2022/11/30

猪苗代へ買い物にでかける・・・

今日、猪苗代へ買い物にでかけました。

まずは、ホームセンターによって、リンゴの包装紙を購入・・・。岡山の妹に、会津坂下のりんご屋さんから買ったリンゴをおくるためです。筆者、もみ殻をクッション代わりに送ることを進めたのですが、妻は、<時代遅れだから、だめ!>といいますので、包装紙を購入することにしました。しかし、残念ながら、在庫なし・・・。それで、育苗箱に敷く敷き紙の残りで包装することにしました。

それから、柏屋によって、妻のおさななじみにお歳暮を贈りました。この前、お歳暮として、会津身しらず柿が送られてきましたので・・・。

あとは、スーパーで、黒猫黒兵衛のためのアジとキャットフード、筆者と妻の食材を買って帰ってきましたが、なにか、どの商品も値上がりしていて、大変・・・。1,280円で購入できたものが、1,600円に値上がり・・・。年金暮らし&百姓暮らしの筆者と妻には厳しい冬になりそう・・・。

JAで、通帳に記帳・・・。妻は、野菜直売所湖南四季の里に出展した売上金の50%をウクライナの人々の冬の暖房費として献金するそうです。<ウクライナのひとたち、ロシアの侵略戦争の犠牲になって大変ですもの、わたしたちも少しはその苦しみを共有しなければ・・・>と話していました。

<富める者は幸いなり>との説教を要求されるなかで・・・

日本基督教団神奈川教区の開拓伝道に従事していたとき、その2年目の7月にある事件が起きました。

それは、日本基督教団の代表的な信徒で、英文学の専門家、東京大学名誉教授であった95歳の人が、書斎で執筆しているとき、27歳の孫に撲殺された、いわゆる、<斎藤勇東大名誉教授惨殺事件>・・・。

<高学歴・高資格>の祖父が、<無学歴・無資格>の孫によって撲殺された事件・・・。開拓伝道の教会役員をしていた、東京大学出身の教育者や慶応大学の教授の知人であったようで、筆者の耳にも、いろいろな情報がもたらされました。その2年前にも、<無学歴・無資格>の息子によって、<高学歴・高資格>の両親が金属バットで撲殺されるという<神奈川金属バット両親殺害事件>が起きていました。それらの事件の背後にあるのは、<劣等感(学歴コンプレックス)>であるとの評が巷を賑わしていました。

そんな時代の風潮の中にあって、筆者は、<無学歴・無資格>者として、日本基督教団の牧師になっていったのですから、日本基督教団の牧師としてその生涯をまっとうすることについては、最初から暗雲が立ち込めていました。しかし、筆者の神学上の聖書主義、信仰上の敬虔主義、哲学上の実存主義、科学上の合理主義、法学上の<対主義に、影響をもたらすものではありませんでした。<無学歴・無資格>を、筆者に、主なる神さまが与えてくださった<所与>であると認識して、それを標榜して生きていくことにしました。<無学歴・無資格>者として生きるということは、<反学歴・反資格>を生きる選択をしたということではありません。その証拠に、筆者の娘は地方国立大学の大学院を出て、同じく別の地方国立大学の大学院を出たひとと結婚、子供も与えられてしあわせな生活をしています。娘夫婦の子育てを見ながら、筆者も妻もほっとしています。学歴主義、学歴差別主義の子育てからはほど多い、こども本位の育て方をしていますから・・・。

聖書主義とキリスト教主義のギャップ・・・

筆者の基本的_ものの見方・考え方は、聖書主義・敬虔主義・実存主義・合理主義・相対主義ですが、筆者の<聖書主義・敬虔主義>と欧米の<キリスト教主義>との間には、かなり深い溝、ギャップがあります。特に、Sweden Covwenant Mission の宣教師から信仰と神学の手ほどきを受けた筆者は、Americanize された<キリスト教>とはかなり隔たりがあります。その政治的判断には、同調しがたいところが多々あります。それが、筆者が、日本基督教団神奈川教区や西中国教区で先輩牧師や信徒から排除・疎外された理由でしょう。

神奈川教区の開拓伝道に従事していたとき、日本基督教団の聖書日課に従って、<貧しき者は幸いなり>と共観福音書対観表を見ながら説教の準備をして説教したのですが、その教会で、教区・分区を巻き込んで大問題になりました。東京大学出身の研究者や、慶応大学の教授たちが、<この地域は、功成り名をとげた高学歴・高資格のものしか住んでいない。それなのに、吉田牧師は、一人も住んでいない「貧しき者」について説教する。今日的状況から言えば、「幸いなのは、富めるものであって、貧しきものではない。牧師は、「富めるものは幸いなり」と説教すべきである>との批判を展開しました。そのとき、筆者、農村伝道神学校の教授のひとりに呼び出され、<「貧しき者は幸いなり」ではなく、「富めるものは幸いなり」と説教しなさい。>と諭されました。それは、
筆者にとっては、Americanize化されたキリスト主義、キリスト教会の牧師・信徒の<現実>を物語るできごとでした。筆者は、<心の貧しき者は幸いなり>の<心の貧しさ>について、それを自覚して神の前に立つことが信仰であると説教していたのですが、東京大学出身の研究者や、慶応大学の教授たちが住んでいるこの地には、<心の貧しい者>はいないとの主張を撤回されることはありませんでした。筆者、<それこそが、心の貧しさの徴・・・>といって、筆者も引き下がることはありませんでした。

筆者の基本的_ものの見方・考え方、聖書主義・敬虔主義・実存主義・合理主義・相対主義はまもなく75歳になり後期高齢期に入る隠退牧師の筆者の中にも通底されています。それから40年の歳月が経過しましたが、東京大学出身の研究者や、慶応大学の教授たちは、彼らが信じる神に支えられて、<富める者は幸いなり>の人生をまっとうされたことでしょう。しかし、無学歴・無資格のただのひとである筆者と妻は、今もなお、<貧しき者は幸いなり>、<心の貧しき者は幸いなり>という主イエスさまのみ言葉に生かされています。貧しさが、主なる神さまから見捨てられたものの生きざまだとしても、その貧しさの中に、主イエスさまは共にいてくださいますから・・・。

11月の最高血圧・平均血圧の平均は・・・

今朝6:00に起床、いつもの健康管理をしました。そのあと、11月1日~30日までの最高血圧と平均血圧の平均を暗算で算出してみました。最高血圧は117、平均血圧は90でした。

農作業がはじまる4月の最高血圧の平均は117、平均血圧は71でしたから、今年の農作業開始と終了時期の最高血圧と平均血圧にあまり変化はなさそうです。あらたに導入した OutStretch で、サトイモやダイコンを掘ったときの腰の痛みはほとんど感じなくなりました。関節障害のある右手で重いものを持ったり、負荷のかかる作業をするのは厳禁・・・。右手の負荷は、左腰の痛みを引き起こしてしまいますから・・・。

そのあと、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。今朝も、つい『Wisdom of Solomon』の言葉に魅了されて、いつもの3倍、読み進めることになりました。筆者のものの見方、考え方は、これまでも繰り返し述べてきたように、聖書主義・敬虔主義・実存主義・合理主義・相対主義です。神学・信仰・哲学・科学・法律の分野における、筆者の基盤です。高校生のときに読んだ600冊の本から、筆者がくみとったエッセンスです。それ以来、昔も今も筆者は何も変わっていない。時代がどのように変化しようとも・・・。

2022/11/29

老後の読書生活は、最初に読みたい本をそろえることから・・・

老後の読書生活・・・

いろいろな形態があると思われますが、60歳になって年金の一部が入るようになってはじめた古書・古本集め・・・。最初は、医学書を集めることにしました。65歳になって、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと湖南に帰郷・帰農したときの健康管理のため・・・。なにしろ、湖南の赤津村は、長い間、そして今も、無医村なので、自分の健康は自分で守る必要がありましたので・・・。そのときの集め方は、1960~1980年代の国立大学医学部のカリキュラムと教材・参考資料を参考にして、医学専門書を体系的に集めました。必要に応じて徐々に勉強していくというのは、ほとんど意味がありませんから・・・。認知症になりかかってから、認知症の医学専門書を読んでも、何の意味もありませんから・・・。

医学関連の読書と同じで、他の分野においても、最初に、体系的に書籍を集める必要があります。フィクションの世界ではなく、ノンフィクションの世界での読書は、常に全体像を頭にいれながら個々の分野を学んでいくことになります。

『日本語で引く英語類語辞典』の<学ぶ>の項目には、このような説明がありました。

learn:学習により自分の知識や技術を新たにふやすこと。
study:系統的で精力的な読書や考察を通して学ぶこと。

大系的に学ぶというのは、learn ではなく study であるようです。筆者のブログ『部落学序説』は、筆者の learn ではなく、study から生まれたもの・・・。どの部分も、その背景には、史資料・文献があります。根拠のない思いつきで書いた文章はひとつもありません。公開された文章に対する批判なので、誰でも、いつでも、その批判が正当であるかどうか確認することができます。

4~11月、AMAZONで購入した語学教材は、6か国語・33冊、36,000円・・・

この4~11月、AMAZONで購入した語学教材は、6か国語・33冊、36,000円・・・。

1.日本語の古語辞典・日本語学関連
2.English Writing のための辞書・文法書・文例集
3.言語学のテキストを読むための独語・西語・伊語・仏語の独学用教材

インターネットの日本の古本屋、BookoffOnline、Amazonでの古書・古本集めは、これで終わり、これで終わりと何度も繰り返しては、追加で注文してきましたが、日本古代史・中世史の史資料・論文を読むため、English Writing で『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するため、ソシュールやコセリウの言語学のテキストを読むために集めたことで、いよいよ、古書・古本の収集は終わりに近づきました。

『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)の執筆は、Google翻訳などのGoogleAPPSを用いての作業になりますが、インターネットが接続できなくなっても、Google翻訳が使えなくなっても、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)の執筆をつづけることができるように、アナログでの English Writing の環境を整えました。

1月にして、4,500円の投資・・・。入手した本は、筆者の知的ツールとして、読みつぶし、使いつぶしにしてしまいますので、筆者の書斎は、古書・古本の墓場になります。

午前10:00~12:30、冬支度・・・

午前10:00~12:30、妻とふたりで冬支度・・・。

妻の実家の棚田の田の育苗用ハウスに仮置きしていたミニクローラ、2インチの給水ポンプ、草刈り機2台、育苗箱などをもって帰り、農機具の小屋に格納しました。

これで、ほぼ、田畑の冬支度は完了しましたので、あとは、雪が降って積雪したあとでも作業できます。筆者と妻、11月30日までに、ほとんどの冬支度を完了できそうで、ほっと一安心しました。

明日、苗代田の簡易温室の破損した部分を釘と金づちで補修することと、妻のくるまのYARISの簡易ガレージの屋根にブルーシートをはるために、横垂木を一部補修すること、棚田の田の育苗用ハウスの接続金具が緩んでいないかどうかのチェックと補強が残っていますが、少々雪が積もっても作業は可能・・・。

田舎暮らし、百姓暮らし、山郷暮らしは、実に多忙・・・。老後をどのように生きるか、こころがさだまっていないひとは、趣味の園芸をはじめるか、自給自足用のコメと野菜を栽培する百姓暮らしをはじめるか、すれば、季節に追われて、毎日すべきことがやってきます。定年退職後、会社の役職についていた人や学校教師は、定年退職とともに人間関係ががらりと変わり、しかし、それを受け入れることができず、昔の関係者にかまってほしくて、いろいろ接触をこころみたりしますが、ほとんどは無視されて、定年退職後の悲哀を感じさせられることになります。定年退職後の老後の暮らしは、それまでの生き方と決別して、まったくあたらしいことに挑戦することも、老後の暮らしを豊かにしてくれます。しがみついても捨てられることになるのですから、失われ行くものにしがみつかないで、<第三の人生>に挑戦してみたほうがいいのではないかと思われます。

神を信じていない人の現象学・・・

今朝5:30に起床、いつもの健康管理をしたあと、『英訳聖書』(NSRV)を通読していました。今日も、旧約外典の『Wisdom oof Solomon』・・・。

その中には、神を信じていない人、神を否定みする人、自らをすべての権力をもって人民を支配し得る神的存在と自惚れる人が、無意識的・無自覚的に露呈することになる現象が列挙されていました。それらの現象から人を判断することができるようです。今日は、電子辞書を使って、その現象ひとつひとつを丁寧に確認しました。それは、神を信じているひとが避けなければならない生き方・・・。

他国ウクライナに勝手な妄想を抱いて侵略戦争をしかけ、ウクライナの領土を占領し、ウクライナの国民を殺害・強姦し、その歴史と文化、経済と産業の基盤を徹底的に破壊しているロシア大統領・プーチンとロシア国家・ロシア国民は、反神的・悪魔的存在・・・!旧約外典の『Wisdom oof Solomon』が語る悪しき人のすべての現象を呈している・・・!

こういう言い方をしますと、日本基督教団西中国教区の先輩牧師たちからまたまた批判の対象にされるかもしれませんね。<なんで、無学歴・無資格のただのひとであるおまえが、ロシアの高邁な思想である共産主義にのっとって、抑圧されたウクライナの人民を解放しようとするロシア大統領プーチンを批判するのか。それは、おまえの精神がねじ曲がって、真実を見通せないからだ。時代が変わり、ロシア大統領プーチンの所業が偉業としてたたえられる時代に入ると、お前は、逆に、プーチン大統領に対する差別者として糾弾、排除・疎外されることになる。それでもいいのか!>

牧師とはなになのか、牧師として生きるのはどういうことを意味するのか、それを忘れてしまった<牧師>は左翼思想を福音とみなして、社会問題を通じて、<教会>とキリスト者を反神的傾向、不信仰へと誘っている・・・。

もうひとつの<言語>も習熟することに・・・

筆者、もうひとつの<言語>も習熟することにしました。

昨々日、妻の実家の段々畑のさといもとダイコン掘りをしたあと、その前日にも長いもを掘っていましたが、腰痛が来て、からだの動きが不自由になっていました。それで、昨日、Cailliet著『腰痛症候群』をひもといて、筆者の腰痛の原因の診断法と治療法を探しました。そして、それを実践、今朝起きると、腰痛の痛みがかなり治まっていました。腰の OutStretch 法・・・。筆者の農作業の痛みをとる OutStretch にまたひとつ、筆者の身の丈にあった OutStretch を追加することができたようです。

その本の中に、このような言葉がありました。<研究されている範囲では、われわれの姿勢は身体が示す言語である>。そのひとが、どのような姿勢で生きているのか、その姿勢から判断することができるそうです。人生の重荷に耐えてきて、これ以上重荷を背負うことができないというひとの姿勢は、誰が見ても診断できるようになるとか・・・。

その姿勢・・・、これは、身体的な姿勢だけでなく、精神的、霊的な姿勢においてもいえることかもしれませんが、<こども時代にとっていたあらゆる姿勢はくせになってしまい、思春期から成人期まで頑固に続くことになる。成人としての考えがこの姿勢を矯正する必要があるとわかっていても、組織が以前の心理的な影響による姿勢を機構的に覚えてしまっている。・・・異常姿勢は、障害へと進んでいく痛みや機能障害の原因となることが知られている>。それは、<生理的、心理的、社会的、性的、職業的、環境的因子・・・履物によっても影響を受ける>。

われわれが取りうる、身体的、精神的、霊的姿勢は、われわれのからだがわれわれに語り掛けるもうひつとの<言語>であり、その<言語>を使って、その痛みの原因をしりそれを取り除き、その痛みからわが身を解放することができる・・・。

Cailliet著『腰痛症候群』、再読した方がようさそう・・・。

2022/11/28

単語帳なら16か国語・・・

筆者が使っているCASIOの電子辞書には、『ひとり歩きの会話集』が搭載されていますが、そのなかに、<和?単語集?>と<?和単語集>が含まれています。

英語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語・フランス語
中国語・韓国語・タイ語・フィリピン語・トルコ語・ベトナム語・インドネシア語・マレーシア語・台湾語
ロシア語
ブラジル・ポルトガル語

これまで、一度も使ったことがない単語集ですが、英語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語・フランス語以外は、これからも使う機会はないでしょう。日本基督教団の牧師になってからは、国内旅行も海外旅行も1度も行ったことがありませんし、まもなく後期高齢期に入る筆者には、海外旅行を経験する可能性は皆無でしょうから・・・。筆者の知っているひとは日本人ばかりだし・・・。英語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語・フランス語を読むのは、<本>を通してだけ・・・。中国語・韓国語・タイ語・フィリピン語・トルコ語・ベトナム語・インドネシア語・マレーシア語・台湾語・ロシア語・ブラジル・ポルトガル語で書かれた本は1冊も読んだことがありません。翻訳本も・・・。無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者、学ぶことができる言語も限定されています。

『デイリー6か国語辞典 日英独仏伊西』を注文・・・

今日、この前インターネットで注文していた古書、『デイリー日伊英・伊日英辞典』と『ポケットプログレッシブ全訳古語例解辞典』の2冊が届きました。

『デイリー日伊英・伊日英辞典』の<日伊英>の部分は、単語帳・・・? インターネットで検索しますと、多分、同じ単語帳タイプの、『デイリー6か国語辞典 日英独仏伊西』があるのを知って、言語学関連の専門書を読むときの参考資料になると思って、即注文しました。古書のなかでも安価なものを・・・。

小学館『ポケットプログレッシブ全訳古語例解辞典』は、高校生の学習用辞書のようです。なんといっても活字が小さい。筆者は、メガネなしで、遠くも近くも見ることができますが、なんといっても歳は歳・・・。長時間でなければ、なんとか読むことができます。小学館『古語大辞典』の携帯版として購入したのですが・・・。


午後2:00~3:30、段々畑の電気柵の片づけ・・・

今日の午後2:00~3:30、妻の実感段々畑の電気柵の片づけをしました。午後2:00なると、西側の山に太陽が沈んであたりは暗くなり、気温も急に冷えてくるなかでの、作業でした。

妻の実家の段々畑の周辺には、クマやたぬきと思われる足跡が残っていましたが、妻の実家の畑の下でUターンしていました。電気柵が目に入ったからでしょうか・・・。イノシシの足跡がなかったのは、不思議・・・。

家に戻ると、午前中に片づけした棚田の電気柵の部材と、午後片づけをした段々畑の電気柵の部材を農機具の小屋に格納して、今日の作業は終わり・・・。冷えも重なって左腕と腰に痛みがきました。 今日は、寝る前の、農作業による疲れをとるための OutStretch 念入りにしなければなりません。

素人百姓の自画自賛・・・

今日は、午前10:00~12:59まで、妻の実家の棚田の田の電気柵の片づけをしました。

作業を終えて、筆者、妻に、<今年はいろんなことで上手になっているけれど、電気柵の後片付けも上手になったね・・・。>と語り掛けました。妻は、<ほんとに・・・。今年は、おコメもお野菜も上手にできたわ。>と話していました。

こういうのを、素人百姓の自画自賛というのでしょうね、たぶん・・・。2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南の赤津村で帰郷・帰農して、年金暮らし&百姓暮らしをはじめましたが、妻の実家のおとうさんが残してくれた棚田と段々畑の田畑4.6反・・・、やっと、有機・無農薬栽培でコメと野菜、果実をつくる基盤を確立することができたようです。無駄に体力を消耗しないで、合理的に農作業ができるようになりました。素人百姓の自己否定は、謙遜ではなく、百姓暮らしの放棄・断念につながりかねませんから、自画自賛できる程度がほどほどでいい・・・。

自画自賛の背景には、天地を創造し、生きとし生けるものをつくり、そだて、まもってくださる聖書の神、主なる神さまの支えとめぐみがあればこそ、感謝の祈りと融合された自画自賛です。

他国を侵略し、自由と平和を破壊する権力者の思想と政治に追従するロシア国民も、罪を犯していることになる・・・

今朝、いつもの健康管理をしたあと、『英訳聖書』(NSRV)の『Wisdom of Solomon』の続きを読んでいました。

その中に、他国を侵略し、自由と平和を破壊する権力者の思想と政治に追従する国民も、罪を犯していることになるという意味の言葉が綴られていました。

プーチン率いるロシアは、その軍事的妄想と実力行使によって、ウクライナに侵略戦争をしかけ、その領土を奪い、ウクライナの人民とインフラを攻撃・破壊し、殺戮と強姦、略奪と強奪の戦争犯罪を繰り返しています。その大統領プーチンとロシア全体主義国家の思想・政略に<おさなごのようにすなおに>したがっているロシア国民、<なにも知らなかった>、<プーチンとロシア政府に騙された被害者だ>といって、ウクライナ侵略戦争という戦争犯罪に無罪を主張することはできません。プーチンとロシア政府に支持・追従したロシア国民の行為・行動も、同じ罪に値します。

キリスト者は、そのことをよく認識しているはず・・・。ロシアのこどもたち、若い人々の夢をも奪い、彼らの大統領プーチンとロシアの野望の実現のための犠牲として、自分の子供たちを捧げている(聖書の神が最も忌み嫌うこと・・・)ロシア国民も、全体主義国家・ロシアの戦争犯罪に加担することに巻き込まれていることを・・・。キリスト者としてなにをしなければならないか、聖書は、多くのことをわたしたちに語り掛けています。

夢の中で、何度も電気柵の片づけ作業をシュミレーション・・・

今朝は、夢の中で、何度も電気柵の片づけ作業をめぐってシュミレーションしていました。そして、目が覚めたときには、今日の電気柵片付け作業の段取りが確定していました。朝、妻にそのことを話しますと、妻も、<あら、わたしが考えていたのと同じ方法なのね。間違いないわ、それで行きましょう。>と話していました。

今朝は、びっしり霜が降りていました。霜がとんだら、すぐ棚田と段々畑の電気柵の撤去作業をはじめます。この前、さといも掘りやダイコン抜きに左手を使いすぎて、痛みがきていますが、電気柵の撤去には、重いものをもちあげる作業はほとんどありませんので、なんとかなるでしょう。今朝の霜のはりぐあいからみますと、今日は、<最後の秋晴れ?>の日です。

そのあと、ミニクローラと2インチの給水ポンプ、草刈り機2台をもって帰り、農機具の小屋に格納すれば、農機具の冬支度はおわりになります。

禍転じて福となす、Gooblog から Blogger への移行・・・!

