2022/10/31

アーレントの座右の銘・・・

今日の夕方、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいました。

そこに、アーレントの<座右の銘>についての記述がありました。アーレントは、その哲学の師・ヤスパースの語った言葉「人間は働きすぎということはない」、<これを座右の銘にして、毎日唱えています>とヤスパースに書いています。

<人間は働きすぎということはない>。

ヤスパースは、アーレントが交通事故あったとき、アーレントにこのように手紙を出しています。<こんどのおそろしい出来事の経過を考えると、なにによっても破壊できないものがきみにはあると信じられる気もちになります。悪魔はほんのちょっと引っ掻いただけで、芯には手が届かない。きみが分別をもって、からだの休養を長めにとっているのは、なによりです。傷の治療のためだけでなく、ショックからの回復のためにも絶対に必要ですからね。からだは思いやりをもって扱われることを要求します、そうすればからだのほうも、われわれのために働こうという気になり、われわれと一体化してくれるのです。奴隷のように扱ったら、反逆してきますよ。>

<働く>ということは、自分のからだを酷使することではない。自分のからだを労りつつ働くことを意味しているようです。<労働>は<自分のからだを労りつつ働くこと>を意味するようです。

タクシーに載っている時、トラックが突っ込んできて大事故に・・・

昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいて、驚かされたもうひとつのことは、アーレントが遭遇した交通事故・・・。

アーレントが乗っていたタクシートラックが突っ込んできた交通事故・・・。アーレントは事故の瞬間気を失い、脳震盪、頭部裂傷、顔面打撲、肋骨9本骨折、片手の手首にひび、眼球の打撲、額と左目の上に裂傷、歯も1本欠ける大事故・・・。

アーレントは、その事故の状況をヤスパースに書簡で知らせたのですが、その手紙の中で、アーレントは、<自分が生きていることが心底うれしくてならない>、<やっぱりまだこの世にとどまっていたい>と綴っています。

ヤスパースは、アーレントへの返事のなかで、<奇跡のようだと感じます!これほどたくさんの怪我を負いながら、どれ一つとして生命にかかわるほどではなかったとは。>とアーレントに対して、医学者としてこころのこもったアドバイスを記していました。

筆者のブログ『隠退牧師の晴耕雨読日記』の2021年3月15日の記事です。

<3月15日、筆者が運転している妻のくるまとトラックが衝突・・・。普通車とトラックの衝突で、両方の車両が廃車になる大事故でした。

事故直後、トラックの破損状況を見て、時々テレビニュースで見るトラックが関係した死亡事故現場のトラックの破損状態と同じであると思った筆者、急に気分が悪くなり、からだを動かすことができなくなりました。トラックの運転手も事故でなくなり、筆者ももう死んでいるのではないかと思ったのですが、トラックの運転手がやってきて、筆者に、<大丈夫ですか>と話しかけて来られました。近くを通りかかった保険会社の方が、すぐ救急車を呼んでくださって、警察の事故車両車が到着してまもなく救急車が来て、筆者、病院に搬送されました。

事故処理は、筆者の妻があたっていましたが、救急車で運ばれたのは、筆者、生まれてはじめて・・・。普通車とトラックの衝突事故で両方が大破、廃車になったのに、両方の運転手と同乗者にケガはなし・・・。保険会社の方が警察に電話したところ、<大きな事故だったのに、人身被害がなかったのは、不幸中の幸いでした>と言われたとか・・・。そのあと、保険会社の山口支店の担当者の方のご指導で事故のあとのいろいろな手続きをしてきましたが、今日の電話連絡が最後とか・・・。事故からちょうど1か月後・・・。

その事故のあとも、何度もその事故現場を通っているのですが、通るたびに、妻と現場検証・・・。春夏秋冬の春・夏・秋ならば、100%事故が起こらない場所・・・。冬、防雪壁が設置され、道路の視界が大きく塞がれていたため、点滅の赤信号の停止線で確認できないため、確認できる位置まで車を出して、左を見て右を見た瞬間、眼前に迫っていたトラックと衝突・・・。その事故現場を通る度に、妻と事故を防ぐためにはどうすればいいのか、話し合っていますが、妻は、<赤色の点滅ではなく、普通の赤黄緑の信号だと、事故は起きないわ。防雪壁で視野が狭められているのだから、普通の信号の方が事故防止にいいわよ・・・>と話していました。

奇跡的に九死に一生を得た、今回の事故でした。>

大きな交通事故にあっても、生きることを許されている・・・、それは、まだしなければならないことが人生に残されているということだと思って、残された人生を大切にしなければ・・・。筆者、『アーレント=ヤスパース往復書簡』の世界に、リアルタイムで関わっているような錯覚に陥っています。

ロシアの西欧諸国への威嚇、フィルシチョフは<きれいな爆弾>で、プーチンは<きたない爆弾>で・・・

昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』、第2巻を読み終えて、第3巻にはいりました。そのとき、筆者、何度も衝撃を覚えました。

<政治では新しい問題が出てきたようですね。ロシアのスーパー爆弾というのはいわゆる「きれいな爆弾」、放射能汚染を惹きおこさない爆弾らしい。国と大陸の巨大規模での破戒が、全人類を滅ぼしてしまうことなしにできるようになる。ロシアは数個の爆弾でヨーロッパを破壊でき、直ちに――放射能の心配なしに――占領できる。>

ロシア大統領プーチンは、ウクライナ侵略戦争で<きたない爆弾>を使用する可能性を公言していますが、今から60年前、ロシアのフルシチョフは<きれいな爆弾>を使用すると、自由主義の西欧諸国を威嚇していました。

<きれいな爆弾>とは、中性子爆弾のことでしょうか・・・? ロシアは、数個の中性子爆弾をヨーロッパで炸裂させることで、自由主義の西欧諸国のインフラをそのままにして、その住民の生命を奪うことができる・・・。すべての住人が中性子爆弾で死んだあとロシア軍は、ロシア軍を侵攻させ、戦わずして自由主義の西欧諸国をロシアの領土にすることができる・・・。ソビエト・ロシアのフルシチョフは、自由主義の西欧諸国を威嚇・脅迫していたのです。

中性子爆弾も<戦術核兵器>のひとつ・・・。ロシア大統領・プーチンは、<きれいな爆弾>ではなく<きたない爆弾>の使用をほのめかして、ウクライナと欧米諸国を威嚇しています。日本の左翼思想家は、アメリカの核は<きたない核>、ソ連・中国の核は<きれいな核>として、ソビエト・ロシアや中国が核武装することに賛同していました。ロシアによるウクライナ侵略戦争で、ロシア自体が<きたない国>であることを自ら証明してしまいました。

雑誌『福音と世界』(2022年3月号)部落解放特集号を注文・・・

筆者、雑誌『福音と世界』は、ほとんど読んだことがありません。しかし、この前、このブログのアクセス履歴を見ていて、雑誌『福音と世界』(2022年3月号)部落解放特集号の存在を知りました。インターネットで確認しますと、特集の内容は、

特集 部落解放ーー歴史と可能性

部落解放にかかわる五つの論点……友常勉
人種主義としての部落差別……黒川みどり
部落問題をめぐる差別の連鎖……藤野豊
東九条と部落問題……前川修
部落女性、折り重なるスティグマを乗り越えて……川﨑那恵
差異の絶対性、生成する力ーー反-差別のための作動配列……守中高明

東日本部落解放研究所に関係した部落史の学者・研究者の筆になるものであるようです。前3者は、単行本を何冊も持っていますので、これまでの著作の内容と大きく異なるところはないだろうと推察したのですが、念のために、確認することにしました。

今年は水平社創立100周年の年・・・。3月3日は、その創立記念日・・・。その3月に、新教出版社が特集号を出した『福音と世界』の論文の主題には<水平社>なる文言はない・・・。それは、部落史研究や部落解放運動が、あらたな段階に入ったことを示唆しているのやどうやら・・・。それで、筆者、いろいろ確認したいことがあって、出版元に直接注文しました。 




午後1:15~午後3:45、郡山の歯科へ・・・

午後1:15、妻と一緒に郡山の歯科へでかけました。少しはやめにでかけたのは、コンビニで、雑誌のバックナンバー代の前払い料金を振り込むため・・・。指定されたコンビニと歯科までは往復20分かかります。

治療を終えると、筆者と妻、すぐ湖南に戻ってきました。そして、野菜直売所・湖南四季の里に今朝、妻が出展した有機・無農薬の野菜が売れ残っていたら、持って帰るため・・・。火曜日は、四季の里の定休日ですから・・・。店から出てきた妻は、うれしそうに、<全部、売れてたわ!>と話していました。購入してくれる人は、地元の農家・・・。まもなく、四季の里も冬の積雪期を前に、来年の春まで休店することになりますので、保存できる野菜が売れているのだとか・・・。

歯科では、筆者は、<歯のブラッシングがきちんとできているので、同じブラッシングを続けてください>とのこと・・・。歯科医と歯科衛生士の方の指導通りのブラッシングをしていますので、OKが出されて、筆者もほっと一安心・・・。妻は、まだまだ治療をしなければならない歯がたくさんあって、当分、歯科通いを続けなければならないようです。

昨夜、読んだ、『アーレント=ヤスパース往復書簡』の中で、アーレントの歯が1本折れたとの記事がありましたが、その記事を読んで筆者は、愕然・・・。朝、妻に、そのことが書かれているアーレントの手紙を読んで聞かせますと、妻は、目を潤ませていました。たかが1本の歯、されど1本の歯・・・。

脱穀を前に、農機具の小屋の片づけ・・・

今、妻の実家の棚田の田でボウガケしているひめのもち、はえぬき、コシヒカリの脱穀をはじめる前に、脱穀したあとの袋を一時保管するために、妻の実家の農機具の小屋の中にその保管場所を作る必要があります。

それで、今日の午前10:00~12:00までは、農機具の小屋の資材と農具の片づけをしていました。資材も農具も元の場所に並べるだけなのですが、けっこう時間がかかります。途中、卓上式電動ドリルの整備・点検、給油して実際に使ってみました。問題なく使えることを確認・・・。種もみの浸種、播種に使う農具を農機具の小屋の屋根裏に格納・・・。今年使うことがなかった電気柵の本体・電線・碍子を整理・・・。あれやこれやで、あっという間に2時間が過ぎてしまいました。

明日も、農機具の小屋の片づけをすることになりますが、農業用資材の在庫調べ、農機具の冬支度も兼ねての作業です。今日の午後、郡山の歯科にでかけますので、12:00で作業を打ち切りました。

部落史研究者が描く被差別部落像は金太郎飴・・・

昔、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、西中国教区の総会で、部落差別問題特別委員会の委員を押し付けられた筆者、下松市の<造船の灯を消すな>という市民運動に教会として参加、その市民大会で、市民代表として<演説>したことがありますが、その流れの中で出会った、部落解放同盟新南陽支部の方々が、その被差別部落の中にある隣保館で開催されている<学習会>を通じての交流がはじまりました。あるとき、支部長さんから、その被差別部落の歴史を調べることを求められて、徳山市立中央図書館の郷土資料室で調べはじめましたが、司書の方の<あなたは、部落について調べていませんか? 部落について調べることは差別です>と何度も差別者として嫌疑をかけられました。あるとき、司書の方から通報を受けた山口県立図書館の木下先生が郷土資料室で調べ物をしている筆者のところにやってきて、<査問>をはじめられました。その結果は、前回、紹介しましたので省略しますが、その時、木下先生は、<部落史の学者・研究者が書いている被差別部落像は、金太郎飴みたいでしょう。誰が書いたものを読んでも同じ顔が出てくる・・・>と話しておられました。筆者、<長州藩の古文書に出てくる被差別部落の姿は、村ごとに歴史と伝承が違っていて、いろいろな顔を持っていますね。部落史研究者の描く被差別部落像は金太郎飴でも、私がこの郷土資料室の史資料で確認できる被差別部落の姿は多種多様です。>と答えました。木下先生は、筆者に対する<査問官>としての厳しい表情を崩して、笑顔になっておられました。

後日、筆者に、木下先生が古文書を読みながらそれをワープロに打ち込んでいる古文書読解の作業現場を見せてくださいました。山口県立文書館の研究員や山口県立図書館の研究員の方々は、幅広い精神をお持ちの方が多い・・・。だれの言葉にも率直に耳を傾けることができる・・・。金太郎以外の顔が出てくると、金太郎の顔に書き直す研究者もいないわけではありませんが・・・。実証主義の歴史学者なのか、イデオロギー的歴史研究家なのか、彼らが描く被差別部落像を精査すればわかります。

被差別部落の調査は容易ではない・・・

ブログ『部落学序説』の筆者の経験からいいますと、特定の被差別部落について調査することは容易なことではありません。

筆者の場合、その史資料の大半は、徳山市立中央図書館郷土資料室の蔵書ですが、その郷土資料室で、検索して、被差別部落に関する書籍の閲覧を申し込んでも、司書の方から、<なにのためにこの本を読むのですか? この本は、閲覧禁止です。>といわれて、閲覧することを拒否されるでしょう。

筆者が日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていた下松市の市立図書館では、書名に<部>のつく本は、すべて閲覧禁止にされていました。筆者は、下松市立図書館では、関連書籍は1冊も閲覧することはできませんでした。それと比べますと、徳山市立中央図書館郷土資料室の史資料は、制限つきながら、読むことができました。しかし、しばしば、司書の方から、<あなたは部落に関する本を読んでいるのではありませんか?部落について調べることは差別ですよ。>といって、閲覧禁止にされます。

あるとき、徳山市立図書館郷土資料室の司書の方が、山口県立図書館の担当者の方に通報され、その担当者の方から、筆者、質問を受けました。そのとき、筆者、<私は、日本基督教団の牧師です。長州藩領地における切支丹弾圧を調べていますが、切支丹を追捕・入牢・栽培・処刑に関与していたのが、穢多役・非人役です。>と答えますと、その担当者の方、<被差別部落についてどこまで調べましたか? 何の史資料を使ってそれを調べましたか?>と問いかけてこられましたので、ありのまま答えました。<長州藩の穢多寺は3ケ寺、茶筅寺は1ケ寺ですよね>と念をおされるので、<それだけではありません。周防国の茶筅寺は1ケ寺ではなく3ケ寺です>と答えると、<それはどこに書かれていましたか?>とさらに問われるので、<浄土真宗の寺を訪ねて、その住職さんから、3ケ寺の名前を教えてもらいました>と答えました。すると、その担当者の方、<そこまで、調べたんですか? それなら、もう何も言いません。納得できるまで調べなさい。あなたが、被差別部落の人々を差別するために調べているのではないことがわかりましたから・・・。やはり、日本基督教団の牧師から、あなたのような人が出てきましたか・・・。歴史の真実を知るために、運動とは関係なく、被差別部落の歴史をしらべはじめたのは、あなたが二人目です。>といって、先輩牧師の名前を教えてくださいました。筆者、その牧師と一度も連絡を取ったり話をしたりしたことはありませんが・・・。

その経験から、すべての同和対策事業が完了したといわれる現代においても、公立図書館で被差別部落について調べるのは、極めて困難であると思われます。今、問題になっている『全国部落調査』・・・、あれをみて、被差別部落の何がわかるというのでしょう?動画『部落探訪』は、<貧民>探しをしているようにしか見えないのですが・・・。まだ、<貧民はいる、だから、国と行政は同和対策事業を継続する必要がある・・・。>と利権獲得のための訴えでしかないように思われます。だから、同じ穴のむじなである部落解放同盟も、その存続を容認している・・・。

Gooblog と違って Blogger はまだ言論の自由が保障されているみたい・・・

Gooblog と違って Blogger はまだ言論の自由が保障されているみたい・・・。

言論の自由は、いつも、些細なことから、足元から崩れていくのが常・・・。人々が気がつかないうちに、言論の自由は徐々に制限され、人々が気がついたときには言論の自由は完全に剥奪されている・・・。

筆者の経験から判断しますと、Gooblog は、言論の自由を抑圧する機関・・・。<独断>と<偏見>で、問答無用と、ブログを閲覧禁止・削除処分にしてくるのですから・・・。それと比較すると、Google の Blogger は、まだ言論の自由を保障してくれているようです。なにをもって、閲覧禁止・削除処分にするかは、最終的には、それぞれのプロバイダーの管理者の判断にまかされているから、人間的な恣意的判断に影響されやすい・・・。民主党政権下の政府が、東日本大震災のときに、原発事故に関して言論統制をしたことがありますが、そのネット警察を引き受けたのが、富士通・・・。原発事故が起こる前の原発周辺の放射能汚染と、原発事故が起きたあとの放射能汚染を、公表されたデータから比較・検証した筆者のブログの記事も、それだけでなく、『部落学序説』とその関連ブログ群全体を閲覧禁止・削除処分にしてきたことは、忘れがたい。しかし、今は、自民党政権下・・・。それなのに、Gooblog  はネット警察よろしく、言論弾圧を繰り返している・・・。

それにひきかえ、Google の Blogger は、まだ<良識>が働いているようで、筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群のインターネット上での再公開を容認しているようです。<言論の自由>を保障してくれるプロバイダーがまだ存在していることに、筆者、安堵の思いを持っています。アクセス数が制限され、操作されていても、ブログの存続が許されているということは、執筆継続に希望が残ります。

検索サイトの中では、Microsoft の Bing も、言論の自由を前提とした検索が可能であるようです。


2022/10/30

筆者のブログのアクセス者数は1日3~4名に・・・

筆者のブログのアクセス者数は1日3~4名に減少・・・。

といっても、1日4~5名から3~4名に減少しただけですから、あまり気にする必要はなさそうです。3~4名と言えば、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんが、頭に浮かんできますが、日本基督教団の隠退牧師になった筆者のブログを読みに来てくださる方は、彼らぐらいでしょう。

筆者が、無学歴・無資格、歴史研究の門外漢であるにもかかわらず、部落史研究の世界に関与するようになったのは、部落解放同盟山口県連新南陽支部の支部長さんに、その地区の歴史を調べるように依頼されたからです。筆者、被差別部落の歴史を調べるのにふさわしい存在ではないとお断りしたのですが、部落史の学者・研究者・教育者にその被差別部落の歴史を調べてくれるように依頼しても、<いいですよ>と快諾してくれるものの誰ひとりとして、調査結果を教えてくれない。牧師さんとして、信頼してお願いするが、調べたことは、いいことも悪いことも包み隠さず、全部教えてほしいといわれ、断るに断れなくなって、かかわるようになりました。その支部長さんに、<エタということばで差別されたとき、どう切り返していたのですか?>とお尋ねしたところ、差別してくる相手に「ネス!」という言葉を投げ返していたと、話しておられました。<エタ>の末裔から<ネス>といわれて、傷つくひとって、誰なのか? 部落解放同盟山口県連新南陽支部の学習会に参加させてもらって、被差別部落のおじさん、おばさんの話を聞くことができるようになって、筆者の被差別部落に対して抱いていた差別的なイメージが音を立ててくずれはじめました。徳山市立中央図書館郷土資料室で調べていて、<エタ>に<ネス>と反撃されて衝撃を受ける人の存在をしりました。

のちに『部落学序説』の執筆につながる瞬間でした。支部長さんに、そのことを伝えますと、とても喜んでおられました。そのとき、支部長さんが筆者に語り掛けてこられた言葉は、<吉田さんが、わたしの息子だったらよかったのに・・・>。支部長さん、草葉の陰で、筆者の言動を見ておられるでしょうから、筆者、おいそれと、『部落学序説』を廃版にしたり、『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)の執筆を断念したりできません・・・。

出会いは大切にしなければ・・・。

動画『部落探訪』、なぜインターネット上から削除されないの・・・?

被差別部落の先祖は、賤民などではなく、近世幕藩体制下の司法警察官であったと説く、筆者のブログ『部落学序説』とその関連ブログ群は、プロバイダーによって、差別文書として閲覧禁止・削除処分にされるのに、なぜ、露骨に、<被差別部落>の所在を特定してそれで学術研究事たれリとする動画『部落探訪』が閲覧禁止・削除処分にされないのか・・・?

YouTubeで流される動画『部落探訪』をみて、不愉快になりませんか? あんな映像を見せられても、部落差別の本質を知ることもできなければ、差別なき社会をつくるためのきっかけになることもできません。同和対策審議会答申の中で、国民的課題として部落差別解消の訴えがなされてきましたが、『全国部落調査』の公開や、Youtubeによる被差別部落の所在を<暴露>する動画の公開・・・、それに対して何ら有効な手段を取ることのない法務省、部落解放同盟、プロバイダー、何なんでしょうね?

日を追って増える Youtube の動画『部落探訪』・・・、決して学術研究などではない!学術研究に名を借りた差別行為そのもの・・・。まさか、同和対策審議会答申のあとの、同和地区に対する学者・研究者・教育者による調査・研究が、Youtube の動画『部落探訪』と同レベルの差別的なものであったと暗に示唆しているわけではないでしょうね・・・? 被差別部落の側から、<おれたちは、学者・研究者・教育者・運動家の学術調査という名目のもとで、このようにおれたちのふるさとを暴かれてきたのだ。>という怨念にみちた抗議ではないでしょうね・・・?

Google で<吉田向学>をKeywordにして検索すると・・・

Google で<吉田向学>をKeywordにして検索すると、最初にこんなページが・・・。

筆者のブログ『部落学序説』とその関連ブログ群がプロバイダーによって閲覧禁止・削除処分にされたのは、昔の日本政府の機関が発行した『全国部落調査』を<部落地名総鑑>として、インターネット上で公開した、宮部龍彦なる人物をめぐって、裁判所に<証拠書類>として提出された文書の中に、筆者のペンネーム・吉田向学と『部落学序説』が掲載されていたことで、Gooblog の事務局の担当者は、筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群を問答無用の閲覧禁止・削除処分に付したようです。
筆者と宮部龍彦なる人物とは何の関係もないのですが・・・。この問題をめぐって裁判を起こした側とも起こされた側ともなんの関係もなければ、面識もないのですが・・・。筆者、前々から、この『全国部落調査』問題は、部落解放運動を推進する側の自作自演ではないかと思っていたし、ブログでそう言及してきました。日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、日本基督教団部落差別問題特別委員会の委員長をしていた東岡山治牧師は、<部落解放運動に反対する人を黙らせるのは簡単だ。その周辺の人の耳もとで、あいつはおれの仲間だといえば、すべて事足れる>と筆者に話していましたが、筆者の『部落学序説』の主張をつぶすためにしかけられた罠・・・? 筆者は、<部落解放同盟 外5名>にとっても<宮部龍彦>にとっても都合の悪い存在・・・? 『全国部落調査』の復刻が問題になって久しく時が経過しますが、筆者のところに問い合わせは一度もありませんし、裁判所からの呼び出しもありません。抗議もなければ糾弾もありません。もちろん、証人として法定に立ったこともありません。インターネットでのやりとりは、『田舎牧師の日記』・『湖南村尻百姓日記』・『隠退牧師の晴耕雨読日記』・『隠退牧師の百姓日記』の本文・コメント・メール、すべてファイルサーバー、HDに保管していますので、いつでも提出できるのですが・・・。 部落史の学者・研究者・教育者・運動家の、被差別部落の人々の先祖は<賤民>であり、現在の被差別部落の人々はその<賤民>の末裔であるという一般説・通説に対して、『部落学序説』のなかで、それを差別思想であると批判し、被差別部落の人々の先祖は、近世幕藩体制下の司法・警察官であったと主張する筆者・吉田向学が差別的であるというなら、いつでも裁判の席で弁明する用意はできています。 『隠退牧師の晴耕雨読日記』の中で、筆者、このように記しています。<『昭和十一年三月刊 全国部落調査 秘』を公開する人々は、被差別部落の外延の拡大を意図しているのでしょうか?もし、そうなら、極めて差別的な行為であると思われます。部落差別の解消ではなく、部落差別の拡大に貢献するのですから・・・>。

<アクセスランキング上位の国>に昨日と今日で変化・・・?

このブログで、10月29日に、<この1か月間の外国からのアクセス・・・>という文章を書きましたが、10月30日に、同じ画面を見てみますと、大きく数字が異なっていました。

<この1か月間、読みに来られた外国の方々は、アメリカ合衆国85人、香港31人、カナダ13人、ドイツ4人、ロシア4人、フランス2人、フィンランド1人、イギリス1人、そのほか2人・・・。1日平均4人の人が見に来られたようです。>の中から、<香港31人>が削除されてしまったようです。

今日の<アクセスランキング上位の国>の人数は、アメリカ合衆国88人、カナダ14人、ドイツ4人、ロシア4人、フランス2人、フィンランド1人、イギリス1人、アイルランド人1人、ポーランド人1人・・・。

昨日と今日とで、この変化・・・? もしかして・・・、と思って、検索サイト(Google・Goo・Yahoo)をチェックしてみましたら、筆者のブログも検索履歴から抹消され、アクセス者数は0になっていました。ようするに、ネット上での部落問題に対する言及は許さないということのあらわれでしょうか・・・?

