2022/09/30

スペイン語の学習をはじめたことで、英語・独語もレベルアップ・・・?

ふと、スペイン語の学習をはじめたことで、英語・独語の再学習環境も充実してきて、特に、英語は、無学歴・無資格の学問とは無縁の筆者にとって、実用的な外国語になりそうです。

<Google 翻訳>をフル活用して、自由に、<English writing>(英作文)ができそうです。典型的なアナログ世代である団塊世代に属する筆者、以前として、デジタルではなくアナログの世界に身を置いています。電子BOOKを読むことはほとんどなく、依然として、インターネットの日本の古本屋経由で古書を買って読んでいます。

筆者の英語は、高校生のときに使っていた『岩波英和辞典』と『熟語本位岩波英和中辞典』、それから、高校卒業のあとに入手した『岩波英和大辞典』の範囲の英語なので、時代の流れからは完全に取り残された辞書群です。

今回、古書として入手した、『ポケットプログレッシブ英和・和英辞典』の使い勝手のいいことがわかり、『ポケットプログレッシブ独和・和独辞典』と、『ポケットプログレッシブ仏和・和仏辞典』、『デイリーコンサイス西和・和西辞典』も入手することにしました。<Google翻訳>を使って、簡単に<解釈>・<作文>ができそうですから・・・。

いつのまにか、時代は大きく変わっていたのですね。筆者の若き日の<独学>環境と、現在の若い人たちの<独学>環境は、雲泥の差があります。<独学>も、経済的・時間的理由で、それなりの出費が必要なので、いろいろな事情で経済的困窮に立たされている若いひとは、今も昔も変わらず、<独学>を続けることは大変でしょうが・・・。でも、その気になれば、<独学>でしか身に着けることができない主体的な学習法、研究法を身に着けることができます。置かれた状況を<所与>として受け入れ、生きていくことは、人生をより豊かにしてくれます。

部落史の学者・研究者・教育者を批判することは差別になるのか・・・?

部落史の学者・研究者・教育者の公開された書籍・文章を批判することは、部落差別になるのか・・・?

部落史の学者・研究者・教育者が本来の使命を忘れて、部落解放運動の盾の内側に隠れて、部落解放運動に利するような言動を繰り返していることを批判することは、部落海の学者・研究者・教育者に対する批判ではなく、被差別部落の人々全体に対する部落差別になるのかどうか・・・?

学問的手法を駆使して真実を追求しようとする学者・研究者・教育者の本分を捨てて、同和対策資金・同和教育資金という補助金にあずかるべく運動団体の御用学者として三百代言を繰り返し、結局は、部落差別の温存と拡大に資するだけの学者・研究者・教育者を<似非>と呼ぶことは、被差別民衆に対する差別になるのかどうか・・・?

非公開の会話を公然と批判しているならともかく、書籍として出版されたり、インターネットで公開されたりしている部落史の学者・研究者・教育者の著作は、読者によって批判されることが前提ではないのか・・・?

日本の左翼思想の学者・研究者・教育者は、思考の多様性を否定して、思想的イデオロギーに服従を迫る傾向が多分にありますが、日本の部落差別がいつまでもなくならない原因のひとつに、そのような部落史の学者・研究者・教育者の排他的・偏狭的体質があるのではないでしょうか・・・?

1冊で部落差別問題を俯瞰できる本は・・・

 1冊精読すれば、部落差別問題の全体像を俯瞰できるような本を、1冊あげれば、それは、雑誌『現代の眼』(1981年11月号)・・・。

筆者は無学歴・無資格、部落史研究などの学問とは無縁の存在ですが、日本基督教団西中国教区総会で、部落差別問題特別委員会の委員を押し付けられたことで、少しく部落差別問題との接点を持つ機会が与えられました。その取り組みは、筆者のブログ『部落学序説』とその関連ブログ群に文章化しています。筆者が『部落学序説』で、差別思想と断定している賤民史観の成立過程を知る上で参考になるのが、上記の『現代の眼』です。

<特集 反差別闘争の課題――差別のルーツを追え
1.賤民史観樹立への序章
部落史の再検討がなされている今日、秘められた日本の文明発達の真実を語る”賤民史観”を提起する 沖浦和光・管孝行
2.部落史の始源とカオスの視座 北見憲一郎
3.聖なる感情としての差別意識 岩津洋二
4.差別意識把握の社会学的可能性 福岡安則
5.きりかえしの被差別者像 山岸嵩
6.狭山差別裁判闘争の地平 梅沢利彦
7.宗教界を揺るがす差別問題の実態 丸山輝雄
8.「障害者」という差別と健常者社会 千田好夫
9.「未開放」部落と「被差別」部落 井上清
10.「完全参加」を身近な問題で考える 津田道夫
11.生か死か――残酷な刑法上の差別 丸山友岐子
12.強姦の構造――ペニスによるファシズム 落合恵子
13.四年間の転校運動を省みて 金井律子
14.カーストを支える浄・不浄観

15人の論客による、それぞれの視点・視角・視座からの反差別への提言・・・。1人の著者による部落差別問題に対する俯瞰図の限界をこえて、日本が直面する部落差別問題についての複合的な視点・視角・視座を俯瞰・外観することができます。筆者のブログ『部落学序説』は、1980年代当時の部落差別問題研究、部落史研究を批判的に論じたものです。

『現代の眼』(1981年11月号)の編集後記は、<牢固として日本人の差別意識がなぜ存在しつづけるのか。単に支配・被支配だけでなく、もっと民衆のカオスに波及しなければ何も見えないのではないだろうか>という言葉で結んでいますが、無学歴・無資格、部落史研究とは無縁の筆者は、<支配・被支配>、<民衆のカオス>だけでなく、部落史の学者・研究者・教育者のカオス、部落解放運動のカオスについて批判検証しなければ、部落差別完全解消への道筋をつけることはできないと、彼らに通底している差別思想・賤民史観を『部落学序説』で批判的に論述しています。

プーチンのウクライナ侵略を全面否定するようなスターリンの言語学・・・

<スターリンの著作に何の価値も見出さなかった人々の関心を引きつけたこの著作(『マルクス主義と言語学の諸問題』という、55ページの冊子にまとめたもの)は、<1956年・・・フルシチョフがスターリンの悪業を思いっきり暴露したために、スターリンの著作は、すべて紙屑同然になってしまった。・・・<今日、「スターリン言語学」を全集版で読めるのは、ひとえにアメリカの、・・フーバー・インスティチュートのおかげである。・・・学生諸君から、どこでこの論文が読めるかと、問い合わせを受けるたびに、国民文庫(『弁証法的唯物論と史的唯物論他2篇』)をすすめてきたが、それに巡り合うことができた人はまれであった。国民文庫は、70年代はじめには、これを絶版にしてしまったふしがある・・・>と、『「スターリン言語学」精読』の著者・田中克彦氏は、その本の中で書き記しています。

プーチンのウクライナ侵略を全面否定するようなスターリンの言語学・・・、筆者、その本文を自分で読んでみたくなり、インターネットの日本の古本屋で検索、ヒットした3冊の中から一番安価なものを注文しました。田中克彦氏の<それに巡り合うことができた人はまれであった>という言葉から類推して、筆者、スターリンの言語学とまれな出会いを経験させられているのかもしれません。

棚田の田に給水ポンプで農業用水路の水をくみ上げる・・・

今日は、妻の実家の棚田の田に、温水田経由で、農業用水路の水を、2インチの給水ポンプで水をくみあげる作業をしています。1.5時間ごとに、ガソリンを補給して、午前11:00~午後5:00まで、水をくみ上げます。農業用水路の水を、温水田で一度あたためてから、ひめのもち、はえぬき、コシヒカリの田に給水します。

棚田の田を見渡しますと、あちらこちらで、大型コンバインが走っています。湖南の赤津村の田は、今、あきたこまちの刈入れ時であるようです。明日・明後日は、土日になりますので、専業農家の方々だけでなく、兼業農家(プロの農家)の方々の稲刈りもはじまりそうです。

湖南の赤津村で、一番最後に田植えをする、妻の実家の田の稲刈りは、やはり、1か月遅れになります。10月下旬から11月上旬にかけて・・・。稲刈りがすむと、10日ほどぼうがけして天日干しをしますので、脱穀・もみすりをして、玄米を保冷庫に保管するのは11月下旬になります。プロの農家のあきたこまちの収穫が終わったあとも、筆者と妻は1.5か月間、稲の収穫に多忙を極めます。

湖南の赤津村のプロの農家は、1反あたり10~12俵、収穫するようです。しかも、静岡製機の玄米食味分析計で95点をはじきだす、本場秋田のあきたこまちより美味しいそうです。<今年も、コシヒカリ、採れなかったんだべえ? ここらでは反あたり、10~12俵とれねえと、採れたうちには入んねえ! 何? おめえのコシヒカリ、有機無農薬で反あたり6~7俵? そりゃあ、採れたうちには入んねえなあ!要するに、コシヒカリはとれなかったんだべえ?>と、プロの農家は、湖南の赤津村に言いふらしてくれたものですから、筆者と妻は、<懲りねえで、毎年コシヒカリをつくっているバカ農家>との評価がすっかり定着してしまいました。

<バカの一つ覚え>ということわざがありますが、筆者と妻は、文字通り<バカの一つ覚え>・・・、標高550mの湖南高原産、有機・無農薬のコシヒカリを栽培し続けます。棚田の妻の実家の田でつくるあきたこまちは不味いコメにしかなりませんが、同じ田なのにコシヒカリはとても美味しいおコメになります。妻の実家の棚田の田で有機・無農薬で栽培したコシヒカリは、静岡製機の玄米食味分析計で78~83点をとることができます。湖南の赤津村のプロの農家のあきたこまちの95点にははるかに及びませんが、筆者と妻は、それで満足・・・。

黒猫黒兵衛のために豆炭こたつを修理・・・

最近、黒猫黒兵衛はよく筆者の膝の上にのってきます。冷たくなったからだをあたためると、筆者の膝からおりて、黒猫黒兵衛のソファーや椅子の上に移動します。黒猫黒兵衛の専用の椅子は3つ、ソファーは1つ・・・。黒猫黒兵衛のソファーや椅子に、筆者と妻が座りますと、黒兵衛はすぐやってきて、<そこはおらの席だ、よけろ!>といって、筆者と妻が離れるまでなき続けます。

明日から10月・・・、例年ですと、もうまめたんこたつを使っているのですが、妻の実家のおかあさんが使っていたまめたんごたつ2つ、どちらも壊れてつかえなくなっているとかで、妻が、<できることなら、費用をかけないで修理してほしい・・・>といいますので、壊れた2つのまめたんごたつを1つにする修理作業をはじめました。

2時間かけて、やっと、1台のまめたんごたつを使用できるようにしました。このまめたんこたつは居間において、黒猫黒兵衛の居場所になります。妻の実家のおかあさんがなくなった後、黒猫黒兵衛は10年近く一緒にいたあかあさんがいないと、探し回っていましたが、おかあさんのにおいのしみついたまめたんごたつ、黒兵衛は、なつかしさを感じて安心できるかもしれません。

朝食前の一仕事・・・。

2022/09/29

英語論文の書き方に関する本を注文・・・

夜、インターネットで、英語論文執筆に役立つと思われる表現集、文例集、表現事典などを検索、その内容・評価を確認した上で、以下の6冊を、Bookof Online で注文しました。

1.『はじめての英語論文 引ける・使えるパターン表現&文例集』
2.『英語論文によく使う表現』
3.『英語論文 すぐに使える表現集』
4.『英語論文によく使う表現事典』
5.『英語論文に使う表現文例集』
6.『英語論文基礎表現717』

無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者が、英語で論文を書く(日本語で書いた筆者の論文を英文に翻訳する)のは、<狂気の沙汰>・・・。それが<狂気の沙汰>であろうとなかろうと、筆者にその気を起こさせたのは、<Google 翻訳>・・・。<Google翻訳>は、筆者がこれまで、使ったことのあるどの翻訳ソフトより英訳・和訳が適切であると思いました。なにでも、 <Google翻訳>は、AIが組み込まれたため、他の翻訳ソフトより的確に訳されるとか・・・。有料のオンライン翻訳は、<Google翻訳>よりより正確に訳されるそうですが、年金暮らし&百姓暮らしの筆者には、そのために割く経済的ゆとりはありません。上記6冊は、送料込みで、2,251円・・・。

筆者がお手本にする英語の文体は、Desmond Morris の原書・・・。たとえば、『TRIBES』・・・。


英<作文>辞典を注文・・・

今日、インターネット経由で、『英語日記パーフェクト表現辞典』と『会話作文英語表現辞典  』を注文しました。

インターネットで、英和辞典・和英辞典を検索しますと、ほんとうにいろとりどりの辞典があるんですね。筆者、ただただ、その種類の多さに驚くばかり・・・。今回、<英語・論文・執筆・辞典>で検索してみましたが、適当な辞典をみつけることができず、<論文>ではなく、<日記>・<作文>で検索しますと、『英語日記パーフェクト表現辞典』と『会話作文英語表現辞典  』がヒットしました。さらにインターネットで、その2冊の内容と評価を確認して、インタネット経由で、古書店に発注しました。

ついでに、『使ってはいけない英語』も注文・・・。その内容は、

丁寧に言ったつもりが失礼千万になる表現
本来の意味とは違うカタカナ語の危ない使い方
よく知っているつもりのフレーズの落とし穴
陥りやすい単語の誤用。それを言うなら・・・
こんなニッポン英語はネイティブには通じない
日本語感覚の英作文がじつは失敗のもと
発音が悪かったばかりにとんでもない意味に・・・
知らずに使って呆れられる隠れた意味をもつ言葉
品性を疑われる聞くにたえない言葉
きちんと使い分けるべき男ことば、女ことば
米語と英語の違いがまさかの誤解を引き起こす
無神経ではいけない性別や民族に関わる表現

棚田の田は、赤とんぼの群れが飛び交う・・・

妻の実家の棚田の田、赤とんぼの群れが飛び交っていました。

農業用水路から水をくみあげていたとき、温水田の水面に、赤とんぼが羽をばたつかせていました。なにをしているのだろうと、近づいてみますと、くもの細い1本の糸に羽がひっかかって取れなくなっていました。そこに、給水ポンプでくみあげた水が入ってくるものですから、その赤とんぼ、溺死する寸前・・・。筆者、てのひらで赤とんぼをすくいあげて、クモの糸を取り、ミニトマトの雨除け栽培用トンネルの防獣ネットからはみだしてきたミニトマトの葉の上に赤とんぼを載せてやりました。すると、その赤とんぼ、くるりと体を動かして、ミニトマトの葉の下に身を隠すようにとまりました。ときどき、心配になって、赤とんぼの様子を見に行ったのですが、<元気だよ>といわんばかりに、羽を振っていました。

赤とんぼは、秋が深くなり、稲刈りがはじまるころになりますと、山から、自分たちが生まれた田に戻ってくる習性があるようですが、妻の実家の棚田の田に群れをなして飛び交う赤とんぼ、生まれたところに戻ってきたのかもしれません。温水田には、稲刈りが済んだあとにも水をはっていますので、いろいろなとんぼが卵をうみつけます。

今日、温水田で、とのさまがえるがゲンゴロウを捕獲してその体液を搾り取っている光景をまのあたりにしました。そのかえる、温水田に水を入れる前、温水田の草を備中鍬で掘り起こしているときに、筆者のまわりをウロウロしていたとのさまがえるです。筆者が掘り起こした土から出てきたゲンゴロウを捕獲するために、筆者のまわりをウロウロしていたのかもしれません。ジョウビタキやカラスなども同じ傾向がありますが、とのさまがえるもそうだとは・・・!

牛糞堆肥・鶏糞堆肥を買いに猪苗代へ・・・

今日午前9:30~12:30、猪苗代へ、買い物に軽トラででかけました。ホームセンターによって、牛糞堆肥と鶏糞堆肥をそれぞれ3袋購入・・・。そのあと、スーパーによって、食料品を購入して湖南に戻ってきました。

猪苗代は、いたるところで、あきたこまちの収穫が行われていました。白い雲の浮かぶ青空の下、どこまでも広がる黄金の稲田、赤色の大型コンバインが疾走していました。妻のふるさと・湖南の赤津村も同じ光景がみられます。あちらこちらで、大型コンバインが疾走しています。

家に戻ると、1時間ほど休憩して、午後1:30~4:30、昨日、整備・修理をした2インチの給水ポンプで温水田に農業用水路の水をくみあげました。スムースなエンジンの音をききながら、筆者は、温水田の手入れをしました。温水田の4つの<島>は、全部撤去・・・。そのあと、KUBOTAの管理機TRS70USの点検をはじめました。エンジンをふかすメカニズムを確認しましたが、はたして、そのワイヤーを交換するだけで、問題解決できるのかどうか、見通しをたてることができませんでした。KUBOTAの湖南営業所の現在の若い担当者の方、修理依頼をしても放置しておかれるだけなので、この春以降、全部自分で修理してきましたが、定年退職された Koyama さんにご足労願って、修理してもらった方がよさそうです。

午後4・30になると、太陽が西の山の端に沈んでいきますので、棚田は急に気温が下がってきます。4:30で、給水ポンプをとめて、家に戻りました。

朝、書斎のノートパソコンがハングアップ・・・

朝、筆者の書斎のノートパソコンがハングアップ・・・。インターネットにアクセスしようとしますと、すぐパソコンが固まってうんともすんとも言わなくなります。

普通、筆者のブログのアクセス者数は、1日3名程度ですが、最近、1人増えて、1日4人になっています。筆者は含まれていませんので、1日3~4人の読者しかいないということは、筆者のブログは、あってなきがごとき存在・・・。

2022/09/28

差別語・禁忌語・隠語・俗語に関する英和辞典を注文・・・

今日、、インターネット経由で、英和辞典を検索・・・。 差別語・禁忌語・隠語・俗語に関する英和辞典を5冊注文しました。

やがて執筆することになる『部落学』を英訳するとき、筆者の英文に差別表現が含まれることがないようにするため・・・。特に、性差別に関する表現は不可・・・。

スペイン語の学習をはじめたのをきっかけに、ドイツ語と英語も学びなおすことにしたのですが、意外と持っていなかった辞書が英語・・・。それで、今回、英語の辞書もそろえることにしました。

収録された単語数が2,000語、35,000語、70,000語、110,000語、250,000語・・・。これから、一番よく使うことになる英和辞典は70,000語が収録された英和辞典です。一般用語、学術用語、俗語の区別がつけやすい辞書・・・。


午後1:00~3:00、2インチの給水ポンプの整備・・・

妻の実家の棚田の田の温水田に、農業用水路から水をくみあげるための、2インチの給水ポンプ、この前、動かなくなりました。稼働中にエンジンがとまりましたので、故障・・・。

今日の午前中に、妻の実家の棚田の育苗用ハウスの中に保管していた給水ポンプを持って帰り、昼食のあと、点検・整備をはじめました。

1.説明書に目を通す。
2.エンジンオイルを抜いて、新しいエンジンオイルを注入する。
3.空気エレメントやフィルターのクリーニングをする。
4.プラグを新しいものに交換する。

そのあと、エンジンスターターのひもをひっぱりますと、すぐエンジンがかかりました。給水ポンプを棚田の田まで持って行って、温水田に水をくみあげようと思ったのですが、3:30を過ぎると、気温が低下してきましたので、水をくみ上げるのは明日行うことにしました。

プーチンに激怒するスターリン・・・?

この数日、田中克彦著『「スターリン言語学」精読』を読んでいます。まだ、通読途中ですが、この本を読みながら、なにとなく、違和感を感じ始めました。現代にスターリンが生きていたら、プーチンの対ウクライナ侵略戦争に対して激怒したのではないかと思いました。

日本の左翼は、<マルクス主義は民族解放の思想であり、民族解放戦線のための理論的基礎を提供するものだという通念>を信じているようですが、田中克彦は、<マルクス、エンゲルスという、マルクス主義の始祖たちには、そのような配慮は全くなかった>といいます。<マルクス主義の始祖たち>は、欧米の主要な言語<文明語の前に、ほかの劣勢民族の言語は滅びればいい、いな滅びるべきだと考えて何も問題なしにすませた>そうです。

それにひきかえ、スターリンは、<劣等民族が優勢な民族が作る国家の中に吸収されて消えて行く過程>のなかで、民族問題は階級闘争へ集約されていくことこそ<進歩へのかかせない過程>であるという<正統マルクス主義>に対して激しく異を唱えたそうです。スターリンは、<搾取するヨーロッパ>と<搾取されるアジア、アフリカ>という対立構造の中で、<搾取されるアジア、アフリカ>をも視野に入れて、少数民族のために、1.彼らの母国語をつかわさせ、2.その教育のために学校を与えることを保障、<それが民族の解放につながるという考えを・・・一度もとりさげなかった>そうです。

<1936年のいわゆるスターリン憲法は、その第17条で、同盟構成各共和国は、ソビエト同盟から自由に脱退する権利を保有する」と規定した。<この規定は、1977年のいわゆるブレジネフ憲法のもとで・・・「諸民族の自由な自決」>という言葉すら付加したというのです。民族の自決を認めることは、<独立の民族国家を形成することを意味している・・・。・・・しかし、ソ連邦(同盟)が解体した後に作られた現ロシア憲法は、どこの条項にも、「民族の自決」の規定がない。これは、ソ連邦憲法と比べて大きな後退だとして、ロシア憲法を承認していない共和国がある>そうです。

<正統マルクス主義>は、<自決していい民族と、そうではない民族とを、「歴史」によって厳しく選別・・・。残るべき言語と、統合されて消えるべき言語>を選別したそうですが、<スターリンは、一度も、そのようなしかたで、すぐれた言語と、貧弱な言語という区別をしなかった>そうです。

<マルクス主義者の周知の定式>は、<現在のロシア、ウクライナ、ペルロシア、その他の文化が、内容においては社会主義的な、形式においては、つまり言語においては民族的な文化である>・・・。ソビエト連邦崩壊後、ウクライナは、独自の言語、独自の民族、独自の領土、独自の文化と歴史をもつ独立国家として存在するようになりますが、ロシア大統領プーチンは、ウクライナ民族の独立国家を認めず、その領土をロシアに併合し、ウクライナの言語と歴史と文化、政治・経済・外交を否定、占領下においたウクライナの人々にロシア語を強制している・・・。スターリンの所属する民族はグルジア(今のジョージア)であり、その母語はグルジア語だったそうです。<ロシア語は、スターリンにとって、いわば外国語>であったそうです。ウクライナもジョージアも、ロシア大統領プーチンにとっては、民族国家であることを否定され、現在のロシアに隷属・統合し得る存在なのかもしれません。

スターリンが生きていたとしたら、スターリンは、プーチンのウクライナ侵略戦争に対して激怒したに違いありません。

無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者、哲学はすきでも、思想は好きではありません。マルクス主義については、まったくの門外漢なので、田中克彦著『「スターリン言語学」精読』の中で描かれているスターリン像が真実かどうかは判定する材料をもちあわせていません。しかし、田中克彦著『「スターリン言語学」精読』を読む限りにおいて、ロシア大統領プーチンは、かってのスターリンとは似ても似つかぬ存在であるようです。ロシア大統領プーチンは、ヒトラー顔負けの独裁者であり、ナチスの再来そのもの、スターリンとはまったく真逆の対極的存在であるようです。

部落は海である・・・

今朝、目が覚めたあと、いつもの健康管理と『英訳聖書』(NSRV)の通読をしましたが、そのあと、ジャーナリスト・山岸嵩氏の<日本的差別構造へのアプローチ きりかえしの被差別者像>を読んでいました。

その文章の最後の言葉は、<部落は海である>・・・。<部落は海である>という言葉を何度も心の中で繰り返していると、その言葉、次第に筆者のこころのなかに深く沈んできて、その通りだと思うようになりました。

海は、いのちの源と言われていますが、山岸嵩氏は、<部落、そこは自由と生存を求める海でもあった>といいます。部落という海の中で、被差別部落の人々は、自由と生存を求めて息づいている・・・。あるがままに生きていいんだよという生存に対する限りない肯定と、その中で、被差別部落民として生き続ける自由を謳歌する場としての、海としての部落・・・。

<被差別部落はいつの時代にももっとも差別されたものを引き受けさせられてもきたのだ>と主張する山岸嵩氏・・・。<今日、競争社会は日々に新しいアウトローを生んでいる。この意味では「被差別部落」は現代さらに拡大しているといえよう>といいます。その中で、差別にあがらい、自由と存在を追及する人々は、かれらが子々孫々受け継いできた<潜力を発見>し、<醜から美への逆転力>を養い蓄積している・・・。<醜から美へ>だけでなく、<賤から貴へ>、<卑から尊へ>、<偽から真へ>、<死から生へ>、<孤立から共闘へ>、<絶望から希望へ>、<諦めから闘いへ>、被差別部落の人々が持つ<潜力>は、いつか、新しい時代を招きよせることになるでしょう。

元部落解放同盟山口県連新南陽支部の部落史研究会のブログ『ジゲ戦記』にこのような言葉がありました。<現在、私の住む被差別部落では昔からの住民は地区内95世帯の内16世帯余りしかいない。それも独居と老人世帯ばかりで早晩いなくなる。それでも、ここは被差別民の幽霊が住む地としていじめられるのだろうか>。16世帯の被差別部落の人々は、79世帯の高齢者や生活保護世帯を行政から押し付けられて、共に住んでいる・・・。<被差別部落はいつの時代にももっとも差別されたものを引き受けさせられてもきたのだ>というジャーナリスト・山岸嵩氏の言葉の通り・・・。

部落史研究会の方は、<ここは被差別民の幽霊が住む地としていじめられるのだろうか>と危惧されていますが、その被差別部落を生きるものの源としての<海>として、<自由と存在を求める>、<切り返し>のできる<被差別者>であることを信じています。

山岸嵩氏いわく、<民族、人種、階級、身分、能力などの違いをこえて「反差別」として共通するものはたしかにある。運動として互いに連関しあってもきた、共有する敵を近代資本主義にみすえて。しかし「社会主義」の夢日々にあせつつある今日、彼我の関係はやぶれた。考えてみれば、夢ややぶれるべくしてやぶれるのであって、何かを犠牲にした「夢」は犠牲となるものがそれを拒もうと動き出した時、ほころびだしたのだ・・・>。