昨年、Gooblog の事務局から、筆者のブログ全体が、法務省通達にもとづき差別文書であると認定、閲覧禁止・削除処分に付するとの通告を受け、筆者、Gooblog 上の、筆者のすべてのブログを削除、Gooblog から Google の Blogger へ移行しました。

それから、1年が経過して、筆者が思っているのは、筆者が、Gooblog の問答無用の言論弾圧から脱して、自由と平和、言論の自由と反差別を主張を許容する Google のBlogger への移行は、<災い転じて福となす>行動であったこと・・・。

日本のインターネットの世界から排除・疎外されても、全世界に向けて、部落差別完全解消の訴えを発信できる可能性が残されていることは、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者にとってはとても幸いなことです。日本の社会では、キリスト者も牧師も、少数者のなかの少数者であっても、筆者が、プロテスタント教会の合同教会の牧師であり、現在、隠退牧師として、牧師在任中にかかわった部落差別問題にさらに関わり続けていることに理解をしめしてくださる方が、全世界のキリスト者の中には少なからず存在していると思われるので・・・。

昨夜、Google ドメインについて、調べていました。Google ドメインの中に、筆者の発言の拠点を置くために・・・。

2022/11/27

戦後の教科書の墨塗り状態を解消・・・

夜、<Blogger のコンテンツ ポリシーの実施>を読んでいました。

<コミュニティ ガイドラインに違反していると思われる投稿を見つけた場合は、ほとんどのブログのナビゲーションに設置されている [報告] リンクを使用するか、こちらをクリックしてご報告ください。

報告されたコンテンツが自動的に削除されることはありません。まず Blogger の担当者が当該のコンテンツを審査し、コミュニティ ガイドラインに違反しているかどうかを確認いたします。ブログが Google のポリシーに違反していない場合は、ブログまたはブログの所有者に対してなんらかの措置を講じることはありません。ブログがコンテンツ ポリシーに違反していることが判明した場合は、違反の重大度に応じて次の 1 つ以上の措置を講じます。

  • 読者が当該のブログまたは投稿を閲覧しようとしたときに、慎重に扱うべきコンテンツに関する警告メッセージが表示されるようにする
  • 当該の投稿の公開を停止し、そのブログの投稿者しかアクセスできないようにする
  • 当該の不適切なコンテンツ、投稿、ブログを削除する
  • 当該の投稿者のアクセス権を無効にし、今後 Blogger アカウントにアクセスできないようにする
  • 当該の投稿者のアクセス権を無効にし、今後 Google アカウントにアクセスできないようにする
  • 当該のユーザーを法執行機関に通報する

継続的に不正行為を伴う複数のブログを作成したユーザーには、Blogger より上記の措置が講じられることもあります。ブログが無効になった場合は、同様の不正行為を含む別のブログを作成しないでください。>

もしかしたら、このブログも、<当該の投稿の公開を停止し、そのブログの投稿者しかアクセスできないようにする>という条項が適用されている可能性があるかもしれないと思って、筆者のブログをチェックしてみました。Gooblog から移行後、Blogger から、<読者が当該のブログまたは投稿を閲覧しようとしたときに、慎重に扱うべきコンテンツに関する警告メッセージが表示されるようにする>ということは一度もなかったので、その可能性は少ないとは思ったのですが、そのチェックをしえいるとき、このブログのいたるところで、戦後の教科書の墨塗り状態になっていることを発見・・・。それで、すべての文章をチェックすることにして、2022年6月まで遡って、墨塗り状態を解消しました。この原因は、筆者の操作ミスであることがわかりました。Copy & Paste としたところが、墨塗り状態になっていました。たとえば、『部落学』Research on Buraku Discrimination in Japanなどが、墨塗り状態になっていました。

田中晴美他著『言語学入門』・・・

筆者が読んでいる言語学入門書は、

田中晴美他著『言語学入門』
コセリウ著『一般言語学入門』
パーマー著『現代言語学入門』

の3冊・・・。その夥しい文献目録を見ていますと、Academic Insider の学者・研究者の<学識>は、それだけで尊敬に値します。無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者、まかり間違っても、彼らに対して、Inferiority Complex を抱くことはありません。最初から、比較の対象外ですから・・・。もし、そうでないとしたら、筆者は、底抜けの阿呆か馬鹿でしょう。筆者のブログの読者の中には、筆者を学歴を持たない者のInferiority Complex の塊のように揶揄する人も少なくありませんが、無学歴・無資格は、歴然とした現実・・・、独学であろうとなかろうと、学問は、現実に立脚してはじめて成り立つものです。

筆者を学歴について、
Inferiority Complex と揶揄する人々の方が、Inferiority Complex の虜になっているのでしょう。Inferiority Complex と Superiority Complex・は、1枚のコインの裏・表なのですから・・・。

しかし、筆者、すべての 
A
cademic Insider の学者・研究者・教育者の研究成果や論文のすべてが無条件で尊敬されなければならないと言っているわけではありません。左翼主義思想、人種差別主義思想、優性思想、全体主義思想などを肯定する学者・研究者・教育者に対しては、筆者は、極めて批判的です。

今日、中日・日中辞典と韓日・日韓辞典が届く・・・

今日の午後、インターネット経由で注文していた古書、小学館のポケット・プログレッシブの『中日・日中辞典』と『韓日・日韓辞典』が届きました。

しばらく、辞書を見ていましたが、やはり、筆者には、無縁の言語でした。まもなく75歳になり後期高齢期に入る筆者には、中国古語韓国語を学ぶ時間的ゆとりも精神的ゆとりもなく、それ以上に関心がありません。

筆者がこの歳で外国語の勉強をはじめたのは、ソシュールやコセリウなどの言語学者の論文を読むためです。ゲルマン語系の英語とドイツ語は、英書・読書を読むことができますが、ロマンス語系は、これまでならったことがないので、スペイン語、イタリア語、フランス語と、初級程度のそれぞれの文法を学ぶための教材をそろえました。中国語と韓国語は学ぶつもりはありませんでしたが、気のまよいから注文しました。

筆者が、最終的に、比較言語学に関する本を読むことができるようになるのは、

1.ゲルマン語派  英語・ドイツ語
2.ロマンス語派  ラテン語・スペイン語・イタリア語・フランス語
3.ギリシャ語派  ギリシャ語
4.西セム語派   ヘブライ語
5.アルタイ語族  日本語
6.ドラヴィダ諸語 タミール語
7.極北諸語    アイヌ語

などの5つの語族です。日中問題・日韓問題に関する本は、それぞれ30~40冊は読んでいるのですが、読めば読むほど違和感を感じて、読めば読むほど関心を喪失してしまいました。金錫亨著『古代朝日関係史 -大和政権と任那-』を読み始めてから・・・。歴史研究の方法に違和感を感じて以来、関心を喪失・・・。

コハクチョウ雪降る如くに群れをなし・・・

今日は、猪苗代へ、筆者ひとりで買い物にでかけました。

いつもは、妻といろいろ会話しながら走るのですが、今日は、筆者、ひとりなので、まわりの景色を、5・7・5で綴っていました。

木の葉散るごとくに舞い降る小雀は
黒雲の下に居座る磐梯山
冬日差し波輝きてカモの群れ
枯れすすき白髪の如揺れており
コハクチョウ雪降る如くに群れをなし
コハクチョウ田に舞い降りて一家族
灰色の我が子を守るコハクチョウ
語彙数が増えて広がる世の中は
天路には終の棲家はなかりけり
冬空の下でバス待つ老夫婦

妻に頼まれたものを買ってすぐ帰ってきました。午前10:15に家を出て戻ってきたのが12:05・・・。妻は、冬支度のため10:10に家を出て、戻ってきたのが12:50・・・。

今朝、昨日届いた英語類語辞典を読みながら・・・

昨日、インターネット経由で取り寄せた、『日本語で引く英語類語辞典』を最初のページからよみはじめました。

その説明・・・、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者には、とてもわかりやすい説明でした。それで筆者、『日本語で引く英語類語辞典』と『続・日本語で引く英語類語辞典』の2冊を通読することにしました。筆者が日本語に込めた思いを適切に表現する英語表現にマーカーで線引きしながら・・・。

<同じ柳の下にドジョウはいない>といわれますが、いるかもしれないと思って、日本語で検索できる『ライフサイエンス英語類語使い分け辞典』の古書を、インターネット経由で注文しました。微妙ないいまわしの英語表現を正確に表現するためのツールは、これでそろうことになります。検索したい語を、ためしに2~3検索して、どの順番で英語類語辞典を使えば、短時間で適切な英語表現にたどりつくことができるか検証してみました。

大学で専門教育を受けたひとは、誰でも、English Writing の指導を受けて、英語論文を書くことができるようになるのですね。筆者は、無学歴・無資格、結局、筆者の人生は大学教育とは縁がありませんでした。牧師になるために神学校で学んだときも、卒論の指導は一度も受けることがありませんでした。旧約学の教授は、<大学を出ていない無学歴者には指導したくない>と話していましたから、筆者は、旧約学を学び、English Writing で論文を書く機会を最初から奪われていたようです。人生の晩年になって、やっと、その道が開かれるとは・・・。

朝、左腕に痛みが・・・

今朝は6:30に起床・・・。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。旧約外典『Wisdom of Solomon』どの章・節も、いろいろ考えさせられることが多くて、すっかり愛読書のひとつになりそうです。

昨日、サトイモやダイコン掘りをしましたが、関節障害のある、筆者の右手をかばって、力仕事はほとんど左手で行いますので、左手に負担がかかったようです。昨夜から、しびれが来たり、痛みがきていましたので、OutStretch をねんいりにしたのですが、今朝、なにもしないと左手に痛みはこないのですが、動かすと痛みを感じます。それに、少しく腰痛もしますので、ホカロンであたためることにしました。

ほんとうに、高齢者の百姓暮らしは、自転車操業です。自分のからだにあったペースでこぎ続けないと、道半ばで倒れてしまいます。無理をせず、あせらず、こだわらず、自分のからだを労わりつつ、農作業を続けなければなりません。

吉田農園の農園主の妻、<あなた、今日は田畑の冬支度、しなくていいわよ。わたしひとりでするから。そのかわり、猪苗代へ行って、買い物をしてきて。黒ちゃんのキャットフードがなくなったし、朝のカプチーノにいれる砂糖と牛乳もなくなったから。それに、わたしのヨーグルトも・・・。除雪するときの、軍手と使い捨てのゴム手袋、足と腰に張るホッカイロも忘れないでね・・・。メモしておくから・・・。>と話していました。

2022/11/26

飛びたいと思う精神の翼に、肉体の翼が伴うことは容易でない・・・

<飛びたいと思う精神の翼に、肉体の翼が伴うことは容易でない・・・>。

ゲーテ著『ファウスト』に出てくるファウストの言葉です。

今日は、インターネット経由で注文していた、『日本語で引く英語類語辞典』と『続・日本語で引く英語類語辞典』の2冊が届きました。筆者が知りたい用語法を2~3試してみましたが、筆者、大いに満足しました。

これで、筆者の類語辞典は、CASIOの電子辞書に搭載されている、大修館『英語類語辞典』と小学館『類語例解辞典』、角川『類語国語辞典』、『スコットフォースマン英語類語辞典』、『小学館オックスフォード英語類語辞典』、『日本語で引く英語類語辞典』、『続・日本語で引く英語類語辞典』の7冊になります。角川『類語国語辞典』をのぞけば、全部、英語類語辞典として使用することができます。

これで、微妙な英語表現の違いを認識しながら、English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japanを執筆することができそうです。English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japanを執
筆したいという筆者の<精神の翼>、English Writing 力という<肉体の翼>が伴うようになったようです。一つの翼は、必要十分な史資料、もう一つの翼は、英文作成力・・・。


日本赤十字社から協力依頼のDMが送られてくる・・・

筆者の妻、以前、野菜直売所・湖南四季の里に出展した、妻の売上高の半分をウクライナのために献金すると話していましたが、昨日、日本赤十字社から、協力依頼のDMが送られてきました。

<誰も取り残さない。
紛争から飢餓からも。
NHK海外たすけあい
12.1(木)~12.25(日)
日本赤十字社

ご存知ですか?
平成23年の東日本大震災の際、
ウクライナから日本へ
つぎのような支援が寄せられました。
●放射線サーベイメーター
●個人線量計
●防護マスク・ヨウ素吸着缶
●寄付金>


筆者の妻、今回も、赤十字を通じてウクライナにおくることを決めたようです。


被害妄想 delusion of persecution とは・・・

『誠心・心理学辞典』によると、

被害妄想 [delusion  of persecution ・・・]
他人から迫害を受けていると信じ込んでいること。他人が悪意をもって自分を傷つけようとしていると考える。こうした妄想をもつ人は、抑うつ的に執念深く独断的で、うらみごとをいう。これは、自分の攻撃的敵意を他人に投影したものである。→妄想性反応、関係妄想、誇大妄想>

平凡社『新版心理学事典』には独立した見出しはなく<妄想>の項目で一括してとりあげられています。

<被害妄想 delusion  of persecution 、自分が他者から害を加えられているという内容の妄想を被害妄想という。内容により・・・>、関係妄想、追跡妄想、迫害妄想、注察妄想、嫉妬妄想・・・などがある

弘文堂『精神医学事典』には、さらにくわしい説明があり、<被害妄想はさまざまな精神病に出現するが、とりわけ、(妄想型)分裂病に特徴的な(pathognomish)症状である>とありました。

『標準精神医学 第2版』によると、<妄想(思考内容の異常)>は、<思考内容が誤っていても訂正可能であれば、病気ではない。これには、情報不足による過誤、迷信などがある。一方誤った考えや意味づけに異常な確信をもち訂正できないものを、妄想 delusion という>とありました。

『南山堂医学大辞典』には、被害妄想は、<社会生活上誰もが感じる不安に自我が対抗できなくなり、不安が外界に投影されて生じた妄想である>とありました。

独立国ウクライナに侵略戦争をしかけて、ウクライナの領土を占領、ウクライナの領土と国民に深刻な被害を与えているプーチン率いる、共産主義国家ロシア・・・、ロシアがウクライナ侵略戦争によって多大な被害と損失を出しているのはウクライナのせいだと、責任を転嫁していますが、こういうのを文字通り、<被害妄想>というのでしょうね。原因はロシアの妄想にあるのに、立場を逆転させて、被害者ぶるありようは・・・。ロシア的精神医学では、<被害妄想>をもつ精神病者は、社会から隔離され、鉄格子の入った監獄とおなじような病室にとじこめられるのが普通ですが、ロシア大統領プーチンも、ロシアの精神病棟に強制入院させ治療を受けさせる必要があるのかもしれませんね。病人でなければ、国際裁判にかけて死刑判決・死刑執行に処するのが妥当です。

突然、パソコンがハングアップ・・・

書斎のパソコンで、<我田引水の悪徳・・・>という文章を書いているとき、突然、筆者のパソコンがハングアップ、ファイルサーバーにアクセスできなくなりました。

すぐ、他のパソコンを起動して、その続きを書くことができましたが、昔と違って、今は、ブログ上で作成している文章は、筆者のパソコンではなく、Google の Blogger サイトに保存されます。途中でなんらかの事情でパソコンがハングアップしても、執筆中の文章が削除されるということはありません。

昔はよくありました。文章を作成中に、<Ctrl>&<S>を押して文章を上書き保存していないと、最後に保存した以降の文章がすべて消失されてしまうとか・・・。

書斎のノートバソコンは、<我田引水の悪徳・・・>執筆前の状態に戻して、復旧できました。

我田引水の悪徳・・・

我田引水(わが田に水を引く)ということわざがあります。

日本は古来から稲作中心の農業を営んできましたが、稲作に、水は必用・・・。妻の実家の棚田の田で有機・無農薬栽培でコシヒカリ・はえぬき・ひめのもちを栽培するときは、<常時湛水栽培法>と採用しています。つまり、田植え直後から刈入の1週間までずっと水をいれっぱなしで栽培しているということです。

我田引水は、文字通り考えますと、農家にとっては自然な営み・・・。農業用水路から水を取水している分には何の問題もありません。我田引水が問題になるのは、農家が自分の田に水をかけっぱなしにして、下流の田の水をとめたり、あるいは、段々畑の上の田の畔を切って、その水を自分の田に引き入れたりする農家の悪徳としての我田引水・・・。我田引水は、<自利他損>の所業・・・。

今朝、筆者のブログ『部落学序説』とその関連ブログ群をテキストファイルに落としたものを、エディターのMIFESで<学歴差別者>をキーワードに検索してみました。<学歴差別者>などという言葉は、筆者にとってかなり違和感のある言葉なので、それを使ったという記憶がありません。それで、検索してみたのですが、ありました。なんと、2回も・・・。ひとつは、日本解放社会学会について<学歴差別者の巣窟>と批判していました。もうひとつは、名指しで、特定の人を<学歴差別者>として批判していました。その全文を転載します。

< ●ある預言者アモスの研究者・・・
DATE: 06/20/2010

筆者が、日本基督教団の牧師になるために学んだ神学校は、日本基督教団の農村伝道神学校です。

神学校に入る前に、筆者、いろいろ農村伝道神学校のカリキュラムと講師について調べました。そして、その講師たちが執筆している神学書を集めていたのですが、その中に、木田献一著『イスラエル予言者の職務と文学-アモスにおける予言文学の成立』(日本基督教団出版局)があります。その当時、木田献一氏は、農村伝道神学校の旧約学の教授をされていた方ですが、旧約聖書に強い関心をもっていた筆者は、木田献一氏の講義を受けることを楽しみにしていました。

しかし、思いがけないことで、そのことが頓挫するはめに・・・。

木田献一氏、<馬鹿(無学歴者)には教えたくない・・・>と話していると、木田献一氏の青山学院大学神学部の卒業生や関係者から知らされたためです。その年、その講座を受けることになっていたのは、筆者一人でしたから、その<馬鹿(無学歴者)>は、紛れもなく筆者自身のことを指して語られたものです。そのとき、筆者、農村伝道神学校の事務所へ行って、ことの次第を話して、<受講願い>を取り下げました。<馬鹿(無学歴者)>を教えることができない教授の授業など受けてもつまらない・・・、と思った筆者、その著書である『イスラエル予言者の職務と文学-アモスにおける予言文学の成立』も読むのをやめてしまいました。封印されたまま今日に至っていますが、今日、説教の箇所がアモス書であったことから、そのことを思い出し、礼拝後に、書棚の奥深くから『イスラエル予言者の職務と文学-アモスにおける予言文学の成立』を取り出しました。日本の知識階級・中産階級に帰属する旧約聖書学者が、一農民であるアモスの言葉をどのように理解してきたのか、その研究方法と研究姿勢を批判検証してみるのも悪くはない・・・、と思ったからです。

木田献一氏は、筆者と同じ岡山県倉敷市生まれ。木田献一氏は、青山学院大学文学部基督教学科で勉学されて旧約聖書学者になられた方・・・。岡山出身の学者になぜ学歴差別者が多いのか・・・、筆者にとっては、今だに謎・・・。>

筆者のブログ『部落学序説』を公開執筆しはじめたときから、誹謗中傷・罵詈雑言の非難にさらされてきましたが、筆者は<馬耳東風>を決め込んでいました。読者の中には、上のふたつの筆者の<学歴差別者>発言を、自分に向けられた発言だと受け止められている方がいるようです。筆者は、博士号を取得して大学教授をされている方々に対する批判ですが、<我田引水>的な引用はいかがなものでしょう。人生は短い・・・。その人生をもっと有意義なことのために使ってはどうでしょう? 

筆者のブログの中には、岡山と関係のある、あるいは岡山出身の、児島高徳、池田光政、熊沢蕃山、江原万里、三宅泰雄、神谷美恵子などに対する肯定的発言も多々ありますが、そこからの<我田引水>はないのでしょうか?

午前中は、サトイモとダイコンの収穫・・・

朝、吉田農園の農園主である妻が、<あなた、午前中に、段々畑のサトイモとダイコンを収穫してしまうから・・・>と話しかけてきました。

吉田農園の農作業の管理をしているのは、農園主の妻・・・。筆者は、<婦唱夫随>に徹しています。妻は、湖南の赤津生まれ、赤津育ちで、福島県立安積女子高校に進学して、郡山に下宿するまで、中学校3年生まで、赤津村で暮らしてきましたから、生まれてから中学校3年生までに学んだり、経験したりしたことをこまかく覚えています。筆者は、日本基督教団の隠退牧師になって、妻のふるさと・湖南の赤津村に帰郷・帰農してから、はじめて、雪国の田舎暮らし、百姓暮らしをはじめましたので、ほとんど知らないことばかり・・・。無知と未知と未経験の穴を埋めてくれるのが、筆者の妻・・・。

今年は収穫が遅れたためか、サトイモもダイコンも大きくまるまるふとっていました。妻は、<こんなにたくさん、サトイモ、どうしようかしら?>といいますので、<娘のご主人がサトイモの煮っころがし大好きだから、いっぱいあげたら・・・?>と妻に答えました。妻は、<娘だって、こんなにいっぱいサトイモをもらったら困るわよ・・・>と話していました。

筆者は汗をかいて、急に体温が低下してきましたので、収穫したあと作業を中止・・・。妻は、ダイコン・ハクサイを農機具の小屋に格納して、サトイモだけを軽トラに乗せて、棚田の田に向かいました。棚田の田の角の農業用水路でサトイモの土を洗い落とすのだとか・・・。

今日は、段々畑で、イノシシがうろついていました。

昨夜から今朝にかけて読んだ本は・・・

今朝6:00に起床・・・。いつもの健康管理をしましたが、今朝はいつもより血圧が高め・・・。最高血圧は124でした。筆者の平均値は115なので、いつもより10ほど高め・・・。

昨夜、ヤスパース著『理性について』(全3巻)とアーレント著『暗き時代の人々』を読んでいましたが、つい、その世界に引きずり込まれて、時が経つのを忘れてしまいました。そして、今朝、健康管理をしたあと、いつもの『英訳聖書』(NSRV)の通読、『Wisdom of Solomon』を読んでいましたが、またまた、筆者のあたまのなかが活性化・・・、今日の日課分を読み終えたあと、再度血圧を測定してみましたが、朝起床時に測ったのと同じ・・・。筆者、夢の中で、いろいろ調べたり考えたりしていましたから・・・。

人生の晩年において、74歳にして、その著作を本格的に再読し始めたのは、実存主義哲学のヤスパース、法哲学のラートブルフ、論理哲学のヴィトゲンシュタイン、日本の哲学者としては、澤潟久敬、論理哲学の野矢茂樹、教養哲学の鷲田小彌太、言語学者のソシュール、コセリウ、金子武雄、佐竹昭広、解釈学のガダマー、歴史学者の古島敏雄、肥後和男、三浦周行、気象学の大後美保、三宅康雄、神学者のバルト、キュンメル、医学的人間学の村松常雄、神谷美恵子、小説家の島崎藤村、丸山健二、民俗学の野本寛一、宮本常一、柳田國雄、動物学者のモリス・・・などなど。

彼らから学んだものを真珠のネックレスのようにひとつにまとめあげるのが、『英訳聖書』(NSRV)や外典の『Wisdom of Solomon』に出てくる、信仰、祈り、知識、理解、思索、知恵・・・。

2022/11/25

新米のはえぬきを試食・・・

今日の夕ご飯、標高550mの湖南高原の棚田の、妻の実家の田で有機・無農薬栽培した<はえぬき>のごはんでした。

試食する前に、岡山のいもうと夫婦に20kg精米して送りましたが、いつもとは順序が逆・・・。妹夫婦におくったあと、今日の夕食で試食することになりましたが、一善目は、はえぬきのごはんだけで食べました。妻が、<どう・・・?>と問いかけてきましたが、一善目を食べ終わってから、筆者、<コシヒカリと少し違うね。このはえぬき、すし米にあってるかも・・・。岡山の祭りすしにしたらいいかも・・・。>と答えますと、妻は、<そう・・・。わたしは、コシヒカリもはえぬきも同じようにおいしいと思うけれど、あなたがそういうなら、明日、はえぬきで岡山の祭りすし、つくってみるわ・・・>と話していました。

有機・無農薬栽培のコシヒカリとはえぬきを栽培して、毎日食べてきたこの10年、コシヒカリとはえぬきに飽くことはありませんでした。妻は、<我が家のおコメは、これからもずっと、コシヒカリとはえぬきでいいわよ。ほかのおコメに浮気してはダメ!>と話していました。筆者、普通に食べるおコメはコシヒカリがいい、お寿司、カレー、焼き飯、おにぎりなどをつくるときははえぬきがいい・・・。コシヒカリとはえぬき、筆者にとっては、まったく別のおコメです。

岡山は、昔からコメどころ・・・。栽培されている主要品種は、あきたこまち、コシヒカリ、きぬむすめ、ヒノヒカリ、朝日、アケボノ。美味しいおコメはいろいろあるのに、妹夫婦は、はえぬきが一番美味しいといって、筆者と妻がつくった有機・無農薬のはえぬきを食べてくれます。



<歩く農業>主体の、筆者と妻の百姓暮らし・・・

1971年は、<歩く農業>から<乗る農業>への転換点とか・・・。

1971年は、筆者、23歳のとき・・・。筆者がいま使っているトラクターは、そのころ発売されたもの・・・。そのころ、筆者の妻は15歳、中学3年生・・・。今、筆者は、まもなく75歳になり後期高齢期に入りますが、妻は、67歳・・・。

乗る農業:軽トラ、トラクター、田植え機
歩く農業:ミニクローラ、管理機、給水ポンプ、排水ポンプ、バインダー、ハーベスタ、噴霧器、散布器、草刈り機、チェンソー、万能脱穀機、籾摺り機、発電機