哲学と思想の違い・・・

哲学と思想の違いは、どこにあるのか・・・。

筆者、高校生のとき3年間600冊の本を読みました。1年生のとき300冊、2年生のとき200冊、3年生のとき100冊・・・。高校の図書室と、下校するときの帰り道にあった公民館の図書室の蔵書が、筆者の読書源でした。公民館の図書室の司書の方、筆者に、<あなた、彼女いるの? いないの? だったら、いいひと紹介してあげましょうか。あなたと同学年の女の子・・・。その子も読書が好きで、山岡壮八の『徳川家康』や吉川英治の長編を読破しているのよ>と話しかけてこられたことがありますが、そのとき、筆者は、哲学やキリスト教に関する本ばかりを読んでいましたので、公民館の司書の方のすすめを受け入れることはありませんでした。そのころ、筆者は、<哲学と思想の違いはどこにあるのか? 人生にとってどちらが自分にとって意味があるのか?>などと考えていましたから・・・。

筆者、よく知られた、<分け登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな>という歌はまちがっていると思いました。<同じ高嶺の月>は、別に山に登らずとも誰にでも見える、それなのになぜあえて登らなければならいないのか・・・と考えていました。筆者にとっては、<分け登る麓の道の多ければ同じ高嶺も様々に見ゆ>というのが真実に近いと思っていました。登山をしていますと、その山の頂は、見えたり、見えなかったりします。しかも、どの登山道を選ぶかによって、登山道から見上げえる山は様々な姿に見えてきます。東・西・南・北、その登山道からみるその山の頂は、決して同じではないのです。

筆者は、哲学は、自分の選んだ登山道をのぼりながら、そこから見えるその山のいただきを見つめることだと思っていました。しかし、思想は、数多くある登山道の価値を認めず、その先人の開拓した登山道だけを真正の登山道と断定し、その他の登山道を否定する傾向を持っていると思っていました。そこでは、自分で調べて、地図と磁石を手に登山する自由はなく、先人の開拓した道のあとをたどることのみが正義とされる・・・。哲学と思想、そのどちらが筆者に向いているのか・・・、いろいろな哲学書を読み考えていくなかで、筆者は、<思想>ではなく<哲学>の道を選択することにしました。

<分け登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな>という歌は、宗教者によって好まれる歌ですが、どの宗教であれ、結局は同じ真実にたどりつくことができるという、すべての宗教を相対化、無化する考え方です。聖書を読んで知る真実と、仏典を読んで悟ることができる真実と、いろいろなイデオロギーで主張される真実と、同じものであるとは、思えなかったのです。

部落問題、部落史研究についても、同じことがいえますね。<分け登る麓の道の多ければ同じ高嶺も様々に見ゆ>・・・。その自由を認めない、しかも、左翼主導の部落史研究や部落解放運動の枠から外れているという理由で、<様々に見ゆ>る人々を<差別者>として排除・疎外するのはもってのほか・・・。法的公正を期するはずの法務省が、左翼思想・左翼思想家・左翼運動家と連動して、日本国憲法で保障された言論の自由を抑圧するのももってのほか・・・。

紅葉が進む会津の山々・・・

今日、国道294号線、国道49号線を走って、湖南・猪苗代間を往復しましたが、筆者、助手席に座って、そとの景色を眺めていました。

会津磐梯山も紅葉が進んでようで、秋の会津磐梯山に衣替え・・・。会津の秋は短いので、まもなく、会津磐梯山に積雪があるでしょう。会津磐梯山が2~3回積雪すると、里にも雪が降るようになります。その前までに、妻の実家の棚田の田でボウガケしているひめのもち、はえぬき、コシヒカリの脱穀をすまさなければ・・・。

毎年、棚田の田の山側の雑木林がすっかり落葉して裸木になるころに、今年のコメ栽培の後片付けを終えることになります。田の面には、まだシュレーゲルアオガエルが動いていますので、積雪は、まだまだ先になると思っていますが、冬支度を急ぐに急ぎ過ぎることはありません。

日本基督教団の隠退牧師である筆者、人生の晩年は、妻と、妻が飼っている黒猫黒兵衛の3人暮らしで、田の生き物と同棲の日々を過ごしていますし、これからもそんな日々を続けることになるでしょう。天地を創造し、生きとし生けるものを守り育ててくださる主なる神さまに感謝しながら・・・。

今日は猪苗代へ買い物にでかける・・・

今日は、妻の運転で、猪苗代へ買い物にでかけました。稲刈りをすっかり終えた田には、コハクチョウの姿がありました。

ところどころの田にたむろしていましたが、コハクチョウの本格的な渡りのときは、まだ先であるようです。猪苗代湖畔のカモもかなり数が増えてきましたが、猪苗代に大挙してカモが飛来するのもまだ先の話し・・・。

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたときは、熊毛郡八代村の棚田に、ナベツルが飛来してくるのを楽しみに待っていましたが、妻の故郷・湖南に帰郷・帰農してからは、ナベツルに代わって、コハクチョウが渡りしてくるのを楽しみにするようになりました。娘が大学を卒業した年は、湖南町赤津村の田にオオハクチョウが群れなしてやってきていたのですが、それが、筆者がオオハクチョウを見た最初で最後の年・・・。それからは、コハクチョウばかりを見るようになりました。

今日はスーパー2店によって、必要な食糧品のみを購入して帰ってきました。秋の紅葉シーズンの観光客のくるまが多いので、観光客の不慣れな道の交通事故を警戒して・・・。

The LORD will by no means clear the guilty・・・

昨日と今日、『英訳聖書』(NSRV)を読んでいて目にとまったことば・・・。

Mica:You will cast all our sins into the depth of the sea.
Nahum:The LORD will by no means clear the guilty.

ひとの犯す罪は、その人から遠ざけられることがあっても、罪そのものをなかったかの如くに消し去ることはできない・・・。

ウクライナに<ネオナチ>とラベリングして、ウクライナの国民をその<ネオナチ>から解放する正義の軍隊として、ウクライナにロシア軍を侵攻させ、ウクライナの国土・国民、経済・文化を破壊すつくしている、ロシア大統領・プーチンの<戦争犯罪>、神と人の前で、決してクリアされることはないし、歴史の流れのなかで忘却されることもない。歴史の流れの中で、ロシア大統領・プーチンは、最大・最悪の戦争犯罪者としてその名を刻み込まれることになるでしょう。ウクライナも欧米諸国も、ウクライナを支援する諸国も、ロシア大統領・プーチンの戦争犯罪と、それを支えたロシア国民の<未必の故意>という罪を決して不問に付して、<casting all our sins into the depth of the sea>でなかったことに、忘却することはないでしょう。悪魔に悪魔祓いの長の称号を与えるロシア正教の宗教者たちも・・・。

弱腰は全世界をロシアの側に押しやってしまう・・・

昨夜読んだ『アーレント=ヤスパース往復書簡』の中に出てきた言葉です。

<弱腰は全世界をロシアの側に押しやってしまう。いまでもそれはすでにはっきり目につくようになっている。・・・私は――これまでもずっと――いっさいの幻想の放棄を主張こそすれ、西ベルリンという事実を捨てるなと主張しているのです。それはせめて最低限の尊厳、それなしには自由な政治生活を持ちこたえることができない尊厳を守るためです。>

1961年11月1日づけの書簡の中で、ヤスパースがアーレントとその夫に語り掛けた言葉です。60年後の現在においても、色褪せることのない哲学者ヤスパースの言葉です。このヤスパースの言葉に出てくる<西ベルリン>を<ウクライナ>に置き換えても、意味が通じます。

自由を大切にする欧米国家や日本、<ウクライナという事実を捨てるな!>という呼びかけは、ロシアによるウクライナ侵略が、ウクライナの国土と国民、その文化と経済を破壊し尽している現代のEUとロシアの軍事的葛藤状態においても、耳を傾けなければならない実存哲学者・ヤスパースの言葉です。今のところ、欧米・日本は、共産主義・全体主義のロシアのウクライナ侵略戦争に対して<弱腰>にならず、自由を追求する<ウクライナ>を守り続けていくことを明確にしています。


背後に隠れているもの・・・

昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいて、このような言葉が目にとまりました。

<医学のこの分野は、ひじょうな複雑さにもかかわらず、ほかに例がないほどすっきりしていて、そこでの認識の発展はますます洗練の度を加えています――それでもやはり理解しがたいところはあって、その周囲をまさぐっている状態ですが、顕微鏡をのぞいていると、宇宙のかなたの星雲を見ているような気分になったものです。

知識はますます遠くまでおよぶようになっていく、しかしさらに「その背後に隠れている」ものには、いっそう手が届かなくなっていくのだ、と。>

ヤスパースの『哲学』(全3巻)から判断しますと、<科学的><知識はますます遠くまでおよぶようになっていく、しかしさらに「その背後に隠れている」もの<包括者=神>には、いっそう手が届かなくなっていく>と解釈されます。ひとりひとりの人生の背後には、<科学>では究明されない<神>の庇護がある・・・。神さまが少しく指を動かせば、人の脳血管の血栓をいとも簡単に取り除くことができる・・・。それが取り除かれても、取り除かれなくても、ひとはそのことを確認する術を持たない。ただ、<人生の主>である、主なる神さまを信じる以外にはない・・・。

まごって、かわいいわね・・・

今朝、妻が、筆者が着替えている寝室に入ってきて、<洗濯ものない? あなたのパジャマ、洗濯しましょう。>と話しかけてきました。そのとき、妻が、<あなた、まごって、かわいいわね。こうやって、わたしをみてるのよ・・・>と、まごの向学ちゃんが、<ばあば>といって妻を見るときの姿勢をとって笑っていました。

筆者、<かわいいね・・・。わたしが独楽をまわすと、じっと観察してたよ。そして、納得できたのか、とても喜んでた。向学ちゃんも真似をして独楽を回そうとしたけれど、できなくて、<じいじ>といって独楽を手渡し、まわしてくれるように催促してた。回すと、とてもうれしそうにはしゃいでた。向学ちゃん、声がきれいだね。はっきり発音できるし・・・>と答えました。

まごの向学ちゃんを前にすると、筆者も妻も、ごく普通の<じいじ>と<バアバ>になってしまうようです。娘は、<向学ちゃんは、毎日、讃美歌を聞いているのよ。音楽は、クリスマスソングが一番好きみたい・・・>と話していました。主なる神さまが、人生の晩年に、筆者と妻に与えてくださった恵みと感謝のひとときでした。

昨日、隣村のプロの農家と話をした・・・

昨日、隣村のプロの農家の方と話をしました。湖南の農家の方と話をするのは、何か月ぶりでしょうか・・・。

話しの内容は、今年の稲の収穫について・・・。湖南のあきたこまち、里山のつぶは、今年も豊作であるようです。

筆者と妻の栽培しているひめのもち、はえぬき、コシヒカリは、現在ボウガケして自然乾燥中ですので、今年の反あたりの収穫量は、まだ未定です。例年通りでは、反あたり5.5~6.5俵の収穫になりますが、2.4反で栽培していますので、それでも自家消費分をはるかに上回りますので、冬の積雪期には、すずめたちの餌に玄米をやっています。すずめたちが食べるコメは、2.5~3.0俵・・・。古米か古古米をやっているのですが、筆者と妻は、古米を食べ、娘家族には新米をたべさせています。赤津村では、反あたり10~12俵採れないと採れたうちには入らないといわれていますので、我が家は、赤津村では、毎年、<コメがとれなかった、バカ農家>といわれています・・・。

とお答えしました。その隣村のプロの農家の方、<吉田さんのコシヒカリは地味な味がしますね。噛めば噛むほど甘みが出てくる・・・>と話しておられましたが、どうして、非売品の我が家のコシヒカリの味を知っているのか、妻に尋ねると、妻が試食品として提供したのだとか・・・。そのプロの農家の方、<有機・無農薬でコメをつくると、かなり労力がかかるでしょう。おからだを大切にして、有機・無農薬でコシヒカリの栽培を続けてください>と、ていねいに挨拶をされて帰って行かれました。

妻のふるさと・赤津村と、隣村の福良村との農家の<良識>の違い・・・? 帰郷・帰農後10年を過ごしてきて、筆者と妻が共通して思っているのは、赤津村のプロの農家は、みんなバラバラ・・・。ひとつの目標を立てて、赤津村を再生・再建していこうという風はなく、目先の利益追求に、他者を蹴落としてでものしあがろうとする利己主義の農家が幅を利かせているみたい・・・。もちろん、赤津村の中にも、村の存続と発展のためにこころを砕いている農家がいないわけではありませんが、隣村のそれより希薄・・・。

昨日は、プロの農家の方から、倒伏したあきたこまちをコンバインで収穫すると、どのようなおコメになるのか、話をお聞きすることができました。1枚の田んぼでも、当山南北、日のあたりぐあいや水環境の違い、肥料の散布機のばらつきによって実りの質と量が大きく異なってきますが、コンバインは、1枚の田をその差異を考慮することなく、一律に刈り取り、玄米を混ぜて行きますので、田の一部が倒伏しても、倒伏した影響は、その田の米全体に及ぶそうです。

倒伏するはずのない短稈のあきたこまちを倒伏させてみせるプロの農家、倒伏するはずの長稈のコシヒカリを倒伏させることのないアマの百姓・・・、対話が成立するはずもありません。湖南に帰郷・帰農して10年目、<素人の吉田が有機・無農薬で、ここらでは栽培できねえといわれているコシヒカリをつくっているのは、地球温暖化のせいだ>、<コシヒカリを倒さねえのは、実りが悪いって証拠だ、そんなコシヒカリが美味えはずはねえ!>というのが、プロの農家のアマの百姓である筆者と妻に向けられた一般的な評価です。


2022/10/29

スズメバチが果汁を吸っていたマスクメロンは影も形もなし・・・

夕方、妻は、妻の実家の棚田の田に置いていたマスクメロンが心配になって、確認のためにでかけました。

棚田から帰ってきた妻は、スズメバチ4匹が果汁を吸っていた、半分に切ったマスクメロン、影も形もなかったようです。妻は、周辺を探したそうですが、皮も、食べかすもなかったとか・・・。

筆者、<おたぬきさんが、持っていったのでは・・・? たぬき、けっこう大きなものも持っていくよ。何度か見たことがあるから・・・>と話しましたが、妻は、たぬきの通り道に置いた他の半切れ3個も、食べかけたあとがあると話していました。その周囲のあしあとは、たぬきのあしあと・・・。妻の実家の棚田の田の山側の雑木林の中に、たぬきの巣があるようで、筆者と妻が湖南に帰郷・帰農する前から棲息していた<先住民>・・・。筆者と妻は、たぬきに敬意をもって接しています。

刑事コロンボの音声を英語に・・・

最近の筆者の、土曜日の午後の楽しみは、刑事コロンボ・・・。

今日、はじめて、刑事コロンボを最初から最後まで音声を英語にして聞きました。<party>の発音は、<パーティ>ではなく<パーリィ>と聞こえました。『実践英語ヒアリング&発音辞典』に、<t>の字は、日本人が聞くと<l>の字になると書かれていましたが、ほんとうにその通り・・・。

これからは、刑事コロンボを見るときは、音声を英語に切り替えて見ることにしました。

『実践英語ヒアリング&発音辞典』だけでなく『ビートびーと英語術』も合
わせ読んで、English Listening も再学習することにしました。今日の刑事コロンボには、日本人の高齢の植木職人が出てきました。彼が話していたのは、片言の英語・・・? その英語に耳を傾け、犯罪解決への糸口を探す刑事コロンボ、筆者の英語力を高めるのにいい教材になりそうです。

まごの向学ちゃんが遊びに来る・・・

今朝、郡山に住んでいる娘から電話がかかってきました。なにでも、ご主人が京都へ出張したとき、お土産に、生八つ橋を買ってきたので、それを持っていくとか・・・。

午前10:30頃、娘夫婦とまごの向学ちゃんがやってきました。それから、午後1:30までの3時間、筆者、まごの向学ちゃんと遊ぶことになりました。筆者が、<じいじ>だとわかって、まごの向学ちゃんはうれしそうな顔をして、筆者と一緒に積み木遊びをはじめました。娘が生まれたとき、妻が、訪問販売で買った積み木です。木材の積み木はしっかりしていて、いまでも十分に遊ぶことができます。

しかし、ひとりで遊ぶには、まだ難しそうなので、その時期がくるまで、預かっておくことにしました。

娘夫婦とまごの向学ちゃんが帰ったあと、筆者、どっと疲れが出て、午後3:30まで昼寝をしてしまいました。うたた寝というより熟睡・・・。子供は、すごくバイタリティがありますね。活発で、頭の回転も速い・・・。娘夫婦は、大学院卒の夫婦ですが、向学ちゃんをのびのびと育てているようです。

『部落問題事典』に記載さている事柄と記載されていない事柄・・・

昨夜、『部落問題事典』を読んでいて、この『部落問題事典』には、<記載さている事柄>と<記載されていない事柄>のふたつの側面があることに気づかされました。

なぜ・・・?

『部落問題事典』で、部落差別問題、部落史研究に関して、基本用語を検索しても、見出し語にない場合が少なくありません。『部落問題事典』は、学者・研究者による<科学的>(学問的)研究というより、左翼思想、左翼主義という、かなり偏った研究者の研究成果の集合体である可能性が多分にあります。

『部落問題事典』を、<記載さている事柄>と<記載されていない事柄>を念頭において読んでいくとき、<記載されていない事柄>と同じく、<記載されている事柄>も多く問題を内包しているように思われました。<記載されている事柄>は<部落>に関すること・・・、<記載されていない事柄>も<部落>に関すること・・・。なにか禅問答のような言い方ですが、『部落問題事典』に掲載されている事項は、無条件に受容していい、あるいは、受容しなければならない頃柄ではなく、批判・検証しなければならない事柄であるようです。そうしないと、部落差別の真実は見えてこない。<被差別部落>とラベリングされる人々の歴史と民俗のほんとうの姿を把握することはできない・・・。

この1か月間の外国からのアクセス・・・

筆者のこのブログ『隠退牧師の百姓日記』・・・

この1か月間、読みに来られた外国の方々は、アメリカ合衆国85人、香港31人、カナダ13人、ドイツ4人、ロシア4人、フランス2人、フィンランド1人、イギリス1人、そのほか2人・・・。1日平均4人の人が見に来られたようです。

外国に滞在する日本人の方がアクセスされているのか、日本語を判読できる外国人の方がアクセスされているのか、それとも、<Google 翻訳>機能を使って、英訳して読んでおられるのか、定かではありませんが、English Writing で、『Self-studying English composition』と『Research on Buraku Discrimination in Japan』を執筆すれば、もっと多くの外国からのアクセスがあるかもしれません。

日本の国内からのアクセス・・・? 法務省通達に基づく、筆者のブログに対する、プロバイダーによる閲覧禁止・削除処分などの<言論弾圧>によって、ほとんど皆無に近い・・・。<同国人によって痛めつけられた精神は外国語を学ばせる>とは、スイスの哲学者・アミエルの言葉でした。左翼思想に浸潤された法務省や日本のプロバイダーに安易に依拠・迎合することなく、日本から部落差別をなくするための<自由>な発言を続けたい・・・。

変わらざるロシアによる西欧諸国に対する威嚇と侵略・・・

昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を通読していました。読み進めるにつけ、変わらざるロシアによる西欧諸国に対する威嚇と侵略に絶句してしまいます。

ソヴィエト・ロシアのフルシチョフとアメリカのケネディの時代と、ロシアのプーチンとアメリカのバイデンの時代と、なにも変わっていない・・・。ロシアは、西欧諸国の自由と民主主義を否定し、西欧諸国を自由と民主主義の弊害から解放し、ロシア的な世界平和を実現するために、手段を択ばず、世界的テロリズムを闘争手段として、西欧諸国と、かってのソヴィエトロシアに軍事力によって支配・隷属化されていたソヴィエト・ロシアの周辺諸国を再度支配・隷属化するための侵略戦争を繰り返している。。。。

『英訳聖書』(NSRV)の、主なる神の御顔を見ることはできないけれど、サタンと悪魔の顔を、現代社会の中で見ることはできそうです。サタンの顔は、ウクライナに侵略戦争をしかけて、ウクライナの国土を破壊し、ウクライナの国民を殺戮するだけのロシア大統領・プーチンの顔・・・。悪魔の顔は、ウイグル・チベットなどの他民族を軍事力で侵略・統合、あらたに台湾の原住民を軍事力によって掌握しようとする中国共産党ひきいる習近平の顔・・・。

アーレント夫妻とヤスパース夫妻・・・、アーレントとヤスパースの二人の哲学者とその伴侶の間に繰り広げられる書簡による対話、かれらが最も大切なものとして追及しているのは<自由>・・・。

日本の戦後は、<民主主義>の旗のもと、すべての国民に発言の自由を保障したために、<民主主義>を否定し、左翼思想・左翼イデオロギーを実現しようとする左翼思想家、左翼主義運動にも発言の自由を与え、彼らの言説が、日本の政治の中枢にまで波及、浸潤することを許してしまった・・・。ロシアと中国などの社会主義・全体主義国家の政治理念を是として、日本の国民をそれに賛同すべく誘導しようとする・・・。日本の部落解放運動は、その発端からして、反体制的運動・・・。解放出版社の『部落問題事典』は、そのことを臆面もなく高言し続けている。日本の左翼主義思想の勝利、運動の成果、戦利品であるかのように・・・。そこで、忘れられているものは、近世幕藩体制下の司法・警察であった<穢多>役・<非人>役の歴史と伝承を引き受けて現代も生きているその末裔たち・・・。

2022/10/28

プロパガンダの嘘に飾られた中心的なイデオロギー的フィクション・・・

アーレントの政治哲学の書、『全体主義の起源』(全3巻)を通読したいと思いつつ、なかなか、その時間をとることができません。その第3巻第11章第2節の冒頭の言葉・・・。

<全体主義のイデオロギーの内容はつねに古いものの焼き直しであり、そのプロパガンダのスローガンは競争相手の政党や運動のそれとほとんど変わりない場合が多いのに対し、全体主義運動の組織形態は他に類例のない独創性を示している。この組織の任務は、必要に応じて新たに織り出される。プロパガンダの嘘に飾られた中心的なイデオロギー的フィクションを現実へと変え、そしてまた全体主義化されていない世界の中で人々を組織して、この虚構の現実の法則に従って行動させるようにすることである。>

ロシア大統領・プーチンのウクライナ侵略戦争開始以降の言行、ことばとふるまいを見ているかぎり、ロシア大統領・プーチンは、まさに、ウクライナを<ネオナチ>とラベリングし、ウクライナ国民を<ネオナチ>から解放し、ロシアに隷属させ、ロシアに同化させようとする、ロシア大統領プーチンの<プロパガンダの嘘に飾られた中心的なイデオロギー的フィクションを現実へと変え、そしてまた全体主義化されていない世界の中で人々を組織して、この虚構の現実の法則に従って行動させる>営みでしかない・・・。

日本の左翼思想に乗っかった部落解放運動も、<賤民史観>という差別的<プロパガンダの嘘に飾られた中心的なイデオロギー的フィクション>の現実化なのかもしれません。

あなた、おたぬきさんではなくスズメバチがやってきて・・・

午後、妻の実家の棚田の田に行ったとき、妻が、<あなた、来て来て! マスクメロン、半分に切っておたぬきさんにあげたのに、おおきなスズメバチが4匹来て、メロンの蜜を吸ってるわ!>と大きな声で筆者に話しかけました。<あなた、スズメバチに近寄ってはだめよ、刺されるといけないから・・・>。

筆者が近づいても、4匹のスズメバチは、一心不乱に半分に切ったマスクメロンの果汁を吸っていました。筆者、4匹のスズメバチが果汁を吸っているマスクメロンを残して、他の3個は、たぬきの足跡が残っている温水田の畔付近に移動しました。

妻は、<あなた、スズメバチ、大丈夫だったの?>と問いかけてきましたが、筆者、<スズメバチも、誰がこのマスクメロンを置いて行ったのか、知ってるのじゃないの? プレゼントしてくれた人を刺したりしない。スズメバチも見ていると、かわいいね・・・>と答えました。野生の動物も鳥も昆虫も、人間が攻撃的にならない限り、人間を攻撃してくることはありません。妻のふるさと・湖南の赤津村に帰郷・帰農するようになって今年で10年目・・・、彼らから被害を受けたことは一度もありません。

トマトの収穫とレンコン掘り・・・

午後1:30~3:00、妻は、妻の実家の棚田の上段の田の雨除け栽培用トンネルの中のトマトを収穫していました。筆者は、下段のハス田の備中レンコンを掘り起こしていました。

妻の話しでは、トマトの収穫は今日で終わりとか・・・。筆者が掘り起こした備中レンコンを見た妻は、<今年のレンコンは小さいわね。埋め戻しましょう。来年のために・・・>といって、筆者が掘り起こしたレンコンをすべて元に戻していました。

ハス田の広さは0.1反(30坪)・・・。妻は、<今年は、備中レンコン、自給用の収穫したら終わりにしましょう。来年は、肥料をきちんとやって、育てることにしましょう。今年は、いろいろあって、手入れをすることができなかったから・・・>と話していました。

今日は、結局、ハス田の残滓を片付けて終わり・・・。備中レンコンの枯れた茎と葉、雑草は、草刈り機で10cm刻みに切り刻んで、そのまま土の上に放置しました。


まだ稲刈が済んでいない田は10枚・・・

落花生を収穫したあと、妻は、自給用にキャベツ1個を収穫・・・。妻の実家の棚田の田の狸に食べさせるといっていたマスクメロン2個を、狸の通り道に、包丁で半分に切って置いていました。<こうしておいてあげると、おたぬきさん、皮だけ残してきれいに食べて行くのよね・・・>と話していました。

そのあと、赤津村と福良村の農道を走って、まだ、稲刈りが済んでいない田を数えました。すると、10枚の田がまだ稲刈が済んでいませんでした。いつもの年は、湖南の赤津村だけでなく、福良村をあわせても、妻の実家の棚田の田の稲刈りは、しんがりをつとめることになるのですが、今年は、あるプロの農家にその<名誉>を譲ることになったようです。

妻は、<今年、私たちの稲刈り、早かったのかしら・・・?>と話していましたが、筆者、<積算温度から判断すると、むしろ遅すぎたって判断しているけれど・・・>と答えました。妻は、<自給自足用ですから、それなりに収穫できたら十分・・・。たくさん取れすぎると、あとの処分に困りますから・・・>と話していました。

午前中は、落花生掘り・・・

午前10:00~、妻の実家の畑で、落花生掘りをしました。

妻は、<あなたが買った落花生のタネを2袋まいただけだから、すぐ収穫できるわ・・・>と話していたのですが、収穫を終えたのは、午前12:00ころ・・・。

収穫した落花生は、収穫かご1.5杯分・・・。有機・無農薬で栽培したこの落花生は、自給自足用です。水洗いしたあと、天日干しないし野菜乾燥機で乾燥させ、そのあろオーブンで焼いてピーナッツにします。そうすると保存できますから・・・。

妻は、最初から最後まで笑顔・・・。ピーナッツ入り柿のタネというお菓子のピーナッツはほとんどが中国製・・・。日本侵略を高言したり、尖閣諸島の領海に侵入したり、生物兵器として開発した武漢ウイルスを世界に拡散させたり、<確信的利益>を追求する中国に反意をしめすため、中国産食品・中国製商品の不買運動をしていますので、中国産のピーナッツ入りの菓子を購入することはありません。妻は、ピーナッツの入っていない柿の種を購入して食べていますが、今日収穫した落花生は、保存できるように加工して、柿のタネと混ぜて、半自家製の<ピーナッツ入り柿のタネ>にします。

生で、落花生を一粒食べてみましたが、食べたあと口の中に甘みが残ります。筆者が妻に、<落花生をつくるの、上手になったね・・・>と語り掛けますと、<そんなことはないわ。わたしはただタネを植えただけ・・・。落花生が勝手に大きくなったのよ・・・>と話していました。

今年最後のマスクメロンを収穫・・・

今朝、妻が、今年最後のメロンを収穫してきました。

6個・・・。

その1個を切って、朝食後のデザートにしましたが、あまくてとても美味しいメロンでした。妻は、6個のうち4個を、筆者と妻で食べて、あとの2個は、棚田の田のおたぬきさんにたべさせてあげるのだとか・・・。

今朝、筆者の寝室の窓の雨戸をあけると、西側の梅の木に、小雀が20羽ほどとまっていました。筆者がスズメの鳴きまねをしますと、こすずめたち、うれしそうにはばたいていました。昨日の朝、小雀が3羽やってきましたので、玄米をまいてやりました。今朝は、なかまのこすずめを連れてきたようです。今日から、毎朝、こすずめたちのためにえさやりをはじめます。


法務省にも左翼思想家が浸潤・・・?