被差別からの解放は、山岸嵩氏の言う通り、被差別部落の人々が<自分たち自身の手で自分たちをえがく運動>からしか生まれない・・・。真の部落解放運動は、被差別部落の人々の痛み、苦しみ、悲しみという悲哀の<身に沁みたところから生まれる>、<切り返し>としての<存在と自由>への限りなき希求によってもたらされる・・・。

元部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加させてもらっていたとき、被差別部落の人々の自由な語らいに耳を傾けることができました。筆者、ワープロ速記の方法で、その学習会の内容を書き下ろして冊子にしたことがありますが、その中で、海の近くにあるその被差別部落の人々が、潮が引いたあとの砂州で、上流から流れてきた小石、砂利を集めて、近くの工場にもっていって、建築資材として買ってもらったという話を聞いたことがあります。石ころひとつひとつを集めてかごに詰めていく・・・。最初は、簡単に拾い上げることができる小石でも、集めれば集めるほど、かごは重くなって、身動きとれなくなってしまう。その話を笑顔で話し合う、被差別部落のおじさん、おばさんの姿を見て、被差別部落の人々に対する差別意識が大きく瓦解していった経験があります。今は、小石をひろうことを業としている被差別部落の人々はいないと思いますが、その被差別部落の部落史研究会の方々は、その被差別部落に住むことを押し付けられたあらたな人々と、部落差別完全解消への小石をひろい続けていると、筆者は確信しています。

部落は、希望の海でもあります。


2022/09/27

育苗用ハウスの東側の出入り口を補修・・・

午前10:00~午後1:00、前々から、妻に頼まれていた、妻の実家の棚田の田の育苗用ハウスの東側の出入り口の開き戸を補修しました。

昨日、庭のミニ簡易温室を解体した資材を転用して、ほとんどくずれかかっていた開き戸の枠の垂木を交換、補強して、農業用ビニールシートからポリカ波板に交換しました。施錠の位置も変更して、開き戸を開け閉めするときの取っ手もつけたしました。妻は、<使いやすくなったのでよかったわ・・・>と話していましたが、朝、そのために、発電機・電動ドリル・電気裁断機、のこぎり・くぎぬき・かなづち・ねじまわし、各種ねじくぎなどを念入りに準備しましたので、1回で、補修作業をすますことができました。

この冬も、育苗用ハウスの屋根と側面のビニールシートをはがさないで越冬させることにしていましが、妻の故郷・湖南の冬の暴風雪は、西日本の台風の暴風雨に匹敵しますので、開き戸が風に吹き飛ばされないように対策をとっています。

それで、育苗用ハウスの東側の開き戸を補修するのに、3時間もかかってしまいました。妻は、<あなたはなんでも作ったり、修理したりすることができるのね・・・。今回も、解体したミニ温室の材料を再利用して、費用をかけないで補修できるのですから・・・>と話していましたが、ホームセンターで購入する木材は、横垂木のみ・・・。柱材が必要なときは、横垂木を組みあわせてつくります。こどものころの<積み木遊び>、<積み木細工>と同じ遊び心で・・・。

2022/09/26

庭のミニ温室を解体・・・

 国道294号線のバイパス工事で解体・移築になった温室の中のゆずの木、庭の片隅に移植して、その冬、1坪のミニ温室をつくって寒さから守ろうとしたのですが、ゆずの木は、マイナス7°Cの気温に接すると枯れてしまいます。マイナス18°Cになることもめずらしくない、妻のふるさと湖南では栽培不能といわれていたのですが、二重化した簡易温室によって、簡易温室の中の土は厳冬期でも凍てつくことがなく、ゆずは毎年大きな実をいくつもつけていました。しかし、二重化した簡易温室と、単なるミニ温室とでは、その中の気温にかなり違いがあるようで、移植したゆずの木は枯れてしまいました。

それで、ゆずの木の死滅を確認した妻は、ミニ温室の解体・撤去を筆者に求めていたのですが、今日午前10:00~午後1:00、妻とふたりで解体・撤去を行いました。わずか1坪の温室でも、ポリカ波板を壁と屋根に張った本格的な温室なので、解体するにも時間と手間がかかりました。解体した垂木は、妻の実家の棚田の育苗用ハウスの東側と西側の出入り口を修理するときに転用することにして、ミニ温室を解体した資材は、妻の実家の棚田の田に運びました。

家に戻ると、筆者も妻も、<疲れた・・・>と倒れこみました。昼食は、さぬきうどん・・・。。

思い出の学校に思い出の花二つ・・・

筆者の年金の一部は、公立学校共済の年金です。

そのため、『公立共済友の会だより セカンドライフを楽しくサポート』が送られてきます。筆者が必ず目を通すのが、<投稿プラザ いきいき人生>の記事・・・。2022年8月号のVol.161 に、長崎県長崎市在住の小澤明(67歳)の<思い出の学校に、思い出の花ふたつ>が掲載されていました。小学校長と学校事務員の交わり・・・。教育というものは、学校の教師だけでなりたっているものではなく、いろいろな方々の協力があってはじめて成り立つものです。その時代を小学校長としてどのように生きていたのか、それは、定年退職したあとの元小学校長の老後のいきざまに反映されてきます。

<投稿プラザ いきいき人生>には、定年退職後の引退教師のいろいろな老後のいきざまが紹介されています。老いの秘訣集・・・?

うろこくもとひつじくもの見分け方・・・

空は、すっかり秋の空・・・。

今朝、妻がテレビの天気予報をみていたとき、うろこぐもとひつじくもの見分け方について説明があったとかで、とても喜んでいました。

筆者、村井昭夫他著『雲のカタログ 空がわかる全種分類図鑑』をとりだして、<雲をつかむ話――雲観察のコツを教えます!>のページを開いて、<手をつかって空にある雲の大きさを測る方法>という写真を見せました。どうやら、テレビの天気予報で紹介されたのと、まったく同じ説明であったようです。

参考文献に和書6冊、英書1冊(Richard Hamblyn著『The Cloud Book : How to Understand the Skies』)が紹介されていました。

ひつじくもといわれている雲は11種類あるそうですが、それまで1種類しかなかったひつじくもが、関連書籍を読むようになると、11種類に増え、それらを相互に識別することができるようになります。世の中の問題もすべからく同じですね。通説・一般説に依拠していきてきた人が、少しく学びはじめますと、問題解決の方向性が1つに限定されることなく、多様性を帯び、10も11もそれが広がっていきます。通説・一般説、教科書に書かれていることが唯一正しいことだと限定しますと、真実が見えなくなってきます。

筆者が持っている公的資格は、運転免許のみ。情報処理技術者試験は、<国家試験>であっても<国家資格>ではありません。よって、情報義儒者試験の合格者に交付されるのは<合格証書>だけであって<資格証書>ではありません。筆者の場合、情報処理技術者試験・第ニ種の<合格証書>の交付を受けたということは、高卒程度の学力にみあう情報処理に関する知識・技術を身に着けているとの、単なる証であって、学歴とも資格とも一切関係ありません。現代社会のシステムは複雑ですね。問題は、高卒が第二種に合格しても、専門学校や大学卒のひとがこの第二種にも落ちるということがめずらしくありませんが、それは、専門学校や大学での指導に問題があったということなのでしょう。その原因が指導ではなく受講生にあったとしたら、学歴にみあう学力を持っていないことを意味し、ゆゆしき問題になります。

無学歴・無資格の筆者、今現在、<学会>なるものに入っているのは、東北農業気象学会だけ・・・。この<学会>、会員になるための学歴・資格条項はありませんので・・・。昔、日本解放社会学会の会員になったことがありますが、それは、学歴をもたないで学歴差別を研究しているということで推薦されたことがあります。東北農業気象学会に入っているのは、東北地方における農業気象、特に、湖南における微気象を知り、それを田舎暮らし・山郷暮らし・百姓暮らしに生かすため・・・。東北農業気象学会の過去の研究成果のおかげで、筆者と妻、2013年に湖南に帰郷・帰農して以来、冷害にあうこともなく、有機・無農薬栽培で、栽培不能といわれる、標高550mの湖南高原の、妻の実家の棚田の田でコシヒカリ・はえぬきを栽培し続けています。無学歴・無資格者にも、学問的研究にアクセスしてその研究データを利用できるのは、いいことですね・・・。

少数者の立場に立つとき・・・

社会におけるどの問題にも、多数者と少数者がいます。

自分を<多数者>の側に置くか、それとも<少数者>の側に置くか、そのひとの生き方が大きく反映されたものになります。

<よらばたいじゅのかげ>的傾向を強く持っている人は、<多数者>の側に身を置いて、その通説・一般説に身をゆだね、それ以外のものの見方・考え方に批判的になり、場合によっては排除・疎外することになりかねません。<多数者>の側に身を置くことは、安直であり、易行道です。しかし、なんらかの事情で、<多数者>ではなくなく<少数者>の側に身を置かざるを得なくなったとき、そのひとは、<多数者>から迫害と受難を押し付けられることになります。往々にして、<多数者>は権力を持ち、<少数者>は権力を持たず、その支配下におかれがちになります。

2013年、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・有機無農薬栽培でコメと野菜を栽培していますが、ひめのもちと各種野菜は、野菜直売所・湖南四季の里に出展しています。筆者と妻の湖南における、郡山市における、あるいは福島県における農法は、<多数者>ではなく<少数者>の部類に入ります。おそらく農業人口の1%にも満たないでしょう。99%の農家は、大型農業機械・化学肥料・農薬・除草剤を多用した<従来型農業>に携わっている人々で、かれらは、<ここらでは、農薬・除草剤を使わないとコメも野菜もつくれねえ>と固く信じ込んでいるようです。筆者と妻が、1%に自分の身を置き、有機・無農薬栽培でコメと野菜を栽培しようとしますと、批判ではなく、誹謗中傷・罵詈雑言などの非難が雨あられの如く、筆者と妻の上に降り注がれます。

湖南で農業をするに際して、筆者と妻は、<少数者>の立場、有機・無農薬栽培という農法を選択して、今年で10年目になります。妻が、有機・無農薬で栽培したメロンやスイカを湖南四季の里に出展しますと、<A子さんの野菜は美味しい>と評してくれますが、それは、四季の里の会員と、四季の里でいろいろ買ってくださる観光客ばかり・・・。<吉田農園が社会的に認められているなら、有機・無農薬栽培が湖南でも普及しているはず・・・。吉田農園以外にどの農家も有機・無農薬栽培をしようとしないのは、吉田農園の農法、営農が他の人々から無視され、否定されている証拠・・・>という物知り農家も少なくありませんが、日本列島における先祖の農の歴史を継承して今日に生かし明日に生きようとするのは、当然といえば当然です。2000年の先祖の農の歴史を忘れ、最近の化学肥料・農薬・除草剤を多用して、農地や農業用水をけがし、<<いま>、農家の所得が増え、消費者が見栄えのいい形の整った食材を安価に入手することができれはいいではないか・・・。それなのに、その従来型農業を否定し、有機・無農薬農法を主張・実践することは、化学肥料・農薬・除草剤を多用して生産性をあげるプロの農家の不利益をもたらすことになる。純然たる農村的地域社会からは、<多数者>の権益を守るためにも、そのような少数者は締め出さなければならない・・・>。そんな、いろいろな非難を馬耳東風のごとく聞き流し、みずから正しいと信じる道を歩み続ける・・・。そこでもたらされる果実は、こころとたましいとからだの健康、安心立命です。

食生活ひとつをとっても、<多数者>と<少数者>の問題は、一筋縄では論じることができません。易業道より難業道のほうが、より真実・真理に近い場合が少なくありません。大型農業機械・化学肥料・農薬・除草剤を多用した<従来型農業>に携わる農家に対する国や地方行政からの補助金はあつく、有機・無農薬で栽培する農家は、例外をのぞいて補助金の対象外である。補助金の有無、法的規制の強化が、有機・無農薬の農家を<少数者>にさらに追いやっている。<有機農法推進法>では、実際に長年、有機・無農薬栽培をする農家が有機栽培、無農薬栽培という言葉を使用することすら禁止している。<有機農法推進法>というのは名ばかりで<有機農法制限法>の側面が強い・・・。それでも、有機・無農薬栽培の農家は、自他共に食の安全と健康の促進を願って難業道を生きている・・・。

2022/09/25

われわれは生きているかぎり・・・

 『アーレント=ヤスパース往復書簡』・・・


ヤスパースの『哲学』(全3巻)の精読を終えたあと、この『アーレント=ヤスパース往復書簡』を通読していますが、ドイツ人の哲学者ヤスパースと、ユダヤ人であるドイツ人哲学者アーレントとの文通・・・。ふたりの大学の哲学教授の間で交わされる対話・・・、無学歴・無資格、学問とは無縁、大学で学ぶ機会のなかった筆者にとっては、まったく未知の世界での対話です。かって、大学における教授と学生の関係であったヤスパースとアーレントは、やがて<同業>の<哲学者>として、手紙と交流によってその哲学的対話を展開していくことになりますが、どの手紙も、無学歴・無資格の筆者にとっては、知的刺激に富んでいます。

ヤスパースの手紙の中の言葉・・・。<われわれは生きているかぎり・・・自分のなすべきことをする・・・語れるときは語る>。<歳をとっても時間はまだまだたくさんあるような気持ちで生きるほうがいい。それに本を書くというのは、なかなか楽しいことですからね>。

アーレントの手紙の中の言葉・・・。<人間性を可能にしているのは、「議論」することのできないような事柄についてもなお「論争する」ことができる能力である、なぜなら、相手を議論で説得できない場合ですら「たがいに一致する」という希望があるから・・・>。

無学歴・無資格の筆者、その事実に立脚することで、高学歴・有資格のヤスパースとアーレントの対話、議論、論争に、敬意をもって耳を傾けることができます。

ヴィトゲンシュタイン著『哲学探究』・・・

<ものごとのもっとも重要なアスペクトは、単純で日常的なので、私たちには隠されたままだ。このことに気が付かないのは、——それがいつも目に前にあるからだ。人間は自分の研究の本当の基盤にはまたく気がつかない・・・>。

<ある概念の意味、つまり重要性を説明するために私たちが言わなければならないことは、しばしば、きわめてありふれた自然の事実なのだ。あまりにもありふれているために、ほとんど言及されることのない事実なのだ>。

無学歴・無資格の視点・視角・視座からは、かえって、高学歴・有資格の学者・研究者・教育者の<研究の本当の基盤>を明らかにすることが可能な場合も少なくありません。まかり間違って、高学歴・有資格の立場をとったがゆえに、<ほとんど言及されることのない事実>、<きわめてありふれた自然の事実>を見失うだけでなく、それを無視したり、なんら検証、考察することなく切ってすてたりする場合も少なくありません。

あのひとたちの部落史研究はどうなっているのやら・・・

2005年、インターネットのブログ上で『部落学序説』を公開執筆でかきはじめて、今年で17年目・・・。日本基督教団の隠退牧師になり、妻の故郷・湖南に帰郷・帰農して10年目・・・。

筆者のブログ『部落学序説』と、その執筆の舞台裏を書いた『田舎牧師の日記』を読んで、批判を展開されていた方々の部落史研究は、どのように進展しているのでしょう? 筆者、寡聞にして何もしりませんが、10年間、無為無策の日々を過ごしていたとは思われませんから、何らかの進展があったのでしょう。

Cocolog ではじめたブログ『部落学序説』は、問答無用の閲覧禁止・削除処分にふされ、急遽、OCNブログ人に以降、そのあとOCNブログ人が廃止になり、Gooblog に移行、そのGooblog からも問答無用の閲覧禁止・削除処分を受け、それまで有料のブログを使ってきた筆者、はじめて、Google の無料のブログ、Blogger に移行することにしました。Cocolog から Blogger への移行ツールを入手できず、手作業で移行作業をしています。まだ、写真とか図の復元が終わっていないので、テキストとまりの移行でしかありませんが、この冬、写真と図の復元作業をします。

『部落学序説』の章・節・項立ての復元はしないで、『部落学序説』とその関連ブログ群の文章データベースを構築するつもりで再掲しています。1冊の論文は、あらたに、ブログ『部落学』 として書き直すことにしています。筆者、74歳で、まもなく後期高齢期を迎えます。『部落学』を書き上げることができるかどうか、精神的にも体力的にも自信がありませんが、主なる神さまが、そのときを与えてくださると信じて、書き続けることにしています。

午後0:00~3:15、棚田の田で草刈り・・・

今日、久しぶりに棚田の田に行って、コシヒカリ、はえぬき、ひめのもちの田の畔と土手の草刈りをしました。気温は29.7°Cと高めでしたが、日差しの強さはもう、秋のそれ・・・。今日は、草刈り機に、新しい田の草取り用のチップソーをつけていきましたので、快適に、きれいに草を刈ることができました。

コシヒカリもはえぬきも、ひめのもちも、穂が垂れて黄金色になっています。棚田のプロの農家の方々のあきたこまちや里山のつぶと同じ色合いになっていますので、妻の実家の棚田の田の稲は、すっかり棚田全体の色合いに溶け込んでしまっています。今年は、プロの農家の田は、除草剤の効きが悪かったのか、けっこうヒエが生えています。妻の実家の田も、8月上旬・中旬の悪天気がわざわいして、第3回目の草取りをできなかったコシヒカリの一部はヒエが生えていますが、プロの農家のヒエの生え具合とあまり違いはないので、今年は、<おめえの田はヒエがいっぱいはえてるでねえか、ヒエをつくってんのか、イネをつくってんのか、どっちだ?>と揶揄されることはないでしょう。

妻の実家の田と他のプロの農家の田との違いは、アカトンボ、アキアカネ、ミヤマアカネ、シオカラトンボなどのトンボがいっぱい飛んでいること・・・。温水田には、トンボたちがたまごをうみつけています。草刈りに驚いておおきなキリギリスが温水田の中に飛び込みました。筆者、<大丈夫・・・?>と思って見ていましたら、おおきなキリギリス、泳いで畔の岸までたどりつき、草をつたってもとの場所に戻ってきました。<キリギリス、泳げるの?>と筆者、ひとり、感激・・・。

午後0:00~5:00まで草刈り作業をするつもりででかけたのですが、午後3:15でギブアップ・・・。家に戻ると、妻は、軽トラで野菜直売所・湖南四季の里にでかけましたが、今朝出展した、メロン、スイカ、ナガナス、ミニトマト、ピーマン、ブリカ、コマツナ、ツルムラサキ、インゲン、オクラは、完売したとか・・・。

今朝の健康管理・・・

今朝の健康管理・・・

最高血圧119、最低血圧78、脈圧差41、平均血圧92、呼吸数15/分、体温36.2°C、体重61.0kg・・・、就寝前・就寝後の2回、OutStretch をしますので、右手の痛みはなし・・・。

そのあと、『英訳聖書』(NSRV)のダニエル書の通読・・・。さらに、そのあと、『部落学』の基本文献に目を通していました。これまでにも何度も読んだことがある本ですが、昔、雑木林や森だったその世界、今では俯瞰図的に全体像を把握することができます。

2005年にインターネットのブログ上で『部落学序説』の公開で執筆をはじめたとき、一般節・通説に依拠した学校教師、部落史研究者からの安直な批判に反論するための史資料を隠し持つことにしていました。しかし、筆者のブログの内容に対して、史資料をあげて反論しなければならないような批判はほとんどなく、たいていは、誹謗中傷・罵詈雑言の類・・・。その経験から、反論のための史資料を留保する必要はないと判断して、筆者、『部落学』を、やはりインターネットのブログ上で公開執筆をするとき、すべての史資料を駆使することにしました。

カネの切れ目が縁の切れ目・・・とばかり、各種同和対策事業が終焉を向かえたとき、それまで、公費(各種補助金)で研究をしていた学者・研究者・教師は、一斉に部落史研究から遠ざかっていきました。それで、部落史研究は大きく頓挫することに・・・。

山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、台風の突風によって隣家のトタン屋根が吹き飛ばされて、教会の庭のアジサイを地際から切断していったことがあります。そこに筆者が立っていたとしたら、両足切断という事態になったかもしれません。そのアジサイ、地際からスパッと切り取られたにもかかわらず、みるみるうちに再生して、次の年、いつもと同じようにきれいな花を咲かせました。無学歴・無資格、部落史研究とは無縁の筆者ですが、旧長州藩領地の山口で出会った被差別部落の古老の方々との出会いは、筆者に、アジサイの花のような生命力を育んでくれたようです。

筆者の<晴耕雨読>能力、次第に強化されつつあります。

野菜直売所・湖南四季の里に、有機・無農薬栽培のスイカ・メロン・野菜を出展・・・

今朝は、はやくから、妻は、野菜の収穫のために棚田と段々畑の田畑に向かいました。そして、収穫して戻ってくると、すぐ、選別して袋詰めに・・・。


<あなたこのスイカ、切ってみて!美味しいかどうか・・・>といいますので、筆者、水洗いして、スイカを切ってみました。<美味しいの?美味しくないの?どっちなの?>と妻の声が聞こえてきました、筆者、<食べてみたら・・・>といって、スイカを一切れ妻に渡しました。すると妻は、<美味しい!他の4個、四季の里に出すわ・・・>と笑顔でこたえていました。<つぎは、このメロン・・・>。筆者、<2個しかないのに、全部出展したらいいのでは・・・?>といったのですが、妻は、<美味しくないと、買ってくれたお客さんに申し訳けないから・・・>といいますので、水で洗って一切れ妻のところにもっていくと、<このメロン、とてもおいしい! 残りの1個、出展するわ・・・>と笑顔・・・。そのあと、ナガナス・ミニトマト・ピーマン・パブリカ・コマツナ・ツルムラサキ・インゲン・オクラの袋詰めをしていました。

<A子さんのつくる野菜は美味しい>という評判、一夜にしてくずれかねないので、妻は、自分で美味しいと判断したものしか出展しないことにしていますが、スイカやメロンは、美味しいかどうか判断することが難しく、<試食>しか方法がありません。<試食>すると、そのスイカやメロンは、自家消費用になってしまいます。

おみなえしとふじばかまのタネを探して・・・!

昨夜、妻は、菊の栽培法に関する本を読んでいました。

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、毎週の日曜日に礼拝堂にかざる生け花は、教会の庭で栽培していました。春夏秋冬、1年53週、礼拝堂にかざる花を栽培するのは大変ですが、そのなかでも、菊の花は、重宝していました。よく通っていた理髪店の店主の方は、近くの浄土真宗の寺にもっていくために、菊の花を栽培されていました。筆者、散髪してもらいならが、その理髪店の店主の方から、菊の花の栽培法を教えていただきました。教会の礼拝堂にかざる菊の花も、浄土真宗の寺の本堂に飾る菊の花も、同じ菊の花だから・・・、といわれて、ていねいに指導してくださいました。そのとき、菊の栽培法に関する本を数冊入手しましたが、理髪店の店主の方から教えていただいた菊の栽培法については記載がありませんでした。妻は、<あなた、まだ菊の栽培法、覚えてる? 覚えているなら、わたしに教えて! それと、おみなえしとふじばかまのタネがほしいの。ホームセンターに行く都度、そのタネを探しているのだけれど、ないの・・・>と話していました。

それで、昨夜、インターネットで検索してみますと、ふじばかまのタネは売り切れ・・・。1店在庫がありましたが、なんと2,700円・・・。妻に話しますと、<そんな高いタネはいりません>といいます。おみなえしの方は、1袋340円のタネを注文しました。

妻の実家の棚田の山側の農業用水路のなぞえには、秋の七草が咲いています。萩、尾花、くずばな、なでしこ、おみなえし、ふじばかま・・・。10月にはいったら、そのタネを採集して、来年春に播種すれば、再来年には花を咲かせることができるのでは・・・。日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の庭で、おみなえしやふじばかまを播種、花を咲かせたことがあります。花が咲いた年、わたりちょうのあさぎまだらがやってきました。妻は、そのあさぎまだらを、吉田農園の客として招き寄せたいようです。

2022/09/24

午後、古語辞典を見比べていました・・・

午後、古語辞典を見比べていました。現在、筆者の手元にある古語辞典は、

1.『旺文社・全訳古語辞典』(高校生向け)
2.『古語林』(高校生・一般向け)
3.『岩波・古語辞典』(一般向け)
4.『小学館・古語大辞典』(研究者・古文書愛好家向け)
5.『江戸語辞典』(?)

