<新しき年のはじめに豊の年しるすとならし雪のふれるは>
『万葉集』3925番目の歌です。高校生のとき、筆者が毎日読んでいたのは『聖書』と『万葉集』・・・。Sweden Covenant Mission の宣教師、グンナル・クリスチャンソン先生にその話をしますと、『万葉集』に興味を持たれて、筆者によく、『万葉集』に何が書かれているのか問いかけて来られました。あるとき、筆者、『万葉集』に出てくる<神観念>について話をしますと、彼は、<日本人の宗教、信仰は、とても健全なものなのですね>と、否定されることなく受け入れてくださいました。日本の神道は、北欧の土着の宗教とよく似ているとか・・・。北欧のひとがキリスト教を受け入れたのと同様に、日本人もキリスト教を受け入れる可能性が多分にあると喜んでおられました。
しかし、日本では、なかなかキリスト教が進展しない。その理由は、日本のキリスト教が、大衆層への布教から撤退し、知識階級・中産階級層への布教を選択したため・・・。明治初期に形成されたキリスト教のあり方は、戦後になってもほとんど変わることがないどころか、ますます強化されていっているようです。Sweden Covenant Mission の宣教師たちは、筆者に、日本のキリスト教会は、欧米の教派的キリスト教ではなく、聖書信仰にもとづいた日本的基督教にならなければならないと話していました。
妻が、<あなた、雪が降ると喜ぶでしょう? この年は豊作になるって。湖南の農家は、雪がふると、雪かきをしなければならなくなるのでいやだなあと思うのが普通よ。あなたはどうして、喜ぶの?>と問いかけてきます。それで、筆者、昔から、そう思っていたのですが、そんな考えがどこに由来しているのか調べていると、この『万葉集』の歌にたどりつきました。
0 件のコメント:
コメントを投稿