昨夜、『部落問題事典』を読んでいて、筆者、もしかしたら、日本の法務省の役人の中にも、左翼思想家と左翼思想が浸潤しているのではないかと思いました。

法務省だけとは限りません。筆者のブログ『部落学序説』を差別文書として閲覧禁止・削除処分してきた、富士通の Cocolog と NTT 関連の Gooblog の当時の事務局も、左翼思想に浸潤されていた可能性があります。

筆者のブログ『部落学序説』は、

1.<被差別部落>の人々の先祖とされる<穢多>・<非人>は<賤民>などではなく近世幕藩体制下の司法警察官であった
2.左翼思想とその学者・研究者・教育者・運動家の<部落解放運動>によっても、部落差別は解消するどころか拡大再生産の一途をたどっている
3.部落差別が現存する今日の状況においては、被差別部落の地名・人名について安易に言及すべきではない
4.『部落学序説』の批判対象は、<被差別部落>ではなく、部落史研究・部落問題研究の学者・研究者・教育者・運動家に通底する差別思想<賤民史観>である

と、一貫して主張してきました。それがなぜ、法務省通達にもとづき<差別文書>として、閲覧禁止・削除処分になるのか、筆者には解せません。考えることができるのは、法務省の役人だけでなく、筆者のブログ『部落学序説』を差別文書として閲覧禁止・削除処分してきた、富士通の Cocolog と NTT 関連の Gooblog の当時の事務局の担当者も、<部落問題>を利用した左翼思想の発展を目論む左翼思想の傀儡、同調者になっているのではないかという可能性・・・。

昨夜、農作業で疲れたあたまで、筆者、そんなことを考えていました。

繰り返されるロシアの野望・・・

昨夜、農作業で疲れて眠気に襲われていましたが、かといって眠ることができず、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいました。

言葉が筆者の頭の中をただ通り過ぎるだけだったのですが、<ここには重要なことがかかれている・・・>と思った筆者、もうろうとした頭で、その書簡を繰り返し、何度も読みました。その書簡は、哲学者ヤスパースがアーレントの夫に書き送った手紙でした。

その内容は、ベルリンと東西ドイツに関する欧米とソヴィエト・ロシアの、軍事力を背景にした、今にも第三次世界大戦・核戦争が起こりそうな緊迫した状況についての、意見交換でした。無学歴・無資格の政治・外交・軍事の門外漢である筆者にも、両者の訴えがよくわかりました。というのは、そこで語られていたことは、ウクライナに対するロシアの侵略戦争に対する欧米のウクライナ支援の様相と二重写しであったからです。ロシアの共産主義イデオロギーに根付く侵略戦争と周辺諸国の属国化・隷属化は、ソヴィエト・ロシアの<確信的>存在であったロシアに強固に受け継がれて行っているようです。

もちろん、ヤスパースもアーレントの夫も、欧米の<自由諸国>を軍事力でもって威嚇し、実際に軍事力を行使するソヴィエト・ロシアに批判的・・・。

当時のアメリカ大統領ケネディは、核戦争の危機を前に、西欧諸国に、<核兵器>ではなく<通常兵器>の確保を要請していたようです。西欧諸国が、ソヴィエト・ロシアの軍事侵攻に抵抗・反撃するには、<通常兵器>の拡充・増強以外にはないと・・・。ケネディ大統領の言葉は、現在のロシアによるウクライナ侵略戦争のなりゆきを見ていますと、現代にも通用する先見の明があったように思われます。<核兵器>による脅かしを続けるロシアに、ウクライナは、戦略・戦術を駆使して<通常兵器>で対応、最近は、ロシアのウクライナ侵略戦争の初期段階でロシアによって奪われたウクライナの領土を奪還しはじめているようですが、<自由>を求めるウクライナの国家と国民は、その戦いをやめることはないでしょう。自由をロシアの巨大な軍事力、戦車・ロケット砲・ミサイルで粉砕しようとするロシアと、<自由>を尊重する国々と<自由>をもとめて闘い続けるウクライナ・・・。

もうろうとしたあまたで読んだ『アーレント=ヤスパース往復書簡』の1通の手紙・・・。今夜もう一度精読することにしましょう。

2022/10/27

今日の農作業は、とても疲れた・・・

今日の農作業は、とても疲れました。

機械音痴の筆者、農業機械を操作するとき、精神を集中して操作していますので、作業を終えたあと、どっと疲れがきます。肉体的疲労もありますが、それ以上に精神的疲労が出てきます。今日、操作した農機具は、ハーベスタ、バインダー、ミニクローラ・・・。エンジンを始動するとき、<果たして動くのだろうか? 動かなくなったら、どうするか? KUBOTAの現在の担当者、最新鋭の大型農業機械の修理は得意でも、昔の機種は苦手みたい・・・。修理できなかったり、時間がかかったりしたら、どうすればいいのか・・・?>などといろいろ考えながら農作業をしていますと、ほんとうに疲れがたまります。

今日の夜は、本を開いても、すぐ眠りに引き込まれてしまいそうです。

あとわずかになって、バインダーが故障・・・

今日は午前10:00~12:00、午後1:30~4:45、妻の実家の棚田の田のコシヒカリの稲刈りをしました。

強湿田部分の稲刈りでしたが、バインダーでなんとか刈り取ることができました。しかし、最後の最後になって、バインダーが故障・・・。KUBOTAの湖南営業所に電話しようと思ったのですが、今は、営業所の担当者の方は多忙・・・。修理は順番待ちで、いつできるかわからないといわれそうなので、なんとか自分で修理することにしました。バインダーが土の中に沈まない場所まで移動して、故障原因の追究・・・。その結果、以前、自分で修理したことがあるのと同じ故障であることがわかり、今回も自分で修理することにしました。修理に要した時間は、約1時間・・・。妻は、まだ刈り取っていないコシヒカリを稲刈り鎌で手刈りしていました。バインダーの修理を終えたとき、妻もコシヒカリを刈り終えました。ボウガケしたあと、農機具を、育苗用ハウスの中に片づけ、ハーベスタをブルーシートで覆って、棚田をあとにしました。

舗装された農道から、妻の実家の田をみますと、今年もボウガケが並んでいる風景を目にすることができました。妻は、<湖南の赤津村の風物詩ね・・・。赤津村の農家は、もう関心を失ってしまった昔の風景・・・。>と、妻は一仕事を終えてほっとしたような表情でつぶやいていました。今年も、赤津村で最後の稲刈りになりました。


KUBOTAのハーベスタHH701を農機具の小屋から取り出す・・・

朝、妻の実家の農機具の小屋から、脱穀するためのKUBOTAのハーベスタHH701を取り出しました。

取り出す前に、点検・整備を使用と思ったのですが、できたのは、エンジンオイルのチェックだけ・・・。そのほかの点検は、カバーをとりはずさなければならないのですが、ネジが堅く締められていて、筆者の手の力と、ありあわせの工具では緩めることができませんでした。とりあえず、動くことを確認して、歩く速度で、自走式のKUBOTAのハーベスタHH701を、常夏川沿いの農道を通って、妻の実家の棚田の田まで持って行きました。

そのあと、妻とふたりで、コシヒカリの田の稲刈り・・・。筆者が、バインダーで刈り取ったあと、妻がミニクローラで、コシヒカリの稲束を集めて行きます。そして、はえぬきの田まで移動して、ボウガケします。今年の5月3日に、95歳で、妻の実家のおかあさんがなくなったのですが、今は、筆者と妻と、黒猫黒兵衛の3人暮らし・・・時間を気にしないで作業できますので、少しく気分は楽・・・。

今日は、田で、農業機械を動かしていると、シュレーゲルアオガエルが近寄ってきました。まだ、冬眠は先のようです。

同時に学ぶことで、筆者の頭のなかで融合・・・

無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者、人生の大半は独学でした。小・中・高の12年間の公教育をのぞけば、独学は、筆者の生き方そのものでした。

独学といっても、ひとつの科目に集中していたわけではありません。最低でも、ゲーテ著『ファウスト』の中で、精通してもちっとも賢くなれないという、神学・医学・法学・哲学の4科目を同時並行で読んでいました。最近、独学しているのは聖書(『英訳聖書』(NSRV))、哲学(『アーレント=ヤスパース往復書簡』)、語学(『書く英語』(全3巻))、論文執筆(『社会科学系のための英語研究論文の書き方』)、部落問題(『部落問題事典』)・・・。

5つの領域が筆者のあたまのなかで融合されながら、筆者は独学を遂行していっているようです。もちろん、非継続的に読んでいる領域は、5つの領域に限定されてはいませんが・・・。


昨夜、『部落問題事典』を読み進めたけれど・・・

昨夜、『部落問題事典』を読み進めたけれど・・・

どうやら、<問題>なのは、<部落差別問題>ではなく<部落問題>であるようです。端的にいいますと、<問題>は<部落>にある・・・。

近世幕藩体制下の司法・警察官であった<穢多役>、<非人役>の村を、左翼思想の学者・研究者・教育者、運動家は、その社会主義・共産主義などの左翼思想を背景に、きわめて差別的に<部落>とラベリングして、近世幕藩体制下の体制内存在を、近代明治天皇制下の反体制的存在へと誘導したようです。

彼らによって、つくりあげられた<部落>像・・・。それは、<穢多役>、<非人役>の末裔を、<部落>という<差別的鉄鎖>に拘束し、人間としての自由を、<穢多役>、<非人役>の末裔から剥奪するものでした。

無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者、哲学は好きでも思想は嫌い、肌にあわない存在ですが、大阪市立学校事務職員(府費職員)として勤務していたとき、日教組の幹部職員から日教組に加わるようにオルグ活動の対象にされていましたが、筆者、日教組に加わることはありませんでした。中学校の事務長に同行して、被差別部落の家々と、一般の母子家庭を尋ねたことがありますが、そのとき、両者の経済格差にすごく違和感を感じました。もっと補助金を寄こせ、学費を免除しろという被差別部落の人々と、事務長のすすめにもかかわらず、学費免除の申請を拒否し、自分の子供には、自立していきていくことをおしえたいという母親・・・。

その違和感は、その後もずっと筆者の中に居座っていましたが、旧長州藩領地の被差別部落の古老と出会い、その話を聞くなかで、筆者は、部落差別には、左翼思想・左翼運動とはことなる、もうひとつの別の顔があることを知りました。ほんとうの<穢多役>、<非人役>の末裔の顔を・・・。『部落問題事典』には、ほとんど触れられることにない顔です。

2022/10/26

いかなる犠牲を払っても自由を・・・!

『アーレント=ヤスパース往復書簡』の、ヤスパースがアーレントに書いた手紙の一節・・・。

<ケネディの就任演説以来、われわれのところにもやはりほとんど経験したことのない何かが彼から放出されてきました。希望です――一人の男がものをはっきり見ていうべきことをずばりと言い、最良の男たちを周囲に惹き寄せ、自然な信念の力でもって、なんのために人生は生きるに値するかを世界にはっきり感じさせようとしているのだ、と。彼は権力の座にある政治家のうちではじめて、いっさいの条件も手加減もなしに、「いかなる犠牲を払っても」自由を、と言ったのです。ひょっとすると彼になら、この思いがけないことが可能かもしれない。一人の男が、その言葉と身振りと実際の行動がみんなを心服させるがゆえに勇気をあたえる、だからみんなはもっと力を奮い起こして、真実の厳しさを直視するだろう。このような希望がわれわれにどんなに必要なことか!>

その1年半前、ヤスパースは、<1916年に自分でこしらえた原則をまたあらためて守ったのです。――現実の政治問題には決して嘴を突っ込むな、政治状況一般についてしか発言してはならぬ、と。>とアーレントに書き送っていますが、ヤスパースは、<人間の自由>について語るときは、自制の枠をたやすく乗り越えるのが常・・・。人間にとって、自由は、かけがえのないものです。

ロシアの侵略戦争に抗して、国家と国民、歴史と文化、民族と共存のために防衛戦争を余儀なくされているウクライナの人々にとっても、中国共産党率いる中国に蹂躙されているウイグルの人々にとっても、自由と、自由への希望は、その存在をかけて戦うに値するものです。



複雑性は複雑性によってのみ縮減されうる・・・

夕方、娘の蔵書をひもといていましたら、理論社会学のルーマンの解説書に、こんな言葉がありました。

<複雑性は複雑性によってのみ縮減されうる・・・>。

筆者、この言葉に、妙に納得させられました。筆者が、ブログ『部落学序説』に続けて、『部落学』を、English Writing で執筆する<部落問題>という社会問題も、<複雑性>そのもの・・・。複雑な社会問題としての<部落問題>を、単純化、定式化、一般化しようとするとき、かえって、<部落問題>をさらに混乱させ、<部落問題>を解決の見通しが持てない袋小路へと追いやってしまいます。複雑性の典型であるような<部落問題>は、<複雑性>そのものを解明することによって、その<複雑性>を<縮減>できる・・・。

無学歴・無資格、社会学とは無縁の筆者にとっては、理論社会学のルーマンの説をどこま正確に理解できるか、可能性は少ないのですが、

<被差別部落の人々は、なぜ部落史の学者・研究者・教育者がいう賤民史観を受け入れることになったのか?>

その問いに対する答えが、筆者のあたまのなかを駆け巡りました。English Writing で執筆す『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japan)は、『部落学序説』のすべての文章を包括しつつ、登山でいえば、4合目から5合目を目指すことになります。

午後1:30~4:00、稲刈り作業・・・

今日の午後1:30~3:00、妻の実家の棚田の田のコシヒカリの稲刈りをしました。気温が急に低下してきましたので、作業中止・・・。そのあと、3:00~4:00、農機具の小屋のハーベスタを、農機具の小屋から取り出すことができるように、農機具の小屋の片づけをしました。そのあと、ハーベスタのエンジンを始動してみました。すぐエンジンをかけることができましたので、今日の夜、使用説明書を読んで、点検・整備事項を確認、明日の朝、点検・整備、軽油を補充して、妻の実家の棚田の田に移動します。ハーベスタは自動式なので、歩く速度で、農機具の小屋から棚田の田まで移動します。

今年も、妻の実家の田は、湖南の赤津村の稲刈りのしんがりをつとめることになりました。夕方のニュースでは、吾妻山が初冠雪したとか・・・。浄土平も積雪したようです。妻の実家の棚田の田の山側の雑木林も紅葉が一段と進みました。

今日、棚田の田で稲刈りをしているとき、たぬきが1匹、遊びにきました。筆者と妻をちらりとみても、<なんだ、いつものじいさんとばさんか・・・>とでもいうようなそぶりで、農道脇のバッタを追いかけて食べていたようです。たぬきに限らず、くまもいのしいもかもしかも、出会っても、お互いに干渉することなく、すれ違うのが常です。お互いに見て見ぬふりをするのが、野生動物との付き合い方です。

最近、毎日通読している本は・・・

最近、筆者が毎日通読している本は、

1.『英訳聖書』(NSRV)
2.『アーレント=ヤスパース往復書簡』
3.『書く英語』(全3巻)
4.『社会科学系のための英語研究論文の書き方』
5.『部落問題事典』

今年は雨の日が多く、筆者、文字通り、<晴耕雨読>の日々を過ごしてきましたが、今年は、前期高齢期最後の年で、まもなく、後期高齢期最初の年75歳を迎えますが、今年は、筆者にとっては、知的には一代飛躍の年・・・。『部落学』を、English Writing で書くことを決め、そのための環境つくり、英語力の増強をはかることができたからです。

主なる神さまに支えられて、視力・聴力ともに健在、健康を支えられて、一筆活動を続けることができそうです。

午前10:00~12:30、コシヒカリの稲刈り・・・

今日は、秋晴れ・・・。

稲穂の露がとんだころ、妻とふたりで、妻の実家の棚田の田のコシヒカリの刈入をはじめました。今年はなぜか、バインダーの調子がよくて、結束紐が途中で切れることはほとんどありませんでした。結束紐の交換時に、刈り取った稲が結束されないでばらけたくらい・・・。

今日の午前中で、コシヒカリの田の3分の2を刈り取ることができました。あとは3分の1(180坪)・・・。

筆者、前期高齢期最後の稲刈りです。来年から後期高齢期の稲作をはじめますが、75歳になってなお、自給自足用の有機・無農薬栽培でのコシヒカリ、はえぬき、ひめのもちの栽培、どうなることやら・・・。筆者と妻が、帰郷後、有機・無農薬でコシヒカリの栽培をはじめたとき、湖南の赤津村のプロの農家から罵声を浴びせられていました。<おめえら、ばかでねえのけ?ここらでは、コシヒカリは採れねえ!有機・無農薬でコメは採れねえ!>とバカにされていましたが、、湖南の赤津村に定住して10年、今では、<地球温暖化で、ここらでもコシヒカリが採れるようになったんだべなあ!>というプロの農家が多いようですが、その地球温暖化説を信じて、コシヒカリの栽培に挑戦したプロの農家、コシヒカリの収穫にまで至らなかったようです。最近では、<ここらでは、水管理をしっかりしねえとコシヒカリは採れなかったんだなあ・・・>と、筆者の口癖を思い出す農家も少なくありません。

妻の故郷・湖南では、有機・無農薬でコシヒカリを栽培しますと、播種から籾摺り、玄米保冷庫に格納するまで8か月かかります。

娘の蔵書の中にあった東京大学出版会『講座社会学』全巻・・・

娘の蔵書の中に、東京大学出版会『講座社会学』全巻がありました。

理論社会学のルーマンの書籍にあわせて、この『講座社会学』も通読しておいた方がいいかもしれません。朝、ルーマン著『法社会学』のページをめくっていましたが、無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者にとっても、読みやすい本です。

『田舎牧師の日記』の2012/2/1 の文章の中で、このような書き込みをしていました。

<筆者は、無学歴・無資格ゆえに、執筆の都度、必要な知識と技術を、執筆の戦場で「現地調達」です。・・・ジョナサン・カラー著『ソシュール』(岩波文庫)、ゲオルク・クニール著『ルーマン 社会システム理論』の2冊を読破しました。

・・・ソシュールは、筆者が高校を卒業するころ、かなりはやっていたように思います。ソシュールの本は何冊も読んだのですが、そのときはほとんど理解することはできませんでした。しかし、今、目を通すと、たとえ解説書であったとしても、その内容が手にとるように分かります。これから書く「言語」に関する論述は、ソシュールの言語理論を背景に置こう・・・、と考えたりしています。若いときに悪戦苦闘して読んだソシュールの言語学は、少しは筆者の脳裏に残っていたのかも知れません。

ルーマンの社会システム理論に関する本も解説書です。筆者は、何の武器も持たないで、『部落学序説』執筆の戦場に立つほど、愚かでも傲慢でもありません。ソシュールの言語学理論やルーマンの社会システム理論は、筆者に、単なる知識だけでなく、『部落学序説』を書き続けるための「ツール」(道具)を提供してくれます。「ツール」(道具)を提供しれくれない理論は、どのような理論でも筆者には関心はありません。

ソシュールもルーマンも、偉大な学者です。偉大な学者は、無学でただのひとに対しても、力を与えてくれます>。

この文章を書いてから10年・・・、筆者の書斎には、ソシュール言語学だけでなく、コセリウやガダマーの言語学に関する本が並んでいます。ルーマンだけでなく、他の社会学者の本も・・・。妻が預かった娘の本も、筆者の蔵書に加えて通読することにしました。ルーマン著『社会システム理論』(上・下2巻)970ページの大著ですが・・・。

2022/10/25

あなた、私はもう決めましたから・・・

筆者と妻、毎日、ロシアのウクライナ侵略戦争の非人道的な、ウクライナ国民に対する無差別攻撃と、ロシアの侵略を排除してウクライナの国土・国民を守ろうとするウクライナの防衛戦争としての戦いに関するニュースをみています。

一日も早く、ロシアのウクライナ侵略が破綻してロシア軍が撤退、ウクライナがロシアによって不条理に占領されたウクライナの領土を取り戻し、独立国家としてのその基盤を確保することができるように祈っています。

この前、妻が、筆者に語りかけてきました。<あなた、私はもう決めましたから・・・。野菜直売所・湖南四季の里の売上分の50%をウクライナの人々のためにささげますから・・・>。それを聞いた筆者、妻のこころによりそうことにしました。

筆者の蔵書に加えて・・・

筆者の蔵書は、約3,600冊・・・。

無学歴・無資格の、学問の門外漢である筆者にとっては、Specialist ではなく、Generalist として独学していくには、十分な蔵書数です。

妻の寝室と押入れには、その3,600冊に入っていない本がかなりあります。それは、娘が、福島大学の学部と大学院で専攻した<理論社会学>に関する本です。娘は結婚して今は郡山市内に住んでいますが、アパート暮らしで書籍を置いておく場所がないとかで、妻が預かって保管しています。一部は、居間に移しています。

今日、猪苗代での買い物から帰るとすぐ、居間のまめたんこたつの中で昼寝をしてしまいましたが、目が冷めたときに筆者の目に入ってきたのが、娘の蔵書Niklas Luhmann の著作とその解説書・・・。それらに目を通していて、筆者、Niklas Luhmann <理論社会学>は、とてもわかり易い本だと思いました。

ヤスパース、ラートブルフ、ウィトゲンシュタインに並んで、アーレントと共に、ルーマンは、無学歴・無資格の筆者の知的世界を広げてくれる予感を抱きました。アーレントは、自らをユダヤ人<ドイツ人>と言っていますから、この5人は、みんなドイツ人・・・。ヤスパースは実存哲学、ラートブルフは法哲学、ウィトゲンシュタインは言語・論理哲学、アーレントは政治哲学、ルーマンは筆者の目からみますと社会哲学・・・。哲学分野ではないけれど、ゲーテにカロッサ、筆者が蔵書している神学書の大半は、ドイツ人神学者の著作がほとんど・・・。

昔読んだある本の中に、ドイツでは、<貧しき、名もなき一農夫ですら自分の哲学を語る・・・>とありました。

昨夜、遅くまで、メモ書き・・・

昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』のページの空白部分に、メモ書きをしていました。

筆者のブログ『部落学序説』とは別に、あらたに執筆する『部落学』について・・・。その論文構成についてはすでにこのブログで書いていますので、再掲は避けますが、この『部落学』は、哲学者ヤスパースが、アーレントに、<不安(舞台恐怖症)があるのはいいことですよ。それがなくなったら、自分に満足して慣れた水のなかを泳ぎまわるだけになり、自分の亜流になりさがるでしょう>と書き送っていますが、新たに執筆する『部落学』は、すでに執筆した『部落学序説』の亜流としてではなく、『部落学序説』の内容をも包括するあらたな展開になります。

その『部落学』・・・、English Writing で執筆しますが、日本語表現のあいまいさを排除して、できるかぎり、論理的に展開するつもりです。平易な文章で、左翼主義の部落史研究者、部落問題研究者の研究方法と研究成果を批判していきます。

夕方のテレビニュースで見た湖南小中学校吹奏楽部の演奏・・・

今日の夕方のテレビニュースで、湖南小中学校吹奏楽部の演奏をみました。妻は大喜び・・・。6人の生徒の中に、知っている子がいないかどうか、関心をもって見ていたようですが、残念ながらひとりもいませんでした。そのあと、インターネットで確認したところ、次の記事に遭遇しました。

部員6人で県大会金賞 福島県郡山市の湖南小中学校吹奏楽部 複数の楽器担当し補う
2022/08/22 21:19

楽器を持ち替えながら、6人で繊細な音楽を奏でる部員

福島県郡山市の湖南小中学校吹奏楽部はわずか6人の少人数で躍進した。初めて出場した県吹奏楽コンクール県南支部大会中学小編成で金賞を受け、7月の県大会でも金賞に輝いた。部員1人1人が複数の楽器を担当し、人数の少なさを補っている。10月には市合奏祭などで演奏する予定。部員は「少人数でもやればできる。自分たちの音楽を奏でたい」と練習に励んでいる。

クラリネットやアルトサックス、マリンバ、和太鼓など木管楽器と打楽器合わせて20以上の楽器が並ぶステージ。6人の部員は演奏の合間に楽器を持ち替えたり、ステージを移動したりして1人当たり3、4種類を担当する。小編成ならではの繊細で透明感あふれる音色が持ち味だ。