ちなみに、『律』の文言を読むために、上記の古語辞典をひいてみますと、一番役にたったのは、『岩波・古語辞典』・・・。編集者は、大野晋、佐竹昭広、前田金五郎の3人・・・。大野晋と佐竹昭広の著作はそれぞれ数冊蔵書しています。『佐竹昭広集』(全5巻)、『日本語の起源』は大著・・・。

辞書をひもといていますと、精神的に落ち着きます。なぜなのでしょうね・・・。

今年、あちらこちらであきたこまちが倒伏・・・

今日、午前10:30~午後2:00まで、猪苗代へ買い物にでかけました。

まず、ホームセンターに立ち寄って、妻は、菊の苗を4ポット購入・・・。そのあと、ドラッグストアによって、筆者の点鼻薬を購入・・・。そのあと、いつものスーパーで食料品を購入して帰ってきました。

その往復の国道や農道で目に飛び込んできたのは、あきたこまちが倒伏している悲惨な姿・・・。悲惨というのは、筆者と妻の感覚では悲惨と思われるという意味にすぎず、妻のふるさと・湖南の赤津村のプロの農家は、<倒れるか倒れないかぎりぎりのところまで窒素やって多収するのが、ここらの農家の腕の見せどころだ。どうだ、おそれ言ったか!>と主張する農家も多く、あきたこまちの倒伏は、今年も豊作であることのしるしであるようです。以前、ある農家に、<他の田はあきたこまちが倒伏しているのに、あなたの田はなぜ倒伏していないのですか?>と質問したら、<実ってねえから、倒れねんだ! おめえ、おらのことをバカにしてんのけ?>と叱られたあとは、どのプロの農家の方々にも話しかけることはなくなりました。あきたこまちが倒伏しても、なにも問題なし!<倒れるほど実っている、今年は豊作だ!>と喜んでいる農家が多そうなので、あきたこまちの倒伏については、他の農家と会話することはありません。

それにしても、相次ぐ台風の雨と風で、倒伏したあきたこまちの田の多いこと・・・。

家に戻ると、少しく心配になって、妻の実家の棚田の田に、ひめのもち、はえぬき、コシヒカリが倒伏していないかどうか確認しにでかけました。その結果、ひめのもちとはえぬきは倒伏していませんでしたが、山側のコシヒカリが1m巾で畔方向に倒伏しかかっていました。穂が水には漬かっていませんので、明日、保護することにしています。

2022/09/23

午前11:00~午後3:00、娘家族がやってくる・・・

今朝、郡山に住んでいる娘から電話がありました。今日、娘家族が遊びにやってくるとか・・・。

妻は、突然の電話に驚いて、お弁当屋さんにお弁当を注文したり、ペットボトルのお茶を買いに行ったり、居間と仏間(逝去したおかあさんの寝室)を掃除したりしていましたが、娘夫婦は、午前11:00にやってきました。

しばらく休憩して、持ってきた離乳食を、孫の向学ちゃんにたべさせたあと、娘夫婦と筆者と妻、お弁当屋さんのお弁当を食べました。向学ちゃんは、まだ離乳食を食べていますので、大人用の弁当はだめだとか・・・。昼食のあと、娘のご主人は、向学ちゃんと遊びはじめました。父親と遊ぶ向学ちゃんは、とてもうれしそう・・・。午後0:00~3:00まで、3時間ほど、一生懸命遊んでいました。観察しては行動、行動しては観察、観察しては行動・・・、と、孫の向学ちゃんの遊びは、次第にレベルアップしていきます。筆者と妻は、その様子を見るだけでしたが、孫の向学ちゃんのうれしそうな顔、今日はたっぷり見ることができました。

しあわせな秋の一日でした。

中学3年の国語の三宅先生・・・

中学3年生のとき、国文法、古文、漢文を教えてくださった国語の教師は、三宅先生・・・。その三宅先生が授業のときによく話しておられたのは、<君たちのなかには、高校に進学しないで、中学校で卒業して社会人になる人も少なくない。そんな人にとっては、国語の文法をならったり、古文や漢文をならったりするのは、最後になる。高校に行くひとは、高校で学びなおすことができるが、高校に行かないひとは、国文法や古文・漢文を習うのは最後のときになる。だから、一生懸命、勉強しなさい。>そういって、ていねいに国文法や、古文・漢文読解の基礎を教えてくださいました。筆者、中学3年生のときは、高校生物、高校現代文、高校古文、高校漢文の参考書を、文字通り参考にしていましたが、三宅先生の教えておられることは、高校での授業を先取りしたものでした。

筆者、英語・ドイツ語・ギリシャ語・ラテン語・ヘブル語、そして最近学習をはじめたスペイン語の文法書の読み直しをはじめていますが、日本語文法に関しては、明治書院『国語学研究事典』の<文法>に関するものしか蔵書していません。それも、まだ一度も目を通したことがありません。この冬の間、国文法・日本語文法も学びなおしたほうがいいかもしれませんね・・・。三宅先生、とても厳しい先生でしたが、筆者に与えた影響は大・・・!

中学3年の国語の先生は、もう一人、中島先生がいます。中島先生は、授業中に、みんなのまえで、<吉田くん、成績は5をあげるからね>と語り掛けてこられましたが、その約束通り、筆者、中学最後の学期で、念願の国語の成績に5をいただきました。

親友の尾崎くんのことを思い出したことで、次から次へと<連想の鎖>が活性化して、いろいろ思い出していました。

中学1年生のときに教えてもらった記憶術・・・

小学校3年生のとき、同級生であった尾崎くん、日本基督教団の牧師になるために神学校に入る前の年まで、ずっと筆者にとっては親友であり続けたひとですが、その尾崎くんから、中学1年生のときに、記憶術を教わったことがあります。

それは、短期記憶術というか、瞬間記憶術、一時記憶・・・。

中間テストや期末テストの直前に、その科目の試験に出そうな言葉をあたまのなかに叩き込む方法・・・。それで、あげることができる点数は、2~3点でしかないのですが、その2~3点で合否が決まるテストもあるわけですから、その短期記憶術というのもあながち無意味ではありません。尾崎くんが教えてくれた短期記憶術の最初は、<「憶えられる」と自分に言い聞かせると、記憶力は増す>というもの・・・。いまでも忘れない短期記憶術は、時間的順序でおぼえなければならないときは、最初にあたま、最後に足と、からだの上から下まで順を追って体の部位と覚えなければならない言葉を連想で結びつけていく<連想の鎖>・・・。64個の言葉を一挙に一時記憶するのは難しいけれども16個の言葉なら、なんとかなりそう・・・。あたま、髪、ひたい、まゆ、目、鼻、耳、口、歯、顎、首、肩、胸、腕、手、指と<連想の鎖>で16個の言語を結びつければいいのですから・・・。

妻は、<あなたのくちから、よく、尾崎くんという名前が出てくるけれど、あなたにとっては、ほんとうにいいおともだちだったのね>と話していました・・・。中学1年生のときに彼からならった記憶術が、75歳を前にした筆者に役立つとは・・・!

筆者の頭の中で広がる妄想の世界・・・

最近、筆者の頭の中で妄想の世界が広がっています。

機関銃を持ったお琴のお師匠さんが親指で電子レンジのスイッチを押している
刀を持ったさむらいがアコーディオンをひきながら足でテレビを蹴飛ばしている
・・・

日常生活のなかで、およそ出会うことがないようなひとの姿が、筆者の頭のなかに朝夕去来してきます。ひとは高齢化するとともに、頭のはたらき、脳のはたらきも徐々に低下していきます。74歳の筆者も例外ではありません。現実と架空の世界の区別がつかなくなり、精神世界に別の世界が構築されていきます。歳をとればとるほど、<短期記憶能力>が減少していくようですから、女4人に男1人の6人の異様な姿のひとが、筆者の脳裏に朝夕出てくるのも、そのうち消失されることになるでしょう。

鈴木健二著『へたな頭の使い方で一生を終わるな!』の中にこのような言葉がありました。<アイディアは自分ひとりでしまっている限りは、アイディアでもなんでもない。それを他人に公開してはじめて、アイディアとして人々に認められていくのである。その自分の考えを、たとえ間違っていてもいいから、人に話をしてみることである>。筆者が、妄想を含めてアイディアを語ることができるのは、妻だけ・・・。

牛の糞からセミが生まれる、牛とセミの好きなトウモロコシは鍋で煮て食べる
馬の糞からカブトムシが生まれる、馬とカブトムシの好きなカボチャは包丁で切る
テントウムシとライオンの好きなタケノコはフライパンでいためる
トンボのおめめはうさぎの眼、赤いトマトと同じ色のヤカン

ほんとうに支離滅裂・・・。こんなことを口走るひとは、認知症どころか老人性精神病になりかけている・・・。そんな変化が、74歳の筆者の頭の中に起きている・・・。64個の言葉で綴る異常な世界・・・。

植物生理学に基づいたメロンの栽培法・・・

昨夜、妻と、植物生理学に基づいたメロンの栽培法について勉強会をしました。妻は、<あなた、その植物生理学、全部読んだんじゃないでしょうね・・・>と語り掛けてきましたが、その植物生理学の本、ほとんどのページにマーカーを引いていました。妻は、<全部、目を通したの・・・? それで、なんて書いたあったの・・・?>と問いかけてきますので、筆者、その概略だけを話しました。そして、植物生理学の研究成果を、吉田農園のメロン栽培に取り入れて生かす方法を示唆しました。妻は、<それなら、来年も、2種類のメロンを栽培することにしようかしら・・・>と、思い直していました。

はさみでトラックの絵を切り抜いているメロン柄のドレスを着た女のひと・・・。
万年筆で飛行機を描いているレモン柄のコートを着た女のひと・・・。
筆でヘリコプターを描いているパイナップル柄のズボンをはいた女のひと・・・。
ものさしでオートバイの寸法を測っているブドウ柄のスカートをはいた女のひと・・・。

筆者のあたまのなか、意味不明なことばが飛び交っています。支離滅裂といえば支離滅裂、74歳の筆者、認知症の世界に足を1歩踏み入れているのかもしれません。異様な4人の女のひとの姿が、朝夕、筆者の頭の中に去来してくるのですから・・・。植物生理学だけでなく、人間の脳生理学についても、学びなおした方がいいかもしれません・・・。

後期高齢期を迎えても、筆者は、Specialist ではなく Generalist の道を歩む・・・

筆者、74歳・・・。まもなく、75歳になり、後期高齢期に入りますが、中学生、高校生のときに身に着けた学習スタイル、すべての学科をまんべんなく習熟するという傾向は、74歳になったいまも変わりはありません。

そういう意味で、筆者は、どの分野においても、Specialist にはなれませんし、Specialist になろうとする意志も意欲もありません。ひとつのテーマを深く掘り下げる、Specialist の知識・技術は持っておらず、ひとつのテーマを多角的な視点・視角・視座から把握する Generalist 指向にとどまっています。筆者の独学の基盤が、信仰・神学・哲学・医学・法学なので、筆者の Generalist 指向は、筋金入りです。<いろいろな分野に手を出すけれど、どれもこれも中途半端・・・>との批判をあまんじて受け入れなければならない状態でもあります。

しかい、人間存在は、すべからく Generalist 指向を持っています。特定の知識・技術を押し付けられて、それ以外の可能性を排除される、<限定的徴兵制>のもとで、他国の領土を侵略、破壊と殺戮の  Generalist になりきれるものではない・・・。ウクライナの志願兵とロシアの徴集兵の間には、大きなへだたりがあると、無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者はそう思うのですが・・・。

昨日は、一日、各種辞書とにらめっこ・・・

昨日は、一日、各種辞書とにらめっこをしていました。

国語辞典・古語辞典・漢和辞典・英和辞典・和英辞典・羅和事典・希和辞典・ヘブライ語事典・独和辞典・和独辞典・和西辞典・西和辞典・英語医学事典・英語法律用語辞典・神学辞典・農学英単BASIC1800、角川小事典(基礎日本語1・基礎日本語2・基礎日本語3・日本語の表記・擬音語擬態語辞典・姓氏の語源・地名の辞典・漢字の用法・漢字の起源・漢字の語源・漢文読解辞典・日本の漢語・図解外来語辞典・外来語の語源・日本近現代史小辞典・日本年中行事辞典)

それに加えて、CASIOの電子辞書(ドイツ語版)に収録されている各種国語・英語・独語辞典・・・。

2005年、インターネットのブログ上で『部落学序説』の公開執筆をはじめたとき、学校教師をはじめとする知識人、部落史研究の専門家から、<その程度の資料で仮説を立てるなど愚の骨頂>と批判・揶揄されてきましたが、それから17年後の今日においても、筆者の蔵書は3,600冊にすぎず、しかも他分野にわたっているため、<その程度の資料>の範囲を超えるものではありません。60歳になって、年金の一部が入るようになって、インターネットの日本の古本屋経由で入手した史資料も、『部落学序説』の内容を補強してくれるものがほとんど・・・。無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者の限界・・・。

2022/09/22

この冬は、寒冷地・高冷地におけるメロンの栽培法を学習・・・

この冬は、寒冷地・高冷地におけるメロンの栽培法を学びなおすことにしました。

1.家庭菜園でのメロン栽培法
2.道の駅・野菜直売所に出荷前提のメロンの栽培法
3.プロのメロン栽培農家の栽培法

必要な資料・農書は、すでに収集済です。妻は、メロンの本格的栽培を指向しているようなので、それを成功させるための情報収取は、筆者の役目・・・。植物生態学、植物生理学、農業微気象学、土壌学、施設栽培法、連作障害対策などの情報を整理して、妻の実家の環境と、妻の体力にあったメロン栽培法の適正解を求めます。

筆者と妻の、有機・無農薬によるコメと野菜の栽培法は、試行錯誤による<自前>です。妻は、身に着けた知識・技術は<他言無用>とか・・・。<わたしを素人農家だとさんざんバカにしてきたひとには教えないから、あなたも教えないで・・・>。吉田農園の農園主は、妻ですから、筆者はその方針に従うことにしています。

今朝、2種類のメロンを試食・・・

今朝、妻が収穫してきた2種類のマスクメロンを試食しました。

1種類目のマスクメロンは糖度12.5、2種類目のマスクメロンは糖度16.0・・・。妻は、1種類目のマスクメロンの収穫時期の判定が難しく、非破壊糖度計がないと、適切な時期の収穫ができないといいます。それにひきかえ、2種類目のマスクメロンは、非破壊糖度計を使わなくても、マスクメロンの色や状態から適切な収穫時期が判断できるので、来年は、2種類目のマスクメロンだけを栽培するとか・・・。

筆者は、どちらのマスクメロンも美味しいと思うけれど・・・。非破壊糖度計は、素人百姓がもつには高価すぎます。非破壊糖度計は、測定する果物ごとに買いそろえる必要がありますので、多品種少量生産の吉田農園には、マスクメロンを20個程度しか栽培しないので、身に不相応な、贅沢な測定機器になります。

2種類目のマスクメロンだけで十分です。

多数者の中の少数者の立ち位置・・・

多数者と少数者・・・

身をどちらの側に置くかは、ひとそれぞれ・・・。常に、多数者の中に身を置かなければ精神的に安定しない人々は、自らを多数者の中に埋没させてしまうでしょうし、多数者のありようになじまない人々は、かれらと袂を分かって、少数者の生き方を選択することになるでしょう。それぞれの置かれた、歴史的・社会的状況のなかで、ひとはそれぞれ自分の立ち位置を確保していくことになります。

筆者が少数者の側に身を置かなければならなかったのは、

1.こどものころから病弱
2.父母が病弱で貧困
3.クラスで大学進学できなかったのは筆者ひとり
4.高学歴・高資格の牧師たちのなかで、筆者ひとり無学歴・無資格
5.大型農業機械・化学肥料・農薬・除草剤を多用するプロの農家の中で、筆者と妻だけが小型農業機械・有機無農薬栽培
6.豪邸が並ぶ農村で、妻の実家だけがあばら家
7.濃厚な人間関係の世界で、筆者と妻は独立独歩
8.牧師をしている間、部落差別問題との取り組みを強制され、基地問題・反核問題・民族差別問題・天皇制問題・自衛官合祀拒否訴訟・障碍者差別問題・女性差別問題・護憲問題などから排除される
9.筆者の近世幕藩体制下の先祖は、真言宗当山派の住職・修験僧

少数者として、生き抜く力を養ってくださったのは、高校2年生の3学期に出会った、Sweden Covenant Mission の宣教師、グンナル・クリスチャンソン先生とカーリン・アッセルヘード先生・・・。Sweden Covenant Mission も、日本のキリスト教界にあっては、多数者の中の少数者・・・。<対話>による教育を受けたことがあるのは、あとにもさきにもそのときだけ・・・。救世軍の阿部大尉や、日本基督教団の島村亀鶴先生とも少しく<対話>によって教育された経験がありますが・・・。

筆者のブログのアクセス者数は1日4~5名・・・

筆者の Blogger 上のブログ、現在、5つありますが、そのブログのアクセス者数は、平均して1日4~5名程度・・・。

広大な太平洋を前にした、スプーン1杯の水にも足りません。アクセス者数が増えると、Cocolog や Gooblog のように、筆者のブログ『部落学序説』とその関連ブログ群を<差別文書>として閲覧禁止・削除処分に付されることになりますから、1日4~5名程度のアクセス者数が続く限り、その可能性はなさそうです。日本の企業である Cocolog や Gooblogとアメリカの企業である Google とでは、思想信条の自由、出版の自由にかなり温度差がありそうです。 

<日本にはもう部落差別はありません。それなのに、さも日本に部落差別があるかのように声明を出すのは間違いです。すぐ削除してください・・・>というような発言を国際会議でした曹洞宗僧侶の<町田差別発言>・・・。いまでは、状況が大きく変わり、逆に、<町田差別発言>を否定・否認することが差別になっているようです。差別か差別でないかの基準は、部落解放運動の研究者や運動家の基本方針に沿っているかいないかによってきめられているようです。部落解放運動の研究者や運動家が差別と判断すれば差別であり、差別でないと判断すれば差別ではない・・・。そんな恣意的な部落史研究、部落解放運動が、真の部落差別解消のさまたげになってきたのですが、昔も今もなにも変わっていない・・・。被差別部落の人々を差別の鉄鎖につなぎとめる差別思想・賤民史観がいまだに部落解放運動の研究者や運動家の金科玉条になっている・・・。

今朝、段々畑でキジの鳴き声が・・・

今朝、野菜の収穫にでかけた妻が、山側の段々畑で、キジの鳴き声を聞いたそうです。短い鳴き声ではなく、長~く繰り返される鳴き声・・・。

山口でよく耳にしたキジの鳴き声に間違いないそうです。姿を見ることはできませんでしたが、その鳴き声だけはしっかりと・・・。とてもきれいな澄んだ鳴き声だったとか・・・。筆者と妻とで、『野鳥観察』図鑑のCDで確認したところ、間違いなくキジの鳴き声・・・。

山口では、キジはどこでも見かけることができる野鳥ですが、妻のふるさと・湖南でその鳴き声を耳にしたのは、はじめて・・・。山口では、山村をドライブしていると、よくみかける野鳥ですが、福島ではまだ一度もお目にかかったことがありません。妻のふるさと・湖南は、農家と野鳥の間は遠~い。

昨夜、下着も寝具も衣替え、今朝は上着も・・・

昨夜、とうとうがまんできなくなって、下着も夏物から冬物に衣替え、寝具も夏物から冬物にかえて、電気毛布までセットしました。部屋も、電気ストーブを掃除して、すぐ使えるようにしました。

台風14号が過ぎ去ったあと、気温の低下が著しく、夏から急に冬になったような体感・・・。妻は、今朝、<あなた、今年の冬は寒くなるそうですから、風邪やインフルエンザにかからないように注意して・・・!>と筆者に語り掛けてきましたが、筆者、<そういえば、山口にいたときは毎年インフルエンザに罹ったけれど、福島に戻ってからこの10年間、一度もインフルエンザにかかったことがないな・・・>と答えました。妻も、<わたしも・・・。オーストラリアでは、武漢ウイルスとインフルエンザの両方が蔓延したというでしょう。わたしたちも、両方に気をつけなければ・・・>と話していました。

さらに、<あなた、気温が低下しても、右手、痛くならないの?>と問いかけてきました。筆者、<右手は毎日朝夕、OutStretch をしているから・・・。1回でもやすむと、痛みがきて大変・・・>と応えました。高齢期は、健康に注意しなければならないことが多い・・・。

2022/09/21

古書収集、最後の本は小学館『古語大辞典』・・・

無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者の蔵書集め・・・、約3,600冊で限界に達したようですが、収集した最後の本は、小学館『古語大辞典』・・・。最後の本としては、申し分のない本です。

これ以上増やすと、読んだり、引用したりすることが難しくなりますので、筆者、74歳で史資料の集積はやめることにしました。75歳以降の後期高齢期に入りますと、これまで収集した本をひたすら読破することになります。

国民健康保険から後期高齢者医療保険へ切り替えの季節・・・

今日、10月1日からの、新しい国民健康保険者証が送られてきました。有効期限は、妻は例年通りですが、筆者は誕生日の前日が有効期限に・・・。送られてきた文書を読みますと、75歳の誕生日以降は、国民健康保険ではなく後期高齢者医療保険に切り替わるとのこと・・・。今、筆者は、医療費の自己負担は2割ですが、誕生日以降は1割になるようです。

妻の実家のおかあさんの<後期高齢者医療保険証>と同じものを筆者も持つことになるようです。この春5月3日に老衰でなくなった、妻の実家のおかあさんのあとをついで、筆者も後期高齢者に・・・。妻は、筆者より8歳年下なので、後期高齢者になるまでにまだ8年あります。

筆者と妻、生涯を通じて、清貧暮らし・・・。筆者95歳まで、自給自足用に、有機・無農薬でコメと野菜を栽培していくつもりです。妻は、87歳まで、筆者と一緒にコメと野菜を栽培していくことに・・・。妻は、10年後、20年後の老後の暮らしを設計、少しずつ、それを実施していっているようです。

今日の午後、『古語林』と『古語大辞典』が届きました・・・

今日の午後、インターネットの日本の古本屋経由で注文していた『古語林』と小学館『古語大辞典』が届きました。

2013年4月1日に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農しましたが、そのときの引っ越し荷物、湖南で受け取ったときに、本を入れた段ボール箱の数を数えて、伝票の数値と間違いないことを確認したのですが、数日後、再度確認したところ、段ボールの箱がひとつ足りませんでした。誰かによって盗まれたのかもしれない・・・、と思っていたのですが、何の本が入っていたのか確定できず、そのままになっていました(そのあと、すべての出入り口に鍵をとりつけましたので、それ以降、紛失することはありませんでした)。

しかし、今回、英語・ドイツ語・国語・古語・漢和辞典を書庫と書棚で確認していて、筆者が良く使っていた辞書がほとんどすべてなくなっているのに気づきました。多分、2013年になくなった段ボールには、辞書類が多数含まれていたのでしょう。今回、スペイン語をあらたに学ぶことにしたついでに、ドイツ語も再学習しようとして、辞書や文法書を探しに探したのですが、あるべきはずのものがありませんでした。それで、今回、なくなった辞書のなかから、必要な辞書を再収集することにしました。古語辞典は、『古語林』と小学館『古語大辞典』・・・。インターネットで検索して、現在の筆者に一番役立ちそうな辞書を選びました。

会津坂下の果物栽培農家がやってくる・・・

会津坂下の果物栽培農家が、今日の昼、軽トラに果物を載せてやってきました。今日、持って来られたのは、スチューベンというブドウ(紫色)・・・。この前もって来られたのはナイヤガラ(緑色)・・・。この前、4箱購入・・・。今日は、3箱購入・・・。

その果物栽培農家のご夫婦・・・、あるときは、<ぶどう屋です・・・>と名乗り、あるときは、<なし屋です・・・>となのり、あるときは、<りんご屋です・・・>となのります。その農園は、会津坂下の大竹果樹園・・・。

今は、妻が有機・無農薬で栽培したスイカとメロン、そして、大竹果樹園のブドウが、食後のくだものになります。妻は、ここ数年、柿(会津見知らず柿)、林檎(ふじ)、葡萄(ナイアガラ)の苗木を植えています。国道294号線のバイパス工事で移転になった庭の簡易温室は国道294号線沿いの苗代田に移築しましたが、その苗代田、林檎の木2本をあらたに植えて、そのほかは切り花用の花を栽培することに決めたようです。移築した簡易温室、窓の開け閉めは外からできるので、以前よりとても便利になったとか・・・。窓を開けても、すべての窓に防獣ネット・防鳥ネットをはっていますので、野生動物の被害にあうことはありません。

今朝8:30~11:00、猪苗代へ買い物にでかける・・・

昨日の夕方、妻が、黒猫黒兵衛のえさの魚がなくなったので、明日、猪苗代へ買い物に出かけると話していました。しかし、今日の昼は、来客がある日・・・。それで、今朝、筆者と妻は、朝8:30に家を出て猪苗代へ向かいました。そして、いつものスーパーに立ち寄って、黒猫黒兵衛と、筆者と妻の食材を購入して、家に戻ってきました。家についたは、午前11:00ころ・・・。

黒猫黒兵衛は、2011年4月に生まれた猫・・・。現在11.5歳・・・。猫の年齢を人間の年齢に換算するには、猫の年齢に6をかければいいそうですが、それで計算しますと、黒猫黒兵衛の歳は、11.5×6=69歳・・・。牙が2本かけていますので、妻は、焼いた魚の骨を丁寧にとって、手で魚の身をこまかくちぎって、黒兵衛にたべさせています。最近は、庭にでることはほとんどなく、居間の椅子とソファ、妻の実家のおかあさんが寝室につかっていた部屋のイス、居間と、妻の寝室のざぶとんを転々として日々を過ごしています。居間のざぶとんは、筆者がすわる座布団ですが、筆者が座って座布団があたたかくなったころ、黒兵衛がやってきて、その座布団を黒兵衛に譲れと言ってきます。筆者、だまって譲ることが多いのですが、黒猫黒兵衛が食べる魚はアジだけ・・・。最近、アジの値段が高騰、安価に入るときの3倍の値段がついています。妻は、<しかたないわ・・・。黒ちゃんは、単なる猫ではなく、我が家の家族だから・・・>と笑みを浮かべながら話していますが、黒猫黒兵衛の一番嫌いな魚はタイ・・・。最近は、タイよりアジの方が高いときがあります。高級魚と低級魚が入れ替わることも多いこのごろですが、黒猫黒兵衛は、アジひとすじ・・・。

山口の瀬戸内海沿いに生まれ、育った黒猫黒兵衛・・・、2013年4月に、妻のふるさと・福島に移り住んでからもその魚嗜好に変わりはありません。

この道はいつか来た道・・・

昨夜読んだ『アーレント=ヤスパース往復書簡』の1956年11月5日以降の、ふたりの哲学者アーレントとヤスパースの書簡の言葉・・・。

アーレント:戦後世界に危なっかしいながらも築きあげられたものが、すべてがらがらと崩れてしまった・・・。宣戦なしに、(ロシアが)婉曲に戦闘行為と呼ばれるものがはじまった・・・。

ヤスパース:ロシアはすぐにも戦争を望んでいるのか、そうでないのか。・・・(ロシアは)最高度に軍備を強化しつつ、同時に多国を欺いて、内輪喧嘩をさせようという、巧妙なカモフラージュ戦法なのだろうか、それとも・・・いざというときのために可能なかぎり自分の陣地を強化しておいて、いっそうの有利さをかかちとる手段にしようということなのか・・・。絶えまない軍備増強・・・それはとくに農民の搾取によっておこなわれ・・・この陸軍をもってすれば、原爆を使わずともヨーロッパをいつでも手中にできる・・・。一国の国民(ハンガリー)が今日なおあれほどのことをなしえようとは、思いもよらなかった。ただ見ているしかないというのは、おそろしいことです。ハンガリーをたすけるには軍事支援しかないでしょうが、それではほぼ確実に世界大戦になってしまう。だからそれはできない。・・・小国は、自分の欲しない世界大戦の口実にされるだけで、原因になることはありえない・・・。・・・西洋世界には、真実を見、そして犠牲を・・・厭わず払おうとするある種の高揚がある・・・ヨーロッパのすべての国が、何万ものハンガリー人を受け入れようとしている・・・。

アーレント:ロシアは私が期待まじりに推測したよりもはるかに大きな困難をかかえているようですね。事件全体がロシアにとってとんでもない結果に終わりそうな気配です。・・・ハンガリーでは、ここ久しく例のなかったすばらしい出来事が起きています。まだ終わっていませんが、どのようなかたちで終息へ向かうにしても、これはじつにはっきりとした自由の勝利だと私には思えます。・・・ちょっと心配なのは、お宅の暖房が石油にたよっているということです。でもその後、さらに悪い事態は起きてないようですから、まさか凍えてはいらっしゃらないでしょうね。

ヤスパース:ロシアの指導部・・・ますます出口なしの状況になるばかり、しかし、その手には、人民の搾取で命をつないでいる強力な軍事機構を無疵のまま握っている。・・・世界史を舞台にでかいことをしたいという一将軍の冒険心(プーチンの野心)から、どういうことが起きるのか、どちらも予測不可能です。いずれにしても依然として大きいのは、地獄の劫火への不安とまではいかずとも、少なくとも水爆への不安です。

アーレント:今の合衆国の外交政策は恥ずかしいほどお粗末です。・・・アイゼンハワー・ドクトリンはひじょうに危険です。・・・われわれが介入するのはロシアが(アメリカ)を直接に攻撃をしかけてきたときだけだ、(ロシアとハンガリー)おまえたちどうしでとっくみあっているときは知るものか、ということなのです。これでは、(ロシアに、対ハンガリー侵略戦争の)攻撃の免許状を与えたも同然。・・・

それから66年後の2022年の、ロシアによるウクライナ侵略戦争が、66年前と同じような歴史状況、政治・経済・外交・軍事状況のなかで勃発しようとは・・・! 上記アーレントとヤスパースの書簡の言葉の<ハンガリー>を<ウクライナ>に置き換えれば、そっくりそのまま通用するような今回のロシア大統領・プーチンの戦争・・・。プーチン3歳のときに起きたロシアの対ハンガリー侵略戦争など、学ぶこともなければ、記憶にとどめることもなかったのでしょう。66年前のロシアの轍を2022年において踏んでいる・・・!アナクロニズム(時代錯誤)の典型・・・!

