中学生になったら、筆者は、もっとたくさん本を読もうと決心していました。中学1年生になってはじめて、中学校の図書室に入ったとき、窓から差し込んできた光が書棚の本を照らしていました。背表紙が反射して光り輝いていたので、筆者、その本を手にとってみました。その本は、新約聖書でした。
それが、筆者が新約聖書にであった瞬間でした。
それまで、冒険小説や科学推理小説などを読んでいた筆者にとって、まったく別の分野の、未知の世界が記されている本でした。手にとって開いたページに、溺れるペテロに救いの手を差し伸べるイエスのことが記されていました。筆者、からだが弱かったため泳ぐことが苦手・下手でよく溺れかかっていましたが、そのとき、どこからも助けがくることがなく、<このまま溺れて死んでしまうのかもしれない>と何度も思ったことがあります。それなのに、新約聖書の中には、溺れるひとに手を差し伸べて救いだすイエスのことが書かれている・・・、それが、ただ単に光っていた本との出会いではなく、主イエス・キリストとの出会いにつながっていきました。
そのあと、筆者、玉野赤十字病院に入院していたときもらったという『新約聖書』を父から譲り受けました。ちょうど、学生服のポケットに入る大きさなので、筆者はいつも学生服のポケットに『新約聖書』をしのばせて、休憩時間に読んでいました。下津井メバルとあだ名された社会科の教師が、<吉田、いつも休憩時間に何をよんでんだ? 聖書? 吉田の家はクリスチャンか?>と問いかけてきました。<いいえ、違います。仏教徒です。>と答えますと、その下津井メバル、<聖書はいい本だ。読め、読め!>といって去って行きました。下津井メバルから公認された筆者は、中学校3年間、学生服に『新約聖書』をしのばせて、休憩時間に読んでいました。
溺れるペテロに救いの手を差し伸べるイエスさまの御手は、やがて、人生の荒波に溺れそうになっている筆者の救いのために差し伸べられた手になっていました。筆者は、聖書を通して、聖書の神を信じるようになったのであり、筆者のまわりには、クリスチャンも教会もありませんでした。
2022/10/06
中学校の図書室にはじめて入ったとき・・・
登録:
コメントの投稿 (Atom)
昨夜, 右腕の痛みの原因を調べる・・・
昨夜, 右腕の痛みの原因を調べました. 2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になり, 東北福島の妻の実家に帰郷・帰農するとき, 妻の実家のおとうさんから郡山市湖南町赤津村は昔から無医村であると聞かされていましたので, インターネットで国立大学医学部のカリキ...
-
猪苗代から戻ると、筆者と妻、すぐ着替えて農作業をはじめました。 妻は、段々畑の梅の木のある畑に作付けしたキュウリとインゲンの支柱のネット張り・・・。筆者は、棚田のひめのもちとはえぬきの田の草取り・・・。午後1:30~4:00、市販の農具を改造してつくった <水田熊手>型草取り器を...
-
1948年生まれ。出身地は、岡山県児島郡琴浦町、当時は、塩田と学生服の町でした。琴浦西小学校・琴浦中学校・岡山県立児島高校普通科出身。神学校は、鶴川学院農村伝道神学校。高校を卒業した後の職業は、大阪府職員、岡山県倉敷式の某医学研究所付属病院で臨床病理検査、さらにその後、専門商社に...
0 件のコメント:
コメントを投稿