・・・

コンクール会場では少ない部員で複数の打楽器を組み立て、運搬するなど苦労もある。不利な環境でも7月29日の県大会では金賞を受けた。東北大会出場はかなわなかったが、部長で9年(中学3年)の伊藤涼伽(すずか)さんは「今でも信じられない結果。一生懸命やれば結果は付いてくる」と自信を付けた。(以下略)

午前10:00~午後1:30、猪苗代へ買い物に・・・

今朝、妻が、<あなた、今日は、食品がいろいろなくなって料理をするのが大変だから、猪苗代へ買い物に行きます。>といいます。それで、妻が家事を終えたあと、筆者の運転で、猪苗代へ向かいました。

最初に行ったのがホームセンター・・・。ものはついでで、防獣対策用の電気柵の電池、単一アルカリ乾電池を6個入り×3袋を購入・・・。そのあと、スーパーへ・・・。筆者は、衣類売り場で、釣りベスト風の秋物用ベストが850円で販売されていたので、来年のために購入・・・。最近は、3,000円近くに値上がりしていて、年金暮らしの筆者が入手するにはためらいの思いが出てくる価格になっていました。我が家は、季節外れになって特売された衣料を買うのが常・・・。意外といいもの(デザインとサイズ)が残っているのですよね、安くても・・・。

そのあとは、妻の買い出しメモに従って、食材集めに協力・・・。砂糖・醤油・トンカツソース・中農ソース・ラーメン・焼き豚・信州そば・讃岐うどん・・・。妻は、生鮮食品を中心に選んでいました。

湖南・猪苗代間をくるまで往復する間、主に農道を走りますが、渡りをしてきたコハクチョウが、稲刈りを終えた田に、いたるところでたむろしていました。目の前を、3羽のコハクチョウが通り過ぎていく場面も・・・。猪苗代湖畔には、渡りをしてきたカモの群れが砂浜でたむろしていました。昨年は、渡りの途中に立ち寄った雁の群れにも出会いました。妻が、猪苗代と買い物にでかけるのは、渡り鳥をみるため・・・。猪苗代は、すっかり稲刈りを終えていました。本格的な、コハクチョウ飛来の季節に入ったようです。

家に戻ってきたのは、午後1:30・・・。家に戻ると、筆者、疲れて、まめたんこたつのなかに入って昼寝・・・。目がさめたのは、午後4:00ころでした。<疲れがどっと出た>感じ・・・。

2022/10/24

雑木林の中からウグイスの地鳴きの鳴き声が聞こえる・・・

今日、妻の実家の棚田の田で農作業をしているとき、雑木林の中から、ウグイスの<地鳴き>の鳴き声が聞こえてきましたあ。

日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、妻とふたりで、1週間に1度は、上関にドライブしていました。中の浦は、戦前は、海軍の弾薬庫があった場所で、一般人は立ち入り禁止区域・・・。戦後は、その浜辺は海水浴場として、誰でも立ち入ることができる場所になりました。その中の浦、1年中、ウグイスの鳴き声をきくことができます。ホーホケキョとなかない季節は、ウグイスの地鳴きを聞くことができます。その中の浦のウグイスの地鳴きと同じ鳴き声を、今日、妻の実家の棚田の田の山側の雑木林から聴くことができました。

午後4:00近くになると、筆者と妻の頭の上をカラスが、大きな声で鳴いて山の方に飛んで行きました。妻は、<カラス、もう農作業やめて家にかえりましょうって、私たちに話しかけているのかしら・・・?>と筆者にはなしかけてきたとき、もう一羽のカラスが、大きな声で<カア・・・ッ!> 妻は、<今のカラス、どこからやってきたの?>と問いかけてきますので、筆者、<北から・・・。A子さんの頭上にきて、カアって鳴いていった・・・。2羽とも・・・。>と答えました。この2羽のカラスは、妻の実家の棚田の田でよくみかけるつがいです。

コシヒカリの稲刈り・・・

今日は一日くもり・・・。冷たい風が吹くなか、午前10:00~12:30、午後1:30~4:00、妻の実家の棚田の田のコシヒカリの稲刈りをしました。

といっても、バインダーで稲刈りをしたのは午前中だけ・・・。午後は、吉田式ボウガケセット 4セットを設置して終わり・・・。棚田の中段のはえぬきの田に設置したボウガケセットは、全部で10セット、40本分です。40本分を超えた稲は、雨除け栽培用トンネルの支柱にはざがけします。

今日、KUBOTAの湖南営業所によって、エンジンオイル1缶とオイルスプレー缶1缶を購入・・・。1週間後に、ハーベスタで脱穀するので、修理の必要な場合は善処してくださるようお願いしてきました。

今年も、専業農家やプロの農家(兼業農家)の、棚田の田は、すっかり稲刈りを終えて、はやく刈った田は、ひこばえが出そろって緑一色・・・。陽があたって、黄金色に輝いているのは、妻の実家の棚田のコシヒカリだけ・・・。

2022/10/23

午前中、積み木の手入れ・・・

午前中、娘が小さい頃、遊んでいた積み木を取り出して、アルコールで清拭しました。

この積み木の材料となった木材、かなりしっかりしていて、時の経過をあまり感じません。まごの向学ちゃんが今度遊びにきたら、一緒にこの積み木で遊ぶことにしようと思っての積み木の手入れでしが、きれいにしたあと、筆者、この積み木で、動く恐竜を組み立ててみました。まごの向学ちゃんのおもちゃになることを確認して、それを分解しようとしますと、妻が、<これ、そのまま置いておきましょう。向学ちゃんに見せてあげたら?>といって、妻の実家のおとうさんとおかあさんの寝室のテーブルの上に飾っていました。残りの積み木は、箱の中に入れて、テーブルの下に格納・・・。

妻は、<この積み木、まごの向学ちゃんだけでなく、ひいまごの代まで使えそうね・・・。>と嬉しそうに話していました。この積み木、ひとつひとつに2種類の穴があいていて、1つの穴は連結用、もうひとつの穴は<車軸>に使えます。この<車軸>と円盤型の積み木を組み合わえると、動く車輪ができます。娘の子供の頃、この積み木全部を使って、オランダの動く風車をつくったことがあります。

ベニアズマの焼き芋を食べてみる・・・

棚田から帰ってすぐ、妻の実家の畑で有機・無農薬栽培したべにあずまの焼き芋をつくって食べてみました。

今朝、妻は、有機・無農薬で栽培したさつまいもを、野菜直売所・湖南四季の里に出展しました。そのとき、地元のお客さんと短い会話をしたようです。

農家A:このイモは、ホクホクイモ?
妻:品種は、ベニアズマです。
農家A:じゃあ、ホクホクイモだなあ。美味えのけ?
妻:試食してみたら、イモの味がしましたよ。
農家A:・・・・。

妻の話しでは、その農家、妻が出展したさつまいもを買わずに帰ったようです。妻は、こんな話も・・・。

農家B:このハクサイ美味しいのけ?
妻:有機・無農薬栽培ですから、そこそこ・・・。
農家B:1個、買っていくけ・・・。
妻:有機・無農薬栽培ですから、中に虫が入っているとおもいますよ。
農家B:・・・・。

その農家も、ハクサイを買わずに帰って行ったようです。妻に、<どうしてそんな言い方するの?>と尋ねますと、妻は、<ここらの農家は、有機・無農薬で野菜をつくったことがないみたいだから、私が有機・無農薬で栽培した野菜は評判が悪いの。売れ残った分は、我が家の消費分だから、売れ残ったら売れ残ったでいいのよ。>と話していました。

有機・無農薬で栽培したベニアズマでつくった焼き芋、ほくほくして、とても美味しい焼き芋でした。

午後1:00~3:00、コシヒカリの稲刈り・・・

午後1:00~3:00、妻の実家の棚田の田のコシヒカリの稲刈りをしました。3時前に、小雨がちらつき始めました。北の空をみますと、会津磐梯山がすっかり雨雲に覆われていましたので、1~2時間後には、湖南でも雨が本降りになる可能性がありますので、稲刈り作業を中止しました。今週火曜日以降は、晴&くもりの日が続くそうなので、晴れた日が2~3日続くと、コシヒカリを一挙に刈り取ることができます。テレビアニメの一休さんではありませんが、<あわてない、あわてない・・・>。

稲刈は、KUBOTAの湿田用のバインダーを使用しています。このバインダー、つかいはじめて、今年で、9年目・・・。今年は最初から、<低速刈入>で刈り取っていますが、今日の午後は、<標準刈入>にして、刈入速度をはやめました。妻は、<機械にこきつかわれているようで、この速さはだめ!>といいます。筆者もいつもより疲れがひどくなって、<標準刈入>を<低速刈入>に戻しました。

9年前は、<低速刈入>が遅く感じられて<標準刈入>をしていたのですが、筆者も妻も歳をとったのでしょうね・・・。<標準刈入>ははやすぎてついていけません。筆者と妻にとっては、<低速刈入>が一番あっているようです。9年の間に、筆者も妻も高齢化し、体力がおとろえたことを示すしるしであるようです。


筆者のブログのアクセス者数は、1日5~6人・・・

筆者の Blogger 上のブログは、

隠退牧師の百姓日記 
部落学序説
部落学夜話
Self-studying English composition
Research on Buraku Discrimination in Japan

上記ブログのアクセス者数の一日平均は、5~6名・・・。このカウントには、著者である筆者は含まれていませんから、筆者以外のアクセス者数です。いつか、『田舎牧師の日記』・『湖南村尻百姓記』・『隠退牧師の晴耕雨読日記』も再掲することになるでしょう。


ナチ・ドイツとソヴィエト・ロシアの同質性・・・

筆者、今、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいますが、書棚の隣には、ヤスパース著『真理について』(全4巻)とアーレント著『全体主義の起源』(全3巻)があります。

『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読み終えたら、次は、ヤスパース著『真理について』(全4巻)にするか、アーレント著『全体主義の起源』にするか、思案にくれています。『全体主義の起源』の第3巻目は<全体主義>・・・。その本の帯にこのような言葉がありました。

<ナチ・ドイツとソヴィエト・ロシアの同質性、プロパガンダ、秘密警察、強制収容所、「見捨てられていること」。先例のない統治形式である全体主義の本質に迫る。>

昨夜から今朝にかけて雨・・・

昨夜から今朝にかけて雨が降っています。

晴耕雨読という言葉がありますが、まもなく後期高齢者に入る74歳の筆者にとっては、晴耕雨読という言葉は、<晴?雨?>あるいは<?耕?読>と?にいろいろな言葉が入る変数になっています。

昨夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいましたが、アーレント夫妻とヤスパース夫妻、学歴(One's academic background)のある哲学者たちの書簡によるやりとり・・・、無学歴・無資格の筆者のあずかりしらない世界の話しですが、その筆者ですら、よく理解できる彼らの世界・・・。

『プログレッシブ和英辞典』で<学歴>をひくと、このような文例が掲載されていました。<In Japan , a person's educational background decides his worth and social position.> 日本は、<Academic snobbism>(学歴偏重主義)に陥っているようです。『プログレッシブ英和事典』で<snobbism>を引いてみましたが見出し語にはありませんでした。<Academic snobbism>、意訳すると、<学歴をもっていることで学歴を持たないものに優越感を抱く俗物>とでもなるのでしょうか・・・。

神学校を出て、最初に赴任したのは、日本基督教団神奈川教区の開拓伝道でしたが、招へいをうけて赴任したはずの伝道所で、役員から、<この教会は、東京大学を出たり、慶応大学の教授をしたり、高学歴・高資格の信徒ばかりです。無学歴・無資格のあなたは、この教会でどう伝道するのですか?>と問いかけをうけたのにはびっくり・・・。筆者、思わず、<主なる神さまに招かれて牧師をすることに学歴・資格が必要なのですか?牧師は、福音を福音として語るべく教会に使わされるのですが・・・>とこたえました。

主日礼拝で山上の垂訓の説教をしたとき、大騒動になりました。<吉田牧師は、「貧しきものは幸いなり」と説教した。今の時代、なんで貧しきものが幸いであろうか。吉田牧師は、富めるもの、学歴や資格、社会的地位や名誉のあるものは幸いなりと説教すべきだ!>という<Academic snobbism>の声は、筆者のご意見番である周辺8教会と教区議長につたわり、大騒動になりました。

筆者、右手首の関節炎を患い手術、筆記ができなくなりました。妻は、は、未熟児で娘を出産、<学歴・資格を持たないだけでなく、障害児を持ち、自らも障碍者になった吉田牧師は、高学歴・高資格、社会的地位と名誉のある人々のサロンとして教会形成しようとするこの教会の牧師にはふさわしくない、即刻、元日本基督教団総幹事をしていた阿佐ヶ谷東教会の高倉徹牧師にこの教会を譲るべきだ>、いろいろな裏工作を展開していました。

筆者が出た農村伝道神学校の<農>に対する極端な嫌悪感、障害者・障害児に対する露骨な差別・排除・・・、筆者は、反骨精神から、<無学歴・無資格>を標榜して生きることにしました。そんな俗っぽい学歴偏重主義者に取り囲まれて、筆者は、日本基督教団の牧師としての職務をまっとうしてきましたが、『アーレント=ヤスパース往復書簡』のアーレント夫妻とヤスパース夫妻の手紙でのやりとりと生き様を読むにつれて、ほんとうの学歴(One's academic background)をもった人々の真摯で、謙遜な生き方と言葉に心打たれるこの頃です。

筆者の知人には、アーレントやヤスパースのような大学教授や哲学者はひとりもいません。<Academic snobbism>に取りつかれた学者・研究者・教育者には多々出会ってきましたが・・・。

2022/10/22

『刑事コロンボ』に出てきた English Writing における論文の Title の書式・・・

今日の午後4:00~6:00、BSで放送されていた、『刑事コロンボ』の第57話<犯罪警報>をみていたら、English Writing における論文の Title の書式に関する話が出てきました。犯人のメディア関係者が被害者のメディア関係者を殺害したことを証拠立てる、そのひとつの証拠が、被害者と被害者の所属する会社の English Writing の書式は、会社固有の書式があるそうで、論文の Title はすべて大文字で書くようにしているようです。<Title>は<TITLE>と表記・・・。しかし、加害者の犯人は、<TITLE>ではなく<Title>と表記・・・。書式に疑問を抱いた刑事コロンボは、次から次へと証拠をあげて、犯人を追い詰めていく・・・。

それで、筆者、English Writing の論文を書くときには、<自分なりの書式>、もちろん一般的、公的な書式に準拠していなければなりませんが、著者に許された範囲で、著者独自の書式を決めて、著者が、自分が書いた論文なのかどうかを識別することができるようにする、そういう仕掛けを自分の論文の中に組み込むことも大切であると、学びました。盗作・贋作・改竄を許さないための処置・・・。



『新修・部落問題事典』は・・・

筆者が、インターネット経由で入手した一番安価な古書は、『新修・部落問題事典』です。なにしろ、古書価格は、1円ですから・・・。

650ページの厚い本なので、送料は650円・・・。ということで、『新修・部落問題事典』の、筆者の入手価格は、651円・・・。

今、通読していますが、『新修・部落問題事典』の内容は、<部落問題事典>というより<部落差別問題事典>といった方がよさそうな内容です。部落差別事件と、部落差別事件に関与した運動家に関する記事が圧倒的に多い・・・。『新修・部落問題事典』を<部落解放事典>のつもりで入手した人は、期待外れでがっかりするのではないでしょうか・・・? 通読しても、部落解放の展望は見えてこない・・・。<部落の起源>について、『新修・部落問題事典』は、固定的なものではなく、<資本主義の矛盾>の中で、常にあらたに再設定されていくものであるようです。<部落問題>の世界にも、<元祖>か<本家>かの葛藤があるようです。

無学歴・無資格、部落史研究の門外漢である筆者、関心があるのは、<元祖>か<本家>かの葛藤に白黒をつけることではなく、歴史の事実・真実を知りたいだけ・・・。

午後、西日本の<〇〇村部落史資料集>に目を通す・・・

午後、西日本の<〇〇村部落史資料集>に目を通しました。安政年間から明治20年頃までの、〇〇村<穢多>に関する史資料ですが、<穢多>の宗門改帳の記載内容も年代を追って確認することができる375ページの本です。

これも、インターネットの日本の古本屋経由で、東京・神田の古書店から入手したものです。

出版された当時は、部落史の学者・研究者・教育者の間でのみ流布した資料集のようですが、今、入手することは困難な文献であるようです。筆者が入手したのは、15年前のことですから・・・。日本基督教団西中国教区の牧師をしていたとき、インターネットのブログ上で『部落学序説』の公開執筆をはじめたとき、筆者にいろいろアドバイスをしてくださった、京都大学大学院を出られた日本文化史研究者の方から、<同和対策事業終了で、部落史の学者・研究者・教育者がそれまで集めた文献を古書店に放出しているので、『部落学序説』の執筆を継続するなら、入手しておいたほうがいい・・・>とアドバイスしてくださった史資料のひとつです。

<〇〇町部落史資料集>といい、<〇〇村部落史資料集>といい、筆者が差別思想であると断定する<賤民史観>の学者・研究者・教育者によって、黙殺された可能性のある史資料集です。<〇〇町部落史資料集>、<〇〇村部落史資料集>と伏字で表現しないと、法務省通達とやらで、プロバイダーによって<差別文書>として削除される可能性がありますので、不本意ながら、実際の書名では記載しませんでした。

筆者が収集した部落史関連史資料のなかに、いったい、<〇〇町>、<〇〇村>と伏字に表記しなければならない、近世幕藩体制下の<穢多町>、<穢多村>はいくつあるのでしょう? 『部落学序説』は、長州幡の<穢多町>、<穢多村>の史資料と伝承、山口県立古文書館の研究員の方々の研究成果に負っていますが、『部落学序説』の主張の内容は、旧長州藩領地以外の西日本の府県の<〇〇町落史資料集>、<〇〇村部落史資料集>においても確認することができます。

午前10:00~12:30、コシヒカリの稲刈りの準備・・・

朝早くから、妻の実家の棚田と段々畑で、有機・無農薬の野菜を収穫して、野菜直売所湖南四季の里に出展して、帰ってきた妻と一緒に、コシヒカリの田の稲刈りの準備をはじめました。

今年は、これまでと違って、ボウガケをする場所は、棚田の上・中・下段の中段のはえぬきの田に集中的に設置することにしました。そのため、1mの段差のある下段から中段へ、バインダーやミニクローラを走らせるための通路を、これまで、踏み板を設置してつくってきましたが、今回は、畑の土を使って、自然のスロープをつくることにしました。来年からは、この下段と中段を結ぶ、また中段と上段を結ぶスロープを固定することにしました。

そのあと、バインダーでコシヒカリを刈り取って、コシヒカリの束をボウガケ2.5本分積み上げました。稲刈りをしながら、秋の青空に浮かぶ会津磐梯山、火山の噴火のような灰色の雲を吐き出していました。東側の雑木林の木の葉、赤や黄色が混じりはじめました。

2022/10/21

自分の亜流になりさがらないように・・・

筆者の『部落学序説』を英訳することを断念したのは、『部落学序説』の文章があまりにも日本語的だからです。

日本語の主語や目的語が不明確なのは、日本の精神風土の中ではそれなりの意味があるのかもしれません。きちんと批判しなければならないときに、その読み手の受け止め方を慮て、薬をオブラートに包んで服用するような表現をしたり、比喩的表現であいまいにしたり、言外の意味をもたせたり・・・、そのような表現は、English Writing に適用させることはできません。English Writing には、論理性が要求されます。それで、筆者、『部落学序説』をそのまま英訳するのではなく、あらたに『Research on Buraku Discrimination in Japan』を執筆することにしたのです。

夜、『アーレント=ヤスパース往復書簡』を読んでいて、原書を他の言語に翻訳することの難しさを知らされました。

ブログ『部落学序説』を公開で書き下ろしをはじめたときの参考となる史資料・論文の質・量と、English Writing で
『Research on Buraku Discrimination in Japan』を執筆しようと思いたったときの質・量はかなり違いがありますし、ブログ『部落学序説』は、部落差別問題に何からの接点がある読者を想定して執筆したのと違って、English Writing の『Research on Buraku Discrimination in Japan』の場合は、日本の部落差別について、ほとんど前知識のない一般の人をも対象にしなければなりません。筆者自身の英語力にも<不安>がありますが、哲学者ヤスパースは、アーレントとの往復書簡の中で、<不安(舞台恐怖症)があるのはいいことですよ。それがなくなったら、自分に満足して慣れた水のなかを泳ぎまわるだけになり、自分の亜流になりさがるでしょう>とアーレントに書き送っています。

English Writing の『Research on Buraku Discrimination in Japan』は、ブログ『部落学序説』の内容を、より発展的に超克する必要があります。昨夜、目を通していた、西日本の<〇〇町部落史資料集>も筆者に同じことを要求してくるように思われます。<思われます>なんて曖昧な表現を使わず、<I think ・・・>と言い切ったほうがいい・・・。<自分の亜流になりさがらないように>するためにも・・・。


午後1:30~3:00、棚田で作業・・・

午後、妻の実家の棚田の田で作業をしました。

妻は、雨除け栽培用トンネルの中の大玉トマトとミニトマトを収穫・・・。筆者は、ボウガケセット12本分を、手ではえぬきを刈り取ったあとの田に持って行き、ボウガケセットをくみたてはじめました。トマトの収穫を終えた吉田農園の農園主の妻が、<あなた、帰りましょう!>といいますので、ちょうど8本分を立て終えたところでしたので、4本分の資材は田の上に置いたまま、帰ってきました。

関節障害のある右手に痛みがきていましたので、家に戻ると、右手首と指の OutStretch をいつもの3~4倍の時間をかけて行いました。 OutStretch をしている間に、痛みがとれました。<イエスは・・・その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった>(マルコ福音書3・5)。筆者にとって、<霊験あらたかな>主イエスさまのみことばです。

家に戻ると会津坂下の梨屋さんが・・・

筆者と妻が、郡山から戻ると、妻の実家の家の前に軽トラがとまっていました。

筆者、<ああ、会津坂下の果樹栽培農家のおばさん!>と、玄関先に立っているおばさんを指さしました。妻は、<今日、こちらの方面に梨を売りにくると電話があったの・・・。間にあってよかったわ!>といって、今日は、<会津坂下の梨屋>さんから、梨を買っていました。

この会津坂下の果樹栽培農家のおじさんとおばさん、妻の実家のおとうさんが健在であったときからずっと、栽培しておられる果物を売りに来られます。おとうさんなきあと、妻が引き継いで、そのおじさんとおばさんからくだものを買い続けています。そのおじさんとおばさん、あるときは、<会津坂下のぶどう屋です>といい、あるときは、<会津坂下の梨屋です>といい、あるときは、<会津坂下のりんご屋です>といいます。筆者と妻にとっては、会津坂下の果樹栽培農家のおじさんとおばさんは、<りんご屋>さん・・・!

