国人が・・・。新横浜を出ますと、名古屋までとまりませんから、長時間、隣の外国人と一言も交わさないでいいものか・・・? 筆者には、無言のまま数時間を過ごすことはできそうにありませんので、下手な英語で話しかけました。

筆者、<I cannot speak in English.> するとその外国人、筆者にも聞き取れる発音で、<I cannot speak in Japanese.>

どうやら、この外国人と<旅は道連れ>とはいかないようだと思いながら、どこから来たのかたずねてみました。すると、

外国人ナンダン
筆者ナンダン?
外国人ナンダン
筆者ナンダンてなんだん?
外国人ナンダン! おらあ、アメリカ人じゃねえ!
筆者あんた、イギリス人?
外国人うんだ、おらあ、イギリス人だ。
筆者ナンダンて、ロンドンのこと?
外国人うんだ、ナンダンだ。
筆者おう、あんた、ブリティシュ?
外国人うんだ、おらあブリティシュだ!
筆者どこさ行くんだべえ?
外国人おらあ、名古屋へ行くんだ。
筆者おらあ、山口だ。

新幹線の中での、超変な会話・・・。周りの人、誰も笑いださなかったのは、超不思議・・・。その外国人、名古屋駅が近づいたとき、筆者にあいさつして席を離れて行った。それにしても、その外国人の語る英語、筆者にはよく聞き取れねえ米語ではなく、純粋な英語・・・、とてもきれいな品格のある英語でした。 ナンダンだけ、聞き取れませんでした。

誰でしょうね? イギリスの淑女にこんな日本語をおしえたのは・・・?

吉田向学は、Slow Starter・・・

今日の書庫の整理は、哲学・法学・医学・神学の各書をすぐ読めるようにしました。

農学・宗教学・歴史学・民俗学に関する本は、専用の書棚がありますので、いつでも読みたいときに読む必要がありますが、哲学・法学・医学・神学に関する本は、読みたいときにはいつでも、書庫から取り出さなければなりません。

夕方、筆者のブログ『部落学序説』執筆の舞台裏を書いた『田舎牧師の日記』のなかで、『部落学序説』を英訳することについていろいろ言及していたのを思い出して、検索して読んでみました。2013年4月に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農したときには、『部落学序説』を英訳するための準備がすべて整っていると書いていました。そのための参考本は18冊・・・晴耕雨読で、『部落学序説』を英訳することを決めていたのですが、年金暮らし+百姓暮らしは、容易なことではありませんでした。標高550mの湖南高原の棚田と段々畑の、妻の実家の田畑で有機・無農薬でコシヒカリ・はえぬき・ひめのもちの米や40~50種類の野菜を栽培するのは、それほど簡単なことではなく、300冊の農書を読みながら、参考になりそうな知識・技術を、妻とふたりで実践して、筆者と妻に固有の農法を身に着けていきました。小型農業機械の習熟にも時間がかかりましたし、無加温の簡易温室・育苗用ハウス、雨除け栽培用トンネル、温水田、ハス田の構築と管理にも多くの時間を費やしました。その間、『部落学序説』は放置したまま・・・。プロバイダーに追われて放浪を繰り返したため、『部落学序説』の章・節・項だては、しっちゃかめっちゃか・・・。ちょっとやそっとの作業では、元の状態に戻すことはできないとさとった筆者、一旦『部落学序説』を削除、あらためて『部落学序説』の再掲をはじめたところ、gooblog の担当者から、全文が差別文書であり、法務省通達にもとづき閲覧禁止と削除処分を通告されました。『田舎牧師の日記』の続編の『隠退牧師の晴耕雨読』も閲覧禁止・削除処分を通告され、goonlog からの全面的撤退をきめました。それで、筆者のブログを Blogger に、緊急避難的に移行することにしました。そこで、であった<Blogger Translate Powered by Google 翻訳>、筆者に、『部落学序説』の英訳の野望を再燃させてくれました。そして、英語で『部落学序説』をリライトするための知識、技術、電子辞書、パソコンの翻訳ソフト・・・、すべてが整っていることを確認しました。

筆者、10年前に、『田舎牧師の日記』に書いた、『部落学序説』の英訳を、10年後の今、実践しようとしているようです。Slow Starter という言葉は、筆者のためにある言葉であるようです。 

今日は一日書庫の本を整理

今日は、一日、書庫の本を整理していました。

本格的に晴耕雨読の季節、というか、夏農冬読の季節に入りました。妻のふるさと・湖南の赤津村は、会津の豪雪地帯に入ります。積雪期には、毎日30~40cm雪が降りますので、除雪作業は毎日の日課になります。午前中は除雪、午後は読書・・・、四字熟語で表現するにはどうしたらいいのでしょう?

今日は、英語で論文を書くための本、新書版・文庫本・単行本をすべて取り出してすぐ読める状態にしました。なんと数十冊もありました。これまでの73歳の人生の中で、何度となく英語で論文を書くことを夢見ていたようですが、いつも、流れに浮ぶうたかたのごとくに消えて行ってしまいました。

今年は、筆者にとっては、英語で論文を書くための飛躍の年・・・。今年もあと残り少ないのですが、節目の年として、73歳の筆者に残された力を振り絞って、英語で自由自在に文章を書くことができるようになりたいと思っています。下手な英語の文章でも、だれかが読んでくれる、そんな気がしてきましたので・・・。

風邪はひかなかった・・・

昨日、冷たい小雨が降る中、青空駐車している、妻のくるま・ヤリスの上に、2階の屋根から凍てついた雪が落下してきても、サイドミラーやくるまのドア、ルーフに傷がつかいように、ブルーシートの屋根をつくりましたが、その作業時間は、6時間・・・。