筆者と妻の百姓暮らしは、<乗る農業>は部分的で、大半が<歩く農業>であるようです。KUBOTAの小型乗用トラクター、四輪駆動のブルトラは、50年前の機種であったとしても、<乗る農業>を筆者と妻に提供してくれます。湖南の赤津村のプロの農家の方々から、<時代遅れ>と揶揄されても、標高550mの湖南高原の棚田と段々畑で有機・無農薬栽培でコメと野菜と果樹を栽培できる、身の丈にあった農機具で十分です。

妻の実家のおとうさんが愛用していたKUBOTAのトラクター・・・

妻の実家のおとうさんが愛用していたトラクターは、KUBOTAの小型乗用トラクターB6001ですが、この機種は、小型乗用トラクターB6000に、耕耘するためのロータリーを最初から装備した機種であるようです。

KUBOTAのHPで確認しますと、こんな記事がありました。

<「歩く農業」から「乗る農業」への転換期。高成長の主役はトラクタとコンバイン

1971年に発売された超小型4輪駆動トラクタ・ブルトラB6000(通称ブルトラ)は水田などのぬかるみに強い四輪駆動を採用し、現場で高い評価を獲得。その後、四輪駆動はトラクタの標準技術となるほど、業界に大きな影響を与えました。・・・時代は「歩く農業」から「乗る農業」への転換期を迎え、トラクタを国際戦力商品とする構想のもと、1975年、世界トップレベルの筑波工場が誕生。石油ショックを乗り越えての躍進でした。>

ということは、妻の実家のおとうさんから受け継いで、2013年4月1日に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農してから、筆者が使っているトラクターは、1971年に発売されたもの・・・。なんと、51年前に製造されたブルトラであるようです。今年、自分で、耕耘爪を全部新しいものに交換しましたが、エンジンもすぐかかり、農道を快適に走行することができました。

2013年、妻のふるさとの帰郷・帰農してから、妻の実家のおとうさんが残してくれていた営農資金で、種もみの塩水選・浸種から刈入・脱穀・乾燥・保管まで、すべて筆者と妻でできるように農機具を買いそろえましたが、KUBOTAの湖南営業所で購入した農機具、壊れて使えなくなったり、買い替えたりしなければならなくなったものはひとつもありません。農機具の購入費用は、この10年間120か月で割って、1か月あたりの費用を算出しますと、25,000円・・・。

午後2:00~3:00、段々畑で長いも掘り・・・

午後2:00~3:00、妻と段々畑の冬支度にでかけました。妻がキュウリ支柱のネットを片付けている間、筆者は、ひとりで長いも掘りをしました。長いも掘りも今年で10年目、最初、小型スコップと根切り鎌で掘り起こしていましたが、今は、長いも掘り専用鍬と開墾鍬を用いて掘り起こしていますが、今年が一番手際よく掘り起こしができました。無駄な力を使わないで合理的に作業できましたが、1時間で掘り起こしたのは6本でした。

段々畑は、午後2:00を過ぎると、西の山に遮られて陽が差し込まなくなります。すると、段々畑の畑は急に気温が低下してきます。作付した長いもは18本、今日6本収穫しましたが、残りの12本は、掘り起こさないでそのまま来年まで寝かせることにしました。今年は、日照時間が短く、あまりできはよくありませんでしたので・・・。

帰り際に、コカブと聖護院カブを見てまわりましたが、どちらもよくできていました。<立派な聖護院カブになったね。美味しい千枚漬けができそう!>と妻に語り掛けますと、<まだ、千枚漬けをつける時間的ゆとりがないわ・・・。他にしなければならない冬支度がたくさんあるから、もうすこしそのままにしておくわ・・・>と話していました。

ふと思い出したある中学校教師のこと・・・

機械音痴の筆者、農機具を始動するときは、いつも精神的に緊張させられます。<果たして、動くのだろうか・・・?>という心配がいつも頭の中を過るためです。

今日も棚田の田にとめてあった、KUBOTAの超小型乗用トラクターB6001、通称ブルトラは、湖南の赤津村のプロの農家に言わせると<化石的存在>、<ここらのもんは、誰も使ってねえ!>というのが一般的見解・・・。

2013年に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻の故郷・湖南に帰郷・帰農したとき、よく聞かされていたのが、湖南の赤津村は、純然たる農村的地域社会で、ほとんどすべてが専業農家かプロの農家(兼業農家)で、定年後素人百姓でコメと野菜をつくっているのは、某中学校教師と筆者のふたりだけとか・・・。筆者と妻、一度、その中学校教師を訪ねてみたいと思っていたのですが、どこのだれなのか、情報を提供してくれる農家はいません。そのうち、うわさが耳に入るようになりました。その中学校教師の方、定年後、実家のあとをついで農業をはじめたそうですが、あるとき、自分の、運転操作をしていたトラックから振り落とされ、そのトラックに轢かれて死んだのだとか・・・。自分が運転しているトラックにどうやったら、轢かれて死ぬことになるのか、不思議に思っていましたが、やがて、亡くなった状況も断片的に噂話として耳に入ってくるようになりました。

文系の内容なら、少々間違ったことを教えても、生徒に直接被害や悪影響を与えることは少ないのでしょうが、理系の内容を教えている場合、少しでも間違ったことを教えると、生徒に直接的な被害をもたらしたり、場合によってはそのいのちを奪ってしまうことにもなりかねません。生徒だけでなく、教師自身も・・・。しかし、生徒の人生により深刻な影響を与えるのは、理系ではなく文系の科目でしょう。嘘にうそを積み重ねられて、気がつけば、とんでもない人間に仕立て上げられている・・・。

自分の運転しているトラクターに轢かれてなくなった中学校教師、筆者、結局一度もお会いしてその話をお伺いすることができませんでした。


午前中、棚田の田で冬支度・・・

今日は、晴れ・・。軽トラの冬用タイヤ交換のあと、妻の実家の棚田の田に行って、ブルーシートをかけて保管していたKUBOTAの超小型乗用トラクターを持って帰り、農業用水路の水で水洗浄して、農機具の小屋に格納しました。

そのあと、妻の実家の棚田の田で、妻とふたりで冬支度をしました。妻は、ミニトマトの雨除け栽培用トンネルの中のトマトの残滓を片付け、来年のミニトマトの栽培のために、畝間にもみがらを散布していました。筆者は、 農業用水路から温水田に水をくみ上げるための2インチのホースを畔際に格納・・・。水管理のためのUV管のアタッチメントを回収・・・。そのあと、草刈り機で、山側の農業用水路のなぞえの草刈り・・・。用水路に落ちた枯れ葉、枯れ枝を熊手で引き上げ、用水路に水をためるために堰止めしました。水がたまったあと、堰をはずしますと、用水路はきれいに掃除されます。

午前10:00に作業をはじめて終わったのが午前12:59・・・。

朝、隣村の整備工場で軽トラのタイヤを冬用に交換してもらう・・・

今朝、隣村の自動車整備工場で、軽トラのタイヤを冬用タイヤに交換してもらいました。

妻のくるまの YARIS の冬用タイヤの交換は、12月に入ってからですが、天気予報では、12月にはいるとすぐ雪が降り始めるとか・・・。雪が降ったなか、奥羽山脈の三森峠を越えることができるかどうか・・・。予約日をはずすと、年内の冬用タイヤの交換はむずかしそうですから、隣村の自動車整備工場で交換してもらうことになるかもしれません。

北国・雪国にあっては、くるまを購入するとき、車検の月日をきちんと確認して購入する必要がありそうです。積雪期に車検を受けるために、奥羽山脈の三森峠を越えることのないように・・・。今度車検を受けるとき、以降の車検・点検は、隣村の自動車整備工場で行えるようにできるかどうか、尋ねてみましょう。

初雪が降っても、初雪が突然積雪・根雪になることは、この10年間の経験ではありませんので、12月に入ってからの冬用タイヤの交換も大丈夫だとは思うのですが・・・。

2022/11/24

<晩節にこだわって、晩節にこだわらず>・・・

<晩節にこだわって、晩節にこだわらず>・・・

この言葉は、鷲田小彌太著『晩節を汚さない生き方』の小見出しの言葉です。鷲田小彌太さんは、<晩節にこだわる>は<受動の習性>であり、<晩節にこだわらず>は<能動の習性>であるといいます。<晩節を賢く生きる>ためには、この<二つの習性に馴染む>ことが大切であるといいます。

この<晩節>という言葉を変数Xに置き換えますと、<Xにこだわって、Xにこだわらず>という一般式になります。

やまとことばとしての<こだはる>には、次の意味があります。<1.障る。つかえる。ひっかかる。2.じゃまする。故障をいいたてる。> 直面した問題の前に解決方法を見付けることができず、ただわめきちらしているさまが、<こだはる>という意味なのでしょうか・・・。<こだはる>ことに<こだはる>と、自分の身を危うくすることにつながります・・・。<こだはる>ことで<こだはる>ことから離脱・克服・超越することができれば、<こだはる>ことに少しは意味があるかもしれません。

<Xにこだわって、Xにこだわらず>という一般式を変形して、<Xにこだわって、Yにこだわらず>という二次式をつくることもできそうです。たとえば、X=老年学、Y=老年を代入しますと、<老年学にこだわって、老年にこだわらず>。いろいろ応用することができそうです。

<学歴にこだわって、学歴にこだわらず>
<無学歴にこだわって、学歴にこだわらず>
<学歴にこだわって、無学歴にこだわらず>
<無学歴にこだわって、無学歴にこだわらず>

さらに、<上記4つの命題に関して、具体例をあげよ。>という問題を設定して、自ら解答してみたら・・・? うん? わからない? 筆者が何を言っているか? いいよ、わからないならわからないままで。<わからないにこだわって、わからないにこだわらず>という生き方も大切ですから・・・。

英書の冊数を数えてみました、なんとわずか70冊・・・

夜、筆者の3,600冊の蔵書の中から、英書の冊数を数えてみました。

結果は、なんとわずか70冊・・・。独書を加えても、120冊・・・。筆者が所有している洋書は、蔵書のわずか3.3%・・・。

無学歴・無資格(Academic Outsider)ならではの少なさです。English Writing をより充実したものにするには、さらに英書の読破数を増やす必要がありそうですが、まもなく75歳、後期高齢期に入る筆者にとってはもう手遅れ・・・。現在の英書を参考資料として使うことで満足しなければならないでしょう。

筆者が使用しているCASIOの電子辞書XD-D7100に収録されている<世界文学1000作品>は英書なので、それを含めると一挙に英書の冊数が増えてしまいますが、こちらは、フィクションの世界・・・。筆者が、English Writing で執筆する『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)はノンフィクションなので、English Writing の参考資料になるのかどうか・・・。

自家製・新潟の平核無という柿、甘くて美味しい・・・!

今年はじめて、妻の実家の段々畑の柿の木に、柿が12個実りました。

収穫したあと、ブランデーを使ってしぶぬきをしていたのですが、今日、3度目の試食・・・。しぶが抜けて、とてもあまい、さわやかな香りのする柿になっていました。妻は、柿2本、林檎2本、葡萄1本、老後の楽しみとして果樹の苗木を移植しました。これからも、自給用に果樹の種類を増やしていくそうです。湖南は、高冷地・寒冷地に属しますので、西日本の山口のときのように、苗木を移植後短期間に収穫することはできませんが、いったん根付くと、必ず実を結んでくれるようです。

最近、妻は、<あなた、ここを出ていく・・・?>と筆者に語り掛けてくることがなくなりました。筆者、<日本全国、どこへ行っても、農村は閉鎖的だよ。おとうさんが残してくれた田・畑・山林のことをよく知ることができたから、おとうさんが残してくれた田・畑・山林と一緒に生きて行った方が、充実した老後を過ごすことができると思うよ・・・>と妻にこたえるのが常でしたから・・・。妻も、この地で、人生をまっとうする覚悟ができたようです。

妻の実家は、湖南の赤津村で一番ちいさな農家とか・・・。JA湖南の組合員になるための条件を満たすことができない、田4.0反、畑0.6反、山林8.0反・・・。今は減反政策を反映して、田2.3反、本来の畑と田畑転換した畑合わせて1.7反、ハス田0.1反、温水田0.5反・・・。しかし、まもなく後期高齢期に入る74歳の筆者と67歳の妻にとっては、素人園芸にしては、とても、とても広~い。


阿佐ヶ谷東教会の長老の方からお便り・・・

今日、日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の長老の方からお便りをいただきました。

94歳にして、独り暮らし・・・。高齢化にともなう様々な試練を克服して、先に天に召されたご主人と一緒に建てた家にお住まいです。定期的にお二人の娘さんが尋ねて来られるそうです。いただいた、お便りは、便箋3枚にびっしり、達筆で綴られていました。

日本基督教団の牧師になるために農村伝道神学校に入った筆者、Sweden Covenant Mission の教会から日本基督教団の教会に<転会>しなければなりませんでしたが、<転会>を申し出ても何度教会から断られたでしょうか・・・。ある教会では、<あなたは、社会派みたいですから、この教会に受け入れることはできません>と断られ、ある教会では、<あなたは、福音派みたいですから、この教会に受け入れることはできません>と断られ、先輩の神学生に、<誰でも受け入れてくれる教会はありませんか?>と尋ねたところ、<阿佐ヶ谷東教会ならだれでも受け入れてくれる可能性がある。でも、阿佐ヶ谷東教会で神学生として関われば、潰されることになる・・・>とのことでした。それで、筆者、とりあえず、阿佐ヶ谷東教会の主日礼拝に出席することにしました。そのとき、阿佐ヶ谷東教会は無牧でした。説教されていいたのは、日本基督教団幹事の柏井創先生、そのときの司会が、今日お手紙を頂いた長老の方でした。柏井創牧師は、説教の中で、<阿佐ヶ谷東教会に身を置けば、教団問題のすべてがわかる。阿佐ヶ谷東教会の問題は、日本基督教団の問題の縮図である>と話しておられました。説教の内容が素晴らしいだけでなく、司会の長老の方の霊的な信仰深い祈りに、筆者、<この教会のどこが問題なんだろう>と不思議に思い、次の週も主日礼拝に出席しました。そのとき、受付にいたもう一人の教会役員の方が、<あなたは、2度続けてこの教会の主日礼拝に出席した。この教会に転会して、この教会で神学生として過ごしなさい>とすすめてくださり、筆者、即、阿佐ヶ谷東教会に<転会>することを決断しました。

そして、日本基督教団阿佐ヶ谷東教会で、筆者、神学生としてかかわることになり、阿佐ヶ谷東教会の信徒の方々との交わりを通して、<牧師>として育てられることになりました。筆者を<牧師>として育て、指導・教育してくださったのは、阿佐ヶ谷東教会の長老や信徒の方々でした。筆者、日本基督教団阿佐ヶ谷東教会という<目に見える教会>のなかに、<目に見えない教会>の姿を見ることができた神学校生活4年間でした。

神学校を卒業して、日本基督教団神奈川教区の開拓伝道に従事していたときも、西中国教区の前任者が自害した教会に赴任したときも、そして、隠退牧師になって、2011年3月11の原発事故によって放射能汚染された、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して、有機・無農薬栽培でコメと野菜を自給用に栽培しはじめたあとも、ずっと、筆者と妻、そして娘のために祈ってくださいました。筆者の人生の中で、一番長いまじわりを続けることがゆるされたのは、筆者の妻と、今日、お便りをいただいた阿佐ヶ谷東教会の長老の方でした。

午後、軽トラを水洗浄・・・

午後、久しぶりに、軽トラを水洗浄しました。軽トラの内部も、ブロアーでほこり・ごみを外に吹き飛ばした後、雑巾で水拭き・・・。

隣村の自動車整備工場で、冬用タイヤの交換をしてもらうためですが、軽トラの外部も内部も泥だらけ・・・。汚れたまま整備工場に持ち込むのにためらいがあったので、農業用水路の取水口付近に軽トラをとめて、1インチの給水ポンプで水をくみ上げて、水をかけながらデッキブラシで洗浄・・・。洗車したあと、自動車整備工場に行って、冬用タイヤの交換の予約をとりました。

明日の朝9:00に搬入すればいいとのこと・・・。

左翼思想の部落解放運動家の解決法・・・

左翼思想の、ある部落解放運動家が、筆者に語った言葉・・・。

日本人は、被差別部落の人々の差別される痛みが分からない。日本人に、被差別部落の人々の差別される痛みをわからせるには、中国共産党の人民解放軍によって日本が侵略され、被差別部落民に対する差別者に、その支配下に置かれて迫害・疎外されることを経験させるのが一番手っ取り早い、部落差別の解消法だ。足を踏まれた者の痛みは、足を踏んだ者に同じ痛みを味わわせる以外に伝える術はない・・・

筆者にそううそぶいた、その左翼思想の部落解放運動家、共産主義の亡霊に取りつかれたロシア大統領プーチンとロシア軍が、独立国家ウクライナに対して侵略戦争をしかけ、ウクライナの領土を奪取、ウクライナの国民を殺害・強姦し、そのインフラを徹底的に破壊し、その歴史と文化、生活と経済を徹底的に破壊しているさまを見て、どう考えているのでしょう? ロシア大統領プーチンとロシアに大義名分と正義があり、ロシア大統領プーチンとロシアに反抗するウクライナは殲滅すべきネオナチであると、彼らの言い分をそのまま追認しているのでしょうか・・・?

部落解放運動が、左翼思想、左翼イデオロギーに拘束され、その泥沼に引きずりこまれている限り、部落解放運動に明日はない。部落解放運動は、いつまでも、彼らの餌食にされ、生かさず殺さず飼い殺しにされるだけ・・・。

今日、我が家の軽トラの走行距離が60,000kmに・・・

今日、郵便局にでかけたとき、その駐車場にとめた我が家の軽トラの走行距離が、60,000kmになっていました。

郵便局のATMで、インターネット経由で注文した古書・古本の代金を振り込んで、出たときの、筆者の通帳残高は、これがまたきれいな数字で、50,000円・・・。日本基督教団の隠退牧師の筆者、現役のときから、隠退牧師になった今年まで、ずっ~~~と、年金の範囲での清貧暮らしですから、こういう数字にはなれっこ・・・。

12月10日に年金の一部がふりこまれますので、11月末と12月はじめの各種引き落としで通帳残高が減少しても大丈夫・・・。インターネットで検索してみますと、高齢者で、貯蓄0という方々も少なくないようです。健康であれば、貯蓄0の年金暮らしでもやっていけます。

今朝読んだ『英訳聖書』(NSRV)のWisdom of Solomon』には、大切なものは、<健康>でも<美貌>でもなく、主なる神さまの霊がもたらす<知恵>であるとありました。<健康であれば、貯蓄0の年金暮らしでもやっていけます。>という筆者の言葉の背景には、この<知恵>(Wisdom )に生きる筆者の信仰があります。

岡山の妹にはえぬきを送る・・・

午前中、KUBOTAのコイン精米所で精米して、岡山の妹夫婦に、2022年産はえぬき20kgを送りました。

コシヒカリは、カメムシ被害はほとんどなかったのですg、はえぬきは少し多め・・・。20kg入りの袋に移すとき、できる限りカメムシ被害にあった米粒は取り除きましたが、30kg入りのはえぬきを精米しましたので、残りのはえぬきは、今日の夕飯で試食してみます。いつもは、試食したあと送るのですが、今年は逆になってしまいました。

この前、共同作業のとき、プロの農家の方が、湖南の赤津村では、<はえぬきは採れねえ! コシヒカリはかろうじて採れたとしても、はえぬきはダメだ!>と話しておられました。そのはえぬき、2014年から、妻の実家の棚田の田で有機・無農薬で栽培するようになって、今年で9年目・・・。中早稲のはえぬきは、晩稲のコシヒカリが収穫できないときの保険のために栽培している品種ですが、はえぬきとコシヒカリの出穂日の差が、カメムシ被害にあうかあわないかの境目になるようです。今年は、カエル・トンボ・クモが例年より多く繁殖していたので、コシヒカリもはえぬきも、カメムシ被害は少ないと思っていたのですが・・・。

今年のはえぬきは、どんな味と香りと粘りになっていることやら・・・。プロの農家は、その年の天気に左右されずいつも一定の品質のあきたこまちを栽培することができますが、素人百姓の筆者と妻は、有機・無農薬栽培ですので、毎年、天気に左右されます。同じコシヒカリ、はえぬきでも、毎年、味と香りと粘りが異なります。毎年、京都ののうけんから種もみを取り寄せて栽培していますので、種もみの品質にも左右されます。

筆者のブログに対する誹謗中傷は、無視・・・

2005年に、インターネット上のブログで公開執筆をはじめた『部落学序説』とその関連ブログ群・・・、現在でも、インターネット上に、筆者と『部落学序説』とその関連ブログ群の文章に対して、誹謗中傷・罵詈雑言と思われる批判がはびこっています。しかし、筆者、それらの<批判>に対して、一度も抗議したことはありません。 プロバイダーに削除を要求したことはありません。もちろん、法的手段を講じると脅迫まがいの言葉を投げかけたこともありません。

インターネットは最初から、<匿名>で発言できるシステムですから、<匿名>での発言は、必然的に、無責任な発言を誘発します。筆者のブログに対する<批判>も、情報処理機器を使うことができる知識階級・中産階級の人々による不誠実な RolePlaying 的側面を多分にもっています。ストレス社会で現代を生きる知識階級・中産階級の人々にとって、無学歴・無資格(Acaemic Outsider)の発言に対する<批判>(批難)は、彼らのフラストレーションを除去するための、嘘と虚栄をまじえた妄言、非生産的な言動でしかなく、まともに反論する必要のない類のものです。Academic な常識・良識のある人は、そんな<批判>(批難)はしないでしょうから・・・。

なかには、筆者のブログ『部落学序説』の内容を肯定・賛同してくださる方々も少なくありません。被差別部落内外の知識階級・中産階級の方々によるコメントも多数寄せられました。同じ知識階級・中産階級に属する人であっても、そのありようは多種多様であるようです。筆者が、『部落学序説』とその関連ブログ群の読者にどのように対応するかは、

It depends on the person.

