2022/10/06

中学校の図書室にはじめて入ったとき・・・

中学生になったら、筆者は、もっとたくさん本を読もうと決心していました。中学1年生になってはじめて、中学校の図書室に入ったとき、窓から差し込んできた光が書棚の本を照らしていました。背表紙が反射して光り輝いていたので、筆者、その本を手にとってみました。その本は、新約聖書でした。

それが、筆者が新約聖書にであった瞬間でした。

それまで、冒険小説や科学推理小説などを読んでいた筆者にとって、まったく別の分野の、未知の世界が記されている本でした。手にとって開いたページに、溺れるペテロに救いの手を差し伸べるイエスのことが記されていました。筆者、からだが弱かったため泳ぐことが苦手・下手でよく溺れかかっていましたが、そのとき、どこからも助けがくることがなく、<このまま溺れて死んでしまうのかもしれない>と何度も思ったことがあります。それなのに、新約聖書の中には、溺れるひとに手を差し伸べて救いだすイエスのことが書かれている・・・、それが、ただ単に光っていた本との出会いではなく、主イエス・キリストとの出会いにつながっていきました。

そのあと、筆者、玉野赤十字病院に入院していたときもらったという『新約聖書』を父から譲り受けました。ちょうど、学生服のポケットに入る大きさなので、筆者はいつも学生服のポケットに『新約聖書』をしのばせて、休憩時間に読んでいました。下津井メバルとあだ名された社会科の教師が、<吉田、いつも休憩時間に何をよんでんだ? 聖書? 吉田の家はクリスチャンか?>と問いかけてきました。<いいえ、違います。仏教徒です。>と答えますと、その下津井メバル、<聖書はいい本だ。読め、読め!>といって去って行きました。下津井メバルから公認された筆者は、中学校3年間、学生服に『新約聖書』をしのばせて、休憩時間に読んでいました。

溺れるペテロに救いの手を差し伸べるイエスさまの御手は、やがて、人生の荒波に溺れそうになっている筆者の救いのために差し伸べられた手になっていました。筆者は、聖書を通して、聖書の神を信じるようになったのであり、筆者のまわりには、クリスチャンも教会もありませんでした。

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