風邪をひいたかもしれない・・・、と思っていたのですが、今朝起きたときの、いつもの健康管理、特に、異常はありませんでした。体温も35.9°C、最高血圧も117・・・。脈圧差41、平均血圧91・・・。

朝、起きると、まず、すずめたちに餌をやりました。東北地方は、50~60cmの大雪になるとのことでしたが、今朝の積雪量は10cm・・・。10cmの積雪でも、餌場の玄米はすっかり雪の下に隠れてしまいます。しかし、そのまわりにはスズメの足跡がいっぱい・・・。餌の玄米があるとわかっているので、すずめたちはくちばしを雪の中につっこんで玄米を食べていたようです。雪を取り除いて、あらたに玄米を散布してやりました。

不思議ですね、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して、歳をとる一方なのに、病気はおろか、風邪ひとつもひかなくんるなんて・・・66歳の妻も、94歳の、妻の実家のおかあさんも、武漢ウイルスに対するワクチンを摂取していません。福島県は、全人口の80%の人が接種をすませているようですが・・・。

2021/12/17

『日本の説教』29巻の中で、肉声で説教を聞いたことがあるのは、島村亀鶴先生だけ・・・

日本基督教団出版局から出された『日本の説教』全29巻の説教者・・・。筆者が日本基督教団の牧師になるために入学した神学校の校長は、入学後、筆者にこのように語りかけてきました。<ほんとうは、君のような、無学歴・無資格の、どこの馬の骨かわからないものを、この神学校の神学生として受け入れたくはなかった・・・>。

『日本の説教』の29人のうち、その名前を知っているのは24人、説教集で読んだことがある説教者は12人、主日礼拝や特別伝道集会でその説教を聞いたことがあるのは、ただひとり、島村亀鶴先生・・・。筆者が農村伝道神学校を受験するとき、島村亀鶴先生は、筆者のために推薦状を書いてくださいました。29名の説教者のうち、ただひとり島村亀鶴先生だけが、筆者を弟子のひとりに数えてくださった方です。

日本の説教Ⅱ-6『島村亀鶴』の中に、<解放の福音>という題の説教が収録されています。2013年に日本基督教団の隠退牧師になってから、筆者は一度も説教壇に立つことはありませんでしたが、<解放の福音>という題で説教することになったら、筆者は、まず間違いなく、島村亀鶴先生と同じような説教をすることになるでしょう。島村亀鶴先生から、聖書の読み方、釈義の仕方、説教の作り方を直接伝授され、その方法でずっと説教してきましたので・・・。

島村亀鶴先生と筆者の愛唱讃美歌も同じ・・・!

主にすがるわれに なやみはなし
十字架のみもとに 荷をおろせば
歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
歌いつつ歩まん この世の旅路を

思考する人の生涯の歴史に三つの段階・・・・

朝、法哲学者・ラートブルフの本を読んでいましたら、こんな言葉がありました。

<われわれは、思考する人の生涯の歴史に三つの段階を分けることができるかもしれない。鋭さ、見事さ、深さがこれである。

青年時代の精神の鋭さは、思想を現実に押しつけることをあえてする。
壮年の精神は、現実の中に思想を見出し、現実を思考的に解釈しようと求める。しかし、
老年の深さにとっては、現実と思考とは一つになる。


・・・口と文書で評価しつつ、探求しつつ他人に影響を与えようとする意図のかわりに、次第次第に、自分自身を教えようとする要求が生じる。>

しかし、人はすべて思考しながら生きている。哲学する人は少ないかもしれないが、人は哲学をしなくても思考しながら生きている。そいう意味では、すべての老年にとって、現実と思考とは一つとなる。人は、その老年期を、その人がそれまでの人生で老いについて考えてきた通りの晩年を生きることになる・・・。思考した結果が現実となる・・・。人がどのような老年期を過ごすことになるのか、それはその人がどのように思考して生きているかにかかっている・・・。

ブルーシートの屋根、雨水が溜まっていなかった・・・

庭に青空駐車していた、妻のくるまの上に、2階の屋根の凍てついた雪が落下して、サイドミラーを壊したり、ボディやドアを傷つけたりへこましたりしないように、くるまをとめた上に、ブルーシートの屋根を設置しました。

これまでの経験では、ブルーシートの数か所に水たまりができるのが普通でしたが、今回は、それまでの失敗を繰り返さないように工事法を変更しました。それが功を奏したのかそうでないのか、いまのところ定かではありませんが、雨水は、ブルーシートの屋根の一部にたまることなく、すべて流れ落ちているようです。

使った材料は、48.5mmの軽量単管パイプ 5.0m×2本、4.0m×4本、3.0m×6本、横垂木4.0m×15本、4.5m×4.5mのブルーシート1枚、接続金具×20個。使った電動工具は、裁断機、電動ドリル、工具は、単管パイプ用レンチ、ハンマー。

冷たい小雨の降る中での6時間の作業、ほんとうに疲れるだけ疲れました。こんなに疲れたのはひさしぶり・・・。風邪をひかなければいいのですが・・・。

心理学の対象は心理であって精神ではない・・・

今朝6:00に起床、いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(RSV)を読んだあと、ヤスパースの『哲学』(全3巻)を読みました。

その中に、心理学の対象は心理(こころ)であって精神ではないとの記述がありました。心理学は、精神を研究対象にしていない・・・? 不思議に思った筆者、平凡社版『新版心理学事典』と誠信書房版『心理学事典』をひもといて、見出しに<精神>があるかどうか、チェックしてみました。