インドのモディ首相は、9月16日のウズベキスタン会談で、ロシア大統領プーチンに、「今は戦争の時代ではない」といさめたとか・・・。そこにあったのは、父親から叱られていいわけをする気のちいさな、お山の大将を気取る息子の姿・・・。

2022/09/20

郷土史・農業史・農業気象学・天文学・ビオトープに関する本の整理・・・

今日の午後、筆者の書斎の、郷土史・農業史・農業気象学・天文学・ビオトープ・山暮らしに関する本を並べている、昔の6段のスチール製本箱の整理をしました。

部落史、岩波日本思想大系、真言密教の本は、他の本箱に移動・・・。

妻のふるさと・湖南に関する史資料は、約50冊・・・。ほとんどが、2013年4月1日に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農する前に、インターネットの日本の古本屋経由で集めた本ばかり・・・。湖南に帰郷して数年、湖南史談会会員になっていましたが、その数年の間に、あらたに入手した湖南に関する史資料はなし・・・。湖南公民館の蔵書の閲覧を求めたところ、<ここらのもんでねえもんに、ここらの史資料は見せられねえ!>と閲覧を拒否されたことがあって、それ以来、湖南公民館を尋ねたことはありません。郡山市図書館や郡山市歴史資料館を訪ねて調べる時間的ゆとりも精神的ゆとりもなく、どちらもまだ一度も足を運んだことはありません。郡山市史は全巻、郡山地方史研究会の古文書講習会のテキストは30年分所有していますので、いまのところ、筆者の蔵書の範囲で茶を濁しています。

湖南の史資料を一緒に読むことができる人がいればいいのですが、残念ながら、みなさん高齢化して、本の活字を読むのも難しそうで、その可能性はほとんどありません。筆者は、山口県下松市の梶原眼科の医師の方の診断通り、筆者、年をとればとるほど、遠くも近くもメガネをかけないで済むようになっていて、長時間本を読むことができます。それで、インターネットの日本の古本屋や、ブックオフオンラインで、蔵書を増やしてきたのですが、必要な本はほとんど集めることができましたので、これからは、入手した本を読んで、論文執筆に役立てるのみ・・・。

食品が値上がりしているので、有機・無農薬栽培の野菜を多用・・・

最近、食品の値上がりが目立つようになったとかで、妻は、毎日の食材を、妻が有機・無農薬で自家消費用に栽培した野菜を優先的に使用することにしているようです。

コメは、2021年産有機・無農薬栽培のコシヒカリ、梅とラッキョの漬物ものも、妻が有機・無農薬で栽培したもの。今、食材に用いることができるのは、ジャガイモ、サツマイモ、ニンニク、カボチャ、ダイコン、ニンジン、タマネギ、ネギ、コマツナ、大玉トマト、ミニトマト、ナスビ、キュウリ、インゲン、エダマメ、ソラマメ、グリンーンピース、キャベツ、レタス、ピーマン、オクラ、ホウレンソウ、スイカ、マスクメロン・・・などなど。

スーパーで購入する食品は、砂糖、醤油、味噌、ウスターソース、ペッパーソース、一味トウガラシ、ワサビ、サラダ油、豆腐、コンニャク、油揚げ、竹輪、さつま揚げ、魚(サバ・サンマ・サケ・タコ)、肉(鶏肉・豚肉)、ブドウ、リンゴ、ナシ・・・。徹底的に、中国産と韓国産を排除して、国産のみを購入しています。

筆者と妻が購入する食品は、高級品は一切含まれていません。マスクメロンやスイカは、自分でつくっているから食べることができますが、市販のマスクメロンやスイカを1個単位で購入することは不可能です。

缶詰類が高くなり、だんだん購入することが難しくなっています。副食類も、中国製が増えて、スルメイカなどの加工品については90%が中国製・・・。購入をやめて久しくなります。時々思い出したように、北海道産のするめを食べるのみ・・・。



台風14号が去ったあとも雨が降り続けている・・・

台風14号が去ったあとも雨が降り続いています。

インターネットで古語辞典を検索して、古代から近世までの日本法制史関連の史資料を読むのに役立つと思われる古語辞典を2冊注文しました。『古語林』と『古語大辞典』・・・。いつもの通り、インターネットの日本の古本屋で検索して、一番安価なものを注文しました。大学図書館の廃棄本、個人の蔵書印があるもの、メモ書き・マーカーの書き込みがあるものは、とても安価に入手できます。筆者、入手した本はすべて読みつぶすことにしていますので、同じものなら、安ければ安いほうがいいのです。そういう選択枝があるのは、古本・古書の世界だけ・・・。経年経過をたどっていても、活字が他の活字に置き換わるということはりませんから・・・。版数が異なれば、その可能性もあるのでしょうが、引用するときは、第○版であるのか明記しますので、問題ありません。『古語林』は定価2,970円、・・・。と『古語大辞典』は7,262円・・・。古書の場合、3分の1の価格で入手できます。筆者の書斎は、古書・古本の墓場・・・?

『絵で見る独語1』が届く・・・

 今日、この前インターネット経由で注文していた、ドイツ語再学習用の入門書が届きました。


1.『プログレッシブ独和辞典』
2.『効率よく覚えるドイツ重要単語2200』
3.『絵で見るドイツ語1』

言葉を使用するときの場面は<絵>で表現されていますが、英語、ドイツ語、スペイン語の<絵>は、共通しているものもあれば、それぞれ異なっているものもあります。言語によって、それが使われる状況も若干違いがあるのでしょう。

『絵で見る英語』は、高校2年生の3学期、高校の近くの竜王山山麓にある、旧備前藩味野村の大庄屋・荻野家の屋敷をそのまま、Sweden Covenant Mission の教会にした<日本屋敷の教会>を訪ねたとき、最初に会った宣教師が、看護婦で宣教師になったカーリン・アッセルヘード先生から、教えられた英語マスター法のテキストでした。筆者は、その教会に<聖書>を学びに通ったので、英語を学ぶことができる高校生会には、一度も参加したことがありませんでした。かたことの日本語しか話せないアッセルヘード先生と、かたことの英語しか話せない筆者との奇妙な会話は、筆者が高校を卒業するまで続きましたが、主任牧師のグンナル・クリスチャンソン先生は、日本人より日本語が上手な宣教師でした。<長い間、日本で宣教師をしているが、英語ではなく聖書をならいにきた高校生ははじめて・・・>といって、いろいろ聖書と、信仰と神学について教えてくださいました。カーリン・アッセルヘード先生とグンナル・クリスチャンソン先生との出会いが、筆者を、<教派>に拘束されない、聖書信仰に立脚した日本的基督教徒にしたのでしょう。

昨夜読んだ、『アーレント=ヤスパース往復書簡』のなかで、ヤスパースはアーレントにこのように書いていました。<私の願いはただ、幸運があなたに好意を寄せてくれること、ご夫君ともども健康であること、外的事情があなたの若いころに与えなかったものを、年をへたいま与えてくれること、これ以外のことは願うまでもありません。大事なことはすべて、あなたが自分でなしとげるでしょう・・・>。あなたの人生は、<あなたに贈られた人生であるとともに、あなたがかちとった人生でもある>。

昨夜は、台風14号による雨と風・・・

昨夜は、台風14号による雨と風が、妻の実家の建物に激しくぶつかっていました。筆者は、その雨音・風音が聞こえなくなるまでに、精神を集中して、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいました。ふたりの哲学者の手紙によるやりとり・・・、筆者が高校1年生のときから現在まで読み続けている『アミエルの日記』は、スイスの哲学者アミエルの黙想・独白ですが、『アーレント=ヤスパース往復書簡』は、<ドイツ・ユダヤ人>である哲学者アーレントと<ドイツ人>である哲学者ヤスパースの手紙による対話・・・。筆者の<哲学>的精神に質的変換をもたらしてくれたようです。独白から対話へ・・・。

そのあと、『部落問題事典』の<部落民>の項と、沖浦和光・管孝行の対談<賤民史観樹立への序章>(雑誌『現代の眼』(1981年11月号))を再読・精読していました。筆者のブログ『部落学序説』は、部落史研究の学者・研究者・評論家である沖浦和光・管孝行の<賤民史観>に対する無学歴・無資格、部落史研究の門外漢である筆者の<全面的批判>を中核にしています。

雑誌『現代の眼』(1981年11月号)・・・、すっかり紙も変質して色褪せ茶色になり活字を読むことが難しくなっています。ページによっては、印刷インクの濃淡によって、読めたり読めなかったりしますので、インターネットの日本の古本屋経由で、追加購入し、現在では、同じものを5冊保有しています。薄いブルーの透明シートを被せて読めば読みやすくなります。沖浦和光・管孝行の対談<賤民史観樹立への序章>そのものは、管孝行著『賤民文化と天皇制』の中に採録されていますので、普通の本のように読むことができます。ただ、雑誌『現代の眼』(1981年11月号)は、<被差別部落>という概念が、部落史研究・部落解放運動に導入された部落史研究者・井上清と部落解放運動家・北原泰作の対談によって作り出された経緯が記されている貴重な文章が含まれています。

夜11:59に就寝・・・。


2022/09/19

ブログ『ジゲ戦記』と『続・蛙独言』にアクセスしてみる・・・

今日、ひさしぶりに、ブログ『ジゲ戦記』と『続・蛙独言』にアクセスしてみました。

ブログ『ジゲ戦記』は、部落解放同盟山口県連新南陽支部の関係者のブログ、『続・蛙独言』は、神戸市の部落解放同盟の支部の関係者の方のブログ・・・。最近は、あまり書き込みがないようですが、<便りのないのは元気な証拠>と思って、そのブログを離れましたが、『部落学序説』の筆者である私と、なんらかの関係があったのは、この二つのブログだけ・・・。その他のブログは、筆者と直接、なにの関係もありません。筆者のブログ『部落学序説』の内容に賛同してくださっていても、批判的な文章を掲載されていても、筆者は、たぶん、一面識も交流もありません。それらの方が、どういう意図をもって、筆者のブログ『部落学序説』をとりあげているのか、筆者には、わかりません。

日本基督教団部落解放センターの委員長をされていた東岡山治牧師は、筆者に、<部落差別問題に取り組むことを拒否したり、批判したりする牧師や信徒に対しては、反対の意を表示したり、抗議したりしない。「あのひとは、わたしたちの仲間だ」といえば、それで十分・・・>と語り掛けてきたことがありますが、あるとき、東岡山治牧師、西中国教区の指導的立場にある、ある牧師から筆者を部落差別問題の取り組みから外したら、協力してやってもいいといわれ、筆者を、日本基督教団や西中国教区の部落差別問題との取り組みから排除することにしたと、筆者、引導を渡されたことで、日本基督教団や西中国教区の部落差別問題との取り組みから離れることになりました。大阪の部落解放センターの主事の角樋牧師からも、<他の牧師には、部落差別問題に取り組めという。しかし、吉田牧師だけには、部落差別問題に取り組んでほしくない。即刻、部落差別問題と取り組むことをやめろ。やめないというなら、日本基督教団とは何の関係もないところでやれ!>と一括され、筆者、部落差別問題ととりくまなくていいというお墨付き、免罪符を手にすることができました。

そんな筆者が、ブログ『部落学序説』を書き始めたのは、筆者の生まれながらの反骨精神のなせるわざ・・・!

続報がないので・・・

山口県下松市の平田川、氾濫危険水域に達したとの報道があって、筆者も妻も心配していたのですが、インターネットで検索しても続報がありません。それで、あらためて検索しなおしますと、次のグラフがありました。それによると、午前11時ころ、氾濫危険水域を脱したようです。ほっと、一安心・・・。



台風接近のため、野菜直売所四季の里は午後3:30で店終い・・・

午後2:30ころ、野菜直売所・湖南四季の里から電話がありました。台風14号の影響で雨・風が激しくなってきたので、午後3:30店終いをするとか・・・。妻に伝えますと、妻は、すぐ、今朝出展した有機・無農薬の野菜を引き取りにでかけました。

<今日は、お客さんが来ないでしょうから、みんな野菜を出展しないと思うの・・・。売るものがないと、店当番の人が困るから、わたし、少しでも出展してきます・・・>と朝早くから立ち回っていた妻ですが、思いのほか、台風14号の影響が強く、ほとんどすべてを持ち帰ることになりました。

マスクメロン4個を出展していたのですが、マスクメロンも全個ひきあげ・・・。1つは、包丁で半分に切って、冷蔵庫に保管しました。今日の夕ご飯のデザートにします。

午後、妻は、アズキをかりとってきました。台風14号の風で、アズキが地にばらまかれてはいけないので・・・。玄関の土間で、茎からさやを切り離す作業をしています。

台風14号、9月20日に福島県に接近・・・

インターネットで確認した、台風14号による福島県への影響・・・。

台風14号・・・20日に福島県にかなり接近 暴風や高波、大雨に注意・警戒を(9/18(日) 20:11配信 福島中央テレビ)

台風14号は20日に福島県にかなり接近する見込みで、大荒れ、大しけとなる予想。大型で非常に強い台風14号は18日午後7時すぎに鹿児島市に上陸、九州を暴風域に巻き込みながら北上している。連休明けの20日には、福島県にかなり接近する見込み。県内では20日は、海上で25メートル以上、陸上で20メートル以上の最大風速が予想されている。波の高さは6メートルでうねりを伴い大しけとなる予想。19日午後6時から翌20日午後6時までの24時間の予想降雨量は県内全域で、多いところで100ミリから150ミリ。

福島地方気象台は今後の気象情報に留意するよう呼びかけている。

今日の午後、妻の実家の棚田の田で、台風14号対策をしました。そのあと、いつもの巡回コースで、赤津・福良の田んぼの状況を見てまわりました。あきたこまちの倒伏がみとめられる田は180枚、なかでも全面的に倒伏していると判断される田は15~6枚・・・。収穫時期を間近に迎えたあきたこまちの倒伏と、倒伏した穂が水につかるのは、減収につながります。湖南の農家が精神的に荒れないように、あきたこまちが倒伏しないよう、祈ります。

台風14号で、山口県下松市平田川が危険水域・・・

今朝、インターネットのニュースでみた記事・・・。

<台風14号 山口 下松市 平田川と岩国市 島田川が氾濫危険水位に(2022年9月19日 4時46分)

山口県によりますと下松市を流れる平田川の平田観測所と岩国市を流れる島田川の玖珂入南橋観測所で午前4時までに氾濫危険水位を超えました>。

筆者が牧師をしていた日本基督教団西中国教区の山口県下松市にあった教会は、平田川沿いにあります。毎年、台風のときは、この平田川が氾濫危険水位に達したとの報道で、教会を氾濫からまもるために、雨の中、庭の排水作業を余儀なくさせられていました。氾濫すると、教会のたてものは、湖水に浮かぶ海の小屋になっていました。

今朝、筆者のブログ『田舎牧師の日記』で検索してみますと、つぎの記事がありました。

<●牧師さんの年金、そんなに少ないの・・・?
DATE: 04/16/2012 19:14:59

昨日、礼拝後、脳梗塞の後遺症で自宅療養されている教会書記の役員宅を尋ねました。その日の主日礼拝の説教の要約を話すことにしていますが、そのときは、兄、正座をして、筆者の言葉に耳を傾けてくれます。兄が、新しいパソコンを買って、もう一度使えるようになりたいと思っている理由のひとつに、牧師である筆者が書いているブログ『田舎牧師の日記』を読みたいというのがあるようです。この日記、現在の教会の牧師を辞して、東北福島の妻の実家に戻り帰農したあとも、書き続けることにしていますが、それを通じて、牧師である筆者がどのような人生の晩年を過ごすことになるのか、知りたい・・・、という思いがあるようです。

昨日、筆者の年金の話になり、今年の4月から満額受給できるようになったことを告げますと、姉は、<いくらぐらい・・・?>と尋ねてきますので、<月額にして・・・>と実数をお教えしますと、姉曰く、<そんなにすくないんですか!>と絶句してしまいました。
日本基督教団下松愛隣教会の牧師をしている間、30年間、常に、西中国教区の謝儀基準の初任給以下でしたから、年金額もそれに対応して、他の牧師と比べると格段に少ないのは当然といえば当然ですが、実際の年金額を耳にしたとき、姉は、驚かざるを得なかったようです。

今日、何度も繰り返し報道されていたニュースがあります。それは、8年後の山口県のこと・・・。山口県は、8年後、日本全体で2位に浮上する可能性があるということですが、山口県民、赤飯を炊いて、名誉あるその日の前祝いをしなければならないかもしれません。8年後、山口県は、日本全国の都道府県に先駆けて、高齢者を大切にする県になるというのですから・・・。

山口県は、他の都道府県より10年はやく高齢化が進行しているとかで、8年後には、山口県民全体の34.9%が高齢者になるとか・・・。8年後一人暮らしをしている山口県民は83000人に増える見通しとか・・・。山口県は、8年後においても、一人暮らしの高齢者83000人を抱えることができるほど、精神的・経済的にゆたかな県のようです。確か、山口県のモットーは、<日本一住みやすい県>になることだと聞かされていますが、どうやら、それほど努力しなくても、8年後には、高齢者にやさしい、<日本一住みやすい県>になっているようです。

筆者、来年3月末には、この山口を離れて、東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町で帰農・・・、放射能汚染された福島の大地を耕して、米・野菜をつくり、自給自足の生活をしなければならないので、筆者、これまでの30年にさらに、その日暮らしの30年を積み重ねることになります。高齢化率、34.9%の高齢者にやさしい<日本一住みやすい県>の姿を見ることができなくて残念です。

この4月~6月まで、教会の前を流れる平田川の堤防工事があるようです。いままで、台風や集中豪雨のとき、氾濫して、教会の庭が池のようになったことが何回かありますから・・・。教会の周辺には、氾濫を防ぐために、土嚢を積む体力のあるひとは、ほとんどいなくなりました。高齢者にやさしい<日本一住みやすい県>にするためには、教会の前の川の堤防工事、必須です。

ただ、旧町名は、<大呑町>・・・。台風の高潮のとき、しばしば海に呑まれことのある地域・・・。東日本大震災の時のような津波に襲われると、教会のある地域、一瞬にして、荒れた海に呑み込まれてしまいます。でも、今回行われる堤防工事、しないよりした方がいい・・・。ただ、区画整理で、この<大呑町>・・・、<潮音町>と、とてもやさしい名前に変えられ、荒れた海に呑み込まれる可能性のある町であることが忘れ去られようとしています。<潮音町>が<大呑町>であることをみんなが忘れてしまったとき、忘れた頃にやってきた天災に<潮音町>が実は<潮音町>ではなく<大呑町>であることを思い出すことになるのかもしれません。水没した<潮音町>をながめながら・・・。まだまだ大丈夫かもしれませんが・・・>。

それから10年・・・、山口は、高齢者にやさしい、<日本一住みやすい県>になっているのかどうか、筆者と妻、寡聞にしてなにもしりませんが、いまだに、大きな台風が来るごとに、平田川の氾濫を心配しなければならないことは、それなりなのかもしれません。兄が天にめされたあと、姉は、高台の息子さんご夫婦の家に同居されていますので、台風による川の氾濫被害は免れています。遠くからではありますが、主イエスさまの御守りとご無事をお祈りいたしております。

2022/09/18

筆者の知らなかった<Google翻訳>の威力・・・

インターネットで<Google翻訳>について検索しているときにヒットした文章にこのような言葉がありました。

<グーグルが提供する「Google翻訳」は、入力したテキストを翻訳するだけでなく、カメラや音声、手書きにも対応する翻訳アプリの決定版です。

従来は、文章を単語ごとに翻訳して組み合わせるというフレーズベースの機械翻訳をしていました。しかし、現在はニューラルネットワークを利用したニューラル機械翻訳(Google Neural Machine Translation=GNMT)に置き換えられ、文章単位で翻訳しています。

そのため、より流ちょうな翻訳が可能になり、精度も大きく向上しました。さらに現在では、英語やフランス語、スペイン語などの音声入力で国ごとの訛りやアクセントにも対応しています>。

また、他のサイトには、次のような説明がありました。<2016年9月、 Google社はGoogle翻訳にNMTを導入することを発表、11月には8つの言語ペアをGoogleニューラル機械翻訳(GNMT: Google Neural Machine Translation)に切り替え始めました(この発表に先立ち、先行導入されていた英語⇔中国語にフランス語・ドイツ語・スペイン語・ポルトガル語・日本語・韓国語・トルコ語が追加された)。これらの言語で、Google翻訳のクエリの35%以上をカバーするとのことです>。

筆者が、74歳にして再学習をはじめた英語・ドイツ語、あらたにはじめたスペイン語・・・、それらを学ぶ最適な環境が提供されているようです。

スマホでも使える<Google翻訳>・・・

筆者は、スマホはほとんど使いません。今は、妻のくるまYARISを運転するときに、保険会社の車載器で<運転診断>をしてもらうときに使用するだけ・・・。妻は、いろいろ使いこなしているようですが、筆者はもっぱらパソコン・・・。しかし、今日、<Google翻訳>がスマホでも使えることを知って、筆者、あらためて、情報化時代の時代遅れになっていることを実感させられました。インターネットで、<Google翻訳>を使いこなすためのテクニックを検索しましますと・・・

<Google翻訳アプリには現在、おもに「リアルタイム・カメラ翻訳」「写真モード」「音声入力」「会話モード」「テキスト入力」「タップして翻訳」「手書き入力」の7機能があります。このうち「タップして翻訳」はAndroid端末でのみ利用できます。

リアルタイム・カメラ翻訳:テキストにカメラをかざすと即時に翻訳してくれる機能で、看板やメニューの翻訳などに便利です。

写真モード:撮影した画像を翻訳する機能で、書類などを翻訳する時に適しています。

音声入力:音声を認識して違う言語に変換します。とっさの質問やちょっとした会話をする時に役立ちます。

会話モード:異なる2つの言語を会話のようにリアルタイムで翻訳してくれるので、言語の違う人同士でもスムーズに会話を楽しむことができます。

テキスト入力:キーボードで入力した言葉を翻訳する機能です。翻訳数の最も多い103の言語が登録されており、入力と同時に素早く翻訳してくれます。

手書き入力:ロシア語や韓国語などキーボード入力が難しい言語を翻訳する場合に最適で、93言語で使用できます。

タップして翻訳:他のアプリでも「Google翻訳」が使える機能で、テキストをコピーすると翻訳できます。>

とありました。

『絵で見る英語1-3』と<Google翻訳>が使えれば・・・

午後、雨・・・。

それで、筆者、 『絵で見るスペイン語1』と『絵で見る英語1』を見比べてみました。版が違いうのでまったく同じというわけではありませんが、かなり一致しています。それで、『絵で見る英語2』、『絵で見る英語3』の英文を、<Google翻訳>でスペイン語に訳してみますと、スペイン語の発音を聞くことができます。図を見て理解することができるだけでなく、耳で聞いて理解することができます。

まだ入手していませんが、『絵で見るドイツ語1』と『絵で見る英語1』の場合と同じだと思われますので、『絵で見るスペイン語2』と『絵で見るスペイン語3』、『絵で見るドイツ語2』と『絵で見るドイツ語3』がなくても、『絵で見る英語2』と『絵で見る英語3』を転用できることがわかりました。

ということは、『絵で見る英語1』~『絵で見る英語3』を読むことができれば(中学英語程度)、<Google翻訳>機能を使うことができれb、百数十ケ国の言語を耳で聞いて学習することができるということを意味します。現代を生きる青少年はいいですね、外国語を学ぶのは自由自在・・・!

