gooブログ<古老の語る伝承は真実、削除されても、それでも筆者は語り続ける・・・>の転載です。
「部落学」は、成立するのでしょうか。
筆者の「部落学」構築のきっかけは、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老から聞いた証言でした。
筆者が、いろいろな人にその古老の話をすると、いつも、同じ答えが返ってきます。「厳しい差別をやわらげるために、被差別部落の人々が、自分で自分をなぐさめるために作った妄想でしかない・・・」、と。常識や通説に照らして感想を述べられる人が多いのですが、被差別部落の古老の話は本当に妄想なのでしょうか。
常識や通説と違う話・・・、そういう話にであったとき、私たちはどうすればいいのか。
柳田国男は、「事実を基にして考えてみる学問、どんなに小さな事実でも粗末にせぬ態度、少し意外な事実に出逢うと、すぐに人民は無知だからだの、誤っているのだと言ってしまわずに、はたしてたしかにそのようなことがあるか。あるならどういう原因からであろうかと、覚り得るまでは疑問にして持っているような研究方法」の大切さを説いています。常識や通説と違う話に遭遇したとき、私は少なくとも柳田の教えに忠実でありたいと思っています。
もし、被差別部落の古老が語る話が単なる「妄想」でしかないとしたら、その「妄想」を歴史的な事実・真実として信じてきた筆者は、単なるピエロになってしまうでしょう。しかし、そのとき、笑われるのは、そう信じた筆者ひとりです。しかし、笑われるのを恐れて、「研究者」や他の多くの学者に同調して、自説を撤回し、この『部落学序説』を破棄してしまって、そのあと、もし、被差別部落の古老の語る伝承が真実であることがわかったとしたら、筆者は、笑われることを恐れた代償として、もっと大切なものを失ってしまうことになるでしょう。
筆者は、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老の聞き取り調査に同行した「研究者」の、「厳しい差別をやわらげるために、被差別部落の人々が、自分で自分をなぐさめるために作った妄想でしかない・・・」という見解より、自分の目と耳を信じたい・・・。
あの被差別部落の古老の話は、決して、「厳しい差別からのがれるために、自分で自分をなぐさめるために作った妄想」ではない、と。
「研究者」の抗議で、本来ならもっとあとで言及するはずの話を早急にしなければならなくなりました。
柳田国男の言葉にしたがって、被差別部落の古老の話を胸にあたためながら、隣市の市立図書館の郷土史料室に通ったり、また、近くの書店で関連書籍を漁っていたある日、磯村英一の言葉が目に飛び込んできました。そこには、明治4年の太政官布告に関する記述がありまし。磯村英一によると、「身分解放令」と一般的に言われていることは、「教科書だけではない。ほとんどの研究者までが、この政令を高く評価する。しかし実はこの措置に”明治以降の差別”の原因が生まれたことはあまり解明されていない・・・。強いていえば、身分解放令そのものが、新しい差別を生んだことになる。このことが、同和問題・部落解放をどれだけ難しくしたかは、必ずしも一般に知られていない。」という、驚くべき内容でありました。
磯村英一は、同和対策審議会答申の策定に中心的な役割を果たした人で、地域改善対策協議会の会長までされた人です。いわば、国の同和行政の中心的な要にいる磯村が、なぜ、「明治4年の太政官布告を身分解放令」とする、常識と化した通説をこのように批判するのか。磯村の言葉は、そのまま、国の方針の転換を代弁した・・・として受け止められても仕方がない状況の中で、なぜ、そのような言葉を文書に残したのか・・・。
私は、ある被差別部落の古老の話は、この磯村の言葉に照らしても真実である可能性があると確信するようになりました。明治4年の太政官布告は、本当は、身分解放令ではなく、被差別部落の人を差別のどん底に突き落とすものであったのだと。「身分解放令そのものが、新しい差別を生んだ・・・」という磯村の言葉は、あの被差別部落の古老の語る証言を歴史的な真実であると証明する非常に有力な証拠であると思うようになりました。
磯村英一は、運動団体(部落解放同盟)によって、激しい非難を受けました。
「磯村会長を中心とする地対協の大学の先生方は、この一番大切なときに権力に屈してしまった」、「学者が権力に屈伏した」・・・と、当時の部落解放同盟の執行部は、地域改善対策協議会と磯村英一を激しく非難しました。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという、その批判の激しさには絶句しますが、磯村英一の「身分解放令そのものが、新しい差別を生んだ」という見解は、その批判の前で、ほとんどの人に省みられることなく姿を消してしまいました。磯村の言葉の中に、部落差別完全解消への、国家レベルの新たな提言を読み取る人が一人でもいれば、部落差別問題は、解決に向けて大きく一歩を歩みはじめたのではないかと思います。「部落差別の根源的解消より、既存の権益の上にたった同和対策事業の継続」を求めた被差別部落の人々も、磯村の言葉に耳を傾けることはありませんでした。
しかし、磯村英一のことばは、筆者をして、山口県北の寒村にある、ある被差別部落の古老の語った話を真実であると受け止めさせたのです。
法務省権調第123号は、部落差別が何であるのか、何も知らないプロバイダーに<産湯と一緒に赤ちゃんを捨てる愚を犯させる>(日本基督教団部落差別問題特別委員会元委員長の言葉)。
2021/11/15
転載 <古老の語る伝承は真実、削除されても、それでも筆者は語り続ける・・・>
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