2021/12/04

本田豊の部落史研究の限界

本田豊著『被差別部落の民俗と伝承』をよみはじめて、すぐ、『インターネットの古書店に、本田豊著『戦国大名と賎民 信長・秀吉・家康と部落形成』と『被差別部落の形成伝承』の2冊注文したのは、次の文章に遭遇したからです。

<(家永三郎は)1956(昭和31)年に高校用教科書として『日本史』を書き、検定申請をしたが、1957(昭和32)年に検定不合格となっている。これには部落問題の記述もその理由の一つにあげられている。・・・その部分を引用しておこう。

「公家・武家ばかりではなく、幕府の威力は社会のすべての層を貫いて上下に貫徹した。秀吉以来武士階級の支配体制を維持するために、人民の勢力の向上をおさえる政策が採られたが、徳川幕府はますますこの政策を推し進め、身分の区別を厳にし、上下の関係を堅く守らせることに努めた。江戸時代の社会は、少数の公家貴族を別にすると、武士・百姓・町人の三つの身分に区分され、これを士農工商と呼んだ。その下に賤民が置かれて、特殊な差別を受けている。(略)賤民は、穢多・非人などである。穢多は住居も一定の場所に制限されて、一般の人民との結婚も禁止されるなど、はなはだしい差別待遇を受けた。賤民に対する差別待遇は、町人・百姓の下に一段低い身分を設けることによて、町人・百姓の武士に対する不平をそらすためであった、と考えられる。賤民に対する不当な差別が長く続いた結果、明治維新の際その身分が廃止されたのちも、差別観念はなかなかなくならず、いろいろの社会問題を引き起こした。水平社運動はこうした差別を打ち砕こうとする努力であった。」

読み返しても、別にどこが問題なのかと思う記述である>。

この文章を読んでいて、筆者が問題に感じるのは、部落史研究者の本田豊は、

1.当時の文部省の教科書検定委員がいかなる理由で家永三郎の『日本史』を検定不合格にしたのが言及していない。
2.『日本史』からの引用文が、左翼思想の学者・研究者・教育者による差別思想・賤民史観の典型的な記述であることについて、その問題性にまったく気づいていない。

本田豊は、差別思想<賤民史観>の差別的な文章を前に、何度<読み返しても、別にどこが問題なのか>、理解できないと、自ら告白しています。それほど、部落史研究者である本田豊は、差別思想<賤民史観>の世界にどっぷりと浸かっているわけです。本田豊は、全国に散在する6000被差別部落のうち4000部落を歴訪したと語っていますが、4000部落を訪ねても、本田豊自身の内にある差別思想・賤民史観の問題点に気が付かないということは、彼の歴史研究、民俗学的研究の姿勢と方法が間違っていたと推察されます。『部落学序説』の筆者の研究対象は、本田豊が歴訪した4000部落ではなく、本田豊の部落史の研究方法です。

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