午前8:00~10:00、常夏川畔の共同草刈り作業・・・

今日は、午前8:00~10:00、常夏川畔の共同草刈り作業がありました。

集落から参加したのは、10軒のうち1軒だけ・・・。プロの農家は参加しないで、素人百姓の筆者だけ・・・。<半人前の仕事しかできねえのに、日東稼ぎのために共同作業に出てくるんでねえ!>と揶揄されてきた筆者ですが、<半人前しか仕事ができなくても、参加しないより参加した方がいいのでは・・・>と思って、筆者、共同作業にはできる限り参加することにしていますが、妻の故郷・湖南に帰郷・帰農して、共同作業にでるようになってはや10年・・・。<半人前の仕事しかできねえのに、日東稼ぎのために共同作業に出てくるんでねえ!>と偉そうに言ったいた農家はほとんど参加しなくなり、今日は、74歳の筆者ひとり・・・。

集落は、団塊世代を中心とした年代のプロの農家が多いのですが、妻の実家の2階から見ていますと、白髪頭になったり禿げ頭になたりした農家が多い・・・。<寄る年波には勝てない>のことわざ通り、これからは、共同作業からリタイアするひとが増える一方なのかもしれません。筆者もまもなく75歳になり、後期高齢者になります。

今日、一緒に共同作業をしていたプロの農家の方、<おらあ、まもなく70歳になる。70歳になったら、共同作業に参加するのはやめるべえ・・・>と話しておられました。草刈り機で草を刈るとき、ツルがまきついてきてうまく刈れなくなったのだとか・・・。<2時間草を刈ると肩が痛くなる>とか・・・。高齢化・過疎化が進むなか、湖南の赤津村は、どうなっていくのでしょう・・・?

今日の草刈りは、重労働・・・。参加された農家の方は、<今日は割増料金もらわねばなんねえなあ・・・>と話していましたが、役員さん、<草刈りは基本的にはボランティアだ・・・>と応えていました。

2022/09/17

『絵で見る~』と<Google翻訳>で、現代ヘブル語などいろいろな未知の言語も学習可能・・・

『English Through Pictures Book 1-3』と<Google翻訳>で使用できる言語をくみあわせますと、現代ヘブル語などいろいろな外国語も学習可能が可能であるようです。

といっても、筆者が何らかの接点のある現代外国語は、英語・ドイツ語・スペイン語・ヘブライ語とまりです。現代ヘブライ語は、日本基督教団の牧師になるために農村伝道神学校に入ったとき、旧約学の教授から、学歴のないものにはヘブル語は教えないと授業に出ることを拒否され、筆者、リンガフォンの現代ヘブル語を独習したことがあります。『現代ヘブライ語辞典』も蔵書していますので、なんとかなるでしょう。英語・ドイツ語・スペイン語・ヘブライ語の中で、今回はじめて学習するのはスペイン語・・・。

無学歴・無資格の筆者、他者から英語を学んだのは、小学6年生のときと中学・高校6年間の7年間・・・。ドイツ語もヘブライ語も独学ですが、その時代に、<Google翻訳>が自由自在に使うことができていたとしたら、筆者の人生ももっと変わったものになっていたかもしれません。<黙読>ではなく<音読>で外国語を学習することができたでしょうから・・・。筆者の人生、外国人と話す機会はほとんどありませんでしたから、<音読>で学習しても何の役にも立たなかったとは思われますが・・・。

午後1:30~3:30、棚田の田で草刈り・・・

午後1:30~3:30、棚田の田で草刈り・・・。

台風14号、日本列島を縦断する可能性があるとか・・・。2004年の台風16号、18号に匹敵するほどの大きな台風になる可能性も・・・。台風の風で稲が倒伏する可能性もあるようですが、素人百姓の筆者と妻が、棚田の田の稲のためにすることができる防風対策は、田に水を入れ続けることぐらいしかありません。水を入れていないと、稲の茎が地際で煽られて傷つき倒伏の可能性が出てきます。田に水を入れておくと、稲が台風の風で弄ばれても、傷ついて倒伏する可能性は少なくなります。

スペイン語独習書がそろう・・・

ロマンス諸語のひとつ、スペイン語の独習用入門書がそろいました。74歳にもなって、スペイン語を学びはじめることで、こころがわくわく・・・。これまでの外国語学習とは異なる方法で、スペイン語を学ぶことにしましたが、ついでに英語とドイツ語も同じ方法で学び直してみることにしました。末尾に*がついている本が今回インターネット経由で入手したものです。『絵で見る・・・』の文章を<Google翻訳>で聞いて学習します。

1.『プログレッシブスペイン語辞典』*
2.『頻度順スペイン語基本単語集』*
3.『絵で見るスペイン語1』*
4.『基礎 スペイン語文法』*
5.『スペイン語文法ハンドブック』*

1.『プログレッシブ独和辞典』*
2.『効率よく覚えるドイツ重要単語2200』*
3.『絵で見るドイツ語1』*
4.『Deutschlernen macht Spaß』
5.『規範ドイツ語文典』

1.『岩波英和中辞典』
2.ー
3.『絵で見る英語1~3』
4.ー
5.『英語ニューハンドブック』


午前中、備中レンコンを試掘していたものの・・・

午前10:30~11:30、妻が、<備中レンコンを掘ってみましょう>といいますので、ふたりで棚田のハス田で、備中レンコンの試掘をはじめました。妻は、<できれば、彼岸前後に、四季の里にレンコンを出展したいの・・・>といいます。筆者、<備中レンコンの収穫時期は、あきたこまちの収穫時期と同じころだから、まだ早いのでは・・・?>と答えたのですが、妻が、<とりあえず、掘ってみて・・・>といいますので、筆者、まだ水の入ったハス田に入って、備中レンコンを掘り始めましたが、<水が入った状態で、レンコンを掘るのは無理みたいね・・・。やはり、収穫時期がくるまで待つことにするわ・・・>といって、妻は、あきらめたようです。

家に戻ると、筆者、<レンコンがある場所を探し出すための道具をつくる・・・>といって、農機具の小屋に入り、あまり使っていない農具を改造して、<レンコン探索器>とつくり、妻に見せると、<どんなものをつくるのかと思ってたら、こういうことだったの・・・>と納得していました。

今年は、必要に応じて、吉田農園専用の農具をいろいろつくり出しています。市販の農具を改造しただけですが、それでも、これまでのどの農具より使い勝手がいい農具を揃えることになりました。

2022/09/16

猪苗代へ買い物に・・・

妻が、野菜直売所・湖南四季の里に、有機・無農薬の野菜を出展したあと、妻と二人で猪苗代へ買い物にでかけました。

まず、ホームセンターに寄って、米袋1kg用×20枚を購入・・・。そのあと、スーパー2店に立ち寄って、食品を購入・・・。そのあと湖南に戻ってきました。筆者は、昨日、玄米保冷庫からとりだしていた2021年産有機・無農薬栽培のひめのもち30kg×1袋を取り出し、コイン精米所で精米して帰りました。

『現代言語学事典』と『スペイン語文法ハンドブック』が届く・・・

インターネット経由で注文していた古本、『現代言語学辞典』と『スペイン語文法ハンドブック』が届きました。

これで、ソシュール、コセリウ、ガダマーなどの本が読みやすくなるかもしれません。『現代言語学辞典』を選んだのは、その編集者が、『言語学入門』の共著者と重複していたため・・・。無学歴・無資格、言語学とは無縁の筆者が、言語学関連の書籍を読むには、<事典>より<辞典>がひつようであるため・・・。

『スペイン語文法ハンドブック』を選択したのは、その書名から・・・。インターネットでその内容を検索してみましたが、判断材料になる書評はありませんでした。

2022/09/15

高冷地・寒冷地農法の秘訣集が出てきた・・・

昨夜本探しをしていて、紛失していた農書が1冊出てきました。

その本は、高冷地・寒冷地における有機・無農薬での野菜を栽培するときの<秘訣集>です。それを紛失したあと、同類の本を3冊、インターネットで検索して買い集めましたが、その<秘訣集>の代わりにはならず、インターネットで検索しても入手不可能なので、なかばあきらめていました。しかし、昨夜、偶然、その<秘訣集>を発見・・・!

この<秘訣集>、図示されているとおりに実践すれば、間違いなく、有機・無農薬で、妻の故郷・湖南でも栽培可能なので、とても重宝していました。執筆者の方は、自分で実践した結果を紹介しておられるのでしょう。本に書かれている通りに栽培すれば、100%収穫することができますから・・・。

たとえば、そらまめの栽培方法など・・・。湖南では、そらまめの栽培はほとんど不可能です。しかし、妻は、2013年に湖南に帰郷・帰農して以来、次の年からソラマメを栽培し続けています。小学校5年生のころ、担任の教師から学んだ、ドイツのスワビヤ地方の農法と同じ・・・。悪名高き、ロシアの<ヤロビ農法>とは違います。<スワビヤ農法>は、<秘訣集>を参考に実践していますが、<ヤロビ農法>は一度も実践したことはありません。

島村亀鶴先生のことを思い出す・・・

午後、なにとなく、島村亀鶴先生のことが思い出されて、その<召天記念論文集>『イエス・キリストの後を行く』のページをめくっていました。そのとき、目に飛び込んできた一つの俳句・・・。

<おんぼうとわが顔なじみ冬の雲>

島村亀鶴先生は、筆者が日本基督教団の牧師になるために農村伝道神学校に入るとき、推薦状を書いてくださった牧師・・・。島村亀鶴先生は、筆者に、<君はいい牧師になる・・・>と語り掛けてくださいましたが、島村亀鶴先生は、筆者にその弟子と名乗ることを許してくださったたったひとりの牧師です。筆者、島村亀鶴先生から、牧師としての生き方、説教のつくりかた、牧会のしかたを教えてくださいましたが、筆者、神学校を卒業すると、<ギリシャ正教の伝道師のように、自分の棺桶を背負って野垂れ死に覚悟で、遣わされた地で課題をになう>と手紙をさしあげたところ、島村亀鶴先生、<心配するな、私も野垂れ死にする>と返事をくださいました。島村亀鶴先生の句にこうのような句があるそうです。

<濃りんどうわが葬式をわがしたし>

その島村亀鶴先生がよんだ、<おんぼうとわが顔なじみ冬の雲>、島村亀鶴先生のあたまとこころのなかに去来していたものは何だったのか・・・、思いめぐらしていました。<おんぼう>は、島村亀鶴先生の故郷・土佐でも、<隠亡>のこと・・・。近世幕藩体制下の<私服刑事>のことで、殺人事件を探偵し、犯人を捕まえて奉行所に引き渡す役・・・。被害者は、野焼きに付すのがならい・・・。その隠亡と、島村亀鶴先生ご自身の顔、鏡で見た顔は冬の黒雲に覆われた空の下ではまったくそっくり・・・、重荷を背負わされて、しかも、真実を生き抜こうとする<隠亡>も<牧師>である島村亀鶴先生もなにも変わりがない・・・、という意味なのかもしれないと思いながら、その説教をひもといていますと、ルター訳旧約聖書詩篇68篇20節の言葉についての説教がありました。

<Gott legt uns eine Last auf, aber er hilft uns auch.>

<Google翻訳>にかけてみますと、

<神は私たちに重荷を負わせますが、同時に私たちを助けてくださいます。>

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていた歳月、筆者は、部落差別問題との取り組みを押し付けられていましたが、主イエスさまが私に与えられた課題であると、真剣に取り組んできました。日々、主イエスさまの助けを受けながら・・・。<おんぼう>が<隠亡>として、近世幕藩体制下の司法・警察に従事していた<公務員>であって、決して、左翼の思想家が断定するような<被差別民>・<賤民>ではなかったと、史資料を分析しながら確信を抱くようになったのは、主イエスさまと筆者のいのりのなかでのやり取りが大きく影響しています。

師にめぐまれることすくなき筆者ですが、ひとりでも師弟関係を持つことが許されたことは、主なる神さまの大いなる恵み・祝福であると思わされています。



『アーレント=ヤスパース往復書簡』2冊目に入る・・・

昨日、『アーレント=ヤスパース往復書簡』1冊目を読み終えて、今朝、その2冊目に入りました。

その最初のヤスパースの手紙の1節・・・、<ほとんど自分を、注意深い扱いでなんとか動いている機械みたいに扱っているのです。これがうまくいっています。妻も私もほとんど快調と言えるくらいです。ただし妻には目眩やその他の老化現象があるし、私にはいつもの故障がありますが、でも妻の魂はこれまでにないほど晴れやかです>。

この言葉が目に飛び込んできたとき、筆者、筆者と妻にも当てはまる言葉であると思いました。74歳の筆者、これまでにもこのブログで書いてきたように、日々の健康管理と OutStretch で、農作業による疲れ、関節や筋肉の痛みをとりのぞき、右手の関節障害も克服して、まるで自転車操業のような日々を過ごしていますし、67歳の妻も、つまなりに直面している老化問題と取り組んでいるようです。

年金暮らし&百姓暮らしは、筆者と妻の老後の暮らしをより充実したものにしてくれているようです。有機・無農薬で栽培した、安全で美味しいコメと野菜を食べ続けることができるのですから・・・。自分たちでつくったものを自分たちで食べる、いいものは、野菜直売所湖南四季の里に出展して、湖南の高齢の農家の方や、湖南に観光で来た人々に買ってもらっています。妻は、<A子さんのつくったミニトマトがほしい>と名指しで買ってくださる方がいるということに、喜びを感じています。営農的には、赤字なのですが、妻は、美味しい、有機・無農薬の野菜をつくることに熱心・・・。

ヤスパースの手紙は、ヤスパース70歳のとき・・・。その誕生日を前に、アーレントから70歳の誕生日を祝う手紙をもらったヤスパースは、返事に、<あなたは私の80歳の誕生日には来てくださるのですね!ご機嫌でそう信じることにしましょう、お互いに。とはいっても、日々われわれはみな自分の状態を思い知らされていますがね。>と綴っています。『アーレント=ヤスパース往復書簡』2冊目は、ヤスパース80歳の誕生日前後までの文通の記録であるようです。

田舎暮らしの原点に立ち戻る・・・

昨夜、本探しをしていて、2013年4月1日に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農する5~6年前から、いろいろ準備をはじめていましたが、そのとき、読んだ田舎暮らしの知識・技術に関する本のなかから、5~6冊をとりだして、再読することにしました。

帰郷・帰農して10年、来年からは、筆者は後期高齢者の季節に入りますが、これまでの10年間を反省しつつ、これからの10年間の百姓暮らし、山里暮らし、田舎暮らしの道筋と展望を得るためです。

昨夜、見付けることができなかったドイツ語の入門書が・・・

スペイン語の入門書、『プログレッシブスペイン語辞典 』・『頻度順スペイン語基本単語集 』・『日本人のための自習スペイン語文法』を前にして、筆者、もう1冊、インターネット経由で注文することにしました。『スペイン語文法ハンドブック』・・・。

ついでに、筆者の蔵書の中から、それと同等のドイツ語の入門書をピックアップしました。

1.『Deutschlernen macht Spaß』
2.『規範ドイツ語文典』
3.『独和大辞典』

1.を探すのに苦労しました。書庫・本箱すべてをチェックしたのですが見つかりませんでした。この『Deutschlernen macht Spaß』は、座右の書であるので、身近なところにあると思ったのですが、見付けることができませんでした。しかし、今朝、<どこにおいたのだろう?>と思って本箱に目をやると、なんと、スチール製本箱の色と同じ色の背表紙の『Deutschlernen macht Spaß』をみつけました。

筆者、やはり、認知機能が衰えて行っているのでしょうね・・・。

ついでに、英語の入門書も・・・、と思ったのですが、こちらは、40~50冊ほどありますので、ピックアップするのをやめました。<Google翻訳>を使って外国語を学ぶのは、英語・ドイツ語・スペイン語に限定することにしました。スペイン語は、Hearing➡ speaking➡Reading➡Writing の順で学習することにしました。それがうまくいったら、ドイツ語、英語も同じ方法で再学習することにしました。老化防止につながるといいのですが・・・。


2022/09/14

スペイン語を学ぶ、とってつけたような理由・・・

今日、インターネット経由で注文していたスペイン語学習に関する本4冊のうち3冊が届きました。

『プログレッシブスペイン語辞典 』
『頻度順スペイン語基本単語集 』
『日本人のための自習スペイン語文法』

無学歴・無資格、語学とは無縁な筆者が、74歳にして学びはじめるには、適当な入門書であるようです。インターネットの日本の古本屋経由で、ヴィトゲンシュタインの論理哲学関連の書籍を集めてよみはじめたとき、言語学・論理学・記号学・解釈学関連の本を多数集めましたが、言語関連の本を読むのは、大変・・・。筆者が学んだことがある言語は日本語の他は、英語・ドイツ語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブル語・・・。その中に、<ロマンス語派>に属する言語は一つも含まれていません。<ロマンス語派>のいずれかの言語を学ばなければならないと思っていましたが、どの言語も苦手・・・。それが、BSのテレビニュースを見ていてスペイン語に大きく針が振れたのですから、筆者もびっくり・・・。しかし、これで、Coseriu 著『一般言語学入門』、Leonard R. Palmer 著『現代言語学入門』を読むことができそうです。

<Google翻訳>を使えば、言語学関連の多国語の翻訳・発音を簡単に知ることができるので、言語を新しく学ぶ必要はないのかもしれませんが、筆者は、団塊世代の典型的なアナログ人間・・・。紙の本を経由しなければ、学んだことを実感することができません。

午前11:00~午後1:30、段々畑の草刈り・草取り・・・

今日、午前11:00~午後1:00、段々畑で作業・・・。

最初、さつまいも畑で試掘しました。太さ5~6cm、長さ20~23cmになったサツマイモを5~6本掘り起こしました。どうやら、さつまいもも収穫時期に入ったゆですが、野菜直売所・湖南四季の里の出展にあわせて、徐々に収穫していくことにして、そのあと、筆者は段々畑の周囲の電気柵の下と農道の草を草刈り機で刈り取ることにしました。妻は、秋や野菜畑の株間・畝間の草を根切り鎌で除草・・・。気温31.5°C、湿度72%・・・。高温といってももう夏の日差しではなく、どこかに秋の気配が感じられるゆなあつさでした。しかし、さらに気温が高くなりそうなので、きりのいいとろで草刈り・草取り作業を中止しました。帰りに、棚田の田によって、コシヒカリの田に農業用水路から直接水を引入れることにしました。午後6:00まで・・・。

メロン、野菜直売所に初出展・・・

今朝、有機・無農薬野菜の収穫にでかけた妻、<ころたん>というメロン1個と<マスクメロン>4個を収穫して帰ってきました。とてもうれしそう・・・。4個のうち1個、比較して一番劣るものを、筆者と妻で試食してみました。

完熟して、食べごろ・・・。やわらかくて、ジューシーで、あまくて、いい香りのする美味しいメロンでした。妻が、野菜直売所湖南四季の里にもっていったところ、プロの農家の方が、<しろうとなのに、こんなのつくって持ってくるんだものなあ・・・>とためいきをついていたそうです。

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、副業で、情報処理関連の仕事をしていたことがありますが、10年間講師をしていた山口県立東部高等産業技術学校や山口県東部女性就業センターを離れたあと、3年間、山口県立高校で情報教育アドバイザーをしていました。一番勤務時間が多かったのは、山口県立田伏農業高校大島分校(園芸科)・・・。そのとき、座学・実学の先生方とよく話をしましたが、鹿児島大学農学部の大学院を出られた嘱託の先生から、高冷地・寒冷地農法についていろいろ情報提供を受けました。そのとき、読んでおくべき農書についても教わり、それをインターネットの日本の古本屋経由で集めました。その教師の方のアドバイスに従って、2013年帰郷・帰農した妻のふるさと・湖南で、有機・無農薬栽培をはじめましたが、その教師の方のアドバイスを日々の農作業で実践しているのは、筆者より、吉田農園の農園主である妻・・・。

野菜直売所湖南四季の里に出展しているプロの農家、専業農家の方々が栽培していない野菜・果実を有機・無農薬で栽培して出展している妻、試行錯誤をしながら、ひとつひとつ、妻しかできない農産物を増やしているようです。

朝、試食したメロン、食後のデザートとしてふたりで食べました。妻が栽培した有機・無農薬の野菜・果実が美味しいのは、完熟した状態で店頭に並べるから・・・。

ウクライナに関する報道をみない日はないけれど・・・

昨日、BSのニュースでみた、ロシアによるウクライナ侵略に対するウクライナの防衛戦争の状況・・・。冬が来る前に、少しでもウクライナの防衛戦争が優位を保てるようにしたいと明言していたウクライナ大統領の祈りと思いがもたらした結果でしょうか? ロシアは、戦車・装甲車や弾薬などの武器を破壊しないまま残して敗走したようです。If Winter comes, can Spring be far behind ?というイギリスの詩人の言葉・・・、高校3年生の英語の授業のとき、その訳をもとめられた筆者、<冬がくると、春ははるか遠くにあるに違いない>と訳しました。ただ単純に <can be>を<違いない>と直訳しただけですが・・・。冬が来ると、すぐ春がやってくるというのではなく、冬に入ると、長~い過酷な冬の日々が続くのであって、春ははるか向こうにあって、なかなか容易には近寄ってこないと説明したのですが、<冬きたりなば春遠からじ>という<名訳>の反対ですから、筆者の訳は<愚訳>・・・。筆者、長くて戦いに困難な冬に入る前に、ウクライナが領土奪還の希望を確かなものにすることができる戦果を手に入れることができるよう、祈ってやみません。




哲学とはなにか・・・

昨夜と今朝、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいました。その箇所は、ヤスパースがアーレントの主著に関して<批判>を展開し、アーレントがヤスパースの著作のひとつに痛烈な<批判>を展開しているところ・・・。

哲学の師であるヤスパースは、哲学の弟子であるアーレントに、<科学ではなく哲学に立ち戻るように>、<学問ではなく哲学に立脚するように>求めています。アーレントの激しい反発を彷彿とさせるやりとりが展開されていきますが、筆者、それを読みながら、哲学と科学(学問)の違い、科学とはなになのか、哲学とはなになのか・・・、それが、明確にされたような思いを持ちました。哲学は、思索・思考・考察・精神の OutStretch であり、InShrink に陥ってはならないこと、常に、InShrink から自分自身を解放し、自分自身を OutStretchし、単視点・単視角・単視座から複視点・複視角・複視座から総合的・統合的・全体的・本質的な考察に飛躍していくこと・・・。

哲学の師であるヤスパースは、その弟子であるアーレントに政治学から政治哲学へ、そして政治哲学から哲学そのものへ回帰することをすすめていたようです。アーレントは、人生の晩年において哲学そのものに回帰していく・・・。神学は、科学(学問)であり、科学として文献学に還元されるか、それとも<信仰の哲学>になるか・・・。アーレントは、神学が<信仰の哲学>になることに反対・・・。科学(学問)と哲学、神学の関係についての哲学的考察は、ヤスパース著『哲学』(全3巻)の中で詳細にとりあげられています。無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者、哲学は、そのひとの精神を InShrink から解放し、OutStretch に導くものであると思いました。その思考過程を、『アーレント=ヤスパース往復書簡』の本の表紙の裏にメモ書きしました。

2022/09/13

スペイン語の発音・・・

スペイン語の発音・・・

<Google 翻訳>でスペイン語の発音・アクセントを学ぶことができます。筆者が持っているCASIOの電子辞書XD-D7100の中に<ネイティブ音声対応 ひとり歩きの会話集・スペイン語>が含まれていました。<和西単語集>・<西和単語集>も含まれているようです。

インターネットでその内容を確認しますと、

「ひとり歩きの会話集」シリーズのスペイン語版。持ち歩きに便利なサイズはそのままに、音声DL付録付きでリニューアル!