すると、どちらの心理学事典にも<精神>という見出しはありませんでした。<精神>は、心理学の対象にあらずというのは、ほんとうのようです。

ヤスパースは、心理学者の心理学的研究法に、極めて批判的であるようです。ヤスパースは、その『哲学』(全3巻)の中で、なぜ心理学を批判するのか、その理由を記していました。筆者、それを読んで納得・・・。筆者が心理学関連の本を集めるようになったのは、2013年、日本基督教団の隠退牧師になってから・・・。

筆者、昔から、心理学よりも精神病理学の方に関心があります。当然、差別の心理学より差別の精神病理学の方が、差別の本質に近づき得ると、今でも信じています。

冷たい小雨が降る中での6時間の作業は疲れた・・・

冷たい雨が降る中での6時間の作業、すっかり疲れました。

今日は、除雪するときのいでたちで作業したのですが、雨に濡れて体温が下がるより、筆者の汗が冷えて体温が低下するほうが堪えたようです。妻は、午後3時を過ぎると、<寒くて、がまんできない。わたし、家に中に入るわよ・・・>といって、工具を片づけてくれました。筆者は、48.5mmの軽量単管パイプと横垂木でつくった枠にブルーシートを固定する作業をして、午後4:00に作業を終えました。

午前10:00~午後4:00までの、休憩・昼食なしの突貫工事、少しく無理をしたかもしれません。

国道294号線のバイパス工事、エンジニアの方は、<今日で、今年の作業は終わり。明日は豪雪になりそうだから・・・>と話しておられましあ。若い担当者の方が、バイパスのなぞえと、妻の実家の庭の境に薄いが流れるための溝を掘ってくださいました。バイパス工事をされている方々も一日、冷たい小雨降る中、作業をされていました。彼らの姿がいつも筆者の視野にあったので、小雨降る中、庭で6時間も作業を継続できたのかもしれません。

昨日、猪苗代の書店で、『農家の土木』という本を購入しましたが、土木も建築もおもしろそうですね。筆者、こどものころから病弱で、力仕事は縁のない仕事だと思ってきましたが、母の兄、つまり筆者のおじさんは、筆者を大工として育てたいと言ってきたそうですが、母は、<あの子は、からだが弱くて、力仕事はできません。学校の先生になりたいと言っていますから、わたしもできる限りその夢をかなえさせてやりたい・・・>と断ったそうです。母は、職業に貴賤なしと考えていました。そのなかから、自分にあった仕事をひとつ身に着けなさいと、よく話していました。もし、筆者が健康であったら、大工の棟梁であるおじさんの弟子入りをしていたかもしれません。

二階の屋根の凍った雪が落下してヤリスを傷つけないように、屋根を作る・・・

今日は、1日小雨が降っていました。あすから、豪雪になるとか・・・。東北地方の積雪量は、50~60cm大雪です。

それで、根雪になる前の最後の冬支度として、妻の実家の庭に青空駐車している、妻のくるまヤリスが、二階の屋根から凍った雪が落下して、ヤリスの屋根やドア、バックミラーを傷つけたり破損したりしないように、48.5mmの軽量単管パイプで枠をつくり、横垂木で屋根の枠組みをつくり、4.5m×4.5mのブルーシートを屋根代わりに張りました。

午前10:00~午後4:00までの雨天決行の突貫工事になりました。凍った雪、つまり氷が二階の屋根から落下してバックミラーを直撃して破損すると、修理代は30,000円を超えますから、修理代より事故防止のために割く費用の方が安くつきます。ポリカ波板をはりめぐらせば車庫になりますが、ポリカ波板を張るのは、かなり費用がかかりますので、とりあえず、ブルーシートで様子を見てみます。

最近、物価が上昇し、年金暮らしもさらに節約を求められる・・・

最近、物価が上昇し、筆者と妻の年金暮らし&百姓暮らしの信号も緑から黄色に変わったようです。

妻は、<あなた、まだ古本買う・・・?>と問いかけてきますので、筆者、<必要な本はすべて入手した。ヤスパースの『哲学』(全3巻)を精読するのに、それだけ読んでも1年はかかるよ。ラートブルフやヴィトゲンシュタイン、ガダマーやコセリウの本を精読するのに、どれだけかかるやら・・・。彼らの本を読み始めたら、他の本を読みたくなくなる・・・。本集めも、すでに終わってる・・・>と答えました。

2013年に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して、年金暮らし&百姓暮らしをはじめて、有機・無農薬でコメと野菜を自給用に栽培しはじめた筆者と妻、有機・無農薬の米と野菜をつくって健康、たべて健康で、この9年間、ほとんど病気らしい病気をしたことがありません。薬局で市販の薬を買ったり、サプリメントを服用したりしていますが・・・。衣類は、猪苗代町で手に入る寒冷地用の安価であたたかい<貧乏人の衣類>(韓国製と中国製をのぞくアジア製、下着は日本製)ばかり・・・。みかけばかりよくて、高価で寒い冬服は無用・・・。

質実剛健・質素倹約の清貧暮らし・・・、筆者と妻のそれは、相当年季が入っています。無理をしないで、からだをこわさないで、持続可能な清貧暮らし・・・。清貧とは、貧乏であると感じさせないような貧しい暮らしのこと・・・。あばらやじゃけんど、雨雪しのいで暮らして生けるくらしのこと・・・。玄米保冷庫には、2年分の標高550mの湖南高原産の有機・無農薬栽培のコシヒカリを貯蔵して、口糊の患いを無くす暮らしのこと・・・。高齢化にともなういろいろな問題を解決するための参考資料としての蔵書は3000冊を超える・・・。治療、治療で高額医療費を払い続け医者の暮らしの肥やしになる生き方のことではなく、予防、予防で自らの健康を養い、国の医療費増大の抑制に貢献するような生き方のこと・・・。清貧暮らしは、自葬で終わる・・・。