妻は、財布の中に残っていた紙幣で梨を買って、<あとは、小銭しか残ってないわよ>とうれしそうに笑っていました。

郡山市大槻で買い物・・・

歯科で治療を受けた帰り、郡山市大槻のホームセンターとスーパーに立ち寄って、日用品と食品を購入しました。

その帰り、妻が農協によって、共同作業の日当を振り込むといいますので、農協に立ち寄りましたが、ATMのあるドアから出てきた妻、<日当がなくなってるの。どこにいれたのかしら?>といってカバンをあけて探し始めました。筆者も手伝ったのですが、妻がいう日当に相当するお金は出てきませんでした。

それで、筆者、<財布にはいくら入れていたの?>と尋ねると、<2万円・・・>といいます。それで、筆者、<今日はいろいろ買い物をしたから、2万円を超えているんじゃないの? レジの領収書見せて。>といって、その領収書の金額を合計しますと、2万円と農協の口座にいれるはずだった金額の合計とがほぼ一致・・・。筆者、<よかった! 落としたのじゃなくて、A子さんが使い込んだだけだから・・・>といいますと、妻は、<私も認知症がかってきたのかしら・・・>と笑っていました。

今日はホームセンターで、2,480円のマメタンを4袋買いましたから、日当13,000円にほぼ該当・・・。2年前、1,280円で売られていたマメタンがほぼ2倍の価格になっていました。

郡山の歯科へ・・・

今朝8:30、妻と二人で、郡山の歯科にでかけました。三森峠を越えて、一番最初にある歯科・・・。筆者と妻がこれまで出会った歯科医・歯科衛生士のなかで、一番腕のいい歯科医・歯科衛生士の方々です。

筆者、まもなく後期高齢期を迎える74歳ですが、現在自分の歯は、25本・・・。おやしらず4本の他に3本失っています。インターネットで検索しますと、<厚生労働省が行った2016年の歯科疾患実態調査によると1人当たりの歯の数の平均値は、15~24歳 28.4本、25~34歳 28.7本、35~44歳 28.2本、45~54歳 27.0本、55~64歳 24.5本、65~74歳 20.8本、75歳~ 15.7本、となっています。>とありました。筆者の歯の本数からみますと、筆者は、10歳若い状態にあるといえそうです。

認知機能検査の64枚の絵・・・

高齢者講習の認知機能検査を終えてひさしくなりますが、認知機能検査の<手がかり再生>16種類×4枚=64枚のカット、まだ、筆者の記憶からなくなっていないようです。64枚すべて思い出すことができます。

はさみでトラックの絵を切り抜いているメロン柄のドレスを着た女のひと・・・。
万年筆で飛行機を描いているレモン柄のコートを着た女のひと・・・。
筆でヘリコプターを描いているパイナップル柄のズボンをはいた女のひと・・・。
ものさしでオートバイの寸法を測っているブドウ柄のスカートをはいた女のひと・・・。

この4つの短文で16枚のカットを記憶できるのですが、それを4セット覚えれば64枚覚えたことになります。テントウムシ・トンボ・カブトムシ・セミなどは、園芸の堆肥関連でおぼえましたが、こちらは常識的な短文になりました。単語を覚えるためには、単語の組み合わせに意味を持たせて覚えるのが一番簡単なようです。


2022/10/20

夜、西日本の<〇〇町部落史資料集>に目を通す・・・

夜、さらに、午後、西日本の<〇〇町部落史資料集>に目を通しました。

この資料集の解説には、差別思想である<賤民史観>が暗い影を落としています。学者・研究者・教育者、行政や運動団体が、この差別思想<賤民史観>に依拠しているかぎり、部落差別の完全解消への道筋を見出すことはかなり困難なのではないかと、あらためて、思わされました。

〇〇町〇〇という被差別部落に焦点をあてて、1600年代から1970年代までのその歴史資料を収録した<〇〇町部落史資料集>は、〇〇町〇〇の被差別部落の歴史と民俗にとどまらず、全国津々浦々の被差別部落に通底している内容を含んでいます。<〇〇町部落史資料集>を精読することで、被差別部落史を概観することができる可能性があります。

<うちの先祖はなあ・・・人の善悪を判別して、とっさに召し捕ったほとんどの捕手の名人〇〇という人で・・・>と祖父母から父母へ、父母からその子達へ、語り継がれてきた、被差別部落の伝承は、藩政史の史資料の中で確認される・・・。〇〇町〇〇の被差別部落の人々の先祖の役務・家職は、紀州藩『城下町警察日記』の<穢多>の役務・家職そのもの・・・。

筆者の書斎の3,600冊は、ちいさな研究室にふさわしい蔵書数に達しているようです。無学歴・無資格、歴史研究とは無縁の筆者の雑学でしかありませんが・・・。

午後、西日本の<〇〇町部落史資料集>をひもとく・・・

午後、西日本の<〇〇町部落史資料集>をひもときました。

この本は、東京・神田の古書店から入手したもので、インターネットの普及した現代だからこそ、日本の古本屋経由で、東京・神田の古書店から、部落史研究に関する貴重な資料を入手することができますが、インターネットのない時代であるなら、地方から東京に出向いて、何日もかけて、東京・神田の古書店を歩きまわってやっとみつけることができるような、貴重な資料です。

535ページのこの本は、筆者のブログ『部落学序説』でとりあげている、筆者が出会った山口の未指定地区の被差別部落の古老の話と同じ系列に属する歴史資料と伝承が収録されています。その期間は、1600年代から1970年代まで・・・。全国各地の明治5年の<壬申戸籍>は、法務省管轄に移され閲覧禁止にされていますが、この本には、〇〇町の<穢多>の、明治3年の<庚午戸籍>の全世帯の名簿が掲載されています。〇〇町の<被差別部落>の先祖は司法・警察を拝命した<非常民>であったとの確信と、先祖に対する崇敬の念から、〇〇町の被差別部落の住人全体が公表することを承諾したのでしょう。

なぜ、無学歴・無資格、部落史研究とは無縁の筆者が、この貴重な資料を入手できたのか、その経緯はいつか、あらためて書くことになりますが、明治初年まで、司法・警察であった〇〇町の<穢多>が、明治後半期になって差別されるようになったのか、筆者、差別の重圧さに言葉を失ってしまいますが、『部落学序説』の執筆者として、この<〇〇町部落史資料集>を精読して、〇〇町の被差別部落の古老の語る言葉に耳を傾ける必要があります。

午後1:30~3:30、稲刈り・・・

午後1:30~3:30、妻と二人で稲刈りをしました。

妻の実家の棚田の下段のコシヒカリの田の稲刈りですが、今年、田植えのときに、3条植えの小型乗用田植え機に、育苗箱の苗をセットするとき、右端に、間違って、ひめのもちの苗をセットしたらしく、左・中・右の3条のうち右側の条に、ひめの持ちの苗が田植えされてしまいました。

ひめのもちは早稲で短桿、コシヒカリは晩稲で長桿・・・、そのため、受粉の時期が異なり、刈入れするときの草丈は20cmほど差ができていますので、午後は、バインダーを使って、ひめのもちだけを刈り取りました。昨年と一昨年のひめのもちは、1袋1kg単位で、40袋ほど、野菜直売所・湖南四季の里に出展しましたので、在庫は2升ほど・・・。有機・無農薬のひめのもちの新米は、40kgほど収穫できそうです。

<待てば海路の日和あり>(If we wait, there will be fine weather on the sea route.)ではありませんが、<待てば稲刈の日和あり>(If we wait, there will be fine weather on the rice harvest.)と思って、今日の稲刈りは、西の山に太陽がしずむ前に稲刈り作業をやめました。

今朝の健康管理・・・

秋冷の今朝のめざめはさわやか・・・。

いつもの健康管理・・・。最高血圧116、最低血圧72、脈圧差44、平均血圧87、脈拍数59、呼吸数15回/分、体温36.0°C、体重60.0kg・・・。

昨夜の夕食のとき、筆者の右手にけいれんがきました。箸を持った、筆者の右手が、激しく振動して、おちゃわんのふちを、ばちで太鼓をたたくときのように、音たてるのです。意識していたのでは、絶対にできない速度で・・・。

妻は、<ぬかるんだ田でバインダーを操作していたから、右手に負担がかかったのね・・・>と話していましたが、妻がいれてくれたあたたかい湯呑のおちゃを飲んでいますと、筆者の右手のけいれん、うそのようにすぐとまりました。妻は、<疲れだけでなく、冷えもかさなったのかもしれないわね・・・。稲刈りをするときの田の空気は冷たいんですもの・・・>と話していましたが、高齢化とともに、このような現象が増えていくのでしょうね、きっと。自分の意志とは無関係にからだが勝手に動くという・・・。

昨夜も、『社会科学系のための英語研究論文の書き方』を読む・・・

昨夜も、石井クンツ昌子著『社会科学系のための英語研究論文の書き方』を通読していました。一度、通読して、全体像を頭に入れたあと、精読に移ります。English Writing の知識・技術を習熟したあと、筆者のブログ『Self-studying English Composition』で、短文のひな型を集めたあと、本格的に英語論文『Research on Buraku Discrimination in Japan』に入ります。

ブログ『部落学序説』の執筆をはじめたとき、<誰も読むことのない文章を、なぜ、延々と描き続けるのか?>というコメントが多々ありましたが、『部落学序説』の英訳を断念して、あらたに、英語論文として『部落学』(
『Research on Buraku Discrimination in Japan』)の執筆を宣言している筆者にも、同じ批判が向けられることは重々承知しています。<日本語でさえ誰も読まなくなった『部落学序説』を英文で書き直して、いったい誰が読むというのか?>・・・。

筆者、最初は、英語と日本語で同時執筆するつもりでしたが、English Writing に関する本を読むにつれて、最初は、英語で執筆し、完成したあと、それを和訳すればいいのではないかと思うようになりました。遅れに遅れた『部落学』の執筆、遅れついでに、そうすることを決断しました。なぜ、被差別部落出身者でないのに、また部落史の学者・研究者・教育者でないのに、なぜ<手弁当>でその作業にかかわり続けるのか・・・。日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき、西中国教区の宣教の課題として部落差別問題に取り組むことを要求されましたが、その取り組みの中で、<手弁当>で<勝手同和>を実践する山口県立古文書館の研究員・北川健先生とその論文にであったり、その論文の中に出てくる旧穢多村・旧茶筅村の古老を訪ねて、彼らの先祖に対する思いと、その歴史を引き受けて生きて行っている生きざまに触れることができました。30年間、山口で棲息していたときにであった出会いに感謝して、『部落学序説』の執筆をはじめたのですが、その30年間の重さが、まもなく後期高齢期を迎える筆者をして、英語論文『部落学』(
『Research on Buraku Discrimination in Japan』)の執筆を決断させたのです。

先祖の歴史を否定することなく、それを引き受け、今の時代を生き抜いている、旧長州藩領知の山口の被差別部落の人々に栄光あれ! 差別からの完全解放の時が来ることを祈りに込めて!

2022/10/19

被差別部落の人々の先祖は<賤民>などではありません・・・!

筆者のブログ『部落学序説』の内容を、一言で表現しますと、次のようになります。

<被差別部落>の人々の先祖は<賤民>などではありません・・・!

<被差別部落>の人々の先祖を<賤民>としておとしめる、部落史研究者の差別思想としての<賤民史観>を否定、<被差別部落>の人々の、歴史における真実の姿を取り戻すこころみとして執筆しているものです。

<被差別部落>の人々の先祖を<賤民>とし、<被差別部落>の人々は<賤民>の末裔であると主張する、<賤民史観>のイデオロギー的信奉者である部落史研究者や教育者、運動家は、彼らが説く一般説・通説を批判する筆者の『部落学序説』を、<被差別部落>の人々の運動に不利益をもたらすとして差別的であるとして批判、抹殺しようとしますけれども・・・。

夜、漢語<部落>の語源を追跡していたら・・・

夜、漢語としての<部落>の語源を追跡していましたら、いろいろ興味ある事実に遭遇しました。

漢語としての<部落>概念がもっている本来の意味、部落史の学者・研究者・教育者はすでにそのことを知っていながら、暗黙の前提として不問に付している可能性があるのではないかと思いました。

英語論文として執筆する『部落学』は、English Writing である以上、論文としての<独創性>が要求されますが、今夜調べたことは、英語論文としての『部落学』に組み込むことが可能です。漢語としての<部落>概念も、明治の法制用語・行政用語としての<部落>概念も、部落史研究者の原田伴彦は不問に付し、沈黙を守っています。『部落問題事典』の原田伴彦の書いた項目を見ても、そのことを裏付けることができます。

今夜調べたことは、まず、筆者のブログ『Self-studying English Composition』で、文章化することにしましょう。石井クンツ昌子著『社会科学系のための英語研究論文の書き方』を精読したあとになりますが・・・。

English Writing って、楽しいですね・・・。発想の転換ができて・・・。

午後2:00~4:00、午前中刈り取ったはえぬきをボウガケして・・・

午後2:00~4:00、午前中刈り取ったはえぬきをボウガケして、今日の稲刈り作業は終わり・・・。

4:00近くになりますと、太陽は山陰に沈み、急にあたりが暗くなり、気温が低下してきます。高齢者は、風邪をひくことで、肺炎になったりして、致命的な状態に陥ったりしますので、筆者と妻は、4:00になる前に、バインダーやミニクローラ、そのほかの農具・工具を片付けて、家に戻ってきました。

今日1日で、刈り取ることができたのは、面積にして、はえぬきの田の半分ほど・・・。妻は、<今年のはえぬきは、去年より、草丈が長いと思わない?>と筆者に問いかけてきましたが、筆者、<はえぬきは去年と同じだと思うけれど、ひめのもちは去年よりかなり草丈が低かったように思う・・・。今年のひめのもちとくらべると、はえぬきの草丈は高いように見えるけれど・・・>とこたえましたが、きちんと測定したわけではありませんので、筆者も妻も主観的判断・・・。しかし、直観力は、筆者より妻の方がはるかに優れていますので、そうなのかもしれません。

減反政策による減反後の、妻の実家のコメの栽培面積は2.4反です。有機・無農薬で栽培しても、自給自足用のコメとしては十分すぎるほど収穫できますので、最近は、収穫量をあまり気にしなくなりました。コシヒカリが反あたり6俵とれても、7俵とれても、8俵とれても、プロの農家によって、<今年も採れなかったみてえだなあ!>といううわさが流されることになるでしょうから・・・。

はえぬきの稲刈り・・・

午前10:00~午後1:00、妻の実家の棚田の田のはえぬきの稲刈りをはじめました。

妻が野菜直売所湖南四季の里に出展して帰ってからの稲刈り・・・。そのころになりますと、稲の穂についた朝露も消えてなくなっていますし、畔の草の朝露も消えてしまっていますので、刈り取ったはえぬきを畔に仮置きすることができます。

ひめのもちの田ほどではありませんが、はえぬきの田の農業用水路からの取水口、温水田への水路付近の田の土はぬかるんでいますので、注意していたのですが、1回、バインダがぬかるみにはまりこんで脱出不能になりました。奥の手をつかって、かろうじて脱出できたものの、瞬間的な判断のミスが原因で、バインダーがぬかるみに沈むところでした。

湿田での稲刈り、バインダは、ひたすら直線方向に前進するのみ・・・。カーブとバックは厳禁・・・。田の土か乾いて締まっていれば問題ないのですが、湿田でぬかるんでいる場合には、バインダーがぬかるんだ田に飲み込まれてしまいます。

秋晴れの青空の下、黄金色に色づいた稲穂を刈り取ることができるのは、天地を創造し、生きとし生けるものを守り育ててくださる、主なる神さまのみ恵み・・・。稲刈りをしている間、何度もカケスが田の上を飛んで雑木林の中に消えて行きました。今日は、たぬきやハクビシンが稲の穂を食べたあとはありませんでした。野生動物にとっては、はえぬきよりひめのもちの方が美味しいようです。

English Writing を学びはじめて、頭が冴える・・・

English Writing を学びはじめて、筆者、頭が冴えはじめました。

こころとからだとたましいが安定した状態に置かれています。英語力を再結集していることが大きく原因していると思われますが、それだけでなく、日本語力、漢語を中心とした文章作成能力ではなく、和語を中心として文章作成能力を磨いているせいでもあります。

『文語訳新約聖書』は、漢語ではなく和語を中心に訳されていますので、『文語訳新約聖書』を読みながら、日本語の文章作成能力、論文作成能力を身に着けていっています。

被差別部落の人々の先祖を日本史の中の<奴隷>に位置付けて論を張る部落史研究者も少なくないのですが、<奴隷>は漢語・・・。<奴隷>に対応する和語は<しもべ>・・・。<奴隷>と<しもべ>は、その概念が意味するところ、外延と内包がまったく異なります。それを同一視することで、曖昧模糊として<部落>概念が創出されます。<部落>概念のあいまいさが、部落史研究のあいまいさにつながり、複雑怪奇な論説が横行するようになります。

近世幕藩体制下の<穢多>役、<非人>役の先祖は、<しもべ>であっても<奴隷>ではない・・・! 高等学校同和教育の資料集(今回は、中学校同和教育資料は含まない)では、それは、どのように取り扱われているのか、雑誌『部落』の関連記事を通覧してみることになります。

朝、冷涼なめざめ・・・

朝、冷涼なめざめ・・・。

秋が一段と深まっていく感じがしました。今朝の健康管理、最高血圧は114、最低血圧72、脈圧差42、平均血圧86、脈拍数61、呼吸数15回/分、体温35.9°C、体重60.6kg・・・。

竹内重五郎編『内科鑑別診断学』で、<老人は一般的に発熱しにくいものである。ときに重篤な肺炎に罹患しても微熱程度の発熱しか認めない場合さえある。したがって、老人で微熱を認めた場合には器質性疾患の検索、とくに悪性腫瘍の有無を注意深く検査する必要がある>という言葉に触れてからは、健康手帳に上記健康管理の数値を書き込み、3日間移動平均、7日間移動平均を算出して、健康管理をしています。筆者が、37.0℃を超えることはほとんどありません。37.0°Cを3日間連続して超えた場合は、病医院で診察を受けることにしています。

毎日、就寝前にする OutStretch で、その日の、農作業による手足・腰の疲労・痛みを就寝中に取り除くことができます。<一日の苦労は一日にて足れり>という、主イエスさまの支えで、健康裏に老いの季節を生きることが許されています。

2022/10/18

通説と通説からの逸脱・・・

妻のふるさと・湖南の赤津村は、純然たる農村的地域社会です。妻の実家は、赤津村のなかで一番小さな農家であるとか・・・。農家は、5反以上の田畑を持ている農家のみに許された呼称で、妻が、おとうさんから受け継いだ農地は、4.6反・・・。5反に満たないので、妻も筆者も農家にはなれません。郡山税務署の担当者の方の話しでは、農家・農業は、課税対象の<職業>になるが、農家の基準に満たない筆者と妻は<無職>・・・。ただ、<百姓>は、<職業>ではないので、自由に使っていいとか・・・。

赤津村のプロの農家は、2013年湖南に帰郷・帰農したときから、筆者と妻をバカよばわりしてきました。<よそもんにここらでは米も野菜もつくれねえ!カネさ寄こせ、そうすれば、なんでもつくってやっから>と語りかけてきました。筆者と妻が小型農機具を揃えて、種籾の浸種から田植え、刈り取り、脱穀、精米をしているすべての過程で、<おめえら、バカでねえのけ? ここらではコシヒカリやはえぬきはつくれねえ!採れなくて、なきべそかくの、みるのが楽しみだなあ!>とバカにされ続けてきましたが、コシヒカリ、はえぬき、ひめのもちの栽培は今年で9年目・・・。有機・無農薬で収穫し続けています。

湖南の赤津村のプロの農家の<通説>・<一般説>と、そこから大きく逸脱した、筆者と妻の有機・無農薬栽培による米つくり・・・。日本の社会は、<例外>を許さない雰囲気がいたるところに漂っていますが、日本の風土の多様性は、いたるところで<例外>をつくり出していますし、<例外>を包摂していく自然の豊かさがあります。

日本の<部落差別>・・・、差別者も被差別者も<例外>を許さない、発生した<例外>には、徹底的、誹謗中傷・罵詈雑言を浴びせて非難する<田舎者>の非論理がまかり通っています。<無理を通せば、道理は引っ込む>とばかりに・・・。

中学英語の復習・・・

石井クンツ昌子著『社会科学系のための英語研究論文の書き方』を精読しながら、中学英語を復習することにしました。テキストは、

L.A.Richards他著『English Through pictures Book 1-3』
星野隆明著『実践英語ヒアリング&発音辞典』
星野隆明著『ビートびーと英語術』
松本亨著『私がすすめる英書の読み方』
松本亨著『英語で考える本』
松本亨著『書く英語 1-3』

松本亨は、<中学3年卒業程度の基礎的な英語を既に修了>していて、<高等学校の高学年まで進んだ人>が<英語で人間を把握できる愛読者を育てる>ことを目標に上記の本を執筆しているといいます。上記の本を読めばわかることですが、<中学3年卒業程度の基礎的な英語>で十分、読める内容です。

筆者、『部落学序説』を英訳することを断念して、あらたに、英語論文として『部落学』(Research on Buraku Discrimination in Japanを執筆することにして、English Writing を学びはじめていますが、精神的にはずいぶん楽になりました。被差別部落の地名・人名など、固有名詞を出してもなにの意味もない世界に向けての筆者の主張になりますので・・・。コメントがあった場合は英語で応答すればいいのですから・・・。



鷲田小彌太の本の棚に『Current Medical English』が・・・

書斎の鷲田小彌太さんの本を並べなおしながら、<他にもまだあるはず・・・>と思っていました。『入門・論文の書き方』とか、『大学教授になる方法』とか・・・。

ついでに、同じ本棚の心理学、精神医学の本を見ていますと、目にとまったのが、『Current Medical English』・・・。今日、届いた『English Technical Writing』(『読み手の心を捉える!英文テクニカル・ライティング』)の2冊、書斎の English Writing 関連の書籍の棚に並べました。ついでに、居間の医学書専用の本箱から、南山堂『医学英和大辞典』も、English Writing コーナーに移しました。

英語論文で『部落学』を書くとき、<穢多医>(牢番医)の治療や薬の処方、<非人>役の施薬・民間療法などに言及するとき、上記の本が役立ちますが、『部落学』全体は、石井クンツ昌子著『社会科学系のための英語研究論文の書き方』で十分です。

午後、書庫から論文の書き方関連の本を取り出す・・・

午後、書庫から、論文の書き方、英訳の仕方、文献の整理法・・・などに関する本を取り出してみました。約30冊ほどありました。

これまでにも、何冊も、English Writing に関する本を読んでいたようですが、読んだだけで、書かれていることを実践はしなかったために、<無用の用>と化してしまったようです。

と思っていたら、そうでもない本が1冊、ありました。鷲田小彌太著『まず「書いてみる」生活――「読書」だけではもったいない』・・・。

<定年になってからの最大の困難は、人間関係が希薄になることです。黙っていると、すぐに一人取り残されている自分に気がつきませんか? しかし、パークゴルフがあります。でも、もっと勧めたいのは、やはり書くことです。これは徹頭徹尾、一人でできるのです。・・・いまや、年齢・性別・経歴に関係なく、誰もが書く時代、書くことができる時代に達したのです。問題は実際に書いてみることです。特に書くことを定年期の人に勧めたく思います。書く人と書かない人とでは、その人生が大きく異なるからです。充実度が異なると思えるからです。>

<書斎がなくて、何の定年後ぞ! 本に囲まれた生活って、いいよ>。

無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者、哲学者・鷲田小彌太さんの<人生哲学>の実践者であるようです。この本は、2006年に11月に出版された本ですが、筆者、2005年、57歳で、ブログ上で『部落学序説』を公開で書き下ろしをはじめていますので、この本の影響で、『部落学序説』をかきはじめたのではないのですが、こころ通じるところがある本だったのでしょうね・・・。

筆者の書斎には、なぜか、哲学者・鷲田小彌太さんの本が20数冊並んでいます。心理学・精神医学の書籍の並びに・・・。

田靴を履いた足は沈んでも、重いバインダーが沈まないのは・・・

妻の実家の棚田の田、部分的に強湿田部分があります。

山からの湧水が地下から入ってくる、自然にできた強湿田部分と、温水田に農業用水路から水を引き込むための引き込み線や温水田の周囲の畔際にできた人為的な強湿田部分があります。妻の実家の棚田の下段のコシヒカリの田の強湿田部分、筆者と妻のひざまで田靴が土の中に埋もれてしまう場所ですが、そこは他の部分から切り離して、ハス田にしています。

人為的な強湿田部分で、KUBOTAのバインダーを走らせても、重量のあるバインダーが沈まないのに、筆者や妻の田靴を履いた足は20cmほど沈みます。その理由は、KUBOTAのバインダはー、湿田用の一輪車なので、田を走行するとき、刈り取った稲株の上をバインダーが走るから・・・。沈むことのな稲の切り株の上をバインダーが走りますので、重量のあるバインダーが田の土の中に沈むことはないのです。しかし、筆者と妻は、切り株の上を歩いているつもりでも、足を滑らせて田の土の中に足を取られてしまいます。20cmほどでもぬかるみにつっこんだ足を土の中らかひきあげるのは大変・・・。

午前10:00~午後1:00、ひめのもちの稲刈り・・・

今日、午前10:00~午後1:00、妻の実家の棚田の田のひめのもちの稲刈りをしました。

自由自足用のもち米ですので、1袋30kg収穫できたらいいので、栽培面積は、温水田並びの0.1反・・・。ひめのもちの稲刈りをするときは、その田は、いつも、ぬかるんだ状態です。今年も、田靴を履いて、ひめのもちの田に入ると、20cmほど、土の中に田靴が沈んでしまう可能性があり、妻とふたりで1日がかりで、稲刈り鎌で手刈りしなければならないかもしれないと思っていたのですが、農園主の妻が、<今日、棚田に、バインダーを持っていきましょう>といいますので、朝9:00に、農機具の小屋からバインダーを取り出し、エンジンオイルを補給したり、稼働部分に給油したりして、一応点検・整備しました。

稲刈りのもろもろの準備を終えて、実際にひめのもちの稲刈りをはじめたのは、午前11:00・・・。細長い田の両端を稲刈り鎌でひめのもちを刈り取り、コンパネを敷く広さを確保して、バインダーをひめのもちの田の中に入れて、稲刈り開始・・・。筆者の田靴は、やはり20cmほど土の中に沈みます。自信はなかったのですが、バインダーで稲刈りをはじめました。ハンドルに筆者の体をあずけてバインダーの前部を浮かし気味にして、バインダーをすすめますと、かろうじて稲刈りをすることができることを確認・・・。湿田でのバインダーでの稲刈りは、カーブすることもバックすることも厳禁! 一度でもそうしますと、バインダーは土の中に埋もれてにっちもさっちもいかなくなります。ぬかるんだ田でのバインダーの走行は、ただ前進あるのみ!