スペイン語が話せない人でも言葉の壁にぶつかることなく海外旅行を楽しめるよう、旅行中に使える数多くの例文を集めた会話集です。
旅の中で発生するさまざまな場面別に会話例を紹介していますので、旅の行程に沿って必要な会話を検索できるのが特徴です。

~場面別会話~
①入国
②出国
③泊まる
④食べる
⑤移動する
⑥観光する
⑦エンターテインメント
⑧ショッピング
⑨トラブル
⑩電話・通信
⑪コミュニケーション

X-D7100には、英語・ドイツ語の<ひとり歩きの会話集>も含まれていましたが、ほとんど使ったことがありません。英語・ドイツ語と同じく、スペイン語も同じ結果になることでしょう。ただ、今回は、<読む>ための言語ではなく<話す>ための言語として、スペイン語を学んでいくつもり・・・。

スペイン語の入門書を注文・・・

<年寄りの冷や水>になる可能性は多分にあるのですが、インターネットで検索して、スペイン語の入門書を4冊注文しました。

1.『プログレッシブスペイン語辞典 』
書評:<スペイン語を学ぶ多くの方から”引きやすく、使いやすい”と愛され続けてきた『プログレッシブ スペイン語辞典』は、発売から15年を経た今日も、コンスタントに売れ続けているロングセラー商品です。見出し語はスペイン語の学習に十分な2万5000語を収録。全見出し語の発音にカナ表記を付け、重要な動詞は不規則活用形も見出し語にするなど、スペイン語を初めて学ぶ方にわかりやすい工夫が随所にされています。付録には「ミニ和西」「旅行会話」「文法用語の解説」「動詞変化表」が付いており、かゆいところに手が届く親切な内容が特長です。>

2.『頻度順スペイン語基本単語集 』
書評:<日常用いられる単語は約2000語ですが、これらを使用頻度順に4段階にわけてあります。はじめの500語で日常の生活は充分間に合いますが、さらに頻度の高い順A~Eの100語ずつに配分。豊富な例文、熟語・成句も使用度の高いものを厳選。>

3.『絵で見るスペイン語1』
English Through pictures Book1~3 は、高校生のとき、Sweden Covenant Mission の宣教師カーリン・アッセルへード先生にすすめられて入手したもので、今でも手元にあります。

4.『日本人のための自習スペイン語文法』
書評:<自習スペイン語文法という書名につられて購入しました。書かれている内容は、初心者向けで私には参考になりませんでした。書名のサブタイトルとして、「入門用」と明記していただくと、内容と書名が一致します。>という評価もある本・・・。

どれも古本で安価なものばかり・・・。ある本の中に、<定年後、語学に挑戦するのは時間の無駄・・・>との言葉もありましたが、無学歴・無資格の筆者、高齢時代は<時間の無駄>を次から次へと積み重ねています。

「毎日田んぼで草取りをする」
「なんでそんな無駄なことをするの?」
「生きる糧と健康を手に入れるため」
「なんで、学んでも意味のないことをするの?」
「人生って、意味のないことにかかわることが多かったなあ・・・。今にはじまったことではない・・・」
「それなのに、なぜ今頃スペイン語を学ぶの?」
「痛めつけられた精神は、新しい言語を学ばせる・・・、スイスの哲学者アミエルの言葉だったけ・・・。哲学者のハンナ・アーレントもいってたっけ、言語は武器ではないと・・・」。

午前中、妻と一緒に郡山の歯科へ・・・

今日は、妻と一緒に郡山の歯科にでかけました。筆者の前歯(挿し歯)が、農作業をしているとき間違って、鍬の刃先を足で踏み、その柄が反動で円を描くように筆者の口を直撃、前歯に激痛が走りました。差し歯のネジの部分が20度ほど曲がってしまい、出っ歯になるような強い衝撃でした。ある日、その前歯がポロリと脱落しましたので、コロナによる不要不急の外出を自粛して歯の治療も休んでいましたが、前歯が欠けるとなにとなく落ち着かないので、行き付けの歯医者で治療を受けることにしました。

今日で2回目・・・。歯科衛生士の方から、歯のブラッシング方法についてこまかい指導を受けましたが、筆者の日ごろの歯のブラッシングは、その歯科医院の歯科衛生士の方から指導された通りなのでほぼその指導通りにはみがきができているようです。歯科医の判断では、70点とか・・・。

頭の中で理解していても、それをいざ実践するとなると、なかなか思うようには行かないようです。歯のブラッシングに特有なことではなく、すべからくそうですが・・・。

家に戻ると、筆者、歯の手入れについて蔵書の中から数冊をピックアップして再読することにしました。『プラークコントロールがすべての始まり -微生物学研究の成果が歯周病治療にもたらしたもの-』(歯界展望114-1)、『スタンダード口腔保健学―健康科学として考える―』、『高齢者歯科ガイドブック』、『ハンドブック 歯科診療と全身管理 -よりよいケアのために-』、『口腔ケア らくらく実践法 ケアと口腔リハビリで元気になる』の5冊・・・。もちろん、読むのは、筆者の健康維持と関連のあるところだけ・・・(読もうと思って寝室の本箱に並べている『新予防歯科学』・『基礎歯科生理学』・『口腔微生物学・免疫学』はまだ読んでいません)。

高齢者の歯の手入れは、動機付けが一番大切・・・。それにしても、今、筆者と妻が通っている郡山の歯科、歯科医はもちろんですが、いい歯科衛生士の方々をそろえておられるようです。

2022/09/12

差別から自由になるためには・・・

昨夜読んだ『アーレント=ヤスパース往復書簡』の1節にこのような言葉がありました。

差別から自由になるためには、可能な限り差別を認識しなければならない。しかし、何にもまして、差別にできるかぎり反対しなければならない・・・。

この<差別>は、いろいろな<差別>にもあてはまります。<差別>を解消するには、その<差別>に対して、徹底的に調べ、分析・統合して、その<差別>の本質を把握しなければならない。その間、<反差別>の姿勢を貫かなければならない。

1日で温水田の草取り・・・

今日、妻は、野菜直売所・湖南四季の里の店当番・・・。筆者は、その間、午前8:30~11:00、午後2:00~4:30、妻の実家の棚田の田に、農業用水路から2インチの給水ポンプで水をくみあげました。

給水ポンプで水をくみあげている間、温水田の草取りをしました。この春、市販の農具を改造してつくった田の草取り器を使って、温水田に繁茂したこなぎを中心とした田の草を抜き取り、それを熊手でかき集めて温水田の外に持ち出す作業・・・。

草取り作業を終えたあとの温水田の水面下の土、草1本生えていないような感じになりました。温水田の草取りをしている間、筆者の目にとまった田の生物は、オニヤンマ、シオカラトンボ、アオイトトンボ、ミドリイトトンボ(?)、赤とんぼ、アキアカネ、ミズスマシ、ミズカマキリ、ゲンゴロウ、タガメ、トノサマガエル、ニホンアマガエル・・・。それから、農道を1匹のイノシシがうろうろしていました。

2022/09/11

意外と少なかった同和教育関連の本・・・

今日、書庫の本を整理していて、気がついたのは、同和教育に関する本の少なさ・・・。同和教育に関しては、徳山市立中央図書館郷土資料室でコピーしてもらったり、1階の受付で貸出してもらって自分でコピーしたりしてファイリングした関連資料は多いのですが、本として筆者が持っているものは意外と少ない・・・。

1.岡山県教育委員会『同和教育関連資料集』
2.山口県教育委員会『山口県同和問題関連資料集』
3.兵庫県同和教育協議会『高等学校同和教育資料(教師用)』
4.埼玉県教育委員会『同和問題と同和教育』
5.東義和著『同和教育の歴史的研究』
6.八木晃介著『<差別と人間>を考える解放教育論入門』

同和教育の実践例は、雑誌『部落』(1~200号 1949~1966年)に多数掲載されています。同年代の、山口県下松市の教育長が集めた同和教育資料の時代的前提・背景を知るには十分です。山口県下松市の教育長の視点・視角・視座を解明するのにも、十分参考になります。雑誌『部落』も教育長が収集した資料も、京都大学大学院を出られた日本文化史研究者の方から、筆者に提供されたものです。1.~6.は、インターネットの日本の古本屋経由で筆者が入手したものです。

死がすぐそこまで近づいている・・・

数日前に読んだ、『カーレント=ヤスパース往復書簡』の、ヤスパースの手紙の中に、こんな一節がありました。

<・・・いまなお模索中で、言いたいことがいまようやく表現できるようになりかけたかなと思っているところです。ばかな話しですね。しかしおそらくカントの言うとおりでしょう。これでいよいよほんとうに始められるというところまで来たときには、死がすぐそこまで近づいている。・・・>

牧師の中には、死ぬときは説教壇の上で死にたいという人が少なくありません。説教中に死ねたら、牧師として本懐をとげたことになるのでしょう。そういう意味では、農家が、農薬散布の薬害で死ぬことは、農家にとっては本望になるのかもしれません。しかし、不信仰な牧師とラベリングされ、薬品アレルギーのある筆者は、どちらの死に方もすることはできません。

8月6日付のヤスパースの手紙に、アーレントは、9月28に返事を出し、その死の背後にある神のみむねがなんであるのかを書き記しています。アーレントの手紙を読んで、筆者も励まされました。

しのびよる農薬による健康被害・・・

朝食後、妻と話し合った、若槻俊一著『農村医学』の一節・・・。

<農民の農薬散布の際の中毒例などは、自殺のような劇的な悲劇を示す場合はそう多くはない。中毒症状が、ある程度の重さになると、あわてて仕事をやめ、危険状態を脱して命はとりとめる。いちおうその場は切りぬけられる。しかし、身体の状態は十分回復していない。いわばふらふらなのである。ところが、それにこりるどころか、「なに、たいしたことはない」とばかりにまた仕事をはじめる。こんなことを平気でやる。そこで、ついに慢性中毒の状態になる。そういう時には、しばしば他の病気が加わりやすい。たとえば、外傷の事故が起こるというような事故も起こる。そのため首の骨を折って死ぬというようなことにもなる。あるいは、農薬で潜在的に肝臓を悪くしているところへ、流行性肝炎が新しく加わって、ついにそれがもとで死ぬとか・・・。すると、これらの場合はみな死因は、頸椎捻挫とか肝炎とかの診断名となり、農薬中毒との関係は、少なくとも表面上からはまったく消えてしまうのである。このような統計上にかくれた部分はどんなに大きなものであろう>。

筆者、以前、農薬散布用の防護マスクをつけて、1000倍のはっか水を散布したことがありますが、アレルギー性鼻炎の筆者、防護マスクをすりぬけて鼻の中に入ってくるはっか水のにおいから、どんなに農薬散布用の防護マスクをつけても、散布する農薬を体内に吸収されるのを防ぐことはできないと思いました。日本基督教団の牧師になるために農村伝道神学校で学んでいたとき、アルバイトで、農薬散布の会社に勤めていたことがあります。農薬散布といっても、農場だけとは限りません。公園やゴルフ場も散布対象になります。あるとき、その会社が皇居の芝生の防除を請け負ったことがあります。宮内庁の警察から、皇居の芝生の防除作業に入る人のリストを提出するように求められ、その会社の社長は、筆者の備考欄に神学生と書いたそうです。すると宮内庁の警察から、<牧師のたまごだけは皇居に入ることはできない>と言われ、筆者は、即、その会社を首になりました。幸か不幸かわかりませんが、筆者、農薬被害がでる前に、農薬散布のアルバイトから身を引くことになりました。散布されていた農薬の成分を見ますと、その中にパラチオン製剤がありました。今、農薬・除草剤が大量に散布される、妻のふるさと・湖南に棲息していますが、周囲がなんであれ、筆者と妻は、無農薬栽培に徹しています。他の農家が農薬を散布いているときは、筆者と妻は、Kestrelの農業者向けのポケット気象計で dt 値 と風向・風力をもとめて、その農薬を吸引する危険度を予測、少しく吸引の可能性があれば、すぐその場を離れることにしています。

午前中、書庫の本の整理・・・

午前中、書庫の本の整理をしました。この前の、昔のスチール製6段の本箱5つ分の整理を終えたあと、同じフロアの、昔のスチール製6段の本箱1つ分の蔵書を整理しました。まだ、昔のスチール製6段の本箱3つ分の整理が残っています。

蔵書を次の式で概算しますと、20箱×6段×30冊=3,600冊・・・。無学歴・無資格、学問とは無縁の存在である筆者の身の丈にあった蔵書数であるようです。これが最後、これが最後・・・、といいながら、蔵書数を徐々に増やしていった結果です。今日は、廃棄する本は1冊もなし・・・。


夜、司法省調査課『司法研究 第5輯 報告書4』(昭和2年)をひもとく・・・

昨夜、司法省調査課『司法研究 第5輯 報告書4』(昭和2年)をひもといていました。この本は、かろうじて冊子の体裁を保っているものの、少しく乱暴に扱うと各ページが砕けてばらばらになってしまいそうなくらい劣化しています。

この報告書の検事・長谷川寧が、当時の<部落問題>に関する情報をどのように収集・分析・総括したのかを知る上で、貴重な文献です。『警察研究資料第6輯』(昭和2年)もまけずおとらず劣化していますが、こちらはハードカバーですので、まだ読みたいときに自由に読むことができます。

昭和2年当時の、日本政府の官憲の<部落問題>の関する視点・視角・視座を知る上で、両書を合わせ読むことで、日本政府のこの問題に関する方向性、指向性を把握することができます。

その後の経緯は、昭和17年の文部省『国民同和への道』でたどることができます。こちらの冊子も、『司法研究 第5輯 報告書4』(昭和2年)ほどでもないにしても、かなり劣化が進んでいます。

無学歴・無資格、歴史研究・部落史研究の門外漢ではありますが、京都大学大学院を出られた日本文化史研究者の方のアドバイスに従って、できる範囲で、史資料の原典に直接目を通すようにしています。

スペイン語、なにとなく読めるような気がして・・・

筆者、日本基督教団の隠退牧師になった65歳以降は、それまでの人生で経験しなかったことは65歳以降もしない・・・、との方針を立てました。そして、この10年間、その方針のもとで高齢期を生きてきたのですが、昨日、BSニュースでスペイン語の字幕を見ていて、なぜか、とてもなつかしい気がして、そのスペイン語、なにとなく読めるような気がしました。その音声もすっと、心の中に入ってくるようで・・・。それで、筆者、突然、スペイン語を学んだみたいと思うようになりました。

インターネットのGoogle翻訳で、簡単な日本語の文章を打ち込み、スペイン語に翻訳してつづりを見て音声で聞いていますと、意外と簡単にスペイン語が読めるようになるのではないかとの<錯覚>に陥りました。それが錯覚なのかどうか、Google翻訳でほかの言語もチェックしてみたのですが、筆者が読めそうなのは、

1.英語
2.独語
3.ギリシャ語
4.ヘブル語
5.ラテン語
6.イディッシュ語
7.エスペラント語
8.スペイン語

であることがわかりました。ロシア語・ウクライナ語・スウェーデン語・フィンランド語・フランス語などを学習するのは、抵抗感がともないます。韓国語にいたっては、その文字を見て音声を聞くだけで不愉快になります。学習する気持ちは100%なし・・・。タミル語は読んでみいたいと思うけれども多分無理・・・。

今朝、筆者の書斎のノートパソコンのキーボードの設定を、日本語キーボードの他に

1.英語(米語)
2.独語
3.ギリシャ語
4.ヘブライ語
5.スペイン語

に設定しました。20代のころ、エスペラント語の独習をはじめたことがありますが、必要な教材が少なくすぐ頓挫した経験があります。言語と文化は密接なつながりがありますので、筆者が、これまで生きてきた文化が、日本語とほかの8つの言語になっているのでしょう。スペイン語の学習・・・、もしかしたら、筆者にとって、高齢期におけるあらたな挑戦ではなく、これまでの語学学習の延長線なのかもしれません。<スペイン語をならってどうするの?>と自問自答すると、反ってくるのは、<BSニュースの字幕が読めることぐらい・・・>。BSニュースを見るときの楽しみが少しく増えることになるだけなのかもしれませんが・・・。

2022/09/10

今朝、朝食後、お茶を飲みながら、『アーレント=ヤスパース往復書簡』の話し・・・

今朝、朝食後、お茶をのみながら、筆者が昨夜読んだ『アーレント=ヤスパース往復書簡』について話しをしました。ハンナ・アーレントとカール・ヤスパースのふたりの哲学者の手紙による対談・・・、1950年における対談なのに、2022年の、ロシアのプーチンによるウクライナ侵略戦争、ウクライナ解体・絶滅戦争の今日的状況に通じるものが多々あります。アーレントとヤスパースは、やがて来るべき時代を見通していたのでしょうか・・・?

アーレントは、神学者バルトに対して批判をしていました。批判の対象になったのは、バルト著<東の西の間にある教会>・・・。ロシアの東側陣営とアメリカの西側陣営の間にある<キリスト教会>の在り方に関する論文です。アーレントは、バルトの主張は、典型的な西欧の知識人のそれなのか、<やくざ>(暴力団?)のそれなのか、区別することができないといいます。バルトは、ナチス・ヒトラーとロシア・スターリンは別物であるといいますが、アーレントは、同種の存在であるといいます。アーレントは、バルトが<左翼>思想に理解を示し、それを容認しようとしている側面があるといいます。キリスト教の異端について厳しく批判するバルトですが、キリスト教を完全否定する共産主義については寛容・・・。不思議な論調に貫かれているバルトの論文ですが、妻は、<あなたはよく、バルトについて話しをするけれど、バルトにもそんな側面があるの?>と問いかけてきますが、筆者、<バルトの教義学についてはよく話をするけれど、そのバルトのひととなり、彼がどのような人で、どのような生き方をしたのかについては何も知らない・・・。カール・ヤスパースの場合は、彼が書いた自伝と、彼の学生であったハンナ・アーレントが、ヤスパースがどういうひとで、どういう生き方をしたのか、その往復書簡に書いているから、スパースの哲学とヤスパースの生き方の両方を知ることができる・・・。しかし、バルトは、『Chuch Dogmatics』を読んで教義学的聖書解釈の方法を学んでいるだけで、バルトの生き方からなにかを学ぼうとしてことはない・・・。たぶん、これからも・・・。>と答えざるをえませんでした。

<東の西の間にある教会>をあらためて読みながら、筆者、愕然とさせられました。日本基督教団の牧師になるために農村伝道神学校で学んでいたとき、また神奈川教区・西中国教区の教会で牧師をしていたとき、先輩牧師たちからよく投げかけられた言葉と同じ言葉が書かれていましたから・・・。

<東ー西の問題には甚だ情熱的な関心をいだいているけれども、教会に対しては・・・全然 関心をよせていないというような人々・・・私はこう呼びかけたい。・・・聴衆としてここに席を同じうする権利は全然ない・・・。それゆえ、未だ足もとの明るいうちに、お帰りになる方がおそらくよろしいかと思う次第である・・・>。

神学者バルトのこの排他的ないいまわしは、何なのでしょうか? 日本の神学者や牧師は、バルトの『Church Dogmatics 』の内容を学ばないで、神学者バルトの高圧的な言動・指導法のみを継承したのでしょうか・・・? <学歴をもっていないものには、ヘブル語は教えない!>、<佐藤通次の『独和言林』で独文を訳すものには旧約学は指導しない>、<無学歴なものは、Die Kirchliche Dogmatik の研究会に参加する資格はない>・・・。そのような指導法は、ある意味、バルト的であったのかもしれません。

筆者、『Die Kirchliche Dogmatik 』は、Ⅳ/3 2.Hälfte と Ⅳ,4 Fragment を入手、読んだだけ・・・。原文ではなく、英訳の『 Church Dogmatics 』のみを読むことになりました。筆者ばにとってバルトは、無学歴・無資格の筆者が理解しうる限りのバルトでしかない・・・。これからも・・・。


お茶友達になるはずの人が・・・

今朝、野菜直売所・湖南四季の里に、有機・無農薬栽培の野菜を出展しに行った妻、妻の実家のおとうさんの親友であった方の息子さん、Suzuki さんがなくなって、明日が初七日であることを、その親類筋の方から聞かされたそうです。

妻は、78歳でなくなったその方の死を悼んで、<午前中に、Suzuki さん宅に行ってお見舞いしましょう>というので、用意をして、妻と一緒にでかけました。焼香したあと、そこに集まっていた親族の方々の前で、Suzuki さんのおくさんと、ご主人との思い出話しをしました。故人の生前の生き方をほうふつとさせるいろいろな話をしながら・・・。仏前や法要の場は、個人に対する思いを寄せ集める場・・・。筆者と妻の、Suzuki さんとの思い出は、その本流の支流の支流にすぎませんが、個人を弔うための話しに終始しました。

筆者、74歳、なくなられた Suzuki さんは78歳・・・、共に、高齢化して、農作業から離れたときは、お茶友達になるひとだったのですが、大切なひとを失って、筆者もショックを受けました。妻の実家のおとうさんが、<湖南に戻ってきても、ほかの農家の家に出入りしてはなんねえ。していいいのは、Suzuki さんだけだ・・・>と話していましたが、なくなられたのはその Suzuki さん・・・。

今日は、妻からよく話を聞かされていた、Suzuki 家の方々に出会うことができました。

2022/09/09

イザナギ・イザナミ神話の法的解釈・・・

書庫の整理をしながら、<イザナギ・イザナミ神話>に出てくる<穢れ>について、いろいろ思いめぐらしていました。

そして、筆者、この<イザナギ・イザナミ神話>は、<国つくり神話>としての単なる神話にすぎないのだろうか・・・、と考えていました。<神話>として物語ることによって、日本民族の生き方にどのような影響を与えることになったのか・・・。イザナギが、死んで黄泉に下ったイザナミを追って黄泉の世界にはいり、そこでイザナミの穢れに遭遇する・・・、その黄泉から逃げ帰ったイザナギは、再び黄泉の世界に入ろうとはしなかった・・・。黄泉の世界、それは、墓の世界・・・。<イザナギ・イザナミ神話>が語り継がれることによって、先祖の、ひいては天皇家の墓を盗掘して、その埋葬品を持ち出すことに対する禁忌と処罰に関する習俗法の形をとって、民衆の精神の中に定着されていったのではないかと、推察しました。<けがれ>は、本来、生きたものの世界のことがらではなく、死んだものの世界の、生きているひとが触れてはならない世界のことがら・・・。

日本の天皇が葬られてきた<古墳>は、<イザナギ・イザナミ神話>という、一種の<法規範>によって、守られてきたのではないかと思います。<古墳>を<古墳>として守るために置かれた役職は、<古墳>の中に入ることはなく、<古墳>の中に入り盗掘するのを取り締まる側・・・。日本の律令制下にあって、天皇や皇族の陵墓の守衛に携わった役職に<陵戸>というものがありましたが、彼らは、生と死の境界に身をおいて、人々が<穢れ>に陥らないように守る役をになっていたと思われます。<陵戸>自身は<穢れ>た存在ではない・・・。

筆者の解釈の妥当性・・・、岸本英夫・金子武雄・佐竹昭広・肥後和夫の関連書籍で調べてみましょう。日本古代法制史に関する本も読む必要がありそうです。

午後、書庫の整理・・・

午後、書庫の整理をしました。書庫の蔵書は、昔のスチール製6段の本箱5つ分・・・。

昨日、筆者の書斎の蔵書だけをてがかりに、<けがれ>について調べたことから推察できることをこのブログにかきました(書斎は私設図書館・・・)。今日、書庫の整理をしていて、三浦周行著『日本史の研究 第1輯上』の、

第1編 文化批判
 第3章 思想及び信仰
  1.上古の祓禊

項に、<けがれ>と<はらい>・<みそぎ>に関する、43頁に及ぶ詳細な研究が掲載されていました。書斎の蔵書から筆者が推察したことは概略まちがいではなさそうです。三浦周行がその論証に用いた史資料の大半は、筆者の書斎の本箱に並べられていますので、原文にあたって追認することができます。岸本英夫・金子武雄・佐竹昭広・肥後和夫の関連書籍も多数ありますので、<けがれ>について、思索を深めることができます。

といっても、<上古の祓禊>を読んでいますと、書庫の整理が中断されますので、後日精読することにして、書庫の整理にすぐ戻りました。

コシヒカリの田のヒエをとっているとき聞こえてきたウシガエルの鳴き声・・・

午前中、妻の実家の棚田のコシヒカリの田でヒエを刈り取っているとき、田の中から聞こえてきたウシガエルの鳴き声・・・。低音で、ドスのきいた鳴き声・・・。最初は、1匹だけだったのですが、そのうち何匹ものウシガエルが競ってなきはじめました。ウシガエルは、雨がふりはじめても、ニホンアマガエルのように鳴くことはありません。<なんで鳴いているんだろう?>と思っていましたら、筆者のすぐ近くまで泳いでやってきたウシガエル、筆者と目があうなり、ドブンと音を立てて泳いで去っていきました。ウシガエル、<誰かが田んぼの中に入ってきた。気をつけろ!>と警戒してなきはじめたのかもしれません。それが誰なのか、偵察にきたウシガエル、<なんだ、いつものおじいちゃんか!なら、問題はねえ・・・>と言って去って行ったのかどうかはわかりませんが、そのあとぴたりと、ウシガエルの鳴き声がしなくなりました。

ウシガエルの天敵はアオダイショウ・・・。筆者が、コシヒカリの田の中を歩くときの足音、アオダイショウがしのびよってくるときの音に似ていたのかもしれません。

妻と、昨日読んだ『アーレント=ヤスパース往復書簡』の話をする・・・

昼食のあと、紅茶をのみながら、妻と、筆者が昨日読んだ『アーレント=ヤスパース往復書簡』の話をしました。

アーレントとヤスパースのふたりの哲学者による1950年という、ナチス・ヒトラー顔負けの戦争をしかけているソビエト・ロシアのスターリンの軍事行動に関する、アーレントとヤスパースの批判・・・、妻は、<1950年は、72年後の今と同じ状況に置かれていたのね。ロシアのプーチンは、そのころのロシアの夢を今実現しようとしているのかしら?>と話していましたが、核戦争をちらつかせながらの世界に対する脅迫、軍事的侵略の正当化・・・、同じロシア民族であると主張しながら、ウクライナの国土と国民を破壊・抹殺しようとするロシアのプーチン・・・、戦後77年の平和を願う西欧の国々の夢と努力を、ソ連の膨大な軍事的遺産を駆使して、<解放>という旗印のもとに、ウクライナを侵略し続けているロシア・・・、世界におけるロシアという国の信頼性を大きく損なってしまいました。経済的に豊かになれば、戦争をしかけることはないだろうという西欧諸国の予想・期待をもののみごとに裏切りナチス・ヒトラー顔負けの侵略戦争をはじめたロシア・プーチン・・・、時代錯誤もはなはだしい。そのロシアと同じ立場にあるのが、中国共産党ひきいる中国、諸外国が、中国は経済的に豊かになれば、その覇権の拡大はやめるだろうという期待のもと経済復興に協力してきたのに、中国は、豊かになればなるほど、覇権主義を前面に打ち出し、軍事力・経済力による諸外国の属国化・植民地化をすすめ、欧米諸国にロシアとともに敵対しようとしています。

ロシア・中国に対する欧米の<温情>は、まったく無意味であり、その努力は無に帰してしまったということでしょうか・・・。欧米諸国や日本などに<反旗を翻した>ロシアと中国、大きく世界の国々からの信頼を失ってしまったような気がします。取り返しのつかない形で・・・。

午前9:30~午後1:00、コシヒカリの田のヒエ刈り・・・

今日は、雨が上がって曇り空・・・。午前9:30~午後1:00、妻の実家の棚田のコシヒカリの田のヒエ取りをしていました。1本、1本、ヒエを専用鎌で刈り取っていきます。ある程度まとまると、全体を結んで、条間に足でねじ込みます。この前、同じようにしたヒエは枯れてかけていましたので、やがて、肥料となり、コシヒカリの穂肥となってくれることでしょう。<草が生えたときのコシヒカリは美味しい・・・>と妻がいうのは、田の草が緑肥として穂肥の役割をはたしてくれるからかもしれません。

1本1本、ていねいにヒエを刈るのは、間違ってコシヒカリを刈り取ることがないように最善の注意を払っているからです。それでも、時々、コシヒカリを地際から刈り取ってしまいますが・・・。今年は、天候不順が重なったためか、昨年より収穫は少なくなりそうです。今年、出穂期に田の中に入って草取りをしなかったので(それで、今、伸びたヒエの草刈りをしなければなりませんが・・・)、<豊作病>にはならなかったようです。

