2021/12/08

研究に関する哲学的考察・・・

今朝5:30に起床。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読しました。そのあと、ヤスパースの『哲学』(全3巻)の通読をしました。昨夜読んだ箇所の読み直し・・・。

今朝読んだ箇所は、研究に関する哲学的考察がなされている箇所・・・。哲学者ヤスパースは、研究は、<未だ考え尽くすことのできない諸々の可能性が存立しているという意識の中に生きている>といいます。もし、<研究>が、他の研究を否定し、己自身の研究のみ研究として認めるところでは、<研究>そのものは、研究ではなくなっている・・・。たとえば、被差別にある人々<賎民>とラベリングして、その概念にふさわしい情報のみを集めて、<賎民史観>を構築し、被差別にある人々をその差別思想の鉄鎖に拘束し、自らの利権の追求のため利用する<研究>は、<研究>という名を冠していても、研究足り得ない・・・。真の研究者は、研究の途上においても、<自己批判>、自らの研究の目的と方法、結果と公表について、絶えず自己検証するのが常であって、多様な研究の中で、自らの拠って立つところを見失うことはない・・・。

本田豊の本田豊著『戦国大名と賎民 信長・秀吉・家康と部落形成』・・・。研究全体を通して遂行されなければならない、研究者としての自己検証を忘れるか、それを無視している点で、すでに研究に値するものではなくなってしまっている・・・。被差別の人々を<賎民>とラベリングして、彼らを差別の鉄鎖につなぎとめる、差別思想・賎民史観構築の忠実なしもべになっている・・・。部落史研究者の本田豊は、<反差別>ではじめて<差別の拡大再生産>に奉仕している・・・。

ゲーテの『ファウスト』に出てくるメフィストの言葉・・・

<あの学問ときては、
邪路を避けるのが困難だ。
あのなかには、見えない毒がたくさんひそんでいる。
それを薬と区別するのは不可能だ>。

その言葉は、差別思想・賎民史観で、日本の部落史を研究する学者・研究者・教育者にふさわしい言葉です。悪魔すら嘲笑する・・・。

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