一に前進、二に前進、三に前進・・・。前方のコンパネにちかづいたら、その上にバインダーをのりあげて、そのコンパネの上でUターン・・・。休憩するときも、コンパネの上にバインダーをとめてから休憩・・・。田の中でバインダーを停めると、バインダーが田の土の中に沈む可能性もありますので・・・。今年で9年目の稲刈り、今日、はじまったばかりです。

『英文テクニカルライティング』が届く・・・

英語論文として、『部落学』を執筆するには、石井クンツ昌子著『社会科学系のための英語研究論文の書き方』で十分なのですが、ものはついで・・・。

日本基督教団の牧師になるために農村伝道神学校に進学するまえ、筆者は、ドイツ・イタリアの輸入縫製機器を取り扱う専門商社の倉敷営業所で、Missonary Salesman をしていました。機器のカタログ、販促資料、技術指導書などは全部英文・・・。得意先の担当者の方から、同行を求められ、縫製会社の修理の現場で、辞書なしで技術指導書を訳してその担当者の方に伝えることがしばしばありました。<技術英語>に4~5年触れることになりましたが、ものはついでで、人文科学、社会科学の英語論文の執筆方法の独学にあわせて、技術英語の論文の書き方も一読しておきたいと思って、インターネット経由で『英文テクニカルライティング』を注文しました。

まだ、内容に目を通していませんが、もしかしたら、石井クンツ昌子著『社会科学系のための英語研究論文の書き方』があれば、『英文テクニカルライティング』は必用ないかもしれません。『社会科学系のための英語研究論文の書き方』は、家政学・生活科学の英語論文も対象にしていますので、社会科学だけでなく、十分自然科学の英語論文も対象にしていると思われますので・・・。

『英文テクニカルライティング』に、<特に研究者・設計者・技術者は他の人達に比べ、正確な基準を持つ必要がある。>とありましたが、その通り・・・。技術英語のミスは、単なる表現のミスにとどまらず、高価な機械の致命的な破損につながってしまいますから・・・。商社に勤めている間、一度も技術指導書を誤訳することはありませんでした。英語論文で『部落学』を執筆するときも、ひとつの言葉、ひとつの表現がひとを殺す可能性があることを念頭において、慎重な表現をする必要があります。

後期高齢期における楽しみのひとつ・・・

昨夜、石井クンツ昌子著『社会科学系のための英語研究論文の書き方』の精読をはじめました。筆者にとって、精読というのは、本を読みながら、マーカーをつけて分析したり、ボールペンでメモ書きすることを意味しています。そうすることで、読みなおしをしなければならないとき便利になります。Index がわりになったり、Index を補強できたりします。

<Google翻訳>の使い方を知って、Blogger 上で、『The Study on Buraku Discrimination in Japan』や『Retired Pastor's Peasant Diary』を立ち上げましたが、いろいろ問題に直面して、英語で作文、論文を書くときの作法を学びなおすことにしました。しかし、そのための道筋が見えず、このブログは中断したままになっていますが、ふとしたことから、スペイン語を学んでみたいと思い、その教材を集めていたときに、English Writing に関する本の存在を知り、前期高齢期最後の年を生きている74歳の筆者、体力・知力の衰えもかえりみず、Englis Writing の知識・・技法を身に着けることにしました。そんな筆者が最終的にであった English Writing の本が、石井クンツ昌子著『社会科学系のための英語研究論文の書き方』・・・。

英語論文として『部落学』を執筆するという目標のもと、小学校6年生から習ってきた英語の種々雑多な知識・技術を再結集して、英語論文を執筆できるまで、筆者の英語力を高めることを決めましたが、75歳の後期高齢期を前にして、筆者、小学校・中学校・高校時代の学習意欲と、学ぶことの楽しさを取り戻したような気持になっています。石井クンツ昌子著『社会科学系のための英語研究論文の書き方』は、月並みな表現ですが、英語論文執筆を指向する人々のための<叱咤激励>の<指導書>・・・。筆者、中学校の英語の教師から英語を教えてもらうときのような気持ちで、この本を精読しています。筆者は、無学歴・無資格、学問とは無縁の存在ですが、石井クンツ昌子教授の講義を受けてみたくなりました。不可能な願いであることは承知しているのですが・・・。

2022/10/17

無学歴・無資格の筆者、雑学の典型・・・

無学歴・無資格の筆者、雑学の典型であるようです。

大学進学の夢敗れたあとは、ゲーテの『ファウスト』の冒頭に出てくる4つの学問、哲学・医学・法学・神学を独学することを決めて以来、その傾向は、まもなく後期高齢期に入る74歳の筆者に継続されています。

夜、あちらこちらに散らばっていた、『日本近代思想体系』全24巻と『明治文化史』全14巻を一箇所に集め、いつでも必要な巻を読めるようにしました。東京大学出版会『講座日本歴史』全13巻とあわせて、日本史の通史を確認することができます。幕末から明治、日本は、欧米の文化・制度をとりいれますが、そのとき学術用語・行政用語・法律用語は、英語・独語・仏語の文献から漢語に翻訳され、日本語化されます。大日本帝国憲法下の地方自治法制定の論議の中で、独語の Gmeinde は<部落>という漢語の死語が流用されます。<部落>という概念は、近代日本が生み出した新しい漢語です。その一点を論文の中でとりあげるには、独語の文献だけでなく、英語・仏語の文献にも当たらねばならず、無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者がよくするところではあり得ません。

このブログの8月17日の文章に、今日目にした文献の中に、明治7年の文献がありました。その中に<部落>という用語が使われていました。長野県出身の井上操という法学者の文章の中に、<数親族相会シテ部落ヲ為シ部落相集リテ一国ヲ為セリ。>とありました。井上操は、司法省に勤めていたので、大日本帝国憲法発布前の各種法を整備するとき、地方自治法を担当した法学者モッセの基本的な概念 Geminde の訳として、<部落>という漢語を訳語にすることを提案した日本人学者というのは、もしかしら、この井上操・・・? >と記していますが、その後、進展なし・・・。井上操は、仏語の<communauté>を<部落>と訳し、<communauté>に対応する独語の<Gemeinde>を同じく<部落>と訳したと、推定しているのですが、明治初期の<自然法説>に関する論議まで検討しなければならず、筆者、ますます、無学歴・無資格を自覚させられます。

書庫から取り出した英書・・・

夕方、書庫から英書を取り出しました。

筆者、英書を読むことはほとんどないのですが、ふと目にした英書・・・、他にあるかもしれないと思って蔵書を探してみますと、次の3冊が目にとまりました。

William  Elliot Griffis 著『The Mikado's Empire  A History of Japan from the Age of Gods to the Meiji Era (660 BC -AD1872)』

Daniel V. Botsman 著『Punishment and Power in the Making of Modern Japan』

I. Roger Yoshino 著『The Invisible Visible Minoriity -Japan Burakumin-』

いつ、なにのために、この英書を入手したのか、筆者、失念して、思い出すことができません。これらの本は、日本語訳がありますので、その訳の一部をチェックするためかもしれません。ついでに、書庫にある、その日本語訳の本を探したのですが、見付けることができませんでした。一段に3~4列本を保管していますので、3列目、4列目の本を探すのは大変・・・。

英語論文として『部落学』を執筆するとき、英語の文献もチェックしなければならないとすると、大変・・・。まもなく、75歳になり後期高齢期に入る筆者には、時間的ゆとりはほとんどないでしょう。『対訳日本事典 The Kodansha Bilingual Encyclopedia of Japan』で、日本語に対応した英語を確認することでよしとしましょう。

歴史神学を含む、英語の神学書は多々ありますが、それ以外の分野の英書はもちあわせていません。

崎村耕二著『英語で論理的に表現する』が届く・・・

以前、崎村耕二著『英語論文によく使う表現 Useful Expression for Reseach Papers in English』を入手しましたが、今日、同じ著者の『英語で論理的に表現する Expressing Yourself Logically in English』を入手しました。

<無学歴・無資格が書く論文など、誰も読まない・・・>とは、筆者が、ブログ上で『部落学序説』をかきはじめたとき、読者の方々から度々いただくことになったアドバイスですが、その『部落学序説』を英訳するかわりに、あらためて英語論文で『部落学』を執筆しようというのですから、日本の読者だけでなく、英語圏の読者もほとんどいない、空虚な世界にむけての孤独な叫びになってしまう可能性は多分にあります。しかし、書くからこそ、その現実を身を持って知ることができるのですから、まったく無意味になるというわけではありません。<差別>という大海を前にして、ちいさなスプーンで真水を注いで、少しでも海水の塩分濃度を下げるという<妄想>に取りつかれていたとしても、それでも、無学歴・無資格の、部落史研究の門外漢である名もなき基督者である筆者が、ちいさなスプーンで真水を注いだという事実だけは、主なる神さまの目にとまると思われます。

なぜ、『部落解放センター通信』を送ってくるのか・・・

今日、『日本基督教団部落解放センター通信』が送られてきました。

かって、日本基督教団部落解放センターの主事の方から、<他の牧師には、部落差別問題と取り組めと要求するが、吉田牧師には、しない。吉田牧師には、「即刻部落差別問題にかかわるのをやめろ」という。それでも関わり続けるというなら、日本基督教団部落解放センターとはなにの関係もないところでやれ!>と引導を渡されたり、西中国教区の社会館に館長として赴任した被差別部落出身を名乗る牧師から、<西中国教区の牧師たちから、吉田牧師を排除しろ、そうしたら、私の取り組みに協力してもいいといわれているので、吉田牧師を切り捨てることにした>とうれしそうに言い渡されたり、京都教区部落解放夏期研修会に参加することを拒否されたり、最初に筆者が書いた原稿用紙300枚の論文を没収・破棄されたり、・・・日本基督教団の部落差別問題との取り組みから徹底的に排除・疎外されてきたというのに、なぜ、今日までずっと、『日本基督教団部落解放センター通信』が送られてくるのか、奇妙奇天烈・・・。

筆者が高校3年生のとき、洗礼を受けた、Sweden Covenant Mission の宣教師のグンナル・クリスチャンソン先生は、筆者によく、<宣教師の課題は、派遣された場所で与えられる。主なる神さまは、特定の課題をになっているひとを宣教師に招へいするのではなく、宣教師として招へいしたものに特定の課題を与えられる>と話しておられました。筆者、宣教師だけでなく、牧師も同じだと思っていますが、筆者が、部落史研究、部落差別問題研究にかかわるようになったのは、派遣された教会の存在と歴史が、筆者に取り組むことを要請してきました。筆者は、宣教の課題として、部落差別問題にかかわるようになったので、日本基督教団がどのような政治的、イデオロギー的判断で、その時々の部落解放運動を展開していっているのかについては、関心はありません。

資材置き場⇦⇨ボウガケセットのトランスフォーム・・・

午前11:00~午後1:00まで、妻の実家の棚田の田の資材置き場を解体しました。48.5mmの軽量単管パイプと接続用金具を使って組み立てていますが、その材料は、ハーベスタで稲刈りをした束をボウガケして自然乾燥させるためのボウガケセットの部品です。ボウガケをしたあと、資材をそのまま放置しておくと、<盗まれる>可能性がありますので、それを資材置き場に組みなおして保管しています。つまり、1年間に1回、秋の稲刈りシーズンには、資材置き場⇦⇨ボウガケセットのトランスフォームを実行する必要があります。

このところ、その軽量単管パイプ、国道294号線のバイパス工事で解体・撤去になった簡易温室の移築、もみすり場の定着、冬期の普通車の防雪屋根に転用していますので、今年は、再調整が必要であるようです。なんとか、10セット分、ボウガケ40本分と、28のはざがけ分は確保できそうです。48.5mmの軽量単管パイプがびっくりするほど値上がりしていmすので、追加購入する経済的ゆとりはありません。午後、妻とふたりで、既存の単管パイプ4で、40本分のボウガケが可能であることを確認しました。

部落史研究の我が師の名前なし・・・!

昨夜、『部落問題事典』と『新修・部落問題事典』に目を通していて、その執筆者のリストの中に、日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき、筆者の部落史研究の師であった北川健先生の名前がないのに気づきました。

北川健先生は、山口県立文書館の研究員で、部落史、部落差別問題、同和教育などに関する多くの論文を書かれています。筆者、その全部・・・、というわけではありませんが、ほとんどの論文に目を通しているつもりです。そして、その北川健先生の論文の影響と、筆者が、自分の足で、山口の未指定地区の被差別部落の古老や真宗寺院の住職の方を訪ねて聞き取りした内容とから、ブログ上で、公開で、書き下ろし執筆した『部落学序説』に結実していくのですが、北川健先生、部落史研究、同和問題研究の主流ではなく傍流に属していたのでしょうか・・・? 『部落学序説』の執筆者である筆者は、北川健先生を師と仰ぐ、その門下生・・・。筆者も、主流ではなく、最初から傍流に身を置いていたようです。北川健先生はよく社会同和教育の講師として、<勝手同和>を主張しておられましたが、筆者も、部落史の<勝手研究>を標榜してよさそうです。

北川健先生、<研究者は、一度公表した論文については責任があるので、自分でその論文を撤回することはできない。他の研究者の批判を待つことになる>と話しておられましたが、その弟子である筆者も、ブログ上で公開した『部落学序説』の内容を読者に内緒で書き直すことはできない・・・。英語で『部落学』をあらたに執筆するときも、『部落学序説』の内容を否定することはなく、より深化させる形で進めることになります。

部落史研究の世界も、他の学問分野の世界と同じく、その主流ではなく傍流に身を置いてはじめて見えてくるものも少なくありません。

田所蛙司さん、いまごろ何をしておられるのやら・・・? 

2016年1月22日の、筆者のブログの文章を再掲・・・

<無学歴・無資格の筆者が、山口で30年間、日本基督教団の牧師として部落差別問題にかかわることになったとき、筆者、<差別者の立場から部落解放を考える>ことに徹してきましたが、筆者の先祖のルーツが分かった今、さらに、筆者の視点・視角・視座を明確にして、誰にもよくわかる部落解放理論として執筆してきたブログ『部落学序説』を論文化することになります。それにしても、筆者、60歳になって最初に受け取った年金すべてを投入して、65歳で、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農したあとの、日本基督教団の隠退牧師としての人生の晩年の課題・基盤として、インターネットの日本の古本屋や山口県内の古書店で必要な史資料を入手してきましたが、『部落学序説』の論文化に必要な資料はすべて手元にあります。部落解放神戸支部の田所蛙司さん、定年退職後は雑誌『部落』を創刊号から読み直しをされると言われていたので、筆者、<日本文化史研究者の方が雑誌『部落』を創刊号から提供してくださったので、私も定年退職後は雑誌『部落』を読み直すことにしていますが、一緒に読み直しをされませんか・・・?>という提案をしたのですが、田所蛙司氏からの返事はありませんでした。ブログ『蛙独言』の執筆者・田所蛙司さん、いまごろ何をしておられるのやら・・・? 山口から福島に移ってから、被差別部落の方々との接点は皆無になってしまいましたが、2013年以降の部落史研究、どのように進展しているのやら・・・?(2016/1/22)>


老年の光と影・・・

堰が切られて、どっと水が流れ込んでくるように・・・

筆者、まもなく後期高齢者になるという、74歳の末期に、英語で論文を書くための準備をしていますが、それって、年寄りの冷や水、実現されることのない妄想・・・?

今朝、大道安次郎著『老年の光と影』を紹介している穂長豊著『老人心理学入門』にこのような言葉が記されていました。

<知ろうとする心が強く働いて覚えようとする習慣があれば、年齢にあまり関係なく記憶が出来、理解する力も衰えない・・・>。

その大道安二郎氏の言葉に、その弟子である穂長豊氏は、このように綴っています。<先生は80歳近い年齢ですが驚くほど本を読んで理解しておられます。先生は学者だからとおっしゃる方があると思いますが、先生をここで引き出して申すのは、先生は学問の世界だけでなく常に脳を働かせておられます。その人が老人性の脳の病気にかかっていなければ何らかの形で知識を求めようとする気持ちがあるはずで、その人が今さら知識を求めにくいように思われ、周囲の人々も今さら覚えようとする気持ちがなくなっていると思って、刺激しないとこの理由から知識欲まで薄らぎ知識が高まらないと思ってしまうのです>。

老年期における、老いてゆく人に差し込んでくる光と影・・・。光を遮る、他者の暗雲に包まれた言葉に左右されることなく、自らの上に注がれている光を仰ぎ、歩み続けることが肝要であると思われました。

2022/10/16

樋口昌幸著『英語論文表現事典』が届く・・・

買い物から戻ると、郵便受けに、樋口昌幸著『英語論文表現事典 A Dictionary for Writing English Research Papers』が届いていました。

この『英語論文表現事典』は、人文科学系の論文を書くための辞書であるようです。石井クンツ昌子著『社会科学系のための英語研究論文の書き方』は、社会科学系の論文をかくための指導書ならば、この『英語論文表現事典』は、人文科学系の論文を書くための指導書と言えそうです。

この2冊、筆者が、英語論文として『部落学』を執筆するときの座右の書になりそうです。筆者、20冊目にして、やっと、English Writing に関する適切な本にめぐりあえたようです。『英語論文表現事典』のはしがきに、<本書の使用に際しては次の3点に留意されたい。1)意味あるいは構文を理解できない文例は真似ない。読んで正確に文意を取れない表現を真似て英文を書けば、意図しない意味を伝えることになりかねないからである。>とありました。この本<英語らしい英語で論文を書くための事典>なので、英語らしい英語で論文を書くには、自分の身の丈にあった英語力で論文をかけば十分であるようです。日本語で満足な論文をかけない、無学歴・無資格の筆者が、乏しい英語力で、日本の学者・研究者・教育者に受け入れられるような英語論文がかける可能性は皆無ですから・・・。

『英語論文表現事典』の著者の樋口昌幸氏は、巻末の<編著者紹介>に、広島大学大学院文学研究科で博士号を取得、本を出版した当時、広島大学大学院社会科学研究科の教授をされている方のようです。

会津坂下へ買い物にでかける・・・

今日、午前11:00に買い物に出かけました。たまねぎの苗100本、30kg用コメ袋30枚、1kg用コメ袋30枚を購入するためですが、猪苗代のコメリに行ったところ、必要なものがそろわなかったので、会津坂下へ・・・。会津坂下の援農ショップ・グラントマトで、たまねぎの苗100本、30kg用コメ袋30枚を購入しましたが、1kg用のコメ袋のデザインが妻の好みにあわないとかで、会津坂下のコメリで、1kg用コメ袋30枚を購入しました。そのあと、スーパーによって、少しく食料品を購入して、家に戻ってきたのは、午後3:00でした。

猪苗代の国道・農道を走ったとき、稲刈りがすんだ田に、コハクチョウの群れがたむろしていました。真っ白なコハクチョウの姿を見て、妻は、<あなたたち、帰ってきたのね。みんな無事につけたの?>とコハクチョウに語り掛けていました。筆者も妻も、猪苗代湖にコハクチョウが飛来したというニュースを聞き逃し、見逃してしまったようです。それで家に戻るとインターネットで検索してみました。すると10月9日に39羽のコハクチョウの姿が確認されていたようです。今日見たコハクチョウは、100羽単位で、あちらこちらにコハクチョウがいましたから、今日までの1週間、第1陣に続いて、第2陣、第3陣・・・とコハクチョウが飛来してきたようです。

毎日読んでいる本は・・・

筆者が、最近毎日読んでいる本は、

1.『英訳聖書』(NSRV)
2.英語論文の書き方に関する複数の本
3.『アーレント=ヤスパース往復書簡』
4.『新修・部落問題事典』
5.『日本史の研究』

1週間に数回開く本は、他分野に及びます。筆者、晴耕雨読が主体の読書なので、<本の虫>になることはできません。

<Google 翻訳>で、<彼は本の虫です。>を英訳しますと、<He's a bookworm.>と訳されました。これはあきらかに誤訳なので、<彼は、一日数冊の本を読むのが常です。>と言い直して英訳しますと、<He usually reads several books a day.>となりました。<彼は、一日数冊の本を読むのを習慣にしてきました。>に言い換えますと、<He has made a habit of reading several books a day.> <彼は、これまで、一日数冊の本を読むのが常でした。>を英訳しますと、<he used to read several books a day. >

英語論文の表現は、日本語の表現を適切に言い換えることで、適切な表現に近づけることができます。日本語の文章を、<Google 翻訳>に限りませんが、翻訳ソフトにそのままかけると誤訳を増やすのみです。

村上健著『最新アメリカ性表現あぶない英語辞典』の中に、隠語として使われる<水平運動>という言葉が出てきました。<Google 翻訳>では、隠語が訳出されることはありませんが、誤解を含む可能性があるので、別の表現にした方がよさそうです。筆者が長年使っている翻訳ソフトに<水平運動>を英訳させると<A social equality movement>と出てきました。同じソフトで<A social equality movement.>を日本語に訳させると、<社会的な平等運動>と訳出されました。<Google 翻訳>で、<社会的な平等運動>を英訳させると、<Social equality movement.>

筆者が英語論文として『部落学』を書くときに、水平s、最近毎日読んでいる本は、
1.『英訳聖書』(NSRV)
2.英語論文の書き方に関する複数の本
3.『アーレント=ヤスパース往復書簡』
4.『新修・部落問題事典』
5.『日本史の研究』

1週間に数回開く本は、他分野に及びます。筆者、晴耕雨読が主体の読書なので、<本の虫>になることはできません。

<Google 翻訳>で、<彼は本の虫です。>を英訳しますと、<He's a bookworm.>と訳されました。これはあきらかに誤訳なので、<彼は、一日数冊の本を読むのが常です。>と言い直して英訳しますと、<He usually reads several books a day.>となりました。<彼は、一日数冊の本を読むのを習慣にしてきました。>に言い換えますと、<He has made a habit of reading several books a day.> <彼は、これまで、一日数冊の本を読むのが常でした。>を英訳しますと、<he used to read several books a day. >

英語論文の表現は、日本語の表現を適切に言い換えることで、適切な表現に近づけることができます。日本語の文章を、<Google 翻訳>に限りませんが、翻訳ソフトにそのままかけると誤訳を増やすのみです。

村上健著『最新アメリカ性表現あぶない英語辞典』の中に、隠語として使われる<水平運動>という言葉が出てきました。<Google 翻訳>では、隠語が訳出されることはありませんが、誤解を含む可能性があるので、別の表現にした方がよさそうです。筆者が長年使っている翻訳ソフトに<水平運動>を英訳させると<A social equality movement>と出てきました。同じソフトで<A social equality movement.>を日本語に訳させると、<社会的な平等運動>と訳出されました。<Google 翻訳>で、<社会的な平等運動>を英訳させると、<Social equality movement.>

筆者が英語論文として『部落学』を書くときに、水平運動ないし水平社運動は、<Suiheisya-undo(Social equality movement)>と書くことになります。

英語論文として『部落学』を執筆するのは、無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者にとっては、楽しいひとときとなりそうです。

今朝の健康管理・・・

今朝の健康管理・・・。最高血圧119、最低血圧80、脈圧差39、平均血圧93、脈拍数62、呼吸数15回/分、体温36.2°C、体重60.6kg・・・。

健康管理のあと、『英訳聖書』(NSRV)の通読・・・。さらにそのあと、診断学の専門書を開いて、1.アレルギー症状、2.薬品(アルコール)の健康に対する影響、3.老年病に関する項目に、INDEXで色分けしました。

ひとは、外胚葉、内胚葉、中胚葉系のいずれかに症状が傾くといわれていますが、筆者の場合は、外胚葉系・・・。そのため、医学書を読むときは、筆者と兄弟、父母、祖父母・・・などの既往症・死因などを視野に入れて、関連項目だけを読むことにしています。罹患する可能性のほとんどない病気について学習しても、時間の浪費につながるだけですから・・・。<異常>を発見したら、検査・診断・治療の各項目を確認して、必要ならば、病医院で診察してもらうことになります。そのとき、3年分の健康管理を記した手帳を持参することにしています。

有機・無農薬栽培したコメと野菜を食べるようになって、筆者と妻、ほとんど病気をしなくなりました。そのため、健康管理をした手帳を医師に見せることは一度もありませんでした。

2022/10/15

『部落問題事典』に加えて・・・

『部落問題事典』・『新修・部落問題事典』の通読を終えたあとは、

『部落史研究文献目録』
『部落史用語辞典』
『部落史研究ハンドブック』
『防長風土注進案 研究要覧』

を通読することにしています。部落史研究と部落問題研究の<全体像>を把握した上で、筆者は、英語論文として『部落学』を執筆していきます。部落史・部落問題に関する<用語>をどう英語で表現していけばいいのか、英語論文の書き方に関する本の中に、そのための適切な方法が紹介されていました。

ふとしたことから、スペイン語の勉強を始めようとして、教材を集めたことがきっかけで、筆者、本格的に、English Writing を実践することにしました。人生って、なにが起こるか、わからないものですね・・・。

『部落問題事典』・『新修・部落問題事典』・部落史研究文献目録』・『部落史用語辞典』
『部落史研究ハンドブック』・『防長風土注進案 研究要覧』を通読しても、ブログ『部落学序説』の筆者の執筆の目的と方法に変更はありません。『部落学序説』を一筆する前に、似たような準備をしていましたので・・・。

『部落問題事典』の通読をはじめる・・・

今夜から、『部落問題事典』の通読をはじめました。

石井クンツ昌子著『社会科学系のための英語研究論文の書き方』の精読を終えるまでは、上村妙子・大井恭子著『A Handbook for writers of Essays and Research Papers 英語論文・レポートの書き方』の第6章<ラィティングのプロセス:資料収集から推敲まで>を参考にして、<資料収集の3ステップ>を実践することにしました。

英語論文として『部落学』を書くための基本的な<資料>は、すでに収集して、筆者の書斎にありますので、<本格的に専門資料を探す>ことは留保して、<その分野の百科事典的な文献>を通読、<専門的な知識を深める>ことにしました。部落史研究、部落問題研究の一般説・通説をあらためて確認するためですが、執筆者384人の学者・研究者の研究成果と研究動向を知ることができる可能性があります。部落史研究、部落問題研究の問題2,435項目を確認することになります。

日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていた30年間は、教会内外の諸問題を通じて、部落問題に直接・間接に関与して、山口の被差別部落、とくに未指定地区の被差別部落を訪ねて、その古老から聞き取り調査をしたり、被差別部落民としてどのように生きているのか、対面で話をお聞きすることができましたし、部落解放同盟山口県連の支部の学習会に参加して、差別を跳ね返して生きていっている痛快な話をお伺いすることができました。それに、徳山市立中央図書館郷土資料室で、いろいろな文献を閲覧することができました。また、ブログで『部落学序説』の公開執筆をはじめたときは、その支部の部落史研究会の方々と『部落学序説』の内容について意見交換することができました。

しかし、2013年4月、日本基督教団の隠退牧師になり、妻のふるさと・福島県郡山市湖南町に帰郷・帰農して以来、山口でのつながりはすべて失われてしまいました。山口の某寺の住職さんとは少しくつながりがあり、調べたいことがあれば協力してくださるとのことです。福島の地では、山口で経験したような出会いはなさそうですから、『部落問題事典』と『新修・部落問題事典』を通読することにしました。

被差別部落史・被差別部落問題の一般説・通説を概観するために・・・

筆者、英語論文として、あらためて『部落学』を執筆するための準備として、被差別部落史・被差別部落問題の一般説・通説を概観するために、『部落問題事典』(1986)と『新修部落問題事典』(1999)を通読することにしました。

しかし、『新修部落問題事典』(1999)は不思議な本ですね。本の表題に、<Concise Encyclopedia Buraku Issues>と表記されているのに、日本語の索引はあっても、英語の索引はありません。もちろん、『部落問題事典』にも英語の索引はありません。インターネットで『部落問題事典』・『新修部落問題事典』の英語版があるかないか、検索してみましたが、ヒットしませんでした。

日本語と英語で同時執筆で『部落学』を書くのではなく、英語で書くことに絞った方がよさそうです。日本の被差別部落の問題は、日本固有の問題ではなく、西欧諸国が大きくかかわった問題であることを明らかにするのも、『部落学』執筆の目的ですから・・・。

英語論文、書きはじめのアドバイス・・・

『社会科学系のための英語研究論文の書き方』に、はじめて英語論文を書く場合にも、<基本的には自分の執筆スタイルを保守することが大切である>とありまた。

<自分の執筆スタイル>・・・、筆者の場合は、英語論文を書く場合にも、無学歴・無資格を標榜することになりますが、当然、日本語圏での<無学歴・無資格>と、英語圏での<無学歴・無資格>では、意味内容が大きく異なったものになります。

<無学歴>というのは、日本の社会では、大学を出た知識人が大学を出ていないただのひとを誹謗中傷するときの用語です。<無学歴>は英語では<uneducated>を意味しますが、この英単語は<教育を受けていない>ということを意味します。しかし、筆者は小学校6年、中学校3年、高校3年の12年間公立学校で公教育を受けています。つまり、<uneducated>ではありません。しかも、10年間社会経験をしたあと、4年間神学校で学んでいますので、英語圏の世界においては、<Seminary graduate>と表示することが、事実に即した適切な表現になります。

日本語で無学歴者として論文『部落学』を執筆するのがいいのか、それとも、<Seminary graduate>として英語で『部落学』を執筆するのがいいのか、二者択一の選択に迷うことはありません。

『社会科学系のための英語研究論文の書き方』の著者、石井クンツ昌子教授は、<精神的な準備と書きはじめのアドバイス>の中で、英語論文を執筆するときは、<完璧にしあげよう>としないで<「可能な限り」の努力をするという姿勢で臨んだほうがよい>とすすめておられます。

1.短い英語文章を書く(まかり間違っても、Karl Barth の『Church Dogmatics』のような英文をまねてはいけない。)
2.全体のアウトラインを作成する
3.書きたいところから書く
4.簡単な英語で書いてみる

筆者、石井クンツ昌子著『社会科学系のための英語研究論文の書き方』を英語論文の書き方の指導書として精読、習熟することにしました。

『社会科学系のための英語研究論文の書き方』が届く・・・

13日の夜に注文した、『社会科学系のための英語研究論文の書き方』、15日の昼に届きました。5冊注文した本の中で、一番最後に注文した本が一番最初に届きました。読んだ形跡がない、ほとんど新本同然の本でした。

本を開いて最初に目にとまった言葉・・・。

<日本語の文章を英訳するのを避けて、最初から英語で書くようにする。なぜなら日本語も英語も独特の表現法があるので、英訳した文章は意味不明なものになることが多いからである>。

筆者、あらたに執筆する『部落学』を、日本語と英語で同時執筆することにしていましたが、『社会科学系のための英語研究論文の書き方』の著者のアドバイスに従って、『部落学』を最初から英文で執筆した方がよさそうです。数少ない読者の方々のなかには、アメリカ、カナダ、フランス、ドイツ、アイルランドからのアクセスもあります。英語で『部落学』を執筆しても、読者0、ということはなさそうですから・・・。

後日談があった・・・

以前、このブログに次のような会話を書きとどめました。

農家A:A子さんは、有名だ・・・。
妻:有名といっても、どうせ悪いことで有名なのでしょう?
農家A・いや、美味しい野菜をつくるということで、有名だ。
農家B:んだ。
妻:ええ? そうなの

妻の話しでは、後日談があったようです。

農家C:美味え野菜をつくることで有名なのは、おめえのことではねえ!
妻:そうなのですか?
農家C:美味え野菜をつくるのは、Kのことだ! ここらでは、化学肥料と農薬・除草剤を使わねえと美味え野菜はつくれねえ!
妻:Kさん、野菜つくって販売しているんですか?
農家C:してねえ!ただでみんなに配ってんだ!