早稲のひめのもちの穂はすっかり黄色になっています。ひめのもちの出穂期は8月5日、コシヒカリの出穂期は8月25日で、3週間の開きがあります。今年は、ひめのもちだけ、はやく、稲刈り鎌で手刈り、ぼうがけする必要がありそうです。

欠かすことができない就寝前・起床後の右手の OutStretch・・・

今朝6:00に起床・・・。

いつもの健康管理・・・。今朝の最高血圧は117、最低血圧74、脈圧差43、平均血圧88、脈圧数60、呼吸数15/分、体温36.0°C、体重60.8kg・・・。

筆者、右手首と指に関節障害があり、限度を超えると痛みが来て、1週間ほど動かなくなります。それを防ぐために、『新約聖書』のイエスさまのことばを参考にして、筆者固有のOutStrech を見つけました。それを実践するようになって久しくなりますが、最近は、手首と指関節の OutStretch は、就寝前だけでなく、起床後にも行うのが習慣になっています。たった、それだけで、筆者の関節障害のある右手が、関節に負荷のかかる重作業をやめて、それをいたわりつつ作業をすれば、一日農作業をしても右手首と指に痛みがくることはありません。しかし、1回、OutStretch を怠ると、短くて2~3日、長くて7~10日、痛みに耐えなければならなくなります。

筆者、主イエスさまが与えてくださった<神癒>だと、いつも感謝しています。パソコンのキーボードを打鍵することも、本を読むとき、マーカーやボールペンを使うときも痛みを感じることはなくなりました。もちろん、無理をすると、すぐ痛みにおそわれますが・・・。<自転車操業>という言葉がぴったりの、筆者の健康管理です。

2022/09/08

今、読んで楽しさを感じる本は・・・

筆者が、今、読んで楽しさを感じることができる本は、『アーレント=ヤスパース往復書簡』です。

アーレントとヤスパースはどちらも哲学者・・・。アーレントはヤスパースのことを師と呼んでいますが、ヤスパースはアーレントのことを、弟子ではなく、<同業者>であると思っているようです。

この往復書簡集を読んで、筆者が楽しさを覚えるのは、アーレントの哲学、ヤスパースの哲学、そして彼らの生き方を知ることができるだけでなく、彼らの周囲にいる著名な哲学者・神学者などの<近況>にも触れることができるからです。今日読んだ往復書簡集には、実存哲学者・ハイデガーや神学者・ブルトマンが出てきます。アーレントはブルトマンからプロテスタント神学を学びヤスパースとブルトマンは<個人的知己>の間柄であったとか・・・。

ヤスパース著『聖書の非神話化批判ーヤスパース・ブルトマン論争ー』は、入手したまま、まだ読んでいませんが、『アーレント=ヤスパース往復書簡』をさらに読み続けて行けば、この本を即読んでみたくなるときがくるかもしれません。

『アーレント=ヤスパース往復書簡』の世界は、無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者が、いちども味わうことがなかった世界です。筆者が無学歴・無資格であるというのは、筆者には、<個人的知己>の学者はひとりもいないということを意味しています。筆者が出会った学者は、その著作を通じてのみ・・・。なぜか、西欧の学者の著作がほとんど・・。

今日は一日雨、文字通り晴耕雨読の日・・・

今日は一日冷たい雨が降っていました。

2時間ほど、書庫の整理をしただけで、あとは、蔵書を紐解いていました。妻のふるさと・湖南と赤津村に関する歴史・民俗・伝承・調査資料・・・などの本もチェックしていました。2013年、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農する前、まだ、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、60歳になって、年金の一部が入るようになったとき、妻が、<最初の年の年金は、全部本に使っていいわよ>といいますので、部落学・老年学・農学関連の書籍や、妻のふるさと・湖南と赤津村に関する古書を、インターネットの日本の古本屋経由で集めました。

今日、その主なものを、インターネットの日本の古本屋で検索してみましたが、今は、どれも入手不可能であることを確認しました。元湖南史談会会長の Akiyama 先生は、<湖南史談会会員でも、あなたほど湖南に関する史資料を持っているひとはいない>と話して、筆者に、湖南史談会会員になることをすすめてくださったことがありますが、他の会員の方々は、湖南史談会の慣例に反するといって反対されていました。筆者、一応、湖南史談会会員になったものの、居心地が悪く数年で脱会してしまいました。<湖南の歴史はもうええ。調べたければ、湖南史談会と関係ないところで、勝手にやれ!>と役員会で一蹴され、筆者、迷うことなく、その場で脱会を決めました。

ひとは誰でも、その気になれば、自分のふるさと、自分の先祖の歴史について、いつでも調べることができます。インターネットの日本の古本屋で時々検索していますと、思いがけないときに入手できる場合も少なくありません。自分のふるさと、自分の先祖の歴史について調べるための小道に通じる門は、いつかは開かれるものです。関心をもたなければ、その門は閉ざされたままになりますけれども・・・。

書斎は私設図書館・・・

今日の午後、筆者の書斎の蔵書を用いて、<けがれ>について調べていました。

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をいていたとき、教会がちいさく、経済的には清貧生活を余儀なくされていましたので、本は、月1冊やっと購入できる程度・・・。岩波『日本近代思想大系』を予約購入しますと、2年間は、それ以外の本は購入できない状態に陥りました。それで、筆者、調べものがあるときは、隣市の徳山市立中央図書館郷土資料室で閲覧、調べるのが常でした。2013年、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと湖南に帰郷・帰農しますと、簡単に図書館通いをすることができなくなり、最低限、筆者の書斎で調べることができる環境つくりをすることにしました。それから10年・・・、筆者の書斎もやっと書斎らしくなり、<私設図書館>の役割を持つことができるようになりました。

今日、それを確認するために、<けがれ>の起源について調べ始めました。『万葉集』のいろいろな事典・辞典で、<けがれ>を検索してみましたが、見出し語にはありませんでした。それならばと、『古事記』(原文)で<けがれ>を検索してみましたが、最初に出てくる<けがれ>は<穢れ>で、この世のことがらではなく死後の世界のことがら・・・。『万葉集』は、生きることをうたった歌なので、死後のことについて歌うことはなかったのでしょう。その後、次第に<けがれ>が多様な意味を持つようになり、宗教的・倫理的・法的に逸脱した状態を指すようになりますが、神道においては、その<けがれ>は<みそぎ>などの<祓い>によって取り除くことができ、生まれてから死ぬまで一生、あるいは何代にもわたって継承されるような<けがれ>、<みそぎ>などの<祓い>でもとりのぞくことができない<けがれ>は存在しなかったようです。

神道の世界では、<部落差別>は発生しないし、継承されることもない・・・。<けがれ>ても<みそぎ>などの<祓い>をすれば、<けがれ>は洗い清められるのですから・・・。その日本人固有の<けがれ>を、時空を超えて、人間の生に影響を与える、悪しき差別的な力に変えたのは、日本に外来宗教として入ってきた仏教なのでしょう。

ということで、筆者の書斎、蔵書数3,000冊にすぎませんが、調べごとができる、小さな、ちいさな図書館になったようです。

あなた、その本、ほんとうに1円なの・・・?

インターネットで注文していた『新修・部落問題事典』が届きました。包装をといてみますと、中から出てきたのは、新本同然の『新修・部落問題事典』・・・。

妻が、<あなた、それ古本じゃないのじゃないん? ほんとうに1円なの・・・?>と問いかけてきました。筆者、<ほんとうに1円だよ。そら、納品書に、価格1円、送料650円、計651円と書かれてるでしょう。122円、ポイントで払ったから振り込んだのは、528円だけど・・・>と納品書を見せながら説明しますと、妻は、<ほんとう! 1円の本があるなんて!>と驚いていました。

日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、京都大学大学院を出られた日本文化史研究者の方が、部落史関連史資料で1円で販売されている本があるが、必要な本は迷わず入手したほうがいいとアドバイスをしてくださいましたが、その典型的な例・・・。

この本、解放出版社版『部落問題事典』の<平易な簡便>版であるようで、<学校や家庭、職場の机上に置いて手軽に利用できる事典>だそうです。しかし、部落差別の根源を解明し、部落差別を根底から廃棄せしめようとする積極的姿勢に欠けていることは、母版の『部落問題事典』と同じ・・・。

午後0:00~3:00、書庫の整理・・・

午後0:00~3:00、書庫の整理をしました。といっても、ほんのわずかですが・・・。筆者の蔵書は、史資料集と研究論文集ばかりですから、ノンフィクションばかり・・・。フィクションは、数えるばかりしかありません。

筆者、高校1年生のときは、いろいろな小説家の小説、たとえば、夏目漱石、太宰治、芥川龍之介、樋口一葉、森鴎外、国木田独歩、坂口安吾、北村透谷などを読み漁りましたが、島崎藤村の<自然文学>に触れたとき、筆者の読書傾向が変わり、フィクションの世界からノンフィクションの世界へ、文学から哲学の世界へ移行することになりました。そして、それ以来、筆者、ほとんど小説らしきものは読んでいません。芥川賞とか直木賞とか、文学新人賞とか、受賞作品には関心なく、ほとんど読んだことがありません。

例外的に、戦後の作家で筆者が読んだことがあるのは、丸山健二だけ・・・。無学歴・無資格、文学とは無縁の筆者の乾燥ですから、的を得ているかどうかはわかりませんが、丸山健二は、<自然主義文学>の流れをくむ作家・・・。<現実>の世界が<虚構>の世界となり、<虚構>の世界が<現実>となって、逆転してしまった現代社会において<自然主義文学>の精神がどこまで命脈を保つことができるかどうかはわかりませんが・・・。

筆者の蔵書の大半は、29歳のとき、日本基督教団の牧師になるために農村伝道神学校に入るとき、神学校にもっていった本は、『聖書』、『聖書講座』、『教義学講座』、『福音主義神学入門』『アガペーとエロース』、『万葉集』、『方丈記』、『西洋紀聞』、『ファウスト』、『アミエルの日記』、人文書院『講座哲学大系』、岩波『日本思想大系』のみ・・・。現在所有している蔵書の大半は、29歳以降、今日までに入手したものです。

今回の書庫整理の目的は、『部落学』執筆のための史資料と、筆者の祖父・吉田永學の先祖、信州栗田村の、真言宗当山派の伊勢神宮の神宮寺であった世義寺の末寺、栗田村の太子堂である観聖寺の歴史を知るために参考になる史資料の抽出です。

京都大学大学院出身の日本文化史研究者の方のアドバイスはタイムリーでした・・・

日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、2005年にインターネット上のブログで『部落学序説』の公開執筆をはじめましたが、最初から、筆者のブログを読んでくださっていた京都大学大学院出身の日本文化史研究者の方が、<同和対策事業も終わり、科研費もでなくなったことから、それまで部落史研究をしていた大学の教授や学校教師が部落史研究から撤退し、持っていた関連史資料を手放しはじめている、『部落学序説』の執筆を継続するなら、今なら安価に入手できる。入手可能なときに入手しておいたほうがいい・・・>とアドバイスしてくださいました。そのアドバイスに従って、筆者、部落史研究の基本的な史資料を入手しました。

その中に、
検事・長谷川寧著『水平運動並に之に関する犯罪の研究』(昭和2年12月に司法省調査課『司法研究』第5輯報告書集4所収)と、内務省警保局『徳川時代警察沿革誌 上・下』(昭和2年3月 『警察研究資料第6集』)の2冊があります。

この2冊をあわせ読むことによって、部落史研究の潮流が大きく一定方向に偏っていくさまを確認することができます。前書は、検事・長谷川寧の著作、後書は、警保局長・清浦圭吾の著作・・・。

振り返ってみますと、筆者に対する、
京都大学大学院出身の日本文化史研究者の方のアドバイスはタイムリーでした。感謝の念、この上なし・・・。

YouTubeで『部落探訪』の山口編を見る・・・

今日は、昨日に引き続いて、冷たい本降りの雨が降っています。

午前中、YouTube で、『部落探訪』という動画を見ていました。そういう動画が公開され、問題となっていることは前々から知っていましたが、ひとつの動画を最初から最後まで見たことはありませんでした。それで、今日、『部落探訪』の山口県版を見ていました。山口県岩国市を中心とした<部落>と思われる場所を<いきなり>尋ねて、そこが<部落>であるかどうかを<特定>するという内容の動画であるようです。

それを見ながら、筆者、『部落探訪』を実施して<部落>を探訪しているひとの視点・視角・視座はなになのだろうと、疑問に思いました。その動画のほとんどは、彼らが尋ねた先が<部落>であるかどうかを<特定>することにのみ関心があり、<特定>したら、彼らの<部落探訪>は終わることになります。そういう営みに、何のメリットがあるのか・・・? <部落>の定義はないとして、そのあいまいさに乗っかって、<部落>概念を拡大し、身元を隠している<部落民>をあぶり出そうとしている・・・。なにのために・・・? 各種同和対策事業が終了し、部落解放運動そのものが停滞していくなかでの、部落解放運動をさらに進展させていくための援護射撃として・・・? それが、たとえ、<部落>の側からの<部落>と<部落民>をあぶりだす行為だとしても、差別行為そのものでしかありません。

山口県立文書館の研究者たちの論文を読まないで、荒唐無稽な珍説を表面的に糊塗するその内容には、唖然とさせられます。山口県の<茶筅部落>を、竹細工で茶道の必需品である<茶せん>をつくっていた人々の末裔として、<部落探訪>するなど、笑止千万・・・!

法務省が閲覧禁止措置をとらないのは、とると、『部落探訪』をする人々のレポートしていることが<事実>であることを認めることになり、禁止措置が逆の意味を持ちかねないことを恐れているから・・・?荒唐無稽な<たわごと>は、黙殺するのが一番効果的・・・?

Gooblog の事務局の担当者なら、筆者のこの文章も、<差別文章>として閲覧禁止・削除処分にしてくることは間違いないでしょう。『部落探訪』は、部落解放同盟と暗黙裡の了解のもとに公開されているので、門外漢がその話題に横やりを入れて関与するのは、部落解放同盟に対する差別行為として断定する・・・とか、主張してくることになるのでしょうね、筆者の経験から推察しますと・・・。

ともかく、公開された動画『部落探訪』は<差別文書>です。

2022/09/07

gooblog 担当者によって差別文書として烙印を押された筆者の文章のひとつ・・・

 「穢れたる人々と関係を絶たねば・・・」(2019年1月22日)

<インターネットで、『昭和十一年三月刊 全国部落調査 秘』という文書が拡散していますが、この資料は、財団法人中央融和事業協会が発行したもの・・・。誰が、何の為に、この文書を、インターネットで閲覧しているのか、筆者は寡聞にして何も知りませんが、昨夜、岡山県出身の、はじめて天皇との謁見を許された基督教の牧師、山室軍平の書いた『平民之福音』を読んでいました。浄土真宗に対する激しい敵意はどこからくるのか、不思議に思いながら読んでいましたが、その中にこのような言葉がありました。祈祷及び、聖書を読むことと一緒に大切なるは、私し共が其信仰の旗色を鮮明にすることであります。私し共は、世俗的の行為を解脱し、穢れたる人々と関係を絶たねばなりませぬ。舟は水の中に在って、然るべきものである。然り乍ら水が舟の中に入れば沈みます。其と同様に私し共は此世の中で、毎日の仕事を営むものであれど、此世の中のよくない風が、私し共の心に入る時は、堕落して罪人になり升>。山室軍平がいう<穢れたる人々と関係を絶たねばなりませぬ>というときの<穢れ>は、法的・道徳的逸脱のことを意味します。法的・道徳的逸脱をしたひとと接することの多い山室軍平が、自分の旗色をかかげたのが、<舟は水の中に在って、然るべきものである。然り乍ら水が舟の中に入れば沈みます。>なのでしょう。山室軍平が、水が舟の中に入り沈みかかっている悪しき宗教者として批判するのが、浄土真宗のTOP・・・。その山室軍平の伝記、鎗田研一著『山室軍平』の山室軍平氏年譜に、山室軍平の戸籍が紹介されていますが、山室軍平は、岡山県阿哲郡本郷村字則安生まれ、山室軍平の母は同村字宮河内出身・・・。著者の鎗田研一は、山室軍平の家は極貧であったといいます。その本郷村則安と本郷村宮河内を、上記の『昭和十一年三月刊 全国部落調査 秘』で検索しますと、いずれも<部落名>のなかに出てきます。伝記には、本郷村字則安には、戸数40戸ほどがあったようですが、『昭和十一年三月刊 全国部落調査 秘』では、戸数は3戸・・・。戸数3戸、近世幕藩体制下の穢多役がいるということで、戸数40戸の本郷村字則安全体が被差別部落にされているのです。『昭和十一年三月刊 全国部落調査 秘』を公開する人々は、被差別部落の外延の拡大を意図しているのでしょうか?もし、そうなら、極めて差別的な行為であると思われます。部落差別の解消ではなく、部落差別の拡大に貢献するのですから・・・>。

インターネットの<全国部落調査>の流布の問題点を指摘し、それを差別行為であると主張する筆者のブログを、差別文書ときめつけ、問答無用という高圧的姿勢で、閲覧禁止・削除処分にした Gooblog の事務局の担当者、どういうタイプのひとなのでしょうね? 私は、限りなく差別者の側に身を置いている差別者以外の何者でもないと思っているのですが・・・。

検事の部落差別問題に関する理解度・・・

昨夜、ページをめくっていた、検事・長谷川寧著『水平運動並に之に関する犯罪の研究』(昭和2年12月に司法省調査課『司法研究』第5輯報告書集4所収)・・・、当時の<官憲>側が、部落差別問題について、どのように理解・認識していたのか、知るてがかりになります。この本は、残念ながら、国立国会図書館デジタルコレクションでは閲覧することができません。筆者が蔵書しているものは、東京都労働資料センターの廃棄本として明記されたもので、インターネットの日本の古本屋経由で入手しました。

無学歴・無資格、部落史研究の門外漢である筆者の関心は、検事・長谷川寧が、部落差別問題についてどのような先入観、前理解を持ち、どのような資料・調査をもとに、どのような<解放理論>を提示しようとしているのかという点にあります。取り締まる側の検事と、取り締まられる側の左翼思想家とのやりとりのなかで、検事・長谷川寧が、当時の穢多・非人の末裔にどのように向き合って、問題解決を指向しようとしたのか、その思考のあとをたどることができるかもしれないという期待を持って、精読することにしました。

午前11:00~午後2:30、猪苗代へ買い物にでかける・・・

今日、猪苗代町へ買い物にでかけました。

その前に、棚田の田で、電気柵の下の草刈りをして、農業用水路から直接、はえぬきとコシヒカリの田に取水できるようにUV管を設置しました。そのあと、猪苗代へ買い物にでかけたのですが、行きも帰りも筆者が運転・・・。高齢者向けの安全装置をフル装備した、妻のくるま・YARISはとても乗りやすいくるまです。行きも帰りも、保険会社の車載器の運転診断結果は、A判定・・・。今日は、減点なし・・・。

まず、ホームセンターによって、妻の長靴探し・・・。Made in China の長靴は忌避して、日本製ないし中国製以外の外国製を探しました。妻の足のサイズにあった長靴、しかも、園芸・農業用の婦人用の長靴をみつけました。価格は、2.5倍ですが、Made in China の長靴はすぐ破れますので、長く使える方が足になじんで使い心地ばよいので、妻は、大切にはくそうです。

そのあと、スーパーで食品を購入しましたが、なにか、物価がかなり高くなった・・・という印象を受けました。100円台の商品が200円台に、200円台の商品が300円台に、300円台の商品が500円台に・・・。そのスーパーの衣料品売り場で、中国製ではない夏物の男性用下着を2枚組550円で販売されていましたので、2袋購入しました。季節の変わり目に、特価販売になった衣料品を次の年のために購入して備蓄する・・・、妻の故郷・湖南に帰郷・帰農して、年金暮らし&百姓暮らしをはじめた筆者と妻の行動バターンです。

この前は、NESCAFF Excella 200gが1本税込みで650円で販売されていましたので3本購入しました。昨年の今頃は、同じ商品が1本580で販売されていたのですが・・・。普通は、1本980~1,050円します。賞味期限は、2024年1月・・・。


今朝、小鳥のきれいな鳴き声で目が覚める・・・

今朝、小鳥のきれいな鳴き声で目がさめました。

一鳴きが長い、<一筆啓上仕り候>と鳴くホオジロ・・・。筆者、窓を少しく開けて、梅の木の枝の上でなくホオジロの写真を撮りました。口を開けて、鳴いているところも・・・。撮った写真と野鳥図鑑を照合して、再度、ホオジロであることを確認しました。

妻は、<今朝は、はやくから、梅の木で鳴いているの>と話していましたが、妻は、妻の実家の庭にやってくる小鳥や野鳥を、<来客>、<珍客>と呼んでいます。

訪れる人なき庭の小鳥かな
澄み渡る朝にホオジロ鳴く声は
誰を呼ぶホオジロ鳴き声我も聞く
初秋の小鳥鳴く声目が覚める
ホオジロの胸羽も赤く色づきぬ
ホオジロはスズメ姿の無きあとに
くちばしの中から飛び出る美声かな
何処でも小鳥歌声響く秋
ホオジロの小鳥が歌う初秋かな

<珍客>、<来客>の話になると、筆者と妻の間で繰り返されるのは、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、教会員のおばあさんと一緒に、駐車場あとちを開墾して垣根に木々を植え、キンモクセイ、ギンモクセイ、ヒイラギモクセイなどの庭木を茂らせて、小さな森をつくりましたが、その小さな森の草むらの中に伏していたペリカン・・・。おおきなくちばしの端に大きな目をぎょろりとさせて筆者と妻を見つめていた姿・・・。妻は、<ゆっくり休んで行って・・・!>といって、筆者の手をひっぱってその場を離れました。庭にやってきた鳥で最大の<来客>、<珍客>は、このペリカンでした。

2022/09/06

午後、書庫の整理・・・

午後、書庫の整理をしました。『部落学』執筆のための史資料となる書籍を書庫の前面に並べて、いつでも 閲覧できるようにするつもりです。<それにしても、よくこれだけの本を集めたものだ・・・>と、われながら感心しました。

<被差別部落史>研究に関する本、筆者、一体何冊蔵書しているのでしょうね・・・?

久しぶりに大内宿へドライブ・・・

今朝、雨がつらついていました。それで、筆者と妻、久しぶりの初秋の大内宿へドライブしました。

国道294号線から国道49号線を通って会津若松に入り、そこから、カーナビで目的地を大内宿にセットして、そのカーナビの案内通りに大内宿に向かいました。会津若松に入ったころには、ちらついていた雨もやみ、それは秋晴れ・・・。空に浮かぶ雲も、秋の雲でした。ただ、雲の流れの速さには驚かされました台風の影響で雨と風が強くなるのではないかと心配していましたが、すっかり晴れて行楽日和・・・。

ただ、今日、火曜日は、大内宿の店舗は休みのところが多く、観光客も少なめでした。ゆっくりと大内宿の街並みを散策することができましたが、それにしても、なにとなくさびれた感じがしました。コロナ騒動の影響なのでしょうか・・・。筆者と妻、大内宿を活性化するためには、どうしたらいいのか、いろいろふたりで検討しました。<ここらのもんでねえよそもんが余計なことを言うんでねえ!>とお叱りを受けることになりますが、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、周防大島で大内宿の写真展が開かれていました。そのとき、筆者と妻が、大内宿の写真や、民俗学者・宮本常一の解説を見たり読んだりしたときの、大内宿のイメージと、実際に自分の目でみたり歩いたりした大内宿のイメージにかなり大きなギャップがあると思わされました。

しかし、妻は、その大内宿へのドライブと、大内宿での散策・・・、妻は、いい気分転換になったとか・・・。大内宿ではなにも購入することなく、羽鳥湖の道の駅で、ソフトクリームを食べただけ・・・。その帰り道、<山林舎>の前を通りましたが、再開されていませんでした。以前は、いつもこの<山林舎>で食事を摂ったりお土産物を買ったりしていたのですが・・・。

昨夜、ひさしぶりに腹を抱えて笑ってしまった・・・

昨夜、『部落学夜話』に掲載した、<部落史研究の入門書>の本の1冊を読んでいました。1986年に解放出版社から出された定価22,000円の事典『部落問題事典』・・・。インターネットの日本の古本屋経由で入手したときの価格は、2,000円でした。部落学の基本用語を確認していたとき、筆者、思わず腹を抱えて笑ってしまいました。<こりゃ、ダメじゃ。こんなんじゃ、部落解放なんて、ありえない。これを書いた学者って、ふざけて書いてるんじゃないだろうか?>と・・・。

それで、筆者、同じ解放出版社から1999年にだされた『新修部落問題事典』を、インターネットの日本の古本屋経由で検索してみましたが、高価・・・。それで、あらためて、インターネットで検索しますと、527円で入手できる『新修部落問題事典』をみつけました。税込み7,150円の本が、527円っで入手できる・・・。もしかしたら、この『新修部落問題事典』も、『部落問題事典』とおなじく、荒唐無稽な解説が羅列されているのではないかと思いましたが、送料込みで527円で入手できる可能性は今後ないとおもわれましたので、発注しました。

2022/09/05

庭の草むらの中にやすむアオゲラ・・・

夕方、妻が、ちいさな声で筆者に呼びかけています。

筆者:どこにいるの?
妻:静かにして・・・。廊下の前の庭にいるの・・・。静かに来て・・・。
筆者:どうしたの?
妻:私の前の草むらを見て、見たことがない小鳥がいるの・・・。動けなくなったのかしら・・・。
筆者:デジカメもってくるから、そのままにして・・・。
妻:デジカメもってきた?
筆者:首から上しか撮れないけれど・・・。
妻:ああ、黒ちゃんが来たわ!
筆者:真横から撮ってみる。ああ、飛んで行った!
妻:飛んでいったの? 飛ぶことができたんだ、よかった! 飛べないのかと思って心配していたの。
筆者:普通に飛んでいったよ。

ということで、妻とふたりで、デジカメで撮った小鳥の写真と野鳥図鑑を照らし合わせて、なんの鳥なのか鑑定しました。その結果、<アオゲラ>と判明・・・。<アカゲラ>は、山口にいるときに何度も見たことがありますが、少し違っていたので、野鳥図鑑でその周辺を調べていましたら、<アオゲラ>だとわかりました。妻に、<このアオゲラ、このあたりに年中いるみたいよ>と話しかけますと、妻は、<湖南の野鳥、近くによって来ないから、なんの小鳥かわからないのよね。飛んで行けて、よかったわ!>と話していました。小鳥の亡骸をみて、<こんな小鳥がすぐそばにいたんだ・・・>と知ることは、さびしいですから・・・。死んだ、あるいは死にかけた小鳥より、元気な小鳥に出会う方がしあわせ!