2021/12/16

差別と翻訳・・・

今朝、6:00に起床、『英訳聖書』(NSRV)を通読したあと、ひさしぶりに、野矢茂樹著『語りえぬものを語る』を読んでいました。そこに、こんな文章がありました。

<一般に、文学作品を「完全に翻訳する」とこは不可能である>。

文学作品を<Fiction>と置き換えますと、上記の文章は、<一般に、Fictionを「完全に翻訳する」とこは不可能である>という文章になります。ということは、<Non-Fiction を「完全に翻訳する」ことは可能である」というが否定されていないということになります。

<ここで問題になる翻訳は、世界のあり方の記述・・・>。

野矢茂樹は、その事例をあげていますが、その事例の動詞を<差別する>という言葉に置き換えますと、

AはBを差別する。
BはAに差別される。

野矢茂樹は、前者と後者とでは意味が違うという人もいれば、前者と後者は同じ意味だというひともいるが、<世界のあり方の記述という観点から認めるならば、両者は同じ意味だと言える>といいます。部落差別についていえば、<AはBを部落差別する>という能動形と<BはAによって部落差別される>という受動形は、部落差別について同じ事象を語っている・・・、つまり、

差別者は被差別部落の人を差別する。
被差別者は差別者に差別される。

このふたつの事象は別々の事象に見えながら、実は差別という一つの事象について記述したものであるということになります。野矢茂樹は、<一方が真であれば他方も真であり、一方が偽であれば他方も儀である>といいます。<部落差別>を<部落差別>でなくする、無化するには、二つの命題のいずれか一方、あるいは両方を否定すればいいということになります。

当然、<差別者が被差別部落の人を差別することをやめれば部落差別はなくなる。>ということになりますが、部落差別がなくなるためには、もうひとつの真、<被差別部落の人が差別されても差別されなければ差別はなくなる。>も成立することになります。これまでの部落解放運動の傾向、志向から見ても、一挙に部落差別がなくなることはなさそうですから、部落差別完全解消のために、両方が必要になります。差別者が部落差別をやめると同時に、被差別部落の人も差別されても差別されない姿勢、生き方が求められることになります。

日本の部落差別は、<Fiction> ではなく <Non-Fiction> なので、<翻訳>は可能です。ただ、日本語で書かれた間違った部落差別問題、部落史研究は、英語に翻訳しても間違ったままです。


妻はかかりつけの医院へ、筆者は猪苗代へ買い物に・・・

午前中、妻は、94歳に認知症の、妻の実家のおかあさんをかかりつけの医院に連れて行きました。処方された薬がなくなってきたからです。明日から1週間雪が降るそうなので、94歳のおかあさんを雪の中、隣の隣村の医院まで連れていくのは大変なので、今日、薬をもらってくるとかで、おかあさんと一緒に軽トラにのってでかけました。

筆者は、そのあとすぐ、妻に頼まれた日用品や食料品を買いに猪苗代まで、妻の普通車ヤリスで出かけました。用件をすますと、猪苗代の書店に立ち寄って、2022年の『農家日誌』と『農家の土木』を購入しました。筆者が持っている農業土木に関する本は、昔の農業高校の本ばかり・・・。これまでは、ビオトープに関する本や造園に関する本を参考に、農業土木と思われる工事をしてきましたが、この本、写真入りで読みやすかったので購入しました。

筆者74歳、妻66歳ですから、そのうち、1.8反でコシヒカリ、0.5反ではえぬき、0.1反でひめのもちの栽培を有機・無農薬で栽培することができなくなる可能性があります。有機・無農薬は原則なので、まずは、コシヒカリの栽培面積を減らすことになります。レンゲとコシヒカリを隔年で栽培するか、菜種とコシヒカリを隔年で栽培するか、どちらかにする予定ですが、当面は、これまで通りの面積でコメを栽培することになります。素人百姓が有機・無農薬でコシヒカリを栽培したときの収量は、反あたり5~6俵程度ですから、最初から減反しているようなもの・・・。採れすぎた米は、古古米になったときに、スズメやタヌキの冬期間の餌として与えます。KUBOTAの玄米保冷庫に保管していますので、古古米といっても美味しくいただけます。

2021/12/15

英語で文章を書くのも難しい・・・

 部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会のブログ『ジゲ戦記』からダウンロードした<吉田向学講演録>(2009/01/16) のリライトをはじめましたが、英語で文章を書くのも結構難しい・・・。

筆者の下手な日本文を上手な英語に翻訳することは不可能だと悟った筆者、下手な日本文を下手な英語でリライトすることにしました。気分的には楽になったのですが、その講演録を書いたのは、大学で日本文学を専攻された方・・・。文学的表現が多く、筆者の下手な英語でリライトできる可能性はほとんどありません。講演録を残してくださった方には申し訳けないのですが、シンプルな英語に意訳させてもらいました。

筆者の日本語の文章は、婉曲的な表現が多い・・・。読者の方を気にかけながら、できるかぎり無用の軋轢を引き起こさないように遠回しに表現することも少なくありません。その部分が、どうしても英文で表現できません。日本語と英語の違い・・・。日本語は情緒的言語、英語は論理的言語・・・。日本語はあいまいさが許されるというか推奨されるけれども、英語は、あいまいさを認めず、自分のいいたいことを誤解されないようにはっきりといわなければならない言語・・・。当分、筆者は、日本語と英語を使い分けることになりそうですが、もしかしたら、日本語ではなく英語が、文章を書くときの第一言語になりかねない・・・。

<痛めつけられた精神は、外国語を覚えさせる>とは、哲学者アミエルの言葉・・・。Blogger が、筆者のブログ『部落学序説』の放浪の末の最後の安住の地になればいいのですが。。。、