アーレントと聖書・・・

昨夜、アーレントの『暗い時代の人々』を読み、今朝、5:30に起床、いつもの健康管理をしたあと『英訳聖書』(NSRV)の通読、そのあと『Wisdom of Solomon』を読んでいましたが、アーレントの言葉と『Wisdom of Solomon』の微妙な一致・・・。アーレントは、真正の聖書の神の信仰者なのでしょう。ヤスパース同様、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者が安心と信頼をもって、耳を傾けることができる哲学者であるようです。

『Wisdom of Solomon』が書かれた時代も、アーレントが生きていた時代も、そして、共産主義国家・ロシアが、ウクライナ侵略戦争をはじめ、ウクライナの領土を占領、そのインフラとウクライナ国民を殺戮、その歴史と文化を破壊しようとしている、しかも、そのロシアのアナクロニズム的な人間と人権に対する暴挙を有効な方法で押しとどめることができない周辺諸国の苦悩が続く現代・・・、極めて同質な時代であると思わされます。その暗き時代にどのように生きることができるか、生きなければならないか・・・、いろいろ考えさせられた夜と朝でした。

アーレントに対する誹謗中傷・罵詈雑言は少なくないのですが、『アーレント=ヤスパース往復書簡』のヤスパースの手紙からは、ヤスパースは、アーレントに対する誹謗中傷・罵詈雑言には一考だにすることなく、アーレントの哲学と生き方を敬意をもって見守っているようです。『Wisdom of Solomon』の著者も、モーセの信仰と生き方に強い共感と連帯意識をもって、執筆しているようです。

2022/11/23

ポケットプログレッシブの辞典3冊注文・・・

夜、『ポケットプログレッシブ 中日・日中辞典』、『ポケットプログレッシブ韓日・日韓辞典』、『ポケットプログレッシブ全訳古語例解辞典』、3冊を注文しました。

筆者、現代中国語、現代韓国語に興味はありません。日本侵略を公言し、軍拡に余念がない、中国・韓国・北朝鮮・ロシアに関心はありません。というより、心理的に嫌悪感を持っています。筆者と妻は、個人的に不買運動を続けています。それなのに、今回、あえて、『ポケットプログレッシブ 中日・日中辞典』、『ポケットプログレッシブ韓日・日韓辞典』を注文したのは、単なる気の迷いです。

『ポケットプログレッシブ全訳古語例解辞典』は、寝室のパソコンの横においておくため・・・。おもに、真言宗栗田村の真言宗観聖寺文書や、長野県史、長野市史、修験道関連の書籍を読むために使います。CASIOの電子辞書XD-D7100には、古語辞典が含まれていませんので、その補強として・・・。書斎には、『古語大辞典』をはじめ4~5冊の古語辞典があります。

Gooblog から Blogger へ移行して1年が経過・・・

筆者のブログ、Gooblog から Blogger へ移行したのが、2021年11月14日・・・。1年が経過しました。

Blogger も、筆者のブログを<差別文書>として、日本の法務省通達にもとづき、閲覧禁止・削除処分にしてくる可能性なきにしもあらずだったのですが、1年が経過しても、Blogger の事務局から、筆者の一連のブログを、閲覧禁止・削除処分にするとの通告を受けることはありませんでした。Gooblog より Blogger の方が、言論の自由を認める傾向が強いようです。Gooblog は、筆者の経験からいいますと、問答無用の<言論弾圧>機関でしかありませんが、ものは考えよう・・・? Gooblog から追放されたことで、Blogger に出会い、Blogger 上で言論の自由を満喫することができるようになったのですから・・・。

筆者のブログへの<コメントを投稿できるユーザー>を<Google アカウントを所有しているユーザー>に限定していますので、誹謗中層・罵詈雑言の、悪しきコメントは、最初からカットされています。

この1年間、無料で、Blogger のブログを使わせていただいていますが、有料の Gooblog より快適かつ安全に、ブログを続けることができます。Blogger も有料に切り替えようと思っているのですが、適当な支払い方法がみつけることができないでいます。

<言論の自由>の大切さについて、いろいろ考えさせられる1年でした。

京都ののうけんにたねもみの注文・・・

今日、京都ののうけんにたねもみを注文・・・しようと思ったのですが、今日は祭日・・・。郵便局は休業日・・・。朝から、妻は玄関に日の丸の旗を掲げていました。

インターネットで検索しますと、11月23日について、こんな説明がありました。

<勤労感謝の日(Labor Thanksgiving Day)
勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう国民の祝日。1948(昭和23)年公布・施行の「祝日法」で制定。戦前の「新嘗祭」の日をそのまま「勤労感謝の日」に改めた>。

11月23日は、筆者と妻の婚約記念日・・・。

来年は、妻の故郷・湖南に帰郷・帰農して10回目の、標高550mの湖南高原の、妻の実家の棚田の田での、有機・無農薬栽培の米つくりになります。来年も、これまでと同じ、コシヒカリ、はえぬき、ひめのもちを栽培することにして、たねもみを、京都ののうけんに注文することにしました。

<誰も読みに来ない日記をなぜ書き続けるのか・・・?>

これまで、なんどか、筆者のブログの読者の方々から、<誰も読みに来ない日記をなぜ書き続けるのか・・・?>とクレームをいただきましたが、筆者のブログの題名は、<~日記>・・・。

ひとはなにのために日記を書き続けるのか・・・? 無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者にとって、<~日記>と名の付く愛読書は、スイスの哲学者アミエルの日記、『アミエルの日記』だけ・・・。岩波文庫8冊分の『アミエルの日記』は、もうボロボロ・・・。しかし、補修しながら蔵書に加えています。

筆者、大学進学を断念したあと、独学をはじめましたが、『アミエルの日記』を原文で読むために、第二外国語としてフランス語の勉強をはじめました。しかし、必要な教材を入手できないこともあって、<フランス語を独学するのは難しい>と思って、フランス語を学習するのを断念しました。

しかし、今回、スペイン語、イタリア語についでフランス語の独学用の教材を入手でき、フランス語文法の本をひもといてみましたが、とてもなつかしく感じました。『仏和中辞典』・『ポケット仏和・和仏辞典』・『絵で見るフランス語1』・『入門 フランス語文法』・『基礎フランス語文法』を使ってフランス語を独学できそうです。フランス語で、書いたり、読んだり、話したりできなくても、文法の基礎を学んで、ソシュールやコセリウの言語学のテキストを精読できるゆになればいいので、語学の学習の目的の水準が昔とすっかり違ってきましたので、フランス語の学習に、親しみと楽しさを覚えるようになりました。

高校生のときに出会った
『アミエルの日記』・
・・。その日記の影響なのでしょうね、誰も読みに来なくなっても、ブログ上で筆者の日記を書き続けているのは・・・。

『日本語で引く英語類語辞典』(正・続)を注文・・・

これまで、英語類語辞典として、インターネット経由で安価な古書として、『スコットフォースマン英語類語辞典』と『小学館 オックスフォード英語類語辞典』を注文・入手してきましたが、前者も後者も使い方がわかりましたので、さらに、『日本語で引く英語類語辞典』と『続 日本語で引く英語類語辞典』を注文しました。

『スコットフォースマン英語類語辞典』と『小学館 オックスフォード英語類語辞典』が英和類語辞典なら、『日本語で引く英語類語辞典』と『続 日本語で引く英語類語辞典』は和英類語辞典・・・。

今は、典型的なアナログ世代に属する、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者にとっては、夢のような世界です。

妻の故郷・湖南の赤津村は、国道294号線が走っていますが、休日・祭日には観光のための、オートバイによるツーリングをする、筆者と同世代の群れをみかけます。オートバイにのって風を切って颯爽と走るのは、さぞ快適であろうと、いつも無事を祈って見送るのですが、筆者にとって、今、同じように風にのって颯爽と走ることができる世界は、English Writing の世界・・・。小説家・丸山健二さんもオートバイのライダーでした。いまも、自然と文学の2つの世界を風を切って走っておられることでしょう。

『部落学』の英語版を執筆することをはじめて予告したのは、『田舎牧師の日記』2008/09/26の記事・・・

『部落学』の英語版を執筆することをはじめて予告したのは、『田舎牧師の日記』2008/09/26の記事・・・

それから、14年の歳月が流れてしまいましたが、その当時は、まだ、英語で論文を書くのは、筆者の単なる願望、期待でした。

そのころ、筆者が、English Writing 執筆のために集めたのは、山田弘先生の『中学英語で~』シリーズの本・・・。その著者の山田弘先生は、予備校の代々木ゼミナールの講師をされていた方だそうで、山田弘先生からはげましのお手紙をいただきましたが、筆者の英語力で『部落学』を執筆する自信はほとんどなく、そのご指導を受ける機会を失してしまいました。

筆者が入手して読んだのは、『中学英語「日本」でが紹介できる』、『中学英語で「日本人の心」が紹介できる』、『中学英語で日本の歴史が紹介できる』、『中学英語で日本の伝統文化が紹介できる』の4冊・・・。それから、12年後、やっと本格的に、English Writing で『部落学(Research on Buraku Discrimination in Japan)』を執筆できる気力を養い、執筆環境を整えることができました。12年前と比べますと、執筆に必要な文献もしっかり整い、英語で論文を書くのは、単なる願望や夢ではなくなりました。

インターネット上でブログ『部落学序説』をかきはじめて、いろいろな方々のご指導を受けました。京都大学大学院を出られた日本文化史研究者の方、大阪の日雇い労働者について研究をされていたそうですが、筆者が山口の被差別部落に入って聞き取り調査をするときの心構え、被差別部落の人々に対する接し方、その調査方法、研究方法などについていろいろアドバイスをしていただきました。そして、山口の地を離れるときは、雑誌『部落』のバックナンバーと、山口県下松市の教育長が保管していた同和教育・同和行政、運動団体との交渉に関する公文書を参考に提供してくださいました。

筆者のブログ『部落学序説』に対して誹謗中傷・罵詈雑言を投げかけてくる読者について、精神分析した結果を教えてくださる某国立大学の講師の方もおられました。

無学歴・無資格(Academic Outsider)である筆者が、English Writing で『部落学(Research on Buraku Discrimination in Japan)』を執筆できるようになるためには、いろいろな方々の協力がありました。彼らによるアドバイスを無にしないためにも、English Writing で『部落学(Research on Buraku Discrimination in Japan)』を執筆する筆者のプロジェクトは、失敗の許されないプロジェクトです。

今日は一日冷たい雨が降る・・・

今日は一日、冷たい雨が降っていました。

雨が降っているということは、雪が降っていないということであり、まだまだ冬支度の準備をすることができるということを意味します。今度晴れたら、妻の実家の棚田の田の上段の田畑転換した畑に仮駐車しているKUBOTAの超小型乗用トラクターB6001をもって帰り、農機具の小屋に格納します。それで、農機具の冬支度はほぼ終わりです。あとは、2インチの給水ポンプで、温水田に水をくみ上げたあと、給水ポンプをもって帰れば、すべての農機具を、農機具の小屋に保管したことになります。

午後、気分転換に、Barth著『Church Dogmatics』を読んでいましたが、English Writing で『部落学(Research on Buraku Discrimination in Japan)』を執筆するための各種英語辞典を集めましたが、それを使うと、これまで以上に『Church Dogmatics』が読みやすくなりました。これまでは、『Church Dogmatics』を読んでいるとき、知らない単語が出てきた場合は、文脈から推測して意訳するか、同じページに類語がないかどうかチェックをしてあれば知っている類語から推測して意訳していましたが、これからは、使いやすい辞書を使って正確に訳すことにしました。

そとは冷たい雨が降っていますが、筆者のこころのなかは、あつく燃えています。

引きこもることのない生き方・・・

筆者、高校生のときに、哲学書を読み漁っていましたが、実存主義哲学についても、ヤスパース、ハイデガー、サルトル・・・などなど。

しかし、高校生の筆者のあたまで理解可能であったのは、ヤスパースだけ・・・。ハイデガーもサルトルも、それ以降、ほとんど読んだことはありません。どこがどう違うのか、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいて、なにとなく、その違いがわかるようになりました。ヤスパースの実存主義哲学とハイデガーの実存主義哲学の背景にある、ヤスパースとハイデガーの生き方が違いがあると思いました。

ハイデガーによると、<人間存在>は、公教育で強制された<空話>に押しつぶされ、日常生活は、その<空話>の中で、過去・現在・未来を考えることが許されているにすぎず、<平凡な日常生活が持つ「無限の陳腐さ」から抜け出すには、そこから身を引いて・・・哲学者が政治的領域に対置させてきた孤独のうちへ引きこもる以外にはない>と説いたそうでうが、ハイデガーのとく<人間存在>は、同じ実存主義哲学者のヤスパースにとっては、決して容認することができない教説であったようです。<あらゆる真実を無意味な通俗性のなかにおとしめる>可能性のある教説に・・・。

反ユダヤ主義、人種差別主義を許容したまま、哲学の世界に引きこもっていたとしたら、筆者、ハイデガーの著作を読みなおす必要なし・・・。筆者が、English Writing で『部落学(Research on Buraku Discrimination in Japan)』を執筆しようとするのは、ハイデガーではなく、ヤスパースを哲学の師とあおぐため、いかなる意味あいにおいても、<引きこもる>ことはしない・・・。

福島で、元同和教育担当教師の方と話をするのは・・・

妻のふるさと・福島で、元同和教育担当教師の小学校教師や中学校教師と、同和問題・同和教育問題について話しをするのは、とてもしんどい・・・。

最初から最後まで、差別発言に終始するから・・・。本人は、自信と誇りをもって、同和教育に関与してきたので、部落差別から自由になっていると主張しますが、筆者の視点・視角・視座からみますと、典型的な差別的体質をもった教師・・・。当然、部落差別だけでなく、学力差別、学歴差別、性差別、職業差別、民族差別・・・、話をすればするほど、その差別的体質が目にとまり、会話を続けることが困難になります。

なぜ、こんな状態に陥っているのか・・・? かっての同和教育、解放教育が、根本的なところで大きく間違っていたのではないかと、推察されます。同和教育、解放教育にかかわっていると自負しながら、実は、部落差別の拡大再生産の手を貸していた、同和教育担当教師が、日本全国浦々に暗躍していたように思われます。

湖南にあった会津製鉄所について・・・

学歴・資格がある、湖南のプロの農家と話をするのは、とても疲れます。無学歴・無資格の筆者には・・・。

農家わからねえことがあるなら、本ではなく、おらに聞け! 湖南のことなら、なんでも教えてやっから!
筆者:湖南にあった会津製鉄所について調べているんですが、会津製鉄所があった場所と、その製鉄方法、製造した鉄の運搬方法、それを担当した鉄の問屋、その関連史資料、古文書を持っている末裔の方を教えてください。
農家:会津製鉄所・・・? ここらには、そんなもんはねえ! おらあ、湖南で生まれ、湖南で育ってきたが、そんなこと一度も聞いたことがねえ! 誰だ? よそもんのおめえらに、そんなねもはもないことを教えたのは?

<バカ>と<蔵書数>の比例関係・・・

<バカ>と<蔵書数>の間に、何らかの比例関係があるのでしょうか・・・?

農家:おめえ、何冊、農書もってんだ?
筆者:約300冊・・・。
農家:おめえ、バカでねえのけ? 300冊農書読まねえと、コメと野菜をつくれねえのけ? おらあ、本なんか1冊も読まなくても、なんでもつくれる!

農家:おめえ、湖南の歴史に関する本をたくさん、もってんだって? 何冊もってんだ?
筆者:40~50冊・・・。
農家:まさか、『湖南の史跡と文化財』、もってるというんじゃあるめえな?
筆者:持ってますよ。
農家:ここらのもんでねえもんが、ここらの本、持ってるわけ、ねえべえ? おらさえ持ってねんだぞ。どこからか盗ってきたんけ?
筆者:湖南に戻る前に、インターネット経由で、郡山の古書店から購入しましたが・・・。
農家:わからねえことがあるなら、本ではなく、おらに聞け! 湖南のことなら、なんでも教えてやっから。

妻のふるさと・湖南では、<バカ>と<蔵書数>は正比例の関係にあるようです。<あたまのいい、ここらの農家は、本を読まなくても農業できるが、ここらのもんでねえ、よそもんは、本をたくさん読まねえと、ここらではコメひとつ、野菜ひとつつくれねえ、大馬鹿だ!>とのうわさが、湖南の農家をかけめぐり、以来、10年間、筆者と妻は、湖南でバカ農家に徹し、有機・無農薬栽培でコシヒカリ・はえぬき・ひめのもち、トマト・ソラマメ・備中レンコン・スイカ・マスクメロンを作り続けています。

しかし、湖南のこの現象は、湖南固有のものではなく、日本全国津々浦々に浸透しているようです。

英・独・仏・伊・西語を学ぶと頭の中をすがすがしい風が吹き抜けていく・・・

無学歴・無資格(Acadrmic Outsider)の筆者、English Writing で、『部落学』Research on Buraku Discrimination in Japanを執筆することを思い立ってから、その環境つくりをしてきましたが、ほぼ完了・・・。

論文を書くための史資料は十分そろっていますので、あとは、English Writing の作法に従って、史資料を読破、分析、批判を展開し、『部落学』Research on Buraku Discrimination in Japanを執筆するのみです。


そのついでに英・独・仏・伊・西の5か国語の独習用のテキストを集めましたが、まもなく75歳になり、後期高齢期に入る筆者、外国語を学ぶ楽しさを味わっています。5か国語の他に聖書語学であるラテン語・ギリシャ語・ヘブライ語の3か国語を加えますと、8か国語を学びなおす環境ができたことになります。外国語を学んでいますと、筆者の頭の中をすがすがしい風が吹きぬけていきます。これで、ソシュールやコセリウなどの言語学のテキストを精読することができそうです。

『英訳聖書』(NSRV)の『Wisdom of Solomon』に読み惚れる・・・

今朝5:30に起床、いつもの健康管理をしたあと、『英訳聖書』(NSRV)の通読・・・。今は、『Wisdom of Solomon』を読んでいますが、<モーセ5書>のモーセの言葉使いと極めて類似しているため、筆者にとっては学ぶところが多い<旧約外典>です。

筆者が<旧約外典>を読んだのは、高校を卒業した年のことですが、『Wisdom of Solomon』や『Sirach』からそれなりの影響を受けてきました。筆者の聖書主義・敬虔主義・合理主義・相対主義的なものの見方、考え方の揺籃のひとつになった書物です。

<Understanding>の大切さ・・・。読んで、理解して、考える、それは聖書の語る信仰にとってかけがえのない大切な要素です。読んで、理解して、考えることがない信仰は、信仰とはいえません。<unrighteous>な人は、<understanding>しようとしないだけでなく、<understanding>することができない。<The memory of them will perish.>

『Wisdom of Solomon』、聖書の神を信ずる信仰者の老後のありかたを教えてくれます。

2022/11/22

English Writing に関する本は、3種類に分類できる・・・

筆者が、インターネット経由で入手した、数十冊の English Writing に関する本は、3種類に分類できます。

1.英語論文を書くための論文構成法に関するもの
2.英語論文を書くときの書式・作法に関するもの
3.英語論文を書くときの用語・用例・文例集

今日、Arendt著『 The Origins of Totalitarianism 』が届きました。Arendtは、ドイツ語と英語の両方で論文を執筆しています。Arendt にとって、英語は第二外国語・・・? Arendt著『 The Origins of Totalitarianism 』は、読みやすい英文です。

筆者が持っている英書は、大半が神学署・・・。神学署以外の英書は、数えたことはありませんが、数十冊程度・・・。 無学歴・無資格(Academic Outsider)の著者にとっては、English Writing のための参考資料としては十分・・・。

L字型の道を突進してきた娘さんの自転車にあわや衝突しかかる・・・

 郡山駅の近くのヨドバシカメラに行ったとき、その駐車場にくるまをとめるためにL字型の道を右折しようとしたとき、娘さんが道のまんなかを自転車猛スピードで曲がってきました。妻が、<危ない!>と大きな声をだすのと同時に、筆者、ブレーキを踏もうとしたのですが、踏み込む前に、くるまの底からドスンという音がして、くるまが止まってしまいました。

妻が、<あなた、なにをしたの?>と筆者に問いかけてきましたが、筆者、<何が起きたのか・・・。ブレーキを踏み込む前にくるまがとまった・・・。もしかしたら、これ、前方から走って近寄ってくる自転車をセンサーが検知して、くるまが自分で止めたのかもしれない・・・。高齢者向けの安全装置のひとつみたいだから・・・。ひとでも、自転車でも、くるまでも、前方から突進してきたり、くるまが近づいたりすると、安全装置が働いて自動でくるまが止まるのかもしれない・・・。>と推測をまじえて答えました。

自転車暴走族をする娘さん、妻は、<高校生なのかしら・・・>と話していましたが、人間音痴の筆者、娘さんであることはわかりましたが、どんなひとなのか、観察するゆとりはありませんでした。高齢者の運転するくるまは、サポカー限定にしたほうが、悲惨な事故を起こさなくてすみそうです。

今日は、郡山の歯科へ・・・

今日は、郡山の歯科へでかけました。

歯科で治療を受けたあと、郡山駅前のヨドバシカメラまで足をのばして、まごの向学ちゃんのクリスマス・プレゼントを購入しました。そのおもちゃ売り場を見て、筆者と妻、あ然としていました。妻は、<わたしたち、もう今の世界について行っていないわね・・・。昔のこどものおもちゃと今のこどものおもちゃ、全然ちがうのね・・・>と、ため息をついていました。

昨夜、娘にどんなクリスマスプレゼントがいいのか聞いて、インターネットで検索、それで、筆者と妻とで品定めをして購入を決定・・・。インターネットで在庫のある店を検索したら、郡山駅前のヨドバシカメラに数点在庫しているとありましたので、今日、郡山の歯科に行ったついでに立ち寄りました。まだ在庫があってよかった・・・。まっかなクリスマスプレゼント用の袋に入れてもらいました。

ちかいうちに、娘夫婦のすむ郡山のアパートに行って手渡しますが、手渡すのは、まごの向学ちゃんではなく、娘夫婦に・・・。それぞれの家庭には、それぞれの教育方針がありますので、それを尊重して・・・。

そのあと、スーパーで食料品を買って家に戻ってきました。午前8:30に家を出て、帰ってきたのが午後2:00でした。

昨夜、寝室のパソコンを Windows 11-22H2 にバージョンアップ・・・

昨夜、寝室のパソコンを Windows 11-22H2 にバージョンアップしました。ダウンロードをはじめてからインストールが完了するまで約5時間かかりました。

今朝6:00に起床してすぐ確認したところ、Windows 11-22H2 は順調に稼働・・・。インターネットにも、Windows Server 2012R2 にもスムースにつながり、Windows 11-22H2 へのバージョンアップにともなうトラブルはありませんでした。

筆者のクライアントサーバーシステムは、ハード・ソフト共に<時代遅れ>の代物になりそうですが、かろうじて、最低ラインのところで踏みとどまっているのが、寝室のディスクトップパソコンの Windows11 のみ・・・。

ということで、まもなく75歳になり後期高齢期に入る筆者のパソコンライフに大きな影響はなさそうです。サーバーのバージョンアップを断念したことで、必要最低限のパソコン環境を最低の費用で確保することができそうです。    English Writing で、『部落学』Research on Buraku Discrimination in Japan執筆、自分で翻訳本を出すために、MSWord と Googole翻訳をはじめとする Google APPS が使えれば十分・・・!