インターネットで<後日談>を検索してみますとこんな説明がありました。<ある物事が一段落ついたとき、ストーリーとしての物語はそこで完結となります。小説や映画などのフィクションはもちろん、現実の事件やエピソードなどでも一段落ついたところまでで終わりになりますが必ずしも物事がそこで終わっているとは限りません。ストーリーとしてはそこでピリオドがうたれていたとしても時間が流れる限り物語は続いていきます。ストーリーのエンディングとはたまたまそこで終わりを区切っただけで大きな流れの一部を取り出しているにすぎません。全体を大きな流れとして考える場合、一部のみを切り出してストーリーとして取り出したとしてもその後がなくなるわけではありません。「物事が完結しそこで区切りをうった後にどのようなことが起きたのか、その内容について語られる話」を指す言葉が「後日談」です>。

午前11:00~午後2:00、たまねぎの作付け・・・

有機・無農薬栽培の大玉トマト、ミニトマト、ハクサイ、ダイコン、ブロコリーを、野菜直売所・湖南四季の里に出展してきた妻と、午前11:00~午後2:00、妻の実家の段々畑でたまねぎの作付けをしました。

1.管理機で荒起こし
2.牛糞堆肥を散布して、管理機で混ぜ合わせる
3.管理機で溝を掘り
4.有機肥料を散布
5.畝立て鍬で土を被せ、畝の整形
6.たまねぎ栽培用の黒マルチをはって土をかけ
7.たまねぎの苗を移植する穴をあけ(オクラの茎を使って)
8.たまねぎの苗を移植

1畝で、タマネギの苗を100本移植・・・。この前、援農ショップ・グラントトマトで買ったたまねぎの苗は200本なので、2畝で済みました。肥料を入れてつくった畝は4畝でしたので、残り2畝のうち1畝は、タマネギの苗を100本追加購入して移植するそうです。残りの1畝は、ニンニクを作付します。

昨夜、『最新アメリカ性表現あぶない英語辞典』に目を通す・・・

昨夜、村上健著『最新アメリカ性表現あぶない英語辞典』を最初から最後まで目を通しました。

筆者の目的は、<アメリカ性表現>を学ぶことではなく、英語で論文を執筆するときに排除しなければならない表現をあらかじめ認識しておくため・・・。そのため、この辞書を読むときの筆者のよみ方は、見出し語についで、<解説:原語は~>にマーカーをつけていきます。<原語は~>に提示されている言葉は、極一般的なものです。たとえば、

pig 名詞
 1.売春婦、娼婦(以下略)
 解説:原語は「豚」、「警察官」の意もある。

筆者がマーカーをつけるのは、pig 、豚、警察官の3語です。筆者が覚えるのは、動物や職業を表す名詞をもって人を評価・表現してはならないということ・・・。

pig で思い出したのは、東大出身の中世史研究家の平泉澄の言葉・・・。彼は学生に、<豚に歴史がありますか。百姓に歴史がありますか。>と話していたという逸話があります。戦後の日本の知識人は、彼の差別的体質を問題にすることなく、<百姓>という言葉を差別語として排除したのでした。その平泉澄の中世史に関する初期の研究を再評価しているのが網野善彦・・・。両者には、民衆に対する蔑視の念が通底している・・・。網野善彦は、中世史における<賤民>研究の第一人者・・・。


昨夜、書庫から取り出した本・・・

昨夜、英語論文を書くための関連資料として、7冊の本を取り出しました。書庫に納めた本を取り出すのは容易ではありません。1段に3~4列、同じ大きさの本を収納していますので、1~2列目の本を探すのは簡単ですが、3列目を探すのに少しく時間がかかります。4列目になりますと、1~2列目の本を棚からおろさないといけません。その時々の用途に応じて、関係のある本は1~2列目に、あまり関係のない本は3~4列目に収納しています。この前、書庫を整理したあと、英語論文に関する本を集め始めましたので、これまで読んだ論文執筆に関する本を取り出すのは容易ではありません。

酒井和夫著『博士になる方法を教えます』
林周二著『研究者という職業』
鷲田小彌太著『研究的生活の方法』
杉本茂生著『取材学入門』
田中直道著『ワープロでつくる「自分の本」』
千尾将著『本を書くための本』
竹内洋著『学問の下流化』

無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者ですが、<まず汝自身を知れ>という言葉にしたがって、筆者が、無学歴・無資格であることを、所与の事実として認識・受容して、独学を続けてきました。筆者の無学歴・無資格という標榜は、<Inferiority Complex >や<Superiority Complex>とは何の関係もありません。論文を書く前提は、自他ともに<事実>の上にIすることです。

2022/10/14

妻の実家の棚田の田に、1羽のシラサギが飛来・・・

午後、妻の実家の棚田の田にでかけたとき、温水田から、1羽のシラサギが飛び立って、コシヒカリの北側の土手に飛んで行きました。

妻は、<シラサギさんて、まっしろで、とてもきれいね・・・>と話していましたが、妻に、温水田の取水口を指さしながら、<ここに、シラサギの足跡があるよ。水を飲みにきていたのかなあ・・・>と妻に語り掛けました。妻は、シラサギの足跡をみながら、<これがシラサギさんの足跡なの? 大きいのね!>と驚いていました。

すると、コシヒカリの田の北側の土手に飛んでいったシラサギ、もう一度、東側の雑木林沿いに飛んできて、温水田の上をもう一度大きく輪を描くように北側に飛んで行きました。

稲刈りのために、棚田の田の水を抜いていますので、温水田も底の土が見えてきました。そのため、シラサギの足跡が、くっきりと残っていました。かなり、水が抜けて田の土がしまってきましたので、晴の日が続くと稲刈りができそうです。

午後1:30~3:00、トマトの収穫と資材置き場の片づけ・・・

午後1:30~3:00、妻とふたりで棚田の田で作業をしました。

妻は、ミニトマトと大玉トマトの収穫・・・。妻が収穫作業をしている間、筆者は、育苗用ハウスの山側にある資材置き場の片づけ作業・・・。稲をバインダーで刈ったあと、ボウガケをしますが、ボウガケは、48.5mmの軽量単管パイプと横垂木でつくった、吉田式ボウガケセットを使います。1セット4本のボウガケを設置できます。

ボウガケセットはつくってから今年で9年目・・・。横垂木は、腐ったり、割れたり、折れたりしていますので、補修する必要があります。単管パイプの数を確認して、横垂木を使ったアタッチメントを必要数、揃えなければなりません。単管パイプも、妻のくるまYARISの防雪用ガレージをつくるときに転用していますので、不足分を購入する必要があります。

午前10:00~12:00、段々畑の畑の片づけ・・・

今日の午前中、10:00~12:00、昨日、さつまいもを掘り起こした畑の片づけをしました。

すでに収穫を終えたあと、妻が草をとっていた場所の畝間を30cm深さに掘って、そのあとに、さつまいものつると葉を踏み込んで上から土をかけました。来年の春先までには、土に帰っていることでしょう。

そのあと、さつまいもを栽培していた隣のオクラの残滓を、草刈り機で10m単位で寸断しました。寸断した残滓は、オクラの畝間に集めて、マルチ代わりにします。オクラの畝は、黒マルチをはったままにします。来年の春、撤去して、管理機で耕し、残滓を土の中に練りこみます。

『部落学』執筆環境の構築完了・・・

今朝、郵便局から、社会科学系英語論文の書き方に関する参考資料の代金を振り込みました。

60歳になり、年金の一部が入るようになってから、収集をはじめた筆者の蔵書・・・。いろいろ目的があってのことでしたが、そのひとつに、2005年ブログ上で公開執筆した『部落学序説』についで、論文として『部落学』を執筆するという課題があります。

今回、石井クンツ昌子著『
社会科学系のための英語研究論文の書き方』が入手できることが決まったことで、筆者の『部落学』を日本文と英文の両方で同時執筆する環境を入手できたことになります。

今日、郵便局に行ったとき、筆者の年金、老齢年金・公立学校共済年金・教団年金の総額を見て、筆者、あらためて、同年代の隠退牧師と比べて筆者の年金の少なさを実感させられましたが、そのなかで、よく、必要な史資料を入手できたものだと、われながら感心させられました。日本基督教団の隠退牧師で、無学歴・無資格である筆者の老後の趣味は、読書&園芸・・・。

『部落学』の執筆環境の構築が完了したので、史資料・書籍・論文の収集は終わり・・・。

社会科学系英語論文の書き方についての参考資料として・・・

昨夜、インターネット経由で、社会科学系英語論文の書き方に関する参考資料として、次の4冊を注文しました。英語論文の書き方に関する本は、ほとんどが医学・生物学・化学を含む自然科学系の学生・院生・研究者を対象にしたものです。社会科学・人文科学の英語論文作成法に関する本はほとんど見つけることができません。昨夜、それらしいものを見つけましたので、迷わず注文しました。

『英文テクニカルライティング』
『英語で論理的に表現する』
『社会科学系のための英語研究論文の書き方』
『英語論文表現事典』

Amazonで確認した『社会科学系のための英語研究論文の書き方』の紹介と目次・・・。

<英語で論文を書きたい人、研究発表をしたい人、英語研究の学術誌に投稿したい人、必携の書。

英語研究論文執筆の重要性の提示、英語論文の構成と執筆の仕方、国際会議での発表、英語圏学会誌への投稿の方法など、例題をできるだけ多く提示しながらわかりやすく説明する。巻末資料には英語研究論文執筆と発表に関連する豊富なURL情報や文献を収録。社会科学系すべてに対応したテキスト。

【目次】

まえがき
第I部 英語研究論文へのアプローチ
 第1章 英語研究論文を書くための環境準備
   1 文献整理
   2 英語にふれる
   3 コンピュータの使い方に精通する
   4 精神的な準備と書きはじめのアドバイス
 第2章 英語研究論文の構成
   1 研究論文の構成軸
   2 各項目のポイント
第II部 英語研究論文の作成
 第3章 英語研究論文の書き方I――英語表現と文法
   1 書きはじめる前に
   2 タイトルを付ける
   3 正確な英語表現をするために
   4 留意点➀――文章のスタイル
   5 留意点2――文法
   6 留意点3――偏見や差別的な言葉と表現
   7 留意点4――直訳・誤訳・曖昧な表現(日本語と英語のずれ)
 第4章 英語研究論文の書き方II――本編
   1 要旨(アブストラクト)を書く
   2 序論――研究の意義,目的,問題の所在を提示する
   3 本論――先行文献を紹介してまとめる
   4 研究方法を説明する
   5 結果を記述する
   6 結論を言う,考察をする,インプリケーションを述べる
 第5章 英語研究論文の書き方III――図・表,引用・参考文献,付録,注
   1 図,表を入れる
   2 引用・参考文献リストを付ける
   3 付録を付ける
   4 注を付ける
第III部 英語研究論文の発表と投稿
 第6章 学会大会・国際会議で英語研究論文を発表する
   1 現状
   2 参加の目的を確認する
   3 内容を知る
   4 発表への準備をする
   5 効果的な発表の重要ポイントを把握する
   6 学会大会へ多様な参加をする
 第7章 英語研究論文を投稿する
   1 学術誌を知る,調べる
   2 投稿規定を確認する
   3 査読プロセスを知る
   4 共著者名を列記する
   5 投稿以外に学術誌へ参加する
   6 編集者へのカバーレターを書く
   7 査読者への対応表を作成する
   8 最終的な校正をする
   9 編集者との電子メール交換のエチケットと語法
 第8章 今日から始めよう
   1 英語研究論文を書く意欲と実行
   2 英語研究論文を身近に感じる環境づくり
 付 録
   1 執筆に役立つ参考文献とURL情報
   2 発表に役立つ参考文献とURL情報
   3 投稿に役立つ参考文献とURL情報
 コラム
   1 文献カードの作成方法
   2 英語を母国語としない研究者が英語で論文を書くときの問題点
   3 盗用(Plagiarism)に対する注意
   4 英語の口頭発表を聞く
   5 時差の克服と体力調整
   6 学会誌以外の学術誌の情報を得る
   7 精神的な心構えをする
引用文献
あとがき
件名索引>

著者の紹介文は、2021年11月現在・・・

<石井クンツ昌子(いしい・くんつ・まさこ)
1987年 ワシントン州立大学社会学部博士号取得
1987~2006年 カリフォルニア大学リバーサイド校社会学部助・准教授
現 在 お茶の水女子大学理事・副学長>

古書価格は、AMAZONで、税・送料込みで、2,514円・・・。筆者が集めた、『部落学』を日本文と英文で同時執筆するための英語論文作成に関する本の中では、一番効果な本です。一番安価な本は税・送料ぬきで1円でした。

最後に注文した本が『社会科学系のための英語研究論文の書き方』でした。大正解!



2022/10/13

英語論文を書くときに使用する辞書は、プログレッシブに・・・

無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者が、あらためて『部落学』を執筆するとき、日本語と英語で同時並行で行うことにしました。今、そのための環境つくりをしていますが、英語論文を書くときに使用する辞書は、『ポケットプログレッシブ英和・和英辞典』、『プログレッシブ英和中辞典』、『プログレッシブ和英中辞典』を使用することにしました。

これまでは、『岩波英和辞典』、『岩波英和中辞典』、『岩波英和大辞典』を使って、英文を日本文に翻訳するためにのみ使用してきましたが、今回は、日本語と英語を同時に Writing するので、英和辞典と和英辞典を同時に使えるように、辞書を選択しなおしました。

CASIOの電子辞書XD-D7100に収録されている、『ジーニアス英和大辞典』、『プログレッシブ和英中辞典』も使用してきましたが、筆者は、アナログ世代の団塊世代に属しますので、電子辞書や、インターネットのオンライン辞書より、本の辞書の方が使いやすい・・・。

筆者の妻は、インターネット経由で、ほとんどの英和・和英辞書が送料込みで1,000以下で入手できるのは、本の辞書がその存在価値をなくしていっているのではないかといいます。CASIOの電子辞書XD-D7100やスマホのオンライン辞書を使う方がはるかに便利だといいます。そして、<あなたも、世から見捨てられ、本の辞書も見捨てられていっているのよ、きっと・・・>と話していました。見捨てられたもの同士のカップリング、それはそれで、いいのかもしれません・・・。プログレッシブの辞書は、できる限り最近のものを購入しました。

午前中、段々畑でさつまいも掘り・・・

今日はくもり・・・。雨が降り始めそうな雰囲気ではあるのですが、午前中、妻と、妻の実家の段々畑のさつまいも掘りにでかけました。

毎年、妻は、野菜直売所・湖南四季の里にさつまいもを出展すると、他の農家が出したさつまいもよりちいさくて、クレームが出てくるとかで、今年は、少しく遅めに収穫することにしました。その結果、大きく育った、大きさも均一のさつまいもを収穫することができました。野菜収穫かごに5杯分・・・。

妻は、<このさつまいも、どうやってたべようかしら・・・>と話していました。筆者、<むすめがさつまいも大好きだから、たくさんあげたら・・・?>といいますと、<いくら好きでも、こんなにはたべられないわよ。>と話していました。筆者、<四季の里に出展したら・・・?>といいますと、妻は、<さつまいもは、Aさんの大きなさつまいもが美味しいといわれて、他のひとが出しても、ほとんど売れないみたい・・・>と話していました。

筆者、家に戻ると、収穫したさつまいもを1本取り出して、水洗い、そのあと1.5cmの暑さに輪切りして、フライパンで焼いてみました。その1個を、妻に試食させますと、<採ってきたばかりのさつまいもがこんなに甘いなら、しばらく寝かせておいたらもっと甘みがますわね・・・。四季の里に出そうかしら・・・>と思いをあらためたようです。

品種は、福島県内で一般的に栽培されている<紅あずま>・・・。


今朝の健康管理・・・

今朝の健康管理・・・。最高血圧116、最低血圧78、脈圧差38、平均血圧91、呼吸数15回/分、体温36.0°C、体重61.2kg・・・。

筆者の平均的日変化の範囲なので、問題なし・・・。

いつもの OutStretch & 手の OutStretch に、鼻腔の OutStretch を加えて、体調を整えていますが、 鼻腔の OutStretch をすることで、点鼻薬の使用を抑えることができます。服用する市販の薬の量は、よほど症状が強くない限りは、こどもの服用量で服用することにしています。大人の服用量では、効きすぎますので・・・。


昨夜は、花粉症パニック・・・

昨日、妻のくるまYARSIで郡山に向かったとき、妻がクーラーの風の強さを調整しているとき、誤って、外気を取り入れるボタンを押したようです。

エアーマスクをして、さらに普通のマスクをしていたにもかかわらず、花粉症の筆者の鼻がむずむずしてきました。なかなかおさまらないので、もしかしたら・・・、と思って、外気を取り入れるボタンを確認したところ、ONになっていました。くるまのなかに、花粉が舞い込んだことが、筆者のアレルギー症状の直接的原因であったようです。

郡山の町に近づけば近づくほど、セイダカアワダチソウの黄色の花が群生しているのが視界に入ってきました。鼻アレルギーの原因は、このセイダカアワダチソウの花粉・・・。

昨夜、就寝前に、花粉症パニックに陥り、筆者、睡眠ができなくなりました。それで、いつも服用している市販のプレコールの鼻炎用かぜ薬を定量飲みました。1時間後に、鼻アレルギー症状がおさまり、呼吸が普通の通りにできるようになりましたので、就寝・・・。

閉鎖的空間では、エアーマスクも普通のマスクも効果なし・・・。中国が世界制覇のために生物兵器として開発した武漢ウイルス、筆者と妻はまだワクチンを接種していませんが、武漢ウイルス(新型コロナウイルス)感染症を防ぐためにも、密室に入ることは極力さけなければなりませんね・・・。

郡山の歯科で前歯の治療・・・

昨日は、妻と一緒に郡山の歯科にでかけました。三森峠を越えて、湖南から一番近い郡山の歯科・・・。

昨日は、筆者の上の前歯2本の治療の日・・・。農作業をしているとき、草むらに隠れた鍬の柄を間違って踏んで、その柄が弧を描くように筆者の口に直撃、上の前歯2本が破損してしまいました。歯根は大丈夫なようで、それを活かしながらの治療でした。やはり、前歯がかけた顔を鏡でみていますと、一挙に年をとった感じがします。年老いて歯抜けになった顔・・・。今日、上の2本の前歯が修復されましたので、自分でも安心して見える顔になりました。

治療を終えたあと、援農ショップ・グラントマトへ行って、1.稲刈り鎌2本、2.バインダーの結束紐2巻、3.バインダー用の袋20枚を購入・・・。そのあと、スーパーで食料品を購入、ホームセンターで猫フードと猫砂を購入・・・。さらに、ドラッグストアで、筆者の点鼻薬を購入・・・。午前9:30に家を出て、戻ってきたのは午後3:00・・・。

昨日の運転、保険会社の車載器の安全運転診断では、A/B/CのA、しかもノーミスでした。

2022/10/11

すっかり忘れていた論文の書き方・・・

夜、書庫の新書と文庫の一部から、論文作成に関する本を取り出してみました。

1.澤田昭夫著『論文の書き方』
2.沢田充茂著『考え方の論理』
3.外山滋比古著『思考の整理学』
4.川喜田二郎著『発想法』・『続・発想法』
5.加藤秀俊著『取材学』
6.井之口正章次著『民俗学の方法』
7.今井登志喜著『歴史学研究法』
8.古島敏雄著『地方史研究法』
9.佐藤俊夫著『習俗』

『論文の書き方』の巻末に、論文の書き方に関する文献表が掲載されていますが、167冊に及びます。筆者の読書は、いもづる式なので、筆者がもし論文作成に関心を持っていたとするなら、この文献表から何冊かは読んでいるはずですが、読んだことがあるのは、12冊・・・。ブログで『部落学序説』を書くための準備をしていたときに精読した本ですが、その頃と比べますと、筆者、今は、比べものにならないほどの論文執筆環境を手にしています(無学歴・無資格、学問と無縁の筆者の自己満足でしかありませんが・・・)。1.~9.は、すでに筆者の肉と血になっています。それでも、『部落学』を日本文と英文で同時執筆するためには、読みなおしておいたほうがよさそうです。

書庫から取り出した論文術・・・

今日の夕方、書庫に、日本語の論文の書き方に関する本がないかどうか、調べてみました。まずは、新書版から・・・。数冊の本が目にとまりましたが、新書版レベルでは、筆者、これまでに、日本語の論文の書き方に関する本を読んだことがありそうです。

その1冊に、小笠原喜康著『インターネット完全活用術 大学生のためのレポート・論文術』(講談社現代新書 2003年)がありました。<はじめに>に、<レポート・論文を書こうとするすべての人にとって、2002年10月は、日本のIT事情におけるひとつの記念すべき時代の始まりだったといえるかもしれない。というのも、国立国会図書館所蔵の明治以降の全ての本と1947年以降の論文などの雑誌記事が、インターネットで自由に検索できるようになったからである。それだけでなく、コピーもインターネットで申し込めるし。近くの図書館での閲覧とはいえ、貸し出しも受けられるようになった。・・・今日の事情は、あまりにも夢のようである。>とありました。

それで、筆者、、あらためて国立国会図書館のHPにアクセスしていろいろと検索してみたのですが、穢多・非人関連の文献を検索していて、最近の論文に関する記述に<おや?>と思うところがありました。それで、『インターネット完全活用術 大学生のためのレポート・論文術』の第6章<嘘つきの法則>を読んでみました。思った通り、それは、小笠原喜康氏のいう<嘘つきの法則>の典型的な事例でした。

『手病変カラーアトラス』を見ながら・・・

夕方、居間で休憩している妻と一緒に、『手病変カラーアトラス』を見ました。この本は、手の病変に関する多くの写真が掲載されています。手の病的状態を、目で見て確認することができます。

また、検査方法の写真入りで紹介されていますので、それで、チェック・・・。妻の右手の痛みは、どの症状にも合致していないし、検査方法で確認しても異常はみあたりません。それにひきかえ、筆者の右手は、検査で異常が見られました。親指と小指を向かい合わせに一直線にしようとしてもできません。小指が親指に対して45度すれ違います。この検査をしたとき、小指が著しく揺れ動いていました。関節障害があるので、そのせいでしょう。『手病変カラーアトラス』の医学者は、<私も異常があるが、日常生活に困ることはありません>との注意を書き添えていました。