根雪になる前に、棚田で最後の冬支度・・・

午後1:30~4:00まで、妻の実家の棚田で、最後の冬支度をしました。

筆者は、妻のくるまを母屋の2階から落下してくる雪でこわれないように雪除けのブルーシートをはるための48.5mmの軽量単管パイプを15本、資材置き場から取り出し軽トラに積み込みました。そのあと、資材置き場をブルーシートで覆いました。来年雪解けするまで、資材置き場のブルーシートをはがすことはありません。

妻は、育苗用ハウスの中で乾燥させていた黒豆を原始的な方法で脱穀していました。

明日は雨ですが、明後日から1週間、天気予報は毎日雪マークがついていました。今日で、とりあえず、妻の実家の段々畑の資材置き場、農業用ビニールハウス、苗代田の簡易温室の冬支度が終わりました。毎年のことながら、季節に追われての百姓暮らし・・・。これはこれで楽しい、主なる神さまからあたえられためぐみのひとつです。

簡易温室で作業・・・

今日は、午前11:10~13:40まで、移築中の、苗代田の簡易温室で作業をしました。出入り口に施錠できるように、また換気用窓6か所に防獣ネットを張り、簡単に開閉できるように、金具をセットしました。これで、野生動物が簡易温室の中に入ることができなくなりました。妻は、<野生動物だけでなく、農家も入れないわ・・・>と話していました。筆者、<そんなに簡単にいくかなあ・・・。これまでの経験だと、「おめえら、ここらの農家をバカにしてんな? そんなネット、ハサミで切っていつでもなかにはいれんだ!鍵なんかかけても、いつでも壊せんだ!ここらの農家をバカにすんでねえ!」と言われるだけでないのかなあ・・・>と答えました。

湖南は、認知症かかった、高齢の農家が多いから・・・。なすすべなし・・・。駐在さんも、認知症の農家が相手では、ほとほと手をやいているみたいだし・・・。

孫の向学ちゃんは、和食党・・・

今朝、郡山に住んでいる娘から妻のスマホに電話がありました。孫の向学ちゃんの写真を送ったとか・・・。

そのときの娘の話では、昨日の朝、孫の向学ちゃんの朝食をパンにしたけれど、向学ちゃんのくちにあわなかったようで、1日中不機嫌であったそうです。今朝は、いつものおじいちゃん・おばあちゃんがつくったごはんよといって、コシヒカリのご飯をだしたところ、向学ちゃんはうれしそうに食べて、やっとご機嫌を取り戻してくれたとか・・・。

孫の向学ちゃんは、どうやら和食党であるようです。娘のご主人も和食党・・・。標高550mの湖南高原産、有機・無農薬栽培のコシヒカリは、とても美味しい・・・。かめばかむほどあまみがましてきます。それなのに後味もいい・・・。孫の向学ちゃん、筆者と妻のつくった有機・無農薬の米と野菜を好きになってくれて、おじいちゃん冥利、おばあちゃん冥利につきるというものです。

妻は、孫の向学ちゃんと電話で話ができたと喜んでいました。

今朝、2つのブログの言語を日本語から英語に変更・・・

現在、筆者の、Blogger 上でのブログは次の4つです。

『部落学序説』
『隠退牧師の百姓日記』
『Retired Pastor's Peasant Diary』
『The Study on Buraku Discrimination in Japan』

書き始めたときは、すべて日本語で書く予定でしたが、途中から変更して、『Retired Pastor's Peasant Diary』と『The Study on Buraku Discrimination in Japan』は、英語で書くことにしました。

今朝気が付いたのですが、言語を日本語にして英語で文章を作成しますと、Blogger の <Translate Powered by Google 翻訳>機能を使って、日本語に翻訳できなくなります。それで、上記2つのブログを書くときの言語を日本語から英語に変更しました。これで、上記2つのブログを日本語に翻訳できるようになりました。ただ、依然として、満足のいく翻訳にはなっていませんが・・・。

筆者の下手な日本語の文章を<Translate Powered by Google 翻訳>で英訳するときよりお、筆者の下手な英語の文章を<Translate Powered by Google 翻訳>で日本語に翻訳する時のほうが誤訳が少なくてすみます。

73歳の、無学歴・無資格の日本基督教団の隠退牧師の筆者、conversation in english、listening to english、speaking in english ができません。筆者の生涯の間で、それを必要とする機会はほとんどありませんでしたので・・・。これからは、reading in english、thinking in english、writing in english の能力だけを駆使することにしました。主なる神さまが与えてくださった筆者の人生において、主なる神さまが与えてくださった筆者の英語力は、reading in english、thinking in english、writing in english の能力だけでしたので、感謝しつつ、与えられためぐみを最大限に生かしていきたいと思います。

2021/12/14

<吉田向学講演録>(2009/01/16) をダウンロード

部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会のブログ『ジゲ戦記』から、あらためて、<吉田向学講演録>(2009/01/16) をダウンロードしました。

エディターを使って、『ジゲ戦記』に掲載された、<講演録の掲載によせて>という部落史研究会の方の文章と、筆者の講演を文章化された13の文章を正順で並べ直しました。

最初、このダウンロードした文章を、Blogger の <Translate Powered by Google 翻訳>で英訳しようとしたのですが、誤訳が多くて、誤訳をすくなくするために、筆者の日本語の文章を誤訳が少なくなるように修正することにしました。しかし、筆者の下手な日本語の文章を上手な英語に翻訳することは非常に難しいと判断した筆者、講演録を見ながら、それを英語で書き直すことにしました。上手な英語ではなく、下手な英語で・・・。73歳になって、生まれてはじめて、英語で長文の文章を書くことになります。