2022/11/21

クライアント・サーバーシステムをネットから切り離す・・・

夜、クライアント・サーバーシステムをネットから切り離す実験・・・。

単なるLANシステムになってしまいますが、Microsoft Office 2013 のすべてのソフト、Visual Studio 2010 のすべての言語を使用を使用できます。Windows Server 2012R2とWindows8.1Proのノートパソコン×2台・・・。1台は、WindowsXp に戻し、『内科診断学 第2版』に付録のCD-ROMをインストールして、その専用機にします。

寝室の Windows 11 ディスクトップパソコンは、インターネットに直接接続します。カードは2枚差しなので、必要なら、Windows Server 2012R2のファイルサーバーに接続できます。問題は、書斎のパソコンですが、あらたに、Windows 11 のノートパソコンを購入することになります。

これで、筆者が取得しているドメインは、使用できなくなります。

後期高齢期と共にやってきた Client Server System とのお別れの日・・・

筆者、まもなく75歳になり後期高齢期に入ります。後期高齢期を前に、<Google翻訳>機能と、English Writing のための 辞書・事典・文例集・論文執筆法に関する文献とで、『部落学』Research on Buraku Discrimination in Japanを執筆する環境を手にすることができましたが、同時に、失うものもあります。それは、Windows Server でこれまで構築してきた Client Server System 、ハード・ソフトともに時代遅れになり継続使用が不可能になり、長年愛用してきたClient Server System とお別れしなければならないからです。

年金暮らし&百姓暮らしの筆者、書斎の Client パソコン1台と Windows Server 1台を更新するために費用を使いますと、高齢化がすすむにつれて、あとあと、<あのとき、パソコンを更新しなければよかったのに・・・>と後悔する可能性なきにしもあらずですから・・・。

Windows11 と Google APPS があれば、筆者の老後のデジタル世界は十分です。





小さな農機具の小屋に整然と並ぶ農機具・・・

湖南の農家の中で一番小さな農家と言われる、妻の実家の農機具の小屋も、湖南の農家の中で一番ちいさい・・・。その中に、有機・無農薬栽培でたねもみの播種から刈入・脱穀・籾摺りまで使用することになる農機具を、Last In First Out(LIFO)形式で格納しなければなりません。来年春になると使うことになる順番と逆順で、農機具の小屋に格納すると、来年、簡単に必要な農機を取り出すことができます。

小型乗用田植え機・バインダー・籾摺り機・管理機・万能脱穀機・ハーベスタ・小型乗用トラクター・・・、整然と並べますと、壮観ですが、空いたところには、給水ポンプを載せたミニクローラと冬用野菜を貯蔵しますので、足の踏み場もない状態になります。

今のところ、順調に、百姓暮らしの冬支度がすすんでいます。

午後2:00~3:30、管理機・バインダー・ハーベスタを農機具の小屋に格納・・・

午後2:00~3:30、妻とふたりで、管理機・バインダー・ハーベスタを、妻の実家の棚の田からもってかえり、管理機と・バインダーは、1インチの給水ポンプで農業用水路から水をくみ上げ土を洗い落としたあと農機具の小屋に格納、ハーベスタはブロアでわらや脱穀クズを吹き飛ばしたあと農機具の小屋に格納しました。

日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農して、筆者と妻は、標高550mの湖南高原の棚田と段々畑で有機・無農薬でコメと野菜を栽培してきましたが、まったく素人百姓の筆者と妻、播種から収穫まで省<力>化するために小型農業機械を入手して、10年、使ってきましたが、こどものころから機械音痴の筆者、修理しようとしてさらに壊すのが常・・・。

今日、管理機のスターター用のロープが切れました。心配顔になった妻の目の前で、修理・・・。数分で応急措置をして、スターター用ロープを引っ張るとすぐエンジンがかかりました。最近、KUBOTAの湖南営業所の担当者の方が定年退職されて、今は若い担当者に代わっていますが、同じKUBOTAの農業用機械でも、筆者と妻が使っている機械は、湖南の赤津村のプロの農家から、<化石時代の代物>と揶揄される機種なので、修理しずらいようで、結局、この1年、筆者、自分で修理することになりました。なんとか1年、使いこなしてきたのですが、これからさき、どうなることやら・・・。

コセリウ著『一般言語学入門』を読むために・・・

今日、フランス語の学習用教材がそろいました。

1.『仏和中辞典』
2.『ポケット仏和・和仏辞典』
3.『絵で見るフランス語1』
4.『入門 フランス語文法』
5.『基礎フランス語文法』   

コセリウ著『一般言語学入門』にこのような文章がありました。

<ロマンス語域(ロマニア)の周辺地域にあるスペインとルーマニアにおいては、「美しい」という概念はラテン語 formosus を継承する形式で表現されるのに反し、同じ言語域の中心地域であるフランス(ガリア)とイタリアにおいてはラテン語(俗語ラテン語)bellus の継承形式が用いられる。同様に、スペイン語とルーマニア語は「より多い」を表わすのにラテン語 magis から来ている語を用いるが、フランス語とイタリア語はラテン語(俗ラテン語)plus から来ている語を用いる。このことから、ラテン語 formosus と magis はそれぞれの機能において bellus と plus よりも古いという結論が得られる>。

コセリウ著『一般言語学入門』を読んで理解するには、スペイン語・イタリア語・フランス語のそれぞれの入門書・文法書・辞書が必要と判断して、インターネット経由で、5冊×3言語の教材を注文しました。コセリウ著『一般言語学入門』などの本を前にすると、筆者、こういう文章がすらすらなんの抵抗もなく読める高学歴・高資格の日本の学者・研究者・教育者と、無学歴・無資格、学問とは無縁の、より接近しても Academic Outsider でしかない筆者との間に、超えることができない大きな溝・淵があることを認めざるを得なくなります。

<無学歴・無資格>を標榜する筆者、Inferiority Complex や Superiority Complex とは無縁の、高学歴・高資格者に対して敬意の念を抱きます。彼らに対して Inferiority Complex を抱くなど、100%ありません。

ともかく、言語学・論理学・解釈学・哲学の世界に身を置いて、English Wriiting 『部落学(Research on Buraku Discrimination in Japan)』を執筆する知的環境・知的ツールを入手することができました。人生の晩年は、荒探しにちまたのごみ箱を漁るような生き方ではなく、秀峰を見上げて理想に生きる生き方に徹したいと思います。

2021年産有機・無農薬米は、食べれるだけ食べてあとは土に戻すことに・・・

今日、農機具の小屋の片づけをしました。

今年は、雨の日が多く、玄米保冷庫にたくさん入れても効果がなく、袋にかびが発生しました。それで、妻は、玄米保冷庫の外に出している30kg入り×10袋のうち、5袋は寒すずめたちの餌にやって、残りの5袋は、筆者と妻とで6月の梅雨入りまで食べて、たべきれなかった分は、棚田の田の土に戻すことにしました。

今日、妻の実家の棚田の田の育苗用ハウスの仮保管しているバインダーと管理機、ハーベスタを持って帰り、農機具の小屋に格納することにしました。山の木々はほとんど落葉していますので、冬支度を急がなければ・・・。今日は、月曜日とあって、観光客のくるまがほとんど走っていないので、ハーベスタも農機具の小屋に格納することができます。


インターネット経由で注文していた未着の本は8冊・・・

最近、流通が悪くなっているのでしょうか・・・。

インターネット経由で注文していた未着の本は8冊・・・。英語辞典×1、英書×2、仏語辞典×2、フランス語入門書×1、フランス語文法×2・・・。とりわけ、急ぐ本ではないので、少々おくれても問題はないのですが、最後の本、英書の1冊は、年内までには届くでしょう。外国の古書店からの取り寄せになりますので・・・。それにしても、日本の古書店からの配送の遅延については、すこしく気になります。

『部落学(Research on Buraku Discrimination in Japan)』を English Wriiting として執筆するための環境つくりと、ソシュール、コセリウの言語学のテキストを読むための環境つくりは、完了・・・。あとは、English Wriiting に精通して、<部落学>関連の史資料を精査して、英語で論文を執筆するのみ・・・。筆者が想定する読者は、無学歴・無資格(Academic Outsider)の論述に興味を持ってくださる英語圏の人々・・・。法務省通達で、部落問題について言論統制がしかれ、発言の自由が封じられている日本で、筆者があらたに執筆する、部落解放のための提言は、だれの耳にも届くことはないでしょうから・・・。

今朝の『隠退牧師の百姓日記』のアクセス者は3人・・・

今朝の『隠退牧師の百姓日記』のアクセス者は、3人・・・。

全世界の膨大なブログの中で、日本語で綴っている『隠退牧師の百姓日記』は、すっかり埋もれて、他の人の関心を引くようなものではなくなっているようです。

過去30日間の外国からのアクセス者数は、アメリカ合衆国74、カナダ7、ロシア6、リトアニア3、ドイツ1、フランス1、イギリス1、セーシェル1、スウェーデン1の94人・・・。外国からのアクセスは、平均しますと、1日3人・・・。

ということは、筆者のブログ『隠退牧師の百姓日記』の日本人読者は、0・・・。無学歴・無資格(Academic Outsider)による、English writing 『部落学(Research on Buraku Discrimination in Japan』の執筆に拍車がかかります。

朝6:00に起床して、いつもの健康管理・・・

今朝、6:00に起床・・・。そして、いつもの健康管理・・・。今日は、2017年~2021年の5年間と、今年2022年の1週間の最高血圧・最低血圧・脈圧差・平均血圧の変動を確認しました。

平均血圧が、徐々に上昇していっているようです。平均血圧が90を超えると、細い血管の動脈硬化がすすんでいるしるしと診られるようですが、まもなく後期高齢期の75歳になる筆者も、動脈硬化を避けることができないようです。毛細血管や抹消神経の異常には、細心注意をした方がよさそうです。

健康管理をしたあと、『英訳聖書』(NSRV)の『ソロモンの知恵』を読んでいました。それを読みながら、昨夜読んでいたヤスパース著『真理について』(全5冊)の言葉を思い出していました。昨夜読んだ、バルト著『Church Dogmatics』の言葉も・・・。偶然、そこに書かれている内容は、同じ主題に関するものでした。聖書と実存哲学と教会教義学・・・、三つの流れが、無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者には合流してひとつとなっているようです。アーレントがいうように、<生活と仕事>をしながら<思惟>を続ける筆者、ちいさなろうそくの灯で、筆者自身のあしもとを照らすのみであっても、ともし続けることが大切であるようです。


2022/11/20

読み方ひとつで世界ががらりと変わってしまう・・・

『佐竹昭広集』(全5巻)の著者・佐竹昭広は、国文学者であると同時に言語学者・・・。

<古典の内部世界というものが、自分の読み方ひとつでがらりと変わってしまう。おそろしい世界であることを体験的に教えてくれた事例であった。読み方ひとつで世界ががらりと変わってしまうのは、もちろん漢字の訓読だけではない。・・・表音文字の羅列も、読み方次第で、別の言葉、別の意味に一変することがある>(『萬葉集抜書』)。

因果・愛・意識・自由・・・などの<明治期の漢語>と同じく、近世以前に中国で使われていた<部落>という概念に<新しく西欧的な意味が持ち込まれた>結果、<部落>という漢語は、日本の法律用語・行政用語に変身させられてしまった。しかし、左翼思想の学者・研究者・教育者たちは、その<部落>という概念の近代性をはぎとって、<部落>に東洋的な古き時代の差別的な意味を持ち込んで、<いわば力ずくで押しつけられた外発的な意味「付与」>を行った・・・。

<時代とともに移り変わってきた>、この<部落>概念は、<その言葉との関係において生きてきた人間の「こころ」の歴史が刻み込まれている。日本人の言葉の「こころ」の歴史を、日本人の「こころ」の歴史として問いかけてゆくこと、われわれはまだ十分にこれを果たしていない>。

<部落>という言葉も、<読み方ひとつでがらりと変わってしまう>・・・! 

Alfred Adler 著『MenschenKenntnis』の本・・・

今日の午後、Alfred Adler 著『MenschenKenntnis』のページをめくっていました。

Alfred Adler の父母はユダヤ人であり、彼の妻もユダヤ人で、オーストリアの精神医学者であり心理学者・・・。

筆者、同じオーストリアの精神医学者であり心理学者である Sigmund Freud の世界には入っていくことはできませんが、Alfred Adler の世界は、なにとなく理解できそうです。<すべての(差別)現象の根底に横たわっているのは、われわれの文化の誤りである。われわれの文化に一度偏見が浸透すると、それは至るところに入り込み、あらゆるところで見られるようになる・・・>。

無学歴・無資格(Acadeic Outsider)の筆者、3,600冊のほとんどの蔵書は、どこかでつながっています。Aという本に紹介されているB・Cという本を読み、Bに紹介されているD・Eという本を、Cに紹介されているF・Gという本を読み、さらに、D・E・F・Gに紹介されているH・I・J・K・L・M・N・Oという本を読む・・・、そのような形で自然に増えて行った本がほとんどです。そのため、筆者の蔵書3,600冊は、全体としてひとつのデータベースとして構築されています。

そのため、筆者の読む本はある志向性を帯びてきます。その志向性になじまない分野のほとんどの本はまったく読んでいない場合も少なくありません。それをカバーするために集めたのが、心理学分野でいえば、平凡社『新版・心理学事典』、『誠信心理学辞典』、弘文堂『精神医学事典』・・・。

自覚的に無学歴・無資格(Academic Outsider)を生きるのは、それほど簡単なことではありませんね。


午前中、猪苗代へ買い物にでかける・・・

午前中、猪苗代へ買い物にでかけました。

昨日、猪苗代のホームセンター・こめりから、注文していた玄米保管庫用の除湿シートが届いたとの電話連絡がありましたので、それを引き取りに行ったついでに、食料品を購入して帰ってきました。午前10:30にでかけて、かえってきたのが午後2:00・・・。

今日は、なぜか、広大な猪苗代の田でたむろしているコハクチョウの姿はありませんでした。極少数の群れが、田で食事をしていたくらい・・・。残念に思っている妻の目の前を、悠然と、真っ白なコハクチョウ2羽が過っていきました。スローモーションの映像をみるかのようにゆっくりと・・・。とてもきれないコハクチョウの姿でした。

今日は、休日とあって、県外ナンバーのくるまが多く、追い越し禁止で、制限速度を守って走っている筆者のくるまを、車間距離くるま1台分のところにぴったりつけて、追いかけてくるくるまも・・・。追突されてもおもしろくないので、スピードを落として煽り運転をするくるまを先に行かせましたが、そのくるま、さらに前のくるまのうしろにぴったりつけて、追い越し禁止のラインをしばしば超えて煽り運転をしていました。煽り運転をするのが癖にでもなっているのでしょうか、煽り運転をしているという自覚もなく・・・。煽り運転されている前のくるま、普通車といっても大型車(ランドクルーザー?)、煽り運転してくるくるまを無視、マイペースで運転を続けていました。

無学歴・無資格の社会的意味・・・?

吉川徹著『学歴分断社会』・・・

現在の日本の社会に浸潤している格差現象・・・。著者の吉川徹氏は、幽霊の正体見たり枯れ尾花・・・という言葉ではありませんが、格差社会の格差現象の<正体>は<学歴分断線>であるといいます。

<学歴分断線>とは、<高学歴>層とそうでない<無学歴>層を二分するための指標のことです。<高学歴>層の学者・研究者・教育者によって、<高学歴>層に属さない<無学歴>層の調査・研究が行われ、<高学歴>層の学者・研究者・教育者によって、<無学歴>層の負のイメージつくりがなされ、格差是正を説いているように見えながら、格差を容認するような見解が巷を覆っています。

<無学歴>層から<無学歴>層についての調査・研究があるのかといいますと、ほとんど存在していないという現実があります。まして、<無学歴>層から<高学歴>層への調査・研究、批判・検証が行われている雰囲気はありません。

つまり、<高学歴>層は、<無学歴>層に対して、一方的・強権的な批判を繰り返していっているという現実があります。それは、<高学歴>層の既得権益を守るためであり、<無学歴>(低学歴を含む)層を、恒久的に社会の底辺に押し込んで発言を封じ込んでいくためです。

筆者が、<無学歴・無資格>(Academic Outsider)を主張するのとは、かなり意味合いが違います。<高学歴>層の立場からみると、同質的存在なのでしょうが・・・。

学ぶこと多くて無学名は遠し・・・

学ぶこと多くて無学名は遠し・・・

昨日、このブログで、筆者が書いた5・7・5です。2005年、筆者がブログ『部落学序説』を公開で書き下ろし執筆をはじめたとき、さまざまな批判・批難、誹謗・中傷、罵詈・雑言が送られてきました。

部落解放同盟新南陽支部の部落史研究会の方々は、筆者に、それらひとつひとつの批難に誠実な対応を求めてきました。それで、筆者、筆者の『部落学序説』の内容に批判的な、同和教育担当の学校教師からの批判・批難にも誠実に対応してきました。しかし、あるとき、インターネット上におけるやりとりは、ほとんど不毛の世界であり、学校教師たちの置かれたストレス社会から受けるストレスの憂さ晴らしとして、無責任な言葉を羅列しているに過ぎない、耳を傾けるに値しないと思うようになりました。それ以来、筆者は、インターネットで筆者の文章を公開するものの、他者の文章にコメントすることはなくなりました。非生産的なやりとりは、なにも生み出しませんから・・・。

筆者に罵詈雑言をなげかける人のなかには、<吉田向学は、向学ではなく無学がふさわしい>とコメントしてくるひともいました。<向学>という名前は、筆者の先祖、信州栗田村の真言宗観聖寺の住職が修験僧を隠退したときの名前です。しかし、この名前、姓名判断では嫌われているようで、現代では、あまり<向学>という名の人はいません。筆者を<無学>だとラベリングしている学校教師の方の知的レベル・教養レベルを物語るひとことでした。<無学>は、仏教の高僧のことです。様々な仏典をひもといて、それに精通し、もはやあたらしいことを学ぶ必要が無いといわれた高僧の名前です。

まもなく75歳になり後期高齢期に入る筆者、3,600冊の蔵書を前に、English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆しようと準備をしていますが、学びなおす、調べなおす、検証しなおすことが多くて、登山でいえば、4合目から5合目を目指している段階、<無学>の境地から、はるかに隔たった山麓に居ます。無学歴・無資格(Acadeic Outsider)の筆者、<学ぶこと多くて>、真言宗観聖寺の住職の末裔とはいえ、仏教の高僧<無学>の<名>前が語るその宗教的境地には、はるかに<遠し>と自己認識しての、無学歴・無資格の筆者の思いをつづったものです。

学ぶこと多くて無学名は遠し

無学歴の独学が作り出す Generalist 的精神世界・・・

筆者は、無学歴・無資格(Academic Outsider)・・・。

といっても、小中高12年間公教育を受けているので、Google翻訳によって逐語訳されるような <Uneducated>ではない。しかも、Seminary で4年間、大学の神学部に準じたカリキュラムに沿って教育を受けているので、生徒・学生として教育を受けた期間は、16年に及びます。

しかし、それなのに、なぜ、筆者が、無学歴・無資格を標榜するのか、それは、筆者に対する、日本の社会、日本の教会からの評価を、筆者のこどものころからの反骨精神で反語法的に使用しているからです。

鳥飼玖美子氏は、その『異文化を超える英語 日本人はなぜ話せないか』のなかで、このように綴っておられます。

<日本の教育が、家庭でも学校でも「あなたはそういうけれど、私の考えは違う」「みんなはこう言うけれど、わたしはそうは思わない」とたとえ一人であっても自由に言える教育に変わらないと、発信型のコミュニケーションなど身につかない。英語教育だけをいじっても、大きな変化は望めない。

さらに、もう少し本質的なことを言えば、日本社会は基本的に異質なものを排除する社会である。仔細に見れば決して同質ばかりの社会ではないのだが、異質なグループがまことに少数であり微弱な存在であることから、全体としては「同質社会」「均質社会」である。少しでも全体の調和を乱すような異なった分子は、無意識に除外する。意識的に取り除いたり、強制しようとしたり、押さえこもうとすることもある。

その現れのひとつが、学校現場におけるいじめであり、学校拒否ではないか。

・・・外国語を学ぶ、ということは異なった文化を学ぶことであり、異質なものに寛容で開かれた心がなければ、とうていかなわないことなのだ。違ったものを日本社会に受け入れたくはない。でも国際人になりたい、英語も上手になりたい、というのは虫が良すぎる>。

筆者の、English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆しようとするこころみは、日本の社会、日本の教会から、<無学歴・無資格>とラベリングされて排除・疎外されてきた無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者の必然的な選択でしかない。

2022/11/19

『日本後記』を読み始める・・・

夜、気分転換に、『日本後記』を読み始める・・・。

『日本後記』は、792~833年に至る<40年余りの歴史>が記述されています。桓武・平城・嵯峨・淳和朝にいたる4代の歴史です。この時期に、それまで、日本の軍事・警察が混沌として一体化されていたのを、軍事と警察を明確に区分して、別組織として再編されます。

筆者は、日本の被差別部落の人々の先祖の歴史は、この時代にまでさかのぼると推察しています。しかし、そのための一級史料である『日本後記』をこれまで読んだことがありません。それで、筆者、インターネットの日本の古本屋経由で、日本の古代史・中世史に関する文献を集めてきました。といっても、無学歴・無資格(Academic Outsider)である筆者の蔵書は、質量共に評価するに値しないものですが、せめて、『日本後記』は、通読しようと、前々から思っていました。

『日本古代史事典』・『日本古代史研究事典』・『中世史ハンドブック』・『日本中世史研究事典』・『古代郷土史研究法』・『日本古文書学講座 古代編』・・・、いずれも、ブログ『部落学序説』執筆後に入手したものです。日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたときは、10数分くるまを走らせると、徳山市立中央図書館郷土資料室の蔵書を随時閲覧することができたのですが、妻の故郷・湖南に帰郷・帰農してからは、図書館は遠い存在になってしまいました。片道40~50分・・・、半日から1日がかりの図書館通いになってしまいますので、実際上、郡山市立図書館に赴くことはできません。それで、基礎的な文献は集めることにしたのですが、筆者の書斎にある古代史・天皇史関連の書籍は、100冊ほど・・・。

無学歴・無資格者(Academic Outsider )の独学も、楽ではないですね。肥後和男や金子武雄の研究法とその結果を読んでいますと、ほんものの <Academic>なひとがどういうひとなのか、筆者は、尊敬の念をもたざるを得ません。金子武雄の『延喜式祝詞講』をひもとくにつけ、そう思います。

夕方、 Ivan Illich の著作と関連文献の整理・・・

夕方、筆者の書斎にある、Ivan Illich の著作と関連文献を整理していました。Ivan Illichは、オーストリアの哲学者・・・。その母親は、ユダヤ人の家系・・・。第二次世界大戦中は、ユダヤ人迫害からのがれるために、身分証を偽造したという。化学・哲学・神学・歴史学を学んでカトリック教会の神父になったひと・・・。

筆者の蔵書の中に、筆者に影響を与え、今も与え続けている Jacques Ellul (「福音信仰に深く根ざした神学的思索を重ねつつ、既成のキリスト教や教会のあり方を常に厳しく批判し続けた」)がいますが、Ivan Illich はこの Jacques Ellul とも親交があり、 <エリュールの没後に開かれたあるシンポジウムで、イリイチはエリュールに対する賛辞を捧げ>たという。

Ivan Illich の<脱学校論(deschooling)>は、<イヴァン・イリイチの造語で、学校という制度の「教えられ、学ばされる」という関係から、「自ら学ぶ」という行為、すなわち学習者が内発的に動機づけられて独学する行動を取り戻すために、学校という制度的な教育機関を超越することである。つまり、教えてもらう制度、機構である学校から離れて、自分の学び、自分育てとしての学びすなわち独学を取り戻すことである。>だそうですが、脱学校論を説く Ivan Illich は、当然、学歴主義、学歴差別には批判的です。Ivan Illich において、<学歴は教えられたこと(すなわち過程)を示すものではあっても、学習したこと(すなわち実質)を示すものではない>。<自ら学ぶ>独学は、Ivan Illich にあっては、学校・学歴を超越するいとなみである・・・。その行くつく先は、無学歴(Academic Outsider)・・・。

Ivan Illich の思想・哲学は、日本の社会の中に根付くことはない・・・。日本の社会は、学歴主義、学歴差別がすべてのひとに通底している社会であるから・・・。Ivan Illich を論ずる人はいても、Ivan Illich の思想と哲学を生きる人はいない・・・。

『スコットフォーマン英語類語辞典』が届く・・・

棚田から戻ると、郵便受けに、スコットフォーマン英語類語辞典』が届いていました。

今日届いた『英語類語辞典』をひもといてみたのですが、筆者が調べたい語がほとんど収録されていませんでした。収録された語彙数が、圧倒的に少ないようです。

筆者、結局、一大決心をして、『小学館 オックスフォード英語類語辞典』を注文することにしました。English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するための<道具>として購入することにしたのですが、CASIOの電子辞書に収録されている『英語類語辞典』は、単語だけの例示ですので、<Google 翻訳>でその単語が組み込まれた文章を入力・翻訳して確認する必要があります。

無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)の執筆を思い立ったのが<吉日>、無学歴・無資格(Academic Outsider)ならではの、楽しい学習の日々がはじまっているようです。

無学歴なれば楽しき学びかな
独学も積み重なりて無学歴
年輪を額に刻んで無学歴

学ぶこと多くて無学名は遠し

午前10:00~午後2:30、雨除け栽培用トンネルの屋根のビニールと防獣ネットの撤去・・・

今日は、妻とふたりで、妻の実家の棚田の上段の田畑転換した畑に設置している雨除け栽培用トンネルやの屋根のビニールと防獣ネットを取りはずし、育苗用ハウスの奥の仮資材置き場に格納しました。

そして、仮資材置き場を古いブルーシートでかこみ、その上から、これも古い、しかし、穴が空いていない雨除け栽培用トンネルの屋根のビニールシートを被せ、抑えバンドを使って、風に吹き飛ばされないように固定しました。

今日も、棚田には、農家の姿はありませんでした。山の木々も落葉を急ぎ、紅葉がすくなくなりました。今日は、晴れて、あたたかく、風もやさしい風・・・。28m長さの屋根のビニールシートをはがすのが、とても楽でした。風にてつだってもらって、スムースに取り外して、ロール状にまきとることができました。突風が吹くと、28mのビニールシートが空高くまきあげられて、大変・・・。今日は、風の力をかりて、屋根のビニールシートを支柱から落としたときは、きれいに半分に折りたたまれていました。それをさらに半分に折りたたんで、ロール状にまきとりました。

