午後、筆者の祖父・吉田永学の先祖が住職・修験僧として世襲していた信州栗田村の真言宗観聖寺の『観聖寺縁起』の語釈をしていました。近世文書である『観聖寺縁起』を現代文にするために、一語一語を解釈して適切な現代語に置き換える作業です。
典型的な日本語の文章で、ほとんどすべての文章で主語が不明確・・・。その文章が、誰が誰に対して何をものがたっているのか、文法的に把握しながら読み進めていかなれば、ほんとうのところが見えてきません。今日、やっと、『観聖寺縁起』の意味を理解することができました。『観聖寺文書』を精読していると、観聖寺を太子堂として開山したのは、観聖寺の創立者、伊勢の世義寺の流れをくむ、太子信仰と太子堂に深いかかわりのある舜良坊周順ではなく、その本尊である聖徳太子の御真影であった、舜良坊周順は、その聖徳太子の御真影に選ばれた真言宗の僧に過ぎない・・・、ということになります。その『観聖寺文書』を版木と共に残したのは、太子堂を再建した舜良坊周の子孫で、筆者の祖父吉田永學の高祖父にあたる勢賞・・・。筆者の先祖は、聖徳太子に選ばれて太子堂の住職・修験僧をつとめていたことになります。先祖代々、宗教者としての謙遜さを受け継いでいたようです。
2022/01/01
信州栗田村観聖寺縁起の語釈・・・
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