<thinking in English>しながらでないと、<writing in English>はできないことが分かりました。

日本基督教団の牧師たちは、みなさん、英語で、自由に聞いたり、話したり、読んだり、書いたりすることができます。英語だけでなく、ドイツ語でも・・・。しかし、日本基督教団の牧師の中で学歴・資格をもっていない筆者は、西中国教区の先輩牧師たちから、ちいさな教会にしか赴任できない、しかも、<前任牧師が自殺した教会でも伝道と牧会ができると傲慢な思いをもって赴任>、<副業をもって牧師を続けるのは、信徒伝道者になったに等しい。私たちの仲間ではない>と引導を渡され、牧師会から疎外され、排除されることになりました。現役の牧師のときは<労働牧師>として、隠退牧師になったあとは<百姓牧師>として、主によって遣わされた地で、主の導きと支えのなか、失望することも、挫折することもなく、主によって生かされています。妻と一緒に、祈りと感謝の思いをもって・・・。

娘のアパートに、リンゴとナガイモを届ける・・・

今朝は、昨日と違って、晴れて温かい・・・。

妻は、郡山に住んでいる娘のアパートに、会津坂下産のりんごと、妻が栽培したナガイモを持っていくといいます。県道6号線の一部に新しい売パスが完成し、そのトンネルは円周のようなトンネルだとか・・・。娘からそう聞かされていた妻が、<私が運転していく・・・>といいますので、筆者、<今日は、私が運転する・・・>といって、運転席に乗り込みました。

ほんとうに、円周の上を走っているようなトンネルでした。<こんなトンネル、日本でここだけじゃない・・・?>と妻に語り掛けますと、<そうかもしれないわね・・・>と話していました。

娘のアパートに近づくと、妻は、スマホを出して電話していましたが、<電源が入っていない・・・>とのメッセージが流されていました。<朝、アパートに行くからって、電話しなかったの?>と妻に尋ねると、<あの娘は、いつもアパートの部屋に孫の向学ちゃんと一緒にいるから・・・>といいます。そんな話をしながら、娘のアパートにつくと、アパートの部屋の玄関のドアを閉めている娘の姿が目に入りました。孫の向学ちゃんを散歩に連れていくために、玄関に出たところだとか・・・。娘のご主人にそっくりな向学ちゃんの笑顔を見て、リンゴとナガイモを玄関の中に置いて、娘のアパートをあとにしました。

途中、ホームセンターとスーパー、100円ショップによって、日用品と食料品を買って帰って帰りました。100円ショップで購入したのは、@220円のL版の写真96枚を収納できるアルバム3冊・・・。以前に買ったアルバム3冊がそのうちいっぱいになるので、予備として・・・。写真は、ほとんどすべてが向学ちゃんの写真、それと、娘や娘のご主人や、妻と向学ちゃんの2ショット写真・・・。向学ちゃんは、おばあさんの妻が大好きです。妻は、<孫って、かわいいのね。孫がこんなにかわいいなんて、思ってもみなかったわ・・・>と喜んでいました。コロナ禍で、なかなか会うことができない孫の向学ちゃんですが、娘からおくられてくる写真で、孫の成長を見守っています。その写真は、まもなく300枚に達します。


雪の降る中、スズメたちのための餌場をつくったあと・・・

昨日の夕方、雪の降る中、スズメたちのための餌場をつくりました。そのあと、筆者の書斎のパソコンの前に座って、インターネットにアクセスして、このブログに書き込みをしようとしたところで、筆者の頭の中に、ある考えが浮かび上がってきました。

<『部落学序説』の英訳は、止めることにしよう・・・。私の文章は、日本語固有の婉曲的表現が多すぎるので、英語に訳すのに、時間と労力がかかりすぎる・・・>と思われたからです。これまで、いろいろ方法をためしたのですが、どれも帯に短したすきに長し・・・。下手な日本語をきちんとした英語に翻訳するなどとの妄想を捨てて、最初から、下手な英語で書き直した方がいいのではないかと・・・。

それで、『部落学序説(英語版)』を『Study on Buraku Discrimination in Japan』に、『英作文練習用』を『Retired Pastor's Peasant Diary』に表題を改めて、最初から英語で書くことにしました。昨日、それぞれ1つの短文を書きましたが、英語で文章を作成するときの精神的ストレスは、すっかりなくなっていました。googlog の担当者による理不尽ないいがかりとストーカー的嫌がらせ、ネットハラスメントと思われる言論弾圧・人権侵害に直面して、緊急避難として、Google の Blogger 上にあらたに執筆場所を移しましたが、それは、筆者に思いがけない事態をもたらすことになったようです。

キリスト教の一隠退牧師として、『部落学序説』の内容を英文で書き直し、日本の部落差別問題に関心のある英語圏の人々に、日本の部落差別の歴史の真実を語り伝えるという課題を筆者に自覚させたのですから・・・。

2021/12/13

今日は一日冷たい雪が降っている・・・

今日は、一日、冷たい雪が降り続いていました。

筆者、久しぶりに、気分転換に、島村亀鶴先生『講和 イエス・キリスト』を読んでいましたが、夕方になって、妻が、<あなた、雪でスズメの軒下の餌場が覆われて、餌を食べるのがたいへんみたい・・・>といいますので、冷たい雪の降る中、庭のもみすり場の支柱に、ブルーシートをとりつける作業をしました。

作業をしている間、餌を食べにきた20羽のすずめは観音堂の軒下に移動、作業を終えて、玄米を、いつもの2か所の軒下とブルーシートの屋根の下にあらたに設けた餌場にまいてやりました。そのあと、観音堂に向かって、スズメの鳴きまねをしますと、観音堂から、すずめの鳴き声が返ってきました。了解!