作業を終えると、農園主の妻は、<あああ、疲れた・・・。あなた、今日の農作業はこれでおわりにしましょう。>と、筆者に語り掛けてきました。冬支度の作業内容とその順番は、農園主の妻が決めています。

アーレントの本、2冊注文・・・

今朝、6:00に起床、いつもの健康管理をしたあと、『英訳聖書』(NSRV)を読みました。今日から、旧約外典の「ソロモンの知恵」に入りました。最初の1章を読むのに1時間を費やしました。辞書なしで読める箇所ですが、ひとことひとこと、考えさせられることが多くて・・・。

そのあと、アーレント著『暗い時代の人々』とヤスパース著『真理について(全5冊)』をあらためて読み始めました。昨日に引き続けて、筆者、この3冊から大きな衝撃を受けました。

そして、今朝、ハンナ・アーレントの本を2冊注文しました。『 Men in Dark Times 』と『 The Origins of Totalitarianism 』・・・。どちらも邦訳を持って、よみはじめていますので、English Writing で、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)を執筆するときの参考資料として・・・。

ヤスパースもアーレントも、無学歴・無資格(Academic Outsider)を否定したり、彼らに誹謗中傷・罵詈雑言をなげかけたりしない、真理追求に誠実な哲学者・研究者・教育者・・・。日本の社会の中で、筆者が遭遇することがなかったひとたちです。

2022/11/18

アーレント著『暗い時代の人々』を読むことに・・・

『アーレント=ヤスパース往復書簡』(全3巻)を読み終えて、最後に受けた衝撃が今も続いています。

『アーレント=ヤスパース往復書簡』のあと、ヤスパース著『真理について』(全5冊)を読むつもりでしたが、気分転換に、アーレント著『暗い時代の人々』を読むことにしました。アーレントがこの本の中で取り上げているのは、10人・・・。

『アーレント=ヤスパース往復書簡』の人名索引をみますと、10人のうち9人に関する記述が出てきます。『アーレント=ヤスパース往復書簡』のアーレントの文脈の中で、この9人に対するアーレントの批判(非難ではありません)の視線と方法を読み取ることができるかもしれません。


筆者の電子辞書に組み込める外国語辞典・・・

筆者の電子辞書は、CASIOのXD-D7100・・・、この電子辞書に追加できる外国語は、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、ロシア語、中国語、韓国語のなかの2か国語・・・。

この外国語の中で、筆者がいま一番関心を持っている外国語はイタリア語・・・。イタリア語のオプションは、小学館の『伊和中辞典』と『和伊中辞典』で、価格は、7,678円・・・。小学館の『伊和中辞典』は、インターネット経由で古書価格100円・送料240円で、340円で入手したものです。『和伊中辞典』は、使う可能性がないので、『ポケット和伊・伊和辞典』にしました。

今は、誰でも簡単に外国語をマスターすることができる環境に置かれているんですね。典型的なアナログ時代に属する筆者、無学歴・無資格(Academic Outsider)だけに、外部からの刺激がすくなく、デジタル世界から完全に落ちこぼれれいるようです。

痛めつけられた精神は、人をして外国語を学ばせる・・・

<痛めつけられた精神は、人をして外国語を学ばせる・・・>

スイスの哲学者・アミエルの言葉です。痛めつけられた精神は、人をして、外国語だけでなく、外国の信仰や哲学を学ばせる・・・。

『仏和・和仏小辞典』が届く・・・

インターネット経由で注文していた、『仏和・和仏小辞典』が届きました。

『ロワイヤル・ポッシュ仏和・和仏小辞典』ですが、昨日届いた『ロワイヤル仏和中辞典』と違って、新本同然・・・! 『ロワイヤル仏和中辞典』は、文字通り使い古した<古本>でしかなかったのですが・・・。

筆者の愛読書、スイスの哲学者『アミエルの日記』の原著は、フランス語・・・。筆者、20代のとき、フランス語で『アミエルの日記』を読みたいと思って、フランス語の独習をはじめたのですが、難しくて、断念・・・。75歳、後期高齢期を前に、フランス語の独習用テキストをインターネット経由で注文しましたが、『アミエルの日記』を原文で読むのは、時、すでに遅し・・・。

フランス語文法の学習を思い立ったのは、ソシュールやコセリウの言語学の本を読めるようになるためですが、筆者、歳が歳ですから、あまり多くを望まないようにしましょう。論文の中に出てくる、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ラテン語、ギリシャ語の引用文が和訳できれば十分です。

ヤスパース夫妻の無学歴(Academic Outsider)者に対する姿勢・・・

昨夜、読んだ『アーレント=ヤスパース往復書簡』の記事は、筆者にとっては衝撃的でした。

筆者は、日本基督教団の牧師になるために、あえて、農村伝道神学校に入りました。<あえて>というのは、所属教会の牧師の指導で、牧師になるためにどの神学校にはいるべきか検討していたとき、<あえて>農村伝道神学校に入りたいの、いろいろな人に話をしていました。それを聞いた、日本基督教団東中国教区の十文字平和教会の鷲見牧師夫妻が、農村伝道神学校の上部団体である鶴川学院理事長の島村亀鶴先生にその話を告げ、筆者が<あえて>農村伝道神学校を選んだ理由を納得、賛同してくださった島村亀鶴先生が、農村伝道神学校を受験する筆者に、推薦状を送ってくださったのです。

農村伝道神学校に入学した次の日、農村伝道神学校校長の高倉徹牧師から呼び出されて、<私たち農村伝道神学校の校長と教授会(高倉校長の息のかかった人ばかり)は、きものような無学歴・無資格、どこの馬の骨かわからないようなものを神学生として受け入れたくはなかった。しかし、鶴川学院農村伝道神学校の校長が、鶴川学院理事長の島村亀鶴牧師の推薦状を無視したとあっては、あとあとやりにくいので、仕方なく、入学を許可した。そのことを忘れないように。>と言い渡されました。筆者、そのあと、驚くべき出来事に遭遇・・・。筆者に、<転会>を認めてくださった無牧の阿佐ヶ谷東教会に、その高倉牧師が主任担任教師として赴任してきたことでした。赴任してすぐ、筆者、高倉牧師夫妻に牧師館に呼び出され、<私たちはあなたを神学生扱いはしません。高倉は基督教会の名門の出です。その弟子は、高学歴・高資格者ばかりです。無学歴・無資格のあなたを高倉の弟子にするのは、高倉徳太郎、高倉徹の高倉家の恥になります。>と、筆者との間に、一線を画されました。

日本の<Academic Insider>の方々は、大半が、高倉徹牧師夫妻と同じで、高学歴・高資格を志向し、無学歴・無資格を軽蔑、批判、排除、疎外する学歴差別主義者なのでしょう。

しかし、昨夜、読んだ『アーレント=ヤスパース往復書簡』の中に、驚くべきことが記されていました。日に日に衰弱していくヤスパースのお見舞いにやってきた人々のなかに、<無学歴(Academic Outsider)として、<人種差別主義>とその信奉者を徹底的に批判している人の名前がありました。ヤスパースだけでなく、ヤスパースの妻のゲルトルートも、その<無学歴(Academic Outsider)の慰問をこころから受け入れ喜んでいたのです。

ヤスパースの最後の手紙の一節・・・

『アーレント=ヤスパース往復書簡』の、ヤスパースがアーレントにおくった最後の手紙の一節・・・。

<希望だけでは人は生きていけない・・・>。

このヤスパースの言葉、どう理解したらいいのでしょう・・・? いろいろな思いが筆者の脳裏を通り過ぎて行きます。筆者、ヤスパースのこの言葉の意味を、早急に解釈・理解することをやめました。これまで通読した『哲学』(全3巻)や『哲学的信仰』などを読みなおすと同時に、今読み始めている『真理について』(全5冊)を通読していくなかで、繰り返し、その意味を自問自答することにしましょう。

ヤスパースは、<多発性関節炎の痛み>に日々苦しめられ、執筆もままならない状況に置かれ、<健康と安全(平和)>の大切さに思いをはせていたのかもしれません。

ヤスパースが現在を生きていたとしたら、ヤスパースは、独立国家ウクライナを全面否定し、ロシアの属国化するために侵略戦争を開始し、言語道断の暴虐極まりない破壊と略奪、強姦と人権侵害を繰り返すロシアに対して、激しく抗議したことでしょう。西欧諸国とアメリカ、日本は、ウクライナに解放への<希望>を提供するだけでなく、具体的にウクライナの人々の<健康と安全(平和)>をつくり出さなければならない。哲学者ヤスパースは、人間の<自由>を追求した哲学者です。

昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読み終える・・・

昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』(全3巻)を読み終えました。

劇的な終わり方・・・。それを告げるのは、ヤスパースの妻ゲルトルートからの短い電報・・・。

<カール死去、MEZ13時43分>

『アーレント=ヤスパース往復書簡』最後のアーレントの文章は、<1969年3月4日、バーゼル大学でのヤスパース追悼式典>での<ハンナ・アーレトの追悼の辞>・・・。

<大事なのは、彼の語ったことを聴き理解する人びとが、この先少なくなってしまわないことなのです。地上にある人間は、肉体を具えていることが必要です。著作だけ知っていて著者その人をじかには知らない者にとっても、本の背後には――バーゼルに、アウ街に――誰かがいる、その人が生きた声と身振りをもって語っているという確かさが必要でした。なぜならこれだけが、本に書かれていることは現実だったのだと保証してくれる。まさに彼は一つの手本であろうとし、そうなりえたのでした。・・・本というのは、この世に存在すること、人びとのなかの一人であることの、ひとつの独白なありようの表現であり、その表徴なのです>。

<人間のもっとも儚いもの、しかももっとも偉大なもの、つまりその人の語った言葉や独特の身振りは、その人とともに死んでいく、でもそれらこそ、わたしたちを必要とし、わたしたちが彼を忘れないでいることを求めているのです。追憶は死者との交わりのなかで行われ、そこから死者についての会話が生まれ、それが再びこの世にひびきわたります。死者との交わり――これを学ばなくてはなりません、私たちはこの共同の追憶の場において、それをいま始めようとしているのです>。

無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者、Academic なひとの葬儀や記念式に列席したことはありません。ハンナ・アーレントは、ヤスパースの<著作だけ知っていて著者その人をじかには知らない>筆者にも、時空を超えて、ヤスパースの<生きた声と身振りをもって語っている>姿を、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を通じて共有する場を提供してくれているのかもしれません。

無学歴・無資格(Academic Outsider)の筆者に、Academic な世界に住むふたりの哲学者、ヤスパースとアーレントの哲学する姿勢とその生き方を<提示>してくださった、偉大な哲学者ハンナ・アーレントにも、ヤスパースに対するの同様、かぎりない感謝の思いを抱きました。

家に戻ると、黒猫黒兵衛がストーブをつけろという・・・

家に戻ると、黒猫黒兵衛が、筆者に話しかけてきました。

<ぼく寒いんだ、ストーブつけて・・・>。黒猫黒兵衛の母親の<しっちゃん>は、時々、人間の言葉をしゃべっていました。黒猫黒兵衛は、<しっちゃん>ほどはっきり人間の言葉をしゃべるわけではありませんが、昨日、筆者のうしろから、<ハイ!>と呼びかける声がしましたので、だれかきたのかと思って<はい!>と返事しながらうしろを振り向くと、そこには、黒猫黒兵衛がいて、<ハイ!>・・・。

今日は、筆者とストーブを交互にみながら、<ニャア、ニャア>鳴いていました。黒猫黒兵衛は、筆者に<ぼく寒いんだ、ストーブつけて・・・>とはなしかけているんだろうと思って、居間のストーブをつけてやると、黒猫黒兵衛、<ありがとう>とひとなきして、ストーブの前に居座ってしまいました。洗濯物を取り込み終わった妻が居間にやってきて、黒猫黒兵衛がストーブの前に座っているのをみて、<黒ちゃん、寒いのね、すぐストーブつけてあたたかくしてあげるから>と語り掛けていましたが、<ああ、もうついている。あなたがつけたの?>と問いかけてくるので、<そう、黒兵衛が、「ストーブつけろ!」というから・・・。>と答えると、<黒ちゃんも、家族の一員だから、寒かったらそういうわよ!>と話していました。

午後1:30~3:30、棚田の田で農業用資材の片づけ・・・

今日の午後も、1:30~3:00、妻の実家の棚田の田で農業用資材の片づけ作業をしました。

48.5mmの軽量単管パイプで構築した仮資材置き場の中に、軽量単管パイプと接続金具、ボウガケ用アタッチメント、UV管、園芸支柱、防獣ネット、防風ネット、園芸支柱を格納、ブルーシートで屋根と側面を包み込みました。まだ、ミニトマト栽培用の雨除け栽培用トンネルの屋根のビニールシートと防獣ネットをとりはずして、格納しなければなりませんので、一部開閉できるようにしています。

これからあとは、棚田の田では・・・

1.雨除け栽培用トンネルの屋根のビニールシートと側面の防獣ネットを取り外して格納
2.仮資材置き場の屋根にビニールシートを被せて固定
3.ハーベスタを洗浄して育苗用ハウスから農機具の小屋に移動
4.管理機を洗浄して育苗用ハウスから農機具の小屋に移動
5.ミニクローラを洗浄して育苗用ハウスから農機具の小屋に移動
6.ブルトラを洗浄して育苗用ハウスから農機具の小屋に移動
7.農具を洗浄して育苗用ハウスから農機具の小屋に保管
8.水管理用のホースとUV管の冬支度
9.脱穀したはえぬきの田の稲わらを集めて堆肥場に移動
10.山側の農業用水路の堰上げ作業
11.電気柵の片づけ
12.丹波の黒豆の脱穀(発電機と万能脱穀機を持ち込んで棚田の育苗用ハウスで作業)
13.育苗用ハウスの冬支度

段々畑の畑では・・・

1.ダイコンの収穫
2.カブの収穫
3.京菜の収穫
4.長いも掘り
5.果樹に寒肥を施肥(ぶどう・柿・リンゴなど)
6.そのほか種々雑多な冬支度

毎年、積雪がはじまるまで、筆者と妻の冬支度は続きます。春・夏・秋の農作業が終わりますと、次の日から冬の除雪作業の日々がはじまります。



午前11:00~12:59、棚田の田で農業用資材の片づけ・・・

昨日の午後、突然の来客あったので、午後予定していた、妻の実家の棚田の田の農業用資材の片づけ、中止しました。それで、おコメを発送したあと、妻とふたりで、その作業を再開しました。

まずは、軽量単管パイプで仮資材置き場をつくって、単管パイプはボウガケに使う各種アタッチメントを格納・・・。そのあと、水管理のためのUV管、園芸支柱などを確認して、午前中の作業を終えました。

今日は、あたたかくて、例年の田の片づけ作業とはかなり雰囲気が違います。落葉を急ぐ棚田の田で、作業をしているのは、筆者と妻だけ・・・。ほかには、農道で、野鳥観察用の望遠鏡とカメラを設置しているのは、ここ数年、猛禽類の調査をされている研究者の方だけ・・・。

福良郵便局員の方に30kg入りコメ袋の閉じ方を教えてもらう・・・

今日の午前中、隣村の福良郵便局から、2022年産有機・無農薬栽培のコシヒカリ30kgを送りました。

そのとき郵便局員の若い男性の方、<袋の紐を締めなおさせてもらってよろしいですか?>といわれるので、<はい・・・>と答えて、<あの、コメ袋の締め方、教えていただけませんか?>と問いかけると、その若い郵便局員の方、<私の実家も農家ですから、袋の締め方は知っています>と、筆者に、ていねいに指導してくださいました。

帰って妻にその話をして、娘夫婦に渡すコシヒカリ20kgの袋を締めなおしました。それを見た妻、<ほんとう、きれいに紐をしめることができたわね。あなた、よかったじゃない、コメ袋の締め方、郵便局員の方から教えていただけるなんて・・・。>と笑顔を浮かべていました。

筆者、こどものころから、質問ばかりしてました。なにしてるの? なんで? どうして? 筆者の問いかけに、<そんなことも知らないのか?>とバカにしたり、こころよくウソを教えてくれる人には二度と質問することはありませんでした。そんな性質、まもなく後期高齢期に入る筆者から、なくなっていないのですよね。

今朝コシヒカリの新米30kg入り×2袋を精米・・・

今朝、隣の隣村の、さらに隣村のコイン精米所で、今年収穫したコシヒカリの玄米30kg入り×2袋を精米しました。

自画自賛でしかありませんが、精米されてでてくるコシヒカリの粒は、ほれぼれするほど透き通って美しい・・・。水晶のよう・・・。

コシヒカリの白米30kgは、娘のご主人の実家のおとうさん・おかあさんにおくり、残りの20kgは、今日、出張で家の前を通る娘のご主人にもって帰ってもらうことにしました。まごの向学ちゃん、<ばあばのまんま、美味ちい>といって食べてくれますので、はやく、新米をたべさせてやりたいとう妻の思いを込めて・・・。

残りは、筆者と妻の日毎の糧に・・・。妻は、<新米の美味しさになれたら、古米ではなく新米をたべましょうって、いうかもしれないわよ・・・>と筆者に語り掛けていました。筆者、<農園主は、A子さんだから、A子さんが決めたら・・・>と答えましたが、妻は、<2021年産のコシヒカリも美味しいから、もったいないわよね。私たちは、22021年産コシヒカリを食べることにしましょう・・・>と話していました。

はえぬきとひめのもちの試食はまだなので、今年のはえぬきとひめのもちも美味しいおコメになっているかどうか、楽しみ・・・。

足元からウラジロが飛び立つ・・・!

 妻の実家の棚田の田の育苗用ハウスの奥に設置している場所に行ったとき、足元から、バサバサという大きな羽音を出して、ウラジロが飛び立って行きました。筆者、<ウワーッ! びっくりするじゃない!>と大きな声を出してしまいました。

鷹の一種であるウラジロ、飛び立つときの羽音はびっくりするほど大きい!

2022/11/17

かなり使い込まれた『仏和中辞典』が届く・・・

今日の午後、インターネット経由で注文していた『仏和中辞典』が届きました。

古書価格499円・・・。かなり使い込まれた辞書でした。インターネットの日本の古本屋経由で注文すると、時々、どこからどうみても<古本>というイメージの本が届くことがありますが、今回、Amazon で購入・・・。届いたのは、どこからどうみても<古本>・・・。

何度も辞書引きした見出しには、マーカーがついています。この辞書の持ち主、かなり使い込んで手になじんだ辞書を手放して、よりよい辞書を入手したのでしょうか・・・?

『伊和中辞典』は、古書価格100円でしたが、こちらは、マーカーや線引きなし・・・。外国語の中で、英語以外に人気のある外国語は、フランス語なのでしょうか・・・? スペイン語、イタリア語、ドイツ語の本より、使いこまれた教材が多い・・・。しかも、古書価格は、高い・・・。

無学歴に関する記事を『田舎牧師の日記』から再録・・・

『田舎牧師の日記』からの再録・・・

●公立学校共済にはいってたんですか・・・!
 2013/01/29

筆者、この1月で65歳・・・。昔、大阪市立中学校事務職員(府費)をしていたことがあり、年金事務所の方のすすめで、公立学校共済の年金を申請することにしました。その申請書に、西中国教区事務所の署名・捺印が必要なので、西中国教区事務所に送付、お願いしたところ、担当者の方から電話をいただきました。

その担当者の方、他の西中国教区の牧師や信徒の方々と同じく、どちらかいいますと、無学歴・無資格、農村伝道神学校卒の筆者を軽蔑するような言い方をされる方でしたが、今日は、これまでとはまったく異なる雰囲気で話をされます。<吉田先生、公立学校共済に入ってたんですか!> 筆者が、大阪市中学校事務職員(府費)をしていたことが信じられないようです。

それで、筆者、インターネットで、<大阪立中学校事務職員(府費)採用試験>で検索してみました。平成24年度の学校事務(府費)の採用試験の申込者数は1054人、採用予定者数は25名程度・・・。競争率はなんと42倍・・・。採用試験は、<高校卒程度>、しかし、<学歴は問いません>大卒でも受験することができます。インターネットには、この<大阪立中学校事務職員(府費)採用試験>に合格するには、<学歴>ではなく、相応の<学力>が必要であるとの説明がありました。

筆者が、昔、受験したときの、競争倍率は、20倍・・・。20人採用で、400人の受験者が殺到していました。当時の大阪市立中学校に勤務している学校事務職員は3種類、府費職員・市費職員・PTA職員・・・。後者ほど月給の額が高いのですが、府費職員には、恩典がありました。それは、府費職員は、将来、大阪府立高校の事務長になるか、夜間大学に通って教員免許をとると無条件に教員として採用されるというもの・・・。

その採用試験問題・・・、筆者の記憶では、昔の、二期校レベルの大学入試問題程度・・・。西中国教区事務所の社会保険の担当者の方、西中国教区での最後の最後になって、無学歴・無資格の筆者に対する見方を変えられたようです。<無学歴>は、<無学力>ではないと・・・。今の、小中学校の教師たち、<無学歴>=<無学力>を信じ込んでいる学歴主義の信奉者が多いのですが、その学歴主義、日本基督教団西中国教区の諸教会の中でもまかりとおっています。西中国教区の執行部、常置委員の一人は、<吉田さんは、学歴・資格がものをいう世界に、学歴・資格をもたないで入ってきたことが一番の間違い・・・>であると話していましたが、<無学歴>と<無学力>は必ずしも一致しないという、極常識的な見方を喪失してしまっておられるようです。

午後は来客があり、1時間ほど歓談・・・

今日の昼、あるひとから電話がありました。午後、妻の実家に尋ねて来られるといいます。

それで、筆者と妻、午後2~3時、尋ねて来られた方と歓談のひとときを持ちました。第三者の Privacy に関することなので、ここに書き留めることはできませんが、自分の選んだ職業に、誇りをもって従事することができるひとは、ほんとうに尊敬に値します。

<天職>は、どの職業でも、神からあたえられる<召命>でもありますから・・・。

大阪市学校事務職員(府費)採用試験を受けたとき・・・

高校3年の3学期、1月に入って、地方公務員をしていた、筆者の父が、脳こうそくで倒れました。再起不能と診断されていました。筆者は大学進学、妹は高校進学を断念して、父の看病と家計を支えることになりました。

そのころも就職難の時代で、地元には適当な職が見つからず、筆者、高校の担任に勧められるまま、大阪市立学校事務職員(府費)採用試験を受けて、1年後、大阪の大学の2部を受験することになりました。

その採用試験の当日・・・、某中学校の校庭には、数百名近い受験者が押しかけ、試験を前に、みんな試験勉強をしていました。なにとなく、異様な熱気に包まれていましたが、筆者は、その中に入っていくことができず、人がまばらな校庭の端で、彼らのことをながめていました。

すると、近くにいた人が、筆者に話しかけてきました。<きみは、他の人のように受験勉強をしないのか?> そのとき、筆者、<いままで、大学受験のために一生懸命勉強してきましたから・・・>と答えたのですが、筆者よりはるかに年配の方は、<きみは、どこの大学を受けるつもりだったのか?>と問いかけてきます。筆者は、正直に、<京都大学の哲学科です。でも、地方公務員をしていた父が脳梗塞で倒れ、再起不能になり、大学進学を断念せざるをえませんでした>と答えました。すると、その年配の方、<そうか、私は、大阪大学に合格した次の日に、親父が倒れ、大学進学を断念して、父の看病と家計をささえなければならなくなり、収入のいい、神戸の沖仲仕をしてた・・・。10年後あらためて、大学で勉学しようと思ったけれど、学力が低下、大阪の偏差値の低い私立大学しか合格できなかった・・・>と筆者に語り掛けてきました。