妻の右手の痛みをとりのぞくための、根切り鎌を使った草刈り法を再度確認しました。妻は、右手にサポーターをはめて、その草刈り法で草を刈ると、痛みを感じなくてすむとか・・・。

英語論文作成に関する本の内容を精査・・・

英語論文作成に関する本の内容を再度チェックしてみました。

1.English Composition
 1.教科書 3冊
 2.英作文表現辞典 1冊
 3.英語日記の表現辞典 1冊
 4.英語メール表現辞典 1冊

2.English Writing
 1.英語論文の Plan & Researching & Writing 3冊
 2.英語論文の書式 & 表現 & 文例 1冊
 3.英語論文の書式 & 表現 3冊
 4.英語論文の書式 2冊
 5.<Google 翻訳>を使った 英語論文作成 1冊
 6.<MSWord>を使った英語論文の入力・編集・校正・印刷 1冊

日本文と英文の『部落学』を同時執筆するときに、上記の関連書籍から、筆者の英語力、『部落学』の内容にあった英単語、英語表現は、日本語FEP(MSIME & Google日本語)に登録して、『部落学』執筆の間、一貫して使用できるようにします。無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者、<脳力>・<記憶力>・<語学力>のなさを、パソコンの記憶力でカバーすることになります。

論文の執筆には、<Googleのドキュメント>(英文)ないし<MIFES10>(日本文)を使い、編集・校正・版下の作成には、<MSWORD2019>(英文・日本文)を使うことにします。

草を刈っているとき、ピンク色のダリアの花が・・・

トマトの雨除け栽培用トンネルの南側の草刈りをしていたとき、1m高さの草の中に、ピンク色のダリアの花が2つ咲いていました。

手折って、妻のところにもっていきますと、<ええ? まだ咲いていたの? もしかしたら、ダリア畑の西の端のダリア・・・?>といいますので、<そう・・・>とこたえました。妻は、ダリアの球根を移植する時期が遅れたのと、上の田の畔からの水漏れで、ダリア畑の土がぬかるんで球根も腐ってしまったのではないかと思っていたのですが、きちんと花を咲かせてくれたことを知って、とても喜んでいました。とてもきれいなピンク色・・・。

妻の話しでは、そのダリアの球根は、遠縁の親類のお嫁さんのみっちゃんという人から、野菜直売所・湖南四季の里で買ったダリアの球根だとか・・・。

温水田と田畑転換した畑の間の畔の水際に植えているアヤメ・・・、今年は、すっかり大きな株になったようです。来年、株分けをして増やすことになりそうです。妻は、2.5mごとにアヤメの苗を買ってきて移植していましたが、徐々に増やして、畔にそってアヤメが咲き並ぶようにするとかいって・・・。最初に植えてから、今年で4~5年になります。

ナスの残滓の片づけ・・・

田の水抜きをしたあと、妻が、ナスの後片付けをするといいます。筆者、<ナスをそのまま抜き取ると、茎や葉が土に戻りにくくなるから、草刈り機で、10cm単位で切り刻むから・・・>といって、手作業でナスを抜き始めた妻をとめました。まだ、右手首に痛みがあるというのに、ナスの後片付けをするなんてもってのほか・・・。筆者、草刈り機を使って、1m50cmの草丈のナスを、1本ずつ、てっぺんから10cm単位で刈り取っていきまいました。10cm単位で刻まれたナスの茎や葉は、畑の土の上に落ちて、畑の土を覆っていきました。妻は、<細切れにされたナス、後片付けをする必要はないわね。このままおいておけば、マルチにもなるし・・・>といいながら、ナス畑を囲んでいた防獣ネットのあとかたづけをしていました。妻の片づけが終わるまで、筆者は、雨除け栽培用トンネルの周囲の草刈りをしました。

田畑転換した畑に移植していた林檎の苗木2本、すっかり定着したようです。

棚田の田の水を抜く・・・

妻の実家の棚田の田の、コシヒカリ、はえぬき、ひめのもちの田の水抜きをはじめました。常時湛水栽培をしている、妻の実家の棚田の田では、刈入れの1週間前に、水抜きをします。暗渠のUV巻のキャップを外しますと、鉄でまっかになった水がどっと農業用排水路に流れでます。収穫かごを左手に持って、右手で金づちをつかってUV管のふたを徐々に外して行きます。収穫かごで受け止めていないと、UV管を排水路に落としてしまって、回収不能になる場合もありますので・・・。

今年は、雨の日も多く、雨量も例年より多かったので、メインの農業用水路の水が流れてこなくなったあと、水量豊富な農業用水路から2インチの給水ポンプで水をくみ上げる回数が少なくてすみました。雨が降って、田を潤してくれましたので、燃料のガソリンをあまり使わないですみました。今年は、ガソリンが高止まりしていますので、ガソリンの消費が少なくてすみました。幸・不幸は、相半ば・・・。

今週は、晴&くもりの日が続きますので、水抜きをした、妻の実家の棚田の田、すみやかに乾燥して、稲刈りのため、バインダーを走らせることができるほど、田の土が乾燥して固まってくれることでしょう。

2022/10/10

妻の右手首の痛みを取る方法を探す・・・

最近、妻は、右手首に痛みがくるようになったといいます。<右手首の痛みを取る方法を探して・・・>といいますので、『標準整形外科学』と『人体解剖カラーアトラス』の2冊をひもといて、妻の右手首の症状に合致する症例を探してみましたが、目次から検索しても、巻末のINDEXから検索しても、該当する症例はなし・・・。

それで、筆者、筆者の右手首をいろいろ動かしてみながら、手首の関節の動きを確認しました。そして、妻に、どのような農作業をしているときに痛みが来るようになったのか、聞いてみました。妻は、草を取るときだといいます。それで、筆者、草を引き抜く動作をして、関節の動きを確認しますと、右手首の関節の一部が大きく動く箇所がありました。それで、妻に、妻の右手首の関節の動きを確認してもらいました。

そのあと、『人体解剖カラーアトラス』を見て、妻の右手首に痛みがくる骨・筋肉・神経・血管などの解剖図を見て、痛みがこない右手首の動かし方があるかないのか、『標準整形外科学』で確認しました。そして見つけた、妻の右手首の痛みをやわらげる方法・・・。草をとったり、根切り鎌で草を剃ったりするとき、右手の甲を立ててるのではなくて、右手の甲を上に向けて草を取ると、右手首の関節に負担がかからなくなるので、痛みが取れる可能性があると説明しました。

問題解決につながるといいのですが・・・。

論文を書くことは・・・

Ron Fry 著『Write Papers』(邦訳『アメリカ式論文の書き方』)の一節・・・。

<論文を書くことは、時間がかかり、真剣な思考と努力を要します。けっして簡単なものではありません>。しかし、論文を書くことで、<あなたの残りの人生にとって有益な、いろいろなことを学ぶであろうということです。つらくないとは言いません。しかし、必ずうまくいきます>。

<さあ、始めましょう>。

David Lambuth 著『The Golden Book of Writing』(邦訳『日米共通文章宝典』)の1節・・・。

<いろいろなルールにあわせながら書いたりすることで文章がじょうずに書けるようになった人間はいまだかっていない。・・・すぐれた文章は明快な思考から生まれる。・・・じょうずな文章を書くには、よく読書する以外に修得する方法はない。・・・一に読書すること。二に読書すること。とにかく読書すること。それ以外に方法はない>。

蔵書の中で見つけた論文の書き方・・・

論文の書き方についての本を1冊も持っていないなんて、そんなことがあるのだろうか・・・、そう思いながら、筆者、書庫の中の蔵書に、論文の書き方についての本があるのかないのか、調べはじめました。

そして、見つけた1冊は、Ron Fry 著『Write Papers』(邦訳『アメリカ式論文の書き方』)・・・。この本、筆者、精読したことがあるようです。何色もマーカーで色別し、いたるところにメモ書きをしていました。目次のページには、ブログの『部落学序説』の章節が書き込まれていました。

筆者、表題の下に、<KJ法的論文作成法>とメモ書きしていました。すっかり、失念していましたが、筆者、ブログで『部落学序説』を公開執筆するときの作業をこのRon Fry 著『Write Papers』に基づいてしていたようです。

もう1冊、筆者の書斎のパソコンの傍らに置いて常時目を通している、David Lambuth 著『The Golden Book of Writing』(邦訳『日米共通文章宝典』)、訳者まえがきには、<英語、日本語を問わず・・・研究論文>を書くひとのために書かれた本であるとの紹介がありました。

日本語の論文の書き方に関する本を集めるべきかいなか・・・、少しく考えましたが、日本語の論文の書き方に関する本を集めて読むことは、無学歴・無資格、日本の学問とは無縁の筆者には不要と判断して、日本語の論文の書き方に関する本を読むことはやめました。日本での筆者の<肩書>は、<無学歴・無資格>ですが、英語圏では、<a Retired Pstor>・・・。『部落学』を英語論文で出す意図は、この<a Retired Pstor>という表現の中に暗黙裡に了解されていると思われますので・・・。


午後、中学英語レベルで論文を書くための本を読みはじめる・・・

午後、中学英語レベルで論文を書くための本を読みはじめました。

とてもわかりやすい内容で、書く内容さえ確定していれば、それに英語論文の装いをつけることは、それほど難しいことではなさそうです。書く内容を整理して、論文に構造化し、論文の体裁をとることで、一応、論文といえるものに仕立て上げることは、誰にでも可能であるようです。英語で、学士論文や修士論文を書くときの厳密な作法とは違って、一般的な論文を書くには、その作法をかなり簡略化できそうです。

無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者、これまで、<論文>の書き方の指導を受けたことは一度もありません。つまり、一度も<論文>らしい<論文>を書いた経験がないということを意味します。

インターネットのブログ上で『部落学序説』の公開執筆をはじめたときも、<論文>を書いているという意識はありませんでした。<論文>という言葉を使ったことはあるかもしれませんが、その意味合いは、<特定のテーマについて自分が思索した内容を分析的・客観的・論理的に説明した>英語の Essay どまり・・・。日本の社会から部落差別をなくするためには、<学者・研究者・教育者的課題>にとどまらず<国民的課題>であると日本政府は国民を動員していたので、<国民的課題>として、無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者が、部落差別完全解消を目指して、Essay 風の<論文>を書くのも、あながち間違いではなかったでしょう。

夕方、筆者の蔵書の中に、『論文の書き方』という表題の本があるかないか、確認したのですが、1冊もありませんでした。???

英語論文作成に関する本を内容で分類すると・・・

英語論文を執筆するために、筆者が参考資料として集めたものを、その内容によって分類してみました。

1.中学生用 English Writing 2冊
2.高校生用 English Writing 3冊
3.一般用 English Writing 4冊
4.英語論文作成入門 4冊
5.自然科学・社会科学・人文科学の英語論文作成 1冊
6.社会科学・人文科学の英語論文作成 1冊
7.人文科学の英語論文作成 1冊
8.言語学の英語論文作成 1冊
9.Google翻訳を使った英語論文の作成 3冊

筆者9.からはじめて、1.~8.を経由して、再度9.に立ち戻ろうとしています。独学の欠点のひとつに、誰でもが知っている基本的知識・技術が欠如しているのに、それに気づかないことがあげられますが、英語論文作成においてその愚を犯さなために、無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者、1.~8.への階梯をのぼることにしました。短期間に、英語論文作成力を身に着けるための独学カリキュラムです。

午前中、さといも掘り・・・

午前中、妻の実家の段々畑でさといも掘りをしました。収穫するのは、2畝のうちの1畝だけ・・・。

野菜の収穫包丁をダイヤモンドやすりで研いで、里いもの葉を切り落とし、そのあと、黒マルチを剥いで、妻の実家のおとうさんが使っていた3本爪鍬で掘り起こし、筆者と妻とで手作業でさといもを収穫していきます。収穫かご2杯分のさといもを収穫することができました。

午後、妻は、農業用水路で水洗い、そのあと家の水道でさらに水洗いして自然乾燥、乾燥したら、野菜直売所湖南四季の里に出展するのだとか・・・。娘のご主人がさといも大好きなので、その分はきちんと確保してその残りを・・・。さといもの茎も持って帰りました。自然乾燥して保存食にするそうです。

昨夜も今朝も雨、午前9:00に雨があがる・・・

昨夜も今朝も雨が降っていました。雨があがったのが、午前9:00頃・・・。

今年の夏、秋は、雨の日が多く、筆者にとっては、<晴耕雨読>の日々が続きました。<晴耕雨読>を有効利用して、筆者は、読書三昧・・・。

『英訳聖書』(NSRV)の通読、『アーレント=ヤスパース往復書簡』の通読、English Writing に関する参考資料の収集と通読、古語・英語・独語・西語の辞書と教科書の収集、部落史研究の基礎文献の整理・・・。まもなく75歳、後期高齢期に入る筆者にとっては、遅すぎる<学習>かもしれません。

遅すぎついでに、昨夜、インターネット経由で、すでに入手している『英語論文基礎表現717』の姉妹編、『英語論文実用表現』と『英語論文重要語彙』を注文しました。『英語論文重要語彙』、筆者が以前から愛用している『漢語辞彙』の響きがありましたので、読者のレビューを無視して注文しました。『漢語辞彙』の凡例に、<本書は、主として文章を修得するものの便宜に供せむが為に作れるものにして、叉、傍ら中等教育程度の学生が、故事熟語を学ぶに弁ならしめむせしものなれば、一見直に解し易き類の成語等は、概ね之を省き、力目手文字以外に意味があるが如きものを採れり・・・>とあります。『漢語辞彙』(明治37年初版)は<中東教育程度の学生>の使用に便ならしむための単語帳・・・。無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者にぴったしの漢語単語帳です。

やまとことば&漢語&西欧語・・・

現代の日本語の単語は、<やまとことば>と<漢語>、それから外来語である<西欧語>から形成されているようです。

角川小事典の『外来語の語源』・『図解外来語辞典』をひもといていますと、その外来語の多さに驚かされます。外来語の多くは英語であるようですが、外来語は英字ではなくカタカナ表記されるのが普通・・・。日本人が、English Writing するときの誤用は、カタカナ化された英単語を、そのまま用いるときに発生するようです。日本語的造語法によって、和製英語なるものもつくられているようですが、和製英語は、英語圏ではほとんど通用しない・・・。

筆者が、『部落学』を日本語と英語で同時執筆するときに、注意しなければならないのは、この外来語化された単語とか、和製英語の類を不用意に使わないこと・・・。『図解外来語辞典』は、16,000語が収録されていますが、筆者が英文を逐語訳するときに使っている『旺文社ハンディ英和辞典』の収録語数は35,000語ですから、16,000語の外来語が日本語として組み込まれているということは、驚きに値します。無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者にとっても、英語は、避けて通ることができない言語であるようです。無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者の語学力は、中学国語(現代文・古文・漢文)と中学英語レベル・・・。それで、古文書読解法や英語論文作成法などを身につけようとしているのですから、有学歴・有資格の学者・研究者・教育者から<身の程知らず>といって罵倒されるのも当然といえば当然なのかもしれませんが・・・。

2022/10/09

<負け犬の作法>に陥ることなく・・・

鷲田小彌太著『知の技術者宣言』の中に、<知性の自由競争に身を置く>という短文があります。

その冒頭の言葉は、<戦後教育の最大の弊害は、競争を「悪」とみなす考えです。>ではじまります。鷲田氏は、<知的な競争は・・・知性の増幅には欠かせない条件>であるといいます。しかし、知的競争といっても、現実の具体的な人物との知的競争に限って言われているのではなく、書籍を通じての過去の先学との内的競争も知的競争に入ります。そにような<知的競争は有益>とか・・・。

しかし、インターネット上で論文を公開執筆しますと、不特定多数の読者から、不当な<知的競争>をしかけられることも少なくありません。そこで頭をもたげてくるのが、<戦後教育の最大の弊害>・・・。論理的な批判は影をひそめ、主観的・情緒的非難が大手を振ってまかり通るようになります。被差別部落の問題や歴史について言及しますと、特に、非論理的な、主観的な反感にさらされるようになります。しかし、そのなかで、『部落学序説』や『部落学』を執筆していくには、<知性の競争に私怨を持ち込まない>ことが大切であるといいます。論理的に展開される主張に、<私怨>を持って対峙するのは、鷲田氏は、<負け犬の作法>だといいます。

筆者のブログ『部落学序説』は、<私怨>に触れないで、史資料と研究論文に対する論理的批判に徹しています。被差別部落に対する<私怨>に触れると、筆者、語るべきことがたくさんありますが・・・。

新訂増補國史大系普及版『律』・・・

午後、新訂増補國史大系普及版『律』を読んでいました。

筆者が、『律』を読むときに参考にするのは、

1.『日本古代史研究事典』
2.『日本古代史辞典』
3.『日本古文書学講座・古代編』
4.『古代郷土史研究法』
5.『日本思想大系・律令』
6.『日本法制史概要』
7.『日本法制史』(青林法学双書)
8.『法制史の研究』・『続・法制史の研究』

まずは、『律』の原文を自分で読むことから・・・。『部落学』の執筆のための準備作業でしておかなければならないことが多々あります。『部落学序説』を執筆するときに、ほとんど考察の対象に入れていなかった日本古代法制度史・・・。近世幕藩体制下の司法・警察であった<穢多>役・<非人>役を日本史全体の中に正当に位置付けて考察するには、中世の法制度史だけでなく古代の法制度史も念頭に置いておく必要があります。筆者、無学歴・無資格、歴史学的研究とは無縁の存在ですが、それだけ、下調べには多くの時間と努力を要求されます。

Google スプレッドシートで、稲刈りの時期を決める積算温度を算出・・・

今日、インターネットにアクセスして、Google スプレッドシートで、早稲のひめのもち、中早生のはえぬき、晩稲のコシヒカリの刈り入れ時期を決めるために、積算温度を算出してみました。

今年は、例年より高温多雨の日々が続いたので、稲刈りは例年より早くなるのではないかと思っていましたが、今日、積算温度を算出してみて、やはり例年より早く刈り入れしないといけないと思いました。妻の実家の棚田の田では、常時湛水栽培をしていますが、刈り入れ時になるとメインの農業用水路に水が流れなくなりますので、間断湛水栽培に切り替えて、水量豊富な2インチの吸水ポンプで水を汲み上げて温水田で温めた水を吸水することにしています。

早稲のひめのもちは、かなり前に、積算温度が収穫時期に達しています。そういう意味では、湖南のプロの農家が栽培しているあきたこまちは、もう収穫が済んでいてもいいのですが、10月に入ってからも雨の日が多く、大型コンバインを雨でぬかるんだ田に入れるのは難しそうです。無理をして大型コンバインの刃を破損させると、修理代に30~40万円かかるのだとか・・・。湖南のプロの農家の方々は、晴れの日が続いて、大型コンバインを気の向くまま走らせる日がくるのを待っているのでしょう。

Google スプレッドシート、使い勝手がいいですね。これからは、積極的にGoogle スプレッドシートを使うことにしましょう。

スイカとメロンは残り全部を出展・・・

今朝、野菜直売所・湖南四季の里に出展する野菜と果物を収穫しに行った妻、家に戻ると、メロン3娘を抱えて、<これ、我が家の消費分・・・。これ1個、切ってみて! 美味しかったら、収穫してきたメロンとスイカ、全部売りに出すから・・・>といいますので、すぐ切って試食、<甘くて美味しいよ!>といいますと、妻も一切れ食べて、<美味しいわね。買ったお客さん、喜ぶわね・・・>とうれしそうに話していました。

今年は、妻の実家の棚田の田の育苗用ハウスと、国道294号線のバイパス工事で移築した苗代田の簡易温室の2箇所で、メロンとスイカを栽培していました。収穫時期をずらすためですが、妻のおもわく通り、時期をずらして収穫することができました。

妻の話しでは、野菜直売所・湖南四季の里に買いにやってくる人も、時世を反映して、少しく安くしないと買ってくれないのだとか・・・。有機・無農薬で栽培しても、妻は、他の農家と同じ価格でしか販売しませんが、吉田農園の農園主は妻なので、妻が決めた価格で販売することに筆者は口をはさみません。

筆者が蔵書している著作集・全集は・・・

筆者が蔵書している、個人名を冠した著作集・全集・選集は、以下の通り・・・。

ヤスパース選集(実存主義哲学)
ラートブルフ著作集(法哲学)
コセリウ言語学選集(言語学)
底本柳田国男集(民俗学)
藤村全集(自然主義文学)
佐竹昭広集(万葉学)
江原万里全集(無教会派の経済学者)
神谷美恵子著作集(精神医学)

古島敏雄著作集(歴史学)と肥後和男著作集(日本古代史)、アーレント全集(政治哲学)を読んでみたいとは思っていますが、前二者については、主要著作はすでに入手して読んでいますので、著作集を読む必要があるかどうか・・・。75歳の筆者には、たぶん、そのための時間的ゆとり、精神的ゆとりはないでしょう。筆者、Reading のみの時代は終わって、Writingの時代に、不可逆的に突入していますので・・・。

『~学英和辞典』、『~学英和大辞典』を検索するも・・・

今朝、南山堂『医学英和大辞典』をひもといていました。英和辞典でも、こういう専門分野の英和辞典を目の前にしますと、筆者、無学歴・無資格、学問とは無縁の存在であることを自覚させられます。まかりまちがっても、学歴や資格を超越した生き方をしていると幻想に身をゆだねることはありません。専門分野化が進んで現在の社会においては、そのひとの専門分野以外についてはほとんど素人同然の知識・技術しか持っていないことは状態化しているからです。大学教育・大学院教育を受けて、専門分野の知識・技術を身に着けても、専門以外の分野においては、中卒あるいは高卒レベルにとどまっている人々が少なくありません。しかし、多くの場合は、特定の専門分野について学び、それにふさわしい資格をみにつけていることで、すべての学問に精通しているかのような錯覚にとらわれ、自己を過大評価、学歴・資格をもたないただのひとを過小評価、見下し、誹謗中傷・罵詈雑言をなげかけるひとも少なくありません。

今朝、インターネットにアクセスして、医学以外の<~学英和辞典>、<~学英和大辞典>があるかないかを調べてみました。残念ながら、医学以外の<~学英和辞典>、<~学英和大辞典>はなさそうです。<哲学英和辞典>、<哲学英和大辞典>を探していたのですが、ヒットせず・・・。筆者の手持ちの文献で役立ちそうなのは、平凡社『哲学事典』の<邦文索引>、<欧文索引>・・・。前者は哲学和英単語集、後者は哲学英和単語集として使うことができそうです。いずれも1万数千五の単語集になりそうですから・・・。心理学、倫理学、社会学、文化人類学などについても同じ・・・。

昨夜、古文を判読する手順を確認・・・

昨夜、ひさしぶりに古文書を取り出して読んでみました。高齢化すると、記憶力が低下するだけでなく記銘力も低下していきます。せっかく知識・技術をみにつけても、数か月後、半年後には、すっかり忘れてしまっている・・・、ということもめずらしくありません。筆者の古文書読解力もその傾向なきにしもあらず・・・。高齢化すると、廃用症候群にさらされることになりますが、使わない機能はどんどん失われていきます。それで、昨夜は、筆者の古文書読解力を確認する意味で、古文書を取り出して読んでみました。判読できない崩し字をどのように判読していくのか、その手順と参考にする古文書解読辞典の使い方の確認です。

結果は、良好・・・。

ついでに、日本の古代・中世における、漢字で綴られた日本古代史関連の基本文献を原文で読めるかどうか、また『万葉集』の万葉仮名を原文で読めるかどうかの確認・・・。日本古代法制史を学ぶためには、インターネットの日本の古本屋経由で入手した、吉川弘文館の<新訂増補国司大系 普及版>の関連文献に目を通す必要があります。

無学歴・無資格、学問とは無縁の筆者の高齢期の<悪あがき>です。

2022/10/08

筆者の部落史研究を進展させるには・・・

今日も冷たい雨が降っていました。午前中は、晴耕雨読で、三浦周行著『日本史の研究 第1輯上』を読み始めました。

『部落学』を執筆するとき、部落史研究は避けて通ることはできません。部落史研究の方法はいろいろあるようですが、無学歴・無資格、歴史学的研究とは無縁の筆者は、歴史的批判的方法を駆使したランケの基本的な研究方法を踏襲することになります。

三浦周行は、<現今史界の進展を図らんとするには、其方法もとより一にして足らざるべし。然るに余を以てすれば、一は根本史料の普及・・・なり。第二は研究法の普及なり。・・・第三は研究業績の普及なり。>と記していますが、部落史研究についても、この三つをしっかり抑える必要があります。1.基礎的な史資料を研究対象にし、2.歴史的批判的方法でもって事実を明らかにし、3.先行研究に対する評価と自説の意義を明らかにする必要があります。といっても、無学歴・無資格、歴史学的研究とは無縁の筆者、読むことができる史資料は限られています。研究方法は、文献学・古文書学などを駆使した歴史的批判的研究方法であり、左翼思想、唯物史観、共産主義などのイデオロギー的研究とは一線を画し、既存の研究論文を批判検証していくことになります。

三浦周行著『日本史の研究』(全7巻)は、4,000ページを超える大著・・・。東京大学出版会『講座日本歴史』(全13巻)を合わせ読むことになりますが、『講座日本歴史』は、5,000ページ・・・。これらを読むのは、三浦周行著『法制史の研究』を読破するため・・・。こちらは、2,700ページ・・・。無学歴・無資格、歴史学の門外漢である筆者が、あらたに『部落学』を執筆するのは容易なことではありません。しかし、歴史の真実にたどりつくことができることで、筆者の労苦は報われます。

この冬の知的作業は観聖寺文書の再判読・・・

    今日は1日,  これまで再読した観聖寺文書を再検証して, MSwordで活字化, A4判19枚にプリントアウトして, 隣村の郵便局からゆうパックで送りました.     12月20日から来年3月20日までの3ヶ月間, 晴耕雨読ならぬ晴れた日は除雪作業, 雪の降る日は読書三昧...