もう少し早く餌場を確保してやるべきだったと、筆者、もう反省・・・。牧師たるもの、隠退牧師であっても、主なる神さまがつくられた生きとし生けるものはもっと大切にしなければと・・・。

豊かなることと貧乏になること

昨夜、ヤスパースとヴィトゲンシュタイン、ガダマーの本を読みました。

偶然、読んだ文章は、<先知識>、<先理解>、<前知識>、<前理解>に関するものでした。

ヤスパースは、<各々の現実態の認識もまた、各自その対象に応じて、また相異なる程度において、先行の現実態の認識を前提条件としている。ということは、先行のものがより総括的なものとして後に来るものの認識を包み込む、ということを意味するものではない。むしろ後に来るものは、現実態としてもそうであるように、認識に対しても固有の根源を持っているのである。>といいます。

ヴィトゲンシュタインは、次のようにいいます。

<学問・科学――豊かなることと貧乏になること。あるひとつの方法が、他の方法をすべて押しのけてしまう。この選ばれた方法を比較すれば、他のすべての方法は貧しく見える。たかだか前段階というわけだ。きみは水源に立ちもどり、こけにされた方法、ひいきにされた方法をすべて横一列に並べて眺める必要がある>。

<横一列に並べる>、それを<一揆>といいますが、差別思想・選民史観を撃つ、筆者のブログ『部落学序説』は、差別思想・賎民史観に依拠し、被差別部落のひとびとを差別の鉄鎖につなぎとめる左翼思想の学者・研究者・教育者・運動家に対する<一揆>ののろしのようなもの・・・。筆者は、ヴィトゲンシュタインの言葉をこう読みます。

部落史研究における貧しさ、それは、あるひとつの方法、被差別部落の人々の先祖を賎民とみなす賎民史観的研究方法が、他の研究方法すべてを押しのけてしまうことにある。左翼主義の学者・研究者・教育者・運動家によって選ばれた賎民史観的研究方法を、部落史研究の達成された最高峰として比較すれば、彼らには、他のすべての方法が貧しく見えるようだ。たかだか前段階というわけだ。しかし、真剣に、部落差別完全解消を願うなら、差別思想・賎民史観を廃棄して、被差別部落の人々の本来の歴史をとりもどすべく、きみはその水源に立ちもどり、賎民史観の学者・研究者・教育者・運動かによって<こけにされた方法>と、彼らによって<ひいきにされた方法>をすべて横一列に並べ、なにが部落差別の完全解消につながるか、批判検証する必要がある。目的達成のための手段をあやまってはいけない・・・。左翼思想家・共産主義者は、目的達成のための手段をしばしば間違い、人間に悲惨な状態をもたらした・・・。そして、いまももたらし続けている・・・。

東京・山谷の労働者に食べてもらう・・・

雨宮栄一先生の追悼集を送っていただいたとき、その担当者の方から、電話で、<代金は、福島県の農産物でいい・・・>と話しておられたので、<東京の知識人は、福島の農産物は原発事故で放射能汚染されているといって忌避されるのが普通なのに、福島県の農産物でいいといわれる、随分変わったひとだなあ・・・>と思いました。それで、この前、2021年湖南高原産有機・無農薬栽培のコシヒカリの精米20kgを送ったのですが、その方から電話があり、筆者が送ったコシヒカリは、<山谷の労働者に食べてもらう>ということでした。筆者、<やはり・・・>と思ったのですが、妻のふるさと・湖南の赤津村は原発事故の現場から半径80km圏外・・・。最初から、ドイツ製の水・土壌・米・野菜の放射能汚染度を測定できるガイガーカウンタを購入して測定してきました。放射能汚染からはフリーですし、化学肥料・農薬・除草剤を一切使用していないし、静岡製機の玄米食味分析計で毎年80点以上をとっていますので、いい米なのですが・・・。しかし、ものは考えよう・・・。筆者と妻のつくった米が、山谷の日雇い労働者の方々の口に入ることはとてもいいことです。担当者の方に、<山谷の労働者の方には、別に送ってもいいのですが・・・>とお話ししたのですが、<それには及びません>とのこと・・・。やはり、ご迷惑だったようです。

昨夜から暴風雪・・・

昨夜らから、暴風雪・・・。

とても冷たい雪で、たぶん、今回の雪は根雪になります。午前中、隣村の郵便局に軽トラに乗って行ったのですが、小枝坂は凍てついて、少し強めにブレーキを踏むとスリップします。郵便局からの帰り、妻の実家の棚田の田の近くまで行って、昨日妻が資材置き場のブルーシートが飛ばないように農業用ビニールハウスの押さえ紐で三重に巻いてきたそうですが、朝、心配していましたので確認しました。問題なし・・・。育苗用ハウスの屋根にはあまり雪は積もっていませんでした。

積雪量が20cmを超えますと、軽トラで近づくことができなくなります。根雪になる前に、棚田の田と段々畑の畑、常夏川沿いの畑、簡易温室を移築した苗代田の冬支度はできたようです。あとは、庭の冬支度・・・。晴れてあたたき日に、普通車の上に2階の屋根の雪のかたまりが直接落ちることがないようにブルーシートの屋根をつくるのと、冬のすずめたちの餌場づくり・・・。筆者、子供の頃から、雪国での暮らしにあこがれていました。母のふるさと・徳島県美馬郡半田町坂根村は、つるぎ山麓にある山里で、雪がつもります。こどものころ、小学に里帰りする母と一緒に、タクシーを降りたあと、新雪の雪原を歩いた記憶があります。

四国の雪はあたたかくて軽いのに、東北の雪は冷たくて重い・・・違いはありますが、雪国であることにちがいはなし・・・。子供の頃の夢かなっての雪国暮らしですから、筆者は、今の暮らしに満足しています。