その話のなかに、もうひとりの筆者と同年代の方が、加わってきました。<私は、大阪府立大学に合格したのだけれど、親父が阪大でないと学費は出せないといって進学させてくれなかったので、自分で働いて学費を稼いで、もう一度大阪府立大学を受験することにした>。

そして、そのあとも、校庭の端に立って、一生懸命受験勉強をしている受験者の姿をながめていた人たちが、なぜ、大阪市学校事務職員(府費)採用試験を受けることにしたのか、その動機を話していました。7~8人・・・。

その試験に合格したのは、20名・・・。最初の初任者研修のときに、なんと、その7~8人全員の姿を目にすることになりました。大阪大学に合格した次の日、父親が倒れて家を支えなければならなかった年配の方、受験当日、<君も私と同じように苦労するかもしれない。自由になって大学で勉学できるのに10年かかるかもしれない。君に教えてあげよう。10年間、今の学力を維持する方法を・・・。>といって、学力維持、大学受験必勝のための<独学法>を教えてくださいました。合格したひとのなかには、日教組の幹部のむすめさんもいました。筆者と同学年でしたが、そのむすめさん、<この子は、岡山の田舎から出てきたの。よろしくね。>といろいろな人を紹介してくれました。

そのときの経験は、筆者にとっては、かけがえのない経験になりました。大阪市立学校事務職員(府費)になったとき、最初の任地は、大阪市のなかの田舎にあるといわれていた、大阪市立瓜破中学校でした。勤務初日、校長が筆者に話しかけて来られました。<君は、自分の学力をどう思っているのか?> 筆者、<普通です。>と答えました。すると、その校長先生は、<今日の君の仕事は、この中学校の学籍簿全部に目を通すこと・・・>といって、筆者に瓜破中学校の全校生徒の成績や調査書の内容を閲覧するように指示を出しました。学籍簿をみながら、筆者の目にとまったのは、ほとんどの生徒が5段階評価の3であること、4と5の成績は、特定の生徒が集中的に持っていること、1と2の成績も同じ・・・。そのとき、筆者は、はじめて、生徒全体の中の筆者の成績の位置を知ることになりました。学籍簿に全部に目を通したとき、校長先生が筆者に語り掛けて来られました。<研修が終わったら、君を大阪市立十三中学校に配属することにするから、関西大学二部に通って教師免許をとりなさい。教師免許をとったら、即、大阪市立中学校の教師として採用しますから・・・>。

筆者は、大学進学も、教員になる夢も実現するにいたりませんでしたが、神学校を出て、日本基督教団の牧師になり、副業で、10年間、山口県東部高等産業技術学校で情報処理教育や、山口県東部女性就業センター資格取得講座の講師をしたり、山口県立田布施農業高校大島分校や久賀高校、徳山高校・岩国高校・岩国工業高校で、3年間勤務することができました。バブルがはじけて、大学を卒業しても就職ができない時代に、筆者、九州大学・広島大学・山口大学・大阪教育大学・大阪外国語大学の新卒の方々に、情報処理技術を指導することができました。彼らが筆者に話しかけてきたのは、<こんな講義、はじめて受けました。吉田先生は、生徒を選別したり、依怙贔屓したりしないで、クラス全員の実力を発揮させることができる教師なんですね。>

今日の夕方、インターネットで、<無学歴・無資格>で検索してみましたが、なんとおびただしい情報があふれていました。しかし、<無学歴・無資格>に関するインターネットの情報は、どれもこれも、筆者とは、ほとんど関係のない情報ばかりでした。

棚田の田で資材の仮置き場をつくりはじめる・・・

今日午前9:30~12:00、妻とふたりで、妻の実家の棚田の田の、ボウガケセットを解体した48.5mmの軽量単管パイプを使って、農業用資材の仮置き場をつくる作業をはじめました。

筆者と妻の農事歴にしっかりと組み込まれた作業ですが、この作業をしているときのこれまでの天気はまちまち・・・。雪が降ったり、みぞれが降ったり、北風が強くふきつけたり、うっすらと積雪していたり、ほんとうに様々な天気の中で、ボウガケセットの資材を使って農業用資材の仮置き場にトランスフォームしてきました。それから考えますと、今年は、気温が高いので、スムースに作業が行えています。長さ4m、巾1m、高さ2.5mの直方体の資材置き場ですが、今年がこれまでで一番、手の負担がこないように、合理的に作業ができています。

柄の長いメガネレンチとラチェットレンチ、水準器を使っての作業です。

昨夜、英語類語辞典を注文・・・

 昨夜、左図の英語類語辞典を、インターネット経由で注文しました。

<Google翻訳>は、日本語から英語、英語から日本語への逐語変換はすぐれているのですが、微妙な意味の違いを表現するには、英語類語辞典の情報が必須です。筆者がいま使っている英語類語辞典は、CASIOの電子辞書に組み込まれている英語類語辞典だけ・・・。日本語の場合は、すっかり使いふるした、角川『類語国語辞典』があります。English Writing に必要な英語類語辞典のかわりになるものとしては、『英語論文重要語彙717』と『英語論文表現事典』をすでに入手しています。

筆者、昔から、<バカはすぐ手の内を見せる>と揶揄されてきましたが、English Writing も有機・無農薬栽培農法と同じで、情報源をあきらかにしても、だれでも、筆者と妻の有機・無農薬栽培農法を真似ることができるわけではありません。そらまめの栽培ひとつをとっても、妻以外に、野菜直売所・湖南四季の里にそらまめを出展するひとはいません。<手の内を見る>ことはできても、筆者と妻が見に着けてきた知識・技術を奪いとることはできません。それと同じで、English Writing も・・・。

今朝、『英訳聖書』(NSRV)の<Judith>を読み終える・・・

今日は6:00に起床・・・。いつもの健康管理をしました。最高血圧115、最低血圧77、脈圧差38、平均血圧90、脈拍数63、呼吸数15回/分、体温36.1°C、体重60.4kg・・・。

そのあと、『英訳聖書』(NSRV)の<Judith>の続きを読みました。ふと気が付くと、<Judith>全章を読んでいました。聖書の<戦記物>としては、これほど痛快で面白いものは他にありません。ペリシテ人のゴリアテを石投げで倒した少年ダビデより、ユダヤの女性を強姦し、子供を投げ捨てて殺害したアッシリアの王を、その王から奪った武器・剣によって、その王を斬首した、ユダヤ人女性・Judith・・・。Judith は、自分の身を危険にさらしながら、歴史の主である聖書の神に対する信仰と、神から与えられた知恵を駆使して、ユダヤを侵略するアッシリアの王に単身、戦いを挑んで行きます。これが、劇場で演じられたら、ユダヤの人々だけでなく、同じ神を信じている人々は、拍手喝采、その歓声はなりやまなかったことでしょう。

プロテスタントは、この<Judith>を<正典>から外して、信仰の修養の書として<外典>に組み入れています。

2022/11/16

筆者の<無学歴>にふさわしい英語は<Academic Outsider>・・・

夜、インターネットで<Academic Outsider>を検索してみました。<Academic Outsider>もいろいろ意味があるようですが、すくなくとも、ブログ『部落学序説』の筆者にとっては、この言葉は適切な表現であるようです。

筆者が、English Writing で『Research on Buraku Discrimination in Japan』を執筆するときの、筆者の自己紹介は、<Retired Pastor >、<Seminary graduate>、<Academic Outsider>で十分でしょう。

Research on Buraku Discrimination by Academic Outsider  in Japan
  Criticizing Academic Insider's Buraku Discrimination Research

日本語の<無学歴>は、恣意的に、<Inferiority Complex>という負のイメージで解釈される場合が多いのですが、<Academic Outsider>という英語は、日本語の<無学歴>という言葉ほどには、誤解されることが少なくてすみそうです。

午後3:00頃、虹の橋がかかる・・・

妻の実家の棚田の田での作業を終えて、妻の実家の段々畑に移動するとき、諏訪神社の前を通りますが、そのとき、諏訪神社の北の方、東羽山と小枝町の間に、低い、虹の橋がかかっていました。文字通りの虹の橋・・・。

段々畑で、柿とブロッコリー、カブを収穫して帰るころには、その虹はすっかり消えていました。筆者、まもなく75歳、妻は67歳、歳をとっても、虹を見るとうれしくなります。

<七色のにじの変幻不変の姿はなんとみごとなことだ。
・・・このにじこそ人間の努力を映す鏡だ。
それをよく考えてみたら、もっとよくわかる。
色彩のある映像によってわれわれは人生をつかむのだ。>

というのは、ゲーテの『ファウスト』に出てくるファウストの言葉です。<色彩のある映像によってわれわれは人生をつかむのだ。>の別訳、<われわれの人生は彩られた影の上にある>・・・。冬支度をする、筆者と妻が見ることを許された神さまのめぐみ・・・。

午後1:30~3:00、棚田の田で片付け・・・

午後1:30~3:00、妻とふたりで、棚田の田の片づけにでかけました。妻は、トマトの雨除け栽培用トンネルの中の園芸支柱を撤去作業、筆者は、解体したボウガケセットの部材で、資材置き場を再構築するための場所の片づけをしていました。

ボウガケセット10セット分の資材、軽量単管パイプ、4m×20本、2.5~3.0m×40本、付属品80個、接続金具50個を使って、資材置き場を組み立て、その中に農業用資材を保管します。

午後は、風が冷たく、いつもは汗をかく筆者も、まったく汗をかきませんでした。冷たい風が吹いていまいたので、筆者、少しく風邪気味になって、熱が出てきたのかもしれません。

帰りに、段々畑によって、会津みしらず柿を初収穫しました。その数12個・・・。ついでに、ブロッコリーとカブを収穫・・・。

今年二度目の冠雪をした会津磐梯山を見ながら、ボウガケの解体・・・

今朝は、とても冷えました。朝、雨戸をあける妻が、<もしかしたら、雪が積もっているのではないでしょうね・・・>とつぶやいていましたが、雪は降っていませんでした。

妻は、9:00~野菜直売所・湖南四季の里の店じまいの片づけと掃除があるというので、9:00前にでかけました。筆者は、そのあと、すぐ、妻の実家の棚田の田で、48.5mmの軽量単管パイプでつくったボウガケセット(ボウガケ40本分)の解体作業をしました。解体した部材は、種類ごとに分けて田の土の上に並べました。午前11:00ころ、妻が四季の里の片づけと掃除を終えて、徒歩で、棚田までやってきました。そのとき、みぞれが降り始めましたので、コシヒカリのわら塚に円錐状の屋根をつけて、家に戻りました。

みぞれは冷たく、からだが急に冷えてきますので、風邪をひかないように・・・。

一信徒が自分の死に際して牧師に要望すること・・・

『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいたとき、こんな話が記されていました。

<信仰篤い人>で<敬虔な信者>である母親の臨終を前に、その息子が牧師を呼ぼうとしたとき、その母親はこう答えたそうです。牧師を呼んでもいいけれど、<彼に聖書を読んでもらいましょう。でも解説はしないでほしい・・・>。

その一生を、聖書の神を信じて生きてきた、聖書の中に記されている神のことばだけが、生きる支えだった。決して、牧師の説教ではない。説教という、牧師の恣意的な解説など、何の意味もない・・・。大切なのは、聖書のことば、神のみことばに耳を傾けることであって、牧師の説教に耳を傾けることではない・・・。

なにとなく、共感を覚える一人の高齢の敬虔なドイツ婦人の語る言葉です。

ティリッヒの死を悼むアーレントの毒舌・・・

昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいて、思わず、笑い出したことがあります。ほんとうは、笑ってはいけないことなのですが・・・。

アーレントの言葉・・・。<今日の新聞に、ティリッヒが心筋梗塞で亡くなったことが出ていました。私は彼とほんとうに親しくなったことはないのですが、それでもあのハンネルパイネ(ティリッヒのニックネーム)がやって来ては大量の赤ワインを流しこみいささか千鳥足ぎみで陽気に帰っていく姿が、もう見られないのは悲しい限りです。彼は基本的には判断能力のない愚者でしたが、まさにこのことが奇妙なふうに、ある純粋無垢な「キリスト教的精神」とつながっていました。彼を知っていた長い年月の間、私はいちどとして彼がひとのことを悪く言うのを聞いたことがありません。彼の敵についてすらも>。


これが「教授」なんですね・・・

昨夜、夜遅くまで、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいました。

筆者は、無学歴・無資格・・・。大学教育とは無縁の存在です。昨日、Google翻訳で、<私は無学歴です。>という言葉を英訳してみましたが、筆者が意図する<無学歴>に一番ふさわしい英語表現は、academic outsider>でした。

アーレントは、大学の教授としての営みの中で、いろいろな雑用に追われます。聴講生、単位取得学生に義務つけられた論文を採点しなければならないことに<もううんざり>と、ヤスパースに書き送っています。<院生で、論文は長さがものを言うと思い込んでいる手合いが多>く、<大風呂敷をひろげる才能>以外なにもない論文を読まされる身にもなってみろという、アーレントの声が聞こえてきそうです。<それでも、「われわれ」の学生の一人なのですから、読まないわけにはいきません。・・・<それに加えて定期の面接時間、ドクター試験、その他、似たような雑事・・・。これが「教授」なんですね。おまけに社交の義務がしじゅうあって・・・>。

無学歴・無資格(academic outsider)である筆者にとっては、経験したことのない、これからも経験することのない世界の話しですが、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を通して、academic な世界の一場面を知ることができるのは、それなりの意味があります。

ヤスパースは、アーレントに、<きみもわたしも同じで、「なんでも知りたがり」ます・・・>と綴っていますが、無学歴・無資格(academic outsider)の『
アーレント=ヤスパース往復書簡』の読者の一人である筆者も、彼らと同じ傾向を持っています。なんでも知りたがる・・・、そんな筆者の志向は、3,600冊という蔵書に形となって表れています。

今朝5:30に起床・・・

今朝5:30に起床・・・。いつもの健康管理をして、『英訳聖書』(NSRV)を通読・・・。

今は旧約外典の<Judith>を読んでいますが、知らない単語が出てきても、電子辞書で確認するゆとりもなく、文脈上から推測して読みすすめていきます。筆者、ひさしぶりに、ハラハラ・ドキドキしながら、<Judith>を読みました。『英訳聖書』(NSRV)なので、速読することはできません。一語一語意味を確かめながらの通読ですので、かえって、<Judith>の世界に入り込み、ハラハラ・ドキドキします。

そこに描かれている戦争は、ウクライナに侵略戦争をしかけているロシア軍さながらの戦争・・・。というより、今のロシア軍が、ウクライナの独立国家・国民であることを否定して侵略、ロシアの占領地として組み込む、ロシアと一体化させようとする戦争は、使用される武器こそ現代的であっても、その戦争の理念とか戦争形態は、近代以前の古典的な戦争であるように思われます。現代のウクライナに、Judith のような人がいたら、ウクライナは、ロシアの対ウクライナ戦争を終結させ、ロシア軍をウクライナの領土から全面撤退させることができるのでは・・・?

古典的な侵略戦争をするロシア大統領プーチンに対しては、古典的な戦争敗北の道がふさわしいのかもしれません。万軍の主である聖書の神が、ウクライナに勝利を賜らんことを祈ります。

2022/11/15

法学・医学・哲学・神学・・・

筆者、大学進学の夢が絶たれたとき、ゲーテの『ファウスト』の悲劇の第一幕の<夜>の冒頭に出てくるファウストの次の言葉、

<ああ、わたしはこれで哲学も
法学や医学も
あらずもがなの神学まで
熱心に骨おって研究しつくした。
そのあげくがこのとおり哀れな愚かものだ。
前よりちっとも賢くなってはいない。
・・・そしてわれわれは何でも知りえないのだということを悟っている。
それを思うと、この胸が焼けてしまいそうだ。
・・・ひとかどのことを知っているなどと、うぬぼれはせず、
人間をよりよくして、改宗させるために
何かを教えることができると、うぬぼれもしない。
財産も金も持たなければ、
世間の名誉や栄華も持たない。>

この言葉に出てくる4つの学問、哲学・法学・医学・神学を独学しようと決心しました。高校教師の多くは、<独学しても何の意味もない。機会をえて大学に進学するように。>、筆者にすすめたけれど、そのための機会は、筆者の生涯を通じて一度も与えられませんでした。独学しても意味がないのなら、いっそのこと、ファウストがたどった哲学・法学。医学・神学を独学してみようと思いました。そして、筆者は、大学のカリキュラムを入手して、哲学・法学・医学・神学の独学をはじめました。

筆者は、すこしく順番が違いますが、哲学⇨医学⇨法学⇨神学の順で学びました。筆者と同じようにファウストのいう哲学・法学・医学・神学を学んだひとに、ヤスパースがいます。ヤスパースは、法学⇨医学⇨哲学⇨神学の順で学んで行きます。無学歴・無資格Academic Outsider)の筆者が、哲学者・ヤスパースに親近感を覚える背景には、ゲーテから受けた共通の影響があるのかもしれません。

スペイン語、イタリア語、フランス語の学習用テキスト、いくらかかったの・・・?

今日の昼食後、お茶を飲んでいるとき、妻が語り掛けてきました。<あなた、スペイン語、イタリア語、フランス語の学習用テキスト、いくらかかったの・・・?> 筆者、<絵で見るシリーズと中辞典、ポケット?和・和?辞典、文法入門、基礎文法の5点セットで、どの言語も送料込みで3,000円以下だから、全部で9,000円ぐらい・・・>と答えますと、妻は、<3か国語9,000円で勉強できるの? きっと、こんなに安く入手できるのは、いまだけね・・・。これからは、もっと高くなって、年金暮らしでは入手不可能になるかもしれないわ・・・>と話していました。

スペイン語、イタリア語、フランス語の文法を学ぼうと思ったのは、言語学者・ソシュールやコセリウの言語学関連の本を集めて、それを読み始めて、スペイン語、イタリア語、フランス語の文法を学ぶ必要を感じたから・・・。筆者が言語学に興味をもちはじめたのは、高校1年生のとき・・・。1学年先輩の河田耕作さんに連れられて、国語の教師・落健一先生の下宿に遊びに行ったとき、言語学を専攻したという落健一先生から影響を受けて・・・。

<私は無学歴です。>という文章を、<Google翻訳>で英訳しますと、

I am uneducated.
I never studied at university.
I don't have a bachelor's degree.
I'm not a college graduate.
I have nothing to do with university studies.
I never took a university lecture.
I don't know anyone who is a university professor.
I don't have a degree.
I am an academic outsider.
I am not from the academic world.
I have never received a professional education at university.
I have never been a college student.
・・・

日本語の<私は無学歴です。>を英訳しようとすると、大変・・・。あえて、<私は無学歴です。>英訳を上記から選択するなら、<I am an academic outsider.>が、筆者の意図するところに一番近いかもしれません。

娘と無学歴の父・・・

『湖南村尻百姓記』に記載した、筆者の娘の結婚式のときの話・・・。

娘の結婚式のとき、新郎の勤務先の高等学校の校長・教頭・科の教師の方々による万歳と、新郎が担任しているクラスの生徒たちからの Video Letter が流された後、プロの司会者によって、娘の<父母への言葉>が読み上げられました。

<わたしの父は、キリスト教会の牧師です。私は、高校3年生のとき病気になり、成績が落ちて、センター試験も失敗、担任から、予備校へ行く準備をしなさいと言われました。

わたしの父母は大学を出ていません。しかし、京都大学に行くことになっていたのに家の都合で行けなかった父は、わたしを見捨てないで、受験指導してくれ、私を福島大学に入れてくれました。小さな教会の牧師をしていた父は、わたしを大学にやるために、職業訓練校で情報処理の講師をしたり、母は、病院の調理師をして、大学にやってくれました。今思うと、ほんとうに大変だっただろうと思います・・・>と話していました。

娘が幼稚園の年少組のとき、日本基督教団西中国教区の教職研修会の講師をされていた日本基督教団の副議長(同志社大学神学部卒)に呼び出され、西中国教区の副議長(同志社大学神学部卒)の前で、<君のようなものの娘を受け入れてくれるキリスト教主義大学はどこにもないのでそのつもりでいなさい>と引導を渡されました。筆者は、<私の娘はまだ幼稚園の年少組ですよ。どうして大学進学の話をされるのですか?>と尋ねますと、<西中国教区の副議長から、君が幻想を抱いていると聞かされたから・・・>とその理由を説明しておられました。筆者、<娘は、国立大学に進学させますので、私立大学にやるつもりはありません>と話しますと、西中国教区の副議長は、<無学歴の父親に育てられる子供が国立大学に入れるはずがない!>と自信たっぷりに話しておられました。筆者、<なぜ、そんなことが言えるのですか?>疑問を呈しますと、西中国教区の副議長、<同志社大学を出た父親に育てられた私の娘ですら国立大学に入ることができなかったのに、無学歴の君の娘が国立大学に入れるはずがない!>と自分の判断に間違いはないと立腹しておられました。

娘の大学受験のあった年の西中国教区総会の昼食のとき、山口市内で精神科の医師をされていた山口教会の信徒の方(常置委員)の方が、<吉田先生、吉田先生の席はこちらです。こちらへ来てください。>といわれるので、その方の横に座りました。すると、<娘さん、大学進学はどうなりました?>と尋ねられますので、筆者、<おかげさまで、合格できました。>と答えました。すると、ざわめいていた食事の席がシーンとなり、その方がさらに、大学と学部を尋ねてこられました。それで、<国立の福島大学の行政社会学部です>と答えました。すると、その精神科医の常置委員の方、<わたしは、あなたの娘さんが国立大学に入ると確信していました。他の牧師先生方は、絶対に落ちると話していましたが・・・。山口教会の牧師の息子・娘さん3人もみんな国立大学に進学しています。苦労をした牧師は、息子や娘を国立大学に進学させるんです・・・>と話しておられました。

披露宴のときの、娘のことば、<京都大学に行くことになっていたのに家の都合で行けなかった父は、わたしを見捨てないで、受験指導してくれ、私を福島大学に入れてくれました。>は、筆者の耳元をすっと通り過ぎて行ったのですが、今、思い起こしてみますと、赤面のいたり・・・。しかし、<娘は、父親の言葉を信じて、大学受験に臨んだのだ。>と思いました。<おとうさんは、京都大学に合格するノウハウを持っている。一生に一度でいい。おとうさんのいうことを信じて、おとうさんのいう通りに受験してみろ。必ず合格する!>と娘を激励したときのことを思い出しました。

娘の進学をめぐる学歴騒動・・・

娘が高校進学のとき、妻は、三者面談のとき、娘の担任教師と大喧嘩・・・。

教師:娘さんの志望校は、山口県立下松高校ですね。
妻:はい。
教師:娘さんの成績では、山口下松高校に合格するのは難しいと思います。他の高校を選択することをおすすめします。
妻:娘は、国立大学に進学させたいので、山口県立下松高校を受験させてください。
教師:おとうさんもおかあさんも大学は出ていないですよね。それなのに、娘さんを国立大学に進学させたいのですか? かなり、難しいと思いますよ。わたしみたいな優秀な成績をとっていても国立大学に進学できなかったのですから。
妻:私の娘は、あなたみたいなバカではありません。下松高校を受験させてください。
教師:たとえ、下松高校に合格しても、成績は下の下ですよ。国立大学進学は無理です!