軽トラの車検申し込み・・・

今日、2013年4月に、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農した際、軽トラを購入した販売会社系列の自動車整備工場から封書がおくられてきました。

車検期限の3か月前から予約を受け付けているので、7日以内に連絡するようにという・・・。それで、筆者、すぐ電話を入れたのですが、3か月前だというのに、12月はすでに予約でいっぱいなので、来年の1月になると言われます。1月は、農閑期なので、担当者の方が指定した日時に予約しました。

高齢者講習も、8月に予約して、受講できるのは10月とか・・・。まだ、詳しい日程の返事は来ていませんが、いろいろなことが、予約制に切り替えられて行っているようです。

筆者と妻は、一度成立した取引先を変更することはほとんどありません。取引先を変更したことがあるのは、ブログだけ・・・。しかも、筆者が変更することを要求したのではなく、Cocolog や Gooblog が、筆者の『部落学序説』や『~日記』に<部落>という言葉が使われていて差別文書に該当する可能性があるという理由で、一方的に閲覧禁止・削除処分にしてきたため・・・。<部落>という概念は、明治政府が大日本帝国憲法を発布する前に、刑法・民法・商法・訴訟法・地方自治法などを制定しますが、その地方自治法制定のときに、ドイツの法学者モッセの使うGmeindeという法概念の訳語として死語となっていた漢語<部落>をあてたことに端を発します。つまり、<部落>という概念は、国が国民を支配するときの地方自治上の行政概念・法概念であって、<部落>という言葉を<被差別部落>の略語として<被差別部落>の代わりに用いるのは言語による暴力です。そんなこともわからない人々が、インターネット上の記事の<部落>狩りをしている・・・、言論弾圧以外の何ものでもありません。

郡山まで、冬の雪道を車検のために湖南から運転していくのは大変ですが、一度決めた取引先はよほどの理由がない限り変更することはありません。取引を断られたところと、取引を始めることもありません。



『キリスト教年鑑2022~2023年版』調査票に回答・・・

今日、キリスト新聞社キリスト教年鑑編集委員会から、『キリスト教年鑑2022~2023年版』調査票が届きました。

その項目に、<著書(代表作2作まで):「(ブログ)部落学序説」「田舎牧師の日記」>と、2005年に Cocolog上で公開執筆したブログ名が記載されていましたので、「部落学序説(https://jyosetsu.blogspot.com/)」「隠退牧師の百姓日記(https://kougakublog.blogspot.com/)」に修正してくださるようにオンラインで回答しました。

筆者の記憶では、はじめて回答しますので、手続きがきちんと完了されたかどうかは定かではありません。「(ブログ)部落学序説」「田舎牧師の日記」のままですと、事実上の廃刊、閲覧不可と同じです。それは、それでもいいのですが・・・。筆者の現在のブログ、<部落学序説>も<隠退牧師の百姓日記>も、キリスト教の宣教のためには、ほとんど役に立ちません。日本基督教団の福音派・社会派のいずれにも属さない、<一言居士>の筆者の<雑想>でしかありませんから・・・。


勝手にルールを作って押し付けてくるねこ・・・

妻が飼っている黒猫黒兵衛・・・

2011年春の生まれ・・・。東日本大震災に起因した東京電力の原発事故による放射能汚染のあった年の春に、あたまのいい、時々、人間のことばをしゃべるさばねこの<しっちゃん>から生まれた黒猫・・・。

<しっちゃん>の場合は、はっきり聞き分けることができる人間の言葉を発していましたが、黒猫黒兵衛は、いつでもどこでも猫の鳴き声とは思えぬような発声で、筆者と妻に語り掛けてきます。妻は、<黒ちゃんが何かいいたいことがあるのはわかるけれど、おかあさんには、黒ちゃんがなにをいってるのか、理解できません・・・>と黒猫黒兵衛に語り掛けていますが、黒猫黒兵衛の返事は、やはりわかりません。

その黒猫黒兵衛、今年の5月3日に、妻の実家のおかあさんが老衰でなくなったあとから、性格が変わってきました。それまでは、筆者にはほとんどなついていなかったのですが、最近は、筆者にいろいろコンタクトをとってきます。そして、いつのまにか、黒猫黒兵衛は、自分でルールをつくって、筆者に押し付けてくるようになりました。

たとえば、書斎の電気を消して、2階の寝室にふとんを敷いて、着替えをもって風呂に入ろうとして、書斎を出て、黒猫黒兵衛のいる居間の前を通ると、黒猫黒兵衛、いつもと違う鳴き方をします。黒猫黒兵衛が筆者に語り掛けているのは、<ぼくを、おかあさんの寝室に連れてって!>・・・。筆者、黒猫黒兵衛を左わきにかかえますと、黒猫黒兵衛、足を垂らした無抵抗状態で、筆者に二階まで運ばせます。その間も、黒猫黒兵衛、筆者にいろいろ話しかけてきます。筆者も適当に相槌を打って会話するのですが、妻の寝室に入ると、まったく違った鳴き声で、妻のそばにいって甘えています。

夜の6:50、筆者が二階の寝室に行くときは、黒猫黒兵衛、<ぼくを、おかあさんの寝室に連れてって!>と必ず鳴きます。黒猫黒兵衛は、いつのまにやら、それをルール化してしまったようです。時々、熟睡しているとそっと2階にあがりますと、筆者が階段をあがる足音を耳にした黒猫黒兵衛、<おとうちゃん、なんでぼくをおいてきぼりにするの? 2階に連れてって!>と怒りをまじえた大きな声で叫びはじめます。

最近、そのほかにも、黒猫黒兵衛、勝手にルールをつくって、筆者にそれを押し付けてきます。そのルール通りに筆者が対応していると、うれしそうな笑顔をしますが、そのルールに違背するようなことを筆者がすると、怒り出し、何を言っているのか、筆者に向かってしゃべりまくります。

黒猫黒兵衛の母親の<しっちゃん>なら、筆者も聞き分けることができたのですが、黒猫黒兵衛は、さっぱりわかりません。小柄なオス猫の黒猫黒兵衛・・・、自分のことを猫だとは思っていないようです。妻のことをときどき、<おかあちゃん>と呼んでいます。

文化と偏見・・・

 A.アドラー著『人間知の心理学』の一節・・・

<今日の文化において支配的である業績原理に従って、一般に男性でも老人は悪い環境に置かれているのであるから、このことは年をとった女性にはもっと当てはまる。・・・年取っているという理由だけで、精神的・物質的領域から締め出されるなどということは正しくない。・・・これらすべての現象の根底に横たわっているのは、われわれの文化の誤りである。われわれの文化に一度偏見が浸透すると、それは至るところに入り込み、あらゆる所で見られるようになる。・・・われわれには、自由と同権を求めるという・・・解放運動のこれまでの線に反対する理由など何もない。われわれはむしろ、この運動をさらに力強く支持しなければならない。なぜなら、人・・・の幸福と生きる喜びは、結局のところ、・・・問題をどのように解決することができるかに、懸かっているからである>。

<われわれの文化に一度偏見が浸透すると、それは至るところに入り込み、あらゆる所で見られるようになる。>

女性差別・女性解放運動についてだけでなく、すべての差別・解放運動に共通していることがらなのかもしれません。

あなた、難しそうな顔をして何を読んでるの・・・?

今朝、妻が、筆者に語り掛けてきました。<あなた、そんなに難しそうな顔をして何を読んでるの・・・?>

筆者、金子仁郎著『老年の心理と精神医学』の<老人心理と精神衛生>の項を精読していました。

まえがき
(1)老人の心理に影響を要ぼす要因
  1)脳の老化および脳疾患
  2)身体的要因
  3)社会環境的要因
  4)人生経験と学習
(2)老人の知能
  1)脳の老化と老年痴呆
  2)知能テスト結果
  (1)横断的研究
  (2)縦断的研究
  (3)個人差と老人の特徴
  3)記憶力と学習力
(3)老人の性格
(4)老人の要求と適応
(5)老人の精神衛生
  1)老人の精神障害
  2)老人の精神衛生
  (1)老年期の社会・心理・身体変化の教育
  (2)身体疾患、脳疾患の予防と早期治療
  (3)人生への興味、活動性の維持、学習
  (4)暖かい愛情のある人間関係の維持
  (5)余暇活動と自己実現
  (6)老、死の受容と宗教

その結びの言葉は、<人はいつかは老いて死ななければならぬ運命をもっている。時には恍惚の状態となり、あるいは寝たきりとなる場合もある。このような人間の運命を自覚し、信仰生活に入ることもできる。宗教というものが老人の最後の援助となる。>でした。筆者も妻も、聖書信仰にたつ基督者であり、金子仁郎医学博士の<老人の精神衛生>については、<老人になってから始めるのでは遅く、少なくとも30歳台から気をつけるべきである>という言葉の通り、日本基督教団の牧師として、高齢の信徒の老後の暮らしと精神衛生、信仰生活の充実にかかわってきましたので、その経験と知識を、自分たちの老後にも生かすことができます。

20項目の<老人の性格特徴>の解釈基準の表は、参考になりました。

老年の知能の衰退は、50歳からはじまるようです。老年の知能の衰退は、初老期痴呆>老年痴呆>異常精神老化(境界ボケ)>正常精神老化(平均的)>生理的精神老化(理想的)の順で激しくなるようです。老人一般の知能・心理を知る上で大切なことは、前3者を考察の対象から外すこと・・・。

コシヒカリの田のヒエ取りをはじめる・・・

妻の実家の棚田の、コシヒカリの田のヒエとりをはじめました。2013年、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農した次の年からはじめた、有機・無農薬栽培によるコシヒカリの栽培、生まれてはじめてのコメつくりでしたので、晩稲のコシヒカリより少しく成長が早い中早稲のはえぬきを<先生>にして、はえぬきで試行錯誤をしながあ、妥当と思われる方法をコシヒカリに適用して栽培してきました。今年で9年目ですが、有機・無農薬栽培の南魚沼産のコシヒカリと同等のコシヒカリとして、自給用に美味しくいただいています。

毎年、田の草取りと格闘しなければなりませんが、今年の8月前半は、豪雨と雷にさらされることが多く、コシヒカリの田の中に入って第3回目の草取りをするのを中止しました。雷が落ちると、まず即死することになりますので・・・。8月後半は、コシヒカリの出穂がはじまりましたので、田の中に入って草をとるのをやめました。出穂期に田の中に入りますと、<豊作病>を招き寄せることになりますので・・・。というわけで、コシヒカリの田の3回目の草取りはできませんでした。そのため、コシヒカリの田の3分の1にヒエが繁茂しています。

ひめのもちとはえぬきの田は、第3回目の草取りを完了していますので、ヒエはほとんど生えていません。8月上旬、落雷の危険を冒しても、コシヒカリの田の第3回目の草取りをした方がよかったのかもしれませんが、田んぼのどまんなかで作業しているとき近くで雷が鳴りだすと、筆者には、危険をおかして、作業を続ける度胸はありません。

2022/09/04

妻の実家の敷地は諏訪神社の神主(Yoshida 家)の屋敷跡・・・

インターネットで、江戸末期の身分の割合を調べてみますと、

百姓    85%
武士     7%
町人     5%
穢多・非人  1.5%
公家・神官・僧侶そのほか  1.5%

明治初期の人口調査に『藩制一覧』というのがあります。筆者は、徳山市立中央図書館郷土資料室の『藩制一覧』をよく調べていましたが、60歳になって年金の一部が入るようになって、それで、インターネットの日本の古本屋経由で『藩制一覧』上下2巻を入手しました。この『藩制一覧』、国立国会図書館のデジタルコレクションで誰でも自由に閲覧することができます。幕末・明治初期の<藩>ごとの身分別人数を知ることができます。各身分1人まで数えられていますので、先祖の歴史をたどるときに便利になります。その<属性>については、『全国民事慣例類集』をよめばその概略を把握することができます。こちらも、国立国会図書館のデジタルコレクションで誰でも閲覧可能です。筆者は、インターネットの日本の古本屋経由で入手しました。

筆者の先祖は、真言宗当山派の、伊勢の神宮寺・世義寺の信州における末寺の住職・修験僧ですが、日本基督教団の隠退牧師である筆者、妻のふるさと・湖南町赤津村に帰郷・帰農してすんでいますが、その敷地は、湖南史団会会員の方によると、湖南町赤津村の村社・諏訪神社の神主が住んでいた屋敷の跡地だそうです。修験ともつながりが深かったようですが、こういうのを、<偶然>というのでしょうね・・・。


現在から200年ほど前まで先祖の歴史を遡れる確率は90%・・・

丸山学著『自分でできる家系図 戸籍取得から作成まで』、入手したまま、まだ一度も読んでいませんでした。筆者の祖父・吉田永學の先祖、信州栗田村の真言宗観聖寺とその住職・修験僧のあしあとを、古文書や史資料をもとに調べていますが、<家系図>には、ほとんど関心がありませんでした。

この『自分でできる家系図 戸籍取得から作成まで』を開きながら、<吉田家の家系図を作成してもいいかな・・・>と思い始めています。そのための戸籍・古文書は十分手元にありますから・・・。

その中に、このようなことが書かれていました。<(行政書士として)実際に戸籍の範囲を超えて古文書等の調査もしている私の実績からいいますと、戸籍以上に先祖をたどれる、つまり年代にして現在から200年ほど前まで遡れる確率は90%ほどあります。場合によっては調査の結果、総本家にあたる家が見つかり、その総本家に1000年以上前からの系図が残されていることもあるのです・・・>。10軒に1軒は、10人に1人は、1814年、つまり文化・文政のころの先祖までたどりつくことができるということを意味します。筆者の祖父・吉田永學の祖父、曾祖父、高祖父までたどりつくことができたのは、90%の確率の中に入り、決して例外的なことがらではなさそうです。

誰でも、その気になれば、筆者が知りえた程度の先祖の歴史を手繰り寄せることができるということです。真言宗当山派の修験僧は、<世襲>を許され、長男系列でその<世襲>が継承されていましたから、筆者の先祖の歴史は、1637年(寛永14)の舜良坊周順にまでさかのぼることができます。『近世栗田村古文書集成』や長野市公文書館、長野県立図書館、長野県立歴史館などの古文書に、観聖寺関連の古文書が含まれています。観聖寺の住職・修験僧だけでなく、栗田村の村役人・村人(農民)の先祖の歴史もたどることができるということです。

『観聖寺文書』のなかには、<家系図>なるものは含まれていません。江戸時代、<家系図屋>という商売が繁盛したそうです。なかには<偽系図師>と異名をはせるひともいたようです。江戸時代だけでなく現代にもそういう類の人がいるそうですが・・・。先祖の歴史は、他者にまかせないで、自分で調べないとほんとうの歴史はわかりません。<偽系図師>によって、先祖に関する偽の歴史を提供されても、それは先祖を知ったことにはなりません。

あなた、そんな冊子、もってたの・・・?

夕食の時、筆者、読み直していた、くらしと環境を考える会編『市民読本 「水と食」くらしと文明を考える』の冊子をテーブルの上に置いたとき、妻が、語り掛けてきました。<あなた、そんな冊子、もってたの・・・?>

その冊子は、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、山口県立下松工業高校の Fujimura 先生が主催する<読書会>に、西日本新聞の記者の方の紹介で参加していましたが、そのとき読書会のメンバーの、小学校教師の Isemoto 先生からいただいた冊子です。今から、40年前の話し・・・。

妻は、40年も前に、環境保全型農業や、有機・無農薬栽培に関する資料を集めていたことに驚いていたようです。<あなたは、湖南に帰郷・帰農して、突然、有機・無農薬をはじめたのではないのね・・・>と、あらためて感心していました。

この冊子をくださった Isemoto 先生は、そのクラスの生徒たちにも、この冊子に書かれていることを教えておられたようです、この Isemoto 先生が尊敬すべき教師である点は、生徒に教えるだけでなく、自分の住居を農村の農家に移し、田畑を借りて、早朝や週末には、有機・無農薬でコメや野菜を自給用に栽培しておられたこと・・・。Isemoto 先生は、有言実行のひと・・・。

妻は、<あなた、山口にいた30年間、いろいろな、いいひとに出会ったのね。わたしの何倍も、何十倍も・・・>と話していました。筆者、<そうだね。その反動なのかもしれないが、なぜか、福島で山口の教師のような人々にほとんで出会ったことがない・・・>と答えました。<ところかわればひとかわる>って言われるから、それはやむを得ないことなのかもしれませんが・・・。

コシヒカリの穂が垂れ始めた・・・

朝から夕方まで、妻の実家の棚田の田に、農業用水路から水を引き入れていましたが、夕方、取水をとめに行ったところ、コシヒカリの穂が一斉にたれはじめているのに気づきました。

8月上旬の天候不順で、3回目のくさとりをすることができなかった部分のコシヒカリの田にヒエが繁茂しています。昨年、出穂期のときにコシヒカリの田に入って草取りをしたとき、<豊年病>をまねいてしまいました。それで、今年は、穂がではじめてから出穂が終わるまで、田の中に入らないことにしました。8月15日~9月4日、出穂が終わったので、コシヒカリの田に生えているヒエを除草することにしました。柄の長いヒエ取り鎌で刈り取って、田の外に持ち出すことになりますが、2~3にかかりそうです。

有機・無農薬栽培の百姓暮らしは、<自業自得>、<自己満足>、<自己完結>の典型です。有機・無農薬で栽培したコシヒカリやはえぬき、ひめのもちを自分たちで、安心して、美味しく食べることができるのですから、<自業自得>、<自己満足>、<自己完結>のいとなみそのものです。

田畑の草取り・・・

午前10:00~午後1:30、筆者は棚田の田で、妻は段々畑の畑で草取りをしました。気温は、28.0°C、湿度は74%で、日差しもなにとなく、夏の日差しではなく秋のひざしでした。

しかし、久しぶりの手作業による草取りで疲れて、午後は、昼寝・・・。

コロナ感染者の人口比・・・

中国共産党ひきいる中国が生物兵器として開発した武漢ウイルスの感染者数の人口比を算出してみました。

日本全国 15%
東京都  21%
神奈川県 15%
岡山県  12.5%
山口県  10%
郡山市  10%
福島県   8.5%
長野県   8.5%

筆者と妻、山口県に身を置いていても、福島県郡山市に身をおいていても、コロナ感染症に感染する確率はほぼ同じ・・・。山口でも福島でも、筆者と妻のコロナ感染症予防対策は同じだったでしょうから、置かれた環境に差異はなさそうです。

郡山市、住人の10人に1人がコロナに感染・・・?

郡山市は、住人の10人に1人の割合で、中国共産党が率いる中国が、世界制覇のために生物兵器として開発した武漢ウイルス、通称・コロナに感染しているようです。

妻のふるさと・湖南の人口から推察して、300人の感染者がいる可能性がありますが、<ここらのもんでねえ>筆者と妻は、その井戸端会議やうわさのルートの外に身を置いていますので、ほとんど情報が入ってきません。

昨日、妻が、遠縁のひとに尋ねたところ、湖南でもコロナに感染しているひとが増えているとかで、小・中・高のこども介して、高齢者にも感染が拡大、なかには、1家で3回も感染を経験しているひともいるとか・・・。

<よそもん>の筆者と妻は、コロナ騒動以前から、<ここらのもん>から排除・疎外されて、ほとんどつきあいがありませんので、湖南の住人と接触する機会はほとんどありません。筆者と妻は、自然体で、過密、濃厚接触をさける暮らしをしてきたし、今もしていますので、コロナに感染する機会はすくないのでしょう。それに、細菌学・ウイルス学・免疫学・性病学、消毒・防疫法、生物兵器・化学兵器などに関する医学専門書を多数蔵書していて、それらを参考にして、コロナ感染を防ぐための予防措置をとっていますから・・・。

それにしても、コロナ感染、おさまる気配はなさそうです。

ただの風邪コロナも今は疫病か
コロナ禍で壊れしものは心かな
人間を隔てしコロナ今盛り
人はみなコロナ患者と避けまくる
じじばばもコロナの権化となりにけり
用すめば早く出て行けドア閉める
スマホでも話せばうつる感染症
コロナ禍で義母の葬儀も家族葬
義母逝きて酒宴はなしの葬儀かな
はずしてもマスクの下はエアマスク
二重八重コロナ予防のしわのあと
玄関でマスクを外して話すひと
玄関を出ればマスクをつけるひと
コロナだけよそもんにも分けてやる
コロナ禍で家族もいまは忌避のひと
おら知らぬコロナうつれば自己責任
ワクチンを受けずに過ごす無事の日々
二度三度ワクチン無効でまた打つの
ワクチンは接触感染効果なし
性病によくにた顔のコロナかな
粘膜はいずこにあれど感染源
コロナ禍で口角泡を飛ばすなよ
コロナ禍で無口の美徳再評価

2022/09/03

最近、BSで放送大学の番組を見ることが多くなった・・・

最近、妻の実家の居間のテレビで、BSの放送大学の番組を見ることが多くなりました。

妻は、数式や論理式がひんぱんに出てくる番組を見ていますと、<気分が悪くなるから、ほかのチャンネルに変えて・・・!>といいます。筆者、なにがなんでも見たいというわけではありませんから、すぐほかのチャンネルに変えます。大体、ニュースか天気予報か、刑事もののドラマ・・・。

筆者の場合、放送大学の番組を見て、あたらしいことを学ぶというのではなく、これまで独学してきたことを確認するだけ・・・。講義の内容と同時に、講師の講義ぶりを観察します。難しい問題をどのように易しく説明していくのか・・・。あんちょこや講義ノートを見るタイミング、いつ真顔になり、いつ笑顔になるのか・・・。そこから、講師が受講生に伝えたいことがなんであるのかを推察していきます。黒板に、いつ、なにを、どのように書くのか、省略の仕方なども観察していきます。講義の内容だけをおいかけると面白くありませんので、講師の教授法も私淑します。話し方も、講義の仕方も、筆者の関心ごとです。

独学では学ぶことができない多くのことを、放送大学の番組から学ぶことができます。

独学法・・・

筆者は、大学進学が不可能になったときから、独学をはじめました。ゲーテの『ファウスト』に出てくる中世の4大学問、哲学・医学・法学・神学科の大学のカリキュラムを入手して、それを参考に、筆者の独学カリキュラムを立てて、10年かかりで、実践していきました。その10年間で、筆者の独学スタイルができあがり、いまだに、それを踏襲しています。

29歳のとき、日本基督教団の牧師になるために農村伝道神学校に入りましたが、旧約学の教授たちからは、<学歴のないものには指導しない>と受講を拒否されたり、<佐藤通次の『独和言林』で独文を訳すものには指導しない>と拒否されたり、さんざんな目にあいましたが、そこは、独学を続けてきた筆者、独学スタイルで、神学を学び続けました。日本基督教団信仰告白を暗記して繰り返し告白し続ける筆者は、農村伝道神学校の校長・教授たちにとっては、異質な存在であったようです。

そういう意味では、筆者の独学、すっかり板についています。右にも左にも、福音派にも社会派にも偏ることなく、筆者の独学スタイルを貫いてきたのですから・・・。

久しぶりに岩瀬書店へ・・・

郡山に住んでいる娘夫婦のために、コメと野菜、それから今朝試験的に収穫したマスクメロンを持って、郡山にでかけました。持っていったものを手渡すと早々に、娘夫婦のアパートをあとにしました。

そして、久しぶりに岩瀬書店に立ち寄りました。妻が本を探している間、筆者は、情報処理関連のコーナーや、哲学入門、独学入門、速読法、記憶法、IT関連のビジネス書、Google関連の本・・・、などのコーナーで、それぞれの分野の新刊の状況を確認していました。購入しなければならないほどの新たな内容の本を見つけることができず、筆者は何も買わないで店をでました。妻は、NHKの今日の料理8月号と9月号を購入・・・。この前、テレビで見ていて関心のあった料理が掲載されているとか・・・。

帰り道、<哲学とは何か>について考えていました。<哲>とは動詞+目的語に分解して、<口を折る>こと・・・。意訳して、<会話をやめる>こと・・・。他者と話し合ってものごとを決めていくのではなく、他者との会話をやめて、ひとりで沈思黙考する学問のありようが<哲学>ではないかと思いました。他者との会話、ひいては科学の成立を実際的に否定するのではなく、その科学の成果を承認しつつも、方法論的に、他者との会話をやめて、思索・思考の世界に入っていくこと・・・。さすれば、<思考>とはなにか?

<思考○○>や<○○思考>、<○○的思考>ということが、学問の研究対象になっているものは、<精神医学>の世界・・・。弘文堂『精神医学事典』には、多数事例が紹介されていましたが、平凡社『心理学事典』・『哲学事典』には、<思考>について簡単な説明があるのみで、見出しには、<思考○○>や<○○思考>、<○○的思考>はみあたりませんでした。<思考>は、健全な精神状態にしてはじめて可能で、病的状態において<思考>は、いろいろな問題をはらむようです。思考における本来のありようからの逸脱・・・。哲学をするということは、常に、逸脱からの本来のありように回帰し続けること・・・。

この冬の知的作業は観聖寺文書の再判読・・・

    今日は1日,  これまで再読した観聖寺文書を再検証して, MSwordで活字化, A4判19枚にプリントアウトして, 隣村の郵便局からゆうパックで送りました.     12月20日から来年3月20日までの3ヶ月間, 晴耕雨読ならぬ晴れた日は除雪作業, 雪の降る日は読書三昧...