2021/12/12

<みことばの職人>から<みことばの百姓>へ・・・

神学校をでたあと、筆者の最初に任地は、日本基督教団神奈川教区の開拓伝道でした。伝道師として准允を受けるとき、神奈川教区で所信表明を求められましたが、そのとき、筆者は、<私は無学歴・無資格です。ほかの牧師先生方のように高学歴・高資格はもちあわせていません。ほかの牧師先生を学者・研究者・技術者だとしますと、私は無学歴・無資格の職人でしかありません。みことばの職人として、聖書の釈義と説教を磨き、遣わされた教会で説教と牧会にあたっていきたいと思います・・・>と話をしますと、総会の議場からヤジが飛んできました。<さすが無学歴、いうことが違う!> 西中国教区で按手を受けるとき、筆者、両膝をひざまづいて受けましたが、あとで、他の牧師から嘲笑されることになりました。なんでも、<牧師たるもの、西洋のナイトと同じで按手を受けるときは片膝をついて受けるものだ。神学校で按手礼の受け方を何も教えられてこなかったようだ>と・・・。彼らの解釈によると、神の前で両膝をつくのは百姓身分のすることだとか・・・。

2013年、隠退牧師になり、現役牧師から遠ざかることになり<みことばの職人>を返上して<みことばの百姓>になっています。<みことばの職人>だの<みことばの百姓>だの、そんな言葉を使用するのは、筆者だけのようです。<職人>も<百姓>も、筆者が尊敬するひとたちです。尊敬する人々から学んだことを、牧師としての生き方に活かすのは当然といえば当然です。

<聖書は神学の本ではない。人が生きるための本である。> 筆者、16歳のときに、聖書を読んで、聖書の神を自分の神として生きることを決断、17歳のとき洗礼を受け、19歳のとき、読んだ信仰書の中に、島村亀鶴先生の『信仰生活のいろは』があります。その本の中に出てきたことばです。それから10年後、筆者は、島村亀鶴先生からいただいた推薦状をもって、日本基督教団の牧師になるために農村伝道神学校に入りました。そのとき、島村亀鶴先生から、島村流聖書の読み方、釈義の仕方、説教のつくり方を伝授されました。その基本はやはり、<聖書は神学の本ではない。人が生きるための本である。>でありました。<深い思想、正しい神学、これは大切である。しかし、これを学問として知るよりも聖書のことばを実行しつつ、体験していくことがさらに大切である>。聖書を読むのも、釈義をするのも、説教をするのも、思想や神学のためではない。聖書の神を神として信じて共に生きるためである・・・。

筆者が入学した当時の農村伝道神学校の校長や教授の中には、筆者が農村伝道神学校の神学生になることで、他の神学生を躓かせるのではないかと心配しておられました。彼らにとって、筆者は、異質な信仰の持ち主であったようです。

Blogger の 閲覧数は、筆者以外の閲覧数・・・

Blogger 上の、筆者の『部落学序説』と『隠退牧師の百姓日記』の<閲覧数>は、それぞれ、2,316件 と 1,990件 の計4,306件・・・。 gooblog のように、著者自身によるアクセス件数によって大幅に水増しされることはありませんので、Blogger の<閲覧数>は、正味の<閲覧数>です。

筆者のブログは、アジサイの花のようです。アジサイは、地際から幹を切っても、そこから芽が出て、いつのまにか、アジサイが元の大きさになり、同じようにきれいな花を咲かてくれます。<田舎牧師の日記>から<湖南村尻百姓記>、<隠退牧師の晴耕雨読日記>、そして現在の<隠退牧師の百姓日記>へと移行するごとに、アクセス件数0からの再スタートになりました。<田舎牧師の日記>からずっと読んでくださっている読者の方は、筆者のブログの変遷を追いかけてきてくださるので、筆者、<閲覧数>の増減そのものには、あまり関心がありません。

gooblog は、筆者が利用していないにもかかわらず、<アフィリエイト、商用利用、公序良俗等の規約違反により・・・公開停止>してきましたが、筆者、Blogger においても、筆者に、1円たりとも振り込まれるような設定はしていません。これからもありません。gooblog の担当者、なぜ、一方的にその独断を押し付けてきたのでしょうかね・・・? 未だに理解不能です。

今年、野菜直売所湖南四季の里で売れた野菜は@100円×1,638袋・・・

市県民税申告用の書類が、野菜直売所・湖南四季の里から届けられました。それによると、吉田農園の農園主である妻が栽培した有機・無農薬栽培の@100円の野菜、1,638袋売れたそうです。手数料は売上に30%差し引かれますので、ぐんと収入は減りますが、それでも、妻は、うれしそうでした。なにでも、過去最高の売上額とか・・・。

を1袋としますと、

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今年は、妻は、野菜直売所湖南四季の里に出展するのはやめて、自給自足用にのみ栽培することにしていたのですが、野菜の種を1袋単位で購入しますので、どの野菜も1袋全部播種しますと、収穫量は、どの野菜も自家消費分をはるかに上まわてしまいます。妻は、<例年はどうしようかなあ・・・。わたしも67歳になるし、そろそろ野菜直売所に出展するの、やめようかなあ・・・>とつぶやいていますが、筆者、<農園主は、A子さんなのだから、お好きなように・・・。健康維持のためにしているだけだから、無理をしない程度に続けたら・・・>と答えるのみ・・・。

午前9:00-12:00, コシヒカリの田の株間の草取り・・・

     午前9:00-12:00, コシヒカリの田の株間の草取りをしました.     株間の草が繁茂しているところを, 新しく購入した水田中耕除草機で除草してみたのですが, やはりなかなかうまく行きません. 条間の草が伸びすぎたため・・・? それで, 市販の農機具を改造してつく...