娘は、山口県立下松高校に合格して、最初の実力考査で、1学年全体の7番の成績をとりました。

大学進学のときは、妻は、担任教師ともっと熾烈な喧嘩をしていました。

担任:国立単願は、無理です。すべりどめに私立を受けることをおすすめします。
妻:経済的理由で、私立大学進学は無理です。国立大学にしかやれませんから、国立単願でお願いします。
担任:失礼ですが、おとうさんもおかあさんも大学は出ていませんよね。それなのに、娘さんを国立大学に進学させるのですか? 無理です。私は、国立大学進学を希望していたのですが、合格できませんでした。それを考えると、娘さんが国立大学に入れる可能性はありません・・・。
妻:私の娘は、あなたみたいなバカではありません。娘の実力は、親が一番よく知っています。国立大学単願でお願いします。
担任:落ちてもしりませんよ。
妻:娘が国立大学にはいれなくても、先生のせいにはしませんから。

娘は、センター試験の2日目の科目で点数が伸びず、合格必勝をめざして、国立単願先を変更・・・。国立福島大学行政社会学部を前期・後期で受験することにしました。そのとき、担任が娘の進路指導をしてくださったのですが、その内容を娘から聞いて、<担任の指導に従っていたら、不合格になる可能性が大・・・。もし前期で不合格になったら、後期は、おとうさんの指導に従って受験しなさい。必ず合格できるから・・・、おとうさんは、家の事情で大学進学できなかっただけで、進学できていたとしたら、京都大学に進んでた・・・>と娘に話すと、娘はその話を担任にしたそうです。そのとき、担任は、<国立大学を出ていない親に、国立大学のの入試の指導なんてできない。京都大学を受験しようと思っていたことと実際に京都大学に入ったこととはまったく違う・・・>と笑ったそうです。娘は、動揺していましたが、前期試験は不合格・・・。娘は、担任から、予備校のパンフレットを渡されたそうです。それを見た妻は、予備校のパンフレットを破り捨てて、<おとうさんの大学受験指導を受けなさい>と娘に話していました。

その結果、娘は、後期試験に合格・・・。後期試験を受けて帰ってきた娘に、<どうだった?>と尋ねると、娘は、<試験官の人が、私の横に立って、私が小論文を書くのを見てたわ・・・>といいます。筆者が、<何分くらい・・・?>と尋ねると、娘は、<5分かな、10分かな、長い間、傍に立ってたの・・・>と話していました。筆者、<そう! 合格したね!>と娘に語り掛けると、<おとうさん、前期試験は、不合格通知が来る前に、落ちるといってたし、後期試験は、合格発表の前に合格したって言うし、おとうさんて、なんなの?>と筆者に問いかけていました。

学校の教師は、なぜか、学歴コンプレックスを持っているひとが多い。<無学歴=無学力
>という先入観に拘束されて、生徒だけでなく、教師自身をも束縛している・・・。

娘が大学で勉学しているとき、筆者は、山口県立高校で仕事をしていました。そのとき、周防大島の山口県立久賀高校で仕事をしていたとき、職員室の筆者の席は、教頭先生の席のすぐ近くでした。その教頭先生、昼食時間に、みんなのまえで、<吉田先生、おこさんはどこの大学に進学されたのですか>と問いかけて来られました。筆者、<国立単願で受験して、福島大学行政社会学部に合格しました。>と答えると、教頭先生は、さらに、<塾にやったり、家庭教師をつけたりしていたのですか?>と問いかけてきます。筆者、<経済的ゆとりがなかったので、娘は塾に通わせたり、家庭教師をつけたりしませんでした。父親の私が娘の受験指導をしていました>と答えました。すると、教頭先生、他の先生方に、<みなさん、今の吉田先生の話を聞きましたか。塾にも通わせなくても、家庭教師をつけなくても、父親が指導して国立大学単願で合格させたそうです。みなさんも、自分の息子・娘は、国立大学に進学させなさい。それができてはじめて名実共に高校教師なのですから・・・>と説教をされていました。

午後1:30~4:00、脱穀したあとの稲わらの片づけ・・・

今日の午後1:30~4:00、妻の実家の棚田の田の、脱穀したあとの稲わらの片づけをしました。長稈のコシヒカリの稲わらでつくる<わら塚>は見ごたえのある大きさになります。ボウガケ1本分のコシヒカリの稲わらを残していますが、今度晴れた日に、わら束を編んで、コシヒカリの<わら塚>の帽子をつくって、コシヒカリの<わら塚>を完成させます。

舗装された農道から遠目に、妻の実家の棚田の田の<わら塚>をみますと、日本の田舎の原風景のような姿が目に入りますので、素人百姓がつくる<わら塚>にしてはまあまあの出来ばえ・・・。

妻は、<脱穀したあとの稲わらの片づけ、いつも大変なのに、今年は、なにか、スムースにすんだわね。これぐらいの作業で、いなわらを片付けることができるなら、あなた、来年も今まで通りの面積でコシヒカリを栽培してもいいわよ。>と話していました。

妻の故郷・湖南に帰郷・帰農してはや10年・・・。妻の実家の棚田の田と、段々畑の畑、それぞれ、土壌、水環境、埴生環境、微気象などの特性がわかり、それに応じた有機・無農薬のこめつくり、野菜つくりができるようになっています。10年の歳月は、これからの10年、20年の、妻の故郷・湖南における、筆者と妻の人生の晩年の暮らしにおいて決して無駄な時ではなかったようです。

無学歴・無資格、それがどうした・・・!

筆者に対して攻撃してくるひとの決まり文句は・・・

<吉田は無学歴、無資格だ・・・。それなりの人間でしかない、評価するに足らない!>

Sweden Cvenant Mission の宣教師の教会に通っているときも、日本人信徒から、筆者になげかけられた言葉は、無学歴・無資格・・・。日本基督教団の牧師になるために神学校に入ったときも、その校長から、<あなたのような無学歴・無資格、どこの馬の骨かわからないものをこの神学校の神学生に迎えたくはなかった。あなたが、鶴川学院の理事長の島村亀鶴牧師の推薦状を持ってきたから、やむなく神学生として迎えたが、ほんとうは、あなたを神学生として受け入れたくはなかった>といわれました。神学校を出て日本基督教団の牧師になってからも、ずっと、筆者は、<無学歴・無資格>者として評価、排除・疎外されてきました。そして、筆者、いつのまにか、<私は、無学歴・無資格です。しかし、それがどうした? 学歴はなくても、あなた以上に学力はある!>と反骨精神丸出しの対応をとってきました。それが、学歴偏重、学歴差別主義者の牧師・信徒の逆鱗を増強させてしまいましたが・・・。筆者のブログ『部落学序説』の読者が、<吉田向学は、向学ではなく、無学だ!>と罵倒していましたが、筆者、<無学>の意味を知らない、高学歴の読者のことばに思わず吹き出してしまいました。<無学>という言葉で筆者を貶めているようで、実際は、筆者のことを無意識に評価することになったようです。高学歴を自称する読者の方、<無学>が高僧の名であることをご存じなかったようです。

小雨がちらつくなか、棚田で稲わらの片づけ・・・

今日、午前9:30~12:00まで、妻の実家の棚田の田の、脱穀したあとの稲わらの片づけをしました。

来年、敷き藁として使うことができるように本格的なわら塚1基と、堆肥用のわら塚2基をつくることになりますが、まずは、短稈のはえぬきとひめのもちの稲わらを堆肥用のわら塚1基の上に積み重ねました。そして、本格易なわら塚1基に長稈のコシヒカリのいなわらを積み始めましたが、12:00を過ぎると、本格的な雨になりはじめましたので、作業を中止・・・。

はえぬきとひめんもちの田から温水田へ、温水田から田畑転換した畑へ、いなわらを満載したミニクローラを走らせるために畦道に直行する坂道を、田んぼの土でつくりました。それを見ていた妻、<あなた、これから稲わらを運ばなければならいのに、そんな力仕事して大丈夫なの?>と心配していましたが、できあがった畔に直交する坂道をミニクローラで走らせていますと、妻は、<あなた、「なにしているのかしら?」と思っていたけれど、これ、とても便利ね。>といいますので、筆者、<来年、今年つくったいろいろな田から畔に、ハーベスタやミニクローラを出し入れするための坂道を固定して常設することにしたから・・・。今年の作業は、楽だったのでは・・・?>と妻に語り掛けますと、妻は、<ほんとう、いつもの年より作業が楽だったわ。これだと、来年も今年と同じ面積、おコメを栽培できそうね・・・>と話していました。

稲わらを片付けている間、やまばとが一輪、農道沿いの送電線にとまって、筆者と妻の作業をずっと見下ろしていました。

まもなく後期高齢期に入るけれども・・・

筆者、74歳の晩秋を過ごしていますが、冬に入ると、筆者は、後期高齢期に入ります。

75歳・・・、『アーレント=ヤスパース往復書簡』によりますと、アーレント夫妻にとっても、ヤスパース夫妻にとっても、70歳、80歳は人生の節目として意味があっても、75歳という歳は、70歳・80歳ほどの意味合いはなさそうです。

新井白石著『折り焚く柴の木』には、当時にあっても、<70、80歳はざらにいる>と記されていますので、長い間平和が続き、治安の安定と、経済的安定、文化の繁栄がすすめられた社会の中にあっては、70、80歳の人生をまっとうするひとは少なくなかったのでしょう。近代化・工業化がすすみ、医療技術の進展にともなって、平均寿命がどんどん伸びてきたというのは、ひとつの<幻想>であるようです。

75歳になり、後期高齢期にはいる筆者、これからの老後をどのように生きていくことになるのか・・・。70歳になり、前期高齢期に入ってから、筆者、ずっと、後期高齢期をどのようにいきるべきか、考えてきました。そのための、蔵書も増やしていきましたが、後期高齢期に入ると、本の収集はやめて、蔵書を読破、アミエル、ラートブルフ、ヤスパース、ヴィトゲンシュタイン、アーレント、ガダマー、コセリウなどの哲学者、神学者バルトの書を読みながら、哲学的考察を続けていくことになります。ちまたの、また、インターネットの仮想世間の<やから>との交流はますます少なくなってきます。無意味なものは削りおとされ、なくてならぬものだけを身に着けて生きていくようになります。

2022/11/14

<人種主義の起源と歴史>を読む・・・

昨夜、リュフィエ著『生物学から文化へ 3』の<第4章人種主義の起源と歴史>を読んでいました。

『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいますと、アーレントもヤスパースも共に、<人種主義>に批判的であることがわかります。

アーレントは、<純粋に神学的に見て、人種主義が正真正銘の異端であることは明白>であるといいます。<ヴァティカンは共産主義者を破門しただけけでなく、20年代にはアクシオ・フランセーズも破門した。それなのにヒットラーと人種主義を破門することだけはしなかった!洗礼の秘蹟はユダヤ人をキリスト教徒になしえないというのなら・・・ほんとうに教会はもうおしまいです。>とヤスパースに書き送っています。

カトリック教会は、<ヒットラー>と<人種主義>を破門しなかったという、アーレントの主張を検証するために、リュフィエ著『生物学から文化へ 3』の<第4章人種主義の起源と歴史>を読んだのですが、<今日では、人種主義は誤った解釈からの結果、あるいは似非科学的な創作と考えられている。・・・根拠のない理論が、今日に至るまで受け入れられ、普及してきたということは驚くべきことである。このような欺瞞が成功をおさめたのは、時として、政治的誘導によって強化された心理的、社会的かつ文化的要因による>とありました。

<根拠のない理論が、今日に至るまで受け入れられ、普及してきたということは・・・政治的誘導によって強化された心理的、社会的かつ文化的要因による>。アーレントは、差別する側の人種主義とその運動も、差別される側からの人種主義とその運動も等しく間違っていると主張しています。


無学歴・無資格と高学歴・高資格・・・

無学歴・無資格をキーワードに検索していましたら、面白いことが書かれていました。無学歴・無資格者でも受験できる国家資格・公的資格の一覧表・・・。無学歴・無資格者でも、次の国家資格を手にすることができるようです。大切なことは、何を持って天職とするかによって、取得しなければならない資格がおのずと決まるということ・・・。

国家資格
・司法試験予備試験
・弁理士
・行政書士
・司法書士
・海事代理士
・通関士 
・知的財産管理技能士 (3級)
・運行管理者(自動車)
・公認会計士
・FP技能士3級
・貸金業務取扱主任者
・応用情報技術者 
・基本情報技術者 
・ITパスポート
・ITストラテジスト 
・プロジェクトマネジャー
・システムアーキテクト
・ITサービスマネジャー
・ネットワークスペシャリスト
・データベーススペシャリスト
・エンベデッドシステムスペシャリスト
・情報処理安全確保支援士
・システム監査技術者
・農業協同組合監査士 
・中小企業診断士
・通訳案内士
・不動産鑑定士 
・宅地建物取引士 
・マンション管理士
・賃貸不動産経営管理士
・管理業務主任者
・土地家屋調査士
・測量士・測量士補
・土地改良換地士
・技術士補
・気象予報士
・電気工事士 
・電気主任技術者
・電気通信主任技術者 
・エネルギー管理士
・核燃料取扱主任者 
・エックス線作業主任者
・公害防止管理者
・アマチュア無線技士
・総合無線通信士 
・電気通信主任技術者 
・危険物取扱者 乙種・丙種
・高圧ガス製造保安責任者
・液化石油ガス設備士
・消防設備士 乙種
・登録販売者
・診療報酬請求事務能力認定試験
・旅行業務取扱管理者

一方、「学歴(大学卒)がないと取れない資格がないとなれない」職業、高学歴・高資格がないとなれない職業は、以下の通り・・・。

・弁護士
・裁判官
・検事
・国家公務員総合職
・国会議員政策担当秘書
・自衛隊幹部候補生(陸・海・空)
・学芸員
・教員
・米国公認会計士
・裁判所職員採用総合職
・医師
・歯科医師
・獣医師
・薬剤師
・臨床心理士
・医学物理士
・公認心理師

世の中、高学歴・高資格を持った人は、ごく少数・・・。大半のひとは、無学歴・無資格でもとれる資格をとって生きて行っているようです。ちなみに、筆者の妻は、教員免許をもって教員をしていたことがありますが、高学歴・高資格などと表現したことは一度もない。無学歴・無資格の夫を罵倒することもない。筆者が神学生のとき、妻からプロポーズを受けた時の会話・・・。

妻:わたしと結婚してください。
筆者:わたしは、学歴も資格も持っていないよ。
妻:学歴や資格は関係ありません。わたしは、わたしよりあたまのいいひとと結婚したいんです。
筆者:どうして、そんなことがわかるの?
妻:わたしよりあたまがいいかどうか、わたしが決めます。

イタリア語の学習教材がそろう・・・

猪苗代での買い物を済ませて家にもどりますと、郵便受けに、イタリア語の学習用教材が2冊届いていました。

1.『伊和中辞典』
2.『ポケット伊和・和伊辞典』
3.『絵で見るイタリア語1』
4.『基礎 イタリア語語文法』
5.『イタリア語文法』

言語学者・ソシュールやコセリウの本を読むために、ゲルマン語系の言語(英語・ドイツ語)だけでなく、ロマンス語系の言語(スペイン語・イタリア語)の基礎を学びはじめたのですが、ソシュールの母国スイスの公用語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語・・・。筆者、若かりし日、フランス語を独学しようとして失敗した経験があり、フランス語に対して苦手意識が強いのですが、ソシュールやコセリウの言語学関連の書籍を読むためにも、フランス語も入門・基礎程度の文法を身に着けることにして、スペイン語、イタリア語についで、同じ構成で、フランス語の学習教材をそろえることにしました。

1.『仏和中辞典』
2.『ポケット仏和・和仏辞典』
3.『絵で見るフランス語1』
4.『入門 フランス語文法』
5.『基礎フランス語文法』

同じ構成で学習教材を集めたのは、これで、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、フランス語の5か国語になります。古典語は、ギリシャ語、ヘブル語、ラテン語・・・。

人生の晩年において、言語学関連の本が読めるようになるのは、無学歴・無資格の筆者にとっては、この上ないしあわせ・・・。筆者、日本語を含めて8か国語以外にさらに他の言語を学習するつもりはありません。<Google翻訳>を使うと、日本語から133か国語に翻訳、133か国語から日本語に翻訳できるようです。典型的なアナログ世代に属する筆者、辞書と文法書がないと、外国語を学ぶことができません。

午前10:30~午後1:30、猪苗代へ買い物にでかける・・・

昨夜雨が降って、棚田の田で脱穀後、自然乾燥させている稲わらも雨に濡れているので、稲わらの片づけは明日からにして、今日は、猪苗代へ買い物にでかけました。

まずは、ホームセンターでごみ袋を購入したあと、スーパーで、筆者と妻の食材と、黒猫黒兵衛のための生アジを購入・・・。そのあと、薬局で、筆者と妻の医療用目薬を購入しました。妻は第二種医薬品の目薬、筆者は第三種医薬品の目薬・・・。価格は同じ・・・。

午前10:30に家を出て戻ってきたのが午後1:30・・・。今日は、農道を走っているとき、コハクチョウのむれがいたるところでたむろしていましたが、4羽のコハクチョウが目の前を通り過ぎていきました。まっしろで、とてもきれいな姿・・・。見ているだけで、こころが澄んできます。コハクチョウは、シラサギと違って、いつも家族か群れで行動していますので、シラサギのように1羽で青空の下、湖水の上を飛ぶことはありません。若山牧水が岡山と広島の県境付近の中国道で歌った、<白鳥は悲しからずや空の青海の青にも染まず漂う>という歌に出てくる白鳥は、<白い鳥>という意味でハクチョウという意味ではなさそうです。コハクチョウは渡りをするとき、その群れのリーダーは、群れのしんがりをつとめて、1羽も脱落者を出さない態勢で渡りをするとか・・・。1羽で独り、空を飛んでいるのは、シラサギ・・・。シラサギもまっしろできれいな鳥です。今日は、コハクチョウとシラサギが飛んでいる姿をながめることができました。

昨夜は雨、今朝は冷える・・・

昨夜は雨がっていました。

朝には、雨がやんでいましたが、夜雨が降って朝雨があがると、妻の故郷・湖南では、決まって、風が吹きます。そして、夜、降った雨のしずくをどこかへ吹き飛ばし、田に積み上げた稲わらを乾燥させてくれるのです。今の季節は、雨が降るごとに気温が低下、晩秋から初秋への季節のうつりかわりを実感させられながら、冬支度を急ぐことになります。

今朝の健康管理、最高血圧は114、最低血圧は77、脈圧差37、平均血圧89、脈拍数60、呼吸数15/分、体温36.0°C、体重60.4kg・・・。昨日、農作業の疲れをとるために、OutStretch を徹底しましたので、今朝は、からだのどこにも痛みはなし・・・。

まもなく後期高齢期に入る筆者の人生の晩年の健康維持は、まさに自転車操業・・・。健康維持を断念したとき、即倒れて、人生の The End を迎えることになりそうです。哲学者・ヤスパースの人生の晩年の生き方、厚い雲の上に突き出た秀峰のようです。その姿を見ることができる状態に身を置きますと、厚い雲の下でうごめくざわめきが視野から消えてしまいます。

ヤスパースの哲学は、時間と歴史を超越するための哲学ではなく、時間と歴史の中に内在して人生と世界の意味を追求する哲学・・・。神学者カール・バルトは、その『Church Dogmatics』のなかで、哲学者ヤスパースの哲学のそのような傾向に賛同しています。『アーレント=ヤスパース往復書簡』にも、度々、カール・バルトのことが出てきます。

筆者は、神学者のカール・バルトと哲学者のカール・ヤスパースから強い影響を受けています。二人のカール・・・。無学歴・無資格の筆者にとっては、筆者が出会うことがなかった尊敬すべき師・・・。

人生の晩年の読書は、こころの旅・・・

昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいました。そのあと、リュフィエ著『生物学から文化へ 3』を拾い読みしていましたが、読書は、筆者の人生の晩年にとって、<こころの旅>であるようです。
 
日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師を辞し、隠退牧師になり、妻の故郷・湖南に帰郷・帰農するとき、教会の会計担当役員の方から、退職金の放棄を求められ、筆者、それを了承しました。退職金なし、年金も、同世代の牧師の半額以下・・・。当然、隠退牧師である筆者と妻の暮らしは、経済的に制限の大きなものになります。認知症の、妻の実家のおかあさんの介護もあって、10年間、ふたりで旅をすることは1度もありませんでした。妻が飼っている黒猫黒兵衛も健在・・・、独りになるととても寂しがり屋になる黒猫黒兵衛をおいて長時間家を離れることは難しいので、ふたりで旅をすることはなさそうです。

そんな筆者と妻の唯一の趣味は、読書・・・。読書は、時代と空間を超えて、いろいろなひとに出会うことができるこころの旅・・・。もし、読書がなければ、身近な人々との卑近な人間関係の中に埋没して、誹謗中傷・罵詈雑言、排除・疎外にさらされながら、失意の人生を終えることになったでしょう。しかし、筆者も妻も読書が共通の趣味・・・。読書は、筆者と妻の、こころと世界を InShrink から守り、OutStretch してくれます。低俗な現今の教師から離れて、高貴な精神を持った、万葉の歌人や、肥後和男・金子武雄・大後美保などをわが師としてその言葉に耳を傾け、哲学者・ラートブルフ、ヴィトゲンシュタイン、ヤスパース、アミエルなどに私淑し、老いてゆく筆者のこころとあたまを OutStretch することができます。

こころの旅は、過ぎ越しです。1日を過ぎ越し、1週間を過ぎ越し、1か月を過ぎ越し、1年を過ぎ越し、主なる神さまが与えてくださった人生を過ぎ越して、主なる神さまのみもとに帰るときまで、こころの旅を続けることになります。悪魔は、筆者のまわりをうろついて、筆者の足をすくおうといろいろ策略を練って攻撃しかけてくるでしょうが・・・。

2022/11/13

山口の農家と福島の農家の違い・・・

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、よく、妻と一緒に県北、中国山地をドライブしました。

棚田の田で、米を栽培している農家にであうと、いろいろ、米の有機・無農薬栽培法について教えを請いました。山口の農家はどの方も、筆者と妻が、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・福島の湖南に帰郷・帰農して、有機・無農薬で米を栽培する計画があるとお話ししますと、<そうか、ふるさとに帰るのか。じゃあ、ほんとうのことを教えねばならねえなあ。福島に帰ったあと、山口の農家が話していたことは全部うそだったと思われては、山口の農家の恥だからなあ。聞きたいことがあればなんでも聞け。なんでも教えてあげるから・・・>といって、筆者と妻にいろいろ教えてくださいました。

2013年4月1日に、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・福島の湖南で、有機・無農薬栽培でコメつくりをはじめようとしますと、湖南の赤津村のプロの農家の方々が筆者と妻に語りかけてきました。<ここらの農家は、よそもんのおめえらがコメつくりをはじめると聞いて、おめえらには、なにひとつ、コメつくりの方法は教えねえことにとりきめてんだ!>と。中には、尋ねてもいないのに、いろいろアドバイスしてくるプロの農家もいましたが、農書で確認すると、<してはいけない>ことばかり・・・。<ここらでコシヒカリ、採れるわけねえべえ? 採れなくて、泣きべそかくの、見るのがたのしみだなあ!>と悪態をつくプロの農家が少なくありませんでした。

山口の農家と福島の農家と、その性格は、こんなにも違うものかと、驚かされましたが、いまでは、湖南の赤津村のプロの農家とは、ほとんど話をしませんので、<おめえ、バカでねえのけ? ここらでは、コシヒカリは採れねえ!>という雑音に耳をかたむけることもなくなりました。<吉田? コシヒカリが採れたといってるけど、あれはうそだ。採れてねえ!>という、プロの農家の声が定説になっています。なぜ、そこまで確信を持って言えるのか、彼らは、コメが収穫できたかどうかを、JA湖南に納品したかどうかで判断しているようです。<吉田? ここさ帰ってきてから、一度でもJA湖南にコメを出したことはねえ! 今年も出してねえから、できなかったんだべえ!> JA湖南の正組合員・準組合員になるには、田畑を5.0反以上もっていることが条件になります。妻の実家の田畑は、4.6反しかありませんので、JA湖南の組合員にも、職業としての<農家>になることもできません。そんな状況、農村的地域社会固有の排除・疎外の状況に置かれて、はや10年が過ぎようとしています。

この冬の知的作業は観聖寺文書の再判読・・・

    今日は1日,  これまで再読した観聖寺文書を再検証して, MSwordで活字化, A4判19枚にプリントアウトして, 隣村の郵便局からゆうパックで送りました.     12月20日から来年3月20日までの3ヶ月間, 晴耕雨読ならぬ晴れた日は除雪作業, 雪の降る日は読書三昧...